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<title>田村伊知朗政治学研究室</title>
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<description>時事問題、マンガを含めた書評など、ジャンルにとらわれずエッセイ風につづっています。気になる記事がありましたら、お気軽にコメントしてください。また、コメント執筆者が特定されるような情報（職場名、学校名、学籍番号、本名等）は削除いたします。また記事と関係のないコメントやTB、アフィリエイトメインのブログからのTBもご遠慮ください。
 なお、著作権は本ブログ執筆者に所属しています。無断転載等は許可していません。転載する場合、ご連絡ください。</description>
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<item rdf:about="http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/11/post-f455.html">
<title>異邦人ーー煙草による自己疎外の回復</title>
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<description>　誰でも、自分はここにいるべきではないと感じることがある。それは、どのような華や...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　誰でも、自分はここにいるべきではないと感じることがある。それは、どのような華やかな場であれ、どのような熱狂に包まれようとも感じることがある。その時、一本の煙草に火をつける時、いつもの自己がまだ生きていると感じられることがある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　外国に初めて行った時のことである。もちろん、知人も友人もいない。医療システムに対する情報もない。自分が属する組織もまだみえない。すべての世界が自分にとって疎遠であると感じられるときは誰にでもあるはずだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　その時、一本の煙草に火をつける。日本から持参したハイライトである。その一本の煙草に火をつけて一服したときだけ、まだ生きているという実感が生まれた。ここで死ぬわけにはいかないからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そのときの一本の煙草が私に与えてくれた恩義に対して、どのように報いることができるのか、まだ思案中である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そしてそのような一本の煙草を吸う場所がないことが、人間性を破壊しているのであろう。破壊された場所、破壊された人間性の回復の可能性は限りなく小さい。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>たむら </dc:creator>
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<item rdf:about="http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/11/post-7da2.html">
<title>煙草の効用ーーまあ、一服と殺人の抑止力</title>
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<description>昔、ある青年が「あの野郎、ぶち殺したる」と無意識に叫びながら包丁を持っている姿を...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&amp;nbsp; 昔、ある青年が「あの野郎、ぶち殺したる」と無意識に叫びながら包丁を持っている姿を目撃したことがある。その姿は鬼気迫るものがあった。しかし、その姿をみたある老人が一本の煙草に火をつけ、その青年に渡した。その青年が煙草を一服した後、肩から力が抜けたようにして、包丁を落とした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　もし、この青年にとって煙草がなければ、殺人罪で少なくとも１０年位は刑務所暮らしを余儀なくされたであろう。このような情景が今でも目に焼き付いている。禁煙運動家はそのような青年の行動には無頓着である。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>たむら </dc:creator>
<dc:date>2008-11-10T09:24:14+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/11/post-abc7.html">
<title>昔、総評、今、禁煙ーー馬鹿が陸軍でやってくる</title>
<link>http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/11/post-abc7.html</link>
<description>　昔、総評、すなわち日本労働組合総評議会という労働組合の連合組織があった。その是...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　昔、総評、すなわち日本労働組合総評議会という労働組合の連合組織があった。その是非はともかく、この総評はかつての日本陸軍と同様に独断専行するという性格が強かった。ある評論家がこの組織を評して、昔、陸軍、今、総評という有名な言葉を発した。一番有名な総評が為した行為のひとつは、「スト権スト」であった。労働組合の内部では、一定程度理解されたのであろうが、普遍的意義を持ちえないものであった。とりわけ、国労がこれに参加したことにより、国鉄解体の引き金を引いたと言っても過言ではない。つまり、このストによりすべての貨物列車もストに入り、多くの生鮮野菜を腐らせた。それにもかかわらず、総評、国労の執行部はストを止めなかった。その記憶は今もある。それ以降、農産物の鉄道からトラックへの移行が決定的になった。農家が腐敗する野菜を見て、涙ながらに抗議しても、幹部たちは無視していた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　自らの組織を解体するような愚行の象徴として今でも記憶されている。この愚行を、数十年前の総評を見習った禁煙運動組織が行っている。禁煙もスト権ストも、ミクロ的に考察すれば、正しいかの外観を呈している。スト権ストも労働運動家においては当然=自然のことであった。しかし、その作用が別の領域においてどのような結末を生むのかに対して無頓着であるという点において両者は共通している。国鉄のストによって、国鉄そのものが解体し、禁煙運動によってより巨大な悪をもたらしていることが理解されないようである。昔、陸軍、今、禁煙である。 彼らはなぜ喫煙家が煙草を吸うのかについて全く想像力を働かせないし、その結末に無頓着である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>たむら </dc:creator>
<dc:date>2008-11-08T18:15:10+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/11/post-3636.html">
<title>煙草一箱１，０００円？ーー馬鹿が馬鹿丸出しでやってくる</title>
<link>http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/11/post-3636.html</link>
<description>　雨の降る場外馬券場で警備員をやっていたころの話である。正確な時間を覚えていない...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　雨の降る場外馬券場で警備員をやっていたころの話である。正確な時間を覚えていないが、確か４５分警備を担当して、１５分休憩室で休憩といって勤務形態であったと記憶している。そこでは、４５分間、ただ立っていることが仕事であった。常に時計を気にしながら、休憩の時間がくることだけが楽しみであった。交代要員が来て、休憩室で一本のハイライトを喫煙することのみが唯一の希望であった。雨に濡れながら、一本のハイライトを思い浮かべていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　このような労働者の唯一の娯楽を剥奪しようとする者はだれであろうか。４５分間の労働の唯一の楽しみが一本のハイライトである労働者であろうか。炎天下の自動販売機の前で、一本１２０円（当時は１００円）の冷たいジュースを買おうか買うまいか思案したことがある人間であろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　おそらく、そうではあるまい。このような人間の在りようとは無縁な冷酷慈悲のない人間であろう。すべての人生をほぼ計画通りに生きてきた人間であろう。そうでなければ、１箱１、０００円の煙草という馬鹿げたことを想像すらできないであろう。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>たむら </dc:creator>
<dc:date>2008-11-07T19:57:12+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/11/post-e9f0.html">
<title>大学における禁煙と大麻ーー馬鹿がミクロ的合理性でやってくる</title>
<link>http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/11/post-e9f0.html</link>
<description>　大学が綺麗になったと評判である。東京の主要大学からは、立て看板がほぼ撤去されて...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　大学が綺麗になったと評判である。東京の主要大学からは、立て看板がほぼ撤去されている。そして、多くの大学内建物から煙草の灰皿が撤去された。多くの喫煙者は喫煙室という限定された空間においてか、あるいは雨風をきにしつつ屋外で煙草を吸うことを余儀なくされている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　しかし、大学が綺麗になればなるほど、人間の精神も綺麗になるのであろうか。人間そのものが清潔になるのであろうか。かつての大学内において喫煙は講義室でも自由であった。ある刑法学の最高権威の一人は、講義中も喫煙していた。もちろん、流石にこの教授あるいは助教授は灰皿を持参していただろうが・・・。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ここで講義中の喫煙を主張しているのではない。受動喫煙は非喫煙者にとって喜ばしい状況ではないからだ。しかし、喫煙者は白眼視され、惨めな状況下で喫煙を許されているにすぎない。このような精神的不自由のなかで、喫煙という小さな逸脱を抑圧していることによって、大学は綺麗になった。しかし、このような小さな逸脱を排除することによって、大学はより巨大な悪を招き入れてしまった。大麻汚染である。小さな逸脱を許すまじ、というPTA的正義が幅をきかすことによってより巨大な悪を産出した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ミクロ的に見れば、煙草は多少健康に悪いことになるのであろう。それ自体を否定しているのではない。しかし、人間存在は逸脱を許容している。少なくともそれを意思することによってより巨大な悪から逃れる術を知っていた。少なくとも、煙草の吸殻の落ちていたキャンパスには、大麻はなかった。煙草に満足できなければ、葉巻を吸っていた。しかし、より匂いのキツイ葉巻を吸う環境は少なくとも綺麗な大学からは消えている。煙草から大麻である。あるいは非喫煙から大麻である。段階を踏まえておれば、そのような馬鹿げた飛躍は起きなかったであろう。マクロ的に考察すれば、馬鹿がミクロ的合理性を背負ってやってきたのである。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>たむら </dc:creator>
<dc:date>2008-11-06T22:12:25+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/08/post_12a7.html">
<title>討論会への問い合わせ</title>
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<description>学生の方から、投稿したコメントが反映されていないとの問い合わせがありました。確認...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;学生の方から、投稿したコメントが反映されていないとの問い合わせがありました。確認しましたところ「討論会ーー世界観」というタイトルの記事のコメント欄に、7/22に投稿していただいたコメントがありました。お時間のあるときにご確認ください。【管理人】&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>お知らせ</dc:subject>

<dc:creator>たむら </dc:creator>
<dc:date>2008-08-01T16:38:25+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/07/post_5ab4.html">
<title>討論会の総括</title>
<link>http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/07/post_5ab4.html</link>
<description>　討論会は終了しました。また、一部のコメントの表示が遅れました。陳謝します。この...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　討論会は終了しました。また、一部のコメントの表示が遅れました。陳謝します。この点を指摘いただいた「馬耳東風」氏に感謝します。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ところで、個別コメントに対して応答はできません。あまりに多いので。ただし、一括して総括します。ただ、10月過ぎになります。すいません。私事多忙ということでご勘弁願います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　なお、私にかわり、この討論会全体（コメントを含む）に対する総括がありましたら、よろしくお願いします。できれば、本メイルのコメント欄にコメントをいただければ幸いです。なお、この公開も10月過ぎになります。これもまた、私事多忙ということで。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　皆さん、良い夏休みを。夏休みに成長すると小学校のころ聞いた記憶がありあますが。もっとも、大人になれば、夏休みは死語になりました。夏もまた、仕事です。立派な仕事を祈念しています。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>お知らせ</dc:subject>

<dc:creator>たむら </dc:creator>
<dc:date>2008-07-24T20:37:30+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/07/post_c6cb.html">
<title>討論会の終了</title>
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<description>　討論会は本日をもって終了します。これ以後、投稿しても削除されます。ありがとうご...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　討論会は本日をもって終了します。これ以後、投稿しても削除されます。ありがとうございました。このような難解な課題に対して、投稿があることは現代日本の知的水準の高さを表現しています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　内容に関しては、後日再検討します。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>お知らせ</dc:subject>

<dc:creator>たむら </dc:creator>
<dc:date>2008-07-24T08:51:13+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/07/post_ede6.html">
<title>討論会ーー世界観</title>
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<description>「個人が変化することによって、その世界観も変化する。この意味の、個人的な、しかし...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;FONT-SIZE: 10.5pt; FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ ゴシック&amp;quot;; mso-bidi-font-size: 12.0pt; mso-bidi-font-family: &amp;quot;Times New Roman&amp;quot;; mso-font-kerning: 1.0pt; mso-ansi-language: EN-US; mso-fareast-language: JA; mso-bidi-language: AR-SA&quot;&gt;「個人が変化することによって、その世界観も変化する。この意味の、個人的な、しかし抽象化された水準における考察」に関する討論会を企画します。この討論会に関するコメントを募集します。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;FONT-SIZE: 10.5pt; FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ ゴシック&amp;quot;; mso-bidi-font-size: 12.0pt; mso-bidi-font-family: &amp;quot;Times New Roman&amp;quot;; mso-font-kerning: 1.0pt; mso-ansi-language: EN-US; mso-fareast-language: JA; mso-bidi-language: AR-SA&quot;&gt;　なお、コメント欄への投稿は、7月21日から、22日までの2日間だけです。なお、投稿しても、すぐには公開されません。公開はそれ以後になります。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>お知らせ</dc:subject>

<dc:creator>たむら </dc:creator>
<dc:date>2008-07-04T01:13:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/07/post_30d7.html">
<title>共生ーー喫煙者と非喫煙者</title>
<link>http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/07/post_30d7.html</link>
<description>　個人の恣意的自由は他者の自由を侵害しないかぎり、承認されるべきであるという思想...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　個人の恣意的自由は他者の自由を侵害しないかぎり、承認されるべきであるという思想がある。少数者の権利は多数者によって侵害されてはならない。社会を多数派の思考様式によって一元化してはならない。「清潔」な社会は、人間抑圧的である。しかし、近代社会はある原理によって社会を一元化しようとする。学問もまたそうである。市場原理によって社会を一元化しようする。共生という概念は知的障害者と健常者との共生として1950、60年代北欧で広まり、米国を経由して日本に輸入された。しかし、現実において共生はほとんど不可能になりつつある。嫌煙権運動は喫煙者と非喫煙者との共生をなぜ指向しないのであろうか。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>たむら </dc:creator>
<dc:date>2008-07-03T22:57:56+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/07/post_7bcf.html">
<title>近代における初期近代と後期近代の時代区分</title>
<link>http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/07/post_7bcf.html</link>
<description>　 近代革命成立以後、現時点に至るまでの社会を近代社会と総称している。しかし、近...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ ゴシック&amp;quot;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ ゴシック&amp;quot;&quot;&gt;近代革命成立以後、現時点に至るまでの社会を近代社会と総称している。しかし、近代社会は&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;1960-70&lt;/span&gt;年代を境として大きく変動する。端的に言えば、&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;68&lt;/span&gt;年革命の世界的敗北をその分類のメルクマールとする。前期近代と後期近代という時代区分が必要になる。その、分別の根拠として以下のことを挙げることができる。近代革命は通常暴力革命として出現した。前期近代において暴力への一定の了解があった。しかし、後期近代において暴力への社会的承認力は無になる。この暴力革命への対応がこの前期近代と後期近代を分ける分水嶺になるが、それだけではなく、多面的な社会現象として出現してくる。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ ゴシック&amp;quot;&quot;&gt;近代という枠組は不変ながらも、初期近代において想定されていない事柄が出現する。必ずしも､当該事柄が存在しなかったわけではない、たとえば、環境問題も前期近代、あるいは近代以前からに存在していた。鉱山開発は前近代からあったし、それに伴う鉱毒問題､空気の汚染､伐採過多による洪水等の問題もあった。環境問題は後期近代特有の問題として出現した。後期近代に普遍的なものとして一般に認識された。環境問題だけではなく、高齢者問題､高度医療問題､原子力問題等が出現した。このような新しく認識された問題として、生命倫理もある。初期近代において映画「この天の虹」（木下恵介監督、&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;1958&lt;/span&gt;年松竹）において、八幡製鉄所からでる煙は「&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;7&lt;/span&gt;色の煙」として肯定的に描かれていた。後期近代では、中華人民共和国における工場煙突として非難の対象になっている。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ ゴシック&amp;quot;&quot;&gt;このような近代の一般理論において対応困難な問題が出現することが、後期近代という時代区分を必要にしている。しかし、これらの問題は必ずしもすべての国家に妥当する問題ではない。後期近代においても、このような問題が現象しない国家のほうが実は多い。後期近代という時代把握が生じるのは、西欧を中心とした高度資本主義国家においてのみである。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>たむら </dc:creator>
<dc:date>2008-07-03T22:42:21+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/06/post_4619.html">
<title>日常生活に関する思想史的考察</title>
<link>http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/06/post_4619.html</link>
<description>　哲学あるいは思想という学問が実生活において役に立たないという非難がある。しかし...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　哲学あるいは思想という学問が実生活において役に立たないという非難がある。しかし、あることを根源的に考えるという意味において哲学的思考、あるいは思想史的思考は役に立つこともある。もちろん、役に立たない場合も多いが・・・。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　その一例として「君を幸せにする」という命題を考察してみよう。よくテレビドラマで結婚を前提にしている若い男女がこのセリフを口にする。たいていの場合、このセリフを男がしゃべることは、いわゆるフェミニズムと関連している。この問題を除外しても、以下のような問題がある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;１、他者がなぜ私の幸福に関与するのか。幸福、あるいは幸福感は個人的領域に属する。なぜ、他者である男（女でもよい）が、私の幸福に関して絶対的力を持つのか。傲慢ではないのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２、幸福という観念は多岐に渡る。そこでは、どのような事態が幸福であろうか。3DKの公団住宅に住むことであるのか、4畳半のアパートに住むことなのか。住宅問題を例にとっても必ずしも一義的ではない。あるいは、物質的事態だけではなく、精神的事柄とも関係する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;３、時間という観念が重要である。もし、幸福観念で両者が一致しても、いつまでであろうか。生涯に渡って？そのような数十年後の未来を予想することが可能であろうか。あるいは、今夜だけのことであろうか。そのことを両者が確かめることはない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;４、もし、この命題をテレビドラマ風に解釈したとしても、それが成就されない場合、どのような保障があるのであろうか。この約束が履行されない場合どのような対価が用意されているのであろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ざっと考えてもこのような疑問が生じる。しかし、この言葉が発せさられる状況下においてどれほど人間がこのようなことを考えるであろうか。否、このようなことを考えもしないであろう。人間が理性を喪失し、感情に基づいて行動しないかぎり、第一歩を始めることはできないであろうから。人間理性は脆いものである。しかし、理性を喪失した場合のほうが良い結果をもたらすと言ってもよいかもかもしれない。保障のかぎりではないが・・・。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>思想</dc:subject>

<dc:creator>たむら </dc:creator>
<dc:date>2008-06-05T18:59:18+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/06/jt_83fe.html">
<title>タスポの馬鹿――JTも馬鹿</title>
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<description>　タスポが未成年のたばこ購入を抑制するために導入された。この目的は誰もが反対でき...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　タスポが未成年のたばこ購入を抑制するために導入された。この目的は誰もが反対できない。子供の喫煙を奨励することはできないからだ。しかし、この正義は別の側面を持っている。すなわち、個人商店の壊滅化である。近年、コンビニエンスストアー、スーパーマーケット等のチェーン店が個人商店の経営を圧迫している。本屋、八百屋、魚屋、煙草屋といった個人商店に関して、閉店の話はよく聞くが、開店の話などは聞いたことがない。新規参入しようとしても、巨大資本による寡占的状況を打破するだけの技術、販売技法を持った個人はほとんど存在しないからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この個人商店壊滅の一端を担っているのが、タスポである。この導入によって、個人商店は風前の灯になった。PTA的正義を振りかざすことによって、個人商店の経営が悪化することは、事前に承知していたはずである。巨大資本が地方の個人商店を壊滅させる手段として、これが導入された。もちろん、これは目的ではなく、結果であるという詭弁は承知である。現在の商品戦略を担う優秀な商品市場研究者は、このような結果は事前に承知しているし、していなかったとすればそれは自分の技能の低さを表明しているにすぎない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　JTはこの事態をどのように説明するのであろうか。どれほど、このタスポ導入に反対したのであろうか。あるいは、ＪＴからすれば、販売総数が落ちなければ問題ないーーコンビニに購入しようが、個人商店で購入しようが関係ないーーとすれば、それは自分の首を絞めることにつながるであろう。文化としての喫煙を自ら否定しているからだ。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>たむら </dc:creator>
<dc:date>2008-06-02T17:07:10+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/03/post_f89d.html">
<title>ＪＴの馬鹿ーー競争原理はない</title>
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<content:encoded>&lt;p&gt;　ＪＴの馬鹿について昨日も書いた。今日も書く。だんだん、怒りが増幅してきた。専売公社を民営化する際、競争原理が働くという呆けた言説があった。しかし、ＪＲにしろ、ＪＴにしろ、競争原理は働かない。JRにしろ、競合する私鉄があるのは、ごく一部である。鉄道に限定すれば、ほぼ独占している地域はかなりある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　また、ＪＴに関しても、国産たばこ会社が多数現れて、煙草の値段が値下がりしたのであろうか。また、政府運上金が増大され、国庫が豊かになったのであろうか。煙草の銘柄は減少して、「セブンスター」、「マイルドセブン」眷属のみが栄え、多くの特殊なーーしかし、絶対的な愛好者を誇っていた煙草が廃止された。少数の嗜好は、生産性の向上の犠牲になった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　せめても救いは、ＪＴ子会社は毒入り餃子を販売したが、ＪＴはまだ毒入り煙草を販売していないことであるが・・・。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　税金の関係で個人輸入の全面的自由化は、煙草の場合不可能であろう。しかし、考慮される時期にきているのかもしれない。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>喫煙権</dc:subject>

<dc:creator>たむら </dc:creator>
<dc:date>2008-03-15T13:03:45+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/03/jt_3ade.html">
<title>ＪＴの馬鹿ーー少数者の権利破壊ーーJ煙草銘柄の廃止</title>
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<description>　JT日本たばこ産業（以下、ＪＴ）への逆風が吹いている。JT子会社の毒入り餃子販...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　JT日本たばこ産業（以下、ＪＴ）への逆風が吹いている。JT子会社の毒入り餃子販売事件では、親会社への避難も大きい。また、嫌煙権の確立により、煙草そのものへの批判もある。もっとも、本ブログは、煙草が個人の嗜好の問題であり、その公共的規制そのものに反対している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　しかし、ＪＴは煙草の嗜好性を破壊する愚策を強行している。個人の嗜好を一元化しようとしている。2007年度において多くの銘柄の廃止が決定された。「ミニスター」等の個性的な煙草を廃止した。これらの煙草は他のたばこでは代替が非常に困難である。たとえば、「ミニスター」は一箱30本入りという個性的な煙草であった。1本は短く、かつ細い。1本の煙草の吸う時間が短い多忙な労働者に愛されてきた。この煙草愛用者は、最近の10数年間1本当たりの税金が上げられ、一箱あたりの価格が390円という高価格になったにもかかわらず、その拘りを継続してきた。20数年前には、ほぼセブンスターと同価格であったにもかかわらず、税金支払いの増大にしぶしぶ応じてきた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　このような一部で支持されてきた煙草を廃止することは、少数者の権利を侵害することにつながる。事実上、国産たばこはJTが独占的に販売しているからだ。JT以外の国産たばこ製造製造会社はないからだ。独占企業であるかぎり、競争はない。「ミニスター」と同様な仕様のたばこは現在販売されていない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　JTは煙草という少数者に愛される商品を提供している。しかし、その煙草愛用者のなかでの少数者には配慮しないという特性を持っている。特殊な煙草愛用者という少数者の欲望を切り捨てながら、喫煙者という少数者の権利を主張することは、滑稽である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>喫煙権</dc:subject>

<dc:creator>たむら </dc:creator>
<dc:date>2008-03-14T14:51:19+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/02/post_3e73.html">
<title>禁煙と一元化思想ーーＪＲ東海の賢明とＪＲ東日本の馬鹿</title>
<link>http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/02/post_3e73.html</link>
<description>　旧国鉄が分割民営化されて20年の歳月が流れた。この民営化の是非については国労問...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　旧国鉄が分割民営化されて20年の歳月が流れた。この民営化の是非については国労問題等を除けば、ほぼ社会的に承認されている。もはや国鉄復活という議論は少なくとも論壇に現れることはないであろう。建前的には、分割民営化によって競争原理が働き、サービスが向上したからである。この競争原理が働くという意味は、主として二つの異なる意味がある。それはＪＲ各社間の競争と、ＪＲと競合する他の交通手段との競争である。ここでは、新幹線に限定してその意味を考えてみよう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　JR東海は主として東京と大阪を結ぶ路線が主要収益源である。関西の空港が、ほぼ和歌山県に近い関空のみであれば、東京―大阪間の交通をほぼ独占できたかもしれないが、この路線は大阪都心に隣接しているから伊丹空港が残存しているため、常に飛行機と競争しなければならない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　それに対して、東京と仙台間の交通はJR東日本がほぼ独占可能である。この路線では競争原理がほとんど機能していない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　競争がほとんどない路線では、どのような独善的サービスを提供しようとも営業収益に影響しない。禁煙という問題からその意味を考えてみよう。両者はともに禁煙を標榜している。しかし、JR東海は禁煙を標榜しながら、喫煙車両を残存させている。3号車と15号車が喫煙自由な車両である。また、のぞみ号には喫煙空間がある。禁煙といいつつも分煙である。そして、3号車がほぼ満席に近い状態であることと対照的に、2号車は空席が半ば以上を占めていた（日中のこだま号）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　それに対して、JR東日本はすべての車両が禁煙であり、喫煙可能な車両はない。独善的かつ一元的な禁煙である。このような馬鹿げた思想を実践しても、営利企業であるかぎり問題はない。しかし、この企業は移動の自由を保障する公益企業という性格を持っている。公益、つまり喫煙者の自由にも若干の配慮を必要とするはずである。しかし、競争原理が働かない場合には、独善的にふるまっても営利性を侵害することはない。その例がJR東日本の全車禁煙である。少しは喫煙者の自由も考慮すべきであろう。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>たむら </dc:creator>
<dc:date>2008-02-14T22:38:24+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/01/post_b605.html">
<title>喫煙の権利と法――禁煙の思想と喫煙場所</title>
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<description>　喫煙の権利を保障することにおいて問題になるのは、幸福追求権に属する喫煙権と所謂...</description>
<content:encoded>&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ ゴシック&amp;quot;&quot;&gt;　喫煙の権利を保障することにおいて問題になるのは、幸福追求権に属する喫煙権と所謂嫌煙権の両立性に関する事象であろう。まず、前者に関して、憲法&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;13&lt;/span&gt;条は国民の幸福追求権を認めている。この権利は、基本的人権の一つであると承認されている。喫煙という行為がこの幸福追求権に属することは判例で認められている（最高裁昭和&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;45&lt;/span&gt;年&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;9&lt;/span&gt;月&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;16&lt;/span&gt;日大法廷）。この判決は被拘禁者の喫煙の権利に関する判例であるが、被拘禁者の人権を制限することの妥当性を主張している。国民の権利の一つあるとしても、被拘禁者の人権を制限することの正当性を主張している。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ ゴシック&amp;quot;&quot;&gt;　逆に言えば、被拘禁者を除く成年の国民の権利として認められている。国民が労働者として規定された場合でも、この権利を保持していると考えられている。&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ ゴシック&amp;quot;&quot;&gt;　次に、所謂嫌煙権は&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;1970&lt;/span&gt;年以降、新しい人権の一つとして社会的に承認されている。受動喫煙という概念が社会的に承認されてきたからでる。その法的表現として健康増進法&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;25&lt;/span&gt;条がある。分煙が明確に規定されている。しかし、分煙が困難である場所において、禁煙が施行されている。飛行機等ではほぼ全面的に禁煙化されている。健康増進法の分煙が技術的観点から困難であるからだ。しかし、この禁煙という概念は法的なものではなく、ただ社会的なものでしかない。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ ゴシック&amp;quot;&quot;&gt;次世代新幹線（&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;JR&lt;/span&gt;東海）では禁煙が唱導されているが、喫煙部屋も残存している。全面禁煙という思想と限定された空間としての喫煙場所は、理念上両立しうる。&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>たむら </dc:creator>
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<item rdf:about="http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/01/post_0b4f.html">
<title>労働は恥？－－ニートの原初風景</title>
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<description>　労働しない若者、中年、壮年、そして老人が増えている。そのうち労働しない若者が「...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　労働しない若者、中年、壮年、そして老人が増えている。そのうち労働しない若者が「ニート」と呼ばれている。この意味は単なる若者の怠惰性を表現しているわけではない。後期近代において、労働が社会的尊敬を受けなくなったことと関連している。労働するよりも、公営賭博、株式市場等における投機的行為や親族の遺産で暮らすほうが社会的により承認をうけることと関連している。汗水垂らして労働するよりも、財テク等によって稼ぐほうがより社会的に尊敬されることになった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　一方で、後期近代において労働におけるサービス産業の役割が拡大したことによって、サービス産業に従事する労働者の割合が増大した。かつてのこの産業従事者に比較して現在の労働者の賃金はかなり下落している。とりわけ、巨大サービス産業、たとえば巨大スーバーマーケット、巨大ファーストフード店において、一部の管理職を除き現場でサービスに従事する労働者の賃金の下落は著しい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　このような現代社会において、労働をすることは恥という意識が生じることもやむをえない。ある壮年男性が数十年まえに体験したことをここで披露してみよう。それは、彼があるガソリンスタンド労働者として働いている時の体験である。ガソリンスタンド労働者はガソリンを車に入れるだけではない。煙草の灰皿を代え、フロントガラスを拭かねばならない。客に対して愛想をふるまわねばならない。そこで働いている時、トヨタクラウンの最高級車に乗車した彼の同級生がガソリンを入れるためにそのスタンドに入ってきた。当然、彼はその同級生に対して、対等な口を聞く。「よ、元気！」それに対して対等な口をこの労働者がきけるはずもない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この同級生はいまどきの言葉を使用すれば、ニートであった。父親の車を乗り回していた。しかも、その車は日本の最高級車であり、助手席には今風の彼女が同乗していた。しかし、この労働者は、このニートに対して、卑屈な感情をもったのも事実であった。客観的に言えば、淡々と労働をするだけでよかった。しかし、この青年はそのボンクラに対して劣等感をもったのも事実であった。逆に言えば、今日のニート君もまた、労働者にその種の優越感をもっているのも事実であろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>たむら </dc:creator>
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<title>コメントの終了</title>
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<description>　12月、16，17，18日の記事に関するコメントに対して感謝します。これ以後は...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　12月、16，17，18日の記事に関するコメントに対して感謝します。これ以後は受けつけられません。ご了承のほどお願いします。なお、「3丁目の夕日」に関するコメントは削除されています。この映画に関するコメントは昨年で締め切っています。&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<title>ブログのコメント投稿</title>
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<description>１２月１６、１７、18日の記事に関するコメントは,1月12日（土）のみ受けつけま...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;１２月１６、１７、18日の記事に関するコメントは,1月12日（土）のみ受けつけます。それ以前も、それ以後も削除されます。当日のみです。ブログ上の公開は、連休中におこないます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　それ以外の記事に関するコメントは今週中は受け付けられません。技術的理由からです。とりわけ、「3丁目の夕日」に対するコメントも昨年締め切っています。投稿しても削除されます。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>お知らせ</dc:subject>

<dc:creator>たむら </dc:creator>
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