近代の理念の破壊――少数者としての喫煙者への抑圧

  近代は様々な美しい理念を形成してきた。自由、平等、連帯という近代社会の基本的理念を形成してきた。さらに、後期近代にはその美しい理念に加えて、美しすぎる理念を産出した。共生、少数者の権利の擁護等の理念を屋上架屋してきた。たとえば、同性愛者の婚姻を憲法上に認めるというまさに、少数者保護は極限までに進行してきた。
 しかし、そこには選別が働いている。喫煙者という少数者は、初期近代では多数者であった。少なくも、1950~60年代までは、非喫煙者は受動喫煙を蒙ってきた。しかし、かつての少数者は、いまでは多数者になった。とりわけ過去の喫煙者は、多数者であるために、今では非喫煙者を抑圧する。どの時代でも、彼らは多数者であり続ける。
   ここで、少数者の権利つまり喫煙の権利は、保護されない。少数者は保護されない。理念上の共生は、強制に通じる。まさに、反対物に転化している。後期近代の美しい理念を唱える多数者は、現実社会において少数者を弾圧する。すべての屋内から紫煙を追放しようとする馬鹿もいる。多数者である彼らは、少数者の自由を抑圧することによって、近代の理念そして後期近代の美しすぎる理念を破壊していることに気が付かない。

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巨大組織における個人――大学という組織における素人行政

 渦潮のなかで泳いでいる場合、その潮流に抗することは困難である。しかし、人間はこの潮流が何処からきて何処に流れようとしているのか、認識できない。潮流の流れに身を任せているつもりでも、それに抗している場合もある。逆の場合もある。
 大学行政という場にいると、自分の位置づけは曖昧である。どの部署に属しているかぐらいはわかるが、この部署が大学全体の構造のなかでどのように位置付けられているのかが不明である。昨年までの予算が数万円だったにもかかわらず、今春には数百万円がつく場合もある。数百万円の予算のために企画書を作成しなければならない。今まで月に数千円の事業しかしていなかった組織が、突如として月に数十万円の予算を執行しなければならない。
 国家行政であれば、金銭の単位が億単位になる。内閣府特命担当大臣(地方創生担当)が突如として2014年に出現した。大臣がいるということは、担当官僚が既存官僚組織から出向してくる。若いときからその官庁に所属している官僚はいないからだ。地方創生という名目で予算がつく。当然、予算を執行しなければならない。
 しかし、その能力があるのであろうか。国家行政であれば、出向元の官僚組織で学習した知識に基づいて予算書を作成できる。地方創生という名目をつけて予算案を作成できる。しかし、今まで研究しかしていない教授は、月に数十万円の予算を消化できるのであろうか。文系の教員であれば、見たこともない金額である。全集あるいは古書等の高額図書を購入したり、海外出張をこなしたりすれば、その程度の予算を執行することもある。しかし、大学行政においてそのようなことはできない。あくまでも、教育組織の充実という名目で予算を執行しなければならない。
 どの方向に向かっているのかは、判断停止するしかないのであろうか。大学という巨大組織の存在形式の本質など、末端教授には理解できない。そう、考えないことにしよう。多くの大学教授、そして官僚もそのようにかんがえているのであろう。その結果、地方創生という名目で高速道路を新設し、地方を破壊する。JR北海道の経営危機の本質は、高速道路の拡大にある。無料あるいは無料に近い値段で道路をりようすれば、鉄道での移動は高額にならざるをえない。国土交通省の道路局、北海道開発局の官僚は、そのようなことは考えていない。道路予算を執行するだけである。思想という巨大な意識を考察してきた教授にそれができればよいのであろうが、できるとは思われない。
 ただ、多くの官僚そして教授が判断停止しているという現実を考慮することによって、精神衛生上は良いであろう。

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商慣習と銭儲け――正月三が日における百貨店の初売り――追記 伊勢丹三越HDの決定ーー再追記 日本の伝統

本文 20150102
追記 20150907
再追記 20160116
再再追記 20170104

再再追記

本ブログが社会的潮流に竿さすことは少ない。たいていの場合、社会の主潮流と逆の方向を向いている。多くの反体制派のブログと同様である。しかし、日本の伝統的習慣に基づく本記事だけは別格である。三越伊勢丹が、初売りを1月4日に実施するそうである。もちろん、本ブログの影響をうけているか否かは、当事者に聞いて見るしかないであろうが。率直に言って、嬉しい。少なくとも、2015年正月の時点での主張が、認められたことになる。もっとも、この老舗以外の新興百貨店の初売りは、1月2日である。もっと酷い場合は、百貨店であろうと、1月1日に開店している。百貨店は少し高級なものを販売するというイメージがある。そのイメージを自ら破壊している。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170103-00000011-asahi-bus_all


商慣習と銭儲け――正月三が日における百貨店の初売り――追記 伊勢丹三越HDの決定ーー再追記 日本の伝統


 お正月という歳神様を迎えるために、正月三が日は家族でゆっくり過ごすという慣習がかつてあった。せいぜい、近所の親類を訪問するくらいであった。この時期に日本人は、仕事、商売、銭勘定から離れ、身を世俗的欲望から解放しなければならない。三が日には金銭に触れないという慣習も存在した。
 また、肉体的欲望から離れ、神を迎えねばならなかった。初詣も、三が日に行われる。端的に言えば、1年の計を立てるのが、この時期であった。神と対話しながら、瞑想にふける時期でもあった。外国から見れば、この慣習は日本の宗教的行事とみなされている。少なくとも、家族と団欒のときでもある。

 それは、欧州におけるクリスマスに似ている。家族と過ごす休日である。この慣習には、キリスト教徒だけではなく、イスラム教徒も従っている。町全体が静寂性を維持している。クリスマスに営業している百貨店などは、皆無である。馬鹿騒ぎをしている若者も皆無である。
 この時期、会社の同僚や学生時代の友人と宴会、つまり馬鹿騒ぎをするということは、本当に馬鹿げたことである。同窓会ともなれば、遠方で開催されることも多い。地方高校、地方中学校の卒業生の半数以上は、故郷を離れ、東京、大阪等に居住している。逆に、大都市に集中している大学、大学院の卒業生も、同じ都市に居住していることは稀である。家族と離れ、最低でも1泊2日、あるいは2泊3日の旅に出なければならない。三が日に仕事でないにもかかわらず、飛行機に乗る必要があろうか。

 もちろん、三が日にも労働しなければならない人は、稀ではない。社会的に必要とされる労働者も多い。交通機関労働者、警察官、自衛隊員、消防隊員、郵便局員等数え切れない労働者が、働いている。しかし、労働から解放されても、問題のない職種に従事している労働者が、ここで問題にされている。大多数の労働者の生活形式が、問われている。事実上、官公労労働者、つまり市役所、県庁、国家機関における大半の労働者は、この慣習を享受している。年末の12月29日を御用納めと称して、1週間ほどこれらの機関は閉鎖されている。三が日に住民票を取る必要は、全くないからである。

 日本人の精神を知る多くの個人商店主にとって三が日に営業することは、馬鹿げたことであった。御屠蘇気分という言葉があり、酒好きの人は昼間から飲んでもよいという御めでたい日であった。 しかし、1990年代になって、大手スーパー、ダイエーが元旦営業を開始した。経営が危ういからそのようなことをするのだという陰口が聞かれた。その後、他社の大手スーパーがダイエーに追随した。そのころ、老舗百貨店の多くは三が日は休業していたはずである。少なくとも、初売りは3日、4日であった。正月三が日に、銭儲けに勤しむ習慣が、広まった。
 しかし、2015年1月2日現在、ほとんどすべての百貨店はこの日が初売りである。老舗と言われる伊勢丹新宿店、三越銀座店、日本橋高島屋ですら、本日初売りを敢行している。西武池袋店は大手スーパーと同様に1月1日に開店している。デパートの名が泣いているのであろう。本稿によって提起された観点からすれば、西武百貨店は、コンビニエンスストアと変わらない。まさに、下流社会の潮流に、老舗デパートも飲み込まれたしまった。
 正月三が日という商慣習を破壊した大手スーパー、それにほぼ追随している老舗デパート。彼らには、正月三が日くらいゆっくりしたいという日本の慣習は顧慮の対象外であろう。抜け駆けして儲けようとしたダイエー中内社長に追随した。もっとも、ダイエーは倒産してしまった。天罰がくだったのかもしれない。この商慣習は、日本全体の宗教意識に根づいているからである。大規模小売店は歳神様をお迎えするよりも、銭儲けを優先した。そして、日本の宗教的慣習を破壊することに寄与した。

 もし、日本の老舗デパートが1月4日に初売りを敢行すれば、それは話題となるであろう。多くのスーパーマーケットそして百貨店が1月1日、2日において初売りを実施しているなかで、少なくとも三が日は買い物をしないという富裕層にむけて絶好の宣伝となろう。まさに、自己を老舗百貨店として差別化できるであろう。富裕層は三が日に買い物をする必要がない。食料等は年末に買っておけばよいからである。三が日に、慌てて衣類を購入することもない。
 歳末商戦で疲労している労働者の英気を養うことにもつながる。 明日は1月3日である。初売りをする老舗デパートはあるのであろうか。

追記

 『日本経済新聞』(2015年9月7日)によれば、三越伊勢丹HDは2016年から1月3日に初売りをするそうである。少しは、改善されたようである。もっとも、この会社の決定が本ブログによって影響されたかどうかは、定かではない。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ07IC7_X00C15A9TI5000/ [Datum: 07.09..2015]

再追記

 三越伊勢丹は、2017年から初売りを1月4日にするという。本記事の主張は、世間で無視されるか、あるいは反発をかってきた。しかし、日本を代表する百貨店が本記事に追随することになった。喜ばしいかぎりである。本記事では、日本の慣習として初売りを4日にすべきであると主張してきた。もちろん、この現代企業は、宗教規範に従うということではなく、むしろ労働者の休日を確保するという主張に基づいている。しかし、単なる休日の増加であれば、正月に拘る必要はない。2月でも、3月でも3連休をすればよいことである。正月三が日という伝統的風習を復権するということに、意義がある。
 ネットでは、このような主張はどのように評価されているのであろうか。しばし、ネット右翼が批判の対象になっている。三越伊勢丹の決定における日本の伝統を守るという意義は、右翼からも称賛されるべきえあろう。

「『三越伊勢丹』17年から初売り1月4日 労働環境を改善」『毎日新聞』2016年 1月16日 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160116-00000006-mai-bus_all

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1868-1968 テロリズムとしての近代革命

1868-1968
――テロリズムの勝利としての1868年明治維新、そして1968年以後のテロリズムの敗北

鳥羽伏見の戦いが始まる1868年は、正確に言えば慶応4年である。年号が示しているように、未だ幕藩体制の内にある。のちにこの年は明治元年と改称されるが、勝利した革命派による歴史の書き換えである。
当時の社会の規範そして法規範もまた、幕府によって規定されていた。この法規範と社会規範に対して、テロを行使した武装勢力が薩長である。彼らはこの法規範に対して、まさにテロリズムによって対峙した。もちろん、この武装闘争は維新すなわち革命と名付けられる。まさに、正統化される。しかし、実体は武力による政府転覆とほぼ同義である。
1968年の前後、近代における最後の武装闘争が世界的に実施された。東京だけではなく、ニューヨーク、フランクフルト、そしてパリでも青年運動が広範囲に起こった。その運動は社会的に支持されていた。この運動のなかから、武装闘争を実施する集団が分離した。しかし、彼らに社会的承認が与えられることはなかった。日本の赤軍派、ドイツの赤い旅団等が有名である。彼らの武装闘争は、テロリズムとして社会的に葬られた。

この論点に関して討論会を実施する。7月26日24時までに、1000字以上1500字(字数はPCの字数計算ソフトに依存する)のコメントを貼り付ける。その際、4文字の熟語を個人名称とする。実名、大学名、職場名、講義名称等を書かないことが必要である。個人が特定される場合、そのコメントは削除される。

参照「後期近代と暴力革命」
http://izl.moe-nifty.com/tamura/2006/04/post_9fe9.html

近代における暴力の社会的承認
http://izl.moe-nifty.com/tamura/2006/04/post_77b2.html

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20160519 後期近代における大衆――市民公開講座の位置づけ

20160519 後期近代における大衆――市民公開講座の位置づけ
                                                       田村伊知朗

2016年5月14日から18日までに、二つの記事つまり、

1. 「路面電車による市民的な公共空間の形成――ベルリン市とハレ市の日常的空間における事例を中心にして」

2. 「路面電車による非日常的空間の形成――バーゼル市、ハレ市の事例を中心にして」

を『田村伊知朗政治学研究室』において執筆した。 1 これらの業績は、狭義の研究論文に属しているわけではない。この二つの論稿は、函館日独協会と大学市民公開講座における講演レジュメを文章化したにすぎない。その引用の多くが『ウィキペディア』等のインターネット情報に基づいている。講演会の対象者は、市民である。彼らは、公共交通いわんや路面電車に関する基礎知識を持っていない。しかし、私の設定した論題に着目し、講演会に参加した。
 一般化して言えば、すべての種類の講演会はこのような市民大衆を対象にしている。何ら基礎知識を持っていない人間に対して、講演者が自己の主張を展開する。1時間から2時間のたった1回の講演時間において、自己の主張を理解させねばならない。大学では、15回あるいは30回の講義において自己の主張を展開する。時間が不足すれば、宿題を課すこともある。しかし、講演会は大学の講義とは異なっている。したがって、講演会において、狭義の専門論文的な専門用語を駆使することは、避けねばならない。基礎知識の乏しい人間に対して、専門用語すなわちジャーゴン(Jargon)を駆使することは「意識高い系(笑)」と馬鹿にされても仕方がないであろう。 2
 このような講演会において、後期近代において写真、動画等を多用することが推奨されている。また、異業種交流会における講演も同様な配慮が必要とされている。基礎知識がない大衆に対して、写真、動画等は有効な媒体である。最近の私の記事においても、写真が添付されている。しかし、一つの記事に対する写真は、10枚が限度とされているようである。今回の記事においても、10枚の写真という限定に従っている。実際の講演会においてはより多くの写真を使用したが、インターネットのサイトに掲載する際に、その多くが割愛されている。
 ここで大衆とみなされるのは、後期近代におけるすべての人間である。後期近代において、人間は専門家としてみなされている。その知識が高度化すればするほど、その領域は狭まる。ノーベル受賞者である山中伸弥・京都大学再生医科学研究所教授ですら、大衆の一員である。彼は現代日本における最高峰の知識人に属している。しかし、彼の専門領域である人工多能性幹細胞研究以外の分野、たとえばベルリン市に限定された道路行政に関する研究で専門的知識を得ることは不可能である。誰もが専門分野以外において、素人大衆として振舞わざるをえない。
 しかし、後期近代における大衆は、自己の専門分野以外における見識を必要とする。選挙があれば、有権者として投票行動を実施しなければならないし、エネルギー政策とりわけ原子力発電に対しても見識を必要とする。その無限に広大な領域において最低限度の見識を得ることが必要である。市民公開講座もその一つである。
 2016年5月の連休において、この2年間において実施した講演の一部を文章にした。それがこの二つの記事である。御照覧いただけば幸いである。


1.  1. 「路面電車による市民的な公共空間の形成――ベルリン市とハレ市の日常的空間における事例を中心にして」『田村伊知朗政治学研究室』(2016年5月14日―16日)


(その一)http://izl.moe-nifty.com/tamura/2016/05/post-286c.html
(その二)http://izl.moe-nifty.com/tamura/2016/05/post-e632.html
(その三)http://izl.moe-nifty.com/tamura/2016/05/post-5762.html

2. 「路面電車による非日常的空間の形成――バーゼル市、ハレ市の事例を中心にして」『田村伊知朗政治学研究室』(2016年5月17日―18日)
(その一)http://izl.moe-nifty.com/tamura/2016/05/post-4e0f.html
(その二)http://izl.moe-nifty.com/tamura/2016/05/post-b861.html
参照。

2. 「意識高い系」『ウィキペディア』In: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98%E9%AB%98%E3%81%84%E7%B3%BB. [Datum: 25. 9. 2015]

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大学と学校における教員上がりの行政官ーー近視眼的思考の狭さを競い、事務官的能力の高さを誇る馬鹿教員

 大学あるいは学校一般において、教員が行政官を務める習慣がある。たとえば、学部長あるいは学長は元教員である。学校であれば、校長あるいは教育委員会構成員は、教員上がりである。このような風習はもう成立しない。大学学長が卒業式挨拶文を読み上げるだけであれば、それは妥当する。かつての東大総長、南原繁はまさにそのような存在であった。「太った豚より、痩せたソクラテス」は、子供でも知っている名言である。彼は、小学校から秀才の誉れに浴してきた。香川県旧相生村出身であり、幼少より南原3兄弟として郷土の誉れと言われた。その名前は私の幼少時代から周知のものであった。彼の政治思想に関する著作は、今でも読むべき価値を有している。しかし、東京大学の学部をどのように改編するべきかという議論をしてきたわけではない。
 現在学長、あるいは学部長になろうとする人間は、事務官以上に事務的細部にこだわる。それが同僚の信頼を形成する。下部組織における会議の積み重ねだけが、重要である。決定過程において、事務的瑕疵が無いことが重要である。経営的な大局観は必要ない。むしろ、そのような世界観的観点は、日常的雑事にとって災いとなる。多くの教員にとって、日常的営為の繰り返しこそが重要である。前例主義、横並び主義、新しい仕事をしないという官僚制の悪弊だけをよりどころにしている。「『前例主義』、『横並び主義』、『新しい仕事をしない主義』という馬鹿」http://izl.moe-nifty.com/tamura/2009/04/index.html前例と他の学校、大学の事例研究を生きがいにしている。
 事務官以上の事務処理能力を自負する教員上がりが多い。このような元教員は教育の根本を見失っている。たとえば、小学生に読書を薦めながら、放課後における図書室を使用禁止するという暴挙をなす。理由は、放課後には管理責任を負えないことにあるらしい。子供の学力を低下させることを目的にしている。その割に、図書を多数購入するという事務官的栄誉に狂奔する。予算消化が至上命題になっている。書籍を購入することには熱心であるが、読書を禁止するという馬鹿げた行為様式が、教員上がりの管理職の特性になる。このような教員あがりよりも、事務官のほうが現実態に通じている。50歩100歩であろうが。
 むしろ、大雑把な性格の教員が、世界観と歴史的世界観に通じている。しかし、現在ではそのような教員は、事務処理能力に長けていないことによって、管理職から排除されている。
 おそらく、大学でも同様であろう。今後、国立大学でも倒産することが想定されている。国立大学の教員も、失業保険に加入している。リストラあるいは他の国立大学との統合も視野に入れねばならないであろう。そのような危機的状況に、有職故実に通じ、事務処理能力の高さだけで対処してきた学長、学部長は対応できないであろう。むしろ、事務官以上の事務官的存在という形式によって、滅亡へと向かうネズミを率いることになろう。

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2000字ではなく、1000字程度の討論会 20151113 oder 13.11.2015 Freitag: その世界史的意味づけ

20151113 oder 13.11.2015 Freitag

この数字は、2015年11月13日金曜日を表している。それは、20010911つまり2001年9月11日火曜日と同様に、国際社会において記憶される。世界史におけるこの日付を考察してみたい。

 スピノザを援用すれば、次のようになる。スピノザは世界内存在としての神を実体と考えた。世界内の現存在は、この実体から流出した様態である。世界内存在としての実体は神であると同時に、世界内の現存在でもある。世界の万物は実体の内にあり、実体は万物そのものである。世界の万物が世界内存在としての実体と必然的連関のうちにあるかぎり、世界において偶然性は存在せず、すべては必然的連関のうちにある。すべての存在者が神的性格を保持している。

 スピノザによれば、世界における万物が必然的連関構造にある。このスピノザの表象にしたがって、20151113のパリにおける事件を必然的連関構造において位置づけてみよう。

 この観点から、討論会を招請する。締切は12月8日である。この日は奇しくも、大東亜戦争対米英仏蘭戦(太平洋戦争)開戦記念日でもある。字数は1000字程度である。ワープロソフトに書いた文章を本記事のコメント欄に貼り付ける。

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北海道教育大学函館校の学園祭中止――『北海道新聞』の記事(2015年7月29日)に対する所感

20150729 北海道教育大学函館校の学園祭中止――『北海道新聞』の記事(2015年7月29日)に対する所感

 現状に対する批判は、その漸進的改革でしか実現されえない。それに対する根源的対案を提出するこことは、より悪い結果をもたらす。たしかに、「現状の資本主義は悪い」という命題は、妥当している場合もある。しかし、それに対して社会主義を対置することは、より悪い結果をもたらす。
  ここで、北海道教育大学函館校の学園祭中止について議論を限定してみよう。この大学の1キャンパスが学園祭の中止を決定した。この学園祭はたしかに問題がある。「函教大の大学祭中止」『北海道新聞』(2015年7月29日27面、道南版)の記事によれば、この学園祭において、「学問的発表の場を設けるべき」、「地域との交流企画がないのは問題だ」等の批判がなされている。この批判自体は妥当している。
しかし、それに基づき、学園祭を中止することは、論理的整合性がない。学園祭は、「学術講演」と「地域交流」だけでは形成されえない。「模擬店」も必要である。神社の例大祭も屋台があって初めて盛況になる。焼きそば屋、お好み焼き屋等も必要だ。お化け屋敷があれば、なおよい。数年前には、この大学の学園祭にはお化け屋敷があった。近所の子供たちには好評であった。ちなみに、1977年、秩父夜祭は、露天商を排除した。おそらく、健全化を意図したものであろう。しかし、この年の祭は、貧相なものであった。翌年、この排除を意図した観光協会会長は辞任した。露天商が復活した。
http://www.shunjinkai.or.jp/yataibayashi2/kisochishiki/honbun-2/honbun-2.htm


 学園祭を継続するなかで、そのような批判を徐々に現実化するしかない。一挙に廃止したとこで、来年以降より悪い結果をもたらす。資本主義批判は社会主義の宣揚につながるわけではない。
 また、学園祭を中止したという報道は、このキャンパスの入試に対して良い影響を与えるであろうか。高校生は、学園祭の無い大学への進学をどのように考えているのであろうか。高校生そしてその父兄に対して、良い影響を与えるであろうか。このような決定は、偏差値を下落させ、応募学生数を減少させるであろう。この責任は誰がどのように取るのであろうか。
本記事によれば、この中止を主導したのは、若手教員だそうである。この決定をした学生委員会の教員、この決定を主導したとされる若手教員は、『北海道新聞』の批判にどのように回答するのであろうか。北海道教育大学は常々、「学生第一」と標榜している。このお題目を唱えているだけである。彼らの行為は、教員会議とそれを主導した学生委員会に対する学生総体の不信を産出しただけである。学生第一という標語は、学生不信をもたらす。『北海道新聞』によれば、このような決定は、「短絡的」である。
 なお、この記事には北海道教育大学の全般にわたる責任者、学長の意見が掲載されていない。函館という地方都市の問題は、北海道全体の重層的決定審級のなかでしか考察されえない。もちろん、函館は独自の意見を持っているのかもしれない。しかし、その実現は北海道という全体のなかで考察される。札幌から赴任してきた役人を「奥地から来た」と揶揄する風土が、函館にはある。このような素人的夜郎自大は、もはや妥当しない。

注1

 本記事は、「函教大の大学祭中止」『北海道新聞』(2015年7月29日27面、道南版)の事実認識に基づいている。

注2
「20150620 自己の有限性の確認の場所としての学園祭ーー『北海道新聞』の記事(2015年6月20日)に対する所感」もこの記事に連動している。

http://izl.moe-nifty.com/tamura/2015/06/post-2b19.html


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自己の有限性の確認の場所としての学園祭ーー『北海道新聞』の記事(2015年6月20日)に対する所感

20150620 自己の有限性の確認の場所としての学園祭ーー『北海道新聞』の記事(2015年6月20日)に対する所感

 北海道教育大学函館校の学園祭が中止になった。その根拠の一つが、屋台ばかりであるとのことである(『北海道新聞』2015年6月20日、27面)。しかし、屋台だけだとしても、その学園祭は有意義であろう。なぜか。その意義は、自己の有限性を確認することにある。屋台という場所は、若者への教育手段として有効であろう。かつて、学園祭について考えた文章を再掲する。今でも、この文章の意義はあるであろう。なお、下線部は、2015年に加筆したものである。それ以外の修正はない。

20100525 自己認識の場としての大学祭、そして祭りの後へ
 大学祭で学生によって実施される学術講演会、イベント、模擬店、音楽発表会は、それに対応する専門家、つまり学会関係者、イベント産業従事者、露天商、職業的演奏家の水準から考察すれば、稚拙であること極まりないであろう。学生は素人であり、専門家からすれば、彼らの行為は論評するに値しない。児戯にも等しい。
 さらに、ある学生がどのような壮大な理念を掲げて大学祭に参加しても、現実の作業は、立看板を作るために、材木を切断することであり、ペンキを塗ることでしかない。その行為も壮大とは言えない。理念の壮大性が深いだけ、その現実的行為の卑小性が明らかになる。
 しかし、大学祭が自己の有限性を認識する機会であるとするならば、これに参加することは意義深いものであろう。なぜなら、自分だけではなく、周囲の学生すべてがそうであるからだ。まさに、鏡像として自己を他者において認識できる。お寺で座禅を組む場合よりも、大学祭に参加したほうが、自己の有限性を認識する程度はより深い。
 このような過程を経ない場合、自己の有限性を認識しないまま大人になる。また、大学院に進学する。大学教授にはこのような自己の無限性を信仰している人も多い。自己が卑小であることを認識できない。教授会で自己のつまらない意見を延々と開陳する教授も多い。また、自己のつまらない意見に固執し、全体の利益を破壊する教授もまた多い。地域の利益(たとえば、函館市)の利益だけを優先し、全体(たとえば、北海道そして日本の利益)を顧みない馬鹿も多い。 
  学生はこのような認識を経て、社会へと巣立つための出発点に立つことができる。それが大学を卒業するための要件の一つになる。学生がその認識に到達することを、教職員、そして地域社会の人々が期待している。

20120530 卑小な、あまりに卑小な自己に対する認識――学園祭における焼きそば等の屋台の運営を媒介にして
  学術講演会及び政治的講演会等が、多くの大学の学園祭から駆逐されて久しい。それに対して、多くの老教授たちからの嘆きの声が聞こえる。1960年代、70年代の学生に比べて、現在の学生たちは、政治的、社会的問題に対する意識が低くなっていると。しかし、それは多くの点で学生にとって心外であろう。なぜなら、1970年前後に始まった後期近代において、全面的な社会変革、政治変革が不可能になっているからだ。政治的問題に関心を持つことは、AKB48に関心を持つことと等価である。現在の学生は、後期近代に関するこの基本的認識を経験的に体得している。それに代わって、学園祭において多くの学生が参加する場所が、焼きそば等の食事を提供する屋台である。この屋台の運営に参加することは、政治的講演会を主催することと等価である。
  サークル、ゼミナール等の既存の仲間が集まって、このような屋台を運営する。この催しに参加することは、多くの学生にとって意義深いことである。既存のありふれた食堂で提供される焼きそばを自分達の力で創造することが、如何に困難であるか。屋台を媒介にして初めて、学生はこの認識に到達できる。この機会に恵まれる学生は、何物にも代えがたい経験をする。焼きそばの味は、生涯に渡って学生の味覚と記憶を規定するであろう。
 自分の力が既存の社会において如何に卑小であるかを認識する場所、それが学園祭における屋台であろう。学園祭に参加する社会人が、君たちの焼きそばを食べる理由もそこにある。老教授にとって、かつて主催した政治的講演会よりも香川県人会で作ったうどんの記憶がより鮮明に残っている。祭りの後の酒は、あまりに苦かった。

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追悼 真崎不二彦 函館護国神社宮司――函館における批判精神とイギリス製高級煙草、ロスマンズ・ロイヤルの消滅

20150518 追悼 真崎不二彦 函館護国神社宮司――函館における批判精神とイギリス製高級煙草、ロスマンズ・ロイヤルの消滅

  真崎不二彦 函館護国神社宮司が2015年1月8日他界した。函館の名家に属する宗教人が、この世を去った。故人は、昭和7年3月15日に函館市において生まれた。父、宗次も同神社宮司であり、同職を世襲した。日本の宗教界において、明治以降世襲は一般的である。
 彼は、函館に生まれて以降、21歳で北海道学芸大学(現:北海道教育大学)を卒業するまでこの地で育つ。その後、函館を離れ、昭和33年に二松學舍大学を卒業する。29歳まで、学業に専念する。当時としては、異例である。大学進学率が20%であった時代に、二つの大学を卒業している。大学そして大学院に進学することは、後期近代において稀ではない。しかし、戦後の混乱期に、大正教養主義の理想像に従った青年時代をおくった。彼は20代をほぼ無職として過ごしていた。高等遊民としての資質を育んでいた。文化的素養があった。その間、教職、神職に関する資格を取得しているが、それは彼の余技に属していたのかもしれない。遺影は、神職としての厳かな礼装ではなく、ダンディに上着をはおり、紫煙をたなびかせる姿であった。
 昭和34年に靖国神社に奉職し、37年に同職を退職し、同年に函館護国神社禰宜となる。言わば、同神社のNr. 2 の地位を取得する。しかし、昭和42年以降、東京都において教職を取得する。以後、18年間東京都において、神職としてではなく、教員として過ごす。通常、神職と教職を兼職する場合、地元の学校における教職を選択するのが通常である。なぜ、彼は5年ほど、禰宜として函館に在住しながら、その後居住地を函館ではなく、東京を選択した。その理由は何か。彼のダンディズムの源泉はそこにあろう。東京都の教員として、20年近く生活する。住居は下町であった。不破哲三元共産党委員長の住居も近く、一緒に下町の祭に参加した。共産党の元委員長の御息女も彼の教え子であった。彼の疾風怒濤の時代である。
  この間、能楽堂に日参し、能楽評論に深い造詣を示す。それは『泥舟』等に結実している。しかし、昭和59年に父に代わり、函館護国神社宮司に就任する。すでに、50歳を超えていた。彼は、50歳を超えるまで、東京において教員生活に18年従事している。その間、禰宜として神官職を継続しているが、その生活のほとんどを東京の下町で過ごしている。函館に帰郷するのは、例大祭、正月等の行事のときだけであった。
 帰郷後、函館の政治、社会を批評する記事をいくつかの新聞に寄稿している。北海道新聞の函館版夕刊「みなみ風」の常連であった。また、季刊『日刊政経情報』にほぼ毎号寄稿している。この雑誌には、函館の政界、官界、財界の著名人が寄稿している。国会議員、市長等の政界著名人を除けば、ほぼ函館の実質的な社会的指導者が寄稿している。彼は、宗教界を代表するかたちで、ほぼ毎号寄稿している。この雑誌の寄稿者以外にも、寄稿すべき人間は多かった。財界人のなかでも、エッセイを不得手するものも多かったと思われる。彼の文化的素養からすれば、原稿用紙数枚のエッセイはいとも簡単であった。
  ただ、この機関誌における多くの論稿は、函館の一面をまさに賛美するか、挨拶文の領域をでていない。日常用語をもちいれば、「ヨイショ」論稿が多い。地方都市の実質上の支配層に属する人は、その都市を批判しない。あるいは、その根源的欠陥を明白にしない。
  東京での20年以上の文化的生活に基づき、彼は半島としての函館を批判していった。そのなかでも、函館の経済人に対する批判は、函館の支配層の癇に障るものもあった。「函館の経済人はケチ」、「植民都市としての函館」、「高利貸しとしての函館支配層」という概念は、函館の本質を表現している。しかし、そのことに触れるのは、ほぼタブーであった。現に、昭和10年代、20年代に上野以北で最も繁栄した町が、函館であった。仙台も札幌も眼中に入らなった。しかし、平成に入り、その繁栄は旧市街の一角、所謂西部地区を除けば、ほとんど嘘のようである。なぜ、函館がこのように衰退したのか。彼には、すべて見えていたのであろう。
  駅前商店街は歯抜け状態であり、工藤現市長は商店街のアーケードを撤去する方針だそうである。駅前商店街の衰退はより加速される。アーケードがあることによって、雪の降る冬場でも、市民が商店街を歩くことができる。それがなくなれば、冬に商店街に足を運ぶことはないであろう。自滅する街、函館の本質を明白にしている。
また、彼の母校は北海道教育大学函館校である。この分校は、かつて新函館大学構想を推進した。札幌本校の許可などとっていない。当時の分校主事を筆頭に、函館選出の国会議員、阿部文男を仲介にして、独自に文部省と折衝した。他の札幌、旭川等の分校の迷惑など顧みないこのような態度は、唯我独尊と言われても仕方がない。今でも、札幌から函館に赴任してきた役人を、奥地から来たと揶揄する土地柄である。函館一番、函館さえ良ければそれでよいという風潮が渡島半島にはある。もちろん、このような態度が許されたのは、昭和20年代まである。阿部代議士が逮捕され、この構想は頓挫した。それ以前に、文部省も相手にしていなかった。彼は、この構想を心底馬鹿にしていた。
しかし、10数年前の記憶は、当時の村山学長以下の役員の脳裏から消えていなかった。北海道教育大学函館校は、平成18年度の全学改革において、教養新課程を集約した人間地域科学課程を創設した。5つの分校のうち、どれか一つの分校がそれを引き受けねばならなかった。その代償として小学校教員養成を放棄させられた。20数年前の独立運動を知る人間からすれば、函館の自業自得である。
  そして、平成24年、函館校が国際地域学部を創設する際にも、小学校教員養成機能にこだわり、自ら学部化を阻止した。信じられない自滅行為である。文部科学省は、学部化の進展か、小学校教員養成機能の残存か、という二者選択肢を提示した。もちろん、札幌本部は前者を選択した。しかし、主に小学校教員から構成される函館分校の0B会、夕陽会は後者を選択し、学部化阻止に動いた。当時の副学長以下執行部はこの動きを下支えした。この動きも心底、小馬鹿にしていた。東京に叛旗を翻す力は、植民都市にはないと。
 彼は、母校の教員養成機能の現状自体に批判的であった。その札幌統合を主張していた。夕陽会の役員もしていたにもかかわらず、そのような主張をしていた。さぞ、OB会でも煙たがられたと想像している。
 また、北海道教育大学の教授も小馬鹿にしていた。所詮、東京では通用しないボンクラ学者の集まりであると。その一員である私にも、面と向かってそのように放言していた。早く、東京に帰れ。ネズミでさえ、沈みゆく船から逃げ出す。頭の良い人間のいる場所ではないと、と会うごとに説教された。頭の痛い事柄である。
 煙草は、ロスマンズ・ロイヤルを愛飲していた。この煙草の国内販売が廃止されたとき、彼は100カートンほどを購入して自宅で保存していた。空調設備と空気清浄機付の小部屋で保存されていた。彼が死亡したときも、まだダンボールには数十カートンが残存していたはずである。
 その煙草の行方は知らない。その煙草を喫する人もいない。函館からこのイギリス製高級たばこを愛飲し、支配層のなかで函館を批判的に考察する人間がいなくなった。函館の自滅がより促進されるであろう。函館の批判精神は、ロスマンズ・ロイヤルと共にはるか彼方に消え去った。

 ただ、私の切なる、そして叶わなった夢は、彼が函館の自滅過程をより検証する機会を持つことであった。その小さな夢も高級煙草の紫煙とともに消え去った。

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