シャルリ・エブド社の風刺画をめぐる緒論--Judentum, Mohammedanismus, Fukushima und Erdogan

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20150116 シャルリ・エブド社(Charlie Hebdo)による風刺画――出版の自由と言論の自由は無制限であろうか――低水準の対象を批判するのではなく、嘲笑すべきであった。

 

                                   田村伊知朗

 

 シャルリ・エブド社の風刺画とそれに対する暴力的抗議が世界的に問題になっている。この問題の本質は後期近代におけるテロリズムとして処理されるべきであろう。なぜ、初期近代では政治的暴力が肯定され、後期近代においてそれがテロリズムとして否定されるか。しかし、この問題は本ブログで詳細に論じているので、ここでは割愛する。過去のブログを参照していただきたい。[1]

 ここでは、この問題を出版の自由と言論の自由の問題として考察してみよう。この出版社へのテロ行為のあとで、フランス大統領だけではなく、ドイツ首相、A・メルケルをはじめとして西欧資本主義国家の政治的指導者がデモ行進をして「出版の自由と言論の自由」を掲げたからだ。

  しかし、この行進に参加したすべての政治指導者が、無制限の「出版の自由と言論の自由」を標榜したにもかかわらず、自国においてそれを無制限に実践しているわけではない。フランス、ドイツそして西欧において、ナチス・ドイツ時代の「強制収容所」の犠牲者を虚仮にして、ユダヤ人をいたぶる風刺画を作成すればどのようになったであろうか。この風刺画においてヒトラーとナチ親衛隊を賛美し、その論説において「強制収容所はなかった」と表現すれば、どのような事態に陥るであろうか。フランスの出版自由法(第24条の2)において、「ホロコーストの存在に対する異議申し立て罪」が明白に表現されている。そのような論説は、刑事罰の対象になるだけであろう(もちろん、筆者はホロコーストを否定しているのではない。本文の記述は、接続法に属している)。ユダヤ人あるいはユダヤ教を揶揄することは、犯罪であるが、イスラム教あるいはイスラム教徒を揶揄することは、犯罪ではなく、むしろ、出版の自由の下で保護される。第二次世界大戦下で公表されたユダヤ人を揶揄した風刺画、たとえば本稿の冒頭部で引用した風刺画を今世紀において公表する自由を、今世紀の出版社は持っていない。イスラム教徒が憤激することも、根拠がないとも思えない。さらに、ユダヤ教に対する優遇措置は、イスラエルによるアラブ人虐殺を肯定していることにもつながる。出版の自由と言論の自由は無制限ではない。それぞれの国家の歴史的コンテキストにおいて決定されている。

 ところで、この風刺画がイスラム教徒、ならびにイスラム教徒が多数派である国家を憤慨させていることは事実である。イスラム教によれば、ムハンムドの形象を描くこと自体が神への冒瀆である。いわんや、その像を虚仮にすれば、イスラム教徒が憤慨することは道理にかなっている。しかし、この風刺画をイスラム教徒は批判すべきであろうか。ある対象を批判するという行為は、批判者と批判対象が同一の論理構造に位置することを含んでいる。批判者はある対象を批判の対象にすることによって、その実体の変革を指向する。しかし、その対象の変革を指向することは、その対象と同一の論理構造にからめとられる危険がある。

 一番良い方法は、その対象を嘲笑するだけでよかった。一部のイスラム教徒が暴力的行為をはたらくことによって、シャルリ・エブドの最近の特別号は、100万部も販売されたようである。通常の販売部数は数万部であるから、その10倍を超えている。[2] しかも、数分で売りきれたようである。一部のイスラム教徒の行為によって、極東の国の住人ですら、この風刺画を読むことになった。この政治的暴力はシャルリ・エブドに莫大な利益をもたらした。そして、イスラム教徒一般に対する言われなき差別を助長することは、ほぼ確かであろう。

 通俗化すれば、馬鹿と話をすることはない。自分よりも低水準の人間と対象を批判の対象にすべきではない。馬鹿な人間と馬鹿げた対象を批判することによって、批判者もまた低水準化しなければならない。嘲笑するだけでよかった。

 

 本稿が依拠している叙述方法は、ブルーノ・バウアー(Bauer, Bruno 1809-1882年)によって提起された純粋批判である。[3] 19世紀のヘーゲル左派、カール・シュミット(Schmidt, Karl 1819-1864)は、バウアーの哲学的方法論、つまり純粋批判という手続きを次のように把握する。「批判はすべての対象をそれ自身において考察し、その対象に固有の矛盾を示す」。[4] 対象の固有の矛盾が、マンガによって表現されている。「批判的嘲笑のテロリズム・・・が、現実的に必然である」。[5] 実体としての社会的現実態の変革は、前提にされていない。[6] 自己意識の哲学が1844年にバウアー自身によって批判されることによって、バウアーの純粋批判の哲学は生成した。真正理論のテロリズムが、批判的嘲笑のテロリズムと対になっている。前者において自己意識の普遍性と矛盾する歴史的現実態としての社会的実体が自己意識によって批判されることによって、新たな歴史的現実態が形成されるはずであった。しかし、彼は純粋批判において社会的現実態の変革可能性を放擲した。

 マンガ家は、この矛盾を変革しようとしているのではなく、この矛盾を嘲笑しているだけである。もし、何らかの理念を掲げ、現実態を変革しようとすれば、その理念は容易にドグマに転換される。「純粋批判は・・・破壊しない。なぜなら、それは建設しようとしないという単純な根拠からである。純粋批判は新たな理念を提起しない。それは古いドグマを新たなドグマによって代替しようとしない」。[7] 批判的嘲笑の目的は、現存している時代精神の本質を提示し、その矛盾を提起するだけであり、新たな理念を創造することではない。マンガ家は、読者の即自的意識において存在している事柄を対自化したにすぎない。本稿も、西欧とりわけドイツとフランスにおけるイスラム差別の意識変革を目的にしていないし、現存している意識に代わる新たな意識を提示していない。

 自分が制御できない対象に関して、諦念が必要である。自らの世界像と他者の世界像を同一化できない。にもかかわらず、この襲撃犯はそれを可能とみなした。このイスラム教徒もまた近代の病理――人間的理性による世界の秩序化――に染まっているのかもしれない。[8] このイスラム教徒も、西欧近代によって産出された啓蒙主義者とかなり近い存在かもしれない。

 

 シャルリ・エブド社(Charlie Hebdo)による風刺画をめぐる議論が本邦でも盛んである。この場合、イスラム過激派に対する共感は少ない。もっぱら、シャルリ・エブド社(Charlie Hebdo)による風刺画を肯定的にとらえている。その内容に眉をひそめる人も多いが、「出版の自由と言論の自由」を守るべきであるという錦の御旗に逆らうことはできない。しかし、この風刺画を肯定する人間は、カナール・アンシェネ(Le Canard enchaîné)による東京電力株式会社福島第一原子力発電所に対する風刺もまた、肯定しなければならない。東京オリンピック決定後に出された風刺画は、多くの日本人にとって屈辱的であった。日本の文化を代表する相撲を、手足が3本ある奇怪な日本人がとっている。事実、日本国政府はこれに抗議していたはずである。イスラム教に対する風刺画の存在自体を肯定する人間は、この福島と日本に対する風刺もまた肯定しなければならない。イスラム教に対する風刺はいいが、日本に対する風刺はよくないとは、二重基準にしかすぎない。しかも、この風刺はかなり本質をついている。

 一般的に言えば、風刺画は読者を憤慨させ、そして考えさせる。本当に東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故は収束したのであろうか。その意味で、凡百の評論よりも、この一枚の風刺画が福島事故を思い出させた。多くの日本人にとって、東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故は、ほとんど考慮の対象外である。安倍総理の言によれば、それは「制御されている」。しかし、この風刺画を見るかぎり、海外では少なくとも安倍総理の言葉は信用されていないようである。

 このような議論をもとにして、20201028日に問題になっているトルコ大統領に対する風刺画を考察してみよう。この風刺画をめぐって、トルコ政府がフランス政府に対して抗議している。もちろん、トルコ政府は知らぬ、存ぜぬ、で放置すればよかった。フランスとの外交関係だけではなく、貿易、経済的関係を悪化させることは確実である。近代国家は、いつから宗教国家に転移したのであろうか。

 

[1] 田村伊知朗「近代における初期近代と後期近代の時代区分」(20087 3日)

http://izl.moe-nifty.com/tamura/2008/07/post_7bcf.html [Datum: 03.07.2008] 参照。

[2] Vgl. Wunder der Solidarität. In: Schwäbische Tagblatt, 15.01.2015.

http://www.tagblatt.de/Home/nachrichten/ueberregional/politik_artikel,-Neue-Ausgabe-von-Charlie-Hebdo-binnen-Minuten-ausverkauft-Zeichner-spotten-sogar-ueber-den-Mord-a-_arid,287389.html[Datum::17.01.2015]

[3] 田村伊知朗「初期ブルーノ・バウアー純粋批判研究序説――後期近代における時代認識との連関において」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第58巻第2号、2008年、27-37頁参照。

[4] Schmidt, Karl: Eine Weltanschauung. Wahrheiten und Irrtümer. Dessau: Julius Fritsche 1850, S. 201.

[5] Bauer, Bauer: Korrespondenz aus der Provinz. In: Hrsg. v. Bauer, Bruno: Allgemeine Literatur Zeitung. H. 6. Charlottenburg: Egbert Bauer 1844, S. 31.

[6]、田村伊知朗「初期ブルーノ・バウアー純粋批判研究序説――後期近代における時代認識との連関において」前掲書、35頁参照。

[7] Szeliga: Die Kritik. In: Hrsg. v. Bauer, Bruno: Allgemeine Literatur-Zeitung. H. 11-12. Charlottenburg: Egbert Bauer 1844, S. 45.

[8] 田村伊知朗「世界の変革は可能か」『田村伊知朗 政治学研究室』

http://izl.moe-nifty.com/tamura/2006/05/post_5a0c.html[Datum: 15.05.2006]

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『浮浪雲』から学ぶ人生論(1)、(2)、(3)総括ーーいつも一人

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『浮浪雲』から学ぶ人生論(1)(2)(3)  総括――いつも一人 

  1. ジョージ秋山『浮浪雲』第19巻、小学館、1982年、168頁。
  2. ジョージ秋山『浮浪雲』第103巻、小学館、2014年、22頁。
  3. ジョージ秋山『浮浪雲』第17巻、小学館、1981年、86頁。
    ©Jyoji Akiyama

1.

  浮浪雲はいつも一人である。浮浪雲は、人間が一人であることを自覚している。すべての事柄、他者との関係、社会総体との関係、国家との関係、歴史総体との関係もまた、自分にとって疎遠である。この世に生まれてくるときも、一人、この世を去るときも、一人。この心境こそが理想である。自我にとって、他者は無関係である。まさに、唯我独尊であろう。
 他者の存在、他者との関係は、労働者、サラリーマンにとって、悩みの種である。労働者の中途退社理由は、ほとんど人間関係の悪化に由来しているであろう。会社員であれば、上司の横暴と無理解に対して、夜明けまで眠れない経験をしたことは多いであろう。そのような身近な煩悶は、むしろ世界総体の矛盾に対する煩悶よりも多い。

 もっとも、凡庸な庶民は、、人生に絶望して、華厳の滝に飛び込む勇気もないし、人生それ自体を藤村操のように真剣に思考したこともない。自己の喜怒哀楽によって、対象は変化しない。嘆き悲しんだところで、過去の状況そのものが、この世に存在しない。自己の外側に位置する環境世界に対して、個人は無為でしかない。もちろん、抵抗する権利は個人にある。
 上司や同僚の無理難題には、のらりくらいに対応することに限る。正面切って、その不当性を糾弾することもない。たいていの場合、上司は34年で転勤する。別の上司がその椅子に座ったとき、前の上司の馬鹿さ加減など忘れている。おそらく馬鹿が会社の出世街道を驀進するかぎり、馬鹿な上司ではなく、馬鹿が上司になる。馬鹿な上司に悶々とする必要はない。会社の組織形式を変更することなど、労働者にはできない。自己の任務を全うするだけである。この任務は、会社から与えられた任務だけではない。鳴かぬ鴉の声から与えられて使命も含まれている。それに従って邁進するだけである。なるようになる、と諦観すべきであろう、浮浪雲のように。
 しかし、環境世界が巨大なうねりとして流れていくとき、個人は無力である。私は60年ほど生きてきた。世界の変動のなかで最大限に衝撃的であったことは、東ドイツそしてソビエト連邦共和国の崩壊であり、社会主義という概念の無効化であった。ベルリンの壁が崩壊し、後期近代が始まろうとしたとき、世界の人が慌ただしかった。1989年以後、数年間、この事態が多くの国民そして世界の人々の精神を覆っていた。私も、社会主義と共産主義という理念が崩壊する現場にいるという興奮に包まれていた。しかし、私が興奮しようとしまいと、後期近代の到来という巨大な歴史の潮流に掉さすことはできない。この感情は、30年経過した現在では理解できる。
 しかし、よく考えてみれば、よりドイツ語的に言えば、追思惟すれば、人為的に国家そして社会を形成しようとすることが馬鹿げたことである。このような真理が認識された。これ以後、世界政治、世界経済に対して、感情的になることはほとんどない。もっとも、日常的に職場で、家庭で、職場で、そして地域社会で怒ることはある。スーパーマーケットのレジで怒鳴りあってる老人も、珍しくない。コンビニのレジで、長時間、クレームを垂れ流して、顰蹙をかっているいるご婦人も多い。しかし、後期近代が本格的に始まった時代精神の変容に比較すれば、ほとんど、どうでもよいことである。もはや、社会主義という理念を語ることが、少なくとも個人では無理であろう。

 環境世界に対して、無為だけではない。無念夢想、つまり何もしないし、何も思念しない。外的な環境世界に一喜一憂しない。町内会、地方自治体、政府に対して無為無策、無念無想である。無為無策と無念無想は、どちらが優先するのであろか。何かしようと思うことが、蹉跌の原因である。論理的には、無念無想であれば、無為無策になる。しかし、我々小人には、無念無想は無理である。環境世界に対して、無為無策であることが先のように思える。何もしないから、何も考えない。自らの使命だけに集中する。現在の課題に集中することこそが、大事である。

2

 このマンガの時代背景は、幕末というより、江戸城無血開城がまさに実現しようというときである。日本近代史において近代革命が生じるときである。西郷隆盛、伊藤博文、山形有朋等、有名な革命家が排出したときである。革命家、政治家だけではなく、庶民もまた生活が一変しようとした。まさに、百家争鳴の時代である。このときでも、浮浪雲は達観している。「世の中なるようになるもんですから」と、悲憤慷慨しない。自己が悲歌慷慨したところで、世の中が変わることはない。150年以上前の明治維新に感情移入することは、21世紀の日本人にはほとんどいない。
 この漫画を見た労働者は、その魂が癒されてるであろう。何度見ても、癒される。しかも、中村天風の著作に取り組むように、読者が考え込むこともない。笑いながら、しかも、宇宙の真理に気付く。いい漫画である。『浮浪雲』の連載を許可した小学館に感謝する。

3

 無念無想、無為無策が最高の理想であるとしも、我々小人は、何らかのことに関与せざるをえない。その根拠は、我々が浮浪雲のように、一人では生きていくことができないことにある。寂寥感にとらわれ、環境世界に対して行為する。それであれば、少なくとも女衒のような行為ではなく、あるいは「酒や女で埋める」のではなく、社会の一隅を照らすことをしたほうが良い。このマンガでは、殺人という行為で寂寥感を埋めようとした若者が描かれている。まさに、お縄になるとき、浮浪雲の言葉が青年の脳裏に浮かぶ。しかし、もはや青年は何もできない。自己の使命として感じることに没頭すべきであった。

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 中島正 著作目録ーー遺漏と誤記の指摘依頼

【以下は、中島正の著作目録です。遺漏、誤記等を含んでいると、想定してます。もし、遺漏、誤記等があった場合、コメント欄にお願いします。但し、コメントはすぐには返答できません。かなりの時間をいただければ、幸いです】。

■■■■■■   中島正 著作目録   ■■■■■■

(下線は、著書を表している)。

 

■■■1964年■■■

Ⅰ.『養鶏世界』養鶏世界社                                        

  1. 「夏期の産卵と防暑対策」第284号、98-100頁。
  2. 「季節によるエサ配合の違い」第288号、108-113頁。

 

■■■1965年■■■

Ⅰ.『養鶏世界』養鶏世界社

  1. 「恒久的低卵価に対処 小羽数養鶏家の奮起を望む」第290号、90-94頁。
  2. 「養鶏に関する百章(28) 鶏の病気について 第四十一章 慢性呼吸器病」第292号、269-272頁。
  3. 「養鶏に関する百章(29) 鶏の病気について 第四十四章 カビ性肺炎」第293号、269-271頁。
  4. 「養鶏に関する百章(30) 鶏の病気について 第四十六章 バタリー病」第294号、269-271頁。
  5. 「養鶏に関する百章(31) 鶏の病気について 第四十九章 ロイコチトゾーン病」第295号、269-271頁。
  6. 「養鶏に関する百章(33) 第52章 未曽有の不況を克服する最良の手段について」第297号、270-271, 289頁。
  7. 「養鶏に関する百章(34) 第53章 アメリカ養鶏を手本にしてはならない」第298号、270-272頁。
  8. 「養鶏に関する百章(35) 第55章 この不況を教訓として立ち上るべし」第299号、270-272頁。
  9. 「養鶏に関する百章(36) 第57章 緑草の量によって飼育羽数を決定すべし」第300号、270-271頁。
  10. 「養鶏に関する百章(37) 第58章 薄飼によって収益を高めよ」第301号、272-273頁。

 

■■■1966年■■■

Ⅰ.『養鶏世界』養鶏世界社

  1. 「養鶏に関する百章(38) 第59章 鶏舎の防寒について」第302号、252-254頁。
  2. 「養鶏に関する百章(39) 第60章 不断給餌といえど一日に一度は餌箱を空にすべし」第303号、232-233頁。
  3. 「養鶏に関する百章(40) 61章  百聞は一見に如かず」第304号、174-176頁。
  4. 「養鶏に関する百章(41) 第63章 御殿にすむ鶏とあばら家にすむ鶏(その二)」第305号、151-153頁。
  5. 「養鶏経営の診断と問題点」第306号、151-157頁。
  6. 「養鶏に関する百章(42) 第64章 現在の設備を活用する工夫をすべし」第306号、249-251頁。
  7. 「養鶏に関する百章(43) 第65章 育成の良否はいかに成鶏の成績を左右するか」第308号、151-153頁。
  8. 「養鶏に関する百章(44) 第66章 育雛成功間違いなしの秘訣」第309号、151-153頁。
  9. 「養鶏に関する百章(45) 鶏の病気について(第五十一章からの続き)」第310号、151-153頁。
  10. 「養鶏に関する百章(46) 鶏の病気について」第311号、128-129頁。
  11. 「養鶏に関する百章(47) 鶏の病気について」第312号、162-163頁。
  12. 「養鶏に関する百章(48) 第七十一章 駄鶏とう汰の要領」第313号、140-142頁。

 

■■■1967年■■■

Ⅰ.『養鶏世界』養鶏世界社

  1. 「養鶏に関する百章(49) 第七十二章 鶏の強制換羽について」第314号、164-165頁。
  2. 「養鶏に関する百章(53) 第七十六章 ニューカッスル病対策」第320号、216-219頁。
  3. 「養鶏に関する百章(54) 第七十七章 防暑対策について」第321号、184-185頁。
  4. 「養鶏に関する百章(55) 第七十八章 設備費は最低なれど」第322号、166-169頁。
  5. 「養鶏に関する百章(56) 第七十九章 ビタミンB₁の効用について」第323号、149-151頁。
  6. 「養鶏に関する百章(57) 第八十一章 破卵、奇型卵、薄皮卵、軟卵、汚卵」第324号、118-120頁。
  7. 「養鶏に関する百章(58) 第八十二章 破卵、奇型卵、薄皮卵、軟卵、汚卵(その二)」第325号、132-133頁。

 

■■■1968年■■■

Ⅰ.『養鶏世界』養鶏世界社

  1. 「養鶏に関する百章(59) 第八十三章 制限給餌による育成法(その一)」第326号、102-105頁。
  2. 「養鶏に関する百章(60) 第八十四章 制限給餌による育成法(その二)」第327号、184-186頁。
  3. 「養鶏に関する百章(63) 第八十七章 春期の産卵抑制は可能か」第330号、118-120頁。
  4. 「養鶏に関する百章(64) 第八十八章 サイロとサイレージの作り方」第331号、120-121頁。
  5. 「養鶏に関する百章(70) 第九十四章 鶏の独白(その六)」第337号、324-325頁。

 

■■■1969年■■■

Ⅰ.『養鶏世界』養鶏世界社

  1. 「養鶏に関する百章(71) 第九十五章 鶏の独白(その七)」第338号、155-157頁。
  2. 「養鶏に関する百章(72) 第九十六章 鶏の独白(その八)」第340号、110-111頁。
  3. 「養鶏に関する百章(73) 第九十七章 鶏の独白(その九)」第341号、204-205頁。
  4. 「養鶏に関する百章(74) 第九十八章 鶏の独白(その十)」第342号、138-140頁。
  5. 「養鶏に関する百章(75) 第九十九章 自立自衛の手段を講ぜよ」第343号、184-185頁。
  6. 「鶏舎設備と養鶏成績」第347号、68-70頁。

 

■■■1970年■■■

Ⅰ.『養鶏世界』養鶏世界社

  1. 「養鶏談義()」第351号、70-71頁。
  2. 「養鶏談義②」第353号、53頁。

 

■■■1971年■■■

Ⅰ.『養鶏世界』養鶏世界社

  1. 「繁栄は手放しでよいか」第361号、173頁。
  2. 「鶏病の克服について」第363号、92-93頁。
  3. 「育雛器雜感」第364号、124 頁。
  4. 「ストレス恐るるに足らず」第368号、43頁。
  5. 「農家養鶏の皆さんに訴う (その一)」第372号、78-80頁。

 

■■■1972年■■■

Ⅰ.『養鶏世界』養鶏世界社

  1. 「農家養鶏の皆さんに訴う (その二)」第374号、94-95頁。
  2. 「農家養鶏の皆さんに訴う (その三)」第375号、94-95頁。
  3. 「農家養鶏の皆さんに訴う (その四)」第376号、132-134頁。
  4. 「一割増収養鶏法」第380号、176頁。

 

■■■1973年■■■

Ⅰ.『養鶏世界』養鶏世界社

  1. 「鶏公害」第385号、76-77頁。
  2. 「鶏糞公害をどう打開するか」第388号、100-101頁。
  3. 「生産性向上かコストダウンか」第391号、124-126頁。
  4. 「養鶏の将来はどうなる」第392号、87頁。

 

■■■1974年■■■

Ⅰ.『養鶏世界』養鶏世界社

  1. 「中・小農家養鶏の生きる道」第403号、34-37頁。
  2. 「一石二鳥の養鶏法」第405号、90-92頁。
  3. 「鶏卵直売についての考察」第406号、90-94頁。
  4. 「七四年の養鶏界を顧みて」第408号、58-61頁。

 

■■■1975年■■■

Ⅰ.『養鶏世界』養鶏世界社

  1. 「再び農家養鶏を」第412号、74-77頁。
  2. 「技術栄えて経営滅ぶ」第413号、24-28頁。
  3. 「科学栄えて人類滅ぶ」第414号、64-66頁。
  4. 「低卵価に泣くことなかれ」第417号、76-77頁。
  5. 「醱酵飼料の利点」第418号、102-104頁。
  6. 「今年の養鶏界を顧みて」第420号、30-31頁。

 

■■■1976年■■■

Ⅰ.『養鶏世界』養鶏世界社

  1. 「代償産卵についての考察」第421号、108-110頁。
  2. 「農業養鶏復興のために(1)」第422号、92-94頁。
  3. 「農業養鶏復興のために(2)」第423号、66-68頁。
  4. 「農業養鶏復興のために(3)」第424号、67-69頁。
  5. 「農業養鶏復興のために(4)」第425号、70-71頁。
  6. 「農業養鶏復興のために(5)」第426号、66-68頁。
  7. 「農業養鶏復興のために(6)」第427号、80-82頁。
  8. 「農業養鶏復興のために(7)」第428号、87-89頁。
  9. 「農業養鶏復興のために(8)」第429号、92-93頁。
  10. 「農家養鶏の生きる道」第431号、46-49頁。
  11. 「農業養鶏復興のために(9)」第432号、56-58頁。

 

■■■1977年■■■

Ⅰ.『養鶏世界』養鶏世界社

  1. 「農業養鶏復興のために(10)」第433号、100-103頁。
  2. 「農業養鶏復興のために(11)」第434号、90-92頁。
  3. 「農業養鶏復興のために(12)」第435号、62-64頁。
  4. 「飼料安全法 恐るべからず」第436号、24-27頁。
  5. 「寒波の教訓」第437号、26-28頁。
  6. 「庭先養鶏と自然卵」第438号、54-55頁。
  7. 「鋸屑の再々々利用法」第439号、56-57頁。
  8. 「適正な自家配合の作り方」第440号、48-49頁。
  9. 「養鶏聖業論」第442号、26-28頁。
  10. 「人類存亡の危機」第443号、56-58頁。
  11. 「養鶏百話」第444号、74-75頁。

 

■■■1978年■■■

Ⅰ.『養鶏世界』養鶏世界社

  1. 「養鶏百話」第445号、76-77頁。
  2. 「養鶏百話(その3)」第446号、92-93頁。
  3. 「養鶏百話(その4)」第447号、74-76頁。
  4. 「養鶏百話(その5)」第448号、82-84頁。
  5. 「養鶏百話(その6)」第449号、72-73頁。
  6. 「養鶏百話(その6)」第450号、80-82頁。
  7. 「養鶏百話(その7)」第451号、90-92頁。
  8. 「養鶏百話(その8)」第452号、98-99頁。
  9. 「養鶏百話(その9)」第453号、86-87頁。
  10. 「養鶏百話(その10)」第454号、90-91頁。
  11. 「養鶏百話(その11)」第455号、76-77頁。
  12. 「養鶏百話(その12)」第456号、84-85頁。

Ⅱ.農山漁村文化協会編『現代農業』

  1. 「ラクラク小羽数養鶏の実践(第1回) まっとうな農業養鶏の復興を!」第57巻第6号、354-357頁。
  2. 「ラクラク小羽数養鶏の実践(第2回)“前近代的”平飼い養鶏をなぜ続けているのか」第57巻第7号、356-357頁。
  3. 「ラクラク小羽数養鶏の実践(第3回) 新鮮な空気こそ最高の“ごちそう”である」第57巻第8号、356-357頁。
  4. 「ラクラク小羽数養鶏の実践(第4回) 大地の息吹きが卵に生命を与える」第57巻第9号、356-357頁。
  5. 「ラクラク小羽数養鶏の実践(第5回) 生い茂る雑草こそ糞臭消しの特効薬」第57巻第10号、356-357頁。
  6. 「ラクラク小羽数養鶏の実践(第6回) 鶏に教えられた“完配”飼料の不完全さ――グラビアもお読みください」第57巻第11号、354-355頁。
  7. 「ラクラク小羽数養鶏の実践(第7回) やり甲斐ある養鶏は自家配から始まる」第57巻第12号、348-349頁。

 

■■■1979年■■■

Ⅰ.『養鶏世界』養鶏世界社

  1. 「養鶏百話(その13)」第457号、72-73頁。
  2. 「養鶏百話(その14)」第458号、69-71頁。
  3. 「養鶏百話(その15)」第460号、90-91頁。
  4. 「養鶏百話(その15)」第461号、106-107頁。
  5. 「養鶏百話(その16)」第34巻第6号、54-55頁。
  6. 「養鶏百話(その17)」第34巻第7号、90-92頁。
  7. 「養鶏百話(その19)」第34巻第8号、62-63頁。
  8. 「省エネルギー養鶏の初歩的技術」第34巻第10号、24-27頁。
  9. 「省エネルギー養鶏の初歩的技術②」第34巻第11号、30-31頁。
  10. 「省エネルギー養鶏の初歩的技術③」第34巻第12号、32-34頁。

Ⅱ.『現代農業』農山漁村文化協会

  1. 「ラクラク小羽数養鶏の実践(第8回) 自家配合は変貌自在に」第58巻第1号、354-355頁。
  2. 「ラクラク小羽数養鶏の実践(第9回) ノコクズ発酵飼料のすぐれた効果」第58巻第2号、354-355頁。
  3. 「ラクラク小羽数養鶏の実践(第10回) 農家養鶏に最適“赤玉鶏”」第58巻第3号、352-353頁。
  4. 「ラクラク小羽数養鶏の実践(第11回) 自立農業への第一歩を」第58巻第4号、350-351頁。
  5. 「ラクラク小羽数養鶏の実践(第12回) 低卵価の泥沼にはまらぬ道あり」第58巻第6号、354-355頁。
  6. 「ラクラク小羽数養鶏の実践(第13回) オール開放鶏舎で最良の効果を上げる」第58巻第7号、352-355頁。
  7. 「ラクラク小羽数養鶏の実践(第14回) 丈夫なヒナの育成は安い自家配にかぎる」第58巻第8号、354-355頁。
  8. 「ラクラク小羽数養鶏の実践(第15回) 鶏は粗飼料で飼うものだ」第58巻第9号、354-355頁。
  9. 「ラクラク小羽数養鶏の実践(第16回) ノコクズ発酵飼料のつくり方」第58巻第11号、354-355頁。
  10. 「ラクラク小羽数養鶏の実践(第17回) 格安の育雛箱で快心のヒナをつくる」第58巻第12号、348-351頁。

 

■■■1980年■■■

Ⅰ.『自然卵養鶏法』農山漁村文化協会。

Ⅱ.『養鶏世界』養鶏世界社

  1. 「省エネルギー養鶏の初歩的技術④」第35巻第1号、89-91頁。
  2. 「省エネルギー養鶏の初歩的技術⑤」第35巻第2号、34-35頁。
  3. 「省エネルギー養鶏の初歩的技術⑥」第35巻第3号、31-33頁。
  4. 「省エネルギー養鶏の初歩的技術⑦」第35巻第4号、30-31頁。
  5. 「省エネルギー養鶏の初歩的技術⑧」第35巻第5号、29-30頁。
  6. 「省エネルギー養鶏の初歩的技術⑨」第35巻第6号、34-35頁。
  7. 「省エネルギー養鶏の初歩的技術⑩」第35巻第8号、34-35頁。
  8. 「省エネルギー養鶏の初歩的技術⑪」第35巻第9号、56-57頁。
  9. 「省エネルギー養鶏の初歩的技術⑫」第35巻第10号、34-35頁。
  10. 「省エネルギー養鶏の初歩的技術⑬」第35巻第11号、77-78頁。

Ⅲ.農山漁村文化協会編『現代農業』

  1. 「ラクラク小羽数養鶏の実践(第18回) ルポ 鶏600羽でこれだけやれる!――ホンモノ卵はまだまだ不足」第59巻第2号、350-355頁。
  2. 「ラクラク小羽数養鶏の実践(第19回 ) 自家製バタリーでヒナを故障なく育て上げる」第59巻第3号、354-356頁。
  3. 「雄飛する平飼い養鶏① ホンモノ卵売り込み法」第59巻第4号、354-356頁。
  4. 「雄飛する平飼い養鶏② ホンモノ卵売り込み法――その2・若い仲間の実践報告から」第59巻第5号、342-345頁。
  5. 「雄飛する平飼い養鶏③ 卵質を保証するノコクズ発酵飼料――味も日もちもグーンとアップ」第59巻第6号、354-356頁。
  6. 「雄飛する平飼い養鶏④ 『輸入食糧ゼロ』の日に養鶏は生き残れるか――庭先養鶏なら大丈夫?」第59巻第7号、352-356頁。
  7. 「雄飛する平飼い養鶏⑤ 誰のためにトリを飼うのか――農家こそ“王様”である」第59巻第9号、351-354頁。
  8. 「田も畑も無肥料・無農薬で二七年 秘密はいい鶏フンにあり」第59巻第10号、349-351頁。
  9. 「雄飛する平飼い養鶏⑥ 卵にも旬がある 私の農業養鶏作業歴(その1)」第59巻第11号、352-355頁。
  10. 「雄飛する平飼い養鶏⑦ 私の農業養鶏作業歴(その2)」第59巻第12号、346-349頁。

Ⅳ.『農業技術大系 畜産編』第5巻、農山漁村文化協会

  1. 「小羽数平飼い養鶏」265-285頁。

 

■■■1981年■■■

Ⅰ.『養鶏世界』養鶏世界社

  1. 「人類の危機への対処」第36巻第1号、85-86頁。
  2. 「省エネルギー養鶏の初歩的技術⑭」第36巻第2号、77-78頁。
  3. 「省エネルギー養鶏の初歩的知識①」第36巻第3号、58-60頁。
  4. 「省エネルギー養鶏の初歩的知識②」第36巻第4号、29-31頁。
  5. 「省エネルギー養鶏の初歩的知識③」第36巻第5号、33-35頁。
  6. 「省エネルギー養鶏の初歩的知識④」第36巻第6号、30-31頁。
  7. 「省エネルギー養鶏の初歩的知識⑤」第36巻第7号、54-55頁。
  8. 「省エネルギー養鶏の初歩的知識⑥」第36巻第8号、30-31頁。
  9. 「省エネルギー養鶏の初歩的知識⑦」第36巻第10号、29-31頁。
  10. 「省エネルギー養鶏の初歩的知識⑧」第36巻第11号、30-32頁。
  11. 「省エネルギー養鶏の初歩的知識⑨」第36巻第12号、32-33頁。

Ⅱ.『現代農業』農山漁村文化協会

  1. 「雄飛する平飼い養鶏⑧ 卵質をよくする“強制換羽”――平飼いでもできる」第60巻第1号、352-354頁。
  2. 「雄飛する平飼い養鶏⑨ 原因不明の尻つつき どうすれば防げる?――読者からの問いにこたえて(その1)」第60巻第2号、339-341頁。
  3. 「雄飛する平飼い養鶏⑩ 韓国の平飼い養鶏家から五つの質問――読者からの問いにこたえて(その2)」第60巻第3号、352-354頁。
  4. 「雄飛する平飼い養鶏⑪ ヒナを平飼いで育てるのは、ムリだと聞きましたが・・・――読者からの問いに答えて(その3)」第60巻第4号、352-354頁。
  5. 「雄飛する平飼い養鶏⑫ 今こそ羽数を減らして、“いざ鎌倉”にそなえよ――自著『自然卵養鶏法』を語る」第60巻第5号、352-355頁。
  6. 「私の座右の銘 そのうち産みだすがや――自然卵養鶏の真髄 ここにあり」第60巻第6号、322-325頁。
  7. 「雄飛する平飼い養鶏(最終回) 『自然卵養鶏』に失敗するのは、どんなときか?――あくまでも『農業養鶏』に徹せよ」第60巻第7号、346-349頁。
  8. 「ビックリわたしの“ためし田”成果報告(第一弾) 鶏糞だけで無農薬のイネつくりにチャレンジ!――疎植1本遅植えイナ作」第60巻第12号、154-159頁。

 

■■■1982年■■■

Ⅰ.『養鶏世界』養鶏世界社

  1. 「省エネルギー養鶏の初歩的知識⑩」第37巻第1号、96-97頁。
  2. 「省エネルギー養鶏の初歩的知識⑪」第37巻第3号、32-33頁。
  3. 「省エネルギー養鶏の初歩的知識⑫」第37巻第4号、29-30頁。
  4. 「省エネルギー養鶏の初歩的知識⑬」第37巻第5号、34-35頁。

Ⅱ.農山漁村文化協会編『現代農業』

  1. 「ビックリわたしの“ためし田”成果報告(第2弾)鶏糞だけで、無農薬のイネつくりにチャレンジ(その二)」第61巻第1号、183-185頁。
  2. 「百姓として自立するために、いま自然卵養鶏を――これから取り組もうという人へ」第61巻第5号、318-321頁。

 

■■■1983年■■■

Ⅰ.農山漁村文化協会編『現代農業』

  1. 「私の百姓自立宣言① カネのしがらみを解き放て!――小農にこそ大義あり」第62巻第1号、158-165頁。
  2. 「私の百姓自立宣言② 養鶏と稲作との連携が日本農業の未来を拓く――有畜自給自立農業における稲作り」第62巻第2号、336-339頁。
  3. 「私の百姓自立宣言③ ひもつきの“強制サービス”を拒否せよ――農業蔑視の病根を絶つには」第62巻第3号、348-351頁。
  4. 「私の百姓自立宣言④ 農業人口はもっと増やすべし――人類の危機を救うために産業構造の転換を」第62巻第4号、348-351頁。
  5. 「私の百姓自立宣言⑤ 大地は大自然の所有である――農耕だけが“許された利用法”」第62巻第5号、348-351頁。
  6. 「私の百姓自立宣言⑥ 不耕貧食ノ徒ハタダ刑スベシ――現代によみがえる江戸時代の思想家・安藤昌益」第62巻第6号、352-356頁。
  7. 「私の百姓自立宣言⑦ 『自然世』を近づける蓑虫革命とは」第62巻第7号、352-355頁。
  8. 「私の百姓自立宣言⑧ 百姓の立場から農政を論ず」第62巻第8号、352-355頁。
  9. 「私の百姓自立宣言⑨ 百姓の立場から農協を論ず」第62巻第9号、352-356頁。
  10. 「私の百姓自立宣言⑩ 百姓の立場から教育を論ず」第62巻第10号、350-355頁。
  11. 「私の百姓自立宣言⑪ 農業の『進歩』は何をもたらしたか」第62巻第11号、352-355頁。
  12. 「私の百姓自立宣言(最終回) 農民の生き甲斐ここにあり」第62巻第12号、346-349頁。

Ⅱ.全国自然養鶏会編『鶏声』

  1. 「全国自然養鶏会発会に寄せて」第1号、1頁。
  2. 「『独自の卵価』を飛躍のバネに」第2号、1-4頁。
  3. 「基本を忠実に」第3号、1頁。

 

■■■1984年■■■

Ⅰ.全国自然養鶏会編『鶏声』

  1. 「自然養鶏のこれからのとりくみ――養鶏界の現状と展望をふまえて(第一回交流会講演より)」第4号、1-5頁。
  2. 「対岸の火事ではない“生産調整”」第5号、1-2頁。
  3. 「就農をめざす方々へ」第6号、1-3頁。

Ⅱ.公害問題研究会編『環境破壊』

  1. 「鶏を産卵機械から大自然の動物へ――商社養鶏を直ちに中止せよ」第151号、31-33頁。
  2. 「都市を滅ぼせ(第一回) 第一章 都市のひろがり、第二章 都市の悪」第155号、6-15頁。
  3. 「都市を滅ぼせ(第二回) 第二章 都市の悪(続き)」第156号、42-46頁。
  4. 「都市を滅ぼせ(第三回) 臨時の章 都市と食糧――米の過剰と不足と輸入と」第157号、42-46頁。
  5. 「都市を滅ぼせ(第四回) 第三章 都市と田舎」第158号、42-46頁。
  6. 「都市を滅ぼせ(第五回) 第四章 都市の起源」第159号、36-40頁。

 

■■■1985年■■■

Ⅰ.全国自然養鶏会編『鶏声』

  1. 「第2回交流会を顧みて――会員の皆様への提案」第7号、1-3頁。
  2. 「夏場の卵保存について」第8号、1頁。

Ⅱ.公害問題研究会編『環境破壊』

  1. 「都市を滅ぼせ(6)――第五章 都市を滅ぼせ(上)」第160号、32-35頁。
  2. 「都市を滅ぼせ 第五章 都市を滅ぼせ(中)」第161号、2-6頁。
  3. 「都市を滅ぼせ 第五章 都市を滅ぼせ(下)」第162号、4-7頁。
  4. 「都市を滅ぼせ 第六章 都市からの離脱(上)」第163号、4-8頁。
  5. 「都市を滅ぼせ 第六章 都市からの離脱(下)」第164号、4-8頁。
  6. 「都市を滅ぼせ 第七章 都市の自壊」第165号、10-14頁。
  7. 「都市を滅ぼせ 第八章 民族皆農――脱都市、就農(上)」第166号、10-13頁。
  8. 「都市を滅ぼせ 第八章 民族皆農――脱都市、就農(下)」第167号、34-37頁。
  9. 「都市を滅ぼせ 第九章(終章)独立農業」第168号、8-15頁。

 

■■■1986年■■■

Ⅰ.『みの虫革命―独立農民の書』十月社出版局。

Ⅱ.農山漁村文化協会編『現代農業』

  1. 「自然卵養鶏家の質問に応える(第1回) オール開放鶏舎への季節風と雪の吹き込みは大丈夫?」第65巻第12号、342-345頁。

Ⅲ.全国自然養鶏会編『鶏声』

  1. 「私たちの心がけ」第9号、1-2頁。
  2. 「とうもろこし無し養鶏」第10号、1-2頁。

 

■■■1987年■■■

. 農山漁村文化協会編『現代農業』

  1. 「自然卵養鶏家の質問に応える(第2回) 寒冷期の育雛で失敗しない方法は?」第66巻第1号、348-351頁。
  2. 「自然卵養鶏家の質問に応える(第3回) 1千万羽赤玉養鶏進出で自然卵の行先きは? 」第66巻第2号、258-261頁。
  3. 「自然卵養鶏家の質問に応える(第4回) 産卵低下の原因と対策」第66巻第3号、352-355頁。
  4. 「自然卵養鶏家の質問に応える(第5回) 鶏によい緑餌ってどんなもの?」第66巻第4号、352-355頁。
  5. 「自然卵養鶏家の質問に応える(第6回) 尻つつき、食卵癖、外敵被害をなくす方法は?」第66巻第5巻、332-335頁。
  6. 「自然卵養鶏家の質問に応える(第7回) 卵を産まない鶏を見分ける方法は?」第66巻第6号、348-351頁。
  7. 「自然卵養鶏家の質問に応える(最終回) 自然卵の値段はどのくらいがよいか?」第66巻第7号、344-347頁。

Ⅱ.全国自然養鶏会編『鶏声』

  1. 「自然卵養鶏家はここを強調しよう」第11号、1-3頁。
  2. 「これからの食糧と農業」第12号、1-2頁。
  3. 「養鶏と野菜」第13号、1-2頁。
  4. 「もみ殻の活用」第14号、1-2頁。

 

■■■1988年■■■

. 全国自然養鶏会編『鶏声』

  1. 「東北交流会、お話しの要旨」第16号、1-3頁。
  2. 「非常事態への対応法」第17号、1-2頁。

 

■■■1989年■■■

. 全国自然養鶏会編『鶏声』

  1. 「鶏糞単用無農薬安定稲作」第18号、1-2頁。
  2. 「総会講演 自給飼料について」第19号、1-2頁。
  3. 「食糧の大量供給を止め最低の生活を」第20号、1-2頁。

 

■■■1991年■■■

. 全国自然養鶏会編『鶏声』

  1. 「脱石油農業」第25号、16-17頁(【全国自然養鶏会中部ブロック編『鶏声(中部版)』第3号、1991年】から転載)。

Ⅱ.日本協同体協会 緑健文化研究所(草刈善造)編『緑健文化』

  1. 「都市をどうする 第一回」第297号、1-4頁。
  2. 「都市をどうする 第二回」第298号、1-5頁。
  3. 「都市をどうする 第三回」第299号、1-6頁。

Ⅲ.日本有機農業研究会編『土と健康』

  1. 「自然卵養鶏法について」第19巻第12号、50-51頁。

 

■■■1992年■■■

. 都市を滅ぼせ』日本協同体協会(私家版)。(典拠:1994年Ⅱ.2.  4頁)

Ⅱ.全国自然養鶏会編『鶏声』

  1. 「都市をどうする 第一章」第29号、19-25頁。(1991年Ⅱ.の増補改訂版)
  2. 「都市をどうする 第二章」第30号、23-29頁。(1991年Ⅱ.の増補改訂版)

Ⅲ.日本協同体協会 緑健文化研究所(草刈善造)編『緑健文化』

  1. 「藤岡次郎氏のご所見に同感」第303号、8頁。
  2. 「破局への暴走:化学物質拡散の視点から」第310号、1-4頁。

Ⅳ.地球百姓ネットワーク編『百姓天国 元気な百姓達の手づくり本』

  1. 「農業が滅んで、都市が滅ぶ①」第3集、56-59頁。 
  2. 「農業が滅んで、都市が滅ぶ②」第4集、78-81頁。

 

■■■1993年■■■

. 全国自然養鶏会編『鶏声』

  1. 「都市をどうする 第三章」第31号、31-37頁。(1991年Ⅱ.の増補改訂版)
  2. 「ときのこえ 年金養鶏」第32号、2-3頁。

Ⅱ.日本協同体協会 緑健文化研究所(草刈善造)編『緑健文化』

  1. 「人間は文明をやめられるか 第2回」第319号、1-4頁。

Ⅲ.地球百姓ネットワーク編『百姓天国 元気な百姓達の手づくり本』

  1. 「農業が滅んで、都市が滅ぶ③」第5集、160-163頁。 
  2. 「農業が滅んで、都市が滅ぶ④」第6集、133-136頁。

 

■■■1994年■■■

Ⅰ.都市を滅ぼせ 人類を救う最後の選択』舞字社。(1992年Ⅰ.の増補改訂版)

Ⅱ.日本協同体協会 緑健文化研究所(草刈善造)編『緑健文化』

  1. 「人間は文明をやめられるか 第3回」第322号、1-4頁。
  2. 「人間は文明をやめられるか 第4回」第324号、1-4頁。

 

■■■1996年■■■

. Nakashima, Tadashi: Down with the Cities. In: Project Gutenberg. In: https://www.gutenberg.org/ebooks/578. [Datum: 05.07.2020]. (1992年Ⅰ.の英訳版)

 

■■■1998■■■

. 全国自然養鶏会編『鶏声』

  1. 「(無題)」第45号、59-67頁。

 

■■■2000■■■

Ⅰ.農山漁村文化協会編『現代農業』

  1. 「農民魂をゆさぶった疎植1本植え」第79巻第1号、373頁。

Ⅱ.日本協同体協会 緑健文化研究所(草刈善造)編『緑健文化』

  1. 「世直しについて 第一回」第390号、1-3頁。
  2. 「世直しについて 第二回」第392号、1-4頁。

 

■■■2001年■■■

Ⅰ.『増補版 自然卵養鶏法』農山漁村文化協会。1980年Ⅰ.の増補改訂版)

. 日本協同体協会 緑健文化研究所(草刈善造)編『緑健文化』

  1. 「万物素成の根源に遡れば――神崎功氏の論説に寄せて」第404号、1-3頁。

 

■■■2002年■■■

. 全国自然養鶏会編『鶏声』

  1. 「自然卵養鶏法について」第60号、3-4頁。

 

■■■2003年■■■

. 全国自然養鶏会編『鶏声』

  1. 「自然卵養鶏の原点――人間が生存する限り 永遠に続く道」第61号、1-8頁。

 

■■■2004年■■■

. 全国自然養鶏会編『鶏声』

  1. 「(無題)」第65号、12-13頁。

Ⅱ.天野慶之、高松修、多辺田政弘編『有機農業の事典』三省堂

  1. 「自然卵養鶏」175-180頁。

 

■■■2005年■■■

Ⅰ.阿寒学園村(いざや農工園) 緑健文化研究所(草刈善造)編『緑健文化』

  1. 「カネは少しだけの暮らし(無用の長物からの後退) その1」第447号、1-3頁。
  2. 「カネは少しだけの暮らし(無用の長物からの後退) その2」第448号、@@頁。
  3. 「カネは少しだけの暮らし(無用の長物からの後退) その3」第449号、@@頁。
  4. 「カネは少しだけの暮らし(無用の長物からの後退) その4」第450号、4-5頁。
  5. 「カネは少しだけの暮らし(無用の長物からの後退) その5」第451号、@@頁。
  6. 「カネは少しだけの暮らし(無用の長物からの後退) その6」第452号、@@頁。
  7. 「カネは少しだけの暮らし(無用の長物からの後退) その7」第453号、@@頁。

 

■■■2006年■■■

Ⅰ.阿寒学園村(いざや農工園) 緑健文化研究所(草刈善造)編『緑健文化』

  1. 「カネは少しだけの暮らし(無用の長物からの後退) その8」第454号、4-6頁。
  2. 「カネは少しだけの暮らし(無用の長物からの後退) その9」第456号、5-7頁。
  3. 「カネは少しだけの暮らし(無用の長物からの後退) その10 (最終回)」第457号、1-5頁。

 

■■■2007年■■■

Ⅰ.『農家が教える 自給農業のはじめ方 自然卵・イネ・ムギ・野菜・果樹・農産加工』農山漁村文化協会。

Ⅱ.『今様、徒然草』新風舎。

. 全国自然養鶏会編『鶏声』

  1. 「いかに自然の生態に近づけるか」第75号、1-2頁。

Ⅳ.阿寒学園村(いざや農工園) 緑健文化研究所(草刈善造)編『緑健文化』

  1. 「自給自足の小農を」第469号、1-3頁。

 

■■■2008年■■■

Ⅰ.阿寒学園村(いざや農工園) 緑健文化研究所(草刈善造)編『緑健文化』

  1. 「首相官邸 林野庁に送る『食糧自給率を百%にする妙策』」第474号、1-3頁。

 

■■■2009年■■■

Ⅰ.『自給養鶏Q&A  エサ、育すう、飼育環境、病気、経営』農山漁村文化協会。

Ⅱ.『今様、徒然草』文芸社。2007年Ⅱ.の増補改訂版)

 

■■■2012年■■■

Ⅰ.Nakashima, Tadashi: Down with the Cities. Hamburg: tredition. (1992年Ⅰ.の英訳版)

Ⅱ.(共著)山下惣一『市民皆農~食と農のこれまで・これから』創森社。

 

■■■2014年■■■

Ⅰ.『都市を滅ぼせ 目から鱗の未来文明論』双葉社。1994年Ⅰ.の増補改訂版)

 

■■■2016年■■■

Ⅰ. 全国自然養鶏会編『鶏声』

  1. 「鶏声100号によせて」第100号、1-5頁。
  2. (鶏声100号によせて)前回の続き」第101号、3-5頁。

 

■■■2017年■■■

Ⅰ.『マーマーマガジン フォーメン』エムエムブックス

  1. (対談)服部みれい「自分で自分のことをやれば平和になる」第3号、20-29頁。

 

■■■2018年■■■

Ⅰ.倉本聡、林原博光『愚者が訊く、その2』双葉社

  1. (対談)倉本聡、林原博光「『土』とともに生きる」55-85頁。

 

【付記】

本稿は、田村伊知朗「中島正の思想研究序説――その著作目録と都市論に対する序文」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第71巻第1号、2020年、1-16頁として公表されている。また、

 

  1. Einleitung für die Forschung über die Gedanken des japanischen Bauernphilosophen, Nakashima, Tadashi (1920-2017): Vorwort zu seiner Bibliographie als seine Einwände gegen die ungeheure Erweiterung der modernen Städte. 『田村伊知朗 政治学研究室』。In: http://izl.moe-nifty.com/tamura/2020/11/post-593fee.html. [Datum: 01.11.2020]、

 

  1. 「中島正の思想研究序説――その著作目録と都市論に対する序文」『田村伊知朗 政治学研究室』。In: http://izl.moe-nifty.com/tamura/2020/11/post-bd61a4.html. [Datum: 02.11.2020]、

 

  1. 「中島正 著作目録ーー遺漏と誤記の指摘依頼」『田村伊知朗 政治学研究室』。In: http://izl.moe-nifty.com/tamura/2020/11/post-7a5f34.html. [Datum: 03.11.2020]、

 

として、分割されてインターネット上において公開されている。本稿を『田村伊知朗 政治学研究室』へと転載する際、本稿公表以後に増補・改定された部分は、斜字体として記述されている。

   

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中島正の思想研究序説――その著作目録と都市論に対する序文

中島正の思想研究序説――その著作目録と都市論に対する序文

                                                                                                      田村伊知朗

第1節 都市という概念の歴史

  社会的な主要産業が農業であるかぎり、都市の発展は限定的である。もちろん、前近代においても商業は必然であり、統治機構は都市を必要としていた。しかし、大多数の農奴が農村に居住することは、社会的に必然的前提であった。前近代社会は、農業なくして存立しえなかった。都市住民が農村居住者よりも多くなることは、前近代社会を否定することと同義であった。

 他方で、都市という概念は、学問一般において不可避的なものして前提にされてきた。古代ギリシャの時代から、文明は都市と共に進展してきた。ポリスという都市がなければ、ソクラテス、プラトンそしてアリストテレスの政治哲学も存在しえなかったであろう。神の支配が都市において表現されていた。「都市は、究極的に完全な神の支配のシンボルである。神がある日、その民族を招集する場所、それが都市である」。[1] 都市空間がなければ、西欧における神の支配という概念も成立しなかったであろう。

 古代社会そして中世社会と同様に、近代市民社会という文明も、人間が密集した空間として都市において成立した。近代という時代精神と近代に関する表象も、都市において生じた。農村だけでは、文明も近代市民社会も成立しえない。現代都市もその歴史的傾向を継承している。「都市は、文化的中心、歴史的舞台そして人工技術的な遂行物である。この都市は、人間を飲み込むモンスターの悪魔という大都市―映画形象によって重層化されている」。[2] この傾向は、後期近代において極限まで昂進している。タワー型の巨大建造物が、都市において君臨している。

 大都市のこの巨大化傾向にもかからず、農村と都市の対立は現在でも残存している。「市民社会は私的身分として存立している。身分的区別は市民社会において、もはや自立的諸団体としての欲求と労働の区別ではない。唯一普遍的であり、表面的かつ形式的区別は、市民社会における都市と農村のわずかな区別だけである」。[3] 市民社会の社会的区別は、金銭と教養の差異に基づく社会的区別にすぎず、私的区別へと解消された。都市と農村の区別が、唯一の例外として市民社会において存在している。しかし、その差異はわずかでしかない。人口密度という自然的区別を除けば、後期近代において農村と都市の差異は、減少傾向にある。

 自然的区別以外の区別、たとえば農村独自の文化あるいは生活様式の区別は、ほとんど消滅している。「広大な農民文化とその伝統的生活様式が、19501960年代のドイツにおいてかなり解体した。農業は技術化され、産業化され、そして資本主義化した。ラジオとテレビという近代的コミュニケイション手段が、都市の生活スタイルを指導文化へとプロパガンダした」。[4] 都市文化は、後期近代において農村独自の文化をほとんど解体した。とりわけ、百姓という概念に残存していた自給自足的な生活様式は、都市化の過程においてほぼ消滅した。端的に言えば、農村は近代化されることによって都市化された。

 

2節 中島正の都市論

 本節では、中島正(1920-2017年)という哲学者の思想によって、この事態を基礎づけてみよう。近代の現実態と異なり、すべての都市を農村化することによって、中島はこの区別を解消しようとする。「都市は(都市機構は)断固として滅ぼさねばならない」。[5] 近代精神が農村を解体し、地上のすべての領域を都市化しようとしたことと対照的に、中島正は都市を解体し、すべての領域を農村化しようとする。後期近代ひいては近代の主要潮流と対照的な方法によって、彼の思想は農村と都市という空間を基礎づけようとする。「近代化ということは都市化ということを意味するのである」。[6] 中島正によれば、初期近代と後期近代を通底する近代化は、都市の拡大として把握される。近代それ自体そして都市それ自体を無化しようとする。近代思想が暗黙の前提にしている都市空間の限界性が、彼の批判という手続きを通じて逆照射される。

 もちろん、彼の思想は、近代そして後期近代において現実化されえないであろう。しかし、彼の思想は近代思想の根底的基盤を明示している。どのような形式であれ、近代思想は都市という概念を暗黙の前提にしている。近代を根底的に揚棄しようとしている共産主義思想すら、都市という空間を前提にしている。彼の主著『都市を滅ぼせ』は英訳され、プロジェクト・グーテンベルクに採用されている。[7] 彼の思想が世界的に認知された客観的証明の一つでもあろう。

 彼の思想によれば、都市は空間的観点からだけではなく、産業的観点からも考察される。「都市のひろがりとは、いわゆる『都会』のひろがりだけをいうのではない。それは、・・・地域において田舎と区別されるだけではなく、産業別(階級別)の色分けにおいても田舎と峻別されねばならない」。[8] 都市は、第二次産業と第三次産業に供される空間と、この産業に従事する人間の居住空間である。

 都市と農村の関係を解明するために、自然卵養鶏に触れてみよう。自然卵養鶏は今世紀においてかなり一般化しているが、中島正は19501960年代においてその提唱者そして先駆者の一人であった。都市の解体が即自的には不可能であるがゆえに、農村と都市の関係を意図的に再構築しようとした。自家用に生産された農産物を都市住民に供給することによって、都市との関係を構築した。都市は、農民に対して関係を強制する。租税負担、教育負担等の名目で貨幣を都市に供与することを強制している。したがって、農民も都市との関係を整序するために、貨幣を最低限、準備しなければならない。

 自然卵を通じた農村と都市の関係は、通常の農村と都市の関係と表層的には近似している。農民が農産物を都市住民に提供する、という観点からすれば、両者における差異はないであろう。しかし、その目的は根本から異なっている。彼は自分とその家族の食料生産を目的にし、都市との最小限度の関係を自然卵売却によって維持しようとした。自家消費後の余剰農産物を都市に供給する。生産様式、生産物の質量は、農民自身によって決定される。「消費者不在の自然循環型農業に活路を求める」。[9] この過程において生じる余剰生産物があれば、それを都市に供給し、それがなければ供給しない。食料生産の主目的は、農民とその家族の生命を再生産することにある。都市との関係は、農民にとって余剰でしかない。

 中島正は、都市から自立した農村を構想する。究極的に言えば、農業は他の産業無しに自立可能である。都市は貨幣経済を前提にしている。自然的人間の再生産のために不可避な食料を、都市は貨幣を通じて農村に依存している。「貨幣がなければ、都市は滅ぶ――逆に言えば貨幣が農村から富を収奪して、都市を繁栄させているのである」。[10] 中島正は貨幣なき社会を構想している。「独立農業は貨幣からの独立であることを意味し、貨幣からの独立とはそのまま都市からの独立であることを意味する」。[11] 都市なき農村が、彼の思想の根底にある。都市は第二次産業と第三次産業から構成されている。都市には存在しない第一次産業を収奪するための機構である。[12] 都市との関係を断絶しても、農村は生き延びることができる。逆に、農村との関係を断絶すれば、都市は滅亡する。

 中島正の思想の根底には、蓑虫革命と命名された原理がある。「蓑虫革命とは――『自分の食い扶持は自分でさがすか、つくる』という人間本来の生存の原則にしたがって、大自然の掟に順応した自然循環型農業を営み・・・自給自足自立の生活に入ることをいうのである」。[13] 中島正は、究極的には民族皆農を主張する。「都市機構を潰し、都市活動をやめて、太古に存在した農耕社会に還る」。[14] 都市ではなく、農村に万人が居住する社会を理想とする。都市ではなく、農村において万人が、自分の食料を自分で探すか、生産する。

 

3節 都市と不耕貪食の民の拡大            

 しかし、多くの都市住民はこの原理と無縁である。不耕貪食の集団として農村から食物を、貨幣を媒介にして獲得する。それだけではなく、都市に居住する自然食品愛好家でさえ、農民に様々な指令を下す。農民は、彼らとどのような関係を結ぶべきであろうか。「いわく、話し合い、いわく、勉強会、いわく、農場見学、いわく、援農、いわく、資金援助――消費者グループによるこれらの農業介入は、・・・農民監視戦略なのである」。[15] 農民は蓑虫を目指しながらも、自然卵を媒介にして、都市の不耕貪食の集団と関係を持たざるをえない。自然卵を希求するこのような消費者集団は、都市住民のなかでかなり良質な階層を形成している。しかし、このような集団もまた、農民の収奪を目的とする集団と大差はなく、所詮、都市の不耕貪食の集団に属している。

 都市化の拡大は、不耕貪食の民の拡大を意味している。都市住民は、自分の食料を自分で生産しない。中世社会において、農産物は都市へと収奪されたと言っても過言ではないであろう。武装集団である武士階級が統治に当たっており、農民が農産物を都市に送らないことは、農民の死を意味していた。農村から都市への食料の移動は、近代において金銭を媒介にしている。農産物は、合法的に農村から都市への移送されている。

 中島正は、この事態を『都市を滅ぼせ』において批判的に考察している。安藤昌益の思想を媒介にして、不耕貪食の民を滅ぼし、民族皆農を主張する。都市を廃棄して、すべての人間が自らの食料を生産することを主張する。中島正の思想は、江戸時代の思想家、安藤昌益、あるいは戦後その思想が周知された石原莞爾等によって唱導された万人直耕と大同小異という評価もありうる。しかし、彼の思想総体は、ありうべかりし農村論だけではなく、近代都市論でもある。先行する諸思想家と中島の差異は、彼の思想によって近代という時代精神の一側面が解明されることにある。現代農業の批判を通じて、近代という時代精神が依拠している無意識の前提を照射している。現在までの近代革命思想は、都市の存在を前提にしている。

 彼の人間論は、自然的人間に還元される。人間的活動は、自然的人間の再生産に限定される。「人間は空気と水と日光と大地と緑(食餌)とさえあれば、その生存に支障はない」。[16] それ以外の活動は、人間にとって余剰にしかすぎない。自然だけに依拠している人間が真に自立した人間であれば、百姓こそがその理想の存在形式になる。「百姓とは百の仕事をする意であり、衣食住のすべてにわたってセルフサービス=自前の労力で賄うことが可能であった」。[17] 百姓は人間の食料を自前で生産し、森林において採集する。衣食住すべてを他者に依存せず、生産した。それ以外の人間的活動は、余計なことになる。たとえば、子弟が東京の有名大学に進学し、有名企業に就職するという事実すら、中島正にとって余計である。否、反社会的である。

 中島正は、現代社会における大学の社会的役割を次のように、批判する。「大学は、汚染破壊集団の予備軍養成所である・・・・年々無慮20数万にも及ぶ大卒が、悉く農民の汗の上に居座って不耕貪食を企み、汚染農業を余儀なからしむるだけでなく、その過半数は工業化社会の活動の中心になり、・・・自然=環境に迫害を加え続ける」。[18]  大学生という社会的存在形式は、その価値が否定される。大学生そして都市住民は、農民と農村に対して害悪を加える存在でしかない。彼らが都市住民であるかぎり、彼らは農村から食料を供給してもらわねばならない。にもかかわらず、農民の子弟が社会的賞賛を受けるためには、農村ではなく、都市において居住しなければならない。ただの百姓であることは、社会的賞賛の対象外である。むしろ、農業に従事することは、社会的劣後者とみなされている。「今は農業はすっかり見捨てられバカにされながら、大量に搾取されている」。[19] 都市住民の意識からすれば、農村に居住することは、馬鹿げたことである。

 対照的に、中島正は、身を立て、名をあげることを拒否する。不耕貪食の都市住民という存在形式が、中島正によって根底的に批判される。この根拠は、現代社会における環境破壊の進展にある。「数ある危機の中でも、これは(温暖化にともなう氷解は)最大の喫緊事である」。[20] その都市の環境破壊の一因として、動力化された個人交通も問題になる。「あなた方がマイカーで、渋滞や交通事故に悩まされながら、温泉だ、祭りだ、イベントだと右往左往する度毎に、温暖化は加速され、海水面はじわじわと上昇し続けていくのである」。[21] 動力化された個人交通が、個人的自由を拡大させ、都市住民の快楽を促進すると同時に、自然環境に対する負荷を増大させ、環境破壊を拡大させる。

 

4節 著作目録解題

 中島正の著作目録は公表年別に整序されている。未見のものは記載されていないが、『緑健文化』(2005年Ⅰ.)のいくつかの論説のように、掲載雑誌が特定され、その論説の存在がほぼ確実に推定される場合には、「@@頁」として記載されている。

 本著作目録は、完全性を断念した中間報告でしかない。著作目録の作成という作業の終焉を展望することは、有限な人間にとって困難である。本稿は、その基礎資料を提供することを目的にしている。彼の思想総体に関する学問的研究、とりわけ都市論、農村論、近代化論等は、彼の死後、その端緒についたばかりである。著作目録が整備されて初めて、中島正の思想を解読するための契機が構築されよう。

 

田村伊知朗「中島正の思想研究序説――その著作目録と都市論に対する序文」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第71巻第1号、2020年、1-16頁。

 

[1] Wulsdorf, Helge: Stadt ohne Grenzen-Utopie der Moderne. In: Hrsg. v. Droesser, Gerhard u. Schirm, Stephan: Kreuzungen. Ethische Probleme der modernen Stadt. Berlin u. New York: Peter Lang 2005, S. 47.

[2] Keul, G. Alexander: Wohlbefinden in der Stadt-Abriß eines Forschungsfeldes. In: Hrsg. v. ders.: Wohlbefinden in der Stadt. Umwelt- und gesundheitspsychologische Perspektiven. Weinheim: Beltz, Psychologie-Verlags-Union 1995, S. 2.

[3] Marx, Karl: Zur Kritik der Hegelschen Rechtsphilosophie. In: MEW, Bd. 1. Berlin: Dietz Verlag 1981, S. 284.

[4] Droesser, Gerhard: Ortangaben. In: Hrsg. v. Droesser, Gerhard u. Schirm, Stephan: Kreuzungen, a. a. O., S. 183.

[5] 中島正『都市を滅ぼせ 人類を救う最後の選択』舞字社、1994年、86頁。

[6] 中島正「都市を滅ぼせ(第一回) 第一章 都市のひろがり、第二章  都市の悪」公害問題研究会編『環境破壊』第155号、公害問題研究会、1984年、7頁。

[7] Vgl. Project Gutenberg. In: https://www.gutenberg.org/browse/titles/d. [Datum: 12.10.2019]

[8] 中島正「都市を滅ぼせ(第一回) 第一章 都市のひろがり、第二章  都市の悪」前掲書、6頁。

[9] 中島正「私の百姓自立宣言(最終回) 農民の生き甲斐ここにあり」『現代農業』第62巻第12号、農山漁村文化協会、1983年、347頁。

[10] 中島正『みの虫革命―独立農民の書』十月社出版局、1986年、41頁。

[11] 中島正『都市を滅ぼせ 人類を救う最後の選択』前掲書、159頁。

[12] 中島正「私の百姓自立宣言① カネのしがらみを解き放て!――小農にこそ大義あり」『現代農業』第62巻第1号、農山漁村文化協会、1983年、164頁参照。         

[13] 中島正「私の百姓自立宣言 『自然世』を近づける蓑虫革命とは」『現代農業』第62巻第7号、農山漁村文化協会、1983年、352頁。

[14] 中島正『都市を滅ぼせ 人類を救う最後の選択』前掲書、174頁。

[15] 中島正「私の百姓自立宣言(最終回) 農民の生き甲斐ここにあり」前掲書、347頁。

[16] 中島正『今様、徒然草』文芸社、2009年、79頁。

[17] 中島正「都市を滅ぼせ(第四回) 第三章 都市と田舎」公害問題研究会編『環境破壊』第158号、公害問題研究会、1984年、44頁。

[18] 中島正『みの虫革命――独立農民の書』前掲書、152-153頁。

[19] 同上書、129頁。

[20] 中島正『今様、徒然草』前掲書、13頁。

[21] 同上書、17頁。

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Einleitung für die Forschung über die Gedanken des japanischen Bauernphilosophen, Nakashima, Tadashi (1920-2017): Vorwort zu seiner Bibliographie als seine Einwände gegen die ungeheure Erweiterung der modernen Städte

Einleitung für die Forschung über die Gedanken des japanischen Bauernphilosophen, Nakashima, Tadashi (1920-2017): Vorwort zu seiner Bibliographie als seine Einwände gegen die ungeheure Erweiterung der modernen Städte

 

TAMURA, Ichiro

 

 Deutsche Zusammenfassung über die Gedanken von Nakashima, Tadashi (1920-2017)

 

Die städtische Kultur zersetzte die traditionelle, aus dem Mittelalter entspringende Kultur des ländlichen Raums. Die grundlegende Auflösung von unabhängigen, der Bauerngemeinschaft eigentümlichen Lebensformen war in der Wirklichkeit der späten Moderne unvermeidlich. Im modernen Staat erfassten die städtischen Lebensstile alle Räume einschließlich des ländlichen Dorfes, weil die Entwicklung der modernen Industrie und der Massenkommunikationsmittel fast alle Bereiche einheitlich gestaltet hatte.

Ein japanischer Bauernphilosoph, Nakashima, Tadashi (1920-2017), kritisierte eindringlich die unvermeidlichen, der späten Moderne eigentümlichen Phänomene der grundlegenden Veränderung der Lebensweise. Seines Erachtens bestand das Wesen der Moderne in der ungeheuren und unbeschränkten Erweiterung der Städte, die alle negativen Aspekte dieser Zeit, z. B. die große Umweltverschmutzung in unverträglicher Weise zur Folge hatte.

Dieser prinzipienfeste und einsame, über alles Weltliche erhabene Philosoph widersetzte sich der Hauptströmung der modernen Wirklichkeit und plädierte, alle städtischen Ballungsgebiete in ländliche Bauerndörfer umzuwandeln. Seine philosophische Behauptung bezieht sich auf die offenbare Tatsache, dass alle in den Städten lebenden Bürger von den Dörfern abhängig sind, da sie nur durch das Medium des Geldes die für die dauerhafte Reproduktion der menschlichen Natur unentbehrlichen Lebensmittel erwerben können. Seiner Ansicht nach müssten alle Menschen nicht in den Städten, sondern in den Dörfern wohnen, und sie sollten die landwirtschaftlichen Erzeugnisse dort nicht für Andere, sondern nur für sich selbst produzieren.

Natürlich wäre es unmöglich, seine philosophische Behauptung unmittelbar in der modernen gesellschaftlichen Wirklichkeit umzusetzen. Jedoch ist durch seine Gedanken über die Daseinsform der Städte deutlich gemacht worden, auf welcher Grundlage der moderne Zeitgeist in stillschweigendem Einverständnis steht. Jede Form der modernen Philosophie macht implizit das Konzept der Stadt als Ballungsgebiet zur unerlässlichen Bedingung und Voraussetzung. Sogar die kommunistischen Theorien, die versuchten, die Moderne im Allgemeinen für die Schaffung einer neuen Ära aufzuheben, betrachteten tatsächlich die ungeheure und unbeschränkte Erweiterung der Städte als notwendige Voraussetzung.

Die unverwechselbare Stadttheorie von T. Nakashima bedarf meines Erachtens einer legitimen und festen Verortung in der Geschichte der modernen Philosophie. Des Weiteren verdient es hier besonderer Erwähnung, dass sein Hauptwerk, „Down with the Cities“ freiwillig vom Japanischen ins Englische übersetzt und in „das Projekt Gutenberg“ aufgenommen wurde. Dieses Projekt übersetzt Publikationen aus aller Welt, die als Klassiker der Menschheit gelten, ins Englische und veröffentlicht sie kostenlos im Internet.

Dadurch, dass dieser Aufsatz T. Nakashimas vortreffliche und unbekannte Überlegungen zu den modernen Städten einbezieht, lässt er sich als Einleitung für seine Bibliographie verstehen. Erst durch die Veröffentlichung seiner Bibliographie kann die Grundlage für die weitere wissenschaftliche Erforschung der verschiedenen Bedeutungen seiner Philosophie geschaffen werden.

 

„Bericht der Pädagogischen Hochschule zu Hokkaido in Japan“, Bd. 71, H. 1, 2020, S. 1-16.

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都市生活者の貧困ーー実家の犬の死、そして中島正の死

六匹の飼い犬の死亡と、都市生活者の貧困

 

実家で犬を飼っていた。私が上京した年から、捨て犬を拾ってきた。ほぼ40年の歴史がある。初代の犬は、ほぼ人間と同じような生活をしていた。土間ではなく、両親の寝室の傍に布団を敷いて寝ていた。両親もまだ、50歳にもなっていなかった。私の名前、伊知朗(イチロ)と発音が同じようなチロと名付けられた。私が上京していなくなった空間に彼女が位置していた。彼女は、自分を人間の一員と思っていたようである。雄犬が来ても、ほとんど無視していた。喧嘩は弱かったが、可愛いかった。優雅な毛を誇り、華奢(かしゃ)という今では聞きなれない言葉が当てはまっていた。

彼女の墓は私が作った記憶がある。この犬の葬儀のためだけに東京から帰ってきた。親族の持山に墓を作り、遠くの河原から石を拾い、墓石代わりにした。墓石を積んで、山の急斜面を数往復した。私もまだ、35歳であり、若かった。その墓も30年以上が経過した今、どのようになっているかは、定かではない。北海道に赴任して20年になろうとしている。その間、ほとんど墓参りから無縁であった。

それ以降、40数年間、ほぼ途切れなく、両親は捨て犬を拾ってきた。すべて雑種であり、血統書などなかった。そして、その世話をした。二匹の犬が同時にいたことも珍しいことではなかった。献身的にその最後まで看取った。

二代目のレオは、手塚治の漫画に由来していた。その名前のとおり、聡明な犬であった。しかし、事情があり、母方の祖母の家に養子に遣られた。祖母の家はかなりの過疎地にありあり、当時、野犬の集団が我が物顔で徘徊していた。この集団と闘争した挙句、死んでしまったようである。遺体はなかった。彼が最初に死んだ。

三代目のチビは、チロが散歩に行く空き地に捨てられたいた。雌犬であったが、喧嘩は強かった。ブルドックと喧嘩して血まみれになって帰ってきたことがあった。彼女は、喧嘩に勝利して意気軒昂であった。当然のことながら、報酬を受け取るのではなく、家族から叱られ、意気消沈した。

勇猛無比な三代目が華奢な初代と本気で喧嘩をすれば、三代目が勝つことは自明であった。しかし、初代のチロには遠慮していた。三代目のチビは土間に寝起きしていた。チロは自己を人間とみなしていた。犬風情が居室に上がることを嫌っていた。それでも、チビは足だけは、人間の居室にかけていた。人間の居室は初代よって占領されていた。初代が威嚇すると、足を引っ込めた。チロの注意が逸れると、また、足だけを居室にかけていた。その繰り返しであった。

三代目を拾ってきた1982年ころ、大学院に進学した。三代目とは、私が大学院時代と重なっていた。金はないが、暇があった。帰郷した折に、散歩に連れていくのは、私の役目であった。歴代の飼い犬のうち、彼女が一番、私と過ごした時間が長かった。散歩に連れていくと、走り回り、なかなか帰ろうとしなかった。四国の夏は夕方でも、30度を超えていた。私はかなり怒ったが、彼女は私を無視して走りまわっていた。その光景を今でも記憶している。

それでも、数回名前を呼ばれると、悪戯を照れるように、尻尾を振りながら家路についた。散歩の後の食事が楽しみであった。食べる前には、一度だけ御手をするように躾けられていた。若かった私は、数回、御手を要求した。怒りもせず、不思議そうにお手を繰り返していた。健気な犬であった。そんなときには、デザートを奮発した。人間と同じように、四国の名物の瓦煎餅等を与えた。元気に食べていた。食べ終わった後でも、私のほうじっと見ていた。欲しい素振りを一切、見せなかった。

四代目はダイスケと名づけられた。猟犬の血が混じているらしく、父方の祖母の足を噛んでしまったようである。そのころ、両親は店舗を構えていたが、よくお客様に吠えていた。仕方なく、母方の祖母に預けられた。番犬としては、優秀であった。

五代目の犬は、コロと名付けらた。人柄ならぬ犬柄がよく、ほとんど吠えなかった。泥棒が来ても、尻尾を振っていたであろう。誰にでも愛想よかった。この雌犬は、体が大きくなり、玄関に鎮座していた。仏様のようにニコニコしていた。通りを歩く人からも愛されていたようであった。

最近、両親が最後に拾ってきた犬、六代目のナナが亡くなった。彼女は、七代目でなかったが、ナナと命名された。発端は父親が後期高齢者になったころ、彼が強引に飼うことを主張した。母親は反対したが、結局飼うことになった。父親の精神の安定には寄与したようである。彼女の命日は、父親の一回忌に遅れること2か月であった。殉死の一種だったかもしれない。父親の強引さがなければ、おそらく保健所送致になっていたであろう。まさに、彼女にとって、父親は命の恩人であった。

私は、そのころ北海道に赴任していた。帰郷した折にしか、会えなかった。北海道から内地に帰郷した時の滞在日数は、数日であった。ナナに対してほとんど馴染みはない。しかし、ナナちゃんという名前は、いしいひさいちのマンガの主人公、ののちゃんと似ていることもあり、気に入っていた。ナナちゃんをののちゃんと呼んでも、彼女には違和感はなかったようである。そのころ、『朝日新聞』を講読していたこともあり、毎日、ののちゃんの漫画を見ながら、ナナちゃんのことを思い出すことも多かった。

母親はすでに後期高齢者である。彼女が、もはや犬を飼うこともないであろう。犬は、10年以上生きる。後期高齢者が10年以上生きることを前提にして、子犬を飼うことはできない。私の家の犬に関する物語も、六代目で終了である。

私は、犬を飼えるような居住形態を採用していない。コンクリートの長屋に住んでいるからだ。落語家、林家彦六師匠の名言を借りれば、マンションに住んでいる都市住民は、長屋の皆様でしかない。マンションの原語は、豪邸を意味してるらしいが、長屋がもっともふさわしい名称である。もちろん、犬を飼うことは禁止されている。私が犬を飼うこともないであろう。生涯、犬猫だけではなく、動物を飼うことから無縁であろう。都市に居住することは、そのような欲望を捨てることにもなる。

都市に居住することは貧しい、ということが実感される。貧困であるがゆえに、都市に住む。土地の香りを味わうことはほぼ生涯ないであろう。中島正によれば、大地は生きている。「大地は生きて呼吸している。自然の霊気はその呼吸とともに地中深く地表へと立ち昇る」。[1] 都市住民は、朝靄と混じる大地の生気に触れることもないであろう。

農村に居住し、一度も岐阜の地を離れることのなかった中島正は、この意味で幸福であった。鶏の世話に生涯を捧げていたからだ。生き物が身近にいた。それだけでも、幸福であった。鶏を抱いた時のなんとも言えない温かみは、格別のものであったであろう。その思想の原理主義的峻厳性にもかかわらず、彼の人柄の良さは、動物を飼うことに由来しているのかもしれない。

 

[1] 中島正『増補版 自然卵養鶏法』農山漁村文化協会、2001年、43頁。

 

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日本のコロナヴィールス-19の感染者数は、5.000人と推定(2020年4月4日現在)ーーマスク信仰ではなく、感染者数の検査を!ーー大本営発表から真実を考える

日本のコロナヴィールス-19の感染者数は、5,000人と推定(202044日現在)――あるいは、本当の死亡者は、すでに10,000人を超えているのかもしれない。

――マスク信仰ではなく、感染者数の検査を!――大本営発表から真実を考える――中村天風の論説の援用

 

                        20200404日 田村伊知朗

                     追記 20200507日 下線部

                     追記 20200822日 太字

 

日本のコロナヴィールス-19( Coronavirus SARS-CoV-2)の感染者の数は、不明である。そもそもほとんど検査していない。保健所でも、38度以上の高熱が4日間継続していないと、検査すらしてくれない。1日だけ高熱が出ても門前払いである。

検査をせずに、マスクを信仰している。マスクをしても、コロナヴィールス-19を排除できない。マスクの穴の大きさは、5マイクロメートルであり、コロナウイルスは、0.1マイクロメートルにすぎない。マスクの穴の大きさは、コロナヴィールス-19( Coronavirus SARS-CoV-2)の約50倍である。マスクの穴は絶望的に大きい。にもかかわらず、マスクをしろと言い、マスクを各世帯に2個無料配布するという。そのような暇と金が余っているのであれば、感染者を発見するための検査をすべきであろう。日本の厚生労働省は暇と予算を持て余していると言わざるをえない。マスク信仰は、かつての言霊信仰を想起させる。現代日本は、マスクによる怨霊退散、そしてコロナヴィールス-19( Coronavirus SARS-CoV-2)退散を祈念しているのであろうか。マスクと感染症予防は、ほぼ2%の関連性しかない。常識的に判断すれば、ほぼ両者は無関係である。

(下線部は、202057日に追記された)。

マスクに関して、中村天風は次のように規定している。「マスクを常用すると、口腔内の粘膜皮膚の生活力や、特に鼻腔内及び咽頭粘膜または気管部の抵抗力をますます弱めて、僅かな病的刺戟にも直ぐ犯されて、鼻やのどに加答児疾患を起す機会を多く作るからである。元来あのマスクというものは、自分が何かの病をもつ弱い体で、他人にそれを伝染させまいと・・・使用すべきもの」である。[1] 自分の健康を保持するためにではなく、他者への配慮をするために、マスクを使用すると明白に述べている。当然であろうが、中村天風は近代思想家であると同時に、医学博士であるという事実を思い出した。そして、中村天風は因習を嫌っていた。

 

(太字部分は、2020822日に追記された)。

中村天風の議論は、より医学的に補強されている。ドイツの文献によって、マスクの免疫力低下だけではなく、バクテリア増殖によってより症状は悪化するであろう。「マスクによって、病気になる。・・・皮膚には、ブドウ球菌があり、マスクと接触する。口の中には、連鎖状球菌がある。孵化器が、長期にわたるマスク使用である。吐息によって、湿った暖かい空気が存在することになり、それをバクテリアが好む」。[2] 特に、日本の夏においてマスクをすることは、人間の免疫力を低下させる。

したがって、感染者数を推測するしかない。202044日現在、ドイツの感染者数は85,778人であるが、死亡者は1,158人である。死亡率1.3%である。[3] 日本の感染数は、2,617人、死亡者は63人である。日本の感染者数は、信用できないが、死亡者数は信用できると仮定している。また、死亡率は、ほぼ日本と同じような医療体制を誇っているドイツと同じであると仮定してみよう。約1.3%いうドイツの死亡率を参考にして計算してみると、日本の感染者数は、4846人である。スウェーデンとほぼ同じであろう。感染者数は、5.000人前後であろう。世界の他の国と比較すれば、20位くらいのランクにあると推定される。[4] しかし、スウェーデンの人口は、1,000万人でしかない。その10倍以上の人口を有する日本は、まだ安心してよいのかもしれない。

ただ、ドイツに比べて、日本の死亡者数が二桁異なっている。まさか、死亡者数まで隠蔽しているのであろうか。もし、死亡者数が二桁間違っているのであれば、本稿の推定も無意味となろう。その可能性を筆者は危惧している。もちろん、病院でコロナヴィールス-19の感染者が死亡すれば、この死亡者数に換算されるが、自宅での死亡者、たとえば重度の癌患者、糖尿病患者が死亡すれば、死亡診断書にはたんに心不全と書かれるだけである。たとえ、この重度の癌患者がコロナヴィールス-19に感染していたとしても、死者の感染可能性を調べる町医者はほとんどいない。家族が医者を呼んだときには、患者はすでに死亡している。心不全という診断は適切である。この患者は、コロナヴィールス-19の死者とは換算されない。たとえば、私の親族4人が、自宅で死亡している。4人とも、死因は心不全であった。4人とも重度の疾病、たとえば癌、パーキンソン病等に苦しんでいた。死亡診断書には、すべて心不全と書かれていた。もちろん、間違いではない。しかし、正しいとも思えない。必要なことは、大本営発表を信仰することではない。大本営発表の中にも、真実は含まれている。その事実を総合的に判断するしかない。もし、死亡者が二桁異なっていれば、たとえば1,000人を超えていれば、ドイツ並みの感染者数が日本に潜在していることになる。

また、日本では年間約120,000人が肺炎で死亡している。月間、10,000人である。この肺炎死亡者の内、約10パーセントがコロナヴィールス-19( Coronavirus SARS-CoV-2)に罹患していれば、死亡者数は、半年間で約60,000万人である。イタリアと同程度になる。果たして、どの程度がコロナヴィールス-19( Coronavirus SARS-CoV-2)を主要要因として死亡しているのか、闇の中の事象である。

202044日)

 

 

 

 

[1] 中村天風『真人生の探究』天風会、1994年、242頁。

[2] Masken machen krank. In: Naturkraft-Gesunheit e. V. In: https://naturkraft-gesundheit.de/masken-machen-krank/ [Datum: 07.08.2020]

[3] Vgl. Robert Koch-Institut: COVID-19-Dashboard. In: https://experience.arcgis.com/experience/478220a4c454480e823b17327b2bf1d4. [Datum: 04.04.2020]

[4] Vgl. Coronavirus disease (COVID-19) Situation Dashboard. In: https://experience.arcgis.com/experience/685d0ace521648f8a5beeeee1b9125cd. [Datum: 04.04.2020]

 

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宮廷大、地帝国、地底国というインターネット造語

1. 宮廷大、地帝国、地底国というインターネット造語

  インターネットが社会に普及してほぼ30年になる。この仮想空間において興味深い造語が生まれた。宮廷大(旧帝大)、地帝国(地方旧帝国大学)そして地底国(地方底辺国立大学)なる造語である。宮廷大のなかでも、地方にある旧帝国大学と本州中央部に位置する旧帝国大学は区別されている。また、同じ発音でも、地帝国と地底国は区別されている。地底国は、大宅壮一によって命名された駅弁大学とほぼ同じかもしれない。但し、戦後直後と異なり、鉄道の社会的役割は、かなり減少している。また、駅弁という概念も、平成生まれの学生にとってほぼ疎遠である。若者にとって、駅弁とは駅で購入するのではなく、デパート地下で購入する弁当にすぎない。地底国のほうが、よりその本質を明瞭にしている。

 とくに、地底国教授は、地帝国出身者が多い。たとえば、北海道を例にとれば、北大以外の地方単科大学つまり地底国の教授は、北大出身者によってほぼ占められている。もちろん、地帝国たる北大教授は、北大あるいは宮廷大出身者にほぼ限定されている。

 宮廷大教授が国家公務員総合職を養成するとすれば、地底国教授は、地方公務員養成を主眼としている。しかも、都道府県職員ではない。市町村職員である。後者は数百万人ほど存在している。膨大な数である。

  地底国教授の使命は、財務省高官を養成することではない。国際的な学術会議で、脚光を浴びる研究を公表することでもない。事務次官を頂点にする官僚機構と、現実社会の接点に立つ労働者を養成することにある。つまり市町村の窓口労働者を養成することにある。彼らが優秀であることが、日本の社会の常識を高めることにつながる。たとえば、厚生労働省の事務次官がいかに優秀な政策を立案したとしても、その窓口職員が優秀でなければ、どのような社会福祉政策であれ、絵に描いた餅になる。

  戦前の用語を使用するならば、宮廷大が官吏を養成することを目標にしているとするならば、地底国は待遇官吏あるいは市町村吏員を養成しようとする。彼らが、地域の政策を領導し、日本人の常識を形成している。地底国が、彼らに対する教育の一環を担っている。その事情は、戦前も戦後も同様である。

  このヒエラルヒー的構造のどこかに我々は位置している。

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オンライン講義始末記 

オンライン講義序章――講義内容の公開

 

1.

3月下旬における前期の講義形態予測

 

 オンライン講義が突如、大学教授の身の上に降りかかってきた。本稿はその記録である。2020年3月下旬において、41日開講は困難であるという認識を大学は持っていた。この認識は正しい。5月の連休明けに講義を開始することが決定された。この場合でも、オンライン講義ではなく、通常の教室での講義、つまりオフライン講義(以下、オフライン講義)が想定されていた。オフライン講義に備え、マスクの購入が勧告された。しかし、コンビニエンスストア、ドラッグストアーだけでなく、インターネット上でも、マスクはほとんど購入することが不可能であった。フェースシールドを購入した。525日現在でも、アベノマスクは到着していない。しかし、4月下旬には、連休明けの講義がオンラインで実施されることになった。ただでさえ、書類的整合性が求められる地方国立大学である。地方国立大学事務職員は、漢字の誤謬だけではなく、罫線の太さに至るまで様々な文書修正を教授に要求する。このような事務職員の倫理からすれば、度重なる文書修正は、事務職員に対して過剰な負担を負荷したことは間違いない。

 ちなみに、東京六大学は、前期講義をすべてオンライン講義形式に実施することを決定していた。大学内において、独自の仮想空間を構築できる教授が多数存在していた。また、オンライン講義に精通した教員が乏しい大学でも、このようなシステム構築を外注すればよいだけの話である。対照的に、地方国立大学では、オンライン講義に対する拒否意識が強かった。従来の講義形式に愛着があったという保守意識でしかない。東京六大学を前例にしておけば、事務職員そして教員の負担と不安もより軽減されていたのであろう。

 海外の事情に目を向けてみよう。コロナヴィールス-19(Coronavirus SARS-CoV-2)に対する対策が緩いとされるスウェーデンですら、本年度の大学春学期と秋学期の講義は、オンライン形式で実施することが、早々に決定されていた。東京六大学がオンライン講義を2月下旬あるいは3月初旬に、早々に導入した背景には、オンライン講義がオフライン講義よりも優れているという認識があったはずである。コロナヴィールス-19(Coronavirus SARS-CoV-2)騒動とは無関係に、オンライン講義の必要性が認識されていた。

 

2

オンライン講義への紆余曲折

 

 まず、You tubeによる実況中継を試みた。しかし、この試みはすぐさま挫折した。たった、数分で切断された。この動画サイトのAIが、「暴力革命」、「国王のギロチン」等に反応し、私の近代革命論をすぐさま不適切と認定した。近代革命における暴力の問題は、近代思想史の講義において頻出している。にもかかわらず、実況中継ではすくさま遮断された。これでは、講義にならない。You tubeAIも、厳格すぎて、近代革命の本質まで理解できないようである。しかも、同時実況であれば、オフライン講義と変わらない。むしろ、劣化したオフライン講義しかすぎない。ズームと同様に、オンライン講義の独自の意義は、実況中継において発揮されない。

 次に、ニコニコ動画において事前に撮影した動画を公開した。しかし、限定公開に失敗した。投稿した動画はすぐさま不特定多数によって閲覧可能になった。もし、私の動画を限定公開するためには、コミュニティを形成しなければならない。そのためには、学生すべてがこの動画サイトのアカウントを取得しなければならない。これではアカウントを取得できない学生が多数出現しそうである。

 したがって、You tube に事前録画した動画を投稿することにした。最初の動画投稿には、ほぼ12時間かかった。念のため、講義時間の2日前に投稿することにした。所属大学の大学情報システムを通じて、登録学生に対して、当日13時~19時まで閲覧可能な設定にした。もちろん、オンライン講義は1週間ほど閲覧可能にする設定も可能であった。しかし、オンライン講義をいつでも聞ける状態にすることは、いつも聞かないことにつながる。これは私の個人的体験に由来している。かつてラジオ講座は限定された時間しか、聴取できなかった。そのためには、他の用事をやり繰りし、ラジオ講座を決められた時間に聞かねばならなかった。しかし、現在では1週間前の講座を、録音機能によって数日聴取可能である。いつでも聞けるという安心から、いつも聞かず録音された番組が山積されてゆき、結局、録音されたファイルだけがPCに保存されたしまった。私のドイツ語学習時間は、増えなかった。

 また、出席確認が大学から要請されたので、講義終了後に400字数程度のレポートを決められた時間までに要求した。もっとも、はじめ数人の学生が明らかにインターネット情報をコピペしていた。アリストテレスの民主主義批判を講義しているにもかかわらず、インターネット上、どこにでもあるアリストテレスのポリス論を送付した豪傑がいた。その後、私の講義草稿を数行引用するという条件を課したので、そのような行為はほぼなくなった。この講義課題の設定は、意図しない効果をもたらした。すなわち、私の課した課題は、400字程度の音声を、書き言葉に直すことである。音声になった講義草稿の重要点、400字程度を、文字に直す作業である。この課題を解答するためには、前後300字程度に対して耳を澄まさねばならない。集中して聞くことになった。

 学生の印象では、講義終了後の400字のレポートはかなり負担になっているようである。私の講義草稿から引用し、自分の意見を付することを要求した。オフライン講義では、多くの学生が講義時間を睡眠時間とみなしていた。その都度指摘したのでは、講義は成立しない。そのような怠惰な学生は、ほぼ駆逐された。次回の講義時間に、学生のレポートを総覧し、その内容を敷衍し、回答する「珈琲時間」を設けた。毎回、冒頭部の10分ほどの時間を質問に対する回答として設定した。たとえば、西洋政治思想史の本質とは関係ないが、現代社会において必須の概念、たとえば日本人の宗教意識に概説した。日本人の穢れ、禊等に対する意識も宗教的規範に属するということを説明した。

 

3

オンライン講義の積極面 Ⅰ――淡々とした講義

 

 You tubeに動画をアップし、講義を実施することにした。その利点をここで挙げねばならない。You tubeに動画を上げるためには、その2日前までに、講義を仕上げねばならない。動画配信なので、すべての講義言説をレジュメ形式ではなく、文章にした。もちろん、口語と書き言葉は異なる。しかし、講義内容をすべて文章化した。もし、動画を視聴できない環境にあった場合でも、休講にすることはできないからだ。政治思想史第3回は、8,000字ほどの原稿ができた。ちなみに、第3回講義は、ルターの宗教改革の意義を近代の原理との関連で考察した。原稿用紙換算で20枚ほどの講義内容である。オフライン講義では、約2回で実施した講義が、1回で終了した。草稿文字数で換算すれば、オフライン講義では3,000字しかできなかったが、オンライン講義では8,000字に達することも稀ではない。毎回、400字原稿用紙換算で20枚程度の原稿を準備しなければならない。毎週、二つの講義を準備しなければならない。週末だけでは間に合わない。講義原稿を修正する時間と併せて、56時間、講義原稿と格闘しなければならない。2020年度前期は、2科目、西洋政治思想史と政治学概論(政治学原論と同じ講義内容)を担当している。週末はほぼ、オンライン講義のために費やされる。90分の講義原稿と講義録音を作成するために、土曜日半日、PCの前で集中しなければならない。土曜日全日、日曜日全日だけも間に合わない。月曜日午前中も原稿作成作業に従事している。

 また、録音をすることは、自らの原稿を大きな声で読み上げることである。音読によって講義原稿の不備が明らかになった。オフライン講義でも、原稿を準備していたが、すべて黙読であり、音読するという習慣はなかった。発音の明瞭性も含めて自分の言語が記録される。これまでの30年間、自分の講義を聞いたことはなかった。かなり、言語明瞭、意味不明な言説――この形容は、かつて竹下登総理に対して付せられた特徴づけであった――が、多数あった。今でもあるかもしれない。

 オフライン講義においては、講義内容とは関係のない事柄にも注意を払わねばならない。「飯を食べるな」、「帽子を脱げ」、「私語を慎め」、「携帯電話の電源を切れ」等といった講義内容とは異なる事柄に対しても、注意喚起しなければならない。「教育実習のため、公休扱いにしろ」、「所属ゼミナールで終日、大学外で実習するので、私の講義に出られない」等、学生の個人事情にも、講義内容とは無関係な事柄であったとしても、配慮しなければならない。このような無駄な時間が一切ない。淡々と講義するしかない。また、事務連絡は、大学教育情報システムによって学生に通知される。講義時間は、講義の内容に集中できるし、しなければならない。学生の側からすれば、音に集中できる。私の容姿、服装は一切関係ない。私の表情を窺うこともない。その音声だけに集中できる。学習効果は数倍向上した。特に、講義課題として設定している私の音声を書き写する作業によって、学生の理解力は飛躍的に向上した。

 また、動画は限定公開であれ、インターネット上で視聴される。下手な冗談は記録される恐れもある。一切の冗談を自粛した。冗談は講義への関心を喚起するために、時折これまで意図的に発せられていた。学生に対するこのようなサービスは、一切廃止した。冗談は、その内容が面白ければ面白いほど、社会的な一般常識とは異なる水準で発せられる。不快に思う視聴者が当然いる。不快に思うだけで済めば問題ないかもしれない。人権擁護委員会の審議対象になるでろう。近代の基本的理念、平等という理念を揶揄すれば、しかも学生に理解可能なコンテキストで揶揄すれば、人権侵害とみなされる恐れもある。平等という理念に対する異議申し立てを、学問的に許容できる言語で説明するしかない。人権侵害あるいは法律違反を奨励するような言説は、拒絶されるだけである。ビートたけしの冗談、「赤信号、皆で渡れば怖くない」は有名である。しかし、大学教授がこの冗句と同様な趣旨で発話すれば、道路交通法違反を奨励していると、批難される。国家の法侵犯を奨励していると批判されることは、必定である。講壇と高座は区別されねばならない。このような冗句は、少なくとも講壇から排除されている。肝に銘じている。

 

4.

オンライン講義の積極面 Ⅱ――録音ファイルの分割

 

 90分の動画をアップロードするためには、56個の音声録音ファイルを作成する。のちにこれら複数のファイルを一つのファイルに編集する。学生だけではなく、教授もまた90分の緊張関係を保てない。少なくとも、90分の動画作成のなかで、一回以上、30分以上の長い休憩時間が入っている。自分の肉体的かつ精神的疲労を意識する。前節で述べた冗談の原因もまた、学生の疲労だけではなく、講義者の疲労にあるのかもしれない。オンライン講義は、肉体的にも、精神的にも衰えを自覚している老教授にとって朗報であろう。

5.

オンライン講義の積極面 Ⅲ――大学カリキュラムと大学偏差値の相違

 

 かつて30年前にインターネットが人口に膾炙し始めたころ、大学は東京大学と京都大学だけ必要であり、教員数の大幅な削減が可能であり、その他の大学教員は淘汰されるという言説があった。二つの大学で講義されている科目をオンライン講義で受講すればよいという考えである。たとえば、教職課程で選択必修科目である政治学概論は、少なくとも全国で数百、数千開講されているはずである。また、法学部、政経学部で開講されている政治学概論に相当する科目、政治学原論を加えれば、その数は増大するであろう。それに応じて、非常勤講師を含めて、担当教員は数百、数千にいるはずである。二人の教授が担当すれば、それ以外の数百人、数千の教員は余剰である。

 この言説は正当性を持っているのであろうか。西洋政治思想史も、政治思想史、近代政治思想史そして社会思想史も含めれば、数百人の教員が講義を担当しているはずである。学部のカリキュラム総体においてその位置づけは異なっている。それぞれの大学における学部の事情、学生の偏差値に応じた講義が求められている。少なくとも、東大法学部の政治学原論を地方国立大学の教育学部の学生に聴講させたとしても、ほとんど理解不能である。後者において、政治学は私の講義だけで終了する。彼らは、ルター、況やミュンツァーという名前をもはや他の科目で聞くことはないであろう。政治思想史は教育学部の専門科目であるが、実質上、教養科目に位置づけられている。

 

 

 

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内容とその形式、あるいは実体とその外観ーーいしいひさいち官僚制論

内容とその形式、あるいは実体とその外観

 

いしいひさいち『ドーナツボックス』第5巻、いしい商店、2018年、11頁。

 

5201811

 

  風車発電は、自然的世界に存在する風を利用してエネルギーを産出する装置である。自然界に存在しているエネルギーを別の形式のエネルギーに転換し、新たなエネルギーを人間が利用する。しかし、役人はそのように考えない。風車が回らなければ、電気エネルギーを使用して風車を回転させる。ここでは、新たな形式のエネルギーが産出されたわけではない。むしろ、電気エネルギーを浪費する。石油、石炭等の化石燃料の使用を減少させ、自然エネルギーを使用することによって、環境破壊を減少させようとする。この大目的は、彼らにとって考察対象外である。

 官僚的行為の目的とは、どこにあるのであろうか。風車を回転させるという外観を住民に認識させるだけである。実体的世界においてエネルギーを新たに利用可能にするという本来の目的を忘却し、外観だけを御化粧する。官僚は、実体的世界の改善つまり新たなエネルギーの獲得ではなく、風車が回転するしているという指標にしか問題にしていない。

 同様な事柄が株式市場において生じている。株価は、国総体の経済活動の指標と言われている。経済活動が活発になれば株価が上昇し、停滞すれば下落する。実体としての経済活動の指標の一つが、株価である。しかし、経済官僚は、そのようには考えない。株価を上昇させることに狂奔する。年金積立管理運用独立法人は、基本ポートフォリオの約50パーセントを国内株式と海外株式市場に投入している。世俗的表現をもちいれば、鉄火場に有り金をほとんどぶちんこんでいる。株価は上昇しないはずはない。この独立行政法人そして日本銀行が株価を維持していると言っても過言ではないであろう。そして、次のように弁明するにちがいない。株価の上昇によって、日本経済の実体も好影響を与えるであろうと。しかし、それは、火力発電によって得られた電気によって風車が回転し、新たな風力エネルギーが獲得されることと同様であろう。

  

 

 

 

 

 

 

 

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