『ドイツ路面電車ルネサンス』に関する書評

 『ドイツ路面電車ルネサンス――思想史と交通政策』(論創社、2024年)に対する書評が、新聞等において幾つか公刊されている。年内に数本、交通学研究者によって公刊予定である。なお、学会誌の書評は、2025年10月以降になる。(右クリックすると、画像が鮮明になる)。

 

2.2 書評 石塚正英(東京電機大学名誉教授)「ホモ・モビリタスの創出ーーアクチュアルにしてカルチュラルな議論」『週刊読書人』2024年11月8日、4頁。

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論創社のサイトにも、同一の書評が掲載されている。

https://ronso.co.jp/%e3%80%90%e6%9b%b8%e8%a9%95%e3%80%91%e3%80%802024%e5%b9%b411%e6%9c%888%e6%97%a5%e4%bb%98%e3%80%8e%e9%80%b1%e5%88%8a%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e4%ba%ba%e3%80%8f4%e9%9d%a2%e3%81%ab%e3%80%8e%e3%83%89%e3%82%a4/

 

2.1 書評 無署名「独交通網の発展を解明」『四国新聞』(朝刊)2024年10月25日、18頁。

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論創社のサイトにも、同一の書評が掲載されている。

https://ronso.co.jp/%e3%80%90%e6%9b%b8%e8%a9%95%e3%80%91%e3%80%8e%e3%83%88%e3%82%99%e3%82%a4%e3%83%84%e8%b7%af%e9%9d%a2%e9%9b%bb%e8%bb%8a%e3%83%ab%e3%83%8d%e3%82%b5%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%80%8f%e3%81%ae%e6%9b%b8%e8%a9%95/

 

1.2 新刊紹介 『鉄道ダイヤ情報』交通新聞社、2024年10月号、94頁。

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1.1 書評論文 高橋一行(明治大学名誉教授)「路面電車の語ることーー田村伊知朗『ドイツ路面電車ルネサンス 思想史と交通政策』に触れつつ ―― (政治学講義番外編)」『公共空間X』。 In: http://pubspace-x.net/pubspace/archives/11709. [Datum: 28.07.2024].

『ドイツ路面電車ルネサンス』に関する補遺

『ドイツ路面電車ルネサンス』に関する補遺

(三一頁)

 一九六〇年~一九七〇年代において、ドイツの多くの都市から路面電車の軌道が撤去された。片側二車線であれば、軌道を撤去することによって、自動車、とりわけ動力化された個人交通の走行空間は倍増した。(九八頁)この意味をより広義の近代思想史のコンテキストにおいて再吟味してみよう。道路空間における渋滞の意義を再検討してみよう。なぜ、交通計画者は自動車の渋滞問題をその政策の第一意義的課題とみなすのであろうか。その解答は、渋滞が近代の至高の価値規範である自由の侵害であると判断されたことにある。近代思想の基礎を形成した思想家の一人、ホッブスが移動の自由を無数の自由においてその価値階梯の至高の位置に置いたことと関連している。長くなるが、本書を引用してみよう。「移動性概念は、ホッブスの自由概念においてその端緒という役割を担っている。『自由は、移動障害の非存在に他ならない。・・・各人にとっての自由は、その人が移動できる空間の大小に応じて、大きくなったり、小さくなったりする』。人間の自由は、その移動可能な空間の拡大に依存している。移動性概念は自由概念の下位的な構成要素ではなく、その端緒へと高められている。イギリス社会契約論が移動性概念を自由概念とほぼ同一視したことは、現代の移動性概念にも継承されている。移動性概念に対する肯定的評価が無制限になることによって、移動の自由が、無数に存在している自由のうちで特権的な上位概念として位置づけられる。『移動性は、一般的に肯定的なものとして設定され、価値階梯において最上位に位置づけられ、制限に晒されていない』。移動の自由は、他の種類の自由によって制限されておらず、無数に存在している自由に関するヒエラルヒーの最上位に位置づけられている」。(三一頁)

 たしかに、渋滞は移動の自由、すなわち近代の無数の自由に関するヒエラルヒーの至高の存在を侵害している。しかし、ホッブスのこの見解は、現代においてそのまま妥当するのであろうか。もちろん、現代の交通計画者は、ホッブスを読んだことはほぼないであろう。しかし、彼の思想を契機として形成されてきた近代思想の脈々した流れが近代人の思考枠組を規定しているのかもしれない。移動の自由が他の種類の自由とどのような関係にあるのか。少なくとも、渋滞を解消することによって、他の自由を侵害するという思想枠組は、現代の交通計画者の意識において存在しているようには思われない。

 

(四五―四六頁)

「大規模発電所の建設」の意味

都市近郊における大規模発電所の建設というイノベーション

安価な電力を都市全域に供給可能になった。遠くの発電所ではなく、都市近郊における電力供給が可能になったことにより、より安価かつ都市全域への電力供給が可能になった。このイノベーションなくしては、都市全域への電力供給は不可能であった。

『ドイツ路面電車ルネサンス』の刊行

 2024年7月30日に、論創社から『ドイツ路面電車ルネサンス――思想史と交通政策』(ISBN: 978-4-8460-2303-4)を上梓した。

 本書は、近代における交通と移動性の普遍的意義に関する考察から始め、前世紀初頭における路面電車の隆盛、前世紀中葉におけるその没落、そして前世紀末におけるそのルネサンスに至る過程を再検討してる。ドイツ路面電車ルネサンスの意義が、都市交通政策及び近代思想史のコンテキストにおいて解明されている。とりわけ、公共交通手段である路面電車を思想史的観点から討究するという研究方法は、本邦の読書界において人口に膾炙されていない。しかし、この交通政策史における画期的事象は、近代の時代精神によって必然的に産出された。同時に、このルネサンスがほとんどの都市において生じなかった不可避的理由もあり、その論拠が解明された。本書は本邦での最初の試行である。

 もちろん、この意図が成功するか、否かは、本書の内容に依存している。400字詰め原稿用紙で600枚程度の分量がある。当初の想定では、1,000枚を越えていた。そのような大著の定価は1万円を越え、市場では流通しない。それゆえ、この事象の事例研究、ハレ及びベルリンの路面電車の延伸過程に関する具体的な研究部分を削除して、その理論編だけを先行出版した。本書の刊行後、『ドイツ路面電車ルネサンスの栄光と挫折――ハレとベルリン(仮題)』として出版する予定である。

ジュンク堂書店池袋本店(特別展示)

https://x.com/junkuike_jitsu/status/1819219343693303996.

国会図書館(及び公立図書館)

https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I033602518.

大学図書館

https://ci.nii.ac.jp/ncid/BD08004601.

ドイツ国立図書館(ライプチヒ)

https://portal.dnb.de/opac.htm?method=showFullRecord&currentResultId=per%3D%22tamura%2C%22%20AND%20per%3D%22ichiro%22%20AND%20jhr%3D%222024%22%20AND%20Catalog%3Ddnb%2526any&currentPosition=0&cqlMode=true&bibtip_docid=1338985728.

ベルリン国家図書館

https://kvk.bibliothek.kit.edu/view-title/index.php?katalog=STABI_BERLIN&url=https%3A%2F%2Fstabikat.de%2FRecord%2F1899363734&signature=3EGZsyMp8XaXwGB80vuitqujLv-YivLO_7tH9SiGIEI&showCoverImg=1.

オーストリア国立図書館(ヴィーン)

Doitsu romen densha runesansu : shisōshi to kōtsū seisaku<br> - Österreichische Nationalbibliothek (onb.ac.at)

バーゼル大学図書館

https://swisscovery.slsp.ch/discovery/fulldisplay?docid=alma991171958306505501&vid=41SLSP_NETWORK:VU1_UNION&lang=en.

論創社

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20240714     

『ドイツ路面電車ルネサンス』:自著を語る

『ドイツ路面電車ルネサンス――思想史と交通政策』:自著を語る 

                                                         田村伊知朗

 

 

田村伊知朗『ドイツ路面電車ルネサンス――思想史と交通政策』(論創社、2024年)。

論創社:https://ronso.co.jp/book/%e3%83%89%e3%82%a4%e3%83%84%e8%b7%af%e9.

 

はじめに

 「自著を語る」という形式が、近年ではかなり一般化している。この形式は、インターネット上において稀ではなくなっている。京都大学出版会のある叢書において、この形式の論稿を公表することが、その著者の義務として制度化されている。[i] この形式は、半世紀前には、ほとんど想定されていなかったが、インターネットの普及によって可能になったようである。そこでは、「まえがき」あるいは「あとがき」以前の問題意識等、書籍では書けない事柄、すなわち書籍の統一性を破壊する事柄も、この公表形式によって執筆可能になった。また、著書公刊以後における読者からの批判に対しても、リプライ可能になった。

 

本書の基本的立脚点

 第一に、路面電車ルネサンスに対する本書の基本的立場に言及してみよう。本書は、路面電車の都市交通政策の総体における意義を宣揚し、そのルネサンスを推進すべきであると主張しているわけではない。もちろん、本研究は、路面電車を動力化された個人交通(=自家用車)、バスそして地下鉄と比較して、動力化された交通及び旅客近距離公共交通におけるその交通政策的意義を取り扱っている。(第二章第三節~第六節、第七章第一節~第三節)しかし、本書は、路面電車ルネサンスをドイツの全ての都市において推進すべきであると主張しているのではない。自動車の社会的役割の意義も顧慮されている。とりわけ、動力化された個人交通が近代の普遍的原理の一つである自由概念によって基礎づけられているかぎり、この交通手段を廃棄することは不可能であろう。(第二章第五節~第六節)

 本書では、原理主義的観点から路面電車が考察されていない。原理主義とは社会における様々な諸原理のうちから、ある特定の原理を取り出し、それに依拠して交通政策を論じることである。本書は、原理主義から自由である。思想としての整合性と、その社会的受容性は、一致することはない。したがって、都市総体における路面電車の網状化を意図しているわけではない。自動車を廃棄すれば、都市環境は格段に向上するが、自動車なき都市生活を目的にしているわけではない。自動車の機能を代替しうる大量公共交通の可能性を探求しているにすぎない。[ii]

 第二に、本書の研究方法論に言及してみよう。本研究は、数学的方法論と物理学的方法論から無縁である。これまでの交通学はこの二つの方法論によって支配されてきたと言っても過言ではないであろう。もちろん、筆者はこの二つの研究方法論の意義を否定しているのではない。これらの方法論が現在の交通学の隆盛をもたらしたことは否定できない。しかし、これらの方法論を用いることによって、交通学の全体像は、ほぼ知覚不能になっている。対照的に、本書は統合科学的方法論に依拠している。「統合科学的方法論は既存の諸学問の成果を媒介にすることによって、その全体的形象の把握を目的にしている。本研究もまた、この方法論に依拠している」。(237頁)[iii] フェルトハオス等によって提唱されてきた統合科学的方法論を用いることによって、本書はドイツ路面電車ルネサンスの全体像の把握を目的にしている。同時に、このドイツの研究方法論は、本邦の歴史学的方法論、つまり近年浮上してきた歴史知的方法論と交差する。「経験知・生活知、総じて感性知と、科学知・理論知、総じて理性知・・・・・・その二種の知を時間軸において連合させる21世紀的新地平、そこに立つ。こうした〈地平〉において歴史知は成立し、歴史知はパラダイムとして確立する」。[iv] 統合科学的方法論が、歴史知的方法論と意味論的親近性を獲得する。

 第三に、本書の題名、とりわけそれに冠された「ドイツ」という限定性に言及してみよう。もちろん、後期近代における路面電車ルネサンスは、ドイツだけではなく、アメリカ合衆国、フランスそして本邦でも生じており、ドイツだけに限定されているわけではない。しかし、研究書は、そもそも限定された領域に関するものである。それぞれの国におけるこの交通政策史に刻印されるべき事象は、国ごとに微妙に異なっている。「路面電車ルネサンスを基礎づけた思想、例えば自然環境の破壊に関する認識及びその意義づけも、それぞれの国において独自の歴史的起源を持っており、必ずしも同一位相にあるわけではない」。(236頁)それゆえ、本書はその研究対象を一つの国、ドイツに限定している。もちろん、研究対象はドイツ以外でも選択可能である。しかし、本書執筆の基礎になった事例研究は、ドイツ再統一以後のハレ市、ベルリン州の路面電車の延伸計画の実現過程に関する考察に基づいている。[v] それゆえ、事例研究という特殊性から出現したその普遍的考察も、ドイツという限定性を免れない。

 さらに、研究対象をドイツに限定するという理由は、その根拠になった研究文献をドイツ語文献に限定していることと関連している。もちろん、日本語、英語そしてフランス語で執筆された研究文献にも、優れたものは数多いであろう。しかし、本書はその依拠すべき研究論文をドイツ語文献に限定している。「本研究の課題は、ドイツ路面電車ルネサンスを意義づけることにある。それゆえ、日本語によって本文を執筆しているにもかかわらず、本研究が依拠する研究文献は、前世紀後半から今世紀において公刊されたドイツ語文献にほぼ限定されている」。(236頁)どのような偉大な研究書であれ、依拠すべき研究論文は限定されている。有限な人間が優れた研究論文全てを入手し、それを読解することは不可能である。むしろ、依拠すべき論稿の限定性を明示していることによって、本書は他の研究書よりも誠実であろう。もちろん、本研究が前世紀後半から今世紀初頭に公刊された全てのドイツ語論文を読解していると主張しているのではない。むしろ、管見に触れた論文の方が、はるかに少ないであろう。本書は、その限定された時間のなかで読解された研究論文に依拠することによって成立している。

 第四に、本書が路面電車ルネサンスの根源的理由をどのように考察しているのか、に触れてみよう。本研究は、その根源的根拠を都市構造の変容(第四章)と都市環境問題の悪化(第五章)とみなしているが、そのどちらが、より根源的であろうか。本書は、前者を路面電車ルネサンスの根源的理由と考えている。都市空間の限りなき拡大とそれによる交通、とりわけ動力化された個人交通の増大、これに対する反措定としての交通縮減の思想こそが、このルネサンスを思想史的に基礎づけている。本書は、交通縮減という思想を第四章において考察している。交通の増大の必然的根拠は、都市構造の変容にある。都市交通政策史における画期的事象は、交通思想史における画期的思想によって基礎づけられている。

 したがって、環境問題だけに依拠することによって、このルネサンスが生じたわけではないし、都市構造の問題を看過すれば、環境問題の改善は個人的な倫理的要請にとどまり、実現化は砂上の楼閣とならざるをえない。「都市住民が交通態度を決定する際に、空間構造が問題になる。交通態度は、都市住民の主観的意志ではなく、客観的な都市構造によって前もって決定されている。交通手段の選択に際して、都市住民がどれほど善を意志しようとも、その裁量余地は、ほとんど無化されている。・・・・・・交通縮減を目的にする秩序政策が、要請されている。都市構造が変革されることによって、交通縮減が構造的に可能になる。この思想の端緒は、交通を最初から縮減できることにある」。(126頁)都市住民の交通態度は、都市構造によって前もって決定されている。そして、交通縮減は、空間構造の変容によって初めて実現される。「統合された交通計画という基礎的思想は、以下の考察に基づいている。すなわち、交通計画が他の計画領域、とりわけ空間計画と調和し、結合している場合だけ、交通問題は解消されうる。この概念の出発点は、交通産出的な空間構造が、(動力化された)交通拡大の本質的原因の一つであるという点にある」。[vi] 交通、とりわけ動力化された交通が都市住民の生活において必要不可欠になるのは、それを必要としている空間構造にある。都市交通政策は、この構造に依存している。

 都市郊外が限りなく拡大するのではなく、市民生活にとっての不可避の機能が都市中心街へと帰還することによって、新たな都市理想像が提起される。「住宅地と職場が適度に凝集し、都市機能が多種多様に混合されており、そして公共空間が魅力的であることによって、都市住民は遠距離を移動することなしに、快適な生活を享受できる。住宅、職場そして公共空間が一体化し、コンパクトな都市が形成される。とりわけ、住宅が都市郊外ではなく、都市中心部において建設される。すなわち、都市機能が都市中心部において集積されるべきであるという表象が、都市構造の理想像として提起された。・・・・・・この秩序政策は、都市郊外から都市中心部への都市機能の還帰を促す」。(129-130頁)路面電車という交通手段は、人口が集積された都市中心街においてのみ有効に機能する。都市機能が都市中心街へと帰還することによって、路面電車ルネサンスが生じる。

 最後に、本書には、400字詰め原稿用紙換算で、100枚以上のドイツ語要約が添付されている。その根拠は以下の点にある。「仮に、本書にドイツ語要約が添付されていないと仮定してみよう。その場合、本書の存在自体が、ドイツ語圏の研究史において刻印されることはないであろう。・・・・・・しかし、ドイツ語要約が添付されることによって、本書は旅客近距離公共交通及び路面電車ルネサンスに関するドイツ語圏の研究史において位置づけられる」。(235頁)ドイツ語要約によって、本書は、本邦だけではなく、ドイツの研究史に位置づけられる。また、日本語索引にはドイツ語が添付されている。ドイツ語翻訳の妥当性を検証するためである。

 

おわりに

 本書は、ドイツ路面電車ルネサンスの理論編である。この理論研究の土台になった事例研究、すなわちハレ市とベルリン州における路面電車の延伸計画の実現過程と挫折過程に関する考察が、既に準備されている。『ドイツ路面電車ルネサンスの現実態――栄光と挫折(仮題)』が、近日中に公刊されるであろう。

 

 

[i] 京都大学東南アジア地域研究研究所編「叢書紹介プロジェクト『自著を語る』」. In: https://edit.cseas.kyoto-u.ac.jp/ja/jicho/. [Datum: 02.08.2024]、参照。

[ii] Vgl. Hrsg. v. City: Mobil: Stadtverträgliche Mobilität. Handlungsstrategien für eine nachhaltige Verkehrsentwicklung in Stadtregionen. Berlin: Analytica 1999, S. 30.

[iii] 本文中における頁数の記載は、本書のそれを表現している。

[iv] 石塚正英『歴史知と学問論』社会評論社、2007年、7-8頁。

[v] 例えば、田村伊知朗「後期近代の公共交通に関する政治思想的考察―ハレ新市における路面電車路線網の延伸過程を媒介にして」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第66 巻第1 号、2015年、213-223 頁、参照。

[vi] Hrsg. v. City: Mobil: Stadtverträgliche Mobilität, a.a. O., S. 43.

Die tiefe Trauer über das Ableben von Prof. Dr. Heinz Pepperle

Die tiefe Trauer über das Ableben von Prof. Dr. Heinz Pepperle

(1. Juni 1931 bis 24 März 2023)

 

                                                                                                                                                 Japan, den 22.08.2024

                                                                                                                                                 Prof. Dr. Ichiro Tamura

 

Aus dem ganz weit von Deutschland entfernten Fernost betraut ein japanischer Wissenschaftler das Ableben seines ehemaligen Betreuers an der Humboldt-Universität zu Berlin, Prof. Dr. Heinz Pepperle. Die wissenschaftliche Hilfeleistung und Fürsorge vom großen Wissenschaftler über die Junghegelianer könnten die Begründung von der späteren wissenschaftlichen Karriere des japanischen Doktoranden in der Heimat vorbringen, so dass der zurückgekehrte Aspirant nach einigen Jahren mit einer Arbeit über die politische Philosophie des jungen Edgar Bauer im deutschen Vormärz promovierte.

   Der kürzlich verstorbene Professor spielte für den japanischen alten Wissenschaftler in seiner Jugendzeit die Rolle eines wesenhaften Doktorvaters, welcher die entscheidende Bedeutung über die wissenschaftliche Behandlung der noch unbekannten Junghegelianer zeigte. Erst sein angemessener Ratschlag könnte dem japanischen jungen Doktoranden das begreifliche Verständnis dafür entgegenbringen, die tiefen bisherigen Lücken der Forschungsgeschichte über die Hegelschen Linken und die Weltanschauung im Allgemeinen zu schließen.

   Zurzeit beschäftige sich der schon als Rentner eintretende Wissenschaftler nicht mit der philosophischen Erforschung über den Denker im Vormärz, sondern mit der sozialphilosophischen Untersuchung über das moderne Verkehrssystem, ausdrücklich die Renaissance der Straßenbahn in der späten Moderne. Also schwelgt der ältere und im Ruhestand befindliche Menschen in die schöne Erinnerung an die gemeinsam vergangenen Erlebnisse mit dem großen Wissenschaftler über den Vormärz und gleichzeitig auch an seine Jugendzeit an der Berliner Universität und/oder an seine Jugendzeit überhaupt, welche nicht wiedereingenommen werden könnte. 

闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば――中村天風試論 暫定的結論

闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば――中村天風試論

 

1. 中村天風の哲学の魅力

1.1 中村天風の哲学の継続性

 筆者が中村天風の哲学に出会った契機は、偶然の産物である。20世紀最大の哲学者の一人、マルクヴァルト(Odo Marquard 1928-2015年)が哲学に出会った契機も偶然であった「私(=マルクヴァルト)はどのようにして哲学に到達したのか。偶然である。哲学が私に衝突した。昆虫がコーラ瓶に衝突したことと同様に、私は哲学に衝突した」。[1] マルクヴァルトと同様に、偶然ではあれ、筆者にとって中村天風の哲学は宇宙の真理に到達しているように考えられた。もちろん、彼の哲学すべてが永遠の真理を有してしているはずはない。しかし、その一端に彼は確実に触れているのであろう。

中村天風(18761968年)の哲学が日露戦争前後から形成されていたことを考えると、ほぼ100年の歴史を有している。哲学を専門にしている大学教授は、日本のこの1世紀において、数千人、数万人以上いたからもしれない。彼らによって出版された哲学書あるいは哲学に関する研究書は、数万冊に至るかもしれない。しかし、現在でも読書界において確固たる地位を保っている書物は、非常に数少ない。しかも、その影響を受けた人々は、哲学者だけに限定されていない。

この1世紀に渡る時間のなかで、中村天風(18761968年)の哲学が東郷平八郎元帥等の著名人に対して影響を与えた。[2] 日本人だけが、彼の哲学に対する信奉者でもなかった。著名な外国人、例えばロックフェラー3世も彼の思想に触れる機会を持った。[3] 偶然であれ、多くの人間が、彼の人格そしてその思想に触れ、より安楽な生を送ったであろう。

 

1.2 専門知と素人知の区別

なぜ、彼の哲学がほぼ1世紀近く、その命脈を保ってきたのであろうか。その根拠の一つは、彼が専門知と素人知を区別したことにある。彼の人間論や宇宙論が、例えばハイデガーの哲学よりも優れていたからではない。専門知が素人知に加工されず、その存在形式が保持されているかぎり、彼の哲学書の大半は、国会図書館の書庫の奥にたまった埃にまみれていたであろう。彼は専門知の限界を明確に理解していた。「私の知れる限りをとことん説明いたしません。・・・この集まりがね、・・・基礎医学の知識ばかり持った人の集まりだというと、また説明はもっとずっと立体的に深くなっていくんですが、そういう説明になると、今度はあなた方が皆目わからなくなっちまいます」。[4] 中村天風の啓蒙対象そして講演対象は、専門知を理解しない素人である大衆である。専門家に対する説明と大衆に対する説明は、ここでは明白に区別されており、彼の思想は大衆によって支持されてきた。

 

1.3 理解の容易性

 例えば、ある日本人が、ハイデガーによって提起された本来的自己を理解しようとしてみよう。ドイツ哲学史において刻印された哲学を理解するために、大衆はその難解な書物を購入しなければならない。彼の哲学書をドイツ語で読解するためには、ドイツ語の初等文法から学習しなければならない。ドイツ語の文法構造を完全に習得したとしても、彼の叙述形式はドイツの知識人ですら理解しがたい難解な構造を持っている。彼の全集を読むだけで数十年の年月がかかるであろう。途方もない時間がこの作業の前提として横たわっている。数十年後には、この日本人の生命すら風前の灯になっているであろう。

 本来的自己に到達する方法は、ハイデガーの著作総体において見出し難い。本来的自己は、哲学史においてほぼ確定しているが、個人がそれに至る方法論は、未だ発展途上にあるように思われる。対照的に、中村天風はその方法を日常的に実践可能な方法によって提示している。「いわゆる先哲識者はと称せられる人々は、種々の言葉をもって、理論の演繹方法を入念にしているが、肝心のそれを現実化する方法手段という一番大切なことに少しも論及していない」。[5] 彼は理論を提示したのちに、その実践方法を体系づけている。

 

1.4 思想と実践

 対照的に、中村天風の哲学は、多くの人の病気、煩悶、貧乏等の悩みを解消した。その実用的価値から、彼の哲学が現在でも影響を与え続けている。彼の哲学が人口に膾炙した根拠の一つは、日常的生活において実行可能な提言であることにある。中村天風は、それに至る一つの途として、日常生活において積極的言葉を使用するという誰でも実行できそうな提言をしている。「言語というものには、頗る強烈な暗示力が固有されている。従って特に積極的人生の建設に志す者は、夢にも消極的の言語を、戯れにも口にしてはならないのである」。[6] もちろん、厳密に考えれば、この命題を実行に移すことはかなり困難である。哲学的背景を持っているこの言葉を聞くことによって、多くの人が肩の荷を少し下ろし、煩悶から解放された。積極的言葉をより使用し、かつ快濶に、はっきりと発音することが肝要であろう。これだけでも、肩凝りの症状が軽くなった人は数多いであろう。

 あるいは、他人の悪口を言わない、できる限り他人の良い点を褒める、ということも実行できそうである。他人の悪口は、自分の心の清浄性を冒し、自分自身を貶めることにつながるであろう。宇宙霊から与えられた自己の生命、そして自己の心を汚すことにつながる。宇宙霊から活力を得ることは、できない。自分の心の汚濁は、疾病の素であろう。雑念や妄想を自己の心から追放すれば、このような心境になれる。その方法は次のようになっている。「雑念、妄想を除くのは、・・・無念無想になりゃいいんです。・・・いっさいの感覚を超越して・・・いっさいの感情、情念を心になかに入れないで、純真な気持ちになることが無念無想なんです」。[7] この心境に至るための道筋は、彼によって示されている。

しかも、中村天風の思想はこのような事柄に限定されない広大な背景を持っている。彼の思想は、巷に溢れている自己啓発に関する書物、あるいは軽薄短小なビジネス本と区別されるべき射程を持っている。多くの彼の信奉者と同様に、彼の哲学を纏めてみよう。しかし、彼の哲学書に関する解釈書は数多いが、その宇宙論から根源的に解釈した書物は数少ない。本稿がその一助に寄与すれば幸いであろう。

 

  1. 人間的自然と宇宙

2.1 闇の夜に鳴かぬ烏の声

「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば、生まれぬ先の親ぞ恋しき」という有名な詩歌は、一休宗純(13941481年)によって作成された、とみなされている。この解釈は古来より多々あるであろう。中村天風もまた、この和歌を講演、訓話等で引用していた。[8] 本節では以下のように解釈したい。私という一回かぎりの生を現生に送り出したもの、闇の奥にあるものが存在しており、その声が聞こえるはずだ。私もたまに、聞こえるような気もするが、どうであろう。少なくとも、その声を聞こうとしている。

鳴かぬ烏の声とは何か。私という人格を送り出し根源的なものとは何か。私に何を託そうとしているのか。宇宙が進化するか、否かはわからないが、何かをするためにここにいることは、間違いないであろう。私がここに存在している究極の根拠が問われている。その根源的なものに関して考察してみよう。人間あるいは人類の歴史に関して、どのような寄与ができるのであろうか。

 

2.2  宇宙観とプランク定数h

この問題に解答するために、中村天風の宇宙観に言及してみよう。彼の世界観によれば、「人間は宇宙の進化と向上に順応するために生まれてきた」。[9] そして、「この宇宙の創造を司る造物主と称する宇宙霊」こそが、人間を創造した。[10] しかし、この宇宙は進化するのであろうか。「宇宙の本来が進化と向上にある」。[11] 宇宙は進化し、向上する、と断言している。宇宙が進化する根拠に関して中村天風は曖昧である。宇宙が根源的で絶対的であれば、進化も向上もする必要はないからである。現象界に送り出された人間は、宇宙に寄与することは何もない。

 しかし、次のように考えることによって、中村天風はこの難問に回答を与えている。中村は、宇宙霊を日々変化している生命体とみなしている。「宇宙霊は、休むことなく働いている。創造に瞬時の休みもなくいそしんでいる活動体である。だからこそ、この宇宙はつねに更新し、常に進化し、向上しつつあるのである」。[12] 中村天風によれば、生命体つまり有機体として宇宙霊こそが、宇宙エネルギー総体である。この中村天風によって把握され、命名された宇宙霊が、自然的人間の環境世界を包んでいる。[13] 「宇宙霊なるものこそは、万物の一切をよりよく作り更える」[14]  宇宙霊は、現象界を改善する方向へと変化させる。人間がその用意をした場合、「造物主(宇宙霊)の無限の力が自然に自己の生命の中へ、無条件に同化力を増加してくる」。[15] 現象界において人間は、この宇宙の本質を無限に受容できる。

この思想は次のように要約される。「宇宙の最初は、ただ宇宙霊のみであった」。[16] ここまでは、私にも理解できる。しかし、なぜ宇宙霊は絶対的ではなく、進化あるいは変動するのか。この点が理解困難であった。

 

2.3  プランク定数h

 しかし、中村天風は宇宙霊を固定的に考察するのではなく、エネルギーと周波数の関係つまり超極微粒子のブランク定数hとみなしている。「万物能造の宇宙エネルギーは、この空間と俗に人々から呼称せられているものの中に、遍満している『絶対に人類の発明した顕微鏡は、分光器では、何としても分別感覚することの不可能な・・・見えざる光であるところの超極微粒子』だと論定している。しこうして、この『超極微粒子』を、今から半世紀以前にドイツのプランク博士が、これをプランク常数Hと名付けた。このプランク常数Hなるものこそ、ヨガ哲学者のいう宇宙霊なのである」。[17] プランク(Planck, Max 18581947)によって発見されたプランク定数hは作用量子(Wirkungsquantum)であり、つねに活動している。これは、この光子のエネルギーと周波数の関係であり、固定的なものではなく、常に流動している。共鳴子の振動は、その振幅と位相を変化交替させる。

 中村天風によれば、鳴かぬ烏の声あるいは生まれぬ先の親は、ブランク定数hである。「なにもかもすべて、あにあえて、人間ばかりじゃない。現象界に形を現わしている物質はみな、その根源は見えないElementary particle (素粒子) だ」。[18] 現象界において個別的肉体が生成する以前に、その根源は形成されていた。すべての肉体と精神は、この超極素粒子に還元される。

但し、この流動性は、以下のような作用量子に関する中村天風の独自の解釈に基づいている。「宇宙現象の根源をなすところの『気』というものは、(+)の『気』と(-)の『気』の二種類に分別される。そして、プラス=+の『気』は、建設能造の働きを行い、マイナス=-の『気』は、消滅崩壊の働きを行って、生々化々の現実化のため、常に新陳代謝の妙智を具顕しているのである」。[19] この中村天風の言説がプランク定数hにおけるどのような要素と関連しているのか、不明である。

 通常の宗教学によれば、宇宙霊とは唯一絶対神であり、固定的に思惟されている。例えば、ユダヤ教あるいはキリスト教における唯一絶対神が、流動的であるはずがない。この常識に囚われていた私は、宇宙霊を固定的に考察していた。

 

2.4 宇宙の進歩

 もちろん、宇宙が進歩しているかどうかに関して異論はある。宇宙には進歩という概念がないという宇宙観もまた、真理である。もちろん、宇宙が固定的ではなく、流動的であるという断定に異論はない。しかし、その流動性に進歩があるか、否かに関してはわからない。

数千年における人間の歴史という尺度において、果たして宇宙には進歩がないかもしれない。「循環=繰り返しには『進歩』がない。・・・田舎(農業)は、この大自然の『永遠の循環』『進歩なき繰り返し』と共にあるべきものである」。[20] 進化あるいは進歩は自然において存在しない。中島正はこのような東洋的宇宙観に基づき、その思想を形成している。中村天風の宇宙観は、中島正の宇宙観から区別されている。しかし、どちらの宇宙観が正当であるかは、時間的尺度の差異に基づき決定される。中村天風は数億年単位で、中島正は数千年単位で宇宙を考察している。また、前者は惑星を含めた宇宙総体に基づき宇宙を考察していることと対照的に、後者は地球総体に基づき宇宙を考察している。

 

3.  道具としての肉体と精神

3.1 人間の本質

 中村天風の宇宙観によれば、生命体を含む物質の根源は素粒子である。したがって、自己の本質は、肉体でもなければ、精神でもない。「自己それ自身と自分のpossess (所有物)とはちがうはずだもの。体や心は自分ではない。自分というこの気体である真我の本質が、現象界にある生命活動をするために必要とする道具なんですよ」。[21] 心すら、自己の本質とは別物である。肉体至上主義だけではなく、精神至上主義もまた否定されている。「自分というものは・・・肉体や心をつくって、さらにそれを使って命を活動させようとする生命の根本中枢である霊魂という気体だ」[22] 人間はこの気体を認識する必要がある。

 確かに、精神はかなり状況依存的である。特に、感情は不確かである。肉体も少しの変動で、逆転する。便秘になっただけで、かなり憂鬱になる。

 気体である真我の本質が、自己の精神と肉体を統御する。「人の生命は宇宙の創造を司る宇宙霊(=神仏)と一体である。そして人の心は、その宇宙霊の力を、自己の生命のなかへ思うがままに受け入れ能う働きをもつ」。[23] 宇宙の本質としての気体と個人が一体になることによって、精神と肉体の欲求すらも統御できる。真我は心でも、精神でもない。

真我の認識は、精神と肉体を超越している。したがって、肉体にも心にもとらわれていない場合に初めて、真我に到達できる。何にも捕われておらず、眼前の事柄に没頭しているとき、真我に到達できているのかもしれない。心と身体を超越して、課題に取り組んでいるときに初めて、真我に到達できる。

 しかし、多くの知識人は、精神と肉体の虜になっている。自己の本質ではない精神と肉体の欲求を制御できない。真我が現れなくなっている。精神も肉体も真我の声を聴くことができない。個別的個人としての私の存在意義を理解できなくなっている。しかし、真我はどのようにして認識されるのか、未だ不明である。

 また、精神と肉体以外に真我が存在するとすれば、死後、つまり自己の肉体と精神が破壊された後、真我はどのようになるかも、不明である。中村天風は死後の世界に関して、ほとんど論述していないように思われる。

 

「珈琲時間」1 【他者の存在と闇の夜に鳴かぬ烏の声を聞くために】

 

3.2 宇宙霊と自然的人間

自己の本質が真我であるという認識に基づくかぎり、これ以後は一瀉千里である。[24] 「わが生命は宇宙霊の生命と通じている。宇宙霊の生命は無限である」。[25] 宇宙霊と人間の精神が同一化される状況へと自己の精神を方向づけるだけである。「人間は、恒に宇宙原則に即応して、この世の中の進化と向上とを現実化するという、厳粛な使命をもってこの世に生まれて来た」。[26] 宇宙の進化と感応する人間的精神の目的が、明瞭に述べられている。「闇の夜に鳴かぬ烏の声」は、一度だけではなく、日々聞いている、あるいは聞こえているのかもしれない。宇宙霊は日々、変化している、あるいは向上している。万物の根源である宇宙霊が変化している以上、それを受容している人間もまた変化している。人間は、その変化を受容できる。「人の心は、その宇宙霊の力を、自己の生命のなかへ思うがままに受け入れ能う働きをもつ」。[27] なぜ、人間はその能力をもっているか。その解答は、宇宙霊が人間を創造したからだ。しかし、このような結論は、循環論法に陥っている。

 

3.3 自然的人間の潜勢力

ここからは、心を積極的にするための方法論の実践だけである。例えば、怒り、怖れ、悲嘆ではなく、感謝と歓喜の感情に満ちた生活をおくることが重要である。「宇宙の神霊は、人間の感謝と歓喜という感情で、その通路を開かれる」。[28] 宇宙霊と自然的人間の精神が合体することによって、積極的感情が満ちる。自然的人間の運命も積極化する。このような消極的感情は、自然的人間の心にはない。

 このような積極的感情が生成する根拠は、人間には生命力が備わっていることにある。「人間の生命の内奥深くに、潜勢力という微妙にして優秀な特殊な力が何人にも実在している」。[29] 人間的自然の内に、宇宙霊の積極性を受容する力が備わっている。宇宙進化と同様に、人間も進化することが前提にされている。以下では、この進化へと至る具体的方法を列挙してみよう。この具体的実行例は、多くの信奉者が日々配慮しているのであろう事柄に属している。

 

3.4 自然的人間の目的

 自然的人間は、目的を持って存在している。そして、生まれる前から、何らの目的を持っている。闇の夜の鳴かぬ烏の声によって規定されている。「自分がある目的をもって生まれてきた」。[30] 造物主つまり宇宙霊によってこの世に出現した。理想を持つことが、重要である。生まれぬ先の存在者の目的、つまり理想をつねに明確にしなければならない。「常に気高い標準をもって、しかも人生理想を変更しないで心に描いている人は、・・・その理想を現実になしえる資格を自分でつくっている・・・宇宙霊の力がそれへドンドン注ぎこまれんだから」。[31] その理想は、つねに自己の精神において保持されねばならない。どのような環境世界に生きようとも、明るく、朗らかに、生き生きとして生きることによって、宇宙霊からのヴリル=活力を心身に取り入れることができる。この理想は、心が清浄である場合にだけ、実現される。「心の世界には人を憎んだり、やたらにくだらないことを怖れたり、つまらないことを怒ったり、悲しんだり、妬んだりするというような消極的なるものはひとつもない」。[32] 

「やたらにくだらないことを・・・つまらないこと」に鈍感であること、私の表現方法によれば鈍牛になるべきであろう。鈍牛という愛称で知られた大平正芳元総理は、戦後最高の保守思想家であった。本質だけを追求したようにも思える。

情報は他者から自己に伝達される。生きているかぎり、電話もかかってくれば、メールを受信しなければならない。いちいち、返信するから心労も増えてくる。どうしようもないことは、どうしようもない。相手にしない。相手は、頓珍漢な要求を自己に課してくる。その頓珍漢な要求に対応しようとするから、事態はさらに複雑怪奇になり、頓珍漢は数十倍に増加するしかない。これを避けるためには、清々しい心境に至るしかない。清々しい心境、ひらがなで表現してみよう。すがすがしい。この心境こそが、中村天風がめざした心境のように思える。この心境に至るには、どのようにすべきであろうか。会社で同僚と論争になれば、相手に任せ、疾病になれば医者に任せ、そして宇宙に任せる。自己の肉体すら、宇宙に任せるしかない。人間的意識から独立して、自律神経は自己の役割を遂行する。真我は肉体の機能を自律神経に任せるしかない。人間の喜怒哀楽の感情は、もはや宇宙の法則の前には無力であろう。

もとより、相手を無視すれば社会的評価、会社内での立場も悪くなるであろう。しかし、死刑になることもなければ、解雇処分になることもない。いつものように対処すればよいだけであろう。

本来の人間の心には存在しないにもかかわらず、消極的心境に我々は陥る。どのようにすれば、その状態から逃れることができるのであろうか。そのような状態に陥っていることに気が付いている場合、「その思い方、考え方を打ち切りさえすれば、もう悪魔はそのまま姿をひそめる」。[33] まさに、禅宗の名言、「念を継がない」ことが重要である。悪魔を退散させるためには、どのようにすべきであろうか。中村天風は明瞭に示している。「俺はこの世の中で一番気高い人間だ、俺はいちばんこの世の中で心のきれいな人間だ、・・・それをしょっちゅう思い続けていくんだ」。[34] 先ほどの「鈍」という概念を用いれば、あらゆる情報、要求に鈍感になろうとも、これだけは鈍になれない情報、要求がある。この要求に対応することが、自己の本来的欲求になる。一筋の光が見えてくる。その光こそが、一休禅師が感じた「生まれぬ先の親」であろう。

心が汚れている場合には、それを拭うことが肝要である。人間は、怒り、悲しみ、妬み等、様々な消極的感情に捕らわれる。しかし、怒り、悲しみ、妬み等に拘泥すべきではない。「腹のたつことがあろうと、悲しいことがあろうと、瞬間に心から外してしまえばいいんだ。心を積極的にすることを心がけて、自分の心を汚さないようにするには、気がついたらすぐそれを拭いてしまえばいいじゃないか」。[35] 一時の感情に拘泥しない。打ち切る、念を継がない。しかし、凡人は自己の脳裏に最悪の事態を想定する。その心像に対して恐怖する。この心像も、過去の恐怖を針小棒大に考えているにすぎないことから生じている。「私は必要のないことは雲烟過眼(物事に執着しないこと)、太刀風三寸身をかわす。必要のないものはすーっとかわしちまえさえすればいい」。[36] 何度も消極的事象に対応する必要はない。いちいち反応しない。例えば、自ら感情を刺激する消極的メールが来れば、それに返信しない。返信するのではなく、ごみ箱に入れ、削除する。後生大事に馬鹿げたメールに反応するから、問題を引き起こす。数週間経過すれば、馬鹿げたメールを送信したものも、忘れているからだ。

しかし、なぜ、怒り、悲しみ、妬み等の消極的感情に捕らわれてしまうのであろるか。消極的感情が生じる根拠は、他者に対する過剰な感情移入にある。怒り、悲しみ、妬みの対象は、私の環境世界に存在している他者である。遠い世界に住む名前も知らない人々や過去の人間に対して、眠れぬほど煩悶することはない。例えば、私の知人は、地下鉄等の公共交通において大声で携帯電話によって話している人間に殺意を覚えたそうである。実際に口論になり、かなり不愉快な記憶が今でも、消えないそうである。この怒りは正当であろうか。しかし、自分が乗車していない別の車輛において、同様な行為があったとしても、彼の感情が不安的になることはない。また、キリスト教徒に対して残忍な殺人行為をしたローマ帝国のネロ皇帝や、比叡山焼き討ちを命令した武将、織田信長の行為に対して、煩悶することはないであろう。彼らの名前を日本史や世界史の教科書を通じて知っているだけであり、その人間を直接的感覚によって知覚していない。大声で話しをすることと、僧侶を虐殺すること、どちらが人間の歴史にとって重大であるか、それは自明な事柄に属している。

視野に入った人間、職場の同僚あるいは家族等が、怒りの対象である。夫婦喧嘩などは、その典型である。なぜ、自らを取り巻く環境世界の人間に対して、怒り、悲しみ、妬むのであろうか。過剰の思い入れ、自ら主張に対する異見が、気に入らないからである。その背後には、対象になった人間こそ、自らにとって重要であるという過剰な感情移入がある。彼も、そして彼女も通りすがりの人間である。「列車がフルスピードは走っているときに、外の風景を気にしてはいないじゃないか」。[37] 他者は、「外の風景」にしかすぎない。流れゆく光景の一つでしかない。私の肉体も、そして私の精神も流れゆく風景として外から眺望できるとき、幸福になれるであろう。

この心境を中村天風は以下のように要約している。「急行列車の中で、窓に映るいろんな風景を、フーッ、フーッと雲烟過眼する気持ちが、とらわれのない、執着解脱の心境なのである。・・・不即不離、いらないことは、耳から入ってこようと、眼にふれようと、あるいは感覚に感じようと、つかず、はなれずでなければならない」。[38] 雲烟過眼の心境にあるかぎり、環境世界と不即不離の関係に入ることができる。この心境は、禅宗の生き方にもつながる。道元は、その修行の一つである転座の心の在り方を説いた『典座教訓』を「大心」という概念によって終えている。「大心とは、其の心を大山にし、其の心を大海にして、偏無く党無き心なり」。[39] 典座の心境にとって重要な事は、些細なことによって自己の精神を混乱させないことである。その対象の現象形式である重さ、軽さに拘泥することなく、自然の風景を見ても、その現象形式である春秋の区別に心惹かれることなく、自然の風景の本質を忘却することはない。事柄の本質を理解し、その現象形式が人間の心に介入することを防ぐ。

さらに、自己の宇宙霊から与えられた使命に殉じることは、徹頭徹尾、自己本位に生きることにつながる。自己つまり真我の意志に従うことである。「意志とは、真我そのものが絶対純正のもので、その純正なるものの属性であるから、これまた絶対純正なものである」。[40] 真我の命令である意志が、精神的領域つまり心において生じたものを客観的に思量することが重要であろう。自己の心に生じた事柄が冷静に第三者の視点から考察されるべきであろう。「一切精神領域に発生するものは、心がそれを感じるのあると、丁度第三者の動静を看るようにすべての心的作用や心理現象を思量するという意識観念を習慣づけるのである」。[41] 自らの心に生じた雑念を真我の視点から考察することによって、意志の力が発現される。真我の使命を認識すれば、精神に高揚感が生じる。世俗的表現を用いれば、身体が熱くなる。もちろん、微熱があるわけでない。丹田が熱せられるような高揚感を受ける。

もちろん、真我の使命とおりに生きているのではない。日々、真我の使命と矛盾しなくても、日々、様々な事象と格闘しなければならない。例えば、確定申告の書類を作成することは、真我の使命とどのような関係にあるか不明である。

しかし、本源的使命は、他者の言動、他者の振舞を真我の立場から見る。他者からどのように言われようと、他者からどのような評価を下されようと、自分には無関係である。「『わずらわされる』というのは、心が『物』かまたは『人』かに『役』せられる状態のことで、天風哲学のほうからいうと、自己の心が相対事象(それが物であれまた人であれ)に奪われた状態・・・詳しくいうならばその主位を乗っ取られたときのことをいうのである。・・・・自己の人生というものは、あくまでも自分のものであり、決して他人のものではない。しかし、心が物や人に対して主位にあり能わずして、これに役せられ、わずらわされたのでは、勢い大切な『心』が物や人に主座を奪われ、やむなく従座につかねばならぬこととなる」。[42] 例えば、食事という行為の最中には、食事に集中する。それ以外の煩瑣なことに気を奪われない。主座は食事であり、それ以外のことは従座にすぎない。環境世界にある他者あるいは物は、自己と本質的関係を結ばない。宇宙霊によって与えられた自己の使命にとって、環境世界の他者、自己以外の物体は、流れる風景の一コマに過ぎなくなる。

宇宙霊と自己を統一可能であれば、天上天下唯我独尊の境地に至る。現代社会では、たんに自惚れと誤用されているが、自己の使命に目覚めるとき、唯我独尊が、自己の身体と同一化するであろう。

自らの使命を自覚することは、何も特別な使命を考察することを意味するのではない。むしろ、自己が為している日常的行為、料理、掃除、勉学、仕事等に没頭することにある。もし、没頭できたとき、精神は清々しさを感じることができる。没頭しているとき、他者の批判、否他者の存在すらどうでもよいことに思える。「楽しい」ではなく、「清々しい」と思えるとき、幸せでしょう。後者の場合、精神あるいは身体の底から、何かが出ているのかもしれません。

 自然人が行うすべて行為を、気を込めて行う。他のことをしながら行為することを慎む。例えば、煙草を喫するという行為を私は、気を込めて行おうと思う。いままで、勉強しながら、あるいは音楽を聴きながら喫煙してきた。煙草それ自体を味わっていなかった。近年、喫煙所で煙草を喫することが強制されている。しかし、喫煙所では、煙草一本、一本を愛しむようにして喫するようになった。机の側で喫するときでも、煙草を味わってみたいと思う。

同時に、他者の言動、他者の態度ではなく、自らの言動、態度に批判的考察を加えることも重要であろう。他者を批判するなど、時間の浪費にすぎない。「真に自己省察なるものが、人生向上へのもっとも高貴なことであると自覚している者は、・・・他人のことに干渉する批判という無用を行わずに、常に自己を自己自身厳格に批判して、ひたむきに自己の是正に努力することを、自己の人生に対する責務の一つだと思量すべしであろう」。[43] 他者との関係ではなく、自己の現在を省みて、その正当な途を思量しなければならない。 

 

4.人生建設のために必要な生命力

4.1 6種の生命力

 生命力は、以下の6つに分類されている。体力、胆力、精力、能力、判断力、断行力の6つに分類されている。[44] この生命力は6つに分類されているが、それぞれ相関している。人間の生命の内奥には、崇高な使命を現実化するための潜勢力が備わっている。ここでは、2番目の胆力について言及してみよう。胆力は一般的な人間の生命力においてほとんど言及されない。胆力は後期近代の知識人にはほとんど顧慮されていない生命力の一側面である。単純化して言えば、右顧左眄しないことである。中村天風の思想の独自性として注目される。

周知のように、彼は武道とりわけ剣道において当時の一級の使い手であった。日露戦争直前の満州において、清龍刀の達人を殺したことが知られている。当時の軍事探偵としての使命を全うした。真剣で殺人を殺すという行為には、潜在的には自分が殺されることも含まれている。

 

4.2 周章狼狽

単なる思い付きで行動しないことである。思い付きは慌てるときに生じる。「慌てるというのは、またの名を周章狼狽というが、これは心がその刹那放心状態に陥って、行動と精神とが全然一致しない状態をいうのである」。[45] 通常、行動と精神はほぼ一致しない。通常、行為には前もってその選択肢が考察されている。ある状況における選択肢は、前もって用意されている。段取りという言葉によって表象される行為は、すでに考察済であったはずである。にもかからわらず、人間は周章狼狽する。人間は周章狼狽しようとしなくても、収まるところに収まる。すべては、よくなる。

問題は、現在の状況を引き起した過去の原因を探求することではなく、現時点での自己の環境世界を考察することである。環境世界の資源を活用することによってしか、窮地から脱出する方法はないであろう。窮地から脱出する方法は、必ず存在している。冷静沈着に環境世界を見回せば、火中ですら、活路つまり「逃げ道」はある。窮地から脱出する方法は、必ず存在している。「宇宙の絶対的な実在の世界から、この現象世界を観ずれば、真実『困ったこと』などありえないのです。・・・『すべてはよくなる』のです」。[46] 「困ったこと」は、この世では生じない。少々の困難に出会っても、周章狼狽しないことによって、困ったことは眼前から去ってゆくはずである。「私はもはや何事も怖れまい。それはこの世界並びに人生は、いつも完全ということの以外に、不完全というもののないよう宇宙真理が出来ているからである」。[47] 宇宙真理からすれば、「困ったこと」など存在するわけはない。否、人間がこの真理を獲得することによって、困難は解決される。

さらに言えば、最終的に、人間はすべて涅槃寂静の世界にゆく。結論は前もって決定されている。刑務所の絞首台から行こうが、家族見守られてられ行こうが、最終的には素粒子の世界に帰還するしかない。そのような心境になれば、問題ないであろう。生き急ごうが、生き急ぐまいが、すべての目的地は同一である。中村天風試論から外れているような気もするが、目的は同一である。アニメ「一休さん」の歌詞のように、「気にしない」ことが、重要であろう。

 

「珈琲時間」2 【胆力は、環境世界の変化を看過する力である】

 

4.3 一つのことへの集中――柳生但馬守(柳生宗矩)と沢庵禅師(沢庵宗彭)の問答

 人間は一つのことしかできない。「柳生但馬守が未だ修行中のおり、沢庵禅師に次のような質問をしたことがある。『一本の剣は扱いやすし、されど、数本ともなればいかになすべきや?』と。禅師答えて曰く、『・・・数本もやはり一本一本扱うべし』」。[48] 中村天風から学んだ生き方に関する方法論は幾つかあるが、この方法論は私を魅了した。瞬間、瞬間に人間ができることは、一個でしかない。そのときどきの課題に集中するしかない。現在の課題、一本の剣に集中し、それ以外の剣に注意を向けないこと、これが中村天風の真意であろう。

 現在の課題を考える際に、どうでもよい煩瑣なこと、つまり現在の課題とは無関係な事柄、例えば金銭的事情、世間体そして利害関係等が参入してくる。これを除去し、現在の課題に集中することが、重要であろう。往々にして、俗人は現在の課題が何なのか、忘却している。それを明白にしてそれに集中することによって、次の課題が見えて意識化される。(「6.4  自分のことを自分でする」参照)

 この一節は、中村天風論を理解するために、重要であるので、沢庵和尚の原文を参照してみよう。中村天風論を考察するうえで、困難な点は、彼が大衆的な啓蒙運動を重視していることによって、自己の言説の典拠をほとんど示していない点にある。[49] ただ、この柳生宗矩と沢庵宗彭の対話は、日本語の文献から引用していることが明白であるので、ここで、原文を示しておこう。「十人の敵が一太刀ずつ、こちらに浴びせかけてきたとしても、一太刀を受け流して、跡に心を止めず、次々に跡を捨て、跡を拾うならば、十人すべてに働きを欠かぬことになる。十人に十度心が働いても、どの一人にも心を止めなければ、次々に応じても、働きは欠けますまい。もし、一人の前に心が止まるならば、その一人の太刀は、受け流すことはできても、二人目の時は、こちらの働きが欠ける」。[50] この沢庵宗彭の原文は、中村天風の議論と同旨とあるとしても、さらに注釈を必要としているのであろう。すなわち、一つの行為に心を留めず、次々に生じる事柄に心を働かせることが重要であろう。この心境は、単に武道の心得だけにとどまらず、人生の事柄一般に妥当するであろう。沢庵宗彭のこの言説は、ある点に心が留まれば、次の事柄に心が働かなくなる。ここで暗喩されている不動智は、一つの事柄に心を留めることではない。むしろ、逆である。留まらないことが、不動智である。

 

 

「珈琲時間」3 【現在の限定性を確認するための方法

 

5. 理想的人間像への精進

5.1  価値ある人生

 人生は一回限りである。人間が現世において生きていることが、奇跡のようである。したがって、人間の本質は尊い。「価値ある人生を活きるには、先ず自分の本質の尊さを正しく自覚することが必要である」。[51] 何か使命あるいは意義を持って現世において生まれてきた。価値高い生き方が万人に可能である。その価値高い生を可能にするためには、「霊性満足」を指向するしかない。この目標をかかげるかぎり、失望や煩悶もないはずである。「『霊性満足』の生活目標なるものは小我的欲求の満足を目標とするものではなく、・・・自己の存在が人の世のためになるということを目標とする生活であるからである」[52] 自己の存在理由が、人間の環境世界に寄与する。

 しかし、人の世にとって私の存在がどのように寄与するのか。あるいは、別の言葉によれば、世界における私の役割を自覚することは、簡単ではない。しかし、私の生が存在すること、出発点はそれ以外にはない。

 

5.2 自分の心の更新

 心は日々、更新されねばならない。「日々更新の宇宙真理に順応するためには、先ず自己の心を日々更新せしめざるべからず」。[53] 宇宙の目的が進化と向上あるか、否かは、現在の私には判断できない。しかし、宇宙の形態が変化していることは、異論がないであろう。その変化に私つまり私の心も変化する。宇宙霊に自己の本質があるかぎり、私の心もその変化に対応しなければならない。

 

5.3 積極的言葉の使用

 中村天風の偉大さは、この理想的人間像の形成への道筋を示していることにある。彼の死後、半世紀が経過しても、彼の思想が参照される理由もまた、この点にあろう。この実践的方法論をここで再録してみよう。自然的人間が生きる道標にとして、中村天風の哲学は価値がある。

 誰でも、無意識に使用している口癖がある。それを対象化する。使用している言語、とりわけ無意識に使用している言葉を意識化することが、中村天風の思想を理解するために必要である。「言語は自己感化に直接的な力を持っている」。[54] 言語活動が自己の心を影響づけるからだ。自己によって発話された言語が、自己の心境を影響づける。積極性を指向しない口癖は、彼の哲学が意識化されていない証拠である。厳に慎むべきであろう。

それは、山岸巳代蔵の主張にもある。「いつでも快適な状態、これが真の人間の姿だ」。[55] ここでも消極的ではなく、積極的な人生が真の人生であるとされている。「大変なことが起きたようなことでも、大変なこととは思わない」。[56] 積極的なこと、やるべきことが見つかれば、大変なことも大変でなくなる。現前の課題が追求されるべきであろう。

 

5.4 諸事万事気を込めて行う

削除

 

5.5. 他者との関係、その一、三勿

他者に対して、機能的関係に限定して交際すれば、煩悶が生じることはない。君子の交わりは、淡きこと、水の如し。この関係を他者とのどのような場面でも、貫徹できれば問題ないであろう。しかし、私は他者に対して、怒る。悲しむ。怖れる。「最後に必要な注意は、三勿の実行ということである。三勿とは何を意味するかというと、(1)、勿怒、(2)、勿悲、(3)、勿怖の三つの事柄である」。[57] 私は他者に対して、このような消極的感情に支配されている。過剰に他者に期待することによって、そのような感情が芽生える。煩悶すれば、生命維持のための活力が大幅に減少する。にもかかわらず、消極的感情に支配されている。中村天風を咀嚼していないからであろう。

人間は、激しい暴風雨に出会うこともある。その暴風雨に出会っているときには、環境世界を見据えることはできない。暴風雨が去り、冷静になると対処法があったことに気づく。後の祭りである。問題は、暴風雨に出会っているときに、冷静になれないことである。冷静になるには、どのようにすべきであろうか。どのようにして、消極的感情を制御するのであろうか。

中村天風自身は、この三勿と同時に、三行を挙げている。三行とは、正直、親切、愉快である。「三勿三行を厳格に実行して、自己の尊厳を冒瀆する消極感情の清算を現実にすべし」。[58] 彼の思想において、三勿三行と六つの概念が統一的に把握されている。しかし、彼と同程度の心境に達していない初心者からすれば、三勿を回避するために、三行を目標とすべきではないのであろうか。通常の人間は、三勿でなく、怒り、怖れ、悲しむ。しかし、より、三行を指向することによって、三勿の心境に到達できるように思われる。三勿三行は分離し、とりわけ後者の愉快――但し、単なる陽気な心境ではないーーの状態にいたれば、怒り、怖れ、悲しみから解放されるような心境に至るであろう。

怒り、怖れ、悲しみという感情は、通常、自己の行為を起点としている。自己の何らかの必然性に基づき、他者あるいは環境世界に働きかけた結果、生じる。例えば、他者に親切にした行為、他者に贈り物をした行為、これらは何らかの内的必然性に基づいた行為である。しかし、その反応は、想定した結果とは異なる。自己の行為は、行為を実施した時点で終了している。他者の反応に対する感情は、無意味である。むしろ、内的必然性の妥当性を問わねばならない。

 

「珈琲時間」4 【煩悶の対象として他者】

 

 

5.6 他者との関係、その二、清濁を併せ呑む

 

 他者の悪い側面、すなわち自己にとって悪い側面が気になることがある。しかし、他者、より一般化して言えば、他の物を含めた環境世界全般には消極的側面がある。その側面のみを強調すれば、まさにこの対象を憎むことになり、まさに、自らが怒り、そして悲しみ、煩悶する。それによって、他者、他物そして環境世界一般を憎悪する。もちろん、その部分は憎むべき対象であるとしても、それ以外の側面もある。この心境が高じると、環境世界それ自体を憎悪するしかない。「清濁をあわせ呑まない心でこの混沌たる人生に活きると、自分の活きる人生世界が極めて狭いものになる。そして、その上に、ことごとに不調和を感じる場合が多くなって、しょせんは人生を知らず識らずの間に、不幸福なものにしてしまう」。[59] ある人間、ある物そしてある環境世界の一側面、それがよしんば消極的、否定的であろうとも、それを憎悪してはならない。それ以外の側面があるからだ。「彼には、・・・与しがたき習癖があるとか等々の理由をつけて批判排斥して、せっかく結ばれた因縁を無にするというのは、むしろ極言すれば、天意を冒瀆する者というべきである。天意を冒瀆する者には、また当然の報償が来る、天意の報償は絶対にしていささかの仮借もない」。[60] 他者の悪癖を憎悪してはならない。自分のためである。天意の冒瀆の結果は、自己に還ってくる。

 さらに、他者を批判するということは、自己の現状に対する批判が蔑ろになっていることに由来する。「自己批判を厳正にしないと、どうしても他人の批判にのみ、その注意がいたずらに注がれることになりがちになるものである」。[61] 自己の現状に対する注意が向いておらず、現状の方向性が曖昧になっているときに、他者の批判という安易な方向に向かう。他者を批判している自分は、安穏として無傷のままである。進化も積極性も欠けている。 

 

「珈琲時間」5【函館市という憂鬱と矜持】

 

「珈琲時間」6 【地底国教授の憂鬱と矜持】

 

6. 理想的人間への具体的方策

6.1 助けを求めない。

まず、運命の主人公になるためには、悲鳴を上げないことが重要である。「悲鳴を上げないことを第一に自分に約束しなさい」。[62] 悲鳴を上げたとこで、誰も助けてくれない。多くの人は口癖として、助けを求める言葉を発している。例えば、「助けて、皆」あるいは「助けて、神様」という言葉を発している。しかし、そもそも皆あるいは神とは誰であろうか。この言葉を聞いている人は、自分でしかない。自分の人生を自分で決定するしかない。

共同体、例えば『じゃりン子チエ』において描かれているような下町共同体が、このような言語を発する自然的人間の脳裏にある。この無意識に設定した前提は、間違っている。後期近代における社会において、他人は誰も自分の現状に関心がない。この漫画における竹本テツは、つねに両親、子供、地域社会の人々から慕われている。表題とは異なり、この漫画の主人公は竹本テツであろう。彼は、博徒、警官、両親、地域共同体の人と関係している。彼は、下町共同体の住民にとって迷惑な存在である。粗暴で、暴力的そして無教養である。彼らはこの主人公を迷惑な存在と認識しているにもかからず、両者は、終生関係づけられている。この下町共同体の主人公ですらある。この漫画の最終頁に登場人物の集合写真があるが、竹本テツがその中心に位置している。[63] 

近代人は、竹本テツことテッチャンにはなれない。他者に助けを求める人は、そこから過剰な期待を他者、例えば地域社会の人々、あるいは会社の同僚に期待していた。彼らは、限定された時間、限定された空間そして限定された目的においてする人と関係しているにすぎない。家族ですら、その限定性から逃れられない。この条件下でしか、他者と私は関係を構築できない。この関係を超えた別の関係を突然築くことはできない。

もっとも、これ以上書くと、消極的思考に陥る。いずれにしろ、助けを求めず、自分のことを自分でする。助けを求めるような口癖をやめよう。心に隙ができよう。自分の関係のないことには、関与しない。宇宙から与えられた自分の使命を、つねに再認識してゆく。自然的人間はつねにこれを忘れがちである。

 

「珈琲時間」7 【中村天風の哲学の実践例として中途失明者の潔さ】

 

6.2  不満なし

 自然的人間は、自らの現状に不満を持っているが、中村天風は自らの運命を悲嘆することを戒めている。「不平不満を言わないようにしろ」。[64] 宇宙霊がこのような現状に自然的人間を置いている。それは、自らが播いた種でもある。不平不満を言ったから、現状が変革されるわけではない。また、心が汚れる。現状においてできるかぎりの精力を使用することが重要である。さらに、この心境に至れば、現時点での状況配置をより冷静に考察することができる。

目的を定めず、現状においてできるかぎりのことをする。「心に従いながら、がむしゃらにファイトを燃やして行く」。[65] 自己の現状に不満を言うのではなく、現状においてできるかぎりのことをする。現前の課題を心から信じているかぎり、それに邁進するしかない。「結局、当たって砕けろです」。[66] 現存する課題だけに集中する。

 

6.3  とらわれからの脱皮あるいは取越苦労の排除

 多くの自然的人間は、こだわり、心配、取り越し苦労に、とらわれている。そこに拘るかぎり、心配事は永遠に尽きない。中村天風はそこから脱却するためには、別の思考様式を考察している。現存する心配事に意識を集中するかぎり、そこからの脱却はできない。むしろ、現在の課題、現前の課題に集中することを提起している。「自ら顧みて、今あなたたちの心にとらわれがあるとしたら、そのとらわれから抜けださなきゃだめだよ。とらわれから抜け出すのは難しくないんだ。・・・心を打ちこんで何事かをする習慣をつけると、今までとらわれていたはずのものが、向うから出ていってしまう」。[67] とらわれていることから、抜け出ようとすると、よりそのとらわれに執着してしまう。むしろ、現在の課題に集中することが、そのとらわれから脱出することができる。「澄み切った気持ちでもって、気を打ち込んでやると、その結果はというのか、実際ありがたいんだ」。[68] 無意注意ではなく、有意注意力を旺盛にすることが、澄み切った心境をもたらす。

有限な自然人が過去の状況、未来の状況を考慮しても、無意味である。時間は現在においてしか存在していない。「過去、・現在・未来といいって見たところで、それは畢竟、相対的考察に因由する想定(Einbildung)でしかないからであります。即ち、厳格に所論すれば、そのすべての一切は、現在の連続しかない。・・・人間の心というものは、油断をすると、現在からいつしか離れて、役にもたたぬ否、役にたたぬどころか、その結果が自己を或いは病難に、或は運命難という人生不幸に陥らすべく余儀なくされる様な、あらずもがなの方面へと執着せしめ易いという傾向性をもって居るものなのです。要するに、後悔するとか、煩悶するとか、または徒らに精神生命の力を消耗摩滅するに等しい『取越苦労』をするなどというのは、この心の因有する傾向性に適当な制約を与えることを知らぬ人が、その貴重な人生に物好きに味わせて居る愚にもつかない喜劇的の悲劇でしかないのであります。・・・『心は顕在を要す、過ぎたるは遂う可からず、来らざるは邀うべからず』というアノ言句の中の顕在というのは、要するに途上の消息を喝破せし言葉なのであります。・・・ふたたび来らぬものを けゆの日は ただ ほがらかに 活きてぞたのし」。[69] 人間にとって、過去もなければ、未来もない。現在しか存在しないという至言が、中村天風によって表出されている。

 にもかかわらず、多くの人は取り越し苦労に苛まれている。なぜ、心のエネルギーを消耗することを理解していても、この陥穽に陥らざるをえないのであろうか。「まだ現実に現れていない自己の想像や推定で、生命確保に必須なエネルギーを消耗するというのは、痴愚以上のものである。何のことはない自分で自分の心のスクリーンにお化けの絵を描いて、自分で驚いたり怖れたりしているのだから、実に噴飯至極といういうべきである」。[70] 自己の脳裏に描いた幻に恐れおののいているにすぎない。「私はいつも、取越苦労をする人のことを闇の夜道に提灯を高く頭上に掲げて、百歩二百歩の先きの方を、何かありはしないかと気にしてあるくのと同じだといっている。・・・心もまたこれと同様で、みだりに、未だ来たらざる将来のみに振り向けて、肝心の現在を疎かにしたのでは、到底、心そのものの働きさえ完全に行われぬことになる」。[71] 現在の課題に集中することが、取越苦労を回避する必須条件になる。

 

6.4  自分のことを自分でする

 中村天風は、夜具の上げ下ろしを自分でしている。自分のことを自分でする。その習慣化した作業工程、例えば夜具の上げ下ろしの過程において、本日の課題を再認識してゆく。この意義は大きい。「これは感謝の表現としても、寝具はどんな身分のでも自身たたむというように実行されたい」。[72] 寝具をたたむことは、自己統御の原初的行為である。就寝中においてあらゆる動物は、自己統御力を回復する。寝具は、この神聖な時を演出した。人間はそれに感謝すべきである。

 しかし、感謝という言葉は、通常のように、「ありがとうございます」と唱えるこことは違うように思われる。当然の行為として、何も考えない、つまり平常心であり、この心境でもって為す行為であろう。中村天風もおそらく読解したであろう柳生宗矩から引用してみよう。「何もなす事なき常の心にて、よろづをする時、よろづの事、難なくするするとゆく也。道とて何にしても、一筋是ぞとて胸にをかば、道にあらず。胸に何事もなき人が道者也」。[73] まさに、寝具の上げ下ろしをしているということに、拘泥してはならない。もし、これを文字で表現するならば、当然つまり自然として、何も考えないことにある。もし、それを意義づけようとすると、他者の不作為を批判することになる。

 睡眠に入れたこと、睡眠時間中に生きる力を回復したこと、そして目覚めたこと、これらは自己の意識によって遂行されたのではない。これらの行為は、人間の無意識の行為、つまり自律神経の作用によって実行された。

 

[1] Marquard, Odo: Einwilligung in das Zufällige. In: ders. Endlichkeitsphilosophisches. Stuttgart: Reclam 2013, S. 19.

[2] 中村天風『君に成功を贈る』日本経営者合理化協会出版局、2010年、89頁参照。

[3] 中村天風『幸福なる人生』PHP研究所、2011年、118頁:中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、253頁参照。

[4] 中村天風『心を磨く』PHP研究所、2018年、197頁。

[5] 中村天風『真人生の探究』天風会、1994年、94頁。

[6] 中村天風『真人生の探究』天風会、1994年、144頁。

[7] 中村天風『盛大な人生』日本経営合理化協会出版局、2009年、372-373頁。

[8] 中村天風『心を磨く』PHP研究所、2018年、61-64頁、340頁参照。森本暢『実録 中村天風先生 人生を語る』南雲堂フェニックス、2004年、201頁参照。

[9] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、87頁。

[10] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、87頁。

[11] 中村天風『真理のひびき』講談社、2006年、93頁。

[12] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、83頁。

[13] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、67頁参照。

[14] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、90頁。

[15] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、137頁。

[16] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、80頁。

[17] 中村天風『叡智のひびき』講談社、1995年、71頁。

[18] 中村天風『心を磨く』PHP研究所、2018年、340頁。

[19] 中村天風『真人生の探究』天風会、1994年、171頁。

[20] 中島正『都市を滅ぼせ 人類を救う最後の選択』舞字社、1994年、49頁。

[21] 中村天風『心を磨く』PHP研究所、2018年、47頁。

[22] [22] 中村天風『心を磨く』PHP研究所、2018年、71頁。

[23] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、199頁。

[24] 中村天風は、『叡智のひびき』においてプランク定数hに実在するエネルギー源泉としてヴリル(Vril)という概念を用いている。この概念がプランクの作用量子論におけるどの概念に該当するのかは、不明である。別の論稿においてこの概念は宇宙ではなく、その現象界における人間的自然の活力として考察されている。中村天風『叡智のひびき』講談社、72; 中村天風『真人生の探究』天風会、1994年、195頁参照。

[25] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、146頁。

[26] 中村天風『真人生の探究』天風会、1994年、42頁。

[27] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、199頁。

[28] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、172頁。

[29] 中村天風『真人生の探究』天風会、1994年、15頁。

[30] 中村天風『盛大な人生』日本経営合理化協会出版局、2009年、119頁。

[31] 中村天風『盛大な人生』日本経営合理化協会出版局、2009年、118頁。

[32] 中村天風『盛大な人生』日本経営合理化協会出版局、2009年、130頁。

[33] 中村天風『盛大な人生』日本経営合理化協会出版局、2009年、130頁。

[34] 中村天風『盛大な人生』日本経営合理化協会出版局、2009年、157頁。

[35] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、158頁。

[36] 中村天風『心を磨く』PHP研究所、2018年、139頁。

[37] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、158頁。

[38] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、228頁。

[39] 道元『典座教訓』中村璋八他編『典座教訓、赴粥飯法』講談社、2009年、133頁。

[40] 中村天風『研心抄』天風会、2017年、84頁。

[41] 中村天風『研心抄』天風会、2017年、86頁。

[42] 中村天風『叡智のひびき』講談社、1995年、251-252頁。

[43] 中村天風『叡智のひびき』講談社、1995年、89頁。

[44] 中村天風『真人生の探究』天風会、1994年、45頁参照。

[45] 中村天風『真理のひびき』講談社、2006年、191頁。

[46] 沢井淳弘「天風式『自己暗示』のしかた」清水克衛他『実践 中村天風 困ったことは起こらない!』プロセスコンサルティング、2012年、38頁。

[47] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、262頁参照。

[48] 中村天風『真理のひびき』講談社、2006年、194頁。

[49] 本稿、「1.2 専門知と素人知の区別」、参照。

[50] 沢庵宗彭『不動智神妙録』(市川白弦訳『不動智神妙録・太阿記』講談社、1982年、59頁)。

[51] 中村天風『真理のひびき』講談社、2006年、22頁。

[52] 中村天風『真理のひびき』講談社、2006年、32頁。

[53] 中村天風『真理のひびき』講談社、2006年、92頁。

[54] 中村天風『幸福なる人生』PHP研究所、2011年、140頁。

[55] 山岸巳代蔵「無数の愛人と共に/愉快の幾千万倍の気持ち」山岸巳代蔵全集刊行委員会編『山岸巳代蔵全集』第2巻、2004年、302頁。

[56] 山岸巳代蔵「本当の人間 当然の人生」山岸巳代蔵全集刊行委員会編『山岸巳代蔵全集』第2巻、2004年、304頁。

[57] 中村天風『真人生の探究』天風会、1994年、151頁。

[58] 中村天風『叡智のひびき』講談社、1995年、257頁。

[59] 中村天風『叡智のひびき』講談社、1995年、138-139頁。

[60] 中村天風『叡智のひびき』講談社、1995年、141頁。

[61] 中村天風『叡智のひびき』講談社、1995年、151頁。

[62] 中村天風『幸福なる人生』PHP研究所、2011年、140頁。

[63] はるき悦巳『じゃりン子チエ』第47巻、双葉社、2004年、300-301頁参照。

[64] 中村天風『幸福なる人生』PHP研究所、2011年、141頁。

[65] 中村天風『幸福なる人生』PHP研究所、2011年、156頁。

[66] 中村天風『幸福なる人生』PHP研究所、2011年、169頁。

[67] 中村天風『幸福なる人生』PHP研究所、2011年、237頁。

[68] 中村天風『幸福なる人生』PHP研究所、2011年、239頁。

[69] 中村天風『哲人哲語』天風会、2019年、162-167頁。

[70] 中村天風『真人生の探究』天風会、1994年、162-163頁。

[71] 中村天風『真人生の探究』天風会、1994年、166頁。

[72] 中村天風『真人生の探究』天風会、1994年、237頁。

[73] 柳生宗矩(渡辺一郎校注『兵法家伝書』)岩波書店、1985年、56頁。

 

 

 

 

ドイツ帝国市民運動・ライヒスビュルガー (Reichsbürger)ーードイツ的なものの喪失という思想状況

 ドイツ帝国市民・ライヒスビュルガー (Reichsbürger)が、ドイツの治安問題として問題になっている。しかし、この運動は、後期近代においてドイツ的なものの喪失と関連している。たんなる、コロナヴィールス-19( Coronavirus SARS-CoV-2)に関する政策問題や、陰謀論に還元されてはならない。この運動は、ビスマルクによって象徴されるドイツ第二帝政にドイツ的なものの起源を求めようとしている。あまりにノスタルジックなその外見に幻惑されてはならない。

 

 もはや、この運動の意義は、ドイツ的なものは、ドイツ語しかないという状況において、初めて理解される。ここにおいて、もはや、ドイツ的なもの、ドイツ人気質(Deutsche Mentalität)は、消滅している。ドイツ的なものをドイツ語以外に求めることは、差別になるからである。人種、宗教、家柄等出自に源泉を発する如何なる概念も、ドイツ的なものと関連づけることは、差別につながる。ドイツ語を使用する人間、これがドイツ人になる。

 

 この状況を創り出した根拠は、最近の30年における連邦政府の政策にある。この運動の端緒は、ベルリンの壁崩壊以後、世界中に蔓延している国際化という潮流に対する反対運動にあろう。検察による検挙理由であるクーデターという19世紀的な運動形式に、幻惑されてはならない。近代思想における大衆民主主義の進展というコンテキストに晒されている社会的状況下において、この運動は初めて理解される。地球市民という概念が、主権国家あるいは地域の個別性と特殊性を、個人の嗜好に還元したからだ。

 

 日本においても、これから日本的なものは、ますます解体される。朝鮮半島、中国大陸との対抗軸において、日本の独自性ひいてはその優越性が議論されている。しかし、日本的なもの、日本精神ひいては大和魂それ自体が、日本列島から消え去ろうとしている。世界に冠たる日本精神が、日本語しかないとなったときに、ドイツ帝国市民・ライヒスビュルガー (Reichsbürger)と類似した運動が、本邦においても生まれるであろう。

 

 しかし、国際化を進展させようとする政治状況において、ドイツ帝国市民・ライヒスビュルガー (Reichsbürger)は弾圧される。日本的なものを奪還しようとする運動も同様である。この運動の必然性とその解体が、予見されている。後期近代において、現存秩序を破壊しよとする運動は、新左翼運動と同様に社会的に葬らされる。この運動がどのような思想を胚胎しているかにかかわりなく、政府そして社会から仮借なく駆逐される。たんなる暴力集団として、秩序を支配している階層から、弾圧されるだけに終わるであろう。

「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば――中村天風試論」における「珈琲時間」の統合

「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば――中村天風試論」における「珈琲時間」の統合

 

「珈琲時間」0 【中村天風試論」における「珈琲時間」の改編】

 

「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば――中村天風試論」における「珈琲時間」

 

 

20220801日投稿済

「珈琲時間」0 【中村天風試論」における「珈琲時間」の改編】

 

はじめに

 「珈琲時間」は、議論の本筋から若干離れるが、示唆的な叙述を意味している。語学教材、例えばドイツ語の入門書において、ドイツ語文法とは無関係であるが、ドイツの学問事情、ドイツ人気質等が「珈琲時間」として記述されている。ドイツ語初級者は、ドイツ語文法の理解困難な本文よりも、「珈琲時間」を楽しみにしている。

 しかし、中村天風試論における「珈琲時間」と中村天風試論が混在しており、通読が困難になっていた。「珈琲時間」における論稿が長くなりそれ自体としての価値を持っていると考えているからである。今後、両者を大幅に改訂し、かつそれを分離して『田村伊知朗 政治学研究室』に掲載する。その内容は、45年前に執筆したものとほとんど変わっていない。バラバラであった内容を「珈琲時間」の全体の中に位置づけたこと、誤植等を修正しただけである。

今後、「珈琲時間」を先に1記事毎に、それぞれ、独立させて掲載していく。その後、まとめて、中村天風試論をまとめる所存である。私的体験と密接に関連している「珈琲時間」を纏める過程で、中村天風試論がより正確になるであろう。

 

20220802日投稿済

「珈琲時間」1 【他者の存在と闇の夜に鳴かぬ烏の声を聞くために】

中村天風試論「3. 道具としての肉体と精神 3.1 人間の本質」補論

 

 ここで私的体験を述べておこう。201972415時半前後にJR札幌駅から地下鉄東豊線札幌駅への徒歩での移動中のことであった。久しぶりの札幌であり、讃岐うどんを食したいという肉体的欲求に従って、地下鉄東豊線札幌駅近くの讃岐うどんの店を訪れた。しかし、その行為は肉体の欲求に応じただけであった。真我の欲求に従えば、握り飯を食するべきであった。あるいは何物も食さないことが、真我の欲求だったかもしれない。事実、かけうどんの中を注文したが、ほとんど食べ残してしまった。御百姓様に申し訳なかったが、真我がこのうどんを拒否していたように思えた。

 また、現在交通論に取り組んでいるが、必ずしも既存の交通論研究の範疇に属することを考察しているのではない。近代思想史の範疇として、近代公共交通論を議論している。この議論を構想することは、私の使命を形成しているはずであるが、それを忘れていることに気が付いた。東豊線の車中であった。隣に座った二人の老婦人が、かなり上品であるが、些細なことに夢中で議論していた。彼女はこのような生活の利便性、JR東のスイカは札幌の地下鉄で使用できるか否かに関して、激論を交わしていた。このような議論をするために、彼女は生まれて来たのであろうか。生活の利便性ではなく、まさに烏の声が聞こえたのであろうか。このときに、私はなにか、烏の声を聴いたような気がした。彼女たちの議論には感謝しなければならない。

 

20220803日投稿済

「珈琲時間」12 【闇の夜に鳴かぬ烏の声と現在の確認】

中村天風試論「3. 道具としての肉体と精神 3.1 人間の本質」補論

 

ある時、田村伊知朗はこの宇宙霊と交感する機会を得た。2019年から2022年にかけてである。今現在、取り組んでいる労作を仕上げることである。それは契機でしかない。現在の課題を認識して、一歩踏み出そうとしている方向性が明瞭になったときである。この瞬間は必ずしも、中村天風の思想における現在ではない。ベクトルとは近未来への方向性であり、第1歩を歩む方向であろう。ベクトルは現在の位置とは無関係である。なぜ、この第一歩を歩みだそうとしているのか。現在において近未来への方向性がエネルギーとして溜まっている。その根拠を問うことが、宇宙霊との対話であろう。暗黒の宇宙が一瞬であるが、眼前に現れた。闇の夜に鳴かぬ烏の声が、聞こえたような気がした。

 

20220804日投稿済

「珈琲時間」2 【胆力は、環境世界の変化を看過する力である】

中村天風試論「4. 人生建設のために必要な生命力 4.2 周章狼狽」補論

 

前もって、段取りをつけていたにもかかわらず、実際にその段になると、右往左往することがある。とりわけ、親族の危篤状況、死去に際して、それが現実化したときに段取り通りすることは、稀である。段取りあるいは計画を忘れて、想定外の選択肢を選びがちである。しかし、その思い付きの選択肢は、段取りの段階において消去されていた場合も多い。胆力がない場合、この思い付きの選択肢を取りがちである。とりわけ、小賢しい理性を有する人間は、段取りにしたがって行為できない。段取りに従って行動することは、環境世界の小さな変化を無視する力を必要としている行動と精神が一致していない状態に陥ることは、中村天風になかったかもしれない。しかし、周章狼狽状態に陥った場合、私のような凡人は、前もって想定されていた段取りに従った方が、良いように思われる。

例えば、親族危篤あるいは死去に際して実家に移動する場合、鉄道を使用するのか、航空機を使用するのか、段取りの段階において精密に検討されていたはずである。しかし、緊急事態に現実に陥ったとき、この事前の段取りを忘れて、別の選択肢を採用しがちである。状況の仔細な変化を無視する胆力が要請されている。胆力は、状況の微細な変化を無視する力である。

但し、段取りに拘りすぎると、良くない結果をもたらす場合もある。予定された時間が切迫しているときに、周囲が見えなくなる。特に雪道を急いでいるときには、下を向いて歩いている。その場合、信号が見えていないことも多い。正面の信号が赤である場合、歩行者は停止しなければならない。にもかわらず、横の信号が緑であり、停止せず、そのまま横断歩道を渡っていた。交通事故に寸でのところで遭遇するかもしれなかった、20222月のことであった。自動車運転者が私の存在に気づき、交通事故を回避できた。交通事故に遭遇すれば、段取りなど無になる。数分の遅れは、次の電車を待てば解決する。気が散っている証拠であろう。

 

20220807日投稿済

「珈琲時間」3 【現在の限定性を確認するための方法

中村天風試論「4. 人生建設のために必要な生命力 4.3 一つのことへの集中――柳生但馬守と沢庵禅師の問答」補論

 

「珈琲時間」3.1【電源配線とUSB配線の分離】

 

職場の配線について述べてみよう。PC周りの配線を整理した。新しい機械を導入するたびに、USB配線と電源延長コードが、既存の配線の上に設置された。配線が複雑怪奇になっていた。その整理をしていて、気が付いたことがある。

無用な延長コードを多用して、配線を複雑にしていた。配線が整理できなかった現状は、配線の種類と量を把握していなかったことに由来する。2種類しかない配線をそれぞれ1か所に纏めた。配線は、電源配線と、USBによるPC結合配線の2種類しかない。今まで、PC結合配線を必要とする機械、たとえば印刷機やスキャナー等を数か所に分割していた。2本の電源延長コードと、3本のUSB延長コードがあった。整理する過程において、これらが除去された。分量的には、延長距離は約半分になった。また、コンセントを一本化した。

冷蔵庫の電源を除いて、職場を夕方退去するときに、電源コンセントをすべて抜いていた。今まで、その数が3本あった。それを1本に纏めた。まず、USB配線も1本にだけに整理した。次に、機械電源コードだけを整理した。複数の機械電源も1か所に纏めた。電源延長コードも1本になった。USB配線コードも1本になった。複数の機械を同じ本棚の同じ段に設置することによって、PC結合配線が1本になった。複雑になった事柄は、分割されねばならない。単純化されることによって、人間に認識しやすくなるからだ。この世の複雑な事柄は、単純化される。デカルトから学習した法則である。

 

20220810日投稿済

「珈琲時間」3 【現在の限定性を確認するための方法

「珈琲時間」3.2【分岐点の集中と機械の除去】

 

 また、複数の電源とUSB配線の分岐点を本棚の最下段に集約した。そこは、グチャグチャである。絶望的なほど、グチャグチャである。どうしようもない。しかし、そのすぐ上に、本棚の板を設置した。外からは、このグチャグチャが見えなくなった。あたかも配線がないかのようである。また、配線を下段にたらす際、本棚と壁の間を通すようにした。本棚上段に本を配架することによって、この配線も見えなくなった。今まで、本棚は壁に隙間なく接合すべきということに拘っていた。この拘りをなくすることによって、配線を本棚の後ろに配架することができた。もちろん、最上段だけは壁に接合されている。安全を確保するためである。

 その後、「ケーブルボックスコード」を購入した。長さ、30㎝ほどの黒い箱であり、両端に穴が開いており、箱のなかに、グチャグチャになった配線を収納できる。1000円から2000円前後で購入できる。配線は完全に整理された。

 さらに、巨大な電話機があった。FAX装置を維持するためである。しかし、この機能を10年来使用していない。この機械を除去した。また、この電話機には、留守電機能が付属していた。メール以外で留守電に入った情報は、碌なものがなかった。マンション等の購入を薦める営業用の留守電は問題なかった。消去するだけであった。これ以外の留守電は私の心の平穏を掻き乱すものばかりであった。2011年当時、大学行政の仕事をしていたが、私の決定に難癖をつけるものばかりであった。留守番電話機能を除去することによって、快適な精神状態を維持できるであろう。電話機は、電源を必要としない災害用電話機だけを残した。もちろん、この機械には余計な機能、つまり留守番電話機能が搭載されていない。私が不在の時の電話を後日、聞く必要はないからである。本当は、50年前の黒電話を購入したかったが、なかなか探すことができなかった。現在では災害用に売られている電話が容易に購入できる。黒電話と比べて、小型であり、プッシュボタン式であり、便利であろう。それで充分であった。電話電話配線1本だけですみ、電源配線を除去した。

 また、スキャナー機能と印刷機能が1台において搭載されているプリンターを購入した。今まで2台の機械が本棚にあったが、1台になった。今では、この機械1台で用が済むようになった。機械のための本棚は1段になった。つまり、プリンターだけが、本棚の最下位棚において唯一つの機械として鎮座している。

 

20220812日投稿済

「珈琲時間」3 【現在の限定性を確認するための方法

「珈琲時間」3.3 【コンセントの集中】

 

 書斎には、コンセントが東西に二箇所ある。今まで、それを目一杯使用していた。また、電源延長コードを南北の壁に沿って張り巡らしていた。この部屋には、9個の電気機器(携帯充電器、電話子機、枕元照明、机照明、パソコン[日本語OS]、パソコン[ドイツ語OS]、プリンター、ラジカセ、空気清浄器)があった。ほとんど使用していなかった固定電話の子機を書斎から排除した。リビングにある親機のそばに再配置した。携帯電話だけで十分であった。また、携帯電話の充電配線を押入れにしまった。毎日、携帯電話を充電する必要はないからである。

 それでも、残り7個の電気機器が残った。それらをすべて南側の本棚1個に纏めた。北側の本棚から電気機器とその配線が消えた。南側の壁に沿って机があったので、机の下に配線を纏めた。コンセントからの延長コードは1本になった。東側のコンセント1個だけを使用することになった。配線がすべて机の下に位置することになり、視界から消えた。机の幅は140cmである。東壁側のコンセントだけから1本の配線によって接続された。

 これまでは、南側の壁に長い配線が1本、北側の壁にかなり長い配線が1本、そして東側の出窓にもプリンター用の配線が1本あった。すべての配線が視野から消滅した。清々した気分になった。

 

20220814日投稿済

「珈琲時間」3 【現在の限定性を確認するための方法

「珈琲時間」3.4 【可能性の拡大】

 

 さらに、東側の出窓にあったプリンターを南側の本棚に配置したことによって、出窓全体から物品が消えた。机と同様に使用することが可能になった。机の幅は140cmであるが、出窓の30㎝を机として使用できることになった。実質170cmの机に変貌した。机の上から余計な書類と机上照明が消えた。現在使用している書類だけが、机上にある。未来において使用する書類は出窓に置くことができる。広い机は快適である。

 人生は、配線と同様に簡単なことかもしれない。つまらない拘りと全体を考えない状況判断の欠如によって、困難に陥っていた。自分自身によって自分の状況を複雑怪奇にしていた。自分の困難な状況を、自分でつくっていたのかもしれない。自ら直面している困難の原因は、自分が過去において播いた種にある。現在の課題だけに集中すること、未来と過去の課題を追求しないことを中村天風から学び、そしてこの課題を実践するための配置にした。

 

20220815日投稿済

「珈琲時間」3 【現在の限定性を確認するための方法

「珈琲時間」3.5 【会議資料の廃棄――過去は未来に役立たない

 

今まで多くの会議資料を職場の本棚に保存していた。将来において役立つからもしれないという想定に基づいていた。しかし、多くの過去の会議資料は、現在そして未来において役に立たない。過去と未来において環境世界が相違している。もちろん、自分のノート等は保存するが、状況依存な書類とりわけ会議資料は、廃棄している。所有物に関する身辺整理の過程において、捨てるべきもとと、保存すべきものが分類される。この過程において、自らにとっての重要性が認識される。その意味で今後の方針が得られる。あまつさえ、本棚を二重にしていた。結局、後段の本棚にあった資料は、私の視野から消えていた。本棚の数を減少させ、すべての資料を可視化した。

 

20220817日投稿済

「珈琲時間」3 【現在の限定性を確認するための方法

「珈琲時間」3.6 【筆記用具と書籍の限定性――現在と未来の分離】

 

 文具、本、そして日用品も含めて、現在使用する物と、未来において使用する物が混合していた。まず、文具において同一種類を多数所持していた。同じ種類のボールペンを56本持っていた。1度に使用できるボールペンは、1本しかない。机上には1本のボールペンだけを置いた。ボールペンだけではなく、すべての筆記具も1種類だけを机上に置いた。ちなみに、現在では、シャープペンシル1本、青ボールペン1本、赤ボールペン1本しか机上にはない。それまでは、年に数度しか使用しない黒ボールペン1本も後生大事に、ペンケースに入れていた。それまで保持していたボールペン数10本は、まとめて押し入れに入れた。赤ボールペン、青ボールペンも、ブランドはラミーだけになり、かなり高価なボールペンだけに限定した。

万年筆も数種類、机上に置いていた。そもそも万年筆を使用する機会は、年間に数度しかない。その際、使用目的の差異、日本語署名用とドイツ語署名用と区別して使用していた。日常的に使用しない万年筆を押し入れに仕舞った。万年筆1本も、ラミーだけになった。結果的に、シャープペンシルを除いて、ボールペン2本、万年筆1本も、ラミーだけになった。シャープペンシルは、Graphlet 0.5 Pentel PG505 を使用している。鉛筆とほぼ同じ使用感覚を持っており、もともとは製図用のシャープペンシルである。色も黒であり、筆記用具として落ち着きを持っている。

同様に、書籍も現在使用するものと、未来において使用するものを分離した。未来において使用するものを別の部屋と書斎に隣接している廊下に集中した。書斎において必要な本は現在――それでも数週間という幅があるが――において必要なものに限定した。また、書庫を整理した。これまでも書庫に似たような場所はあった。それをかなり大雑把であるが、整理した。図書館のように番号までは振れないが、19世紀ヘーゲル左派関連の文献を著者別に整理した。

但し、コピーは銀ネズクルミ製本として製本しているが、数が交通関係だけでも、交通製本60冊、哲学40冊とほぼ100冊になり、自分でも認識できなくなった。エトガー・バウアー等のヘーゲル左派の思想家を単独に研究する場合、領域がほぼ限定されている。対照的に、現在、従事している交通思想史は、たんなる交通政策に限定されない哲学的な領域に及んでいる。例えば、ホッブスのラテン語原文から、交通政策の具体的問題に関するドイツ語論文まで及んでいる。また、アルヒーフ資料は特殊であり、標題と内容は、ほとんど関係がない。そのすべてを記憶しておくことは、ほぼ不可能である。すべての製本論文集に含まれているドイツ語論文をワードに記入して、それに対して1100までの数字を入れた。番号順に、本棚5段分を分類して並べた。現在、必要なコピー製本は、この程度である。

 現在という時間に、未来という時間を混入させてはならない。現在という場所には、現在に必要な場所しか提供しない。未来に必要な場所を、現在の場所に混入させてはならない。現在に必要なものを整理することが、重要である。未来を混入させることは、現在を乱雑にしてしまう。

 

20220820日投稿済

「珈琲時間」3 【現在の限定性を確認するための方法

「珈琲時間」3.7 【人生を思考する契機――定年という必然的未来】

 

このような人生の整理を決定づけた契機は、2019年現在、定年までの時間が5年しかない、という焦燥感である。実際には、4年と数か月しかない。限定された時間において、何ができるのか、あるいは何ができないのか、が問題である。

また、多くの知人と親族が、最近の数年間に死亡している。それも、かなり影響している。彼らの多くは年金生活者であった。しかし、後期高齢者の多くが、人生の目的を作れなかった。膨大な余暇時間を消費するために、株式投機、パチンコ等の私営賭博、違法博奕あるいは夜の接待場所に生き甲斐を見出していた。周知のように。夜の社交場に頻繁に通うようになると、現役世代と比べようにないほどの金銭を浪費する。

学生であれば、そもそも生活費は月額10数万にしかすぎない。博奕や夜の社交場に費やす金額は、数万円でしかない。しかし、後期高齢者の多くは、数百万、数千万の現金が手許にある。退職金を貰った直後であれば、数千万の現金が手元にある。小遣いや年金だけではなく、退職金や定期預金に手を付けた老人も数多い。家族から顰蹙を買うだけでは済まないことも、生じているようである。碌なことは生じなかったようである。彼らの轍を踏むまいという決意を具現化するために、現在の自己の状況を整理する必要が不可避であった。

 

20220823日投稿済

「珈琲時間」3 【現在の限定性を確認するための方法

「珈琲時間」3.8 【他者の死確認】

 

人間の真我を考える契機になったことは、人間が死ぬという事実を垣間見たからである。2019年夏に、父親の死に遭遇したからである。人間が死ねば、死体を洗浄し、納棺し、そして石油を掛けて焼く。そして、最後に喉仏だけになる。この一連の過程を数日間かけて見た。そして、喪主として、彼の死体を焼くために、火葬の点火ボタンを押した。火葬すれば、肉体が復活することは100%ありえない。その儀式の最後の最終過程の責任者になった。

彼は何をしたかったのであろうか。何のために生を授けられ、そして火葬場に運ばれたのか。世界あるいは宇宙という究極の存在者から、どのような使命をいただき、生を全うしたのか。そのような課題を中村天風からいただいた。その大きな課題は私個人にとって未だ朦朧としている。ただ、以下のことは確実に私の行動規範を導いている。人間は一つのことしか、現在の時間にできない。限定された時間、限定された自分の能力という思想が、今の私を支配している。限定された時間のなかで、可能性は限りなく小さい。そのなかで何ができるかに関して、思い巡らしている。知人、親類の死も、中村天風論に親しむ契機になった。

 

20221122日投稿 中村天風「珈琲時間」への補遺

「珈琲時間」3 【現在の限定性を確認するための方法

「珈琲時間」3.9 【事柄を纏めず、それぞれ一個ずつ片づける】

 

 2022年後期に「西洋社会思想史」、「西洋政治思想史」そして「政治学概論」というオンライン講義を実施している。オンライン講義の講義資料は、内容上重複していることもあり、かなり混乱する場合もある。また、名前も類似している。2021年には、これら3個の講義をそれぞれ異なる曜日に配置されていた。その場合、曜日によって祝日が割り振られていることがある。順序が異なってくる。同じ週において、「西洋社会思想史」は、8回目であるにもかかわらず、「西洋政治思想史」は9回目になることもある。それゆえ、

1、

第一に、同一の曜日、月曜日にこれら3個の講義をまとめた。したがって、日曜日に3個の講義録音を完成させることになった。

 

2、第二に、この順列を崩さないことが、肝要である。講義資料作成は、講義原稿の作成、録音、YouTubeへのアップそして「教育支援総合システム(Live Campus U)」への投稿から成っている。今まで、「教育支援総合システム(Live Campus U)」への投稿だけを3個まとめて実施していた。その場合、最後の「政治学概論」を作成したときには、最初の「西洋社会思想史」の完成から24時間以上経過していることもままあった。講義原稿の作成に時間がかかるからである。

それぞれの科目は、それぞれ固有のサイクルを持っている。この過程の最後の部分、つまり「教育支援総合システム(Live Campus U)」への投稿だけを抜き出し、まとめたことによって、かなり大きなミスが生じたこともあった。最初の「西洋社会思想史」の「教育支援総合システム(Live Campus U)」への投稿が、その後の作業の過程で消滅していた。

 したがって、オンライン講義のサイクルを個別的に分離させ、第一の「西洋社会思想史」を「教育支援総合システム(Live Campus U)」に投稿後に初めて、第二の「西洋政治思想史」の原稿作成を始めることにした。「西洋社会思想史」の構成している諸要素のすべてが片づけられて初めて、次の仕事に従事しなければならない。

 「禅師答えて曰く、『・・・数本もやはり一本一本扱うべし』」の真意をこのように理解した。「一本」という対象をその総体において片づけて初めて、その仕事が終了する。対象は、それぞれ固有の論理を持っている。その固有の論理のうち、最後の構成要素だけをそのままにしておくと、致命傷になることもある。

 

 

20220827日投稿済

「珈琲時間」4 【煩悶の対象として他者】

中村天風試論「5 理想的人間像への精進 5.5. 他者との関係、その一、三勿」

 

人間が煩悶する対象は、他者の関係性にある。人間の煩悩の大半はここにある。自分の意向に従って、他者を変革することはできない。他者への距離感が問題である。他者を変革しようする場合は、自分の内にその理想像がある。しかし、巨大な径庭が、他者に対する期待と他者の現実態の間において存在している。他者へ期待することが、煩悶の萌芽になる。一切期待しない場合、煩悶は生じない。そこまで、達観できないが・・・。

他者の範疇には、親、子供、配偶者、親族、友人、知人、機能的関係者等も含まれる。自分以外の人間すべてを意味している。自己は他者と何らかの関係を持っている。命令することもあれば、お願いすることもある。金銭を媒介にすれば、ほとんどの物を入手できる。しかし、この関係性は、なんかの限定された関係でしかない。他者、例えば子供に対して、私は影響を与える。しかし、それは部分的かつ狭矮な影響でしかない。ある人が死期を明示されて、それを子供に伝達することも不可能である。子供の人生を中断することでもない。親の死に反応する子供がいるだけである。

他者と自分の関係は、限定的である。にもかからず、この限定性を克服しようとするとき、煩悶が生じる。他者は、自分の思惑を超えて行動する。この限定性を認識すれば、他者との関係において摩擦が生じないであろう。

中村天風の思想を了解する鍵は、限定性という概念にある。

 

20220830日投稿済

「珈琲時間」5 【贈り物と矜持】

中村天風試論「5 理想的人間像への精進 5.5. 他者との関係、その一、三勿」補論

 

自己の行為の対象である他者が、無反応であることもある。あるいは、逆効果になることもある。贈答という行為を題材にしてこの意味を考察してみよう。他者に対して贈り物を送付しても、相手が、私の贈り物を貶す場合もあろう。貶されても、怒り、怖れ、悲しみという感情は無意味である。そのような相手に贈り物をした自己の不明を恥じるだけである。あるいは、贈り物に対して、こんな安物と罵倒されれば、経済環境の差異を自覚すべきである。商品の価格に対する価値づけは、置かれている経済環境に異なる。毎日、高級ビールとされるエビスビールを飲んでいる男性に対して、発泡酒を贈呈してもあまり喜んでいただけるとは思えない。レミーマルタンしか飲酒しない女性に対して、コンビニで購入した数百円の安価なワインを贈呈しても、たいして喜んでもらえるとは思えない。貶した相手が悪いのではなく、自分が悪い。

相互行為における齟齬は、恒常的にその発端になった自己の行為に責任がある。怒る根拠は、ないであろう。

 

20220903日投稿済

5. 理想的人間像への精進 5.6 他者との関係、その二、清濁を併せ呑む】補論

「珈琲時間」6 【函館市という憂鬱と矜持】

「珈琲時間」6.1 【函館市の天気】

 函館という都市は、潜勢力に溢れた街である。しかし、経済界、医師会、行政等に携わる有力者の狭い了見によって、ことごとく発展の可能性を潰してきた町でもある。その否定的側面に目を向けると、この町の欠陥ばかりが気になる。

 しかし、為政者の根源的失政にもかかわらず、この街の気候と天然の良港は江戸時代末期と変わらないままである。とりわけ、地球温暖化によって、猛暑日が続いている西日本、首都圏に比べて、夏でもエアコンなしで過ごせる快適な気候を持っている。2022年の夏は、本州、四国で猛暑日をかなり記録しているが、函館市では扇風機を使用した日が、数日程度でしかない。冷房装置がない家庭が、圧倒的に多い。公営住宅では、住宅構造上、冷房装置を設置できない。

最高気温が25度以上になる日が夏日であり、最高気温が30度以上になる日が真夏日であり、最高気温が35度以上になる日が猛暑日である。2022624日、2022625日において、瀬戸内海地方、例えば高松市では、最高気温35度を記録した。6月下旬にして、すでに猛暑日である。[1] 地球温暖化の勢いはとどまることはない。

高松市の夏の平均気温は、2010年には、1950年と比較すると、3度ほど上昇している。夏の平均気温は現在では、26度前後であるが、60年前では23度前後である。[2]

猛暑日の夜には、エアコンなしに過ごすことは、ほとんど不可能である。通常よりも、多くのアルコールを摂取することになる。偶然、6月下旬に高松市の実家に滞在する機会があった。通常、350mlの缶ビール3本までとしているが、この猛暑日は、4本を摂取することになった。

 20226月末の北海道函館市では、最高気温22度であり、最高に過ごしやすい日々が続いていた。[3] 北海道の主要都市、例えば625日の札幌市では、最高気温30度を記録し、真夏日を記録している。北海道の夏は過ごしやすいという印象があるが、あまり当てはまらない。夏、過ごしやすい地域は、函館市、伊達市等の道南地域、釧路市等の道東地域、稚内市等の道北地域だけある。もっとも、道東、道北地域は、厳寒期には、24時間暖房を入れる必要があり、気候的に過ごしやすいとは言い難い。冬の結露対策及び水抜きは、必須である。

 

20220904日投稿済

5. 理想的人間像への精進 5.6 他者との関係、その二、清濁を併せ呑む】補論

「珈琲時間」6 【函館市という憂鬱と矜持】

「珈琲時間」6.2 【三方を海に囲まれた地形】

 

 対照的に、道南地域では冬でも、ほとんど雪は降らないし、最低気温もマイナス10度を下回る日は、数日でしかない。10㎝以上の降雪量はほぼ想定する必要はなく、深夜も暖房をつけることはない。2重窓にしている場合、日中でも暖房を使用しない冬も珍しくない。とりわけ、旧函館市の中心街、地元の言葉で西部地区では、その傾向が強い。この地域は、南北に海に囲まれた半島であり、津軽海峡を見渡せる南海岸から、北海道北部を見渡せる北海岸まで、徒歩20分程度で到達可能である。海風が両方向から流れおり、大気汚染もその程度が緩やかである。西側には、函館山があり、その向こう側も海である。三方向海に囲まれた街は、日本でも函館市以外には、ほとんど思いつかない。対照的に、戦後、函館市と合併した旧亀田市では、函館旧市街と比較して、降雪量も多く、冬の厳しさもより強大である。旧市街で雪が完全に融けているときでも、数センチの残雪が、旧亀田市にある。戦後開通した産業道路沿いの大気汚染は、計測機器を使用することなく、人間の臭覚が知覚することができるほどある。旧市街の気候、自然環境は、申し分ない。

 おそらく、この道南地方の気温は、北ドイツの気候とかなり似ている。ローストック等の北ドイツでは気候も乾燥しており、過ごしやすい。ベルリンでも、冷房装置がない家庭が大半であり、気温が30度を超えると、市民は狂喜乱舞する有様である。函館市は、北ドイツと比べて、気候的には甲乙をつけがたい。

日本の避暑地として、軽井沢が有名であるが、夏にはかなり熱く、冬に暖房なしですごすことはほとんど不可能である。この意味で、函館市等の道南地域、つまり北海道南部の気候は日本で最高であると断言してもよいであろう。

 

20220905日投稿済

5. 理想的人間像への精進 5.6 他者との関係、その二、清濁を併せ呑む】補論

「珈琲時間」6 【函館市という憂鬱と矜持】

「珈琲時間」6.3 【函館市から逃亡】

 

 このような本邦では最高の気象条件を備える函館市であるが、人口減少に歯止めがかからない。平成の大合併で中核市に昇格したが、その後、人口が減り続け、2022年現在では、25万人でしかない。昭和初期まで、上野以北で最大の繁華街を有していた大都市の面影は消え失せている。

21世紀初頭の20年間で、人口が5万人ほど減少した計算になる。日本最高の気候条件を有しているいるにもかかわらず、なぜ、人口減少が続くのであろうか。その一つが行政の存在形式であろう。この続きを書くことは、容易であるが、精神の健康上良い結果をもたらさない。馬鹿げた政策を実施しても、行政がそれを恥じることは少ない。

この都市は、路面電車に沿って多数の総合病院、デパート等の一定の社会的インフラストラクチャー構造を有している。このような気候で過ごせる都市は、日本有数である。軽井沢など歯牙にもかけない快適な街でもある。この町に居住している愉快を満喫しようとしている。今までは、その否定的側面に着目しがちであったが、この町の快適性に感謝しよう。これまで、この地方都市の消極的側面だけが着目されたが、積極的側面を保持しよう。この街の気候は、日本最高である。

 

20220906日投稿済

5.理想的人間像への精進 5.6 他者との関係、その二、清濁を併せ呑む】

「珈琲時間」7 【地底国教授の憂鬱と矜持】

「珈琲時間」7.1 【地底国教授の憂鬱

 

 地底国というインターネット用語がある。地方底辺国立大学、大宅宗一の言葉を借りると、駅弁大学である。北海道教育大学函館校も、旧制北海道第二師範学校を母胎とする新制国立大学である。しかし、戦後70年が経過したことによって、地底国もその幾つかは様変わりしている。香川大学も最初は、旧制香川師範学校と旧制高松高等商業学校を母胎とする教育学部と経済学部の2学部体制であったが、1955年には、地元の香川県立農科大学を吸収し、農学部を設置して3学部となった。さらに、香川医科大学を吸収し、医学部を設置した。また、法学部と創造工学部を新たに設置して、教育学部、経済学部、農学部、医学部、法学部そして工学部という6学部体制になった。この駅弁大学は、総合大学として雄飛している。もはや、地底国とは言い難い。対照的に、北海道教育大学は単科大学のままである。

 地底国の教授も、学会ではそのような扱いを受ける。東京六大学、関西六大学の教授が綺羅星の如く集う東京の学会にいけば、どこか疎外感を免れない。私の研究態度も、研究方法も学会の主要潮流から逸脱している。私の著者など、研究書ではなく、雑本の扱いである。次の事例は、この地底国教授と旧帝国大学、つまり宮廷大学教授の落差を表している。

私が日本政治学会において、ある著名な東大法学部名誉教授に挨拶をした。彼の著書を教科書にしていることもあり、著書を彼に献呈したからだ。この学会の懇親会において彼に挨拶したとき、彼の第一声は、次のようなものであった。「なぜ、君がここにいるのか」。この言葉を今でも、明瞭に記憶している。二の句が継げないとは、このことである。懇親会において彼の廻りを、彼の弟子たちが取り囲んでいた。彼らもまた、著名な西欧政治思想史研究者である。地底国教育学部などは、いしいひさいちの用語を借りれば、雑学部扱いである。実際、教育学部の教授陣は、自然科学系、人文科学、社会科学そして芸術学とほぼすべての学問体系をその専門にしている。中学校主要9科目に対応した教授陣を擁している。この教授構成は、多種多様であるとも言えるが、多くの専門分野が雑然と並んでいるにすぎない。

 

20220907日投稿済

5.理想的人間像への精進 5.6 他者との関係、その二、清濁を併せ呑む】

「珈琲時間」7 【地底国教授の憂鬱と矜持】

「珈琲時間」7.2 【地底国教授の勤務状況

 

 国立大学教授である限り、東京大学教授であろうと、地底国教授であろうと、若干の給与の差異を除けば、大差ない。もっとも、その微妙な差異が気になることもある。地底国教授は、おそらく東京大学教授の約半分ほどの収入しかない。海外研修を受ける機会も、東京大学教授に比較するとかなり困難である。人員削減の影響で、日常業務に差し障りが生じるからだ。知人が東京の有名大学において教授をしているが、彼が講義を免除され、半年間、海外研修を実施している。このような挨拶状を受け取ると、羨ましいと心底思う。地底国では、予算の関係もあり、数年に一度、数週間の海外研修ができるだけだ。もっとも、コロナヴィールス-19( Coronavirus SARS-CoV-2)の影響で、20212022年度には、海外に出張する機会、さらには国内での出張も皆無である。大学行政、学会に関しては言えば、すべての会議は、オンラインで開催することが、通例化している。国内の大学図書館ですら、学外者の入館は禁止されている。東京大学教授であろうと、地底国教授であろうと、この疫病は平等に作用している。

 また、東京大学教授であろうと、東京六大学教授であろうと、そして地底国教授であろうと、ベルリン大学哲学部教授の平均的意識によれば、大差はない。日本のマルクス主義哲学研究家が、アフリカ某国のマルクス主義哲学研究者を遇する態度とほぼ同様である。日本の哲学学会でどのような地位があろうと、

 私的体験ではあるが、ケーニヒスベルク(現カリーニングラード)大学哲学部においてカントの講座を継承しているという教授と会ったことがある。カント死後、2世紀に渡る著名な教授と彼の業績は同等であるらしい。彼は、博士論文、教授資格論文だけではなく、様々な論文審査において最優秀であったと、滔々と述べていた。初対面の日本の若い研究者に対して、そのエリート教授は流暢なドイツ語で自己の経歴を誇っていた。彼からすれば、日本でもほぼ無名の大学院生がどの大学に所属していようと、どうでもよい事柄に属していた。

しかし、地底国教授であれば、その勤務形態は社会的標準からすれば、かなり緩やかである。朝、8時集合ということは、1年間でほんの数日である。フレックスタイム制が採用されているからだ。裁量労働制によって、出勤時間はほとんど教授自身が決定することができる。しかも、社会一般の企業と異なり、その成果も自分で決定することができる。20年間かけて、論文1本も執筆せず、退職しても給与が下がることはない。近所の八百屋の大将から羨ましがられている。

もっとも、大学行政が佳境にいると、夜23時ころ、タクシーで大学に駆け付つけることもあった。朝の会議資料を作成するためである。部署によっては、夜20時から会議ということもあった。大学も、かつての象牙の塔ではないからだ。社会の一般企業と同様な側面を持っている。年度、役職によって落差が大きい。そのような事態を八百屋の大将は、知る由も無い。こちらも、説明しない。どのような職業にも、影の側面はあるからだ。八百屋の大将もまた、人に説明できない側面を抱えている。

 

20220908日投稿済

5.理想的人間像への精進 5.6 他者との関係、その二、清濁を併せ呑む】

「珈琲時間」7 【地底国教授の憂鬱と矜持】

「珈琲時間」7.3 【地底国への感謝

 

現在の境遇、つまり地底国教授であることに、感謝しよう。生涯、非常勤講師の可能性もあったからだ。現在の地底国に助教授として採用されたときのことを今でも明瞭に覚えている。人事担当教授から採用確定の電話を受けた時、涙が少し溢れてきた。40歳をかなり超えていた。大学学部卒業以後、20年以上、学生そして非常勤講師として過ごしてきたからだ。世間的に言えば、ワーキングプアであったからだ。

非常勤講師は、年度末に憂鬱になる。毎年、1月、2月には、数コマの非常勤講師の枠をめぐって屈辱的かつ隠微な闘争が、非常勤講師の間で繰り広げられている。1コマ削減でも、月に3万円の減収は堪えるからだ。逆に、3コマ増大すれば、月額10万円近い増収である。年収に換算すれば、100万円の増収である。その逆もある。ちょうど現在の勤務校採用の通知を受けた同日午前中に、近所の専門学校で模擬授業をやらされて、屈辱的な批評を受けた直後であったからだ。もちろん、模擬授業に対して、金銭の授受はないばかりではなく、不採用がその場で通知されていた。徒労感が全身を覆っていた。

地底国教授は、このような屈辱的事態から免れている。年度末に履歴書と業務経歴書を専門学校事務長に送付する必要は、全くない。専門学校の事務長に卑屈になることから、国立大学教授は免れており、自分の事柄に集中できる。

 

20220908日投稿済

6.理想的人間への具体的方策 6.1 助けを求めない】

「珈琲時間」8 【受験生と自己責任】

 

このごろの大学受験生は、高校時代に塾や予備校に通学するようである。しかし、平均的学生は、塾の宿題をすることで終わってしまう。自分で勉強する習慣を喪失する。また、地元志向が強い傾向にある。東京圏や大阪圏は当然であろうが、地方都市でもその傾向があるようである。例えば、函館市のような30万人都市でも、その傾向は強い。しかし、自宅から通学すると、母親にすべてお任せになる。特に、炊事、洗濯をしたことのない男子学生、そして女子学生も多い。すべての生活を両親に任せることによって、責任を他者に押し付けるようになる。

しかし、人間は自分で考えて、自分で決断し、自分で責任を負う、そして自分一人で死んでゆく。もちろん、自分の思考、決断は完全ではない。ほとんど、間違っていると言っても過言ではない。しかし、他者つまり母親、塾と学校の先生に責任を押し付けるよりも、より良いであろう。

 

「珈琲時間」9 【中村天風の哲学の実践例として中途失明者の潔さ】

6.理想的人間への具体的方策 6.1 助けを求めない】補論

 

「珈琲時間」9.1 【中途失明という事態】

 

ある友人は、戦後の混乱期、1950年に生まれ、2021年現在、71歳である。彼は、所謂、団塊の世代に属しており、小学校では50人学級に属していたそうである。小学校の同学年では、400人程度の同期生がいたそうである。長じて、東京の私立大学に進学し、ここで学生運動の洗礼を受けたようである。

ところで、彼は、10数年前から、糖尿病の診断を受け、インシュリン注射器のお世話になっていた。この数年前から、とうとう失明してしまった。光の濃淡は認識できるそうであるが、文字はほとんど読解できないそうである。新聞紙の活字も、大きな文字、例えば『朝日新聞』の文字が、かすかに見えるそうである。手元にある新聞が『読売新聞』とは違うということが、かすかに了解できるだけである。通常であれば、中途失明者は人生に絶望し、過去のある時点に、いちいち拘泥したはずである。あの時、糖尿病の進行を阻止できれば、インシュリン注射をしなくてもよかったはずであった。もちろん、この反省は原因を探索することにつながるかもしれない。

 

「珈琲時間」9.2 【糖尿病罹患】

 

事実、私も数年前、2015年に、グリコヘモグロビンの値(基準値6.4/dl)が、6.6/dlになり、投薬治療を主治医から勧められた。2016年には、6.9/dlに上昇していた。2016年夏までこの健康診断の結果には拘泥していなかった。再検査の通知がきても、破り捨てていた。

薬は一般に工業的に精製された毒物の機能を持っており、身体によい影響ばかりではない。薬は毒であるという命題は、妥当性を持っている。副作用が必ずあるからだ。私は投薬治療を拒否し、体重減少を指向した。当時、アルコールを摂取すれば、心拍数が上がり、不整脈も頻出していた。明らかな身体の異常を自覚していた。また、ビールロング缶500ml2本飲酒して、合計1ℓの水分を摂取しても、数時間、尿がほとんど出ないこともあった。腎臓、膵臓、脾臓等の異常は、自明であった。

健康診断は、5月に実施される。2016年の健康診断の結果を受領した7月の困惑を今でも思い出す。糖尿病に起因している失明、手足の壊疽に関する情報がインターネット溢れていた。この知人の疾病も身近であった。以前から想定していた海水浴を思い出した。7月下旬から近所の海水浴場が、海開きした。このころ、掌蹠膿疱症にも罹患しており、海水に浸せばこの疾病も完治するのではないかという思惑もあった。ちなみに、この疾病も血液の汚れ、すなわち中性脂肪の過剰そして血糖の異常に由来していた。

この夏には、1週間に2度ほど、近所の海水浴場に通い、9月の再検査に備えた。津軽海峡にあるこの海水浴場で30分ほど過ごした。自宅からこの海水浴場への道のり、直線距離で約4キロメータを歩くことになった。50分前後、散歩することになった。さすがに、帰りは20分だけ歩いて、路面電車停留所までゆき、そこからは路面電車で帰宅した。函館の外海は冷たく、10分以上、身体を海水に浸すことはできなかった。25m先のブイまで、2往復するだけであった。9月には、グリコヘモグロビンの値は、5.9/dlにまで下落していた。中性脂肪の値も、250/dlまで下落していた。血糖値と中性脂肪の値はその後、若干変化していったが、2019年以降、基準値を超えることは、まったくなくなった。

 

 

「珈琲時間」9.3 【中途失明者の現在の課題】

 

この友人の事柄に戻れば、客観的に言えば、体重減少の機会は彼にもあったはずだ。薬を除外すれば、医学的知識を持っていない素人がこの疾病に対処する方法は、体重減少しかない。玄米菜食もその選択肢の一つであったであろう。しかし、彼は糖尿病改善以外の事柄、特に会社経営等に従事しており、その機会を逸したようである。私も、2010年頃、中性脂肪が基準値の2倍、3倍あったが、放置していた。その頃、大学評議員を兼務しており、札幌出張、東京出張が月に数度あった。ホテルでの宿泊は、生活習慣病を増大させた。彼も、仕事に忙殺されており、自分の健康を省みる時間がなかったのであろう。

しかし、盲目になったこの友人から最近メールが届くようになった。中途失明者が通う職業訓練校に通い、PCに習熟した。彼は、小説家になろうとしている。中途失明者がその体験を小説に書けば、かなり面白いかもしれない。

失明者がPCに習熟できるような環境になったのは、今世紀になってからである。数十年前から音声読み上げソフトはあったが、下層市民がそれに接近できるようになったのは、早くとも、後期近代になってからである。彼は、少なくとも過去と比べ、より文筆業に近い位置にいる。小説を執筆したいという欲求は、青年時代から抱いていたようであった。彼が中途失明したことにより会社経営の実務から退き、時間を確保できたこと、そしてPCソフトを使用すること、この二つの要因により容易に文章を執筆できるようになった。

 

「珈琲時間」9.4 【中途失明者に、原因追及なし】

 

彼の偉大さは、中途失明者になっても、その原因を追及せず、過去の生活態度を反省せず、そして過去を後悔しないことにある。原因追及や反省や後悔などして、視力が回復するはずもない。生来の視覚障害者は、その原因をほとんど追及しない。生まれつき失明しているので、視界を有するということを認識できない。彼らにとって、環境世界は暗黒であり、光なき世界である。それ以外の様態を認識できない。対照的に、中途失明者の場合、事情は異なる。環境世界は光り輝く世界であり、それが当然であった。にもかかわらず、現在では、環境世界は暗黒である。この落差が中途失明者の憤怒の源である。環境世界が暗黒であるという驚愕は、私も体験している。北海道が地震による停電によって、暗黒の世界に変わった2018年に、この世界を体験した。月が出ていない深夜には、まさに暗黒の世界が広がっていた。ベランダから見えるはずの津軽海峡と陸地の境は、到底認識できない。まさに、環境世界は暗黒と化していた。暗黒世界は、人間を原始人の時代へと連れ戻す。彼らは、火を使用することができなかった。漆黒の日没後は、洞窟の奥深くで眠るしかなかった。

中途失明の原因は数ある。そして、中途失明者はそれを認識できる。あの時、別の選択肢を採用すれば事態は別様に展開し、失明には至らなかったはずである。酒の量を少なくとも半分にしていれば、失明時期を10数年ずらすことも可能であった。ああ、なぜ、そうしなかったか・・・。このような原因の追求は、妄想的思念のうちでいつしか追及になり、他者を攻撃することになる。なぜ、友人はあの時、病院代を工面してくれなかったか。より専門的な医師と遭遇しなかったのか。主治医は、××大学卒であった。自分の母校よりもはるかに偏差値の低い所謂Fランク大学であり、ボンクラ医師に遭遇した自分は、不幸である。・・・彼の周囲の多くの視覚障害者は、このような妄想に浸っている。このような妄想は無限に拡大するであろう。原因追及、反省、後悔、それらは高じて、煩悶にいたるのが関の山である。対照的に、彼は現在できることに従事するだけである。視覚障害者としてできることを為そうしているだけである。2021年前半まで、1人で自宅から最寄り駅まで行き、電車で都心に赴き、コンサートに行ったこともある。中村天風の哲学の三行のうち、「愉快」を体現している。

 

「珈琲時間」9.5 【中途失明者に、取り越し苦労なし】

 

過去ではなく、現在に固執する生活態度は、未来の事象にもあてはまる。現在、会社の経営は長男に任せている。彼は現在では立派に社長業を全うしている。父親に似て、恰幅のよい体格をしている。もっとも、社員は彼一人であり、彼以外の労働者は数人しかおらず、全員、所謂アルバイトである。父親の助言を受けながら、彼が会社の差配をしているようである。会社の将来に対して、悲観することはこの視覚障害者にとって無縁である。悲観しようが、楽観しようが、経営権は長男にある。視覚障害者が関与できる事柄は、ほとんどない。中村天風がしばし言及している取り越し苦労から、彼は無縁である。

また、失明の程度もこれから、悪化する一途である。失明の度合いが改善された事例は、ほぼ無と言ってよいであろう。現在の彼は、光の濃淡を認識できるが、将来的にはほぼ無理である。将来、漆黒の闇の中を歩かねばならない。通常であれば、光無き漆黒の世界に恐怖し、悲嘆に暮れても不思議ではない。しかし、自分の将来を悲観することは、彼にとってはその選択肢にない。将来の苦労を現時点でする必要は、ないとのことである。そして、実際その時が訪れれば、また対処法を見つけてくるであろう。この生活態度は、中村天風の哲学にも通じる偉大な点である。彼は中村天風の名前を知らないようであるが、中村天風の哲学を実践している。私は、中村天風の哲学に親しんでいるが、彼の哲学の実践に関して、この知人には敵わない。私は、中村天風の著書を私の書棚においてほぼすべて保持しているが、その内容を理解し、実践しているか、疑わしい。

 

「珈琲時間」9.6 【中村天風哲学の実践】

 

中村天風と同様に、彼から学習した事柄をここでまとめてみよう。困難の原因を探求するのではなく、現在の環境世界を認識する。これが、肝要であることである。人生はつねに順風満帆にあるのではない。むしろ、強風に出会い、難破する恐れに陥ることも稀ではない。困難に陥ったときには、その原因がある。しかし、その原因を探求することが、困難を克服するのではない。そこから、逃れる、あるいはそこから脱出することである。原因は時間的過去に属しており、それを糾弾しても始まらない。困難になったとき、恨み、辛みに拘泥してはならない。本当に難破してしまえば、そもそも困難はない。そこには、永遠の涅槃寂静の世界が存在するだけであろう。

 

「珈琲時間」9.7 【中村天風哲学の実践例】

 

現在の環境世界を認識することが重要であることを彼から教示された。もちろん、彼も困難に出会う。ある時、ライターを見つけることができなかったそうである。この喫煙用具を捜すために、数時間を要したようである。探し物は、煙草盆の廻りではなく、その下にもぐっていたようである。探している間、煙草を吸いたいにもかかわらず、吸えない。イライラが高じたことは確かであろう。その時でも、彼はライターを捜すことに夢中で、そもそもなぜ、失明したかという「そもそも論」は感じなかった。そもそも、失明していなければ、ライターをすぐさま探し出したであろう。なぜ、自分は失明したのか。このような「そもそも論」=「原点回帰主義」は、現状の改善には寄与しない。悲嘆、詠嘆そして煩悶に至るだけである。より、小さな問題、つまり眼前の問題に集中するだけである。そもそも論に依拠するかぎり、ライターを探し出すことはできない。

もっとも、折角、探し出したライターは、ほとんどガス切れの状態であった。数回、試行してやっと一服できたようである。その煙草の旨かったこと、生涯で一番思い出に残ることとであった。その幸福の余韻に浸ること、数分あったようである。まさに、「愉快」を体現していた。このように旨い煙草は、彼しか味わえなかったであろう。健常者である我々がこのような至福に至ることはない。

 

「珈琲時間」9.8 【中途失明者に反省なし】

 

さらに、彼の偉大さは、喫煙だけではなく、飲酒も止めないことにある。糖尿病にとって、飲酒も喫煙も悪いことは、自明である。飲酒と喫煙を糖尿病患者に勧める医者は、ほぼゼロに近いであろう。飲酒と喫煙も、この疾病を悪化させこそすれ、改善させる要因にはなりえない。しかし、一般的に言って、健康に悪いことは沢山ある。コカコーラを毎日、1本飲めば、健康になるのであろうか。焼肉、例えばロースやカルビ、100グラムを毎日、摂取すれば、健康になるのであろうか。

さらに、食事だけが、人間的自然の健全性を増大させるのではない。栄養学者の大半は、食事の改善だけが、疾病の改善に寄与すると誤解している。人間の健康にとってより重要なことは、大気である。さらに、生気溢れる水の摂取である。微生物とミネラルに富んだ清冽な水こそが、健康の原点となる。新鮮な大気と清冽な水に満ち溢れた静かな山村に居住することと、過剰なストレスを引き起こす騒音に悩みながら高速道路の近辺に居住すること、どちらが健康を改善するのであろうか。発話の正当性は、前提を持っている。より巨大な前提の下では、飲酒も喫煙もほとんど微々たる問題にすぎない。

悪という概念は、多様である。選択可能であれば、そこから精神の栄養になるものを摂取すればよいだけである。自然医食を提唱している森下敬一によれば、煙草や酒を摂取することは、白砂糖を摂取することよりも被害が少ないようである。「野菜に含まれているビタミンやミネラル、酵素などが、有害物質を分解する作用をもっており、タバコに関して有効ではないか・・・・穀物・菜食の『自然医食』を日頃から実行していれば、タバコの有害性は消去される」。[4] タバコの煙には有害物質が含まれている。しかし、有害物質を除去する作用を持つ穀菜も数多い。もっとも、それは全体として考察すべきである。白砂糖10グラムが、煙草1本よりも、健康を害することは当然である。常識で判断すればよいだけである。「愉快」を実践するためには、少々の悪には眼を瞑っているようである。この点も彼から学習した内容である。少々の悪には、拘泥しない。

 

「珈琲時間」9.9 【「親切」の実行】

 

さらに、中村天風の哲学の三行のうちの「親切」について、述べてみよう。中途失明者は、国立障害者リハビリテーションセンター において、就労移行支援を受ける。もちろん、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律に基づく、就労支援である。しかし、70歳を過ぎた中途失明者にとって、これから就労移行を指向することはほとんど無意味であろう。彼は、老齢厚生年金も受給しているはずである。したがって、この就労移行支援のうち、現代社会では必須である情報処理が、多くの中途失明者にとって大切であろう。視覚障害者であれ、PCを駆使して、文章を執筆することも可能である。

この学習過程において、彼は何人かの視覚障害者と交友関係を構築したようである。彼の下に、メール、電話等で相談が寄せられるようである。彼は、大企業ではなく、小さい会社を経営したことによって世間知に習熟している。大企業労働者は、組織の中の歯車として小さな領域しか任せられていないが、小企業経営者は組織すべてを現実的に統括している。彼は、大企業に例えるならば、財務部長、広報部長、営業部長、総務部長、人事部長、資材管理部長、工場長等を一人で兼務していたからだ。小企業の経営者は、皆そうである。社会的エリートを自負している若い銀行員の前で土下座して、融資枠を拡大したこともあれば、仕事を取るために、銀座のクラブで、取引相手の希望に応じて、取引先の社長の靴に注がれたレミーマルタンを飲み干しこともあるという。異常な臭気を放つこの酒を飲み干すことによって、数千万の仕事を取ってきたようである。当時、彼の会社の経営は危機的であったが、その利益で、会社を存続させることも可能になった。個人企業の社長であれば、多かれ少なかれ、このような体験をしている。

このような経歴において学んだ知識に基づき、中途失明者の相談にのっているようである。もちろん、無料である。このような行為は、中村天風の哲学における三行の「親切」に値するであろう。少なくとも、中村天風の主張する三行のうち、「愉快」、「親切」の二行は充足しているであろう。「正直」に関しては、世間的配慮をする必要がないので、そうであろうと推定している。この要素は、内面と関係するので、第三者は推定するしかない。

 

[1] https://tenki.jp/past/2022/06/24/weather/8/[Datum: 26.06.2022]

[2] https://www.jma-net.go.jp/takamatsu/3_bousai/shizengenshou/kikou/change_kagawa/temp/change_kagawa_t.html[Datum: 07.07.2022]

[3] https://tenki.jp/past/2022/06/24/amedas/1/4/23232.html. [Datum: 26.06.2022]

[4] 森下敬一『ガンは食事で治す』KKベストセラーズ、2017年、140頁。

 

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現実的世界の認識と人間の妄想 『ヒトラー~最期の12日間』死と犬死への序曲 完結編

http://www.hitler-movie.jp/index2.html

 

(この記事は、これまでの本映画に関する5本のブログを纏めたものであり、この映画に関する批評の最終稿になる)。

また、本記事は、2005年10月13日の初出であるが、2022年8月26日に改稿した。

『ヒトラー ~最期の12日間~』死と犬死への序曲

 

 戦争映画は数々あるが、戦争の本質の一端を示した映画は少ない。おそらく『ヒトラー ~最期の12日間~』は、その数少ない映画の一つであろう。この映画は戦争映画を超えて人間の普遍的な問題と関連している。たんなる戦争映画という範疇を超えて、一般的人間の感情に訴えている。そもそも、ある映画は、戦争映画、ピンク映画、西部劇、時代劇、任侠映画等という特殊な範疇に分類されている。しかし、その映画がこの特殊な範疇を超えて、普遍的人間の問題と関わるかぎり、その範疇を超えて映画史に刻印される。

 この映画が取り扱った本質的主題はかなりの数に上る。それらの複数の主題が競合することによって、戦争映画という範疇を超えてゆく。これは、人間の責任の取り方という普遍的主題と関連している。ある種の理念に殉じることは何かという問題と関連しているからである。自らが構想し、実現しようとした国家社会主義という理念がその崩壊に直面したとき、ヒトラー、ゲッベルス等のナチス高官は、自らの命を絶った。もちろん、ヒムラー、ゲーリングのように、逃亡して、外交交渉においてその活路を開くという手段も残されていた。また、責任など取りようもなく、死ぬ市民も多数あった。

 この映画に対する批評として数多く取り上げられたことは、ベルリン陥落直前の総統府における地下要塞に焦点を絞っている点ことである。地下室において、ヒトラーを中心とするナチス高官たちの人間模様が描かれている。ヒトラーは将軍たちとベルリン攻防戦のために絶望的状況のなかで最後の戦略を練る。ただし、軍事的手段は限られ、妄想的戦略を練るか、将軍たちを怒鳴り散らすだけである。また、そこでは、政治的人間としてのヒトラーだけではなく、エヴァ・ブラウンを中心とする秘書たちとの私的生活が描かれている。そこでは、彼は菜食主義者であり、愛犬を大事にしている一人の老人として描かれている。その点において、限られた空間に焦点があてられた著名なドイツ映画、『U-BOOT』(潜水艦)を想起させる。

 この点は、一面では当たっているが、他面において正確ではない。この映画の美しさは、このベルリンにおける地下要塞と、戦争末期のベルリン市民生活が対照をなしていることにその本質を持っている。後者において、戦争の悲惨さが描かれている。そこでは、シェンク教授(軍医)が中心となり、市民の戦争時における日常(麻酔なしでの手足の切断という、医薬品の無い状況での医療行為)が描かれている。この映画の主人公の一人でいってよい。

 前者、つまり総統府においては、日常生活に必要なもの、電気、水道等は完備されている。また、嗜好品、酒、煙草、菓子は充分供給されており、その配給をめぐる人間の悲惨があるわけではない。映画のなかでは、将軍、参謀達は、しばしば泥酔しており、秘書は、煙草を喫している。しかし、彼らは死を予感しており、その準備のために酒を飲み、煙草を喫している。自殺する参謀が、その直前に煙草を喫して、吸殻を絨毯に投げつけ、足で踏み潰すシーンは象徴的である。総統府には、人間が生きてゆくための物質的悲惨さはない。青酸カリも潤沢に用意されている。人間は物質的悲惨がないかぎり、観念に殉じることができる。

この限られた空間においてベルリン陥落という状況下にありながら、ヒトラーも含めた高官たちが、ありもしない「第9軍」、あるいはシュタイナー軍団がベルリンを解放してくれるという幻想に浸っている。この軍団は地図の上でしか存在していない。現実態においいてこのような軍団は、壊滅している。少なくとも、常識的に考えれば、ベルリン市民が水道、電気等がない状況下において、そのようなことはありえない。ベルリンが空爆を受けている状況下において、民需工場だけではなく、軍需工場もまた稼働していない。

にもかかわらず、そのような自己にとってのみ、有利な情報を選択し、都合の悪い情報をないものと考えることはよくあることである。ほとんど、ありえない状況を仮構し、そのなかで夢想することは、人間にとって幸福である。しかし、いつかこの幸福な状況は現実に直面することになる。ヒトラーのこの仮定を、幻想、妄想として嘲笑することは、簡単である。しかし、我々もまた、この嘲笑される状況下にあるのかもしれないからである。

 しかし、この幻想も長くは続かない。地下壕もまた空爆される。ヒトラーを含めたナチ高官がその理念に殉じることになる、とりわけ、ゲッベルス宣伝相の家族は、夫人だけではなく、その幼児までも、その理念に殉じるということを強制した。もちろん、幼児にこの強制に対する反抗手段は残されていなかったが。それを狂気とみなすことは、簡単である。しかし、何か人間の美しさを表現していると言えなくもない。少なくとも、映画においてヒトラーの死よりも、涙を誘ったのは事実である。

他方、ベルリン市民生活では、人間の最低限度の生活(水、医薬品等)は保障されておらず、人間生活の悲惨さが充満している。ヒットラーやその周囲の高官たちの死がそれなりに必然性を持って描かれていることと対照的に、多くの市民、下級兵士、市民防衛隊員は、あっけなく死んでゆくことである。何の必然性もなく、その死への心の準備もなく、死んでゆくことである。たとえば、水を汲むために戸外に出た瞬間、爆弾にあたって死ぬように。

もし、戦争の本質が、このような一般市民の突然死であるとするならば、彼らの死は、犬死であろうか。ナチス高官の死と、このような市民の死は等価であろうか。この二つに類型化された死の諸相から、人間の死ということを考える契機になろう。

(このブログは、これまでの本映画に関する5本のブログを纏めたものである)。

 

 

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