現実的世界の認識と人間の妄想 『ヒトラー~最期の12日間』死と犬死への序曲 完結編

http://www.hitler-movie.jp/index2.html

 

(この記事は、これまでの本映画に関する5本のブログを纏めたものであり、この映画に関する批評の最終稿になる)。

また、本記事は、2005年10月13日の初出であるが、2022年8月26日に改稿した。

『ヒトラー ~最期の12日間~』死と犬死への序曲

 

 戦争映画は数々あるが、戦争の本質の一端を示した映画は少ない。おそらく『ヒトラー ~最期の12日間~』は、その数少ない映画の一つであろう。この映画は戦争映画を超えて人間の普遍的な問題と関連している。たんなる戦争映画という範疇を超えて、一般的人間の感情に訴えている。そもそも、ある映画は、戦争映画、ピンク映画、西部劇、時代劇、任侠映画等という特殊な範疇に分類されている。しかし、その映画がこの特殊な範疇を超えて、普遍的人間の問題と関わるかぎり、その範疇を超えて映画史に刻印される。

 この映画が取り扱った本質的主題はかなりの数に上る。それらの複数の主題が競合することによって、戦争映画という範疇を超えてゆく。これは、人間の責任の取り方という普遍的主題と関連している。ある種の理念に殉じることは何かという問題と関連しているからである。自らが構想し、実現しようとした国家社会主義という理念がその崩壊に直面したとき、ヒトラー、ゲッベルス等のナチス高官は、自らの命を絶った。もちろん、ヒムラー、ゲーリングのように、逃亡して、外交交渉においてその活路を開くという手段も残されていた。また、責任など取りようもなく、死ぬ市民も多数あった。

 この映画に対する批評として数多く取り上げられたことは、ベルリン陥落直前の総統府における地下要塞に焦点を絞っている点ことである。地下室において、ヒトラーを中心とするナチス高官たちの人間模様が描かれている。ヒトラーは将軍たちとベルリン攻防戦のために絶望的状況のなかで最後の戦略を練る。ただし、軍事的手段は限られ、妄想的戦略を練るか、将軍たちを怒鳴り散らすだけである。また、そこでは、政治的人間としてのヒトラーだけではなく、エヴァ・ブラウンを中心とする秘書たちとの私的生活が描かれている。そこでは、彼は菜食主義者であり、愛犬を大事にしている一人の老人として描かれている。その点において、限られた空間に焦点があてられた著名なドイツ映画、『U-BOOT』(潜水艦)を想起させる。

 この点は、一面では当たっているが、他面において正確ではない。この映画の美しさは、このベルリンにおける地下要塞と、戦争末期のベルリン市民生活が対照をなしていることにその本質を持っている。後者において、戦争の悲惨さが描かれている。そこでは、シェンク教授(軍医)が中心となり、市民の戦争時における日常(麻酔なしでの手足の切断という、医薬品の無い状況での医療行為)が描かれている。この映画の主人公の一人でいってよい。

 前者、つまり総統府においては、日常生活に必要なもの、電気、水道等は完備されている。また、嗜好品、酒、煙草、菓子は充分供給されており、その配給をめぐる人間の悲惨があるわけではない。映画のなかでは、将軍、参謀達は、しばしば泥酔しており、秘書は、煙草を喫している。しかし、彼らは死を予感しており、その準備のために酒を飲み、煙草を喫している。自殺する参謀が、その直前に煙草を喫して、吸殻を絨毯に投げつけ、足で踏み潰すシーンは象徴的である。総統府には、人間が生きてゆくための物質的悲惨さはない。青酸カリも潤沢に用意されている。人間は物質的悲惨がないかぎり、観念に殉じることができる。

この限られた空間においてベルリン陥落という状況下にありながら、ヒトラーも含めた高官たちが、ありもしない「第9軍」、あるいはシュタイナー軍団がベルリンを解放してくれるという幻想に浸っている。この軍団は地図の上でしか存在していない。現実態においいてこのような軍団は、壊滅している。少なくとも、常識的に考えれば、ベルリン市民が水道、電気等がない状況下において、そのようなことはありえない。ベルリンが空爆を受けている状況下において、民需工場だけではなく、軍需工場もまた稼働していない。

にもかかわらず、そのような自己にとってのみ、有利な情報を選択し、都合の悪い情報をないものと考えることはよくあることである。ほとんど、ありえない状況を仮構し、そのなかで夢想することは、人間にとって幸福である。しかし、いつかこの幸福な状況は現実に直面することになる。ヒトラーのこの仮定を、幻想、妄想として嘲笑することは、簡単である。しかし、我々もまた、この嘲笑される状況下にあるのかもしれないからである。

 しかし、この幻想も長くは続かない。地下壕もまた空爆される。ヒトラーを含めたナチ高官がその理念に殉じることになる、とりわけ、ゲッベルス宣伝相の家族は、夫人だけではなく、その幼児までも、その理念に殉じるということを強制した。もちろん、幼児にこの強制に対する反抗手段は残されていなかったが。それを狂気とみなすことは、簡単である。しかし、何か人間の美しさを表現していると言えなくもない。少なくとも、映画においてヒトラーの死よりも、涙を誘ったのは事実である。

他方、ベルリン市民生活では、人間の最低限度の生活(水、医薬品等)は保障されておらず、人間生活の悲惨さが充満している。ヒットラーやその周囲の高官たちの死がそれなりに必然性を持って描かれていることと対照的に、多くの市民、下級兵士、市民防衛隊員は、あっけなく死んでゆくことである。何の必然性もなく、その死への心の準備もなく、死んでゆくことである。たとえば、水を汲むために戸外に出た瞬間、爆弾にあたって死ぬように。

もし、戦争の本質が、このような一般市民の突然死であるとするならば、彼らの死は、犬死であろうか。ナチス高官の死と、このような市民の死は等価であろうか。この二つに類型化された死の諸相から、人間の死ということを考える契機になろう。

(このブログは、これまでの本映画に関する5本のブログを纏めたものである)。

 

 

時間と共同性を共有するための紫煙――絞首刑前の三人による喫煙

時間と共同性を共有するための紫煙――絞首刑前の三人による喫煙

https://www.youtube.com/watch?v=X6p7eDaX7n8  [Datum: 19.05.2020]

 

 この映画は、ドイツ第三帝国において有名なレジスタント運動、白バラ運動の一側面を描いている。政治的に言えば、この運動は第三帝国の残忍性をプロパガンダするビラを撒いただけである。しかし、このビラはのちに連合国飛行機から、ミュンヘンに撒かれ、戦争終結にかなり影響を与えた、この運動そしてこの映画、原作に関してすでに多くの論者が描いており、筆者が屋上屋を架すこともないであろう。但し、この映画で表現された煙草に関しては、このレジスタント運動に対する敬意を表するために、少し言及してみよう。

その主人公、ミュンヘン大学生のショールが絞首刑される直前に、ある看守から煙草とマッチをこっそりもらい、一服するシーンがある。もちろん、彼女は絞首刑の前に喫煙できるとは考えていなかった。看守に「ありがとう」と短く感謝し、一服する。そして、このレジスタント運動において時間を共有した兄とその友人に、その煙草を渡す。三人がまさに、人生最後の煙草を共有しながら、生命の最後の時間を共有する。彼らは、共同性を確認するために、一本の煙草を喫する。

 ちなみに、絞首刑になる前に、調書を取る大学教授から一本の煙草を提供された。しかも、この教授から減刑の誘いを受けていた。もし、補助的役割しか果たしていなければ、減刑すると。そのように調書を書き換えることも可能であると。しかし、彼女はこの誘いを拒否していた。そして、彼から提供された煙草を彼ととも喫することを拒否した。たばこを飲むか、という問いに対して、「Gelegentlich しばし」と答え、煙草入れから提供された煙草に手を出すことをしなかった。まさに、彼女は、この審問官と喫煙時間を共有することを拒否した。

 対照的に、兄とその友人と一本の煙草を共有するとき、人生を共有していた。一本の煙草とともに、彼女は幸福であった。そして、一本の煙草とともに、短い生涯を終えた。断頭台と共に、紫煙も消えていった。しかし、彼女は、二人の人間と人生を共有し、煙草を共有した。このような美しい紫煙を未だかって見たこともないし、このように美味い煙草を喫することもないであろう。

 最後に、現在、禁煙運動がドイツだけではなく、本邦においても盛んである。第三帝国の主導者、ヒットラーも禁煙主義であった。禁煙運動はヒットラーの思想に追随し、ショールが共有した共同性を拒否しようとしている。もはや、他者と共同するという高揚感は、後期近代において消去されてしまったかもしれない。

 

追記

 人民法廷長官であったフライスラー(Roland Freisler)をアンドレ・ヘンニッケ(André Hennicke)が演じている。彼は、『ヒトラー 最期の12日間』ではモーンケを演じて、ベルリン攻防戦を指揮していた。ヒットラーに忠実なドイツ人を描かせれば、彼ほどの適任はないであろう。

 

 

 

追記 2017年8月15日 追悼 真崎不二彦(2015年1月逝去) 

20190427 再追記

 彼が死去して、4年半が経過した。いまだ、宿題は未完成のままである。そろそろ、宿題の提出を真剣に考えねばならない。泥船から脱出しなければならない。泥舟に汚染されれば、一蓮托生になる。泥と海水に塗れた醜い姿を想像したくない。

 

20170815 追記

 

 彼が逝去して、はや2年半年が経過した。この間、函館市は衰退に向けて走り出している。本日のニュースでも、イカ業者のために1億円を拠出するそうである。個別業者へ運転資金を供与しても、どうにもならない。来年も、輸入イカの価格が高騰すれば、まだ補助金をだすにちがいない。場当たり行政の典型である。衰退する町は、衰退する理由がある。地方自治体の行政機構の劣化もその原因の一つである。
 また、路面電車の延伸もまだ夢物語の段階にある。公共交通を整備することもほとんど実施されていない。冬の歩行者の歩行を困難にする政策、アーケードを駅前から撤去しただけである。また、信号の手前にあった路面電車の電停を、わざわざ信号の先に移動した。手前にあれば、信号の赤の場合、乗客はそこで降車できた。今では、信号の手前でとまり、信号の先の電停で停車することになった。公共交通を衰退させる政策を函館市役所は推進している。明治の先人のほうが、先見の明があった。官選市長のほうが、民選市長よりも見識があった。民主主義も函館では、函館市を衰退することを目的にしている。

 

また、昭和20年代までは、優秀な若者が、函館の市役所に入所していたのであろう。平成になって、優秀な若者は、札幌市役所で働くことを夢見ている。

 

  彼によって与えられた宿題は、まだ終わっていない。泥沼から這い出すことである。泥沼の居心地がよいのかもしれない。問題である。泥舟とは、泥で造られた船だそうである。あちこちに穴があき、浸水まじかであることは自明である。早く、宿題を済ませたいが、なかなかうまくいかない。個人の努力ではどうにもならない。
 さらに、彼には計り知れない義理を負っている。私のある企図を「飛んで火にいる夏の虫」であると指摘し、断念させた。後から考えると、そのとうりであった。この恩義に報いることは、もはやできない。彼は黄泉の国へと旅立ってしまったからだ。このような義理を返すことができない人が、増えている。彼らの多くが、すでに後期高齢者に属していた。日本人の平均寿命を超えていた。その順番を大きく変えることはできない。故真崎氏だけでない。多くの知人が帰らぬ人になった。人生の節目、節目で世話になった人は多い。その義理をどのように果たすべきか思案している。

 

 彼が存命であるころ、新聞に投稿していた。その習慣もほとんど途絶えた。この習慣は、新聞の公正性と大衆の理解力を前提にしている。しかし、この二つの前提が私の心において崩壊していている。他の職業とは区別された新聞記者に対する尊敬の念は、もはやない。大学教授と同様に、大衆の一員でしかない。彼らを特別の社会的存在としてみなさない。もちろん、優秀な新聞記者も数多い。それは、大学教授、大学事務官そして大学清掃労働者の中にも、優秀な人間が数多いことと同様である。
  

 

 

 

20150518 追悼 真崎不二彦 函館護国神社宮司――函館における批判精神とイギリス製高級煙草、ロスマンズ・ロイヤルの消滅

 

  真崎不二彦 函館護国神社宮司が2015年1月8日他界した。函館の名家に属する宗教人が、この世を去った。故人は、1932年年3月15日に函館市において生まれた。父、宗次も同神社宮司であり、同職を世襲した。日本の宗教界において、明治以降、世襲は一般的である。
 彼は、函館に生まれて以降、21歳で北海道学芸大学(現:北海道教育大学)を卒業するまでこの地で育つ。その後、函館を離れ、昭和33年に二松學舍大学を卒業する。29歳まで、学業に専念する。当時としては、異例である。大学進学率が20%であった時代に、二つの大学を卒業している。大学そして大学院に進学することは、後期近代において稀ではない。しかし、戦後の混乱期に、大正教養主義の理想像に従った青年時代をおくった。彼は20代をほぼ無職として過ごしていた。高等遊民としての資質を育んでいた。文化的素養があった。その間、教職、神職に関する資格を取得しているが、それは彼の余技に属していたのかもしれない。遺影は、神職としての厳かな礼装ではなく、ダンディに上着をはおり、紫煙をたなびかせる姿であった。
 昭和34年に靖国神社に奉職し、37年に同職を退職し、同年に函館護国神社禰宜となる。言わば、同神社のNr. 2 の地位を取得する。しかし、昭和42年以降、東京都において教職を取得する。以後、18年間東京都において、神職としてではなく、教員として過ごす。通常、神職と教職を兼職する場合、地元の学校における教職を選択するのが通常である。なぜ、彼は5年ほど、禰宜として函館に在住しながら、その後居住地を函館ではなく、東京を選択した。その理由は何か。彼のダンディズムの源泉はそこにあろう。東京都の教員として、20年近く生活する。住居は下町であった。不破哲三元共産党委員長の住居も近く、一緒に下町の祭に参加した。共産党の元委員長の御息女も彼の教え子であった。彼の疾風怒濤の時代である。
  この間、能楽堂に日参し、能楽評論に深い造詣を示す。それは『泥舟』等に結実している。しかし、昭和59年に父に代わり、函館護国神社宮司に就任する。すでに、50歳を超えていた。彼は、50歳を超えるまで、東京において教員生活に18年従事している。その間、禰宜として神官職を継続しているが、その生活のほとんどを東京の下町で過ごしている。函館に帰郷するのは、例大祭、正月等の行事のときだけであった。
 帰郷後、函館の政治、社会を批評する記事をいくつかの新聞に寄稿している。北海道新聞の函館版夕刊「みなみ風」の常連であった。また、季刊『日刊政経情報』にほぼ毎号寄稿している。この雑誌には、函館の政界、官界、財界の著名人が寄稿している。国会議員、市長等の政界著名人を除けば、ほぼ函館の実質的な社会的指導者が寄稿している。彼は、宗教界を代表するかたちで、ほぼ毎号寄稿している。この雑誌の寄稿者以外にも、寄稿すべき人間は多かった。財界人のなかでも、エッセイを不得手するものも多かったと思われる。彼の文化的素養からすれば、原稿用紙数枚のエッセイはいとも簡単であった。
  ただ、この機関誌における多くの論稿は、函館の一面をまさに賛美するか、挨拶文の領域をでていない。日常用語を用いれば、ヨイショ論稿が多い。地方都市の実質上の支配層に属する人は、その都市を批判しない。あるいは、その根源的欠陥を明白にしない。
  東京での20年以上の文化的生活に基づき、彼は半島としての函館を批判していった。そのなかでも、函館の経済人に対する批判は、函館の支配層の癇に障るものもあった。「函館の経済人はケチ」、「植民都市としての函館」、「高利貸しとしての函館支配層」という概念は、函館の本質を表現している。しかし、そのことに触れるのは、ほぼタブーであった。現に、昭和10年代、20年代に上野以北で最も繁栄した町が、函館であった。仙台も札幌も眼中に入らなった。しかし、平成に入り、その繁栄は旧市街の一角、所謂西部地区を除けば、ほとんど嘘のようである。なぜ、函館がこのように衰退したのか。彼には、すべて見えていたのであろう。
  駅前商店街は歯抜け状態であり、工藤現市長は商店街のアーケードを撤去する方針だそうである。駅前商店街の衰退はより加速される。アーケードがあることによって、雪の降る冬場でも、市民が商店街を歩くことができる。それがなくなれば、冬に商店街に足を運ぶことはないであろう。自滅する街、函館の本質を明白にしている。
 また、彼の母校は北海道教育大学函館校である。この分校は、かつて国立新函館大学構想を推進した。札幌本校の許可などとっていない。当時の分校主事を筆頭に、函館選出の国会議員、阿部文男を仲介にして、独自に文部省と折衝した。他の札幌、旭川等の分校の迷惑など顧みないこのような態度は、唯我独尊と言われても仕方がない。今でも、札幌から函館に赴任してきた役人を、奥地から来たと揶揄する土地柄である。函館一番、函館さえ良ければそれでよいという風潮が渡島半島にはある。もちろん、このような態度が許されたのは、昭和20年代まである。阿部代議士が逮捕され、この構想は頓挫した。それ以前に、文部省も相手にしていなかった。彼は、この構想を心底馬鹿にしていた。
しかし、10数年前の記憶は、当時の村山学長以下の役員の脳裏から消えていなかった。北海道教育大学函館校は、平成18年度の全学改革において、教養新課程を集約した人間地域科学課程を創設した。5つの分校のうち、どれか一つの分校がそれを引き受けねばならなかった。その代償として小学校教員養成を放棄させられた。20数年前の独立運動を知る人間からすれば、函館の自業自得である。
  そして、平成24年、函館校が国際地域学部を創設する際にも、小学校教員養成機能にこだわり、自ら学部化を阻止した。信じられない自滅行為である。文部科学省は、学部化の進展か、小学校教員養成機能の残存か、という二者選択肢を提示した。もちろん、札幌本部は前者を選択した。しかし、主に小学校教員から構成される函館分校の0B会、夕陽会は後者を選択し、学部化阻止に動いた。当時の副学長以下執行部はこの動きを下支えした。この動きも心底、小馬鹿にしていた。東京に叛旗を翻す力は、植民都市にはないと。
 彼は、母校の教員養成機能の現状自体に批判的であった。その札幌統合を主張していた。夕陽会の役員もしていたにもかかわらず、そのような主張をしていた。さぞ、OB会でも煙たがられたと想像している。
 また、北海道教育大学の教授も小馬鹿にしていた。所詮、東京では通用しないボンクラ学者の集まりであると。その一員である私にも、面と向かってそのように放言していた。早く、東京に帰れ。ネズミでさえ、沈みゆく船から逃げ出す。頭の良い人間のいる場所ではないと、と会うごとに説教された。頭の痛い事柄である。
 煙草は、ロスマンズ・ロイヤルを愛飲していた。この煙草の国内販売が廃止されたとき、彼は100カートンほどを購入して自宅で保存していた。空調設備と空気清浄機付の小部屋で保存されていた。彼が死亡したときも、まだダンボールには数十カートンが残存していたはずである。
 その煙草の行方は知らない。その煙草を喫する人もいない。函館からこのイギリス製高級たばこを愛飲し、支配層のなかで函館を批判的に考察する人間がいなくなった。函館の自滅がより促進されるであろう。函館の批判精神は、ロスマンズ・ロイヤルと共にはるか彼方に消え去った。

 

 ただ、私の切なる、そして叶わなった夢は、彼が函館の自滅過程をより検証する機会を持つことであった。その小さな夢も高級煙草の紫煙とともに消え去った。

近代の理念の破壊――少数者としての喫煙者への抑圧

  近代は様々な美しい理念を形成してきた。自由、平等、連帯という近代社会の基本的理念を形成してきた。さらに、後期近代にはその美しい理念に加えて、美しすぎる理念を産出した。共生、少数者の権利の擁護等の理念を屋上架屋してきた。たとえば、同性愛者の婚姻を憲法上に認めるというまさに、少数者保護は極限までに進行してきた。
 しかし、そこには選別が働いている。喫煙者という少数者は、初期近代では多数者であった。少なくも、1950~60年代までは、非喫煙者は受動喫煙を蒙ってきた。しかし、かつての少数者は、いまでは多数者になった。とりわけ過去の喫煙者は、多数者であるために、今では非喫煙者を抑圧する。どの時代でも、彼らは多数者であり続ける。
   ここで、少数者の権利つまり喫煙の権利は、保護されない。少数者は保護されない。理念上の共生は、強制に通じる。まさに、反対物に転化している。後期近代の美しい理念を唱える多数者は、現実社会において少数者を弾圧する。すべての屋内から紫煙を追放しようとする馬鹿もいる。多数者である彼らは、少数者の自由を抑圧することによって、近代の理念そして後期近代の美しすぎる理念を破壊していることに気が付かない。

 

禁煙思想の強制:倫理の崩壊

多くの公共機関において禁煙という思想が強制されている。この事態を倫理あるいは倫理学から考えてみたい。禁煙という思想を持つことは、個人の思想信条の自由として承認されている。それは、禁酒あるいは禁性交を特定の個人が生活信条とすることは、社会的に承認されているのと同様である。その思想自体をここで批判しようとするのではない。

 しかし、問題はその個人的思想を他者に強制して恥じない倫理性の欠如である。自らの生活信条を他者に強制して恥じない他者性の欠如である。どのように優れた生活信条であれ、それを他者に強制することは、内面の自由を侵害することになる。近代国家はどのような思想であれ、それを他者に強制することを禁じている。もちろん、日本国家も近代国家の範疇に入ることは当然であり、憲法等でこのことは明記されている。このような事態に対して、多くの倫理学者がなぜ沈黙を守っているのか。不思議である。

また、煙草そのものが、財務大臣を大株主とする日本たばこ産業株式会社によって販売されている商品である。その商品を買うことを規制することは、どのような法律に基づいて禁止されているのであろうか。言わば、政府によって販売されている商品に対する不買運動は、どのような名分で実施されるのであろうか。石油排気ガスを他者に吸引させながら、喫煙による悪を弾劾する思想的根拠はどこにあるのであろうか。

今日の健康問題、ひいては環境問題にとって重要なことは、二酸化炭素の排出量に対する抑制である。喫煙によってオゾン層が破壊されるのであろうか。もちろん、喫煙によって二酸化炭素も排出される。しかし、自家用車の使用による二酸化炭素排出量と比べれば、微々たるものであろう。禁煙という思想は、近代の近視眼的一元的思考の最たるものである。

共生ーー喫煙者と非喫煙者

少数者の権利は多数者によって侵害されてはならない。社会を多数派の思考様式によって一元化してはならない。「清潔」な社会は、人間抑圧的である。しかし、近代社会はある原理によって社会を一元化しようとする。学問もまたそうである。市場原理によって社会を一元化しようする。共生という概念は知的障害者と健常者との共生として195060年代北欧で広まり、米国を経由して日本に輸入された。しかし、現実において共生はほとんど不可能になりつつある。嫌煙権運動は喫煙者と非喫煙者との共生をなぜ指向しないのであろうか。

大学における敷地内全面禁煙という馬鹿――小さな悪を攻撃し、大きな悪を導き入れる

20140811 大学における敷地内全面禁煙という馬鹿――小さな悪を攻撃し、大きな悪を導き入れる

 

 近年、学校及び大学において敷地内全面禁煙という愚行が流行している。馬鹿な小市民が喜んでいる様が容易に想像される。タバコは健康に悪いというお題目が唱えられている。このようなお題目を唱えているうちは、可愛かった。UFOは存在するというお題目をゼミナールで真剣な顔をして主張している学生と同じだからだ。その主張を完全に否定することはできない。地球外生命の存在と同様に、宇宙全体を思惟することは、不可能であるからだ。

 彼らがどのような信仰を保持しようとかまわない。大学内のゼミナールでは別の事柄を議論の対象にすべきであると主張すればよい。彼らが、UFOや地球外生命の存在を信仰しようと、大学教員には無関係であるからだ。

 しかし、煙草は健康に悪いという信仰を小市民が信仰することは、大学教員にとって問題ない。煙草は健康に悪いという命題と、地球外生命は存在するという命題は、同じだからだ。悪いと言えば、悪い。ただし、セシウムよりも健康被害は少ないであろう。基準値内のセシウム――食品における99ベクレル/キロのセシウムは、食べて安全であろう。むしろ、食べて応援というスローガンによって政府によって推奨されている。地球外生命の存在を主張する若い学生は、その信仰を他のすべての学生に強制することはない。その点で、禁煙論者よりも優れている。

 しかし、禁煙論者は喫煙者にも同じ思想を保持するよう強制する。ナチスでさえ、躊躇した禁煙の強制を平気で実施する。馬鹿教員が一部の大学・学校に存在する証明である。私は馬鹿を排除しようとしない。最高学部である大学でさえ、馬鹿は存在する。大学はそれぞれの小さな専門領域に秀でた者の集団である。大学教員は馬鹿でもなれる。専門的知識と教養は、何の関係もない。むしろ、発達障害を疑われるような大学教授が存在する。発達障害者の一部は、小さいことにこだわる。その小さいことが、剰余価値説の効用という問題であれば、この発達障害者は偉大な学者として尊敬されることもありうる。この命題を生涯の主題にすれば、少なくとも論文を多数執筆することもできる。

 ところが、馬鹿禁煙論者は自分で研究することもなく、敷地内全面禁煙という愚行を大学内で実施する。大学行政の責任者、とりわけ保健関係教員がその中心的絵図を描く。本人の信仰を平気で他者に強制する。

もちろん、煙草の健康における善を主張しているのではない。しかし、煙草は健康という一元的価値尺度において図られるべきではない。健康に良いことを実施することが、他の害悪を伸張することもある。健康であることと、悪一般とはいかなる係わりもない。健康な精神を維持するために、煙草を必要とする人間も存在する。尺度の一元化こそが、生き難い生活を強制する。

地方都市の破壊ーー高速道路無料化と禁煙思想

 都市内交通としての路面電車の役割が増大しています。しかし、現在の日本は、都市間交通としての高規格道路、高速道路の建設が加速しています。さらに、高速道路無料化という馬鹿げた政策が、景気浮揚対策として上っています。都市内の過疎化を進展させ、農地を破壊し、郊外の商業施設を活性化させようとしています。

 旧市街を破壊し、郊外において全国資本の商業施設を建設して、その利益を東京、大阪等の大都市へと還流させています。地方都市労働者は、所謂「下流階層」としてのみ生きることを許されているように思われます。年収、300万円程度の労働者が増大しています。

 高速道路無料化は、地方都市を中心にして進展します。地方の公共交通機関を衰退させるためです。この国の政策は、この点において自民党政権、民主党政権を問わず、一貫しています。

 また、タスポの導入によって、地方における個人経営の煙草販売店の多くが廃業に追い込まれました。これも、青少年の喫煙を阻止するという美名のもとで、地方都市における個人経営の商店を破壊する試みの一環と考えてよいでしょう。

 地方破壊は、健康増進、青少年の健全育成、景気浮揚という美名のもとで遂行されます。「小さきものの衰退」をこれらの美名が推進します。

禁煙地帯における喫煙所ーー公共施設における喫煙場所の設置

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 全面禁煙が流行している。ドイツの空港、駅も全面禁煙をうたっている。しかし、喫煙所もある。この写真は、ドイツの玄関口、フランクフルト・アム・マインにあるドイツ鉄道「フランクフルト空港駅」である。例外的な駅ではない。喫煙所はどのホームにもある。喫煙所がなければ、かえって駅は汚れる。喫煙所があるから、確かに、吸い殻は汚い。汚いものは、集中的に管理される。人間は清潔すきである。逆に言えば、汚物を体内に蓄積している。この汚物、たとえば大便を家の中、街の中に垂れ流さない。集中化させる。つまり、便所に集める。

 全面禁煙領域において、喫煙所があるのは当然である。煙草を吸うという幸福追求権が実現される場所が必要である。もちろん、吸い殻は汚い。しかし、灰皿を設置するば、問題ない。

 全面禁煙を標榜している公共施設においても、灰皿を設置すべきだ。喫煙場所のない空間は、人間の住む空間ではない。少なくとも、ドイツ、そして西欧の方が、日本よりも人間的である。人間学の水準が高いのであろう。学問の程度が低い人間が、清潔ファシズムを生む。


貧乏人は煙草を吸うな、俺たち政治家、高級官僚は、年収1,000万円以上あるので、一箱1,000円でも大丈夫――年収600万円以下の人間にとって過酷な煙草の値上げ

20110926 貧乏人は煙草を吸うな、俺たち政治家、高級官僚は、年収1,000万円以上あるので、一箱1,000円でも大丈夫――年収600万円以下の人間にとって過酷な煙草の値上げ

 煙草が値上げされるという。一説には、一箱700円、1000円になるかもしれない。現在では、一箱400-500円前後である。一日一箱として、月に12,00015,000円前後である。年収360万円未満の労働者の場合、月の小遣いは3-5万円前後であるから、相当な支出割合である。煙草が1,000円前後に値上げになれば、月に3万円前後の支出になる。昼食代を含めて、小遣い5万円前後の労働者にとって、おそらく「ゴールデンバット」、「しんせい」以外の煙草は吸えなくなるであろう。最も多くの日本人が喫煙している「セブンスター」、「マイルドセブン」等は高級たばこにならざるを得ない。

 他方、高級官僚つまり本省の課長級以上の年収は1,200万円前後と言われている。局長ともなれば、1,500万円とも言われている。彼らの年収を月当たりに換算すれば、100万円前後以上である。月収100万円あれば、数万円の支出増なぞ問題外である。そして国会議員は高級官僚以上に優遇されている。また、副収入もゼロではない。一箱1,000円であっても、彼らにとって、100万円以上の月収からすれば、2万円の支出増加など問題ではない。新聞記者は、煙草の値上げを主張している大臣等の年収をきちんと書くべきである。また、安易な煙草税増税を主張している、煙草嫌いの文化人の年収をきちんと紙面に反映させるべきである。

 煙草税増税を決定することに関与する国会議員、高級官僚は、この月収100万円以上の人間ばかりである。煙草税増税を主張する人は、国民のささやかな寛ぎとそれを支える小遣い5万円という意味を理解できない。

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