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『浮浪雲』から学ぶ人生論(1)、(2)、(3)、(4)総括ーーいつも一人であることと、寂寥感の克服

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「『浮浪雲』から学ぶ人生論(1)(2)(3) (4)総括ーーいつも一人であることと、寂寥感の克服」『田村伊知朗 政治学研究室』、http://izl.moe-nifty.com/tamura/2021/07/post-d27670.html. [Datum: 22.07.2021]

 

1 ジョージ秋山『浮浪雲』第19巻、小学館、1982年、168頁。

2  ジョージ秋山『浮浪雲』第103巻、小学館、2014年、22頁。

3  ジョージ秋山『浮浪雲』第17巻、小学館、1981年、86頁。

4.1 ジョージ秋山『浮浪雲』第8巻、小学館、1977年、146頁。

4.2 ジョージ秋山『浮浪雲』第8巻、小学館、1977年、159頁。

©Jyoji Akiyama

 

1.孤独

浮浪雲はいつも一人である。浮浪雲は、人間が一人であることを自覚している。すべての事柄、他者との関係、社会総体との関係、国家との関係、歴史総体との関係もまた、自分にとって疎遠である。この世に生まれてくるときも、一人、この世を去るときも、一人。この心境こそが理想である。自我にとって、他者は無関係である。まさに、唯我独尊であろう。
 他者の存在、他者との関係は、労働者、サラリーマンにとって、悩みの種である。労働者の中途退社理由は、ほとんど人間関係の悪化に由来しているであろう。会社員であれば、上司の横暴と無理解に対して、夜明けまで眠れない経験をしたことは多いであろう。そのような身近な煩悶は、むしろ世界総体の矛盾に対する煩悶よりも多い。アメリカ合衆国空軍によるイラク空爆に対して、毎夜、煩悶している日本人はほとんどいないであろう。

もっとも、凡庸な庶民は、人生に絶望して、華厳の滝に飛び込む勇気もない。人生それ自体を藤村操のように真剣に思考したこともないからだある。自己の喜怒哀楽によって、対象は変化しない。過去の行為を嘆き悲しんだところで、過去の状況そのものが、この世に存在しない。自己の外側に位置する環境世界に対して、個人は無為でしかない。もちろん、抵抗する権利は個人にある。
 上司や同僚の無理難題には、面従背腹に対応することに限る。正面切って、その不当性を糾弾することもない。たいていの場合、上司は数年で転勤する。別の上司がその椅子に座ったとき、前の上司の馬鹿さ加減など忘れている。おそらく馬鹿が会社の出世街道を驀進するかぎり、馬鹿な上司ではなく、馬鹿が上司になる。馬鹿な上司に悶々とする必要はない。会社の組織形式を変更することなど、労働者にはできない。自己の任務を全うするだけである。この任務は、会社から与えられた任務だけではない。鳴かぬ鴉の声から与えられて使命も含まれている。それに従って邁進するだけである。なるようになる、と諦観すべきであろう、浮浪雲のように。
 しかし、環境世界が巨大なうねりとして流れていくとき、個人は無力である。私は60年ほど生きてきた。世界の変動のなかで最大限に衝撃的であったことは、東ドイツそしてソビエト連邦共和国の崩壊であり、社会主義という概念の無効化であった。ベルリンの壁が崩壊し、後期近代が始まろうとしたとき、世界の人が慌ただしかった。1989年以後、数年間、この事態が多くの国民そして世界の人々の精神を覆っていた。

私も、社会主義と共産主義という理念が崩壊する現場にいるという興奮に包まれていた。しかし、私が興奮しようとしまいと、後期近代の到来という巨大な歴史の潮流に掉さすことはできない。この感情は、30年経過した現在では理解できる。
 しかし、よく考えてみれば、よりドイツ語的に言えば、追思惟すれば、人為的に国家そして社会を形成しようとすることが馬鹿げたことである。このような真理が認識された。これ以後、世界政治、世界経済に対して、感情的になることはほとんどない。もっとも、日常的に職場で、家庭で、職場で、そして地域社会で怒ることはある。スーパーマーケットのレジで怒鳴りあってる老人も、珍しくない。コンビニのレジで、長時間、クレームを垂れ流して、顰蹙をかっているいるご婦人も多い。しかし、後期近代が本格的に始まった時代精神の変容に比較すれば、ほとんど、どうでもよいことである。もはや、社会主義という理念を語ることが、少なくとも個人では無理であろう。

環境世界に対して、無為だけではない。無念夢想、つまり何もしないし、何も思念しない。外的な環境世界に一喜一憂しない。町内会、地方自治体、政府に対して無為無策、無念無想である。
 無為無策と無念無想は、どちらが優先するのであろか。何かしようと思うことが、蹉跌の原因である。論理的には、無念無想であれば、無為無策になる。しかし、我々小人には、無念無想は無理である。環境世界に対して、無為無策であることが先のように思える。何もしないから、何も考えない。自らの使命だけに集中する。現在の課題に集中することこそが、大事である。

2
.環境世界に対する不安
 このマンガの時代背景は、幕末というより、江戸城無血開城がまさに実現しようというときである。日本近代史において近代革命が生じるときである。西郷隆盛、伊藤博文、山県有朋等、有名な革命家が排出したときである。革命家、政治家だけではなく、庶民もまた生活が一変しようとした。まさに、百家争鳴の時代である。
 このときでも、浮浪雲は達観している。「世の中なるようになるもんですから」と、悲憤慷慨しない。自己が悲歌慷慨したところで、世の中が変わることはない。150年以上前の明治維新に感情移入することは、21世紀の日本人にはほとんどいない。
 この漫画を見た労働者は、その魂が癒されてるであろう。何度見ても、癒される。しかも、中村天風の著作に取り組むように、読者が考え込むこともない。笑いながら、しかも、宇宙の真理に気付く。いい漫画である。『浮浪雲』の連載を許可した小学館に感謝する。

3
.心の空隙

 無念無想、無為無策が最高の理想であるとしも、我々小人は、何らかのことに関与せざるをえない。その根拠は、我々が浮浪雲のように、一人では生きていくことができないことにある。不安感に苛まされ、環境世界を自己にとって都合の良いように変化させようとする。もっとも、不安感が根源的に解消されないかぎり、どのような環境世界に対する働きかけも、焼き石に水でしかない。あるいは、寂寥感にとらわれ、環境世界に対して行為する。

 小人が無念無想の境地に至ることは、不可能であろう。何らかの行為をしてしまう。でくの坊にはなり切れない。何らかの行為が不可避であれば、女衒のような行為ではなく、あるいは「酒や女で埋める」のではなく、社会の一隅を照らすことをしたほうが良い。このマンガでは、殺人という行為を通じて寂寥感を埋めようとした若者が描かれている。まさに、お縄になるとき、浮浪雲の言葉が青年の脳裏に浮かぶ。しかし、もはや青年は何もできない。自己の使命として感じることに没頭すべきであった。

4、人生の意味づけ

 若者が額に汗して働いているとき、自己の人生の意味づけに関して悩むことはない。額の汗が、そのような取り越し苦労を流してくれるからだ。しかし、手を休め、ふとした時、自己の人生の意味づけを問う場合もある。周囲の友人が立て続けに結婚したとき、独身である自分の将来に不安を抱くこともあろう。

 とりわけ、精神労働者は額に汗することは、ほとんどない。それゆえ、このような解答不能な問題から自由になれない。しかし、浮浪雲はこのような無意味な問題設定から自由である。惰性で生きているようである。人生に関する意味づけをしようとしない。環境世界の激変にも不安を抱かない。このような生き方を自由人と規定できるのであろう。

花輪和一論1 根源的寂寥感

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 花輪和一は、かなり多くの著作を残している。しかし、執筆動機あるいはその主題は限られている。その限定された主題の一つが、寂寥感あるいは寂しさである。おそらく、花輪和一本人に由来する寂しさからの脱却である。マンガをほとんど読まないひとでも、彼の名著、『刑務所の中』を知らない人はいないであろう。このマンガは映画化もされ、今でもYouTube等で視聴できる。この名著が世に出る契機になったことは、彼自身の銃刀法違反である。実弾と実銃を所持していた。この非合法の趣味の根源も、花輪和一自身の感情に由来しているように思える。

 この『風童』も寂しさという感情の根源を主題にしたマンガである。寂しさからの脱却あるいはそれを気にしないことになる過程を描いている。自然の営みにおいて、動物も植物も寂しいという感情を持たない。あるいは、他者と自分とを比較せず、日々与えられた課題を遂行するかぎり、人間もまたそのような感情を抱くこともない。この感情に囚われていた少女が、自然の営為を見て気づく名場面である。

花輪和一論2 世を忍ぶ仮の姿と、職業に貴賎あり

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世を忍ぶ仮の姿と、職業に貴賎あり

 

 人間は何らかの事情で、世を忍ぶ仮の姿を取ることがある。たとえば、大学教授を目指す若者が、塾の講師をするということは、珍しくない。私もしたことがある。塾の講師をすることは、世間的に考えても悪くはない。国立大学の学生も、塾講師を第一志望の就職先に選ぶことは、よく聞く話である。

 さらに、どのように世間から蔑まされる職業についていたとしても、本人が意思を持っているかぎり、それは尊重されるべきである。ここで、具体的に蔑まされる職業を具体的に明示することは避けよう。現実社会において職業に序列があるにもかかわらず、理念的にはその序列はないことになっているからだ。例えば、県議会議員ですら、ある視点からすれば格下、あるいは蔑まされる職業である。市議会議員からすれば、県会議員は憧れの対象である。市民も県議を蔑むことはほとんどない。しかし、政治家においてもヒエラルヒーは厳然として存在している。かつて竹下登が田中派の一陣笠議員だったころ、田中角栄元総理から以下のように言われたそうである。「県議上がりが、日本の政治史において総理大臣になったことはない」。竹下氏の前職、つまり県議会議員という職業が、蔑まされる対象であった。もし、彼が大蔵省(現財務省)の官僚であれば、このような言説は成立しない。彼らは、戦後だけに限定しても、池田勇人、大平正芳、福田赳夫、宮澤喜一と多くの総理大臣を輩出しており、総理大臣のリクルート先として日本政治史に刻印されていたからだ。もっとも、竹下登はこのような貴賎意識を跳ね返し、総理大臣になったが、貴賎意識から全く自由であったとは思えない。

 誰もが蔑む対象として、乞食が挙げられる。好き好んで乞食をする人はいない。「わしは、乞食と違う」という啖呵は、西日本では耳にタコができるほど聞かれる。侮蔑の対象として施しを受ける場合、つねに発せられる言葉である。彼らに対する蔑みは、社会的に承認されている。しかし、何らかの個人的事由から、乞食をせざるを得ない場合もある。それを嘲ってはならない。その事由そのものが、その個人にとって不可避であったからだ。この漫画で描かれている女性は、地震によって家族と財産を喪失している。もちろん、物乞いの対象になっている人には、わからない。古代社会から初期近代に至るまで、社会の最底辺に住む人を嘲ってはならないという社会規範が日本にあった。平等意識あるいは職業に貴賎なしという建前が浸透する現代社会において、この規範はむしろ弱体化している。現代社会においても、乞食とは貴賎意識の最底辺に位置している。

  現代社会においても職業に貴賎はある。このマンガでも、多くの農民は乞食に対して施しをしない。主人公の少女も乞食に対する施しに批判的である。しかし、近代化されたとはいえ、日本の農村では前近代的意識が濃厚に残存していた。この前近代的意識が、社会的ヒエラルヒーの最底辺に位置している乞食に対して優しい眼差しをかけている。

花輪和一論3 破滅への予感と、日常的営為への没頭――花輪和一『刑務所の前』と福島における放射能汚染

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(右クリックすると拡大されます)。

 

 

 

20140522 破滅への予感と、日常的営為への没頭――花輪和一『刑務所の前』と福島における放射能汚染

 

 

 

人間は、人生の岐路においても日常的課題から免れない。食事、入浴、清掃そして仕事をしなければならない。どのような破滅的結果が予見されたとしても、このような日常的行為に振り回される。

 

東京電力株式会社福島第一原子力発電所が危機的状況に陥ったとき、その300キロ圏に居住した住民は、日常的営為に没頭していた。放射能汚染が通常の10倍になったとしても、安全神話が染みついていた。30キロ圏に居住していた住民の多くも、政府の「すぐには、健康被害はない」という大本営発表を信じていた。2011418日、枝野官房長官(当時)が福島第一原発から半径20キロ圏内にある被災地を訪れた際、彼は完全防護服を着用していた。彼はこの事故に関する情報を充分に把握していた。それに対して、住民はマスクすらしていなかった。

 

 被災地がもはや人間の居住には耐えられないほど、放射能によって汚染されていたからである。現地が宇宙空間と同様な放射能によって汚染されていたということを認識していたからである。その姿を見ただけで、住民は即座に避難すべきであった。100キロ圏の住民もまた、危機意識を保持すべきあった。しかし、多くの住民はそこにとどまった。少数の住民は、安全と考えられていた関西、そして九州に避難した。

 

 花輪和一もまた、数日後に警察が自宅に乗り込んでくることを予感していた。警察がくれば、監獄行はほぼ確定していた、しかし、日常的営為、漫画の題材を考えることを優先してしまった。その葛藤がこの漫画において描かれている。

 

 

 

花輪和一『刑務所の前』第3巻、小学館、2007年、104105頁。

 

 

花輪和一とホッブス

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花輪和一『刑務所の中』青林工藝舎、2000年、210頁。

 

 

珈琲時間

 

花輪和一は、しばしば縄文人を自由人として表象している。 近代社会を国家によって管理された社会とみなし、縄文人を自由人とみなしている。しかし、それは自然状態の第一段階を表しているにすぎない。自然状態における資源が有限であることによって、人間は人間間で闘争状態に陥る。これがホッブスの論点である。

 

世を忍ぶ仮の姿と、後期近代における貴賎意識―――花輪和一『みずほ草紙』における乞食への眼差し

 

 

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花輪和一「仙人」『みずほ草紙』小学館、2013年、138頁、143頁。

 

 

 

(クリックすると、画像が拡大されます)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20140720 世を忍ぶ仮の姿と、職業的位階制における貴賎意識―――花輪和一『みずほ草紙』における乞食への眼差し

 

 

 

 

 

 

 

 人間は何らかの事情で、世を忍ぶ仮の姿を取ることがある。たとえば、大学教授を目指す若者が、塾の講師をするということは、珍しくない。塾の講師をすることは、世間的に考えても悪くはない。国立大学の学生も、塾講師を第一志望の就職先に選ぶことは、よく聞く話である。ただ、多くの大学院生、そして元大学院生もそれを名刺に書くことはほとんどしない。世を忍ぶ仮の姿という意識が強いからだ。

 

 

 

さらに、どのように世間から蔑まされる職業についていたとしても、本人が意思を持っているかぎり、それは尊重されるべきである。ここで、蔑まされる職業を具体的に明示することは避けよう。現実社会において職業に序列があるにもかかわらず、理念的にはその序列はないことになっているからだ。

 

 

 

ここではあえて、世間から尊敬される職業として、県議会議員を取り上げてみよう。この職業を明示することが差別であるという論調はほぼない。市議会議員からすれば、憧れの対象である。いづれ、県議会議員になりたいと思っている市議会議員は多い。市民も県議を蔑むことはほとんどない。市民が後ろ指をさすことはない。

 

 

 

しかし、かつて竹下登元総理が田中派の陣笠議員だったころ、田中角栄元総理から以下のように言われたそうである。「県議上がりが、日本の政治史において総理大臣になったことはない」。竹下氏の前職つまり県議という職業が、蔑まされる対象であった。県議会議員は賤しい職業であった。もし、彼が大蔵省の役人であれば、このような言説は成立しない。大蔵官僚は、総理大臣のリクルート先として日本政治史に刻印されていたからだ。もっとも、彼はこのような貴賎意識を跳ね返し、総理大臣になった。

 

 

 

誰もが蔑む対象として、乞食が挙げられる。好んで乞食をする人はいない。しかし、何らかの個人的事由から、乞食をせざるを得ない場合もある。それを嘲ってはならない。その事由そのものが、その個人にとって不可避であったからだ。この漫画で描かれている女性は、地震によって家族と財産を喪失している。もちろん、物乞いの対象になっている人には、わからない。古代社会から初期近代に至るまで、社会的最底辺に住む人を嘲ってはならないという社会規範が日本にあった。平等意識あるいは職業に貴賎なしという建前が浸透する現代社会において、この規範はむしろ弱体化している。

 

 

 

職業に貴賎はある。このことが明示される社会において、むしろ最底辺に生きる人への眼差しは優しかった。その意味を花輪が解明した。乞食という仮の姿を取りながら、主人公は過去の自分を凝視していた。過去の自分の行状と精神を反省することによってしか、新たな自分を見出すことはできない。職業における位階制的秩序の最底辺に身を置きながら、新たな飛躍をなそうとした。乞食という職業なしに、新たな展開はない。

 

 

 

注記:乞食という用語は後期近代において差別用語だそうである。なんという御不自由なことであろうか。「生活一般において御不自由な人」と言い換えるべきかもしれない。しかし、花輪自身が使用しているので、ここでもこの用語を用いる。また、軽犯罪法第1条22 において、乞食という用語が使用されている。法律用語であるからには、この用語を差別用語と考える方が間違っている。差別用語を決定する権限は、どこにあるのか。もし、これが政府によってなされると、検閲に通じるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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