研究者人生の終点と、いしいひさいち、中島正そして中村天風

 

 

 20200210

  自然的人間と同様に、研究者人生の終点はある。最近数年間、それが意識されるようになった。田村伊知朗は、具体的な人間としてどのような存在であり、かつあったのかを認識しなければならない。その一環として、青年時代から私の本棚を占有してきた書物を再検討してみようと考えた。青年時代から愛読してきた思想家の何人かを対象にして、その意義を研究論文の形式において再確認しようとしている。

いしいひさいち、中島正そして中村天風もその一人である。この三人の思想家は一見、関連性はないように思える。いしいひさいちは、漫画家であり、しかも4コ漫画家である。思想史研究家がしばし取り上げる手塚治、白土三平等の長編漫画家ではない。中島正は自然卵養鶏家としては著名であり、農業養鶏を指向する養鶏家のなかでは教祖的存在であるが、ほとんど学術的対象になったことはない。また、中村天風の思想はしばし論じられてきたが、中村天風財団の創始者として知られ、実践家として有名である。

三人の思想家に共通している事柄は何であろうか。彼らは私の思想形成上、重要な役割を果たしたが、私はなぜ彼らに魅了されたのであろうか。彼らの思想の何が私を駆り立てたのか。再吟味してみたい欲求が生まれた。2020年現在、その解答は未だ曖昧模糊としている。しかし、もうすぐ、わかるような気がしている。その導きの糸は、三人とも、原理主義者であることであろう。対照的に私は、原理主義に対して魅力を感じながらも、自らの原理を確立することを断念している。

 

 

 

 

 

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中島正論序説――いしいひさいち農村論を媒介にして  

中島正論序説――いしいひさいち農村論を媒介にして  

 

                                                        田村伊知朗

はじめに

 

  いしいひさいちが、日本を代表する漫画家であり、第一級の知識人であることはほぼ異論がないであろう。彼は、1970年代から約半世紀間、ほぼ毎日、数編の4コマ漫画を世に送り出してきた。それだけではない。より本質的に言えば、彼が偉大であることの根拠は、現代日本あるいは後期近代の事象を4コマ漫画という世界において抽出していることにある。現代社会の一側面が、わずか1頁の4コマにおいて切り取られている。

  このような栄光は、社会科学に従事している研究者にとって羨望の的である。おそらく、彼は、一瞬の閃きにおいて現代社会を抽出する。研究者の多くは、1年をかけて1本の論文を執筆する。いしいひさいちと同じ結論を述べるために、数年を要する場合もある。日々、外国語文献と格闘し、論文の準備をしなければならない。それだけの労力を払ったとしても、いしいひさいちほどの読者を獲得することはない。良くて、同じ領域の研究者数人から賞賛を受けるだけである。多くの場合、学会誌の数頁を埋めるだけで終わるであろう。いずれにしろ、研究論文が社会的影響力を行使することは、ほぼないであろう。

 

 

 

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1節 百姓という存在形式

 

 さて、この物語の主人公、甚太少年は、小学校のある村落の中心街から30キロほど離れた山村に住んでいる。[1]  毎日、片道30キロほどの道のりを約5時間かけて通学している。往復10時間ほどかかる。通常ならば、村落共同体の中心街に下宿するという選択肢が採用されるが、様々な事情で通学を余儀なくされたのであろう。学校と自宅を往復するために、10時間前後を要するということは、体力的観点だけではなく、時間使用的観点からも、ほとんど無意味である。通学のために10時間、睡眠のために8時間を用いれば、実質的な活動時間は6時間しか残っていない。その結果、彼は登校することを諦め、「ただの百姓」になった。おそらく、義務教育すら完全には受けていない。彼には、「ただの百姓」という選択肢しか残っていなかった。

 「ただの百姓」という概念は、近代社会において肯定的に使用されることはなかった。多くの農民の子弟は、この数百年の近代化過程において学校制度という選択装置を通じて都市に移住した。有意の人材であれば、なおさらである。郷土の希望の星として官界、政界、財界、学界等において君臨した。彼らが身を立て、名を上げるためには、農村や山村に居住することにとどまっているならば、不可能であったであろう。彼らは都市に住み、郷土を後にした。「ただの百姓」であることを拒否し、農村を捨てた。有意の人材でなかったとしても、金の卵として都市に流入した。その多くは、下層労働者として都市住民になった。都市下層住民として、大衆社会の一翼を担った。

  有意であろうが、なかろうが、都市住民は「ただの百姓」から食料を供給された。この点において、都市住民と「ただの百姓」は、対立関係にある。かつて「ただの百姓」あるいはその子弟であった青年は、自らの出自である「ただの百姓」であることを否定している。いしいひさいちが、このような現代日本、いな後期近代という時代を通底する近代の自己意識の一側面を抽出した。彼は、その意味で賞賛に値するであろう。ほぼすべての文化は、都市において生産される。彼によって描写された現代日本の社会論、たとえば『山田家の人々』、『ののちゃん』等は、その叙述対象がほとんど都市住民の生活様式である。

  対照的に、中島正の思想は、この近代という時代精神とは異なる位相にある。彼は「ただの百姓」であることの意義を称揚し、都市住民の存在意義を否定した。彼の思想の根底には、蓑虫革命と命名された原理がある。「蓑虫革命とは――『自分の食い扶持は自分でさがすが、つくる』という人間本来の生存の原則にしたがって、大自然の掟に順応した自然循環型農業を営み・・・自給自足自立の生活に入ることをいうのである」 [2](2)  中島正は、究極的には民族皆農を主張する。「都市機構を潰し、都市活動をやめて、太古に存在した農耕社会に還る」。[3] 都市ではなく、農村に万人が居住する社会を理想とする。

  次節では、農民と対照して、都市住民の生活に言及してみよう。とりわけ、都市における大学という存在形式に言及してみよう。

 

[1]   いしいひさいち『いしいひさいち選集』第9巻、双葉社、1992年、91頁。    

[2]   中島正「私の百姓自立宣言⑦ 『自然世』を近づける蓑虫革命とは」『現代農業』第62巻第7号、農山漁村文化協会、1983年、352頁。

[3]   中島正『都市を滅ぼせ 人類を救う最後の選択』舞字社、1994年、174頁。

 

 

 

第2節 大学という社会的存在形式

 

 

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2節 大学という社会的存在形式

 

  今回の物語の主人公、新田の政次君は、村で初めて東京の大学に行った。それまで、農村近郊の地方都市に存在する大学に進学する子弟は、少なからずいたのであろう。しかし、首都東京に進学した子弟は、政次君が初めてであったようである。[1]

 彼が、三菱物産という日本を代表する企業において就職内定を獲得した。三菱物産という会社名は、三菱商事と三井物産という代表的商社に由来している。創作の世界では一般に使用されている超一流企業名称である。生涯賃金、社会的知名度、福利厚生等の観点から、現代日本における最高の企業の代名詞として使用されている。この企業で労働をすることは、多くの大学生そして多くの日本人によって羨望の的になる。一般的大卒労働者の平均的生涯年収は、2ー3億円と言われている。さしあたり、2.5億円としてみよう。対照的に、三井物産の平均的生涯年収は、5億円である。ほぼ、平均的労働者の2倍の年収をこの企業の労働者は獲得する。平均以下の生涯年収しか獲得できない労働者の4-5倍の賃金を獲得できる。

 新田の政次君がこの企業に内定した。この事象は、彼の故郷の農村においてニュース的価値を持っていた。彼の就職内定に関する記事が、地方新聞の地域欄に掲載された。もちろん、就職協定に違反していた。有名無実化しているとはいえ、この協定は遵守されねばならない。したがって、この内定が取り消されるという、いしいひさいち流の落ちがついている。

  この4コマ漫画の落ちの部分を除いて、この物語は次の点を前提にしている。第一に、農民の子弟が東京の大学に進学することが、農民あるいは農村の共同意識において素晴らしいと認識されている。新田の政次君は、農村の共同意識において東京の大学に進学した段階においてすでに郷土の誉れであった。子弟が大学生として都市の住民になること、より厳格に言えば、都市の上層市民になることが、農民の意識において郷土の誉れとみなされている。これまでも、この農村から都市の下層市民になったことは、稀ではなかったであろう。農村の子弟が、1950~1960年代に金の卵として大都市とりわけ東京に流入した。中卒労働者として都市の下層市民になった。中卒労働者と大卒労働者は、日本社会において明白に区別されている。新田の政次君が中学を卒業して、東京の労働者となったとしても、その事実が新聞記事になることはない。

  第二に、新田の政次君は東京の大学に進学し、大学生として就職活動をした。三菱物産という日本を代表する企業に内定した。三菱物産の労働者は、ほぼ偏差値の高い大学卒業者から構成されている。この難関大学に入学することは、高校生を抱える両親の希望である。大企業に就職することは、後期近代において社会的に承認されている。大企業に就職することによって、後ろ指をさされることは、めったにないであろう。もっとも、全共闘世代あるいはこの世代と価値観を共有している人々にとって、大企業への就職は社畜への第一歩として馬鹿にされたであろうが、21世紀の学生にとってこのような企業への就職は、ほとんど痛痒を感じないであろう。

  彼が有名大学において優秀な成績を修めたことは、当然であろう。彼は大学生として刻苦勉励した。あるいは、彼は刻苦勉励するための能力を保持していたのであろう。東京の有名大学卒業生の大半は、三菱物産に就職できない。上位の成績優秀者のうちにいなければならない。多数の「優」を獲得することは、成績優秀者として当然であった。社会的エリートとして十分な基礎教養が、彼の4年間の学業生活において形成された。

  このいしいひさいちの4コマ漫画において描写されている事態は、現代日本人にとって願望である。子弟が東京の有名大学に進学し、有名企業に就職した。この事実において非難される要素はないかのようである。しかし、中島正はこのような大学生の意識ひいては大学の社会的役割を次のように、批判する。「大学は、汚染破壊集団の予備軍養成所である・・・・年々無慮20数万にも及ぶ大卒が、悉く農民の汗の上に居座って不耕貪食を企み、汚染農業を余儀なからしむるだけでなく、その過半数は工業化社会の活動の中心になり、・・・自然=環境に迫害を加え続ける」。[2]  大学生という社会的存在形式は、その価値が否定される。大学生そして都市住民は、農民と農村に対して害悪を加える存在でしかない。彼らが都市住民であるかぎり、彼らは農村から食料を供給してもらわねばならない。にもかかわらず、農民の子弟が社会的賞賛を受けるためには、農村ではなく、都市において居住しなければならない。「ただの百姓」であることは、社会的賞賛の対象外である。対照的に、中島正は、身を立て、名をあげることを拒否する。不耕貪食の都市住民という存在形式が、中島正によって根底的に批判される。

 

おわりに

 

  中島正の思想も、いしいひさいちの漫画も、独立して論じられるべき対象である。今まで、『田村伊知朗 政治学研究室』において、両者は断片的に論じられてきた。また、政治学概論と政治思想史講義草稿の補助教材として提示されてきた。今後、それらをより明確な形で提示したい。この作業は、後期近代という時代精神を対自化するために不可欠の前提になろう。

 

 

 

[1] いしいひさいち『ノンキャリウーマン』第2巻、双葉社、1999年、110頁。

[2]   中島正『みの虫革命――独立農民の書』十月社出版局、1986年、152-153頁。

 

  本記事は、『公共空間 X』に転載されている。(In: http://pubspace-x.net/pubspace/archives/6613. [Datum; 27.05.2019]) なお、転載以後、加筆修正している部分もある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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