ドイツ帝国市民運動・ライヒスビュルガー (Reichsbürger)ーードイツ的なものの喪失という思想状況

 ドイツ帝国市民・ライヒスビュルガー (Reichsbürger)が、ドイツの治安問題として問題になっている。しかし、この運動は、後期近代においてドイツ的なものの喪失と関連している。たんなる、コロナヴィールス-19( Coronavirus SARS-CoV-2)に関する政策問題や、陰謀論に還元されてはならない。この運動は、ビスマルクによって象徴されるドイツ第二帝政にドイツ的なものの起源を求めようとしている。あまりにノスタルジックなその外見に幻惑されてはならない。

 

 もはや、この運動の意義は、ドイツ的なものは、ドイツ語しかないという状況において、初めて理解される。ここにおいて、もはや、ドイツ的なもの、ドイツ人気質(Deutsche Mentalität)は、消滅している。ドイツ的なものをドイツ語以外に求めることは、差別になるからである。人種、宗教、家柄等出自に源泉を発する如何なる概念も、ドイツ的なものと関連づけることは、差別につながる。ドイツ語を使用する人間、これがドイツ人になる。

 

 この状況を創り出した根拠は、最近の30年における連邦政府の政策にある。この運動の端緒は、ベルリンの壁崩壊以後、世界中に蔓延している国際化という潮流に対する反対運動にあろう。検察による検挙理由であるクーデターという19世紀的な運動形式に、幻惑されてはならない。近代思想における大衆民主主義の進展というコンテキストに晒されている社会的状況下において、この運動は初めて理解される。地球市民という概念が、主権国家あるいは地域の個別性と特殊性を、個人の嗜好に還元したからだ。

 

 日本においても、これから日本的なものは、ますます解体される。朝鮮半島、中国大陸との対抗軸において、日本の独自性ひいてはその優越性が議論されている。しかし、日本的なもの、日本精神ひいては大和魂それ自体が、日本列島から消え去ろうとしている。世界に冠たる日本精神が、日本語しかないとなったときに、ドイツ帝国市民・ライヒスビュルガー (Reichsbürger)と類似した運動が、本邦においても生まれるであろう。

 

 しかし、国際化を進展させようとする政治状況において、ドイツ帝国市民・ライヒスビュルガー (Reichsbürger)は弾圧される。日本的なものを奪還しようとする運動も同様である。この運動の必然性とその解体が、予見されている。後期近代において、現存秩序を破壊しよとする運動は、新左翼運動と同様に社会的に葬らされる。この運動がどのような思想を胚胎しているかにかかわりなく、政府そして社会から仮借なく駆逐される。たんなる暴力集団として、秩序を支配している階層から、弾圧されるだけに終わるであろう。

現実的世界の認識と人間の妄想 『ヒトラー~最期の12日間』死と犬死への序曲 完結編

http://www.hitler-movie.jp/index2.html

 

(この記事は、これまでの本映画に関する5本のブログを纏めたものであり、この映画に関する批評の最終稿になる)。

また、本記事は、2005年10月13日の初出であるが、2022年8月26日に改稿した。

『ヒトラー ~最期の12日間~』死と犬死への序曲

 

 戦争映画は数々あるが、戦争の本質の一端を示した映画は少ない。おそらく『ヒトラー ~最期の12日間~』は、その数少ない映画の一つであろう。この映画は戦争映画を超えて人間の普遍的な問題と関連している。たんなる戦争映画という範疇を超えて、一般的人間の感情に訴えている。そもそも、ある映画は、戦争映画、ピンク映画、西部劇、時代劇、任侠映画等という特殊な範疇に分類されている。しかし、その映画がこの特殊な範疇を超えて、普遍的人間の問題と関わるかぎり、その範疇を超えて映画史に刻印される。

 この映画が取り扱った本質的主題はかなりの数に上る。それらの複数の主題が競合することによって、戦争映画という範疇を超えてゆく。これは、人間の責任の取り方という普遍的主題と関連している。ある種の理念に殉じることは何かという問題と関連しているからである。自らが構想し、実現しようとした国家社会主義という理念がその崩壊に直面したとき、ヒトラー、ゲッベルス等のナチス高官は、自らの命を絶った。もちろん、ヒムラー、ゲーリングのように、逃亡して、外交交渉においてその活路を開くという手段も残されていた。また、責任など取りようもなく、死ぬ市民も多数あった。

 この映画に対する批評として数多く取り上げられたことは、ベルリン陥落直前の総統府における地下要塞に焦点を絞っている点ことである。地下室において、ヒトラーを中心とするナチス高官たちの人間模様が描かれている。ヒトラーは将軍たちとベルリン攻防戦のために絶望的状況のなかで最後の戦略を練る。ただし、軍事的手段は限られ、妄想的戦略を練るか、将軍たちを怒鳴り散らすだけである。また、そこでは、政治的人間としてのヒトラーだけではなく、エヴァ・ブラウンを中心とする秘書たちとの私的生活が描かれている。そこでは、彼は菜食主義者であり、愛犬を大事にしている一人の老人として描かれている。その点において、限られた空間に焦点があてられた著名なドイツ映画、『U-BOOT』(潜水艦)を想起させる。

 この点は、一面では当たっているが、他面において正確ではない。この映画の美しさは、このベルリンにおける地下要塞と、戦争末期のベルリン市民生活が対照をなしていることにその本質を持っている。後者において、戦争の悲惨さが描かれている。そこでは、シェンク教授(軍医)が中心となり、市民の戦争時における日常(麻酔なしでの手足の切断という、医薬品の無い状況での医療行為)が描かれている。この映画の主人公の一人でいってよい。

 前者、つまり総統府においては、日常生活に必要なもの、電気、水道等は完備されている。また、嗜好品、酒、煙草、菓子は充分供給されており、その配給をめぐる人間の悲惨があるわけではない。映画のなかでは、将軍、参謀達は、しばしば泥酔しており、秘書は、煙草を喫している。しかし、彼らは死を予感しており、その準備のために酒を飲み、煙草を喫している。自殺する参謀が、その直前に煙草を喫して、吸殻を絨毯に投げつけ、足で踏み潰すシーンは象徴的である。総統府には、人間が生きてゆくための物質的悲惨さはない。青酸カリも潤沢に用意されている。人間は物質的悲惨がないかぎり、観念に殉じることができる。

この限られた空間においてベルリン陥落という状況下にありながら、ヒトラーも含めた高官たちが、ありもしない「第9軍」、あるいはシュタイナー軍団がベルリンを解放してくれるという幻想に浸っている。この軍団は地図の上でしか存在していない。現実態においいてこのような軍団は、壊滅している。少なくとも、常識的に考えれば、ベルリン市民が水道、電気等がない状況下において、そのようなことはありえない。ベルリンが空爆を受けている状況下において、民需工場だけではなく、軍需工場もまた稼働していない。

にもかかわらず、そのような自己にとってのみ、有利な情報を選択し、都合の悪い情報をないものと考えることはよくあることである。ほとんど、ありえない状況を仮構し、そのなかで夢想することは、人間にとって幸福である。しかし、いつかこの幸福な状況は現実に直面することになる。ヒトラーのこの仮定を、幻想、妄想として嘲笑することは、簡単である。しかし、我々もまた、この嘲笑される状況下にあるのかもしれないからである。

 しかし、この幻想も長くは続かない。地下壕もまた空爆される。ヒトラーを含めたナチ高官がその理念に殉じることになる、とりわけ、ゲッベルス宣伝相の家族は、夫人だけではなく、その幼児までも、その理念に殉じるということを強制した。もちろん、幼児にこの強制に対する反抗手段は残されていなかったが。それを狂気とみなすことは、簡単である。しかし、何か人間の美しさを表現していると言えなくもない。少なくとも、映画においてヒトラーの死よりも、涙を誘ったのは事実である。

他方、ベルリン市民生活では、人間の最低限度の生活(水、医薬品等)は保障されておらず、人間生活の悲惨さが充満している。ヒットラーやその周囲の高官たちの死がそれなりに必然性を持って描かれていることと対照的に、多くの市民、下級兵士、市民防衛隊員は、あっけなく死んでゆくことである。何の必然性もなく、その死への心の準備もなく、死んでゆくことである。たとえば、水を汲むために戸外に出た瞬間、爆弾にあたって死ぬように。

もし、戦争の本質が、このような一般市民の突然死であるとするならば、彼らの死は、犬死であろうか。ナチス高官の死と、このような市民の死は等価であろうか。この二つに類型化された死の諸相から、人間の死ということを考える契機になろう。

(このブログは、これまでの本映画に関する5本のブログを纏めたものである)。

 

 

ベルリン旅行者(11)ーー生活習慣の差異

ベルリンに関する記事をまとめるため、8月11日に変更する。

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 2017年9月中旬からベルリンにいた。滞在したホテルは、地下鉄の駅から、20-30分の距離があった。公共交通機関の使用困難性からか、異様に安い値段であった。現在のユーロ高の現状でも、6000円前後であった。100円で計算すれば、1泊4000円代であった。もっとも、私は主要駅に通じるバス路線を知っていたので、案外便利であることを承知していた。
 このホテルは、最近建設されたにもかかわらず、鍵はドイツそして欧州の伝統的な形式を採用していた。通常のホテルは、鍵に電子情報を入力して使用する鍵形式を採用している。この鍵の開け方をわからず、ホテル従業員をわづらわせた。欧州の鍵は、開けるときに、右手で時計回りに2回まわして、最後に左手で引きながら、すこし捻じるようにあけねばならない。そのコツを忘れていた。日本の鍵は、開けるときに時計と反対回りに1回ほど回すだけである。このように、日常空間の間で、ドイツと日本では差異がある。この差異は、若者であれば、簡単に克服でるのであろうが、還暦の老人には、かなり困難であった。
 このような差異を前にして、半年ほどドイツに滞在する計画を持っている。どのようにするのか、楽しみであると同時に、恐怖でもある。聞いた話では、日本の有名な大学教授が、1年ほど大学行政の功労によってドイツに滞在していたようである。しかし、彼は順応できず、半裸で公道で奇声を発していたようである。友達も存在するはずもない。このような大学教授の話をきいていると、ドイツに滞在することも考えようかもしれない。

ベルリン旅行者(十)ーー公共交通つまり鉄道、歩行そして飛行機

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  日本の鉄道、とりわけ新幹線は気候変動を別にすれば、ほとんど遅延することはない。しかし、欧州の特急列車は遅延することがままある。欧州の優等列車の多くが、国境をこえて運行されているためでもある。しばしば利用するローストック発ベルリン経由、スイスバーゼル行きの列車などは、短いほうかもしれない。
  10分、20分遅れなどアナウンスを聞いてから、駅のホームを移動すればよいであろう。とりわけ、ライプチヒ中央駅などの行き止まり式の場合、ホームがころころ変化する。大慌てに行く必要はない。乗り継ぎの列車に間に合わないことはない。待ってくれている。しかも、ドイツ鉄道に遅延の原因がある場合、たとえ乗継列車に乗れなくても、切符は有効である。問題は割引チケットの場合である。できれば、割引料金ではなく正規料金(ノルマールプライス)のほうが、自己都合で遅れても、後続列車に乗車できる。ちなみに、鉄道料金は2日前に購入するとかなり安くなる。バーゼル・ベルリン間の一等車の正規料金は、250E、二等車は150Eであるが、2日前では、150E~160Eと二等車並みの料金になる。備忘録として記しておきたい。一等車では、様々なサービスがある。食事も食堂車に行かなくとも座席でとることができる。新聞も読み放題である。トイレ等も比較的綺麗である。

  2015年9月27日にハレからライプチヒ経由で、ベルリンに行こうとした場合、いそいで乗継特急列車にのろうとして、すでに発車していた列車に乗ろうとした。もちろん、駅員に警告された。「危ない」。当然であろう。乗継列車がすぐに発車することはない。この乗継は、ドイツ鉄道の正規の情報ーーつまり切符を購入するときに、切符販売員が指示した切符に基づいている。堂々とすべきであった。

また、ドイツでは、動力化されていない個人交通、つまり徒歩、自転車走行への配慮が行き届いている。自転車道が整備されている。この自転車道は、歩道を削って設置された場合が多い。歩道と自転車道は近接している。ボーっとしていると、かなり危険である。40キロ前後で走行している場合もおおい。

  最後に、飛行機搭乗に関して述べてみよう。搭乗手続きは航空会社、ドイツでは主としてルフトハンザが代行している場合が多い。当然のことながら、エコノミーとビジネスは分離されている。しかし、ドイツ警察によって運営されいる手荷物検査の終了時間が迫ると、それも無視される。しかし、多くの日本人はエコノミーの窓口に並んでいる。しかし、東欧人等はそれを無視して手荷物検査を受ける。馬鹿正直に並んだ日本人が、手荷物検査に間に合わなかった。クレイムを言っていたが、後の祭りであろう。ドイツ警察は、乗客の不便等には関心がない。荷物検査だけを担当している。

  手荷物検査では、日本とことなり電子辞書もコンピューター扱いされる。鞄からそれを抜き出さねばならない。それを忘れて、ひどい目にあった。しかも、ドイツ語で皮肉をいったので、危うく別室に連行されそうになった。素晴らしい仕事ですね、と言った記憶がある。明らかに皮肉であり、検査官が激怒した。ドイツ語がよくわからないといって、難を逃れたが、冷や汗ものであった。つくづく、ドイツの治安維持は、日本と異なり厳格にならざるを得ないとおもった。移民政策の副産物である。メルケルが産業界の意向にしたがって、安価な労働力を海外に依存しようとした。もちろん、下層市民は反対した。AFDの躍進の原動力そしてキリスト教民主同盟の没落につながった。


ベルリン旅行者(九)ーー関係性と街の変化ーー原点は消滅している

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  ベルリンの街を歩く。この街を30年ほど歩いている。もっとも、1989年から2004年までの激動の15年間、この町を歩いたことはない。私が非常勤講師であり、日々の生活に追われていた。海外旅行をする余裕は、全くなかった。学生食堂の大盛カレーと駅の立ち食い天麩羅ウドンが、最大の御馳走であった。
  2004年から今日までの十数年間は定職に就いたので、ほぼ毎年、2回ほどこの街を歩いている。夏休みと春休みの2回は、ベルリンを訪問している。街自体が変化している。1989年のベルリンの壁崩壊という巨大な世界史的変換を別にしても、日々変化している。
 数年間贔屓にしていたレストランが、別の店に代わっていたこともあった。ヴィーナーシュニツェル(とんかつに似た食べ物)のうまい店があり、1週間に一度は通っていた。小太りの中年の女性が、注文をとりに来た。愛想があり、冗談も通じる下町のおばさんであった。彼女と冗談を言うことは、図書館で沈黙の一日をすごした外国人研究にとって、ひとときの潤いであった。
 しかし、2017年の春行ったときには、もはやなかった。西ベルリンの旧市街にあるカント通りから左折した住宅街に、この店は位置していた。この店は、繁華街からかなり外れていた。私が贔屓する店の条件は、安価でかつ静かな空間の存在である。この飲食店も喧噪とは無縁の店であった。もっとも、その評価がこの飲食店の消滅を意味している。広い店の賃料は高いにもかかわらず、客数は少ない。このような飲食店が閉店の運命にあることは、経営学の素人でも理解できよう。

 

  また、店自体は残っていたが、取り扱い商品が無くなっていたこともあった。ECCOというブランドの靴を愛用していたが、ベルリンのその店では、もはや取り扱っていなかった。最近のことである。DDR(東独)時代の商品はもはや購入不可能であることは、自分では納得している。30年前の商品がないのは、当然である。しかし、数か月前まで陳列しており、毎年購入していた商品が販売停止になることは、想定していなかった。同様なことが文具にも生じている。エリーゼというブランドのボールペンを愛用しているが、その替え芯を購入しようとした。しかし、そもそもそのブランドを生産していた会社自体が消滅したようである。ネットでは、その替え芯を含めて、数万円の値段がついてる。喜ぶべきか、悲しむべきかわからない。ちなみに、「オンライン」というブランドも使いやすいが、やはりラミーの方が日本でも購入しやすく、文具はラミーをほぼ独占的に使用している。
  さらに、自分自身の変化、あるいは為替関係の変化による変化、つまり主体の側の変化もある。旧西ベルリンには、大都会という老舗の日本料理店がある。そこでは、最低30ユーロほどを使用しなけばならない。このごろは、ユーロ高つまりバカノミックスによる円安によって、4-5千円の日本円を使わざるをえなくなった。しかも、貸し切りの場合もあり、使いづらい。今後は贔屓にできなくなった。むしろ、寿司バーがベルリンに多く出店している。そこの方が、安価で満腹になる。

 

  また、人間そのものが死んでしまった場合もある。1960年代に渡独し、以後半世紀にわたってベルリンに居住した知人が、この春死亡した。彼は、日本人社会の主という風情があった。年に数回、彼の自宅を訪問することは、ベルリン訪問のひそかな楽しみであった。いつも、焼きソウセイジを御馳走になった。同時に、味噌汁と炊いたご飯は、それだけで御馳走であった。2017年3月に私が渡独した時には、彼は元気であったが、数か月後に、死亡した。この夏にベルリンに行った時には、もはや彼の住居はないであろう。

 

 思想史としてマルクスの思想を討究することも、後期近代においてほとんど無意味であろう。マルクスの『ドイデ』の一節を討究することは、共産主義論とは全く関係がない。マルクスは19世紀の政治状況に拘束されている。その状況がまったく変化していることを無視して、マルクスの思想を現代に適用することは無意味であろう。よく原点に帰れといわれる。しかし、原点と現時点とは関係がない。原点と現点が似ているのは、発音記号だけである。後者には、「時」つまり時間の経過が含意されることによって、全く別物に変容している。

 

  さらに、私自身も変化することを想定していない。私もまた数年後には、今の職場から追放される。定年を迎えるからである。しかし、実感はない。永遠の職場のような気がする。しかし、数年後に確実に定年退職する。その状況を先取りしようとと思う。日本の労働組合は、企業内組合であり、退職後、組合員はこの組合から追放される。先取りして、組合からも脱退しようとおもう。また、企業は親睦組織を持っている。「・・・会」という親睦組織を持っている。冠婚葬祭にあたって、金一封が贈呈される。また、年度末には、送別会が実施される。市内の老舗レストランで集合写真をとり、会食する。これは写真を撮るために、継続してみよう。
  

ベルリン旅行者(八)ーー前泊ホテルと成田発着便

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  地方在住者は、海外旅行に行く場合、前日に宿泊をよぎなくされる。成田空港および羽田空港周辺には、多くのホテルがある。できるだけ、空港に近く、安価なホテルが望まれる。

  ホテル前泊の理由は、午前中の便であれば、地方の朝一便でも、ほぼ間に合わないからである。もちろん、最近では、25時羽田発フランクフルト・アム・マイン行き等の西欧便にのれば、午前中にフランクフルト・アム・マインにつく。地方在住者にとって朗報ではある。しかし、如何せん、高価である。
  逆に、午前に成田発の欧州便はより安価になっている。狙い目である。羽田発欧州便が認可されて以降、成田便は不便であるという認識が、広まったし、実際そうであろう。とくに、中東経由(イスタンブール、アブダビ)、アジア経由(北京、シンガポール)等の成田発着便の場合、かなり安価な航空券を入手可能である。その意味で、お金持ちは羽田から、貧乏人は成田からという図式が成立している。もちろん、駅弁大学教授は、後者に属している。旧帝大つまり宮廷大教授は、羽田経由であろう。すこし、羨ましい。

ベルリン旅行者(七)ーー自己の状況の確認ーー職場、博士論文

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 外国に滞在すると、かなりの日常意識から解放される。拘束されていた日常意識を、対自化することも可能であり、そうなる場合もおおい。とりわけ、職場からの解放はおおきい。サラリーマン、労働者は、有能であればあるほど、会社の理不尽な命令とりわけ道徳的、法律的不法を行使しなければならない。自らの欲望を犠牲にすることもままあるであろう。家族の行事と職場の命令を天秤にかければ、後者の方が重いであろう。
  
  私も、そのような環境にいた。しかし、自分の研究を犠牲にしてまでも、所属組織に義理を感じる必要はないであろう。私は、自分の研究を市民公開講座として開放してる。もちろん、新聞社等にも連絡している。それだけでも、かなり貢献している。もっとも、その報酬はまったくない。新聞社に媚をうっていると、あからさまに批判されたこともある。とくに、読売新聞社の専務と仕事をしているとき、次のように言われた。「俺は、朝日新聞と赤旗しか読まない」と。もちろん、私が問題したことは、どの新聞社でもよい。職場の名前がでれば、少なくとも所属企業にとってはよいことである。宣伝効果を考えたことはない御仁の発言であろう。読売新聞のすべての編集方針が正しいとはおもわない。しかし、名前が出る効果は考えるべきであろう。

このような大学に忠誠心がだんだんと無くなってきた。2014年開校した新学科に対して、並々ならぬ時間と精力を使った。しかし、その報酬は無であった。深夜まで労働させられた。にもかかわらず、残業代すらなかった。昇給もなかった。だんだん、自分の研究を犠牲にしてまで、奉仕するという精神は減少した。いま、趣味として路面電車の研究に従事している。老後の趣味として、設定したが、かなりの研究時間と研究費を費やしている。それも、趣味の領域に戻そう。しかし、本にまとめねばならない。


  このような認識に至る条件として、職場あるいは日常的人間関係から断絶されていることとならんで、持ちものが少ないことが挙げられる。持ち物は、20キロに制限されたトランク一個だけである。かつての高僧が誇っていた起きて半畳、寝て一畳よりも少ない。もちろん、ホテルという空間を占有しているが、自分のものという意識は少ない。トランク一個に、数週間分の衣料品と文具が入っているだけである。自己の所有物という意識から解放されている。すべての空間は、そのとき占有しているだけである。しかも、生活は規則的である。朝食料金を支払っているので、朝飯を8時ごろ摂取する。昼食は大学か図書館の学生用食堂で済ませる。非常に安価である。しかも、すぐ食べることができる。夕方には簡単な弁当のようなものを購入して帰る。したがって、12時以降に就寝時間がずれ込むことはない。11時ころから、就寝の準備を始めるという極めて健康的な生活をおくる。食事の準備、掃除等の用務から解放されている。自省する時間が増える。
  


201708010

 自己の状況の課題を発見することは、海外旅行の目的の一つである。最近、気が付いたというよりも、忘却していたと言ったほうがよいであろう。教授資格論文を執筆していない。どうするのか。論文はまだ、執筆していない。もし、交通論で書くのであれば、ハレ新市で書くのが筋かもしれない。その場合でも、「文献目録」が必要である。文献目録を整備しなけばならない。研究史も整備しなければならない。その前に、ドイツ語で論文を書きたい。ベルリンかハレの路面電車を素材にするしかないであろう。

ベルリン旅行者(六)ーー完全性への諦念ーー食事とドイツ語

  20170806 20181105

  外国にいると、私が日本人であるという意識を持たざるえない。その国の風習、しきたり、そして言語を未収得であるからだ。レストランで食事をしていても、その意識を持たざるをえない。多くの東洋人は、パンと、肉、チーズ等を別々に食べている。しかし、西欧人、そして東欧人もパンの上に、それをのせて食べている。食事の形態からも、東洋人であることがわかる。

  もっとも、西欧人のなかでもこの風習を覆す人がいることも事実ではある。あるホテルでの出来事である。あるフランス人は、そもそもパンを食していなかった。一つの皿に、スクランブルエッグ、ハム(薄い生ハム)、チーズ、そしてバターを入れる。肉と卵と乳製品だけの食事である。しかも、たっぷりとバターを5-6切れほどを入れている。エネルギーたっぷりの食事である。今、はやりの糖質なしの食事である。精力満点であろう。このような中年フランス人の夜の生活を想像して、楽しくなった。

  人種だけではなく、年齢の問題もある。若い時代であれば、100グラム、200グラムの肉を食べることも問題なかった。しかし、還暦を迎えようとする場合には、無理である。その場合、レストランで、スープと野菜サラダだけでもよいであろう。とくに、ドイツのサラダは、非常に分量がある。それだけも十分である。付け合わせのサラダではない。別注文のサラダであれば、十分である。また、肉が少しくいたければ、屋台のハンバーガーで十分である。パンも若いときには、黒ライ麦パンを常食としていた。しかし、歯が丈夫でなくなった今では、クロワッサンのほうが食べやすい。黒パンの端をナイフできり、端をすてることもできるが、少し面倒である。クロワッサンの上に、チーズと生ハムをのせると、至福の時間を享受することができる。小さな焼ソーセイジも美味である。

 また、ドイツ語の発音もどこかおかしい。発音が完璧であろうと、イントネーションがどこかおかしい。また、構文自体も文法的には完璧であったとしても、コンテキストにおいてどこかドイツ語として変である。ドイツに住むドイツ人と同じドイツ語を話す必要は、ない。所詮、数週間滞在する旅行者である。その限定で、ドイツ語をしゃべればよい。極東から人間として、外国語をできる範囲で話し、そして書ければよい。そのような諦念をもつことも重要であろう。ドイツ語研究者、通常はドイツ文学研究者がドイツ語をどれだけ話せるかも疑問である。文法書に忠実である必要はない。そもそも、大学教育や学問的世界の合理性、完璧性を日常世界において実現できると考える方がどうかしている。そのような精密性を生活世界に求めるとき、人は発狂せざるをえない。無菌状態に関する議論も、そのような精神状況から生じているのであろう。ドイツ人は、図書館では靴下のまま歩きまわる。鉛筆、ノートを床に落としても、塵紙で拭く人はいない。また、駅の列車の通路に座り込んでいる人も多々いる。それでも、彼らが病気になったという話を聞かない。

  ただし、それも限度がある。ベルリンの長距離電車は、「中央駅」、「東駅」そして「南十字駅」から出発するか、それを経由している。タクシーで行き先を告げたとき、「南」と言ったつもりであったが、「西」と言ってしまった。数分後に気が付いたが、かなり時間と金銭を消費してしまった。また、「9月」と言ったつもりが、「11月」と発音していたこともあった。ハレ中央駅で、2015年9月25日に、翌日のベルリン行きの切符を買うときであった。すぐ気が付いたが、大笑いされた。こちらは、緊張していて笑うことすらできなかった。時間、方角、数字は、原初的言語に属している。それゆえ、学術文書にはほとんどでてこない。しかし、日常用語では頻出単語である。

  私自身が老いている。加齢とともに、単語がでてこない。ドイツ語だけではなく、母国語ですらそうである。況や、外国語においてをや。苦笑するしかない。苦笑で済めばよいが、金がかかっている場合には、大変なことになる。どうしようもないこともある。まさに、孤独というよりも、途方に暮れることが多い。

ベルリン旅行者(五)ーー煙草という幸福追求権

  20170805、20181105


 ベルリン旅行つまり西欧に旅行する楽しみの一つは、日本で購入できない品物を購入することにある。とりわけ、関税がかかる商品、酒、タバコ等が、それにあたる。
  ところで、西欧では現在、煙草のパッケージにグロテスクな写真をはりつけ、その購入意欲を阻害している。ドイツだけではない。フランスでもそうである。おそらく、EC加入国家のすべてがそうであろう。しかし、自動車は人間を殺し、障害者にする可能性を持っている。自動車の車体に、ひき殺された人間の写真をはるべきでろあう。
  いずれにしろ、あのグロテスクな写真を貼った煙草を購入しようとはおもわない。今後は、馬鹿げた規則を設定したEC以外の国々を訪問あるいはその国の空港をトランジット空港にしよう。
 
 2016年10月
 この時期には、このグロテスクな形態が法制化されていた。しかし、フランクフルト・アム・マインの免税店には、まだ在庫があった。馬鹿な私は、2017年3月に、フランクフルト・アム・マインではなく、パリ経由で帰国することにした。パリでは、もっと悲惨になっていた。ドイツでは、かろうじて煙草のパッケイジの一部がのこっていたが、フランスでは統一パッケイジであった。ここでも、購入することはできなかった。馬鹿な選択肢であった。この変換は、欧州共同体の決定に基づいてる。喫煙者という少数者の幸福追求権は、多数者の完全性の追求つまり健康な身体を維持するというパラノイヤによって侵害されている。


20181105
  欧州もまた、米国の清教徒主義に汚染されているように思える。しかし、清教徒は、ルターの宗教改革に根をもっている。その意味で、欧州の禁煙思想もまた、米国と同根かもしれない。


ベルリン旅行者(四)――労働者階級の消滅ーー言語能力によって階層化された労働者階級――その例外

20170804、20181104

 

 

 

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ドイツのホテル労働事情(一)――言語能力によって階層化された労働者階級

 

 ドイツにおいて、多くの老舗ホテルがその名称の変更を迫られている。地場に根づいてきたホテルが、全国あるいは国際的に展開するホテルチェーンの傘下に入っているからだ。そのため、労働者階級も複雑に階層化され、分断化されている。もはや、労働者階級という言説が、死語となっている。未だにこの概念に固執するものは、カルト集団とみなされるであろう。以下の言説において、ホテルチェーン総体と、ホテル(たとえば、ベルリンにある一個のホテル)という概念区別を用いる。

 

 ところで、全国展開されているホテルの労働者は、その言語能力によって下記のように階層化されている。

 

(1)英語あるいはフランス語しか理解しない。多くのホテルは、フランス系資本、たとえばアコールホテル・グループに統合されている。この領域において、フランス資本は欧州において想像を絶するほど強大である。

 

(2)英語とドイツ語を理解する。ベルリンにおいて支配的言語は、ドイツ語である。

 

(3)ドイツ語しか理解しない。

 

(4)ドイツ語とスラブ系言語を理解する。

 

(5)スラブ系言語しか理解しない。ドイツのホテルにおいて、最下層の労動力、たとえば清掃労働等は、スラブ系あるいはギリシャ系労働者によって担われている。

 

(1)(2)(3)(4)(5)の順に階層化され、指揮命令化にある。報酬もその秩序に対応している。(1)の人間が最高の命令権を持ち、最高の報酬を獲得する。(5)の人間は、年金賦与権すら怪しい。日本でいえば、派遣労働者に近い存在であり、そもそもこのホテルに帰属しているという意識を有していない。

 

(1)この階層に属している人間は、ホテルチェーンの本部に属している。彼らは、当該ホテル、たとえばベルリンのホテルの最高責任者である。彼らは、英語あるいはフランス語しか解さない。欧州であれば、ドイツだけではなく他の国でも勤務する可能性がある。チェーン本部に対して責任を負う。

 

(2)この階層に属している人間は、英語とドイツ語を理解する。英語によって、(1)の人間の命令を(3)(4)(5)の人間に伝達する。但し、(3)の人間を介してである。また、ホテル業界という特殊性から、彼らの労働能力がとりわけ必要とされる。顧客の多くは、英語しか理解しない場合が多い。このホテルにおいて上層に属している。このホテルに対して、帰属意識を持つ。

 

(3)
この階層に属している人間は、ドイツ語しか理解しない。ただし、彼らが、このホテルの実質的仕事を担う。食料等の物資の調達、監督官庁との折衝等は、ドイツ語を介して実行される。契約書はドイツ語で書かれている。

 

(4)
この階層に属している人間は、ドイツ語とスラブ系言語を理解する。この階層の人間は (3)の人間の命令を受けて、(5)の人間の労働を監督する。ここまでが、このホテルに属しているという意識を持つ。

 

(5)
この階層に属している人間は、スラブ系あるいはギリシャ系言語しか理解しない。したがって、文書を介した労働には従事しない。客室清掃等の単純労働に従事する。(4)の人間の命令を受けて、労働をする。その労働は(4)によって点検される。不備があれば、やり直しである。この労働は規格化され、交換可能である。彼らは毎日この労働に従事することは、まれである。

 

 

 

 従来の労働者階級は(5)によってイメージされていた。しかし、(1)(2)(3)(4)の人間もホテルを経営する際に、必要である。清掃労働だけでホテルが経営されていると考える学者は、もはやいない。労働者階級という言説が、その言語能力によってバラバラに階層化されている。清掃労働者にとって、英語とドイツ語を解する労働者を自分の仲間であるという認識はない。

 

 

 

 この意味はそれだけにはとどまらない多くの論点を含んでいる。本日は階層化された労働者階級という論点だけを押さえておこう。

20140311 ドイツのホテルにおける労働事情(二)――言語能力によって階層化された労働者階級――その例外

 

数年前、以下のようなブログ記事を執筆した。それは、本日執筆した文章と全く異なっている。概略的に言えば、本日のブログは、

 

(1)英語しか理解しない。(2)英語とドイツ語を理解する。(3)ドイツ語しか理解しない。(4)ドイツ語とスラブ系言語を理解する。(5)スラブ系言語しか理解しない。」という(1)~(5)の階層分化を前提にしている。しかし、チェーン店に属していない小規模の老舗ホテルの場合、

 

(2)英語とドイツ語を理解する。(3)ドイツ語しか理解しない。」という階層分化を前提にしている。このような例外的なホテル労働現場もある。2007年のブログ記事は、このような例外的なホテルに滞在した経験に基づいている。ここでは、清掃業務もまた、ドイツ人労働者によって担われている。それゆえ、その仕事も画一的ではなく、また臨機応変になされる。また、部屋の清掃に関して、ホテル顧客の細かな要求にも対応できる。

 

このようなホテルもまた、例外的には残存している。強固な顧客網に支えられた伝統的ホテルに当てはまる。少なくとも、戦後すぐ、あるいは戦前からの伝統を持つホテルに当てはまる。地方都市、とりわけ人口数万程度の都市であれば、このようなホテルに滞在することも可能である。そのようなホテルを筆者もいくつか知っている。とりわけ、1週間以上滞在する場合には、とりわけ快適である。清掃労働者と会話を交わし、冗談も言えるからだ。クリーニング等も外注されず、そのホテルで完結している。

 

このようなホテルは、今後生き残れるのであろうか。

 

 

 

 

 

20071015 ベルリンのホテルと日本のホテルの差異――労働条件の差異

 

 

 

ベルリンのホテルと日本のホテルとの差異を論じてみよう。もちろん、同程度、三つ星、あるいは二つ星程度の筆者が宿泊したホテルとの差異である。超高級ホテルとビジネスホテルのサービスの差異を論じても仕方がないからである。また、その知識も筆者の体験に依存している。普遍性はほとんどない。

 

この両者の差異を論じるに際して、労働条件が問題になる。ドイツにおいて、基本的に年金のない労働は存在しない。あるホテルにおいて労働する労働者は、そのホテルに対して帰属意識を持つ。それにたいして、日本の場合、ホテルの中枢的労働、つまりフロント業務、営業等を除いて、多くの場合、派遣労働、パートタイム労働等の低賃金労働に依存している程度が高い。

 

それに対して、ドイツの場合フロント労働者と同様な年金つきの労働者が多い。もちろん、賃金の差異は職種に応じてある。しかし、同一の企業体に属するという帰属意識は同一である。

 

ところで、以下は全くの体験に依存している。ドイツのホテルに宿泊した日数も、日本の場合よりも多い。しかし、日本のホテルに宿泊した場合よりも厭な体験をした回数はすくない。最近も日本のホテルに宿泊したときにいやな体験をした。朝食のトマトジュースの中に、紙パックの蓋が入っていた。単純なミスである。しかし、このような単純なミスをドイツのホテルで体験したことはない。

 

その理由として、労働の在り方に関する両国の差異があるのであろうか。それとも、日本人はドイツ人に比べて勤勉ではなくなったのであろうか。私の個人的見解では、両者の勤勉性について差異はないであろう。

 

 

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