「北海道新幹線・新函館北斗駅をめぐる政治思想」に関する講演会

     「北海道新幹線・新函館北斗駅をめぐる政治思想」に関する講演会を、202078日北海道北斗市において実施した。本講演は、拙稿、「国家と地方自治体の関係――北海道新幹線の新駅、新函館北斗駅の建設とその名称問題をめぐる政治思想的考察」(北海道教育大学編『国際地域研究』第2巻、大学教育出版、2020年、74-87頁)に基づいている。とりわけ、その第3節、「新函館北斗駅という名称問題と地方公務員の無作為」に基づいている。その模様が、『北海道新聞』と『函館新聞』に報道された。その記事をここに公開する。(クリックすると、JPGファイルが、拡大されます)。

 

 

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道路交通による自然環境と人間的自然に対する否定的作用――ドイツにおけるその具体的様態に関する考察

(本稿は、田村伊知朗「道路交通による自然環境と人間に対する否定的作用――その具体的様態」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第70巻第2号、2020年、13-22頁、として公表された論文である。行末に書かれた数字は、本稿の頁数を表している。ドイツ語要約も含めて完全な論稿として、一つの記事において掲載する)。

 

道路交通による自然環境と人間的自然に対する否定的作用

――ドイツにおけるその具体的様態に関する考察

田村伊知朗

 

Tamura, Ichiro:

Die negativen Auswirkungen des motorisierten individuellen VerkehrsDie Beschreibung der konkreten Eigenschaften der Schadstoff-Freisetzungen und Schadenswirkungen für die natürliche Umwelt und die menschliche Natur durch das verkehrliche Mobilitätsgeschehen

                                 

 

                                                                            Zusammenfassung

  Bis zum Wirtschaftswunder Anfang der 1960er Jahre, d.h., in der Übergangsperiode von der frühen in die späte Moderne wurde der Anstieg der Verkehrsquantität gemeinhin als einer der notwendigen, aus dem Wirtschaftswachstum entstandenen Erfolge betrachtet, der einen gelungenen Beitrag zum ewigen Fortschritt des menschlichen Lebens leisten können würde. Erst mit Beginn der späten Moderne der 1970er Jahre zogen die negativen Auswirkungen des motorisierten individuellen Verkehrs auf die natürliche Umwelt die höchste Aufmerksamkeit der breiten der bürgerlichen Öffentlichkeit auf sich. Diese Umweltprobleme stellten den wichtigsten Bestandteil bei der kritischen Betrachtung des Mobilitätsverhaltens dar. In der späten Moderne vermehrt sich der motorisierte individuelle Verkehr, der zum größten Faktor der Umweltbelastung innerhalb einer Stadt geworden ist. Deswegen war es die nachdrückliche Betonung des Kriteriums der Umweltverträglichkeit im Verkehr, welche das Mobilitätsverhalten zum Gegenstand der philosophischen Auseinandersetzung machte.

  Die kritische Verkehrsphilosophie hat sich in den letzten Jahrzehnten auf der Grundlage dieser Veränderungen des bürgerlichen Bewusstseins etabliert. Darüber hinaus bewirkte das in der Öffentlichkeit anwachsende bürgerliche Bewusstsein für die umfangreichen Umweltzerstörungen in einer Stadt durch den motorisierten individuellen Verkehr die Straßenbahnrenaissance in der späten Moderne.

                                                 13頁↑、14頁↓(S. 13

  Dieser Beitrag versteht sich als Einleitung für die Beschreibung der konkreten Eigenschaften der Schadstoff-Freisetzungen und Schadenswirkungen für die natürliche Umwelt und die menschliche Natur durch das verkehrliche Mobilitätsgeschehen, wobei einer der philosophischen Gründe für das geschichtliche Wiederaufleben dieses Verkehrsmittels ins wissenschaftliche Licht gerückt werden soll.

                          

 

はじめに

 環境保護に関する意識が、後期近代の西欧において急激に浮上した。大気、水、土壌、動植物等から構成される自然環境の保護が、主要な政策課題の一つになった。環境保護という人間的自然と関係する課題が、様々な政治的決定の前提を規定している。人間的活動による自然環境の破壊が重大になったからである。「環境保護問題が設定されている認識条件は、より古い社会が環境保護問題を解決しなければならなかった認識条件と比べてほとんど比較不能である」。[1] 近代化とそれに基づく自然環境に対する負荷は、後期近代においてそれ以前の社会と比べて比較にならないほど進展した。

近代社会は自然を労働によって加工することによって、生産力を増大させた。それに比例して、自然環境に対する負荷を増大させた。この人間的行為に対する反省的意識が、後期近代において生じた。「決定的な環境システム、つまり人間と、人間に対して地球によって産出された要求は、人間の社会システムによって産出された要求に対して優越している」。[2] もちろん、後者を否定しているのではない。しかし、両者が競合する場合、前者の優位性を認識する社会意識が醸成されつつあった。環境世界と人間的自然に対する社会的意識が、後期近代の公共的意識に刻印されつつあった。自然環境に関する配慮が、それ以外の政策課題に対してより優先するようになった。

 本稿は後期近代における自然環境と人間的自然に対する市民意識の鋭敏化を前提にしつつ、道路交通による自然環境と人間的自然に対する否定的作用に限定して、その概略を提示してみよう。環境保護と動力化された個人交通の連関構造の提示が、今後の研究、とりわけ1980年代の西ドイツ、1990年代の東ドイツの路面電車ルネサンスの生成に関する諸根拠の一つを解明することにつながるであろう。[3]

 それゆえ、本稿は、前世紀後半から今世紀のドイツ語文献ならびにその議論形式に依拠している。ここで議論対象になっている事象は、自然環境に対する破壊一般ではなく、交通とりわけ動力化された個人交通による自然環境と人間的自然に対する否定的作用にすぎない。もちろん、思想史的に考察すれば、両者は後期近代において普遍的現象である。本邦とドイツに限定しても、この問題は両者において共通する事象も多く、同一水準にあるとみなすこともできよう。この観点すれば、依拠する資料も、ドイツ語文献だけではなく、日本語文献にも拡大されるべきかもしれない。

                                                                                                         14頁↑、15頁↓

しかし、本稿に関する初発の研究契機は、ドイツにおける前世紀末の交通政策の転換を基礎づけることにある。環境問題に関する意義づけとその強度は、ドイツと日本の公共圏において同一位相にはない。さらに、環境問題一般だけではなく、動力化された個人交通による自然環境と人間的自然に対する否定的作用に関する認識も、両者においてかなり異なっている。したがって、本稿が依拠する文献は、前世紀末から今世紀のドイツ語文献に限定されている。

 

1節 本稿の目的設定とその限定性

 初期近代から後期近代の移行期、つまり19501960年代における環境破壊の主たる要因は、重化学工業施設からの有害物質の排出にあった。しかし、後期近代が始まる19701980年代において、重化学工業施設からの排煙と排水等ではなく、交通に起因している有害物質の排出が、都市内と都市周辺において環境保護政策の焦点の一つになった。都市内と都市周辺における重化学工業の施設は、後期近代においてかなり削減されていた。重化学工業の生産施設は、先進国から発展途上国へと移行しつつあった。また、後期近代において重化学工業の排煙と排水等に対する環境基準がより厳格化されたことにより、有害物質の除去装置の性能が向上していた。ドイツ、フランス等の先進国の重化学工業は環境基準を遵守することによって、市民社会の環境意識と調和しようとした。

 重化学工業施設ではなく、都市内交通からの有害物質の排出が、市民の環境意識を規定するようになった。「列挙された有害物質は、最大限の有意味な産出集団を交通において形成している。未来もまたそうであろうことは、高い蓋然性を持っている」。[4] 交通量の増大は、後期近代に移行するまで経済成長と一体とみなされ、人間生活の進歩に寄与すると考えらてれてきた。自家用車の個人的所有が、市民の幸福度を図る尺度になっていた。[5] とりわけ、動力化された個人交通の拡大に対する批判意識は、社会的に看過されてきた。

 しかし、交通とりわけ動力化された個人交通による否定的作用が、後期近代において初めて社会的に承認された。交通倫理、交通思想そして交通哲学等が、この市民意識の変容に基づき成立した。「交通に起因する否定的な環境作用が、主要なものとして知覚された。交通的移動性に関する人間的態度への決定的批判が、最近になって初めて始まった」。[6] 交通という人間の移動性態度に対する根底的批判が、学問的形式において開始された。環境問題は、移動性に関する批判的考察において主要な構成要素である。交通量の増大と自動車の高速化によって、都市内交通における動力化された個人交通が、自然環境に負荷を与える最大のセクターになった。

 交通に起因している環境破壊は多岐にわたるが、その概要は以下のように定義されている。「交通に起因している否定的なエコロジー作用は、地域浪費と地域分断、エネルギー浪費と原材料浪費、そして有害物質の排出、動物の破壊作用の四つに分類できる」。[7] 

                                                        15頁↑、16頁↓

限定された地下資源としてのエネルギー浪費と原材料浪費の問題等、そして地域浪費つまり都市内平面の使用も重要であろう。しかし、前者は自動車の生産様式および運転様式と、後者は都市構造総体と関連している。それぞれ、独立した論稿として討究されるべきであろう。本稿では、有害物質の排出と自動車交通それ自体による自然環境と人間的自然に対する否定的作用に限定して論述する。

 自然環境との調和的発展に関する問題に関する批判的考察の目的は、次のように設定されている。「移動性態度を影響づけるための措置は、自己目的に寄与するのではない。むしろ、この措置は、交通による期待されざる環境負荷を縮減することを意図している」。[8] 自動車交通とりわけ動力化された個人交通の縮減は、都市内の環境負荷を減少させることにある。この学問的意味を対自化するための前提が、環境負荷の具体的様態を提示することである。

 

2節 自然環境への否定的影響――その概観

 都市内交通における有害物質の排出に関して、道路交通が果たす役割についてより具体的に言及してみよう。諸交通手段において道路交通が、前世紀末時点での環境破壊において主要要素になっている。「全体排出量のうち、道路走行自動車が関与している割合は、一酸化炭素の55%、酸化窒素の48%、揮発性有機化合物の24%である」。[9] 道路交通が大気汚染に全体量において占める割合は、約半数と言ってよいであろう。もちろん、調査方法、調査前提、算出方法の差異に応じて、若干の差異はあろう。[10] さらに、交通媒体総体における他の手段、たとえば鉄道交通、軌道交通、内陸水運交通等による有害物質排出量が零であると想定しているのではない。しかし、これらの交通媒体によって排出される有害物質量は、道路交通によって排出されるそれと比較してほとんど論じるべき量ではない。少なくとも、人員数あるいはトン数基準で考察すれば、道路交通は、鉄道と内陸水運に比べて数倍の排出量を占めているのであろう。[11] 道路交通における有害物質の排出量の削減が、環境保護にとって最重要課題の一つであろう。

 さらに、道路交通は、常に問題になる二酸化炭素だけではなく、様々な有害物質の排出においても高い割合を占めている。道路交通に起因する有害物質排出を論じる際に、近年問題になっている二酸化窒素にも言及せざるをえないであろう。人間あるいは動物によって排出される二酸化炭素と異なり、この物質はその排出先が限定されている。「二酸化窒素は、燃焼過程における期待されざる副作用の産物である。二酸化窒素の主要源は、燃焼エンジンと石炭、石油、ガス、木材とゴミである。道路交通が、密集地域において最も有意味な二酸化窒素の排出源である」。[12] 

                                                       16頁↑、17頁↓

都市内の他の要因、たとえば工場からの排気ガス等は、削減されている。また、ドイツの家庭内暖房の多くは、地域集合暖房等に切り替えられており、二酸化窒素の排出は少ない。二酸化窒素は主として、ディーゼル自動車から排出される。その濃度もまた、道路交通の量と相関している。この環境破壊の元凶として、動力化された個人交通の増大が社会的問題になった。

 二酸化窒素の排出をめぐって、2017年においてドイツ政府は欧州委員会から警告を受けた。「ドイツにおける28の地域が、二酸化窒素の限界値を超えている」。[13] 首都ベルリンを含む28都市が、二酸化窒素に関する欧州環境基準(年間平均、40μg/m3)を超過していた。さらに、欧州委員会はこの主要原因を、ディーゼル車を中心にする動力化された個人交通による排出と認定した。もちろん、ドイツ政府も、大都市の二酸化窒素の排出が欧州環境基準を超えていたことを認識していた。[14] 交通禁止が、欧州委員会の環境基準を超えている28都市の地域に対して要請された。ドイツ政府は2018年に、ヘルトリック環境省大臣、シュミット交通省大臣そしてアルトマイヤー首相府長官の三者によって署名された共同書簡を、欧州環境委員会長に送付した。ドイツ政府は欧州委員会の要請をこの時点で想定していなかったし、これまで二酸化窒素の限界超えに関して如何なる施策も実施していなかった。

 この共同書簡において関係閣僚は、旅客近距離公共交通の無料化の社会実験を実施するという提案をした。「私的に使用される自動車数を縮減するために、公共的旅客輸送を無料提供することを、州と市町村と協働して検討する」。[15] 動力化された個人交通から旅客近距離公共交通へのモーダルシフトを実施する提案がなされ、都市内の環境改善への政策転換が指向された。ディーゼル車を中心にした動力化された個人交通が環境破壊、とりわけ二酸化窒素の排出の主原因として特定された。二酸化窒素の過剰排出と動力化された個人交通の因果関係が、欧州委員会とドイツ政府によって公式に認められた。

 さらに、大気汚染は、都市空間における水の循環過程を通じて水質汚染につながる。雨や雪が、大気中に浮遊している有害物質を吸収し、湖沼や河川等に流れ込む。「大気汚染は、無数の環境問題、たとえば酸性有害物質と富栄養物質、つまり二酸化硫黄、酸化窒素、アンモニアによる水の酸性化と湖沼の富栄養化につながる」。[16] 大気汚染は、水の酸性化と富栄養化という水質汚染に対して影響を与えることによって、間接的に人間的自然を破壊する。水中における動植物の有機体的統一性が、水質汚染によって破壊される。これまで水中に生存していた動植物の多くが死滅し、それに代わってバクテリア等の極小有機体が過剰に繁茂する。大気汚染と水質汚染は、最終的に自然的生態系を破壊するであろう。

 また、大気汚染は、水質汚染につながるだけではなく、土壌汚染にもつながる。大気は、大地つまり地球の表層と連続している。とりわけ、大気汚染の程度が高い高速道路周辺において、土壌汚染はより顕著になろう。

                                                       17頁↑、18頁↓

「汚染物質は、道路に沿った土地へと集積する。高い割合の大気汚染は、部分的には転形的形式においてアウトバーン周辺においてほぼ二倍になっている」。[17] 大気汚染は、直線的に土壌汚染につながる。道路とりわけアウトバーンは、道路幅が広大であり、延長距離が長く、同一時間における自動車走行数が多い。アウトバーンは一般道路より多くの有害物質を輩出する。アウトバーンと一般道路の対比は、アウトバーンと鉄道との対比においてより鮮明になろう。「同一人数を輸送するためには、アウトバーンは鉄道に比べて2倍以上の平面を必要にする」。[18] 人員輸送ではなく、物資輸送においてアウトバーンが必要とする平面はより拡大するであろう。鉄道と異なり、アウトバーンにおいて単位時間の走行車両も途切れることはない。アウトバーン周辺において排出された有害物質の密度は、より高くなるであろう。大地において生きている動植物が、アウトバーン周辺の自動車交通に起因する汚染物質を取り入れる。人間がこの動植物を自己の肉体へと摂取することによって、有害物質を自らの肉体へ取り入れる。

 さらに、自動車走行のための空間つまり道路空間が拡大されることによって、都市空間が切り刻まれる。この現象は、既存の都市空間だけではなく、その周辺の空間においても見られる。人間化された自然つまり農地も、その一部がアスファルト舗装されることによって、分断される。本節では、人間的自然と動植物的自然と関連するかぎりで、平面分断に言及してみよう。道路の両側の人間的共同性が寸断され、道路面積の拡大による生活空間自体が破壊される。人間は、この分断という作用に一定程度対応できるかもしれない。しかし、人間以外の生物そして無機物としての自然的な環境世界は、この分断を補償することができない。

 生活空間の分断は、動植物の生存と世代交代という生活環境の破壊として現象する。アスファルト舗装によって平面が分断されることによって、動植物の個体間の世代交代の可能性つまり再生産機能が減少する。「交通によって分断されることによって、動植物の生活空間が失われ、生活空間がより縮小し、個体群の必然的な世代交代が妨げられる。本来、健全であった形態状態が、危機に陥る」。[19] 個体群の世代交代の可能性が縮小し、遺伝子の健全性が損なわれる。

 次に、土地平面が分断されることによって、地下水にも影響を与えるであろう。一般道路と自動車専用道路は、地下水というほぼ再生不可能な資源を破壊する。その作用は自明であるが、その結果によって破壊された自然環境に対する総決算書は、記述不可能である。大地がアスファルトとコンクリートによって覆われたことによって、多数の微生物の生存環境であった大地という生命体が、ほぼ死滅した。これらの生命体によって担われていた様々な自然的機能、たとえば保水力、保温力等が減少した。その全貌はまだ解明されていない。巨大都市とその周辺における微生物の減少が自然環境総体に対してどのような意義を持っているのかという問題に関して、未だ明白な結論は出ていない。

 交通だけには限定されない他の要因と複合して、水質汚染と土壌汚染が拡大している。その原因が他の社会的要因、たとえば生活排水や工業排水、農薬配布等と複合しているかぎり、交通による有害物質の排出問題として市民に認識されることは少ないであろう。動植物の有機的一体性の破壊と、人間的自然の破壊が直接的ものとして認識されないかぎり、この環境破壊は環境の変化として認識されるだけにすぎない。

                                                         18頁↑、19頁↓

「環境媒体物として喧伝され、人間の生活と存立に対して影響づける作用と人間的行為が結合する場合にのみ、このような間接的な社会作用は所与のものになっている」。[20] 人間的理性によって認識される環境媒体物しか、人間的意識に映現しない。逆に言えば、環境媒体物として宣言されていない環境破壊は、ほとんど研究対象にすらならない。自然環境に直接的に影響を与えないことによって、その間接的影響は社会的にほぼ看過される。

 環境保護システム総体に関する間接的影響を把握することは、都市住民の日常意識にとって不可能であろう。水質汚染と土壌汚染は、動力化された個人交通だけではなく、他の社会的要因にも起因している。もちろん、交通に起因する水質汚染と土壌汚染が、その総体においてどのような割合を占めているのか、厳密に算出することは不可能である。しかし、前者による汚染も看過できないであろう。

 

3節 人間的自然に対する直接的破壊(1)――交通事故

 本節では、道路交通による自然環境の破壊ではなく、人間的自然の破壊に触れてみよう。道路交通に起因する有害物質の排出による自然環境の破壊は、人間的自然にとって間接的であり、すぐさま影響するわけではない。先述のように、ドイツの都市における二酸化窒素の排出量はこの数年間、欧州の環境基準を超過していたが、人間的自然の明白な破壊につながっているわけではない。

 最初に言及しなければないことは、人間的自然への明白な侵害、つまり肉体の物理的破壊である。その一つが、道路交通の結果としての交通事故である。通説によれば、交通事故による人間的自然の破壊は、環境保護問題として認識されていない。市民が交通事故に遭遇することは、偶然あるいは不運として認識されるだけである。

 しかし、交通事故は、動力化された個人交通による直接的な人間的自然の破壊、つまり普遍的な環境保護問題である。「環境保護の本質的目的は、人間的健康に対する侵害を除去することにある。通常の環境保護として現象しないとしても、交通事故は交通による環境負担の最高のカテゴリーとして考察されねばならない。交通事故は直接的に人間的健康を破壊し、動植物と同様に人間の生命を否定するからである」。[21] 交通事故こそは、人間的自然に対する最大かつ本質的な破壊行為である。交通事故によって引き起こされた人間的自然の破壊は、その治療のコスト、たとえば救急車の手配、医師の労働等を必要とし、膨大な社会的コストを上昇させる。にもかかわらず、それが完全に支払われることはない。

 交通事故は、人間の肉体の一部あるいはその全体を破壊する。一度でも毀損した肉体は、以前の状態に完全に復帰することはない。人間という有機体の自己回復能力は、限定的である。しかも、この環境破壊に遭遇する確率は、かなり少ない。「大気汚染あるいは騒音負担が広大な平面に渡ることと対照的に、交通事故に遭遇する住民は、つねにその一部にしかすぎない」。[22] 交通事故に遭遇する人数が限定的であることによって、交通事故に関する報道は、多くの住民にとって娯楽番組と同様に消費される対象でしかない。多くの住民は、自らが交通事故に遭遇すると考えていない。逆に言えば、実際に交通事故に遭遇した人間にとって、この出来事はそれだけ重大なものになる。遠い世界の物語としてしか認識されなかった事象が、突然、市民の個人的な生活全般を現実的に影響づける。

                                                       19頁↑、20頁↓

 道路交通に起因している重大な交通事故の多くは、農村ではなく、都市において生じている。「死亡交通事故の90%超が、道路交通によって引き起こされた。そのうちの四分の三は農村以外で生じている」。[23] なぜ、重大な交通事故の多くが都市内において生じるのであろうか。この問題に解答するための選択肢は無数に存在するであろう。本節では交通事故を、歩道を移動する歩行者と、車道を走行する自動車の衝突に基づく接触事故に限定して述べてみよう。都市内における両者の関係を考察する際に重要なことは、道路空間を使用する際の第一義的目的が、後期近代において自動車交通を優先させたことにある。現代社会における交通に関連する法規範の多くは、道路交通と関連している。「第一に、現代の交通法は、一面的に方向づけられた道路法と道路交通法である。正確に分析すれば、規範的形態化の企図は、自動車交通の諸欲求をさらに指向することにある」。[24] 交通法規の規範的形態化つまりその究極的目的は、自動車の渋滞なき走行にある。

 交通法体系の究極的目的がこのように設定された結果、都市内の一般的な道路空間が、自動車の走行空間とその駐車空間に侵食された。「自動車の駐車スペースが、他のすべての交通参加者、また自然、樹木、緑地、広場も排除する。・・・危険ゾーンと死亡ゾーンが、玄関から数メートル先から始まる」。[25] 玄関を出た直後すぐさま、歩行者の肉体は、走行している自動車車両との接触という危険に晒される。歩行者は、目的地に到着するまで、あるいは動力化された交通に乗車するまでこの危険性から逃れられない。自動車運転者は、自動車車両という防御手段を持っているが、歩行者は、人間的自然を自動車車両に対して無防備に晒している。

 玄関に面しているこの空間は、かつては市民的公共性が形成される場所であった。居住者と近隣からの訪問者が、この空間において言語を媒介にすることによって共同性を醸し出した。「市民は道路を、仕事場と世帯の機能を拡大するための平面として利用した。道路は主として、労働、遊び、祝祭、討論の目的に寄与した」。[26] 道路は、初期近代まで人間的共同性を拡大する空間であり、居住者と訪問者を相互に結びつける媒介物であった。この機能が、後期近代において減少しただけではない。自動車車両の停車空間として利用されることによって、この空間は、潜在的に人間的自然が破壊される領域になった。

 歩行者としての住民と都市訪問者の生命が危険に晒される理由は、自動車運転者の快適性が優先されたことにある。この問題は、その社会的費用が顧慮されることなく、既存の道路が駐車空間として使用されている事実から生じている。道路の歩道側の車線は、事実上、無料駐車場と化している。自動車運転者にとって最適な駐車空間を確保するために、建造物の前の空間は、歩行者にとってかぎりなく減少している。自動車運転者は、目的地から離れた空間ではなく、目的地にもっとも隣接した領域、つまり住居に近接した領域に自動車車両を停車させる。歩行者という無防備な存在が、その生命の危機に晒されている。「弱者を顧慮する人間社会は、このような生命に対する脅威と以前から長期間格闘し、それを除去してきた。対照的に今日では、自動車社会にとっての快適性が普遍的に優先されており、健康よりも重要である」。[27] 近代において自動車運転者の快適性が優先された結果、住民の市民的公共性が破壊されただけではなく、その生命すら犠牲に供せられた。

                                                        20頁↑、21頁↓

 しかし、このような状況の問題性は、市民の日常意識においてほとんど看過されている。その理由は、多くの市民が、歩行者であると同時に自動車運転者でもあるからだ。市民は、市民的公共性の侵害を甘受しなければならない一方で、他方でこの侵害の原因である特殊的利益の受益者でもある。個人的な特殊的利益が、都市全体の普遍的利益に優先している。普遍的利益は、特殊的利益の総和ではない。全体は、つねに個別的部分の総和と異なる。都市住民の特殊的利益という観点ではなく、その上位概念としての都市構造という観点からのみ、普遍性が考察される。

 

4節 人間的自然に対する直接的破壊(2)――騒音

 さらに、騒音にも言及しよう。動力化された個人交通が連続する場合、道路周辺において騒音が発生する。動力化された個人交通による環境破壊が自然環境の破壊に限定されていることによって、交通事故と同様に、騒音も環境保護の主要課題から排除されている。交通事故によって人間的自然がすぐさま破壊されることと対照的に、騒音によって人間的自然が徐々に破壊される。人間的自然にとって不快音が、聴覚を通じて恒常的に人間的自然に影響を与える。「騒音が心臓循環の疾病に関与している。そして夜間の睡眠障害が人間にとって否定的に作用する。これらのことは、学問的に議論の余地がない」。[28] 人間的自然の維持のために不可欠な睡眠という作用が、騒音によって妨げられている。

 騒音問題が自動車による環境破壊の主要要素であると、1950~1960年代において認識されていた。当時この問題が社会問題と化したとき、交通政策担当者は、この問題を自動車産業の生産技術的水準ではなく、自動車運転者の運転技術の未熟性およびその運転マナーの問題に還元した。彼らは、自動車産業の技術水準を無条件に信頼していた。自動車の生産技術は絶対不可侵の対象であった。大衆民主主義における大量生産の象徴が、自動車の生産であったからである。交通政策担当者は、最新の技術的合理性に基づく近代的な自動車産業に対して負荷をかけなかった。「自動車産業の見解によれば、交通騒音への責任は、・・・生産者に負担されるべきではなく、自動車運転者に委ねられる」。[29] 自動車産業は、騒音を自家用車運転者の運転技能の稚拙性に還元した。

 もちろん、自動車の走行による騒音は、19501960年代と比較して今世紀になってかなり緩和された。数十年の歳月が経過することによって、自動車の性能が向上し、騒音を軽減してきた。しかし、この環境破壊は、看過されるべき水準までには至っていない。一台当たりの騒音は減少した一方で、他方で自動車の総数は、半世紀前と比較して飛躍的に増大している。「ドイツ連邦環境省によって委託された研究が数年にわたって明らかにしたように、騒音問題の場合、交通がその第一義的原因である。総人口の70%超が、道路交通による騒音を苦痛として感じている」。[30] にもかかわらず、騒音による精神的苦痛、それによる肉体的苦痛は外部化され、環境保護の要素としてほとんど勘案されていない。

                                                      21頁↑、22頁↓

 さらに、騒音は人間的自然を一時的に破壊するだけではなく、人間的精神の破壊にもつながる。環境問題は、外部化された自然に対する侵害だけに限定されてはならない。むしろ、内部化された人間的自然に対する侵害として認識されねばならない。肉体の破壊は精神の破壊につながる。前世紀後半までの近代哲学は、人間を人間的精神とりわけ自己意識に解消してきた。肉体の破壊と精神の破壊が別であるという意識が醸成されている。しかし、精神と肉体の二元論的分離は、近代の日常意識において普遍化された幻想にすぎない。

 たとえば、騒音が、労働意欲の減退を引き起こし、人格破壊につながる場合もある。その影響は長期化し、道路周辺の居住者の精神を徐々に、しかし確実に破壊する。「さらなる健康負荷が、ストレスによって条件づけられたいわゆる強制注意に属する騒音結果を表現している。騒音はコミュニケーション可能性を制限することによって、関与者のフラストレーションとストレス感情を喚起する。それによって、精神的な受容能力と集中能力を減少させる」。[31] 動力化された個人交通が、道路周辺の居住者の人間的精神を破壊する。大気汚染や水質汚染と異なり、この環境負荷は複合的要因から構成されるではなく、道路交通に明白に一元化されている。もちろん、鉄道交通、軌道交通、内陸水運交通等による騒音も、近隣地域に影響を与える。しかし、公共交通の本質は同時的な大量輸送にある。都市全体における公共交通に基づく騒音総体は、動力化された個人交通のそれに比べ、比較にならないほど小さい。

 なぜ、後期近代において騒音が主要な環境問題として認識されないのであろうか。騒音は、聴覚という感覚器官を通じて人間も含めた高等動物の内的自然を破壊するが、外的な環境保護システム総体とほとんど関連しない。「騒音排出という概念による選択的な書き換えによって、害悪物質の排出と比較可能な作用を問題にしているという印象が喚起される。騒音は、人間と、おそらく高度に発展した動物個体群にのみ作用し、環境それ自体には作用しない」。[32] 環境問題一般が、外部化された自然環境に対する侵害に歪曲されることによって、人間的自然にとっての騒音問題はほとんど看過されている。

 

おわりに

 動力化された個人交通による自然環境と人間的自然に対する否定的作用にもかかわらず、今世紀になっても、現実的社会において環境破壊を縮減しようとする試みは、ほとんど具現化への途を見出していない。「人間―自然に対する直接的に有意味な有害物質が減少したにもかかわらず、動力化された個人交通とりわけ道路交通がその人為的排出において今日なお高い割合を示している」。[33] エコロジーに関する都市住民の意識が先鋭化しても、動力化された個人交通による有害物質の排出は削減されなかった。この問題に対する解答は全面的に別稿に委ねられている。

                                                                                                         22頁↑

 

[1] Lübbe, Hermann: Ökologische Probleme im kulturellen Wandel. In: Hrsg. v. Lübbe, Hermann u. Ströker, Elisabeth: Ökologische Probleme im kulturellen Wandel. München: Wilhelm Fink Verlag 1986, S. 10.

[2] Korff, Wilhelm: Kernenergie und Moraltheologie. Der Beitrag der theologischen Ethik zur Frage allgemeiner Kriterien ethischer Entscheidungsprozesse. Frankfurt am Main: Suhrkamp 1979, S. 72.

[3] 田村伊知朗「後期近代の公共交通に関する政治思想的考察――ハレ新市における路面電車路線網の延伸過程を媒介にして」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第66巻第1号、2015年、213-223頁; 田村伊知朗「東西ドイツ統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第67巻第1号、2016年、73-83頁参照。

[4] Erl, Erhard u. Bobinger, Stephan: Umweltverbund im Nahverkehr. Entlastungspotentiale durch eine integrierte Förderung umweltschonender Verkehrssysteme unter Berücksichtigung der Straßenbahn. Berlin: Umweltbundesamt 1994, S. 5.

[5] 田村伊知朗「戦後西ドイツにおける自動車中心主義の形成――その政治的根拠」壽福眞美監修『知の史的探究―社会思想史の世界』八千代出版、2017年、259-276頁参照。

[6] Feldhaus, Stephan: Ethik und Verkehr. Ethische Orientierungsgrößen für eine verantwortliche Mobilität. In: Hrsg. v. Barz, Wolfgang u. Dicke, Bernhard: Umwelt und Verkehr. Symposium am 19. und 20. Juni 1995 in Münster. Landsberg: Ecomed 1996, S. 128.

[7] Feldhaus, Stephan: Verantwortbare Wege in eine mobile Zukunft. Grundzüge einer Ethik des Verkehrs. Hamburg: Abera Verlag 1998, S. 100.

[8] Rommerskirchen, Stefan: Verkehrssteuernde Maßnahme zur Minderung verkehrsbedingter Emission. In: Hrsg. v. Barz, Wolfgang u. Dicke, Bernhard: Umwelt und Verkehr, a. a. O., S. 133.

[9] Deiters, Jürgen: Verkehrswachstum und die Umweltbelastung des Verkehrs-Perspektiven für die Vermeidung und Verlegung von Gütertransporten. In: Hrsg. v. Deiters, Jürgen: Umweltgerechter Güterverkehr. Handlungsansätze auf staatlicher, kommunaler und betrieblicher Ebene. Osnabrück: Universität Verlag Rasch 2002, S. 14.

[10] Vgl. Plaßmann, Eberhard u. Waldeyer, Heinrich: Konzepte zur Versöhnung von Verkehr und Umwelt auf nationaler und internationaler Ebene. In: Hrsg. v. Plaßmann, Eberhard: Umwelt und Verkehr. Umweltgerechter Verkehr oder Recht auf Mobilität? Heidelberg: Decker 1996, S. 5.

[11] Vgl. Deiters, Jürgen: Verkehrswachstum und die Umweltbelastung des Verkehrs-Perspektiven für die Vermeidung und Verlegung Gütertransport, a. a. O., S. 15.

[12] Umweltbundesamt Umweltbundesamt v. 01.11.2019: Stickstoffdioxid-Belastung. In: https://www.umweltbundesamt.de/daten/luft/stickstoffdioxid-belastung#textpart-1. [Datum: 03.11.2019] 

[13] Europäische Kommission. Vertretung in Deutschland v. 15.02.2017: Luftverschmutzung durch Stickstoffdioxid: Kommission droht Deutschland mit Klage. In:

https://ec.europa.eu/germany/news/luftverschmutzung-durch-stickstoffdioxid-kommission-droht-deutschland-mit-klage_de. [Datum: 25.10.2018]

[14] Vgl. [Anonym]: Diesel-Abgase. Luftverschmutzung in deutschen Städten leicht zurückgegangen. In: Zeit Online v. 01.02.2018. In: https://www.zeit.de/wissen/umwelt/2018-02/diesel-abgase-luftverschmutzung-stickstoffdioxid-umweltbundesamt-muenchenDiesel-Abgase. [Datum: 25.10.2018]

[15] Doll, Nikolaus: Regierung plant kostenlosen Nahverkehr. Experten lachen. In: FAZ v. 13.02.2018. In: https://www.welt.de/wirtschaft/article173550351/OEPNV-Regierung-plant-kostenlosen-Nahverkehr-Experten-lachen.html. [Datum: 25.10.2018]

[16] [Anonym]: Luftverschmutzung. In: Wikipedia. In: https://de.wikipedia.org/wiki/Luftverschmutzung. [Datum: 25.10.2018]

[17] Holzapfel, Helmut: Verkehrsentwicklung und Verkehrspolitik aus wissenschaftlicher Sicht. In: Hrsg. v. Evangelische Akademie Baden: Mit Vollgas in die Sackgasse? Das Drama der Mobilität. Karlsruhe; Evangelische Akademie Baden 1992, S. 35.

[18] Rothengatter, Werner: Folgen für Umwelt und Verkehrssicherheit. In: Hrsg. v. Aberle, Gerd: Erstickt Europa im Verkehr? Probleme, Perspektiven, Konzepte: Beiträge zum Verkehrspolitischen Kongreß der Landesregierung von Baden-Württemberg am 5./6. Februar 1991 in Stuttgart. Baden-Württemberg: Staatsministerium 1991, S. 36.

[19] Dietmar, Scholich: Nutzungsanspruch Verkehr. In: Hrsg. v. Borchard, Klaus: Flächenhaushaltspolitik. Feststellungen und Empfehlungen für eine zukunftsfähige Raum- und Siedlungsentwicklung. Hannover: Akaddemie für Raumforschung und Landesplanung 1999, S. 65.

[20] Feldhaus, Stephan: Verantwortbare Wege in eine mobile Zukunft, a. a. O., S. 98.

[21] Kandler, Jakob: Grundzüge einer Gesamtverkehrsplanung unter dem Gesichtspunkt des Umweltschutzes. Berlin: Duncke und Humblot 1983, S. 24.

[22] Feldhaus, Stephan: Verantwortbare Wege in eine mobile Zukunft, a. a. O., S. 129.

[23] Deiters, Jürgen: Verkehrswachstum und die Umweltbelastung des Verkehrs-Perspektiven für die Vermeidung und Verlegung Gütertransport, a. a. O., S. 14.

[24] Feldhaus, Stephan: Verantwortbare Wege in eine mobile Zukunft, a. a. O., S. 12.

[25] Knoflacher, Hermann: Zur Harmonie von Stadt und Verkehr: Freiheit vom Zwang zum Autofahren. Wien, Köln u. Weima: Böhlau 1993, S. 92.

[26] Kokkelink, Günther u. Menke, Rudolf: Die Straße und ihre sozialgeschichtliche Entwicklung. In: Bauwelt. Berlin u. Frankfurt a. M. : Gütersloh: Bauverlag 1977, S. 354.

[27] Knoflacher, Hermann: Zur Harmonie von Stadt und Verkehr, a. a. O., S. 102.

[28] Holzapfel, Helmut: Verkehrsentwicklung und Verkehrspolitik aus wissenschaftlicher Sicht,

  1. a. O., S. 32.

[29] Klenke, Dietmar: Bundesdeutsche Verkehrspolitik und Umwelt. Von der Motorisierungseuphorie zur ökologischen Katerstimmung. In: Hrsg. v. Abelshauser, Werner: Umweltgeschichte. Umweltverträgliches Wirtschaften in historischer Perspektive. Göttingen: Vandenhoeck und Ruprecht 1994, S. 169.

[30] Plaßmann, Eberhard u. Waldeyer, Heinrich: Konzepte zur Versöhnung von Verkehr und Umwelt auf nationaler und internationaler Ebene, a. a. O., S. 10.

[31] Feldhaus, Stephan: Verantwortbare Wege in eine mobile Zukunft, a. a. O., S. 139.

[32] Ebenda, S. 98.

[33] Höpfner, Ulrich: Die Entwicklung der Luftbelastung durch den Verkehr. In: Hrsg. v. Barz, Wolfgang u. Dicke, Bernhard: Umwelt und Verkehr. Symposium am 19. und 20. Juni 1995 in Münster. Landsberg: Ecomed 1996, S. 1.

 

本稿は、『公共空間X』In: http://pubspace-x.net/pubspace/archives/7860 [Datum: 22.06.2020] へと転載されている。

 

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Tamura, Ichiro: Die negativen Auswirkungen des motorisierten individuellen Verkehrs

Tamura, Ichiro:

 

Die negativen Auswirkungen des motorisierten individuellen Verkehrs: Die Beschreibung der konkreten Eigenschaften der Schadstoff-Freisetzungen und Schadenswirkungen für die natürliche Umwelt und die menschliche Natur durch das verkehrliche Mobilitätsgeschehen.

 

In: Bericht der Pädagogischen Hochschule zu Hokkaido in Japan, Bd. 70. H. 2, Sapporo-city 2020, S. 13-22.

 

Zusammenfassung

Bis zum Wirtschaftswunder Anfang der 1960er Jahre, d.h., in der Übergangsperiode von der frühen in die späte Moderne, wurde der Anstieg der Verkehrsquantität gemeinhin als einer der notwendigen, aus dem Wirtschaftswachstum entstandenen Erfolge betrachtet, der einen gelungenen Beitrag zum ewigen Fortschritt des menschlichen Lebens leisten können würde. Erst mit Beginn der späten Moderne der 1970er Jahre zogen die negativen Auswirkungen des motorisierten individuellen Verkehrs auf die natürliche Umwelt die höchste Aufmerksamkeit der breiteren bürgerlichen Öffentlichkeit auf sich. Diese Umweltprobleme stellten den wichtigsten Bestandteil bei der kritischen Betrachtung des Mobilitätsverhaltens dar. In der späten Moderne vermehrt sich der motorisierte individuelle Verkehr, der zum größten Faktor der Umweltbelastung innerhalb einer Stadt geworden ist. Deswegen war es die nachdrückliche Betonung des Kriteriums der Umweltverträglichkeit im Verkehr, welche das Mobilitätsverhalten zum Gegenstand der philosophischen Auseinandersetzung machte.

Die kritische Verkehrsphilosophie hat sich in den letzten Jahrzehnten auf der Grundlage dieser Veränderungen des bürgerlichen Bewusstseins etabliert. Darüber hinaus bewirkte das in der Öffentlichkeit anwachsende bürgerliche Bewusstsein für die umfangreichen Umweltzerstörungen in einer Stadt durch den motorisierten individuellen Verkehr die Straßenbahnrenaissance der späten Moderne.

Dieser Beitrag versteht sich als Einleitung für die Beschreibung der konkreten Eigenschaften der Schadstoff-Freisetzungen und Schadenswirkungen für die natürliche Umwelt und die menschliche Natur durch das verkehrliche Mobilitätsgeschehen, wobei einer der philosophischen Gründe für das geschichtliche Wiederaufleben dieses Verkehrsmittels ins wissenschaftliche Licht gerückt werden soll.

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討論会ーー公共交通無料化に関する討論会

20190109 旅客近距離公共交通の無料化という提案に関するメモランダム

0. ドイツのいくつかの都市において、旅客近距離公共交通の無料化という実験が開始されようとしている。
1. 都市内の自然環境の悪化――その原因として動力化された個人交通の増大――他の要因、たとえば工場からの排気ガス等は、削減されている。また、家庭内暖房の多くは、地域集合暖房等に切り替えられており、環境破壊の要素は少ない。
2. 個人交通から公共交通へのモーダルシフト――公共交通が大量交通を本質することによって、交通量の縮減――環境破壊の軽減
3. 旅客近距離公共交通の無料化という衝撃――議論を引き起こす――交通縮減が議論対象になったことは、別の観点たとえばエネルギー浪費の縮減と同様に、好ましい。
4. 旅客近距離公共交通の無料化は、モーダルシフトだけを目的にしていない。
  その歴史――貧困層の移動自由の確保――人権をより強度にする。この目的の一つは、地域経済の活性化にある。しかし、本来、移動できなかった人が、移動の自由を確保することによって何が生じるのであろうか。経済活性化に寄与しない。
  海賊党による提案――公共放送のように、事前に料金を徴収する。
5. モーダルシフトが生じる。しかし、どのような階層であろうか。従来、旅客近距離公共交通の料金の高さによって、歩行あるいは自転車走行を余儀なくされていた階層からのモーダルシフトが生じる。
5.1 徒歩によってしか、買物をしなかった階層を例にとれば、逆に、ベンツ等の高級車を運転していた階層、あるいは運転士付きの公用車を使用していた階層からのモーダルシフトは、生じない。無料化は、これらの階層にとって、無関心である。一日当たり数百円を節約するために公共交通を選択しないという階層しか、公共交通の無料化に関心を示さない。
6. 無料化という選択肢は、別の要素を孕んでいる。移動ではなく、別の目的が混入する。たとえば、麻薬密売人の商行為、あるいは冬場における暖房を取ることを目的にした家なき人々が乗車する。また、筆者がドイツの旅客近距離公共交通において目撃した光景によれば、外国人が公共交通の車両において酒盛りを始めていた。当然、アルコールによる異臭は、車両全体を充満していた。しかも、かなり風呂に入っていないようでもあった。このような光景が
これは、旅客近距離公共交通の質を低下させる。動力化された個人交通から公共交通へのモーダルシフトを阻害する要因になる。
7. 無料化されていない他の公共交通、たとえば自治体によって運営されていない都市高速鉄道の経営を圧迫する。

財源
1. 地方自治体によって運営されている旅客近距離公共交通は、地方税の増大。国家、州政府からの援助
2. 運営費用が増大し、税金がそれに対応しなければならない。国税であろうと、自治体の税金であろうと、州の財源であろうと
3. 旅客近距離公共交通の改善、たとえば路線の延長、車両の増大、運行間隔の短縮化、車両の快適性の拡大には、向かわない。
4. 旅客近距離公共交通の運営者の賃金が抑制される。交通技能の減少、研修機会の減少によって、交通事故が拡大する。モーダルシフトが実施されにくくなる。

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交通縮減の思想――路面電車ルネサンスとしての宇都宮市電に関する政治思想

2018年08月20日、2018年12月16日

「交通縮減の思想――路面電車ルネサンスとしての宇都宮市電に関する政治思想」
(1)、(2)、(3)


0、世界総体ではなく、都市構造という表象

  1980~90年代において交通政策が、都市全体の公共性という存在形式において考察され始めた。ここで問題にしている全体知は、近代という時代総体に関する知ではない。世界の総体的把握とそれに基づく世界変革が、ほぼ無効になった。
  後期近代において、世界の存立構造そのものを問題にする知は崩壊してゆく。世界の総体的な領有は、いかなる形式であれ、疑義から逃れることはできない。古典的なドイツ観念論哲学はヘーゲルによって完成されるが、この哲学における世界概念は、19世紀後半においてすでに問題が多いものになる。学問における専門化と分業が進展したからである。世界そのものを問題にする知は、学問的世界から追放される。
  学問的営為に従事するかぎり、その主体は世界の存立構造そのものを問題にするのではない。世界領有にとって有効な知は、市民社会の諸システムの実践に有効な知にとって代わられる。世界観的知は、ドイツ観念論哲学の完成者、ヘーゲルとマルクス、エンゲルスも含めたヘーゲル左派でもって終了している。
  もちろん、伝統的哲学以後においても、それに代わる学問、たとえばコント、デュルケームによって代表される初期社会学、あるいはいわゆるマルクス経済学もまた、哲学とは異なる形式によって世界を領有しようとした。その試みはすべて、水泡に帰した。いかなる形式の学問であれ、伝統的哲学にとって代わろうとする試みは、少なくとも現在にいたるまで成功したとは言い難い。人間的理性は、どのような形式の学問的色彩を帯びようとも、世界総体を把握することはできない。
  さらに、世界、あるいは歴史的世界において理性、あるいは秩序性があるという前提も疑義から逃れられない。把握された世界における理性性に基づいて、自然発生的に世界を統御できるということは、あまりに楽観主義的見解に他ならない。理性性も秩序性も歴史的生成のうちにあり、絶対的なものではないからである。哲学、あるいは哲学とは異なる形式の学問が人間的理性による批判という手続きを用いて世界を解釈し、その変革を企図することは、不可能になる。このような思想的前提が崩壊していることは、少なくとも後期近代において思想史的領域においても、現実政治的領域においてもほぼ社会的に承認されている。
  1960~70年代における世界の総体的変革への指向が、その社会的承認力を後期近代においてほぼ喪失した。それに代わって公共圏において承認された知が、都市構造全体に関する知である。歴史的世界と共時的世界総体ではなく、都市という限定された空間に関する知である。前者を認識するためには、哲学的な体系化を必要としていた。前者に関するどのような知であれ、その真正性を討究する手段を有していない。

1、具体的な都市研究

  新幹線宇都宮駅周辺の宇都宮市中心街は、宇都宮市東部と芳賀町にある工業団地と15㎞ほど離れている。この区間を路面電車で結ぶため、宇都宮市電が建設されようとしている。この予定線の終点周辺には、本田技研、キャノン等の大規模工場、テクノポリス等が林立している。また、沿線には、作新学院大学、青陵高校等の文教施設、サッカーJ2の公式スタジアムである栃木県グリーンスタジアム、宇都宮清原球場、体育館等のスポーツ施設も数多い。また、この沿線では小中学校のクラスの増設が相次いでいる。若年労働力人口も、この地域に多く居住している。
  中心街から工業団地を結節している片側二車線の道路は、朝夕にはかなり渋滞していた。また、サッカー公式戦開催日等のイベントが開催される日には、その渋滞が加速された。宇都宮市電の建設が、このような事情で構想された。そして、その工事施行が、2018年3月に国土交通省によって認可された。その構想から数えて約半世紀を必要としていた。これまでの交通政策担当者の唯一の政策は、道路を拡幅するか、あるいは迂回路として高速道路を新設することでしかなかった。宇都宮市、栃木県そして国土交通省はこの常識を覆す政策を採用した。
  もちろん、宇都宮市の路面電車ルネサンスは、富山市の路面電車ルネサンスを前提にしている。(4) しかし、後者は既存の富山港線という赤字ローカル線を路面電車に転用した。また、北陸新幹線において新設される富山駅整備という国策とも関連していた。
対照的に、宇都宮市の路面電車新設という事業は、既存の鉄道施設を前提にせず、既存道路の片側一車線を廃棄して、軌道を敷設しようとする。この意味で、宇都宮市の路面電車ルネサンスは、富山市のそれを凌駕している。まさに、本邦の路面電車ルネサンスの精華というべきであり、ドイツの路面電車ルネサンスに匹敵する構想であろう。
  本報告の目的は、本邦における路面電車ルネサンスの意義をドイツの政治思想に基づいて跡づけることにある。

2、部分知に基づく道路の拡充と都市構造の破壊――私的利益と公共的利益の同一性という仮象(1950~60年代)

  1950~60年代の都市交通政策担当者は、自らの専門領域に関する部分知に基づき都市と都市交通の未来像を構想してきた。客観的に考察すれば、この時代の交通政策担当者は、一元化された部分知に基づき、動力化された個人交通の拡大しか考慮しなかった。動力化された個人交通が、都市交通一般と同義として考えられていた。部分知に基づく政策が、都市全体に関する全体知に基づく都市全体の利益と矛盾なく両立すると考えられていた。その妥当性が問われることなく、全体知への無邪気な信頼が、交通政策担当者の意識構造を規定していた。
  個人交通という私的利益は、交通全体あるいは公共性全体の利益と同一であると認識されていた。単純化すれば、私的利益と公共的利益は同一と考えられていた。あるいは、公共性を考慮しないことと同義であった。
この部分知と、彼らの職業的権限の拡大という部分的利益に基づき、道路の幅と延長距離が拡大された。これが交通政策担当者の唯一の政策にすぎなかった。道路交通のために使用される面積が、都市において拡大した。自家用車を使用するための空間が、都市内部とりわけ都市中心街において拡大された。他の交通媒体たとえば路面電車と比較することによって、この現象を考察してみよう。交通量が同一である場合、路面電車が必要とする平面は、自家用車が必要とする平面の数パーセントにすぎない。この考察結果に駐車場の面積を加えるならば、都市中心街における自動車関連の面積占有率は、膨大になろう。都市中心街が、道路と駐車場によって浸食された。
  動力化された個人交通に適した街という表象が、交通政策担当者の意識構造において支配的になった。この表象において、空間つまり都市構造全体に対するその影響、交通使用総体に対する批判的考察は、あたかも存在しないかのようであった。交通浪費的な生活様式と経済様式の原理的促進、立地計画における統御の強度の弱さが、現代的な交通使用構造と動力化された個人交通を指向している。動力化された個人交通の意義に基づき、部分的な専門知が都市全体を貫徹していた。このような部分知に基づき、都市とその郊外領域における道路空間が増大された。このような観点から都市中心街から路面電車の軌道が撤去された。

3、全体知としての都市構造を指向する政策――私的利益と区別された公共性あるいは公共的利益(1980~90年代)

  このような政策と異なる思想が、西欧とりわけドイツの1980~90年代において生じた。交通政策者の意識を規定している暗黙知の存在形式が、批判的手続きに基づいて再検証された。その媒介項が、上位概念としての都市空間の全体構造である。もちろん、全体という表象は、本稿で規定された都市空間とは異なる概念によっても再構成できる。都市という水準を超えた州という地域、その州を統合する国家、グローバル化された世界という表象によっても再構成可能であろう。
  本講義は、その曖昧性と非厳密性を内包している。しかし、上位概念としての都市という表象が、錯誤しているのではないであろう。都市は、社会的構造過程がその複雑的、矛盾的そして直観的現実性を持つ空間でありうる。全体知としての都市という表象を設定しうるであろう。
  世界ではなく、都市という表象を媒介にすることによって、この空間の全体性に対する人間的理性による把握と統御が、社会的に可能とみなされていた。この形式の知に対する承認形式は、今世紀になっても継続している。都市という空間は、社会の複雑性の結節点として、都市は意識化されやすい。都市という限定された空間において、世界総体が凝縮している。多数の人間が共同生活を営む都市空間は、限定されていることによって国家よりも市民の日常意識にとって可視化可能であろう。公共性一般を観照する空間は、国家ではなく、都市においてより具体性を帯びるであろう。都市構造全体に関する問題が、世界と歴史的世界に関する問題に代わって市民的公共性において意識化された。
  ここで前世紀中葉のように私的利益が公共的利益と同一である、という素朴な認識は、もはや消滅している。両者の分離を前提にしつつ、後者をどのように現実化するかという課題が全面に出てきた。

4、都市構造と歩行
 人間的自然に適応した交通という観点から、都市構造を考察してみよう。歩行が、最も自然環境に負担の少ない交通手段である。歩行を都市内交通の基盤と考えることによって、動力化された個人交通を増大させるインフラが減少する。歩行を都市交通政策の基礎に据えることによって、交通量総体が減少する。この人間の原初的交通手段は、前近代から継続している。歩行という人間の原初的行為に適した都市構造が、交通縮減のために不可避的に要求されている。
  都市機能の本質である凝集、高密度、多様性そして調和的混合性を確保するために、歩行という人間の原初的能力が都市機能をより改善する。近代都市においても歩行の意義は、看過されるべきではないであろう。都市構造が、歩行等の原初的な交通手段に適合しなければならない。
  都市構造がエコロジー基準に適合することは、化石燃料に依存する交通システムからそれに依存しない交通システムと同一的水準にある。都市構造の変容が、ポスト・化石燃料交通システムへの移行を可能にする。
 歩行者交通のための環境を整備することは、公共交通の充実と同義である。歩行のための装置が整備されることによって、公共交通の装置も整備される。地域内の公共的人員交通と歩行者交通は、相補的である。地域内の公共的人員交通の輸送能力を向上させるためには、歩行者交通を充実しなければならなかった。現在では、歩行という交通手段は1㎞前後の距離を前提にしている。それ以上の距離を移動することは、公共交通を利用しなければならない。両者のための交通環境を整備することによって、動力化された個人交通を縮減できる。
交通縮減という概念が、後期近代において出現してきた。環境問題が、都市政策における上位要因になった。交通が、都市における環境破壊の最大の源泉の一つである。このような認識が、市民の日常意識を規定するようになった。徒歩、自転車等の動力化されていない交通手段と、この交通手段を媒介にする高品質の地域内の公共的人員交通が、交通政策においても求められている。バスではなく、路面電車がこの課題をより遂行できる。   
  バスは、動力化された個人交通に対抗できない。個人交通の増大によって、都市機能とりわけ都市中心街おける都市機能が限界を超えつつあった。この事態に対応した交通政策と都市政策が、喫緊の課題として社会的に承認されている。この思想を実現するためには、都市構造の本質的変革が求められている。
  いかに困難であれ、全体知として都市構造全体が交通政策担当者の意識構造へと埋め込まれなければならないであろう。空間構造に関する全体知を指向することは、都市住民の交通意識と交通態度を水路づけることにつながるであろう。

5、宇都宮市路面電車ルネサンスと都市構造

 これまで、ドイツの前世紀の議論を中心にして、都市構造に関する全体知を指向する必然性に関して論述してきた。宇都宮市電の建設もこのコンテキストにおいてより理解できるであろう。ただし、宇都宮市の路面電車ルネサンスはその構想からほぼ半世紀が経過しているが、工事施工の認可以後も未だに民主党(現 民進党、国民民主党、立憲民主党等?)、共産党、社会民主党等を中心にした反対運動も残存している。動力化された個人交通だけを指向し、公共性あるいは公共的利益を指向しない。本邦における左翼的な反対運動の本質あるいは限界が、本事業に対する政治思想において露呈しているのかもしれない。

 以下の文章を付け加える(2018年12月16日)。
 「従来型の左翼は、単なる既得権者層にすぎない。彼らは、既存の部分的利益、たとえば児童福祉を享受する児童扶養者、老人福祉を享受する老人層の部分的利益を都市全体の利益に優先させる。彼らが題目にしてる環境保護も題目にすぎない。もちろん、題目は自らの精神を安泰化させる。それだけにすぎない。左翼と看板は即刻下ろしたほうがよい。もっとも、1950年代から彼らは左翼とは規定されていない。既存の福祉に固執するエゴイストにすぎない」。

  伝統的な市民運動が指向する反対運動の本質は、現状維持にある。ここで問題にした公共交通の本質というコンテキストに基づけば、バスに一元化しようとしている。しかし、バスは動力化された個人交通に対抗できない。いずれ、バスだけに一元化された公共交通は、衰退する可能性が高い。もちろん、ここで路面電車に一元化すべきであると主張しているのではない。バスに一元化するのではなく、多元的な公共性そして公共交通を主張しているにすぎない。バスのトランジットセンターが、路面電車の主要電停において設置している。幹線としての路面電車、支線としてのバスという棲み分けを主張しているにすぎない。
  また、公共性あるいは公共的利益の本質は、ここでは公共交通の存在形式あるいはその存在それ自体と関連づけている。もちろん、別の観点から考察すれば、その存在形式に関する具体的表象も異なっているのかもしれない。


(1)本記事は、「公共空間X」にも転載されている。http://pubspace-x.net/pubspace/archives/5252 「Datum 21.08.2018」
(2) 本稿は、政治学概論の講義原稿(政治学原論12 公共性の存在形式――世界総体から都市へ――都市研究としての宇都宮市の公共交通政策)に基づいている。この2018年度政治学概論・第12回講義(2018年6月25日)は、市民公開講座として学生だけではなく、都市住民にも公開された。
(3) この公開講義の概要は、今井正一「宇都宮のLRT『路面電車ルネサンスの最高点』」『函館新聞』(2018年6月26日、第14面)、https://digital.hakoshin.jp/news/national/36104
[Datum 26.06.2018]

『北海道新聞・夕刊(函館版)』(2018年7月5日、第11面)等においてすでに紹介されている。
(4) 富山市の路面電車ルネサンスに関して、昨年度にすでに公表している。田村伊知朗「富山市、宇都宮市の路面電車ルネサンスと国土交通省都市・地域整備局――路面電車の建設をめぐる中央官庁と地方自治体の関係に関する政治学的考察」(未公表論文)および昨年度の講演「富山市の路面電車ルネサンス――富山市のLRT導入背景」今井正一」「富山市の路面電車ルネサンス」」『函館新聞』(2017年6月23日)、第15面参照等。
https://digital.hakoshin.jp/news/national/22157[Datum 23.06.2017]

田村伊知朗(近代思想史専攻)

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新聞での紹介 『函館新聞』、『北海道新聞』「交通縮減の思想――路面電車ルネサンスとしての宇都宮市電に関する政治思想」

『函館新聞』

20180626

『北海道新聞』


20180705


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20170622 『函館新聞』掲載――富山市の路面電車ルネサンスにおける残された課題

路面電車ルネサンスの日本版として、富山市の路面電車ルネサンスを研究している。残された研究史として、この交通政策史および都市政策史における国土交通省都市・地域整備局の役割を検討している。その成果の一部を北海道教育大学の市民公開講座として講演した。それが、『函館新聞』(2017年6月23日、14面)に掲載された。記事執筆者は、今井正一である。彼は、2013年6月22日の日独協会における路面電車に関する講演会に関する記事を書いていた。何か御縁を感じる。
(右クリックすると、大きくなる)。

20170622_2


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Eine nähere Betrachtung des Plans, das Straßenbahnnetzwerk der Stadt Halle bis Heide-Nord auszudehnen, und dessen Scheitern

Der öffentliche Verkehr und das bürgerliche Bewusstsein von der Öffentlichkeit im Vereinigungsprozess der beiden deutschen Staaten – Eine nähere Betrachtung des Plans, das Straßenbahnnetzwerk der Stadt Halle bis Heide-Nord auszudehnen, und dessen Scheitern

                                                       Ichiro Tamura


                             Zusammenfassung

                                 

  Am äußersten nordwestlichen Rand der Stadt Halle an der Saale liegt Heide-Nord, wo in der letzten Phase der DDR im großen Maße Plattenbauhäuser für die Maschinenindustriearbeiter gebaut wurden. Dabei musste für die Einwohner im neuen peripherischen Gebiet zwangläufig ein öffentlicher personaler Nahverkehr zwischen diesem Stadtviertel und dem Stadtzentrum eingerichtet werden. Gerade nach dem großen gesellschaftlich-politischen Wandel entstand die Möglichkeit, den Plan, Straßenbahnnetzwerk bis Heide-Nord auszudehnen, zu verwirklichen. Das Gemeindeverkehrsfinanzierungsgesetz wurde auf die neuen Bundesländer ausgedehnt, um Förderungsmittel für die Erweiterung vorhandener Anlagen des öffentlichen Verkehrs zur Verfügung zu stellen. Durch die zukünftige Umsetzung dieses Plans wären die Einwohner dieses Stadtteils in der Lage, ohne umzusteigen mit der Straßenbahn direkt ins Zentrum zu fahren.
  Trotzdem wurde es in den neunziger Jahren des vorigen Jahrhunderts beschlossen, diese Richtlinie zur Verbesserung des öffentlichen Verkehrs nicht zu verwirklichen. Das Scheitern des Plans gründete sich auf der offensichtlich drastischen und massenhaften Bevölkerungsschrumpfung in dieser Stadt im Ganzen, besonders in diesem Stadtgebiet.
  Der vorliegende Bericht macht zum Gegenstand seiner Forschung die Diskussionsprozesse der Verkehrsplanungsbehörden über den Plan der Ausdehnung des Straßenbahnnetzwerkes vom Stadtzentrum bis Heide-Nord, die einen wesentlichen Bezug zur Idealvorstellung des öffentlichen Verkehrs und der Straßenbahn aufweisen. Der Grund für die sogenannte Renaissance der Straßenbahn besteht darin, dass sich das bürgerliche Bewusstsein von der Öffentlichkeit in der späten Moderne veränderte. Dabei spielte eine große und wesentliche Rolle das Bewusstsein für Umweltschutzpolitik in urbanen Ballungsgebieten und die zu verstärkende Sozialfürsorge für die zunehmend alternde Bevölkerung. So erklärt dieser Forschungsbericht, aus welchem Grund und in welcher Weise der Plan, das Straßenbahnnetzwerkbis Heide-Nord auszudehnen, in der Öffentlichkeit der Stadt gerade nach der Vereinigung der beiden deutschen Staaten diskutiert wurde und schließlich nicht verwirklicht werden konnte.

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東西ドイツの統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察(一)

東西ドイツの統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識
――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察(一)

  
                                               田村伊知朗

はじめに
 
 1989年にベルリンの壁が崩壊し、分裂した二つの国家すなわちドイツ連邦共和国(以下、西独と略)とドイツ民主共和国(以下、東独と略)が統合された。公共交通網の再構築がその直後の政治的熱狂に基礎づけられて、公共的討論圏において浮上してきた。とりわけ路面電車の延伸と新規建設が、地域内の公共的人員交通の改善という観点から真摯な議論対象になった。 
 本稿は、ハレ市(ザクセン・アンハルト州)におけるハイデ北への路面電車の延伸計画を考察対象にする。この計画は、東西ドイツの統一過程における政治的熱狂のなかで議論された。そしてその熱狂が醒めた前世紀末において、この計画は挫折した。
 しかし、この議論過程に関する考察は、公共交通そして路面電車の本質と関連している。路面電車が後期近代において復権した根拠は、地域内における市民的公共性の存在形式のうちにある。東独崩壊直後における公共性の在り方と関連づけながら、ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程を考察する。


1.東独末期におけるハイデ北への路面電車の延伸計画

ハ レ市郊外にあるハイデ北は、その中心街から約6km西北に位置している。戦前に敷設されていた路面電車の終着電停、クレールヴィッツ電停から約3km西北に位置している。ハレ市郊外のこの地域において中高層住宅団地が、地域内の機械工業労働者のために東独末期の1980年代に構想された。1981年の計画によれば、250haに渡る広大な地域において18,000戸の住宅が建設されるはずであった。1 さらに、この用地の西側にも住宅地に転用可能な農用地が広がっていた。1986年の計画によれば、5,400戸の住宅が1990年までに建設されるはずであった。 2 この先行建設地帯は、住宅複合体Ⅰ,Ⅱとして位置づけられていた。のちに、住宅複合体Ⅲ,Ⅳが建設される予定であった。
 その建設計画によれば、路面電車がハレ市中心街からハイデ北への公共交通として位置づけられていた。それは、住居複合体Ⅰ,Ⅱに対する都市建設計画の指導プランニングの構成要素である。 3 1981年の計画段階では、ハイデ北からハレ市中心街への通勤者は約10,000人であり、そのうちの約60%が公共交通を利用すると算定されていた。 4 
(74)
 この地域において1,720戸が、1985年までに先行建設された。上記の都市計画のプランニングにおいて明記されていたにもかかわらず、公共交通の具体的展開は住宅建設に遅れて議論された。社会主義的計画経済における官僚制的セクショナリズムの弊害が、この点において露呈していた。住宅建設を担当する部局と公共交通を担当する部局が、ほぼ無関係に鼎立していた。ハイデ北を住宅地と決定する際に、中心街からのアクセスが具体的に議論された形跡は、ほぼなかった。住宅が先行建設されて初めて、路面電車の整備計画が具体化された。ハイデ北とハレ市中心街を結合するために、路面電車の建設が自明の事柄であった。市街地とそこから数km離れた地点を結合するために、地下鉄を建設することはできなかった。また、バスでの輸送能力にも限界があった。
 交通計画担当者間における議論は、路面電車のルート策定から始まった。ハイデ北の住宅複合体Ⅰ,Ⅱの入口からハレ市中心街へと路面電車によって向かう場合、ノルトシュトラッセを経由することは自明であった。それ以外の道はなかったからである。問題は、ノルトシュトラッセからどの方向に路面電車の軌道を敷設するべきかという点にあった。クレールヴィッツ電停(デラウアーシュトラセ)経由あるいはハイデ電停(ブラントベルクヴェク)経由の二つが、議論対象として選択された。1985年当時ですら、この二つの可能性が両論併記のままで残されていた。 5
 ハイデ北からハレ市中心街に向かう乗客の約60%は、ハイデ電停でバスから路面電車に乗り換えている。6 ハイデ北からフーベツスプラッツで乗り換え、ハレ市中心街へ向かうルートが、通勤者にとってより便利であろう。しかし、この計画を実現するためには、膨大な資金を必要としていた。「フーベツスプラッツから、最終環状カーブのクレールヴィッツを含む居住地の入口まで、9,500,000マルクが必要である。しかし、居住地ハイデ北へと路面電車を結合するために使用できる金額は、1990年までに5,500,000マルクでしかない」。7 東独末期における国家財政が悪化したため、路面電車を延伸するための予算不足が露呈した。
 また二つの策定経路に共通して、重大な困難がさらに横たわっていた。ハイデ北の転換環状カーブにおいて、路面電車が上水道管を3回ほど跨ぐことになっていた。上下水道管理会社は、この路線計画に対して反対意見を提起した。 8 この上下水道管理会社は、都市における特殊な領域の利益を代表している。全体的利益あるいは他の部分的利益――ここでは路面電車の延伸――を考慮することなく、自らが関与している部分的利益を主張している。相反する二つの利益に関する調整は、上位機関に委ねられている。部分的利益と全体的利益が相反する場合、部分的利益が全体的利益を凌駕する。官僚制的セクショナリズムの弊害が、この問題においても露わになった。
路面電車を延伸するための資金不足に加えて、ドイツ官僚制と社会主義官僚制におけるセクショナリズムによって、この計画は暗礁に乗り上げていた。このような状況下において、東西ドイツの統一を迎える。
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1. Vgl. STaH A3.11, Nr. 283, Büro für Verkehrsplanung 1981: Büro für Verkehrsplanung des Rates der Stadt Halle (Saale): Verkehrstechnische Studie-Straßenbahn im Wohngebiet „Heide Nord“ einschließlich Wohnsammelstraße 1. TA, S. 1.
2. Vgl. STaH A3.11, Nr. 377, Büro für Verkehrsplanung 1987: Büro für Verkehrsplanung des Rates der Stadt Halle, 10.03.1986: Straßenbahnverlängerung in das Wohngebiet „Heide-Nord“, S. 1.
3. Vgl. ebenda, S. 2.
4. Vgl. STaH A3.11, Nr. 283, Büro für Verkehrsplanung 1981: Büro für Verkehrsplanung des Rates der Stadt Halle (Saale), a. a. O., S. 3.
5. Vgl. STaH A3.11, Nr. 343, Büro für Verkehrsplanung 1985: VE Verkehrsbetriebe Halle, 16.09.1985: Weitere Öffentlichkeitsarbeit im Zusammenhang mit dem Busverkehr der Linien A und E, S. 1.
6. Vgl. STaH A3.11, Nr. 377, Büro für Verkehrsplanung 1987: Büro für Verkehrsplanung des Rates der Stadt Halle, 10.03.1986, a. a. O., S. 1.
7. Ebenda.
8. Vgl. STaH A3.11, Nr. 377, Büro für Verkehrsplanung 1987: VEB Wasserversorgung und Abwasserbehandlung Halle: Standortgenehmigung zur Straßenbahnverlängerung in das Wohngebiet „Heide Nord“, S. 1.


2.東西ドイツの統一過程におけるハイデ北への路面電車の延伸計画

 1989年におけるベルリンの壁崩壊以後、ハイデ北への路面電車延伸計画もまた、東独時代よりもより具体的基盤において再検討された。東独地域における公共交通の路線網改善に対する財政措置が、地方公共団体交通財政法の改正によって実施されたからである。 1 ハイデ北への路面電車の延伸に関する財政上の問題点は克服された。また、上下水道会社のセクショナリズムも、この財政措置によって解消可能になった。上水道配管を移動することによって、交通技術的問題を解決することが可能になった。東西ドイツの統一以前と同様に、クレールヴィッツ電停(デラウアーシュトラセ)経由かハイデ電停(ブラントベルクヴェク)経由かという論点が、延伸路線の選択肢として議論の対象になった。
 まず、クレールヴィッツ電停(デラウアーシュトラセ)経由という選択肢が考察対象になった。もし、このルートが採用された場合、路面電車の軌道がデラウアーシュトラセにおいて1車線分しか敷設されえない。戦前から路面電車の電停が設置されていたこともあり、この街路周辺には多数の建造物がすでに設置されていた。道路を拡張するためには、既存の建造物を破壊しなければならない。道路を拡張しない場合、デラウアーシュトラセにおける2.2kmあるいは2.8kmが単線運転を強いられる。1方向平均、10分間隔で路面電車を運行する場合、5分間隔で両方向運転することになる。それは、交通技術上の観点から不可能であった。 2
それゆえ、ハレ市中心街からフーベツスプラッツからハイデ電停(ブラントベルクヴェク)を経由して、ハイデ北へと至るルートが、エコロジー技術的観点および企業経営的観点から最適とみなされていた。このルートを採用するかぎり、道路を拡張することはほとんどないからである。既存の路面電車4号線あるいは5号線を延伸することによって、ハイデ北をハレ市中心街と結合させようとする。
 地域内の公共的人員交通における路面電車の優位性が、この議論過程において現れている。議論における言語表出以前において、以下のことは発話者間の暗黙の前提になっていた。すなわち、路面電車の新規敷設が、都市における既存の存在構造を可能なかぎり破壊しないという論点である。この観点が、路面電車の建設と都市高速鉄道あるいは地下鉄の建設とは異なっている。3 路面電車の延伸ルート策定においても、
この意義は最大限考慮される基準になった。「第一条件は、現存する地域形象を可能なかぎり変更しないことである。その際の主要な着眼点は、現存する森林存在を保持することに置かれるべきだ」。 4 住居、商業施設、高圧排水施設、高圧ガス施設等の人間的営為の場所だけが、現存する街の構造概念に属しているのではない。そこには、自然的環境も包摂されている。可能なかぎり、路面電車の予定線は、現存する人間的環境を変化させない。これが、延伸計画の議論において前提条件の一つになっていた。この計画は、1992年までハレ市都市計画局およびハレ交通株式会社によって真摯に議論されていた。


1. Vgl. Gemeindeverkehrsfinanzierungsgesetz, §2-(1)-6. In: http://www.gesetze-im-internet.de/bundesrecht/gvfg/gesamt.pdf. [Datum: 04.04.2014]
2. Vgl. StaH: Magistrat der Stadt Halle. Dezernat Ⅴ, Stadtplanung und Bauwesen. (06.01.1992) : Beschlussvorlage für die Beratung des Dezernenten-Kollegiums am 23.01.1992, S. 2.
3. 田村伊知朗「後期近代における公共性の存在形式――公共交通における路面電車ルネサンスの政治思想的基礎づけを中心にして」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第66巻第2号、2016年、61-72頁参照。
4. STaH A4.3, Nr. 25/92, Beigeordneten Konferenz(16.07.1992), S. 1-4.
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3.東西ドイツの統一過程における路面電車の意義

 なぜ、路面電車が地域内の公共的人員交通における不可欠の媒体として、統一直後のハレ市そしてドイツの政治過程において浮上したのであろうか。この問題は様々な観点から解答可能であるが、東独の社会的意識の本質と係わるかぎりで、本節において論述してみよう。
 東独の市民的公共性を論じる際、西独への憧憬を看過することはできない。西独に対する東独市民の憧憬の第一義的対象は、世界最強の通貨と喧伝されていたドイツマルクであった。西独への東独の併合は、東独市民にとってドイツマルクを獲得することと同義であった。 1この通貨は隣国の通貨であっただけではなく、東独の通貨すなわち東独マルクと同様に国内で流通していた。以下の指標は闇市場ではなく、西独のドイツ銀行等の正規の両替所のデータに基づいている。東独政府によって公認されていた正規の交換比率は、1:1であったが、西独の為替市場においてドイツマルクの方がより高価なものとみなされていた。ドイツマルクと東独マルクの交換比率は、1970年代初頭まで1:3 であったが、その後下落を続けた。その比率は1985年には1:5 に下落し、統一直前の1988年には1:8にまで下落した。 2
 ドイツマルクと東独マルクの両替所における交換比率が、東独国内の私人間の交換に準用された。彼らは自国通貨ではなく、隣国の通貨に対してより大きな信頼を寄せた。1974年に開始され、徐々に拡大したインターショップの存在は、自国通貨への信頼を格段に減少させた。ここで販売されている商品は、高品質の西独製であった。その高額な商品は自国通貨ではなく、外貨によってしか購入できなかった。「ドイツマルクによる東独マルクに対する部分的代用は、質的に高い商品をつねに購入可能であるというこの第二義的通貨の優越性に由来する」。 3 東独市民は自国通貨ではなく、隣国の通貨つまりドイツマルクに信頼をおいた。
その根拠は、西独の社会構造におけるイノベーション力にあった。西独における社会構造と産業構造が、つねに時代の要請にあわせて進歩していた。西独の企業は、国民の需要に対応した商品を供給した。その際、西独の産業構造が世界的な環境保護基準を満たし、自然そして人間的自然に配慮する時代的要請に対応できた。世界的にも著名な環境保護政策が、経済的最強性の背後にあった。
 東独の市民的公共性を規定していたのは、第一義的には西独の通貨への信頼であり、その背後にある西独の環境政策への憧憬であった。とりわけ、後者がその後の統一ドイツにおける市民意識を規定した。ドイツマルクへの憧憬は消滅した。それが日常的に使用される通貨になったからである。それに代わって、環境保護政策が東独市民の政治意識を規定した。
 もちろん、西ベルリン市と接していた東ベルリン市において、環境破壊を日常的に認識することはできなかった。東独の首都は、西側に対するショーウインドー的性格を持っていた。また、ベルリンという都市がもともと政治的かつ文化的都市であり、その工業生産高は微々たるものであった。東独における重化学工業地帯はベルリン市ではなく、別の地域において存在していた。
 ハレ市はザクセン・アンハルト州に属している。この地域は、東独さらには第三帝国の時代から重化学工業地帯に属していた。とりわけ、ハレ市から25km北に位置する重化学工業都市、ビターフェルト市は、イノベーションなき工業施設とそれに起因する環境破壊によって東独の象徴的存在であった。大気中における二酸化硫黄の濃度は、年間平均300(μg/m³)であった。この濃度は、西独の工業地帯の4-5倍を意味していた。 4
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 なぜ、このような環境破壊が東独の重化学工業地帯において一般化したのであろうか。戦前のナチス時代の工業施設がこの工業地帯において再利用された。その工業施設がイノベーションされずに、戦前の技術水準のまま再稼働されたからである。後期近代における環境保護の基準からすれば、この地域におけるその技術は、初期近代と同様に低水準のまま据え置かれた。環境保護政策は、東独市民とりわけハレ市およびその周辺の市民の社会意識にとって喫緊の課題であった。東独の環境保護政策と対照的に、西独の環境保護基準は世界最先端の水準を保っていた。
 東西ドイツの統一にともない、ハレ市の環境保護政策も西独と同一水準に達するであろうという期待がハレ市民に生じた。ある概念はそれが形成途上にあり、その実現可能性が期待されるときに、市民の日常意識をより規定する。東独の工業とりわけ重化学工業は壊滅していた。それに由来する環境破壊はすでになかった。むしろ、交通機関による環境破壊が市民意識を規定していた。「新連邦州(=東独)において交通が、環境問題にとって第一義的なものになった」。 5 東独崩壊以後、環境保護意識の高まりによって、中心街における公共交通網が整備された。それはハレ市だけではなく、東独の数多くの都市にあてはまっていた。たとえば、再統合されたベルリン市における東ベルリン市から西ベルリン市への路面電車の延伸が、本邦においても人口に膾炙されていた。それは、統合されたベルリン市の象徴になるはずであった。統一されたベルリン市交通局長、K・ローレンツによれば、東ベルリンの路面電車は以下のように表象された。「東独からの『落ちぶれた』交通遺産のなかで、路面電車だけが唯一の肯定的なものである」。 6 路面電車が、地域内の公共的人員交通において主導的役割を果たすと、統一直後の政治的熱狂において考えられていた。
 環境破壊の程度という観点から、自動車、バス等に比較して路面電車が、地域内の公共的人員交通における代替選択肢として優位に立った。「エコロジー的な交通計画、環境保護的な交通態度の可能化への枠組が、今まで以上に主体化されねばならない」。 7 後期近代における諸政策課題のうち、環境保護政策が第一義的課題の一つであるかぎり、地域内の公共的人員交通における路面電車の意義が、東独において浮上してきた。
 さらに、高齢者問題がこの路面電車に対する意義づけをより強固にした。高齢者問題は1970年代から西独において顕在化してきたが、西独と異なる事情が、この時期の東独における社会福祉問題をより複雑にした。東独崩壊過程において早期年金制度が制定された。この定年前退職制度によって、高齢者数が社会的に増大した。
ベルリンの壁が1989年秋に事実上崩壊し、1990年10月に正式に東西ドイツが統合された。この短期間のうちに、東独の最後の政権すなわちモロドウ政権が東独独自の政策を実施した。その一つが定年前退職制度であった。東独の多くの生産物がその市場において競争力を喪失した。世界でも有数の競争力を有していた西独の商品が統一以後、大量に東独の市場に流入したからである。東独の生産物は交換価値をほとんど喪失していた。多くの労働者が失業者となった。「東独の変革を背景にした市場経済的観点から、高齢労働者に対して以下の可能性が与えられた。すなわち、年金生活に到達する5年前から、定年前退職年金生活へと移行する可能性である。・・・定年前退職年金制度は1990年10月2日まで存続した。生計生活から定年前退職年金制度へと移行した人数は、40万9千人であった」。 8 正確には高齢者ではないが、定年前の比較的高齢な労働者が年金に依存するようになった。
 彼らは、通常の労働者と同水準の賃金と同様な年金を受領していたのではない。このような高齢者、すなわち若き高齢者を含む広義の高齢者と若年層に対する社会福祉的な政策が求められていた。高齢者だけではなく、若き失業者も福祉政策を必要とした。教育期間の長期化と若年層の職業待機によって、通常の賃金獲得から排除された階層もまた、社会福祉的政策を必要としていた。
          (78)
 中心街における路面電車が福祉政策の一環として寄与した。乗り換えの容易性、乗車の快適性という点は、高齢化社会における公共交通にとって必須条件である。このような観点から、路面電車は他の公共交通媒体に対して優位に立っている。 9


1. Vgl. J. Habermas: Die nachholende Revolution. Frankfurt a. M. 1990.
2. Vgl. [Anonym]: Ostmark zum Willkür-Kurs. In: Der Spiegel. H. 48. 1989, S. 113.
3. B. v. Rüden: Die Rede der D-Mark in der DDR. Baden-Baden 1991, S. 14.
4. Vgl. Hrsg. v. Institut für Umweltschutz: Umweltbericht der DDR: Information zur Analyse der Umweltbedingungen in der DDR und zu weiteren Maßnahmen. Berlin 1990, S. 20.
5. Hrsg. v. Stadtplanungsamt: Verkehrskonzeption Altstadt: Beschluss des Stadtrates der Stadt Halle (Saale) vom 8. Januar 1997. Halle 1998, S. 2.
6. [Anonym]: Tra(u)mstadt Berlin. In: Der Spiegel. Nr. 8. 1992, S. 59.
7. D. Schott u. S. Klein: Mit dem Tram ins 21. Jahrhundert. Geschichte, Gegenwart und Zukunft der Straßenbahn. In: Hrsg. v. D. Schott u. S. Klein: Mit dem Tram ins nächste Jahrtausend. Essen 1998, S. 14.
8. J. Ernst: Altererwerbsarbeit und Frühverrentung in den neuen Bundesländern und einige sozialpolitische Implikationen. In: Hrsg. v. S. Kühnert u. G. Naegele: Perspektiven moderner Altenpolitik und Altenarbeit. Hannover 1993, S. 29f.
9. Vgl. W. Wolf: Die autofreie Stadt. Autowahn am Beispiel der Stadt Marburg an der Lahn. Geschichte, Perspektive und Alternative. Köln 1993, S. 179.


注釈
 本稿は、「東西ドイツ統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』(第67巻第1号、2016年、73-83頁)として既に公表されている。なお、統一脚注を節ごとの注に直している。また、頁番号を手動で入力している。
 同時に、『田村伊知朗政治学研究室』においても掲載されている。

(たむらいちろう: 近代思想史専攻)

(二)に続く。

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東西ドイツの統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察(二)

東西ドイツの統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識
――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察(二)

  
田村伊知朗
4.路面電車の延伸計画の挫折

 このような公共性に対する市民意識に基づき、ハイデ北への路面電車の延伸計画がハレ市において議論された。統一直後のハレ市において、ハイデ北だけではなく、ハレ新市への延伸計画もあった。後者に関しては、すでに別稿においてその詳細を論述している。 1 両者は1992年において、ほぼ同等な意義を持っているとみなされていた。 2 両地域とも、ハレ市中心街から数km離れた郊外に位置している。その点ではほぼ同一の条件下にあった。しかし、ハレ新市への延伸計画は前世紀末に実現されたことと対照的に、ハイデ北への延伸計画は実現していない。東ベルリン市から西ベルリン市への路面電車の延伸計画と同様に、議論だけに終始した。
 このような差異が両者において生じた理由に関して、ここでふれてみよう。まず、計画段階における両者の設計規模が異なっている。ハレ新市に関する設計計画によれば、792haの敷地において22,000戸の住宅が建設される。対照的に、ハイデ北に関する設計計画によれば、250haの敷地において18,000戸の住宅が建設されるにすぎない。統一直後、前者の人口が9万人強あったことと対照的に、後者は1万人強でしかない。前者が社会主義体制下においてすでに計画をほぼ達成していたことと対照的に、後者は計画段階の途上にあった。社会主義体制が崩壊して以後、この体制下で計画された事案は、ほぼその有効性を喪失した。
 次に政治的理由も考慮の対象に入れねばならない。ハレ新市は、統一直後の1991年においてハレ市に統合された。この新興都市は、これまでの行政的かつ政治的自立性を喪失した。ハレ市の交通政策担当者は、両市の合併によってこの二つの地域の交通政策を総合的に考察することが可能になった。 3 それは、東独が西独に吸収合併されたことと類似している。西独が東独に対して、新たな共同性を構築しなければならなかった。同様に、ハレ市がハレ新市に対してその新たな共同性を構築しなければならなかった。統合という政治的熱狂がハレ市全体の様々な領域を覆っていた。伝統的都市が統合された新興都市に対して、万人にとって可視的な統合の象徴を創出しなければならなかった。
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 ハレ新市と対照的に、ハイデ北は東独時代からハレ市に属していた。ハレ市が、ハイデ北に対して新たに統一性を与える必要はなかった。ハレ市南部の高層住宅地域つまりジルバーヘーエと同様に、ハイデ北の高層住宅は、ハレ市内の機械工場労働者のために造成された。それは、地方自治団体たるハレ市による決定であり、ハレ新市が東独中央政府による直轄事業として建設されたことと対照的であった。ハイデ北における住宅建設は暗礁に乗り上げたままであった。いわんや、ハイデ北への接近方法、つまり中心街からの路面電車の延伸を実現するための方法論が深化することはなかった。
 さらに、ハレ交通企業株式会社は、ハレ市の郊外化の更なる進展を危惧していた。事実、1990年から1999年の10年間において、ハレ市の人口は急激に減少したにもかかわらず、周辺のザール郡の人口は、60,000人から80,000人へと増大していた。 4 この観点は企業経営上の問題とも関連している。郊外化がより進展することによって、路面電車の運営経費がハレ市総体において増大する恐れがあった。郊外化が進展することによって、中心街において乗客数が減少することは自明の事柄であった。「郊外における無秩序な破壊が進展することによって、さらに乗客数が減少する。それによってハレ交通企業株式会社の赤字、つまりその当時、年間7,000万DMの赤字が増大する危険があった」。 5 ハイデ北が、排除されるべき都市郊外への人口流出の範疇として選択された。
 また、ハイデ北において人口流出が前世紀末から進展していた。ハレ新市と異なり、ハレ市中心街への路面電車による接続がほぼ絶望視されていた。ハイデ北への公共交通は、バスに限定されていた。それも、路面電車の終着駅、クレールヴィッツ電停での乗り換えを必要としていた。公共交通における貧困が改善されることは、近未来的に想定不可能であった。
人口が減少することによって、住宅需要も減少する。その結果、家賃も下落する。社会主義国家において家賃が据え置かれたことによって、所有者は住宅を改良する意欲を喪失した。同様なことが、東西ドイツの統一直後のハイデ北においても生じた。改築されない低家賃住宅から中高所得者が脱出し、それに代わって低所得者が流入した。この傾向は1990年代に徐々に進行し、今世紀初頭において誰の目にも明瞭になった。ハレ新市とハレ市南部の高層住宅地域、たとえばジルバーヘーエ等においても、その傾向は続いていた。「ジルバーヘーエにおいて全住民の33%、ハレ新市において全住民の28%が、生活保護を受給している」。 6 この資料はハイデ北と直接的に関係するものではないが、ほぼ同様な指標がこの地域にも妥当するであろう。「最近の世論調査によれば、・・・ハレ市全体における住宅に対する満足性はさらに上昇している。しかし、ハレ新市においてそれは57%であり、明らかに平均以下である。・・・将来の人口減少に関係する地域は、ハレ新市西側、ジルバーヘーエそしてハイデ北である」。7 人口が減少し、かつ低所得者が増大したことによって、中高所得者は自己の住居に対して不満を増大させた。
 行政当局ならびに住宅所有者は、この現象に対して住宅構造物の廃棄によって対応しようとした。8 住宅を破壊して、更地にすることによって、その供給を制限しようとした。しかし、住宅所有者の意図、すなわち住宅の廃棄による家賃上昇だけが、土地の更地化の効用ではない。「住宅価値を高めることの目的は、縮小過程における都市を魅力化することにある。住宅密度の減少は、生活質を改善するために利用されるべきである」。 9 ここでは、更地化の目的が、家賃上昇とは別様に設定されていた。
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 たとえば、住宅協同組合「幸福な未来」は、住宅を廃棄した後に、中高所得者向けの住宅を新たに建設しようした。住宅所有者の意図にも配慮しつつ、別の選択肢を模索していた。「ハイデ北において新たに住宅を建築することの利益は、『幸福な未来』にとって大きい。我々は、ここにおいて賃貸者用の集合住宅を建設するだろう」。 10 この住宅協同組合の主張は実現されなかった。2000年代後半には、ハイデ北の住宅複合体Ⅰの一部が解体された。 11 住宅解体の結果として、家賃は上昇した。しかし、この住居政策は人口減少を止めるどころか、それを促進することになった。
 さらに、ハレ市交通政策担当者は、都市の郊外化の危惧と同時に、中心街における路面電車の充実の必要性を優先した。東独末期の路面電車網が、中心街において寸断されていたからである。「1989年6月22日、テールマン広場とダーマシュケ通りの間において路面電車網が閉鎖された」。 12 テールマン広場(東西ドイツの統一以後、リーベック広場と改称)とハレ中央駅間が閉鎖されていた。全国鉄道網とハレ市中心街を媒介していた路面電車が、事実上解体された。
 この復旧が、東独の崩壊直後におけるハレ交通企業株式会社の重大な使命になった。1990年代後半において、ハレ市都市計画局は、この都市総体における地域内の公共的人員交通の存在形式を次のように認識していた。「地域内の公共的人員交通の路線網の欠陥は、とりわけハレ新市への路面電車網の結合の欠如、ハレ中央駅と中心街との直通網の不在から生じている」。 13 ハレ新市への延伸を除けば、中央駅周辺とりわけリーベック広場の再開発が焦点になった。
 リーベック広場は中央駅から、1kmほどしか離れていない。しかし、ハレ市全体の路面電車網からハレ中央駅周辺が除かれたことは、市民的公共性の形成という観点からだけではなく、営業収益という観点からも問題の多いものであった。ハレ市中心街における公共交通の充実が、ハイデ北への路面電車の延伸に対して優先された。「調和がとれ、すべてが混合し、コンパクトな住居構造は地域内の公共的人員交通を志向する。この住居構造の建設的な枠組設定が、未来の住居構造と交通構造の基礎を形成すべきである」。 14 路面電車が、この住居構造において主導的役割を担うと設定されていた。路面電車が、都市の密度を増大させる地域内の公共的人員交通手段としてみなされていた。とりわけ、人口減少と人口高齢化が不可避であったハレ市において、中心街の整備が最重要課題であった。

1. 田村伊知朗「後期近代の公共交通に関する政治思想的考察――ハレ新市における路面電車路線網の延伸過程を媒介にして」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第66巻第1号、2015年、213-223頁参照。
2. STaH: Hrsg. v. Stadt Halle (Saale), Dezernat Planen und Umwelt: Verkehrsplanung in Halle und Ihre Umsetzung bis 2001. Halle 2002, S. 65.
3. Vgl. STaH A4.3, Nr. 22/9, Beigeordneten Konferenz (16.07.1992), S. 1.
4. Vgl. H. Sahner: Großwohnsiedlungen der Stadt Halle. Heide-Nord im Vergleich. Halle 2000, S. 12.
5. StaH: Hrsg. v. Stadt Halle (Saale). Dezernat Planen und Umwelt. Stadtplanungsamt: Verkehrspolitische Leitbild der Stadt Halle (Saale). Beschluss des Stadtrates der Stadt Halle (Saale) vom 8. Januar 1997, S. 13.
6. STaH: S. Zöller: Nicht nur Jubel beim Fest. In: Mitteldeutsche Zeitung, 15.09.2007.
7. STaH: A. Lohmann: Hallenser ziehen sehr um. In: Mitteldeutsche Zeitung, 19.03.2008.
8. Vgl. Wohnumfeldverbesserung in Heide-Nord (27.7.99). Nachrichten v. Halle
(Saale). In: http://www.halle.de/de/Rathaus-Stadtrat/Aktuelles-Presse/Nachrichten/?NewsID=330
[Datum: 04.04.2015]
9. Ch. Westphal: Dichte und Schrumpfung. Kriterien zur Bestimmung angemessener Dichten in Wohnquartieren schrumpfender Städte aus Sicht der stadttechnischen Infrastruktur. Dresden 2008, S. 114.
10. STaH: A. Lohmann: Reihenhäuser lassen auf sich warten. In: Mitteldeutsche Zeitung, 24.03.2007.
11. Vgl. ebenda.
12. B. L. Schmidt: 100 Jahre elektrisch durch Halle. Halle 1991, S. 196.
13. STaH: Hrsg. v. Stadt Halle (Saale). Dezernat Planen und Umwelt. Stadtplanungsamt: Verkehrspolitische Leitbild der Stadt Halle (Saale), a. a. O., S. 12.
14. Ch. Holz-Rau: Verkehr und Siedlungsstruktur-Eine dynamische Gestaltungsaufgabe. In: Raumforschung und Raumordnung. H. 4. Jg. 59, Köln 2001, S. 265.

5.路面電車の延伸計画の挫折以後

 ハイデ北への路面電車の延伸は、前節において言及した諸根拠から現実化されなかった。それに代わって、2005年にクレールヴィッツ電停とハイデ電停の間、約1kmが結合されることになった。路面電車だけによるハイデ北から中心街への結合はほぼ断念されたが、ハイデ北からクレールヴィッツ電停までのバスと、この電停から中心街への路面電車によって、両者が結合された。 1 ハイデ電停あるいはクレールヴィッツ電停からハイデ北への路面電車による延伸計画は、二つの最終電停の結合による路面電車網の改善という形で完全に断念された。
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 この路面電車網の改善に関してより詳細に触れてみよう。まず、パークアンドライドがクレールヴィッツ電停において採用された。このシステムは、公共交通の停車駅とりわけ最終停留所周辺に駐車場を整備することによって、公共交通の利用者を増大させることを目的にしている。単純化すれば、公共交通を存続させる最終手段として喧伝されている。クレールヴィッツ電停周辺にも、100台ほどの自家用車両を収容するための場所が確保されている。人口10,000人弱のハイデ北にとって、100台ほどの駐車場は理に適っているようにみえるかもしれない。しかしパークアンドライドは、都市周辺部においてかろうじて残存していた公共交通を破壊することにもつながる。「パークアンドライドは、自家用車に有利な平面を都市周辺部に拡大し、・・・そこに残存している公共交通を最終的に破壊することに他ならない」。 2 この設置は路面電車の利用を促進するが、ハイデ北からのバスの利用を妨害する。地域内の公共的人員交通をより拡充すべきであるという観点からすれば、パークアンドライドは問題の多い交通政策であろう。
 また、ハイデ北からクレールヴィッツ電停へのバスは、平日日中において毎時15分間隔で運行されている。もちろん、乗車人数、乗務員の確保等の観点から、単位時間当たりの運行が制限されることもある。しかし、1時間あたりの本数が制限されていたとしても、路面電車そして公共交通一般は定間隔運行を必要としている。たとえ、1時間に1本の運転であったしても、毎時定時に運転されることによって、その運転が市民に周知される。たとえば、ハレ市とデッサオ市間を運行しているドイツ地方鉄道は、毎時15分にハレ中央駅を出発している。 3
 逆に言えば、すべての時間帯において異なる発車時間であれば、人間はそれを記憶できない。定間隔運行であれば、人間はこの事象を記憶することができる。後期近代において人間は、高度な知識に基づく専門家としてふるまっている。後期近代において知識が細分化され、高度化される。しかし、どのような専門家であれ、専門外の事柄に関して素人としてふるまわざるをえない。自然的個人にとって、専門知の高度化は限られた領域において生じるだけである。「我々の世界において経験がより科学的になればなるほど、・・・それだけ我々は噂を信じるしかなくなる」。 4 自然的人間が世界における複雑な事象をすべて認識することは、不可能であろう。公共交通における運行時間に関する問題も、この観点から考察されるべきであろう。交通計画者の専門知は、利用者の素人知に適合しなければならない。ハレ市交通政策担当者が、定間隔運行によって公共交通としてのバスの存続に対して配慮しているのであろう。
 この配慮はさらに、クレールヴィッツ電停からハイデ北方向への路面電車からバス路線への乗り換え形式にも現れている。この乗り換えのためには、道路を跨ぐ必要はない。路面電車の軌道、停留所、バスの3車線が並列している。路面電車の終点で下車した乗客は、そのまま電停横に待機しているバスに乗り換えることができる。さらに、路面電車の停留所にバスが直接的に乗り入れている場合もある。ハレ新市の都市鉄道駅電停等の一部の停留所だけであるが、路面電車とバスを結合するための究極的様式であろう。5
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おわりに

 本稿は、1980年代の東独末期から東西ドイツの統一過程におけるハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程を考察してきた。統一直後において、ハイデ北への路面電車の延伸計画への期待は、市民の公共性に対する社会意識の変化、とりわけ環境保護政策と高齢者福祉的政策に対する意識が増大することによって上昇した。しかし、住宅地としてのハイデ北において、家賃相場が下落し、住宅そのものが廃棄された。そして居住人口が減少した。この社会的現実態の急激な変化によって、この延伸計画は挫折した。公共性に対する市民の社会意識が変化したにもかかわらず、社会的需要の減少という経済原則に直面することによって、ハイデ北 への路面電車の延伸計画は現実化されなかった。
1. Vgl. Hrsg. v. HAVAG: Strecken für die Zukunft. Die neue Verbindung Heide-Kröllwitz. Halle 2005, S. 4.
2. W. Wolf: Berlin-Weltstadt ohne Auto? Eine Verkehrsgeschichte 1848-2015. Köln 1994, S. 158.
3. Verkehrsmittel Vergleich. In: http://www.verkehrsmittelvergleich.de/bahnticket/1154804?st_affiliate_id=1. [Datum: 25.11.2014]
4. O. Marquard: Zeitalter der Weltfremdheit? Beitrag zur Analyse der Gegenwart. In: ders.: Apologie des Zufälligen. Stuttgart 2008, S. 84.
5. Vgl. Hrsg. v. HAVAG: Das neue Liniennetz der HAVAG-umsteigen auf Tram und Bus. Die bessere Verbindung. Von Anfang an. Halle 1999, S. 2.

Abkürzung:
STaH: Stadtarchiv Halle (Saale)
HAVAG: Hallesche Verkehrs-AG

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注釈
本稿は、「東西ドイツ統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』(第67巻第1号、2016年、73-83頁)として既に公表されている。なお、統一脚注を節ごとの注に直している。また、頁番号を手動で入力している。
 同時に、『田村伊知朗政治学研究室』においても掲載されている。

(たむらいちろう: 近代思想史専攻)

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