交通縮減の思想――路面電車ルネサンスとしての宇都宮市電に関する政治思想

「交通縮減の思想――路面電車ルネサンスとしての宇都宮市電に関する政治思想」
(1)、(2)、(3)


0、世界総体ではなく、都市構造という表象

  1980~90年代において交通政策が、都市全体の公共性という存在形式において考察され始めた。ここで問題にしている全体知は、近代という時代総体に関する知ではない。世界の総体的把握とそれに基づく世界変革が、ほぼ無効になった。
  後期近代において、世界の存立構造そのものを問題にする知は崩壊してゆく。世界の総体的な領有は、いかなる形式であれ、疑義から逃れることはできない。古典的なドイツ観念論哲学はヘーゲルによって完成されるが、この哲学における世界概念は、19世紀後半においてすでに問題が多いものになる。学問における専門化と分業が進展したからである。世界そのものを問題にする知は、学問的世界から追放される。
  学問的営為に従事するかぎり、その主体は世界の存立構造そのものを問題にするのではない。世界領有にとって有効な知は、市民社会の諸システムの実践に有効な知にとって代わられる。世界観的知は、ドイツ観念論哲学の完成者、ヘーゲルとマルクス、エンゲルスも含めたヘーゲル左派でもって終了している。
  もちろん、伝統的哲学以後においても、それに代わる学問、たとえばコント、デュルケームによって代表される初期社会学、あるいはいわゆるマルクス経済学もまた、哲学とは異なる形式によって世界を領有しようとした。その試みはすべて、水泡に帰した。いかなる形式の学問であれ、伝統的哲学にとって代わろうとする試みは、少なくとも現在にいたるまで成功したとは言い難い。人間的理性は、どのような形式の学問的色彩を帯びようとも、世界総体を把握することはできない。
  さらに、世界、あるいは歴史的世界において理性、あるいは秩序性があるという前提も疑義から逃れられない。把握された世界における理性性に基づいて、自然発生的に世界を統御できるということは、あまりに楽観主義的見解に他ならない。理性性も秩序性も歴史的生成のうちにあり、絶対的なものではないからである。哲学、あるいは哲学とは異なる形式の学問が人間的理性による批判という手続きを用いて世界を解釈し、その変革を企図することは、不可能になる。このような思想的前提が崩壊していることは、少なくとも後期近代において思想史的領域においても、現実政治的領域においてもほぼ社会的に承認されている。
  1960~70年代における世界の総体的変革への指向が、その社会的承認力を後期近代においてほぼ喪失した。それに代わって公共圏において承認された知が、都市構造全体に関する知である。歴史的世界と共時的世界総体ではなく、都市という限定された空間に関する知である。前者を認識するためには、哲学的な体系化を必要としていた。前者に関するどのような知であれ、その真正性を討究する手段を有していない。

1、具体的な都市研究

  新幹線宇都宮駅周辺の宇都宮市中心街は、宇都宮市東部と芳賀町にある工業団地と15㎞ほど離れている。この区間を路面電車で結ぶため、宇都宮市電が建設されようとしている。この予定線の終点周辺には、本田技研、キャノン等の大規模工場、テクノポリス等が林立している。また、沿線には、作新学院大学、青陵高校等の文教施設、サッカーJ2の公式スタジアムである栃木県グリーンスタジアム、宇都宮清原球場、体育館等のスポーツ施設も数多い。また、この沿線では小中学校のクラスの増設が相次いでいる。若年労働力人口も、この地域に多く居住している。
  中心街から工業団地を結節している片側二車線の道路は、朝夕にはかなり渋滞していた。また、サッカー公式戦開催日等のイベントが開催される日には、その渋滞が加速された。宇都宮市電の建設が、このような事情で構想された。そして、その工事施行が、2018年3月に国土交通省によって認可された。その構想から数えて約半世紀を必要としていた。これまでの交通政策担当者の唯一の政策は、道路を拡幅するか、あるいは迂回路として高速道路を新設することでしかなかった。宇都宮市、栃木県そして国土交通省はこの常識を覆す政策を採用した。
  もちろん、宇都宮市の路面電車ルネサンスは、富山市の路面電車ルネサンスを前提にしている。(4) しかし、後者は既存の富山港線という赤字ローカル線を路面電車に転用した。また、北陸新幹線において新設される富山駅整備という国策とも関連していた。
対照的に、宇都宮市の路面電車新設という事業は、既存の鉄道施設を前提にせず、既存道路の片側一車線を廃棄して、軌道を敷設しようとする。この意味で、宇都宮市の路面電車ルネサンスは、富山市のそれを凌駕している。まさに、本邦の路面電車ルネサンスの精華というべきであり、ドイツの路面電車ルネサンスに匹敵する構想であろう。
  本報告の目的は、本邦における路面電車ルネサンスの意義をドイツの政治思想に基づいて跡づけることにある。

2、部分知に基づく道路の拡充と都市構造の破壊――私的利益と公共的利益の同一性という仮象(1950~60年代)

  1950~60年代の都市交通政策担当者は、自らの専門領域に関する部分知に基づき都市と都市交通の未来像を構想してきた。客観的に考察すれば、この時代の交通政策担当者は、一元化された部分知に基づき、動力化された個人交通の拡大しか考慮しなかった。動力化された個人交通が、都市交通一般と同義として考えられていた。部分知に基づく政策が、都市全体に関する全体知に基づく都市全体の利益と矛盾なく両立すると考えられていた。その妥当性が問われることなく、全体知への無邪気な信頼が、交通政策担当者の意識構造を規定していた。
  個人交通という私的利益は、交通全体あるいは公共性全体の利益と同一であると認識されていた。単純化すれば、私的利益と公共的利益は同一と考えられていた。あるいは、公共性を考慮しないことと同義であった。
この部分知と、彼らの職業的権限の拡大という部分的利益に基づき、道路の幅と延長距離が拡大された。これが交通政策担当者の唯一の政策にすぎなかった。道路交通のために使用される面積が、都市において拡大した。自家用車を使用するための空間が、都市内部とりわけ都市中心街において拡大された。他の交通媒体たとえば路面電車と比較することによって、この現象を考察してみよう。交通量が同一である場合、路面電車が必要とする平面は、自家用車が必要とする平面の数パーセントにすぎない。この考察結果に駐車場の面積を加えるならば、都市中心街における自動車関連の面積占有率は、膨大になろう。都市中心街が、道路と駐車場によって浸食された。
  動力化された個人交通に適した街という表象が、交通政策担当者の意識構造において支配的になった。この表象において、空間つまり都市構造全体に対するその影響、交通使用総体に対する批判的考察は、あたかも存在しないかのようであった。交通浪費的な生活様式と経済様式の原理的促進、立地計画における統御の強度の弱さが、現代的な交通使用構造と動力化された個人交通を指向している。動力化された個人交通の意義に基づき、部分的な専門知が都市全体を貫徹していた。このような部分知に基づき、都市とその郊外領域における道路空間が増大された。このような観点から都市中心街から路面電車の軌道が撤去された。

3、全体知としての都市構造を指向する政策――私的利益と区別された公共性あるいは公共的利益(1980~90年代)

  このような政策と異なる思想が、西欧とりわけドイツの1980~90年代において生じた。交通政策者の意識を規定している暗黙知の存在形式が、批判的手続きに基づいて再検証された。その媒介項が、上位概念としての都市空間の全体構造である。もちろん、全体という表象は、本稿で規定された都市空間とは異なる概念によっても再構成できる。都市という水準を超えた州という地域、その州を統合する国家、グローバル化された世界という表象によっても再構成可能であろう。
  本講義は、その曖昧性と非厳密性を内包している。しかし、上位概念としての都市という表象が、錯誤しているのではないであろう。都市は、社会的構造過程がその複雑的、矛盾的そして直観的現実性を持つ空間でありうる。全体知としての都市という表象を設定しうるであろう。
  世界ではなく、都市という表象を媒介にすることによって、この空間の全体性に対する人間的理性による把握と統御が、社会的に可能とみなされていた。この形式の知に対する承認形式は、今世紀になっても継続している。都市という空間は、社会の複雑性の結節点として、都市は意識化されやすい。都市という限定された空間において、世界総体が凝縮している。多数の人間が共同生活を営む都市空間は、限定されていることによって国家よりも市民の日常意識にとって可視化可能であろう。公共性一般を観照する空間は、国家ではなく、都市においてより具体性を帯びるであろう。都市構造全体に関する問題が、世界と歴史的世界に関する問題に代わって市民的公共性において意識化された。
  ここで前世紀中葉のように私的利益が公共的利益と同一である、という素朴な認識は、もはや消滅している。両者の分離を前提にしつつ、後者をどのように現実化するかという課題が全面に出てきた。

4、都市構造と歩行
 人間的自然に適応した交通という観点から、都市構造を考察してみよう。歩行が、最も自然環境に負担の少ない交通手段である。歩行を都市内交通の基盤と考えることによって、動力化された個人交通を増大させるインフラが減少する。歩行を都市交通政策の基礎に据えることによって、交通量総体が減少する。この人間の原初的交通手段は、前近代から継続している。歩行という人間の原初的行為に適した都市構造が、交通縮減のために不可避的に要求されている。
  都市機能の本質である凝集、高密度、多様性そして調和的混合性を確保するために、歩行という人間の原初的能力が都市機能をより改善する。近代都市においても歩行の意義は、看過されるべきではないであろう。都市構造が、歩行等の原初的な交通手段に適合しなければならない。
  都市構造がエコロジー基準に適合することは、化石燃料に依存する交通システムからそれに依存しない交通システムと同一的水準にある。都市構造の変容が、ポスト・化石燃料交通システムへの移行を可能にする。
 歩行者交通のための環境を整備することは、公共交通の充実と同義である。歩行のための装置が整備されることによって、公共交通の装置も整備される。地域内の公共的人員交通と歩行者交通は、相補的である。地域内の公共的人員交通の輸送能力を向上させるためには、歩行者交通を充実しなければならなかった。現在では、歩行という交通手段は1㎞前後の距離を前提にしている。それ以上の距離を移動することは、公共交通を利用しなければならない。両者のための交通環境を整備することによって、動力化された個人交通を縮減できる。
交通縮減という概念が、後期近代において出現してきた。環境問題が、都市政策における上位要因になった。交通が、都市における環境破壊の最大の源泉の一つである。このような認識が、市民の日常意識を規定するようになった。徒歩、自転車等の動力化されていない交通手段と、この交通手段を媒介にする高品質の地域内の公共的人員交通が、交通政策においても求められている。バスではなく、路面電車がこの課題をより遂行できる。   
  バスは、動力化された個人交通に対抗できない。個人交通の増大によって、都市機能とりわけ都市中心街おける都市機能が限界を超えつつあった。この事態に対応した交通政策と都市政策が、喫緊の課題として社会的に承認されている。この思想を実現するためには、都市構造の本質的変革が求められている。
  いかに困難であれ、全体知として都市構造全体が交通政策担当者の意識構造へと埋め込まれなければならないであろう。空間構造に関する全体知を指向することは、都市住民の交通意識と交通態度を水路づけることにつながるであろう。

5、宇都宮市路面電車ルネサンスと都市構造

 これまで、ドイツの前世紀の議論を中心にして、都市構造に関する全体知を指向する必然性に関して論述してきた。宇都宮市電の建設もこのコンテキストにおいてより理解できるであろう。ただし、宇都宮市の路面電車ルネサンスはその構想からほぼ半世紀が経過しているが、工事施工の認可以後も未だに民主党(現 民進党、国民民主党、立憲民主党等?)、共産党、社会民主党等を中心にした反対運動も残存している。動力化された個人交通だけを指向し、公共性あるいは公共的利益を指向しない。本邦における左翼的な反対運動の本質あるいは限界が、本事業に対する政治思想において露呈しているのかもしれない。
  伝統的な市民運動が指向する反対運動の本質は、現状維持にある。ここで問題にした公共交通の本質というコンテキストに基づけば、バスに一元化しようとしている。しかし、バスは動力化された個人交通に対抗できない。いずれ、バスだけに一元化された公共交通は、衰退する可能性が高い。もちろん、ここで路面電車に一元化すべきであると主張しているのではない。バスに一元化するのではなく、多元的な公共性そして公共交通を主張しているにすぎない。バスのトランジットセンターが、路面電車の主要電停において設置している。幹線としての路面電車、支線としてのバスという棲み分けを主張しているにすぎない。
  また、公共性あるいは公共的利益の本質は、ここでは公共交通の存在形式あるいはその存在それ自体と関連づけている。もちろん、別の観点から考察すれば、その存在形式に関する具体的表象も異なっているのかもしれない。


(1)本記事は、「公共空間X」にも転載されている。http://pubspace-x.net/pubspace/archives/5252 「Datum 21.08.2018」
(2) 本稿は、政治学概論の講義原稿(政治学原論12 公共性の存在形式――世界総体から都市へ――都市研究としての宇都宮市の公共交通政策)に基づいている。この2018年度政治学概論・第12回講義(2018年6月25日)は、市民公開講座として学生だけではなく、都市住民にも公開された。
(3) この公開講義の概要は、今井正一「宇都宮のLRT『路面電車ルネサンスの最高点』」『函館新聞』(2018年6月26日、第14面)、https://digital.hakoshin.jp/news/national/36104
[Datum 26.06.2018]

『北海道新聞・夕刊(函館版)』(2018年7月5日、第11面)等においてすでに紹介されている。
(4) 富山市の路面電車ルネサンスに関して、昨年度にすでに公表している。田村伊知朗「富山市、宇都宮市の路面電車ルネサンスと国土交通省都市・地域整備局――路面電車の建設をめぐる中央官庁と地方自治体の関係に関する政治学的考察」(未公表論文)および昨年度の講演「富山市の路面電車ルネサンス――富山市のLRT導入背景」今井正一」「富山市の路面電車ルネサンス」」『函館新聞』(2017年6月23日)、第15面参照等。
https://digital.hakoshin.jp/news/national/22157[Datum 23.06.2017]

田村伊知朗(近代思想史専攻)

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新聞での紹介 『函館新聞』、『北海道新聞』「交通縮減の思想――路面電車ルネサンスとしての宇都宮市電に関する政治思想」

『函館新聞』

20180626

『北海道新聞』


20180705


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20170622 『函館新聞』掲載――富山市の路面電車ルネサンスにおける残された課題

路面電車ルネサンスの日本版として、富山市の路面電車ルネサンスを研究している。残された研究史として、この交通政策史および都市政策史における国土交通省都市・地域整備局の役割を検討している。その成果の一部を北海道教育大学の市民公開講座として講演した。それが、『函館新聞』(2017年6月23日、14面)に掲載された。記事執筆者は、今井正一である。彼は、2013年6月22日の日独協会における路面電車に関する講演会に関する記事を書いていた。何か御縁を感じる。
(右クリックすると、大きくなる)。

20170622_2


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Eine nähere Betrachtung des Plans, das Straßenbahnnetzwerk der Stadt Halle bis Heide-Nord auszudehnen, und dessen Scheitern

Der öffentliche Verkehr und das bürgerliche Bewusstsein von der Öffentlichkeit im Vereinigungsprozess der beiden deutschen Staaten – Eine nähere Betrachtung des Plans, das Straßenbahnnetzwerk der Stadt Halle bis Heide-Nord auszudehnen, und dessen Scheitern

                                                       Ichiro Tamura


                             Zusammenfassung

                                 

  Am äußersten nordwestlichen Rand der Stadt Halle an der Saale liegt Heide-Nord, wo in der letzten Phase der DDR im großen Maße Plattenbauhäuser für die Maschinenindustriearbeiter gebaut wurden. Dabei musste für die Einwohner im neuen peripherischen Gebiet zwangläufig ein öffentlicher personaler Nahverkehr zwischen diesem Stadtviertel und dem Stadtzentrum eingerichtet werden. Gerade nach dem großen gesellschaftlich-politischen Wandel entstand die Möglichkeit, den Plan, Straßenbahnnetzwerk bis Heide-Nord auszudehnen, zu verwirklichen. Das Gemeindeverkehrsfinanzierungsgesetz wurde auf die neuen Bundesländer ausgedehnt, um Förderungsmittel für die Erweiterung vorhandener Anlagen des öffentlichen Verkehrs zur Verfügung zu stellen. Durch die zukünftige Umsetzung dieses Plans wären die Einwohner dieses Stadtteils in der Lage, ohne umzusteigen mit der Straßenbahn direkt ins Zentrum zu fahren.
  Trotzdem wurde es in den neunziger Jahren des vorigen Jahrhunderts beschlossen, diese Richtlinie zur Verbesserung des öffentlichen Verkehrs nicht zu verwirklichen. Das Scheitern des Plans gründete sich auf der offensichtlich drastischen und massenhaften Bevölkerungsschrumpfung in dieser Stadt im Ganzen, besonders in diesem Stadtgebiet.
  Der vorliegende Bericht macht zum Gegenstand seiner Forschung die Diskussionsprozesse der Verkehrsplanungsbehörden über den Plan der Ausdehnung des Straßenbahnnetzwerkes vom Stadtzentrum bis Heide-Nord, die einen wesentlichen Bezug zur Idealvorstellung des öffentlichen Verkehrs und der Straßenbahn aufweisen. Der Grund für die sogenannte Renaissance der Straßenbahn besteht darin, dass sich das bürgerliche Bewusstsein von der Öffentlichkeit in der späten Moderne veränderte. Dabei spielte eine große und wesentliche Rolle das Bewusstsein für Umweltschutzpolitik in urbanen Ballungsgebieten und die zu verstärkende Sozialfürsorge für die zunehmend alternde Bevölkerung. So erklärt dieser Forschungsbericht, aus welchem Grund und in welcher Weise der Plan, das Straßenbahnnetzwerkbis Heide-Nord auszudehnen, in der Öffentlichkeit der Stadt gerade nach der Vereinigung der beiden deutschen Staaten diskutiert wurde und schließlich nicht verwirklicht werden konnte.

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東西ドイツの統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察(一)

東西ドイツの統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識
――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察(一)

  
                                               田村伊知朗

はじめに
 
 1989年にベルリンの壁が崩壊し、分裂した二つの国家すなわちドイツ連邦共和国(以下、西独と略)とドイツ民主共和国(以下、東独と略)が統合された。公共交通網の再構築がその直後の政治的熱狂に基礎づけられて、公共的討論圏において浮上してきた。とりわけ路面電車の延伸と新規建設が、地域内の公共的人員交通の改善という観点から真摯な議論対象になった。 
 本稿は、ハレ市(ザクセン・アンハルト州)におけるハイデ北への路面電車の延伸計画を考察対象にする。この計画は、東西ドイツの統一過程における政治的熱狂のなかで議論された。そしてその熱狂が醒めた前世紀末において、この計画は挫折した。
 しかし、この議論過程に関する考察は、公共交通そして路面電車の本質と関連している。路面電車が後期近代において復権した根拠は、地域内における市民的公共性の存在形式のうちにある。東独崩壊直後における公共性の在り方と関連づけながら、ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程を考察する。


1.東独末期におけるハイデ北への路面電車の延伸計画

ハ レ市郊外にあるハイデ北は、その中心街から約6km西北に位置している。戦前に敷設されていた路面電車の終着電停、クレールヴィッツ電停から約3km西北に位置している。ハレ市郊外のこの地域において中高層住宅団地が、地域内の機械工業労働者のために東独末期の1980年代に構想された。1981年の計画によれば、250haに渡る広大な地域において18,000戸の住宅が建設されるはずであった。1 さらに、この用地の西側にも住宅地に転用可能な農用地が広がっていた。1986年の計画によれば、5,400戸の住宅が1990年までに建設されるはずであった。 2 この先行建設地帯は、住宅複合体Ⅰ,Ⅱとして位置づけられていた。のちに、住宅複合体Ⅲ,Ⅳが建設される予定であった。
 その建設計画によれば、路面電車がハレ市中心街からハイデ北への公共交通として位置づけられていた。それは、住居複合体Ⅰ,Ⅱに対する都市建設計画の指導プランニングの構成要素である。 3 1981年の計画段階では、ハイデ北からハレ市中心街への通勤者は約10,000人であり、そのうちの約60%が公共交通を利用すると算定されていた。 4 
(74)
 この地域において1,720戸が、1985年までに先行建設された。上記の都市計画のプランニングにおいて明記されていたにもかかわらず、公共交通の具体的展開は住宅建設に遅れて議論された。社会主義的計画経済における官僚制的セクショナリズムの弊害が、この点において露呈していた。住宅建設を担当する部局と公共交通を担当する部局が、ほぼ無関係に鼎立していた。ハイデ北を住宅地と決定する際に、中心街からのアクセスが具体的に議論された形跡は、ほぼなかった。住宅が先行建設されて初めて、路面電車の整備計画が具体化された。ハイデ北とハレ市中心街を結合するために、路面電車の建設が自明の事柄であった。市街地とそこから数km離れた地点を結合するために、地下鉄を建設することはできなかった。また、バスでの輸送能力にも限界があった。
 交通計画担当者間における議論は、路面電車のルート策定から始まった。ハイデ北の住宅複合体Ⅰ,Ⅱの入口からハレ市中心街へと路面電車によって向かう場合、ノルトシュトラッセを経由することは自明であった。それ以外の道はなかったからである。問題は、ノルトシュトラッセからどの方向に路面電車の軌道を敷設するべきかという点にあった。クレールヴィッツ電停(デラウアーシュトラセ)経由あるいはハイデ電停(ブラントベルクヴェク)経由の二つが、議論対象として選択された。1985年当時ですら、この二つの可能性が両論併記のままで残されていた。 5
 ハイデ北からハレ市中心街に向かう乗客の約60%は、ハイデ電停でバスから路面電車に乗り換えている。6 ハイデ北からフーベツスプラッツで乗り換え、ハレ市中心街へ向かうルートが、通勤者にとってより便利であろう。しかし、この計画を実現するためには、膨大な資金を必要としていた。「フーベツスプラッツから、最終環状カーブのクレールヴィッツを含む居住地の入口まで、9,500,000マルクが必要である。しかし、居住地ハイデ北へと路面電車を結合するために使用できる金額は、1990年までに5,500,000マルクでしかない」。7 東独末期における国家財政が悪化したため、路面電車を延伸するための予算不足が露呈した。
 また二つの策定経路に共通して、重大な困難がさらに横たわっていた。ハイデ北の転換環状カーブにおいて、路面電車が上水道管を3回ほど跨ぐことになっていた。上下水道管理会社は、この路線計画に対して反対意見を提起した。 8 この上下水道管理会社は、都市における特殊な領域の利益を代表している。全体的利益あるいは他の部分的利益――ここでは路面電車の延伸――を考慮することなく、自らが関与している部分的利益を主張している。相反する二つの利益に関する調整は、上位機関に委ねられている。部分的利益と全体的利益が相反する場合、部分的利益が全体的利益を凌駕する。官僚制的セクショナリズムの弊害が、この問題においても露わになった。
路面電車を延伸するための資金不足に加えて、ドイツ官僚制と社会主義官僚制におけるセクショナリズムによって、この計画は暗礁に乗り上げていた。このような状況下において、東西ドイツの統一を迎える。
          (75)


1. Vgl. STaH A3.11, Nr. 283, Büro für Verkehrsplanung 1981: Büro für Verkehrsplanung des Rates der Stadt Halle (Saale): Verkehrstechnische Studie-Straßenbahn im Wohngebiet „Heide Nord“ einschließlich Wohnsammelstraße 1. TA, S. 1.
2. Vgl. STaH A3.11, Nr. 377, Büro für Verkehrsplanung 1987: Büro für Verkehrsplanung des Rates der Stadt Halle, 10.03.1986: Straßenbahnverlängerung in das Wohngebiet „Heide-Nord“, S. 1.
3. Vgl. ebenda, S. 2.
4. Vgl. STaH A3.11, Nr. 283, Büro für Verkehrsplanung 1981: Büro für Verkehrsplanung des Rates der Stadt Halle (Saale), a. a. O., S. 3.
5. Vgl. STaH A3.11, Nr. 343, Büro für Verkehrsplanung 1985: VE Verkehrsbetriebe Halle, 16.09.1985: Weitere Öffentlichkeitsarbeit im Zusammenhang mit dem Busverkehr der Linien A und E, S. 1.
6. Vgl. STaH A3.11, Nr. 377, Büro für Verkehrsplanung 1987: Büro für Verkehrsplanung des Rates der Stadt Halle, 10.03.1986, a. a. O., S. 1.
7. Ebenda.
8. Vgl. STaH A3.11, Nr. 377, Büro für Verkehrsplanung 1987: VEB Wasserversorgung und Abwasserbehandlung Halle: Standortgenehmigung zur Straßenbahnverlängerung in das Wohngebiet „Heide Nord“, S. 1.


2.東西ドイツの統一過程におけるハイデ北への路面電車の延伸計画

 1989年におけるベルリンの壁崩壊以後、ハイデ北への路面電車延伸計画もまた、東独時代よりもより具体的基盤において再検討された。東独地域における公共交通の路線網改善に対する財政措置が、地方公共団体交通財政法の改正によって実施されたからである。 1 ハイデ北への路面電車の延伸に関する財政上の問題点は克服された。また、上下水道会社のセクショナリズムも、この財政措置によって解消可能になった。上水道配管を移動することによって、交通技術的問題を解決することが可能になった。東西ドイツの統一以前と同様に、クレールヴィッツ電停(デラウアーシュトラセ)経由かハイデ電停(ブラントベルクヴェク)経由かという論点が、延伸路線の選択肢として議論の対象になった。
 まず、クレールヴィッツ電停(デラウアーシュトラセ)経由という選択肢が考察対象になった。もし、このルートが採用された場合、路面電車の軌道がデラウアーシュトラセにおいて1車線分しか敷設されえない。戦前から路面電車の電停が設置されていたこともあり、この街路周辺には多数の建造物がすでに設置されていた。道路を拡張するためには、既存の建造物を破壊しなければならない。道路を拡張しない場合、デラウアーシュトラセにおける2.2kmあるいは2.8kmが単線運転を強いられる。1方向平均、10分間隔で路面電車を運行する場合、5分間隔で両方向運転することになる。それは、交通技術上の観点から不可能であった。 2
それゆえ、ハレ市中心街からフーベツスプラッツからハイデ電停(ブラントベルクヴェク)を経由して、ハイデ北へと至るルートが、エコロジー技術的観点および企業経営的観点から最適とみなされていた。このルートを採用するかぎり、道路を拡張することはほとんどないからである。既存の路面電車4号線あるいは5号線を延伸することによって、ハイデ北をハレ市中心街と結合させようとする。
 地域内の公共的人員交通における路面電車の優位性が、この議論過程において現れている。議論における言語表出以前において、以下のことは発話者間の暗黙の前提になっていた。すなわち、路面電車の新規敷設が、都市における既存の存在構造を可能なかぎり破壊しないという論点である。この観点が、路面電車の建設と都市高速鉄道あるいは地下鉄の建設とは異なっている。3 路面電車の延伸ルート策定においても、
この意義は最大限考慮される基準になった。「第一条件は、現存する地域形象を可能なかぎり変更しないことである。その際の主要な着眼点は、現存する森林存在を保持することに置かれるべきだ」。 4 住居、商業施設、高圧排水施設、高圧ガス施設等の人間的営為の場所だけが、現存する街の構造概念に属しているのではない。そこには、自然的環境も包摂されている。可能なかぎり、路面電車の予定線は、現存する人間的環境を変化させない。これが、延伸計画の議論において前提条件の一つになっていた。この計画は、1992年までハレ市都市計画局およびハレ交通株式会社によって真摯に議論されていた。


1. Vgl. Gemeindeverkehrsfinanzierungsgesetz, §2-(1)-6. In: http://www.gesetze-im-internet.de/bundesrecht/gvfg/gesamt.pdf. [Datum: 04.04.2014]
2. Vgl. StaH: Magistrat der Stadt Halle. Dezernat Ⅴ, Stadtplanung und Bauwesen. (06.01.1992) : Beschlussvorlage für die Beratung des Dezernenten-Kollegiums am 23.01.1992, S. 2.
3. 田村伊知朗「後期近代における公共性の存在形式――公共交通における路面電車ルネサンスの政治思想的基礎づけを中心にして」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第66巻第2号、2016年、61-72頁参照。
4. STaH A4.3, Nr. 25/92, Beigeordneten Konferenz(16.07.1992), S. 1-4.
                              (76)

3.東西ドイツの統一過程における路面電車の意義

 なぜ、路面電車が地域内の公共的人員交通における不可欠の媒体として、統一直後のハレ市そしてドイツの政治過程において浮上したのであろうか。この問題は様々な観点から解答可能であるが、東独の社会的意識の本質と係わるかぎりで、本節において論述してみよう。
 東独の市民的公共性を論じる際、西独への憧憬を看過することはできない。西独に対する東独市民の憧憬の第一義的対象は、世界最強の通貨と喧伝されていたドイツマルクであった。西独への東独の併合は、東独市民にとってドイツマルクを獲得することと同義であった。 1この通貨は隣国の通貨であっただけではなく、東独の通貨すなわち東独マルクと同様に国内で流通していた。以下の指標は闇市場ではなく、西独のドイツ銀行等の正規の両替所のデータに基づいている。東独政府によって公認されていた正規の交換比率は、1:1であったが、西独の為替市場においてドイツマルクの方がより高価なものとみなされていた。ドイツマルクと東独マルクの交換比率は、1970年代初頭まで1:3 であったが、その後下落を続けた。その比率は1985年には1:5 に下落し、統一直前の1988年には1:8にまで下落した。 2
 ドイツマルクと東独マルクの両替所における交換比率が、東独国内の私人間の交換に準用された。彼らは自国通貨ではなく、隣国の通貨に対してより大きな信頼を寄せた。1974年に開始され、徐々に拡大したインターショップの存在は、自国通貨への信頼を格段に減少させた。ここで販売されている商品は、高品質の西独製であった。その高額な商品は自国通貨ではなく、外貨によってしか購入できなかった。「ドイツマルクによる東独マルクに対する部分的代用は、質的に高い商品をつねに購入可能であるというこの第二義的通貨の優越性に由来する」。 3 東独市民は自国通貨ではなく、隣国の通貨つまりドイツマルクに信頼をおいた。
その根拠は、西独の社会構造におけるイノベーション力にあった。西独における社会構造と産業構造が、つねに時代の要請にあわせて進歩していた。西独の企業は、国民の需要に対応した商品を供給した。その際、西独の産業構造が世界的な環境保護基準を満たし、自然そして人間的自然に配慮する時代的要請に対応できた。世界的にも著名な環境保護政策が、経済的最強性の背後にあった。
 東独の市民的公共性を規定していたのは、第一義的には西独の通貨への信頼であり、その背後にある西独の環境政策への憧憬であった。とりわけ、後者がその後の統一ドイツにおける市民意識を規定した。ドイツマルクへの憧憬は消滅した。それが日常的に使用される通貨になったからである。それに代わって、環境保護政策が東独市民の政治意識を規定した。
 もちろん、西ベルリン市と接していた東ベルリン市において、環境破壊を日常的に認識することはできなかった。東独の首都は、西側に対するショーウインドー的性格を持っていた。また、ベルリンという都市がもともと政治的かつ文化的都市であり、その工業生産高は微々たるものであった。東独における重化学工業地帯はベルリン市ではなく、別の地域において存在していた。
 ハレ市はザクセン・アンハルト州に属している。この地域は、東独さらには第三帝国の時代から重化学工業地帯に属していた。とりわけ、ハレ市から25km北に位置する重化学工業都市、ビターフェルト市は、イノベーションなき工業施設とそれに起因する環境破壊によって東独の象徴的存在であった。大気中における二酸化硫黄の濃度は、年間平均300(μg/m³)であった。この濃度は、西独の工業地帯の4-5倍を意味していた。 4
           (77)
 なぜ、このような環境破壊が東独の重化学工業地帯において一般化したのであろうか。戦前のナチス時代の工業施設がこの工業地帯において再利用された。その工業施設がイノベーションされずに、戦前の技術水準のまま再稼働されたからである。後期近代における環境保護の基準からすれば、この地域におけるその技術は、初期近代と同様に低水準のまま据え置かれた。環境保護政策は、東独市民とりわけハレ市およびその周辺の市民の社会意識にとって喫緊の課題であった。東独の環境保護政策と対照的に、西独の環境保護基準は世界最先端の水準を保っていた。
 東西ドイツの統一にともない、ハレ市の環境保護政策も西独と同一水準に達するであろうという期待がハレ市民に生じた。ある概念はそれが形成途上にあり、その実現可能性が期待されるときに、市民の日常意識をより規定する。東独の工業とりわけ重化学工業は壊滅していた。それに由来する環境破壊はすでになかった。むしろ、交通機関による環境破壊が市民意識を規定していた。「新連邦州(=東独)において交通が、環境問題にとって第一義的なものになった」。 5 東独崩壊以後、環境保護意識の高まりによって、中心街における公共交通網が整備された。それはハレ市だけではなく、東独の数多くの都市にあてはまっていた。たとえば、再統合されたベルリン市における東ベルリン市から西ベルリン市への路面電車の延伸が、本邦においても人口に膾炙されていた。それは、統合されたベルリン市の象徴になるはずであった。統一されたベルリン市交通局長、K・ローレンツによれば、東ベルリンの路面電車は以下のように表象された。「東独からの『落ちぶれた』交通遺産のなかで、路面電車だけが唯一の肯定的なものである」。 6 路面電車が、地域内の公共的人員交通において主導的役割を果たすと、統一直後の政治的熱狂において考えられていた。
 環境破壊の程度という観点から、自動車、バス等に比較して路面電車が、地域内の公共的人員交通における代替選択肢として優位に立った。「エコロジー的な交通計画、環境保護的な交通態度の可能化への枠組が、今まで以上に主体化されねばならない」。 7 後期近代における諸政策課題のうち、環境保護政策が第一義的課題の一つであるかぎり、地域内の公共的人員交通における路面電車の意義が、東独において浮上してきた。
 さらに、高齢者問題がこの路面電車に対する意義づけをより強固にした。高齢者問題は1970年代から西独において顕在化してきたが、西独と異なる事情が、この時期の東独における社会福祉問題をより複雑にした。東独崩壊過程において早期年金制度が制定された。この定年前退職制度によって、高齢者数が社会的に増大した。
ベルリンの壁が1989年秋に事実上崩壊し、1990年10月に正式に東西ドイツが統合された。この短期間のうちに、東独の最後の政権すなわちモロドウ政権が東独独自の政策を実施した。その一つが定年前退職制度であった。東独の多くの生産物がその市場において競争力を喪失した。世界でも有数の競争力を有していた西独の商品が統一以後、大量に東独の市場に流入したからである。東独の生産物は交換価値をほとんど喪失していた。多くの労働者が失業者となった。「東独の変革を背景にした市場経済的観点から、高齢労働者に対して以下の可能性が与えられた。すなわち、年金生活に到達する5年前から、定年前退職年金生活へと移行する可能性である。・・・定年前退職年金制度は1990年10月2日まで存続した。生計生活から定年前退職年金制度へと移行した人数は、40万9千人であった」。 8 正確には高齢者ではないが、定年前の比較的高齢な労働者が年金に依存するようになった。
 彼らは、通常の労働者と同水準の賃金と同様な年金を受領していたのではない。このような高齢者、すなわち若き高齢者を含む広義の高齢者と若年層に対する社会福祉的な政策が求められていた。高齢者だけではなく、若き失業者も福祉政策を必要とした。教育期間の長期化と若年層の職業待機によって、通常の賃金獲得から排除された階層もまた、社会福祉的政策を必要としていた。
          (78)
 中心街における路面電車が福祉政策の一環として寄与した。乗り換えの容易性、乗車の快適性という点は、高齢化社会における公共交通にとって必須条件である。このような観点から、路面電車は他の公共交通媒体に対して優位に立っている。 9


1. Vgl. J. Habermas: Die nachholende Revolution. Frankfurt a. M. 1990.
2. Vgl. [Anonym]: Ostmark zum Willkür-Kurs. In: Der Spiegel. H. 48. 1989, S. 113.
3. B. v. Rüden: Die Rede der D-Mark in der DDR. Baden-Baden 1991, S. 14.
4. Vgl. Hrsg. v. Institut für Umweltschutz: Umweltbericht der DDR: Information zur Analyse der Umweltbedingungen in der DDR und zu weiteren Maßnahmen. Berlin 1990, S. 20.
5. Hrsg. v. Stadtplanungsamt: Verkehrskonzeption Altstadt: Beschluss des Stadtrates der Stadt Halle (Saale) vom 8. Januar 1997. Halle 1998, S. 2.
6. [Anonym]: Tra(u)mstadt Berlin. In: Der Spiegel. Nr. 8. 1992, S. 59.
7. D. Schott u. S. Klein: Mit dem Tram ins 21. Jahrhundert. Geschichte, Gegenwart und Zukunft der Straßenbahn. In: Hrsg. v. D. Schott u. S. Klein: Mit dem Tram ins nächste Jahrtausend. Essen 1998, S. 14.
8. J. Ernst: Altererwerbsarbeit und Frühverrentung in den neuen Bundesländern und einige sozialpolitische Implikationen. In: Hrsg. v. S. Kühnert u. G. Naegele: Perspektiven moderner Altenpolitik und Altenarbeit. Hannover 1993, S. 29f.
9. Vgl. W. Wolf: Die autofreie Stadt. Autowahn am Beispiel der Stadt Marburg an der Lahn. Geschichte, Perspektive und Alternative. Köln 1993, S. 179.


注釈
 本稿は、「東西ドイツ統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』(第67巻第1号、2016年、73-83頁)として既に公表されている。なお、統一脚注を節ごとの注に直している。また、頁番号を手動で入力している。
 同時に、『田村伊知朗政治学研究室』においても掲載されている。

(たむらいちろう: 近代思想史専攻)

(二)に続く。

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東西ドイツの統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察(二)

東西ドイツの統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識
――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察(二)

  
田村伊知朗
4.路面電車の延伸計画の挫折

 このような公共性に対する市民意識に基づき、ハイデ北への路面電車の延伸計画がハレ市において議論された。統一直後のハレ市において、ハイデ北だけではなく、ハレ新市への延伸計画もあった。後者に関しては、すでに別稿においてその詳細を論述している。 1 両者は1992年において、ほぼ同等な意義を持っているとみなされていた。 2 両地域とも、ハレ市中心街から数km離れた郊外に位置している。その点ではほぼ同一の条件下にあった。しかし、ハレ新市への延伸計画は前世紀末に実現されたことと対照的に、ハイデ北への延伸計画は実現していない。東ベルリン市から西ベルリン市への路面電車の延伸計画と同様に、議論だけに終始した。
 このような差異が両者において生じた理由に関して、ここでふれてみよう。まず、計画段階における両者の設計規模が異なっている。ハレ新市に関する設計計画によれば、792haの敷地において22,000戸の住宅が建設される。対照的に、ハイデ北に関する設計計画によれば、250haの敷地において18,000戸の住宅が建設されるにすぎない。統一直後、前者の人口が9万人強あったことと対照的に、後者は1万人強でしかない。前者が社会主義体制下においてすでに計画をほぼ達成していたことと対照的に、後者は計画段階の途上にあった。社会主義体制が崩壊して以後、この体制下で計画された事案は、ほぼその有効性を喪失した。
 次に政治的理由も考慮の対象に入れねばならない。ハレ新市は、統一直後の1991年においてハレ市に統合された。この新興都市は、これまでの行政的かつ政治的自立性を喪失した。ハレ市の交通政策担当者は、両市の合併によってこの二つの地域の交通政策を総合的に考察することが可能になった。 3 それは、東独が西独に吸収合併されたことと類似している。西独が東独に対して、新たな共同性を構築しなければならなかった。同様に、ハレ市がハレ新市に対してその新たな共同性を構築しなければならなかった。統合という政治的熱狂がハレ市全体の様々な領域を覆っていた。伝統的都市が統合された新興都市に対して、万人にとって可視的な統合の象徴を創出しなければならなかった。
(79)
 ハレ新市と対照的に、ハイデ北は東独時代からハレ市に属していた。ハレ市が、ハイデ北に対して新たに統一性を与える必要はなかった。ハレ市南部の高層住宅地域つまりジルバーヘーエと同様に、ハイデ北の高層住宅は、ハレ市内の機械工場労働者のために造成された。それは、地方自治団体たるハレ市による決定であり、ハレ新市が東独中央政府による直轄事業として建設されたことと対照的であった。ハイデ北における住宅建設は暗礁に乗り上げたままであった。いわんや、ハイデ北への接近方法、つまり中心街からの路面電車の延伸を実現するための方法論が深化することはなかった。
 さらに、ハレ交通企業株式会社は、ハレ市の郊外化の更なる進展を危惧していた。事実、1990年から1999年の10年間において、ハレ市の人口は急激に減少したにもかかわらず、周辺のザール郡の人口は、60,000人から80,000人へと増大していた。 4 この観点は企業経営上の問題とも関連している。郊外化がより進展することによって、路面電車の運営経費がハレ市総体において増大する恐れがあった。郊外化が進展することによって、中心街において乗客数が減少することは自明の事柄であった。「郊外における無秩序な破壊が進展することによって、さらに乗客数が減少する。それによってハレ交通企業株式会社の赤字、つまりその当時、年間7,000万DMの赤字が増大する危険があった」。 5 ハイデ北が、排除されるべき都市郊外への人口流出の範疇として選択された。
 また、ハイデ北において人口流出が前世紀末から進展していた。ハレ新市と異なり、ハレ市中心街への路面電車による接続がほぼ絶望視されていた。ハイデ北への公共交通は、バスに限定されていた。それも、路面電車の終着駅、クレールヴィッツ電停での乗り換えを必要としていた。公共交通における貧困が改善されることは、近未来的に想定不可能であった。
人口が減少することによって、住宅需要も減少する。その結果、家賃も下落する。社会主義国家において家賃が据え置かれたことによって、所有者は住宅を改良する意欲を喪失した。同様なことが、東西ドイツの統一直後のハイデ北においても生じた。改築されない低家賃住宅から中高所得者が脱出し、それに代わって低所得者が流入した。この傾向は1990年代に徐々に進行し、今世紀初頭において誰の目にも明瞭になった。ハレ新市とハレ市南部の高層住宅地域、たとえばジルバーヘーエ等においても、その傾向は続いていた。「ジルバーヘーエにおいて全住民の33%、ハレ新市において全住民の28%が、生活保護を受給している」。 6 この資料はハイデ北と直接的に関係するものではないが、ほぼ同様な指標がこの地域にも妥当するであろう。「最近の世論調査によれば、・・・ハレ市全体における住宅に対する満足性はさらに上昇している。しかし、ハレ新市においてそれは57%であり、明らかに平均以下である。・・・将来の人口減少に関係する地域は、ハレ新市西側、ジルバーヘーエそしてハイデ北である」。7 人口が減少し、かつ低所得者が増大したことによって、中高所得者は自己の住居に対して不満を増大させた。
 行政当局ならびに住宅所有者は、この現象に対して住宅構造物の廃棄によって対応しようとした。8 住宅を破壊して、更地にすることによって、その供給を制限しようとした。しかし、住宅所有者の意図、すなわち住宅の廃棄による家賃上昇だけが、土地の更地化の効用ではない。「住宅価値を高めることの目的は、縮小過程における都市を魅力化することにある。住宅密度の減少は、生活質を改善するために利用されるべきである」。 9 ここでは、更地化の目的が、家賃上昇とは別様に設定されていた。
(80)
 たとえば、住宅協同組合「幸福な未来」は、住宅を廃棄した後に、中高所得者向けの住宅を新たに建設しようした。住宅所有者の意図にも配慮しつつ、別の選択肢を模索していた。「ハイデ北において新たに住宅を建築することの利益は、『幸福な未来』にとって大きい。我々は、ここにおいて賃貸者用の集合住宅を建設するだろう」。 10 この住宅協同組合の主張は実現されなかった。2000年代後半には、ハイデ北の住宅複合体Ⅰの一部が解体された。 11 住宅解体の結果として、家賃は上昇した。しかし、この住居政策は人口減少を止めるどころか、それを促進することになった。
 さらに、ハレ市交通政策担当者は、都市の郊外化の危惧と同時に、中心街における路面電車の充実の必要性を優先した。東独末期の路面電車網が、中心街において寸断されていたからである。「1989年6月22日、テールマン広場とダーマシュケ通りの間において路面電車網が閉鎖された」。 12 テールマン広場(東西ドイツの統一以後、リーベック広場と改称)とハレ中央駅間が閉鎖されていた。全国鉄道網とハレ市中心街を媒介していた路面電車が、事実上解体された。
 この復旧が、東独の崩壊直後におけるハレ交通企業株式会社の重大な使命になった。1990年代後半において、ハレ市都市計画局は、この都市総体における地域内の公共的人員交通の存在形式を次のように認識していた。「地域内の公共的人員交通の路線網の欠陥は、とりわけハレ新市への路面電車網の結合の欠如、ハレ中央駅と中心街との直通網の不在から生じている」。 13 ハレ新市への延伸を除けば、中央駅周辺とりわけリーベック広場の再開発が焦点になった。
 リーベック広場は中央駅から、1kmほどしか離れていない。しかし、ハレ市全体の路面電車網からハレ中央駅周辺が除かれたことは、市民的公共性の形成という観点からだけではなく、営業収益という観点からも問題の多いものであった。ハレ市中心街における公共交通の充実が、ハイデ北への路面電車の延伸に対して優先された。「調和がとれ、すべてが混合し、コンパクトな住居構造は地域内の公共的人員交通を志向する。この住居構造の建設的な枠組設定が、未来の住居構造と交通構造の基礎を形成すべきである」。 14 路面電車が、この住居構造において主導的役割を担うと設定されていた。路面電車が、都市の密度を増大させる地域内の公共的人員交通手段としてみなされていた。とりわけ、人口減少と人口高齢化が不可避であったハレ市において、中心街の整備が最重要課題であった。

1. 田村伊知朗「後期近代の公共交通に関する政治思想的考察――ハレ新市における路面電車路線網の延伸過程を媒介にして」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第66巻第1号、2015年、213-223頁参照。
2. STaH: Hrsg. v. Stadt Halle (Saale), Dezernat Planen und Umwelt: Verkehrsplanung in Halle und Ihre Umsetzung bis 2001. Halle 2002, S. 65.
3. Vgl. STaH A4.3, Nr. 22/9, Beigeordneten Konferenz (16.07.1992), S. 1.
4. Vgl. H. Sahner: Großwohnsiedlungen der Stadt Halle. Heide-Nord im Vergleich. Halle 2000, S. 12.
5. StaH: Hrsg. v. Stadt Halle (Saale). Dezernat Planen und Umwelt. Stadtplanungsamt: Verkehrspolitische Leitbild der Stadt Halle (Saale). Beschluss des Stadtrates der Stadt Halle (Saale) vom 8. Januar 1997, S. 13.
6. STaH: S. Zöller: Nicht nur Jubel beim Fest. In: Mitteldeutsche Zeitung, 15.09.2007.
7. STaH: A. Lohmann: Hallenser ziehen sehr um. In: Mitteldeutsche Zeitung, 19.03.2008.
8. Vgl. Wohnumfeldverbesserung in Heide-Nord (27.7.99). Nachrichten v. Halle
(Saale). In: http://www.halle.de/de/Rathaus-Stadtrat/Aktuelles-Presse/Nachrichten/?NewsID=330
[Datum: 04.04.2015]
9. Ch. Westphal: Dichte und Schrumpfung. Kriterien zur Bestimmung angemessener Dichten in Wohnquartieren schrumpfender Städte aus Sicht der stadttechnischen Infrastruktur. Dresden 2008, S. 114.
10. STaH: A. Lohmann: Reihenhäuser lassen auf sich warten. In: Mitteldeutsche Zeitung, 24.03.2007.
11. Vgl. ebenda.
12. B. L. Schmidt: 100 Jahre elektrisch durch Halle. Halle 1991, S. 196.
13. STaH: Hrsg. v. Stadt Halle (Saale). Dezernat Planen und Umwelt. Stadtplanungsamt: Verkehrspolitische Leitbild der Stadt Halle (Saale), a. a. O., S. 12.
14. Ch. Holz-Rau: Verkehr und Siedlungsstruktur-Eine dynamische Gestaltungsaufgabe. In: Raumforschung und Raumordnung. H. 4. Jg. 59, Köln 2001, S. 265.

5.路面電車の延伸計画の挫折以後

 ハイデ北への路面電車の延伸は、前節において言及した諸根拠から現実化されなかった。それに代わって、2005年にクレールヴィッツ電停とハイデ電停の間、約1kmが結合されることになった。路面電車だけによるハイデ北から中心街への結合はほぼ断念されたが、ハイデ北からクレールヴィッツ電停までのバスと、この電停から中心街への路面電車によって、両者が結合された。 1 ハイデ電停あるいはクレールヴィッツ電停からハイデ北への路面電車による延伸計画は、二つの最終電停の結合による路面電車網の改善という形で完全に断念された。
(81)
 この路面電車網の改善に関してより詳細に触れてみよう。まず、パークアンドライドがクレールヴィッツ電停において採用された。このシステムは、公共交通の停車駅とりわけ最終停留所周辺に駐車場を整備することによって、公共交通の利用者を増大させることを目的にしている。単純化すれば、公共交通を存続させる最終手段として喧伝されている。クレールヴィッツ電停周辺にも、100台ほどの自家用車両を収容するための場所が確保されている。人口10,000人弱のハイデ北にとって、100台ほどの駐車場は理に適っているようにみえるかもしれない。しかしパークアンドライドは、都市周辺部においてかろうじて残存していた公共交通を破壊することにもつながる。「パークアンドライドは、自家用車に有利な平面を都市周辺部に拡大し、・・・そこに残存している公共交通を最終的に破壊することに他ならない」。 2 この設置は路面電車の利用を促進するが、ハイデ北からのバスの利用を妨害する。地域内の公共的人員交通をより拡充すべきであるという観点からすれば、パークアンドライドは問題の多い交通政策であろう。
 また、ハイデ北からクレールヴィッツ電停へのバスは、平日日中において毎時15分間隔で運行されている。もちろん、乗車人数、乗務員の確保等の観点から、単位時間当たりの運行が制限されることもある。しかし、1時間あたりの本数が制限されていたとしても、路面電車そして公共交通一般は定間隔運行を必要としている。たとえ、1時間に1本の運転であったしても、毎時定時に運転されることによって、その運転が市民に周知される。たとえば、ハレ市とデッサオ市間を運行しているドイツ地方鉄道は、毎時15分にハレ中央駅を出発している。 3
 逆に言えば、すべての時間帯において異なる発車時間であれば、人間はそれを記憶できない。定間隔運行であれば、人間はこの事象を記憶することができる。後期近代において人間は、高度な知識に基づく専門家としてふるまっている。後期近代において知識が細分化され、高度化される。しかし、どのような専門家であれ、専門外の事柄に関して素人としてふるまわざるをえない。自然的個人にとって、専門知の高度化は限られた領域において生じるだけである。「我々の世界において経験がより科学的になればなるほど、・・・それだけ我々は噂を信じるしかなくなる」。 4 自然的人間が世界における複雑な事象をすべて認識することは、不可能であろう。公共交通における運行時間に関する問題も、この観点から考察されるべきであろう。交通計画者の専門知は、利用者の素人知に適合しなければならない。ハレ市交通政策担当者が、定間隔運行によって公共交通としてのバスの存続に対して配慮しているのであろう。
 この配慮はさらに、クレールヴィッツ電停からハイデ北方向への路面電車からバス路線への乗り換え形式にも現れている。この乗り換えのためには、道路を跨ぐ必要はない。路面電車の軌道、停留所、バスの3車線が並列している。路面電車の終点で下車した乗客は、そのまま電停横に待機しているバスに乗り換えることができる。さらに、路面電車の停留所にバスが直接的に乗り入れている場合もある。ハレ新市の都市鉄道駅電停等の一部の停留所だけであるが、路面電車とバスを結合するための究極的様式であろう。5
(82)
おわりに

 本稿は、1980年代の東独末期から東西ドイツの統一過程におけるハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程を考察してきた。統一直後において、ハイデ北への路面電車の延伸計画への期待は、市民の公共性に対する社会意識の変化、とりわけ環境保護政策と高齢者福祉的政策に対する意識が増大することによって上昇した。しかし、住宅地としてのハイデ北において、家賃相場が下落し、住宅そのものが廃棄された。そして居住人口が減少した。この社会的現実態の急激な変化によって、この延伸計画は挫折した。公共性に対する市民の社会意識が変化したにもかかわらず、社会的需要の減少という経済原則に直面することによって、ハイデ北 への路面電車の延伸計画は現実化されなかった。
1. Vgl. Hrsg. v. HAVAG: Strecken für die Zukunft. Die neue Verbindung Heide-Kröllwitz. Halle 2005, S. 4.
2. W. Wolf: Berlin-Weltstadt ohne Auto? Eine Verkehrsgeschichte 1848-2015. Köln 1994, S. 158.
3. Verkehrsmittel Vergleich. In: http://www.verkehrsmittelvergleich.de/bahnticket/1154804?st_affiliate_id=1. [Datum: 25.11.2014]
4. O. Marquard: Zeitalter der Weltfremdheit? Beitrag zur Analyse der Gegenwart. In: ders.: Apologie des Zufälligen. Stuttgart 2008, S. 84.
5. Vgl. Hrsg. v. HAVAG: Das neue Liniennetz der HAVAG-umsteigen auf Tram und Bus. Die bessere Verbindung. Von Anfang an. Halle 1999, S. 2.

Abkürzung:
STaH: Stadtarchiv Halle (Saale)
HAVAG: Hallesche Verkehrs-AG

(83)


注釈
本稿は、「東西ドイツ統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』(第67巻第1号、2016年、73-83頁)として既に公表されている。なお、統一脚注を節ごとの注に直している。また、頁番号を手動で入力している。
 同時に、『田村伊知朗政治学研究室』においても掲載されている。

(たむらいちろう: 近代思想史専攻)

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地域学研究の必要性

 西欧において欧州共同体が形成された。国民国家を超えた地域としての西欧そして現在では欧州という地域概念が形成された。最近、英国がこの共同体から脱退することを表明したが、この意義が消滅したわけではない。また、大きな地域だけではなく、小さな地域も考察対象になった。国民国家の比重が低下したなかで、特定の都市あるいは農村の意義が向上したからである。
 このような状況のなかで地域学が、この数十年の間に学問としての社会的認知力を向上させた。少なくとも、50年前にはこのような学問が隆盛するとは思われていなかった。もちろん、第二次世界大戦前には国民国家に対して過重な意義付けを与えようとした地政学があった。本邦でもその歴史的意義は大きかった。しかし、地政学はドイツ・ナチズムあるいはソ連・スターリン主義と結びついていたので、地域学は地政学とは異なる水準で戦後新たに構想された。それは、地域学に関する学会の生成過程においても検証される。
 ドイツにおいては、現在「空間研究と国土計画に対するアカデミー」(Akademie für Raumforschung und Landesplanung)がある。このアカデミーは、1935年に創設された「空間秩序に対する帝国研究連合体」( Reichsarbeitsgemeinschaft für Raumordnung)の後継団体としての色彩を持っていた。地政学的学問を継承していると言えなくもない。人的継承関係はあった。新たな学問を無から創造することはできないからだ。戦後すぐさま新規に創設されたこのアカデミーは、旧西独において国家的認証を受けた。
 欧州共同体の展開過程において、あるいは後期近代という時代精神においてこの学会の意義は増大した。 このアカデミーは『空間研究と空間秩序』(Raumforschung u. Raumordnung)という機関紙を発行している。1
1 Vgl. Akademie für Raumforschung und Landesplanung – Leibniz-Forum für Raumwissenschaften. In:

https://de.wikipedia.org/wiki/Akademie_f%C3%BCr_Raumforschung_und_Landesplanung_%E2%80%93_Leibniz-Forum_f%C3%BCr_Raumwissenschaften.

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路面電車による非日常的空間の形成――バーゼル市、ハレ市の事例を中心にして(その一)

路面電車による非日常的空間の形成――バーゼル市、ハレ市の事例を中心にして(その一)

                                                田村伊知朗


1.はじめに
 
 本稿は、バーゼル市とハレ市における事例を中心にして、路面電車の役割を考察する。それは、日常的空間ではなく、非日常的空間つまり祝祭的空間における路面電車の意義を論述する。日常的空間における路面電車の役割を考察することと対照的に、かなり限定された時空間における事象を取り扱うことになる。
 まず、バーゼル市の地理的基礎知識にふれてみよう。この都市はスイス連邦共和国の西北端に位置している。主要言語はドイツ語である。この都市はフランス、ドイツと国境を接している。スイス、フランス、ドイツという欧州近代史を規定してきた3国の結節点である。バーゼル市内にはスイス国鉄だけではなく、ドイツ鉄道専用のバーゼル中央駅も中心街に位置している。ライン川を挿んで、二つの中央駅が存在している。この国際金融都市とドイツとの関係は歴史的に深い。
 この都市の公共交通についてふれてみよう。その際、世界的に稀有な点は、都市市街地からドイツ国境、フランス国境付近へと路面電車が運行されていることである。路面電車によって市民は、国境付近まで移動することができる。
「画像1」
1


 また、ハレ市はドイツ統一直後には30万人の人口を抱えていた。現在では20数万人の中小都市に属している。にもかかわらず、この中小都市は総延長87,6 km にわたる路面電車網を維持している。ドイツそして西欧においても、公共交通が充実している街に属している。
「画像2」
Hallestrassenbahn


2. 非日常的空間における路面電車

 まず、バーゼル市の祝祭についてふれてみよう。この都市における最大の祝祭は、謝肉祭である。この地方では、ファスナハト(Fasnacht)と呼ばれている。春を告げる祭典であり、西欧でもっとも著名である。毎年、開催日は変更される。2012年は、2月27-29日であり、2014年は3月12-14日であった。この時期はホテルの宿泊費用も通常の数倍になることも多い。もともと、スイスフランは世界最強の通貨であり、バーゼル市の物価は高い。この祭典のハイライトは、異形に装った人々の行進である。このバーゼル謝肉祭において路面電車の運行が花を添える。祭りの行列は中心街における片側一車線を使用する。その対向車線と歩道において観客がその行進を見物する。その際、路面電車が緩行する。
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Basel

この車内において数人が飲食している。それに乗車できることは、市民の名誉である。行列と同じ速度で、観客を見下ろしながら、祭典を楽しむことができる。祝祭の参加者は、数両の路面電車車両を独占的に使用できる。 風景を楽しみながら、路面電車の車内において飲食できる。
 また、ハレ市における祝典について述べてみよう。この都市では、中心街の中心部にある飲食施設が位置している。この建物において数々の人生のイニシエーションが実施される。とくに、結婚式あるいは金婚式が実施される。この施設へと路面電車の引き込み線が設置されている。
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2009_hochzeitzeremonie

祝祭参の参加者は、この引き込み線から直接、ハレ市の路面電車網へと移行する。この路線は、日常使用されることはない。祝祭的空間を補助するためにだけに、使用される。またこの都市の路面電車は、結婚式披露宴の場所として使用される。路面電車が個人的祝祭のため貸し切られる。
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Hochzeit


 さらに、馬車鉄道(1882-1891年)による路面電車開業100周年記念行事が、1982年10月17日に実施された。この祭典では花電車の行進が実施された。
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Halle1982

数十台の路面電車が連続して運転された。また、2016年4月17日には、電化された路面電車(1891-2016年)の開業125年を記念した行事が開催された。電化された路面電車の運行は、欧州でももっとも古いと言われている。  1 ここでも、路面電車による行進が実施された。このような行進のためには、非営業車両の保存が前提にされている。通常の場合、非営業車両は廃車され、鉄屑になる。しかし、ドイツでは東独時代から現在に至るまで、歴史的車両も動態保存されていた。この保存のためには、旧車両基地が維持されていた。次節ではハレ市における車両基地に関して論述してみよう。

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路面電車による非日常的空間の形成――バーゼル市、ハレ市の事例を中心にして(その二)

路面電車による非日常的空間の形成――バーゼル市、ハレ市の事例を中心にして(その二)


3. 旧車両基地における旧式車両の動態保存

 現在、ハレ市ではローゼンガルテン車両基地において営業車両が格納されている。非営業車両はゼーブナー旧車両基地に動態保存されている。旧車両基地において営業運転終了車両が保存されている。
第一、第三土曜日だけであるが、この車両基地は路面電車博物館として開館されている。
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Strassenbahfreunde

11月から4月までの冬季は閉館されている。路面電車の非営業車両あるいは車両一般に対するマニア的関心を持っている市民あるいは観光客にとって、この博物館は好評である。入場料は大人1人あたり2ユーロである。この博物館の維持費用として使用されている。入場券は、かつての硬券が使用されている。ここにも、観光客への配慮がなされている。
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Halle

 この博物館は、ボランティア団体「ハレ・路面電車友の会」(Halleschen Straßenbahnfreunde e.V)によって運営されている。ハレ交通株式会社(HAVAG)の現役職員そしてその退職者も属しており、専門的知識を構成員に供与している。この協会構成員は、この車両基地をほぼ自由に使用できる。また、博物館の来訪者への説明役も果たしている。博物館の開館時期には、営業運転されていない車両が特別なルートで運行されている。
さらに、運転手付きの車両が、時間当たり250ユーロで個人に貸与されている。 2 ちなみに、19世紀に建造された動力車両(Tribwagen 4: Baujahr: 1894 Sitzplätze 16)も貸与されている。 前述のように、この車両を結婚式の披露宴会場として使用することも可能である。

4. ホテルによる路面電車の無料券の配布

非日常的空間つまり祝祭的空間において、都市住民と異邦人が共存する。非日常的空間において異邦人が存在しないかぎり、それは祭典ではない。祝祭的空間を盛り上げるために、バーゼル市、ハレ市の観光ホテルにおいて宿泊する異邦人に対して、その宿泊期間に応じて、地域内の公共的人員交通の無料乗車券が配布されている。この配布によって、観光客は無料で路面電車とバスを利用できる。この配慮は通年的に実施されている。
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Halle_u_basel_hotel_ticket_2

もちろん、すべてのホテルが旅行者にこのような配慮をしているわけではないない。個別ホテルがその費用を負担するので、この配慮をしないホテルもある。
 ここで問題にすることは、その金銭負担の側面だけではない。その異邦人にとって、乗車方法自体が疎遠である。最大数日あるいは数週間しか当該地域に滞在しない観光客は、とりわけ複雑なバス路線網を自由に使用することはできない。バスは、都市の日常的空間において自由に路線網を設定できる。バス路線網と停留所が複雑になる。同一名称の電停が、方向別に複数あることも稀ではない。それに対して、路面電車網は異邦人にも理解しやすい。無料乗車券は路面電車に関する事前知識の無い異邦人に対してその利用を促進する。
 また、ドイツ各都市の公共交通における切符の購入手段は、必ずしも画一的ではない。ドイツ人ですら戸惑うこともある。たとえば、ベルリン市では事前に購入した切符を自分で刻印機械に入れて刻印するが、ハレ市では切符を買った段階ですでに自動的に刻印されている。 3 このような事情を異邦人が知る由もない。とりわけ、日常的会話および読解能力が貧困である外国人にとって、無料乗車券は魅力的に映る。切符を購入する際、その煩瑣性から解放されるからだ。

5. 路面電車の車内における電光掲示板

ハレ市の路面電車の車両には、すべての電停が記載された電光掲示板が設備されている。
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20140914halle

乗車している路線が都市全体においてどこに位置しているかが、明瞭になる。この電光掲示には、次の電停だけではなく、終点までがすべて記載されている。これによって、自分が走行している地点が都市全体においてどの点を通過しているかが明瞭になる。日常的に路面電車を利用している都市住民にとって、このような位置確認は不要である。むしろ、その都市に関する詳細な位置情報に疎遠な異邦人が、このような情報を必要としている。

6. おわりに

 本稿は、「路面電車による市民的な公共空間の形成――ベルリン市とハレ市の日常的空間における事例を中心にして」の続編あるいはその補遺にあたる。  4 もちろん、路面電車は地域内の公共的人員交通において日常的に運行されている。しかし、それは非日常的空間においても一定の役割を果たしている。時間的に考察すれば、この空間はほとんど無意味なほど小さい。100周年記念行事はまさに100年に一度しかない。しかし、都市住民そして観光客にとって、祝祭は限定された人生において記憶に残っている。それが稀であればあるほど、人間の記憶に刻印された時間はそれだけ鮮明である。この記憶のなかに、路面電車の残像が印象づけられている。
 当然のことながら、本稿で取り上げたバーゼル市とハレ市の祝祭的空間は、両市で実施されているそれを網羅しているわけではない。その一部でしかない。しかも、その一部の祝祭的空間において路面電車が一定の役割を果たしているかぎり、ここで論述の対象にしている。それは特殊な事例研究であり、普遍的考察ではない。
 したがって、これらの業績は、狭義の研究論文に属しているわけではない。この二つの論稿は、講演レジュメを文章化したにすぎない。講演会の対象者は市民である。彼らは、公共交通いわんや路面電車に関する基礎知識を持っていない。しかし、私の設定した論題に着目し、講演会に参加した。
  一般化して言えば、すべての種類の講演会はこのような市民大衆を対象にした特殊な研究に基づいている。何ら基礎知識を持っていない人間に対して、講演者が自己の主張を展開しなければならない。限定された講演時間において、自己の主張を理解させねばならない。したがって、狭義の専門論文的な専門用語を駆使することは、避けねばならない。基礎知識にない人間に対して、jジャーゴン(Jargon)を駆使することは「意識高い系(笑)」と馬鹿にされても仕方がないであろう。 5 このような講演会において、写真、動画等を多用することが推奨されている。基礎知識がない大衆に対して、写真、動画等は有効な媒体である。本稿でも視覚情報が駆使されている。
 ここで大衆とみなされるのは、後期近代におけるすべての人間である。後期近代において、人間は専門家としてみなされている。その知識が高度化すればするほど、その領域は狭まる。ノーベル受賞者である山中伸弥・京都大学再生医科学研究所教授は、本邦における最高水準の知識人に属している。彼ですら大衆の一員である。その専門領域に近い分野、たとえば臨床医学において彼は、一般的水準に到達していなかった。「じゃまなか」つまり「邪魔な山中」という名称が、彼に冠されていたそうである。いわんや、彼の専門領域である人工多能性幹細胞研究と遠い分野、たとえばベルリン市の道路行政に関する研究で専門的知識を得ることは不可能である。誰もが専門分野以外において、素人大衆として振舞わざるをえない。
 しかし、後期近代における大衆は自己の専門分野以外における見識を必要とする。選挙があれば、有権者として投票行動を実施しなければならないし、エネルギー政策とりわけ原子力発電に対しても見識を必要とする。その無限に広大な領域において最低限度の見識を得ることが必要である。専門知は大衆に媒介されねばならない。


 


1. 1. Vgl. Hrsg. v. HAVAG: 125 Jahre elektrisiert durch Halle. In:
http://www.havag.com/news-detail/125-jahre-elektrisiert-durch-halle/2016/1/1/25738.. [Datum: 05.05.2016]

2. Vgl. Mietbare Fahrzeuge. In: Halleschen Straßenbahnfreunde e.V. In:
http://www.hsf-ev.de/sonderfahrten/fahrzeuge. [Datum: 05.05.2016]

3. [Fahrkartenautomat, Halle]. In: Halle Spektrum. In:
http://hallespektrum.de/nachrichten/umwelt-verkehr/havag-schaltet-fahrkartenautomaten-rund-um-silvester-ab/195929/. [Datum: 20.04.2016]; [Fahrkartenautomaten u. Entwerter im Berliner Verkehrsbetrieb]. In: Public Transport in Berlin. Spirit of Berlin. In:
http://www.spirit-of-berlin.de/spiritsenglish/transportation/. [Datum: 20.02.2015]

4. 田村伊知朗「路面電車による市民的な公共空間の形成――ベルリン市とハレ市の日常的空間における事例を中心にして」『田村伊知朗 政治学研究室』参照。
(その一)http://izl.moe-nifty.com/tamura/2016/05/post-286c.html
(その二)http://izl.moe-nifty.com/tamura/2016/05/post-e632.html
(その三)http://izl.moe-nifty.com/tamura/2016/05/post-5762.html

5.「意識高い系」『ウィキペディア』In:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98%E9%AB%98%E3%81%84%E7%B3%BB. [Datum: 25.05.2016]

画像出典

画像1
Liniennet Basel und Umgebung. In: Tarifverbund Nordwestschweiz. In:
http://www.tnw.ch/fileadmin/redacteur/pdf/Drucksachen_TNW/TNW_Liniennetz_Basel_2016.pdf [Datum: 05.05.2016]

画像2
Hrsg. v. HAVAG: Die Stadtlinie. In: http://www.havag.com/fahrplan/liniennetz-und-tarifzonenplan">http://www.havag.com/fahrplan/liniennetz-und-tarifzonenplan">http://www.havag.com/fahrplan/liniennetz-und-tarifzonenplan [Datum: 25.04.2012]

画像3
Basel, Rheingasse. [Datum: 27.02.2012]

画像4
Halle, Marktplatz. [Datum: 09.09.2009]

画像5
Halle, Marktplatz. [Datum: 09.09.2009]

画像6
Der Wagenkorso. In: B. L. Schmidt: 100 Jahre elektrisch durch Halle. Halle 1991, S. 175.

画像7
Die Halleschen Straßenbahnfreunde e.V.
http://www.hallesche-strassenbahnfreunde.de/. [Datum: 05.05.2016]

画像8
Halle, Seebener Str. [Datum: 14.09.2014]

画像9
Halle, Grand city Hotel Halle. [Datum: 05.09.2013]
Basel, Dorint Hotel Basel. [Datum: 28.02.2012]

画像10
Halle, Hauptbahnhof. [Datum: 14.09.2014

画像出典において地名と日付だけが、記述されている場合がある。それは、私が撮影した写真を表している。

注釈
本稿は、本稿は、2015年7月2日に北海道教育大学で実施された市民公開講座「路面電車による祝祭的空間の形成――バーゼル市、ハレ市の事例を中心にして」に基づいている。そのレジュメを文章化し、加筆、修正した。本記事は、『公共空間X』に転載されている。
(その一)http://pubspace-x.net/pubspace/archives/3255
(その二)http://pubspace-x.net/pubspace/archives/3265


本記事の転載は自由であるが、著者名、題名、サイト名とアドレスを明記することが必要である。

(たむらいちろう 近代思想史専攻)


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路面電車による市民的な公共空間の形成――ベルリン市とハレ市の日常的空間における事例を中心にして(その一)

路面電車による市民的な公共空間の形成――ベルリン市とハレ市の日常的空間における事例を中心にして(その一)
                                               田村伊知朗

1. はじめに

  本稿は、日常的空間において路面電車が果たす役割を考察する。とりわけ、ドイツ連邦共和国(以下、ドイツと略)におけるベルリン市とハレ市の事例を媒介にしながら、この問題を考察する。日常的空間は非日常的空間すなわち祝祭的空間との対比で設定されている。市民が日常的に公共交通とりわけ路面電車を使用する際に、交通計画者によってどのように配慮されているかを報告する。彼らによって設定された技術的配慮によって、どのようにして市民が移動性(Mobilität)の自由を路面電車によって実現するかを考察する。本邦においてほとんど存在しない路面電車そしてその交通上の技術を紹介することによって、本邦の交通体系の改善を企図している。          
まず、二つの都市に関する一般的な地理的情報と路線網を紹介しよう。ベルリン市はドイツの首都である。1990年のドイツ統一によって、西ベルリンと東ベルリンが統一された。路面電車は、主として東ベルリンにおいて展開されている。
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Straenbahn_berlin_netz_2014_2


西ベルリンの路面電車の路線網は、1967年をもって廃止されている。それ以後、ツォー、クーダム等の西ベルリンの伝統的中心街から路面電車の路線が消滅している。但し、ベルリンの壁周辺にあったレールテ駅が、統一以後ベルリン中央駅となった。ベルリンの壁内部とその周辺は荒涼地であった。都市間交通と都市内交通の結節点周辺に、路面電車網が新規に建設された(M5, M8, M10)。しかし、この3路線とも、その多くの路線部分は東ベルリンにあった従来路線を利用している。ベルリン市の路面電車は東ベルリン中心であるという命題は、総延長距離から考察すればほぼ妥当しているであろう。1
 ハレ市はザール河沿岸に位置しており、ザクセン・アンハルト州に属している。この州の州都はマクデブルクである。東独時代はハレ県の県都であった。この都市では路面電車が地域内の公共的人員交通において主要な役割を果たしている。
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Hallestrassenbahn

ドイツ統一以後において、路面電車の延伸を通じて新たな市民的公共性を確立しようとした。とりわけ、統一以後、ハレ市に吸収合併されたハレ新市への路面電車の延伸で有名である。2 ドイツ統一当時、ハレ市は30万人超の人口を有していた。その人口はほぼ4半世紀経過した現在、20数万人へ減少している。10万人以上の人口規模を持つ大都市のなかで、ライプチヒ市と並ぶ人口減少地域である。3 東独が崩壊して以後、重化学工業が壊滅したからである。東独時代において重化学工業によって勇名をはせていた都市は、後期近代において縮小する都市の典型の一つである。

2. 中心街における市民的公共性の形成――教会と広場を中心にした空間

 西欧の都市は中心街を持っている。中心街が教会と広場を中核として展開している。この空間は市民的公共性を形成するために存在する。ここには、人間的コミュニケーションを確立するために、様々な場所が用意されている。
  この空間における移動性についてふれてみよう。中心街では、人間の原初的交通手段つまり歩行が前提にされている。自家用車、自動二輪等の動力化された交通手段が、可能なかぎり排除されている。
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3marktpltz


 歩行と自転車による交通だけがこの空間において場所を占有することができる。唯一の例外が路面電車である。それが、中心街と郊外を結節し中心街を循環する交通手段として、歩行と自転車移動を補完している。路面電車を地域内の公共的人員交通の中核に据えることによって、中心街における環境を保護し、交通事故を減少させることを目的にしている。東独の工業都市であったハレ市における環境破壊は、世界的に著名であった。それは、通貨問題つまり東独マルクとドイツマルクの交換比率の問題と並んで、東独崩壊の原因の一つであった。
 近年、本邦において街づくりあるいは町の活性化が、叫ばれている。街の活性化は歩行者をどのように増加させるかに依存している。 そのためには、住宅政策が重要である。西欧そしてドイツの中心街において、伝統的な居住形式が残存している。1階の商店と2階より上部の居住階という形式が、今なお残っている。中心街は商店街として機能し、この領域において居住人口が維持されている。しかも、個々の建造物は4-6階の高さに制限されている。町の美観が保たれている。個々の建造物ではなく、街それ自体が観光資源である。街並みが美しい。本邦でも、函館市のように観光都市を標榜している街は多い。しかし、観光資源としての建物が点在しているにすぎない。その建物から一歩外に出ると、そこは観光資源にはならない建物が続いている。
 高齢化社会がドイツにおいても進展している。多くの高齢者は自動車免許状を保持していない、あるいはそれを更新していない。福祉政策の一環として公共交通が必要とされている。さらに、社会的に弱者とされる社会集団は高齢者だけではない。貧民、学生、外国人も高齢者と同様な社会集団に分類されている。ドイツ語では、Alten, Armen, Ausbildenden, Ausländer というAを頭文字にする4つの社会集団がそのようにみなされている。また、身体障害者あるいは知的障害者もほぼ同様な集団である。
さらに、前世紀末から移民そして難民が増加している。
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学術交流と並んで、外国人労働者の受け入れは戦後ドイツにおいて珍しくない。とりわけ、西独におけるトルコ人労働者、東独におけるシリア人労働者は、それぞれ統一以前から高い評価を受けている。シリアの政権与党つまりシリア・バアス党に対する国際政治的評価は別にして、この政党の理念としてアラブ祖国の統一、植民地主義から自由とならんで社会主義が掲げられている。4 この点から東独政権とシリア・バアス党の間には、親近性があった。シリアの教育程度は伝統的に高い。アラブの春と称される体制転換に際して、外国から武器、弾薬そして金銭がシリアに流入した。この内乱から逃れるために、多くのシリア市民が難民として西欧そしてドイツに流入している。シリア難民をドイツが受容する文化的背景は、国民意識に植え付けられている。
 このような社会集団は、個人的な交通手段から疎遠である。近代社会は国民的自由として交通権を保障している。快適な公共交通を市民に提供することは、州政府と地方自治体の責務である。

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