自家用車の渋滞(車両の安全?)と、人命の安全、どちらを重視すべきか――車両の走行を重要視し、人命を軽視する北海道教育大学

20150610 自家用車の渋滞(車両の安全?)と、人命の安全、どちらを重視すべきか――車両の走行を重要視し、人命を軽視する北海道教育大学


2014年6月19日、北海道教育大学函館校の出入り口付近で、乗車者が女子学生に追突し、彼女の生命を奪った。横断歩道上における痛ましい事故の直接的原因は、もちろん乗用車運転手の過失であった。しかし、事故現場において大学入口車道を含めれば、5本の道路が交差している。事故現場になった横断歩道も、かなり危険な横断歩道としてこれまで学生、周辺住民、歩行者に認知されていた。

それに対して交通警察(北海道)は、大学入口に横断歩道を新設し、事故現場になった旧来の横断歩道の廃止を提示した。この案に対して、北海道教育大学函館校運営会議(?)は反対を表明した。本案は車両の大学への進入を妨げることが、その理由だそうである。また、信号機を設置する、つまり歩道の改善を実施しないという対案を示した。

これに対して、住民自治会は「車を優先している」と大学の態度を非難している。なお、大学は現状、つまり横断歩道を現状のまま維持し、学生の指導を徹底するという案も保持している、という。

しかし、歩道は学生だけでのものではない。むしろ、都市住民のものである。少なくとも、交通警察の案は、現状よりも歩行者の安全を改善する。大学への車両進入を阻害しても、歩行者の安全を改善する意図をもっているはずである。もちろん、交通警察が歩行者の安全を減じて、車両の渋滞なき走行を優先しているのであれば、別である。しかし、このような意図は感じられない。少なくとも、1年前の事故の原因は、北海道警察、函館市の交通政策の欠陥に基づいている。彼らも責任の一端を感じている。また、同一の事故が発生すれば、今度は警察署長あるいは本部長の進退問題に発展する可能性がある。キャリアに傷がつくこともあるであろう。マス・メディアは、警察と行政(函館市道路建設部長?)の責任を追及するであろう。

このような認識を前提にして、改善案を交通警察は提示した。その案に対して、北海道教育大学函館校は大学への進入車両の渋滞を理由として反対した。しかも、北海道教育大学函館校の一員は、「車両の安全」という不可解な言葉を述べている。車両の安全と人間の安全をどちらを重視uするのか、自明であろう。歩行者の安全が現今、議論されている。それに対置できる概念ではないであろう。]

なお、このブログ記事は、佐藤龍文(キャスター)の「NHK ホットニュース北海道」(2015年6月10日、18時10分―)の事実認定に基づいている。

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敗北する地方自治体、函館市――新幹線新駅、新函館北斗駅対策は、自動車道の整備だけ?--『北海道新聞』批判

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敗北する地方自治体、函館市――新幹線新駅、新函館北斗駅対策は、自動車道の整備だけ?--『北海道新聞』批判

 2015年1月7日の『北海道新聞』において、「迫る道新幹線、遅れる自動車道」という小林記者の署名入り記事が掲載されている。この記事は第4面において掲載されており、単なる小林記者の個人的思いで書かれたとは思えない。むしろ、『北海道新聞』の総意であろう。また、新聞社の総意を超えて、函館財界そして北海道財界の総意であろう。 
 この記事によれば、北海道新幹線の新函館北斗駅開業に間に合うように、北海道南部の高速自動車網を整備すべきである。それは函館市だけではなく、函館財界の総意であるという。
しかし、北海道新幹線は貨物新幹線ではない。人員輸送に限定されている。北海道新幹線で東北、北関東そして東京から来た人は、本来であれば鉄道、軌道によって目的地に到着すべきであろう。
 高速道路の整備が地方の活性化に寄与するというのは、幻想そして思い込みである。高速道路が完成されることによって、函館に集客されると思い込んでいる。しかし、函館市民はその高速道路によって、札幌市にも行くことができる。その2面性を理解しないかぎり、自らの首を自ら絞めるという結果をもたらすであろう。
 また、函館は新函館北斗駅と現函館駅を結ぶアクセス鉄道の経営にも責任を負っている。高速自動車の整備は、その経営を圧迫するであろう。鉄道からきた客は、鉄道によって迎えることが適切である。

『北海道新聞』2015年1月7日第4面

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北海道の公共交通政策――自動車ための一元性的政策からの解放と自転車専用車線の建設

20140521 北海道の公共交通政策――自動車ための一元性的政策からの解放と自転車専用車線の建設

(本稿は、「20140514北海道の交通政策――自転車専用車線によるその資源の活用」の改稿版である)。

 北海道では、冬の季節を基準にして生活条件が形成される。西日本が暑い夏を基準にして生活が設計されていることと同様である。交通もその例外ではない。道路の幅も、冬仕様になっている。通常の市街地の道路の幅は2.75、3.00、3.25mである。しかし、北海道では、それより0.5mほど広い場合も多い。なぜであろうか。道路の左側面が、雪置き場になっているからだ。 道路における除雪は、雪そのものを道路から排除するではない。その雪を移動させるだけである。路上の雪は、片側に積み上げられる。雪の多いときでは、3m以上になることもまれではない。雪山が形成される。そのための場所が必要である。道路が通常よりも広くなっている所以である。

  しかし、夏の季節では、広くなった左側が活用されていない。本ブログでは、これを自転車専用車線と活用することを提案する。通常の自転車走行は、現在でも歩道を使用している。法律違反であるが、無くならない。自転車は車道を走行しなければならない。しかし、自家用車との同時走行は、自転車運転手を危険にさらす。この矛盾の解消されるためには、自転車専用車線が認知されねばならない。冬の雪置き場がそのために活用される。できれば、自転車専用車線は、色で識別されねばならない。通常の道路の色とは異なる色、たとえば緑、レンガ色等で区別されるべきである。その際、色だけでなく、敷石等で車線から区別されるべきであろう。さらに、車道ではなく、歩道に改良したうえで、自転車専用車線として活用すべきである。ベルリン等のドイツでは、歩道の一部が自転車専用車線として利用されている。自転車運転手は、自動車に対して恐怖を抱きながら運転しているからだ。

 路面電車運転手、自動車運転者、自転車運転者、歩行者は、それぞれ専用の車線を使用すべきである。走行速度がこの四者において根底的に異なっているからだ。これまでの交通政策は、自動車の走行に一元化されていた。自動車の渋滞を削減することが、交通政策担当者の意識を支配している。まさに、それはイデオロギーでしかない。今後は、多様な交通手段が考慮されるべきであろう。平成25年の道路交通法の改正によって、自転車専用車線の導入は急務になっている。 すでに、道路の幅が拡張される余地のない東京、大阪等の大都市とは異なり、北海道にはその資源が放置されている。北海道の住民はそれを認識すべきである。

 それは、北海道の住民にとって重要であるだけではない。 観光客にとっても、自転車によって都市内を走行することは快適である。北海道の観光資源は、豊かな農水産物だけではない。新鮮な空気である。北海道において、PM2.5(微小粒子状物質)、セシウム137、ストロンチウム90等の放射性物質、そして花粉からほとんど無縁である。もちろん、零ではない。しかし、東京等と比較すれば、空気は相対的に清浄である。福島県等と比較すれば、零とみなしてよいであろう。 また、夏の湿度も欧州並みに低く、体感温度も低い。この資源を有効に活用することが、望まれている。再度、強調しよう。北海道の観光資源は、空気である。空気を切るという人間の原初的欲求が、自転車走行によって充足される。

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北海道の交通政策――自転車専用車線によるその資源の活用

(ブログ管理のため、掲載日を変更する)

 

20140514 北海道の交通政策――自転車専用車線によるその資源の活用

 

 

 

北海道では、冬の季節を基準にして生活条件が形成される。西日本が暑い夏を基準にして生活が設計されていることと同様である。道路の幅も、冬仕様になっている。通常の市街地の道路の幅は2.753.003.25mである。しかし、北海道では、それより0.5mほど広い場合も多い。なぜであろうか。道路の左側面が、雪置き場になっているからだ。

 

道路における除雪は、雪そのものを道路から排除するではない。その雪を移動させるだけである。路上の雪は、片側に積み上げられる。雪の多いときでは、3m以上になることもまれではない。雪山が形成される。そのための場所が必要である。道路が通常よりも広くなっている所以である。

 

しかし、夏の季節では、広くなった左側が活用されていない。本ブログでは、これを自転車専用車線と活用することを提案する。通常の自転車走行は、現在でも歩道を使用している。法律違反であるが、無くならない。自転車は車道を走行しなければならない。しかし、自家用車との同時走行は、自転車運転手を危険にさらす。この矛盾の解消されるためには、自転車専用車線が認知されねばならない。冬の雪置き場がそのために活用される。できれば、自転車専用車線は、色で識別されねばならない。通常の道路の色とは異なる色、たとえば緑、レンガ色等で区別されるべきである。その際、色だけでなく、敷石等で車線から区別されるべきであろう。さらに、車道ではなく、歩道に改良したうえで、自転車専用車線として活用すべきである。ベルリン等のドイツでは、歩道の一部が自転車専用車線として利用されている。自転車運転手は、自動車に対して恐怖を抱きながら運転しているからだ。

 

自動車運転者、自転車運転者、歩行者は、それぞれ専用の車線を使用すべきである。走行速度がこの三者において根底的に異なっているからだ。これまでの交通政策は、自動車に一元化されていた。今後は、多様な交通手段が考慮されるべきであろう。平成25年の道路交通法の改正によって、自転車専用車線の導入は急務になっている。

 

すでに、道路の幅が拡張される余地のない東京、大阪等の大都市とは異なり、北海道にはその資源が放置されている。北海道の住民はそれを認識すべきである。それは、北海道の住民にとって重要であるだけではない。

 

観光客にとっても、自転車によって都市内を走行することは快適である。北海道の観光資源は、豊かな農水産物だけではない。新鮮な空気である。北海道において、PM2.5(微小粒子状物質)、セシウム137、ストロンチウム90等の放射性物質、そして花粉からほとんど無縁である。少なくとも、東京等と比較すれば、空気は相対的に清浄である。また、夏の湿度も欧州並みに低く、体感温度も低い。この資源を有効に活用することが、望まれている。

 

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公共交通における一元的思考ーー馬鹿が自家用車でやってくる

 本邦では路面電車、電車等は首都圏、名古屋圏、関西圏を除けば、悲観的にならざるえません。たとえば、ガソリンが、リッター500円をこえれば、自家用車の使用はかなり限定されざるをえません。鉄道等のない地域社会の衰退、まさに地方の衰退が加速されるでしょう。

 本ブログで再三再四述べたように、「一元的思考--たとえば、交通整備とは道路整備に限定される」は、おそらく破綻するでしょう。このような短絡的、近視眼的思考は近代の宿命的要素でもありますが、やはり批難されるべきでしょう。

 ミクロ的合理性とマクロ的非合理性、端的に言えば、マクロ的馬鹿が共存しているのが近代かもしれません。ミクロ的合理性を追求するという学問的存在形式は、現実世界を歪なものにします。とりわけ、似非学者、御用学者の横行がそれを追認しています。

 

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