討論会の招請 2

「自由の意識はなぜ、現実態を変革しようとするのか」

という題目で、討論会を設定します。コメント欄に論稿を張り付けてください。2000字程度でお願いします。なお、個人名、大学名、会社名等が特定されるコメントは削除されます。

締切は、7月28日になります。なお、コメントはすぐには開示されません。安心して投稿してください。

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日常生活に関する思想史的考察

 哲学あるいは思想という学問が実生活において役に立たないという非難がある。しかし、あることを根源的に考えるという意味において哲学的思考、あるいは思想史的思考は役に立つこともある。もちろん、役に立たない場合も多いが・・・。

 その一例として「君を幸せにする」という命題を考察してみよう。よくテレビドラマで結婚を前提にしている若い男女がこのセリフを口にする。たいていの場合、このセリフを男がしゃべることは、いわゆるフェミニズムと関連している。この問題を除外しても、以下のような問題がある。

1、他者がなぜ私の幸福に関与するのか。幸福、あるいは幸福感は個人的領域に属する。なぜ、他者である男(女でもよい)が、私の幸福に関して絶対的力を持つのか。傲慢ではないのか。

2、幸福という観念は多岐に渡る。そこでは、どのような事態が幸福であろうか。3DKの公団住宅に住むことであるのか、4畳半のアパートに住むことなのか。住宅問題を例にとっても必ずしも一義的ではない。あるいは、物質的事態だけではなく、精神的事柄とも関係する。

3、時間という観念が重要である。もし、幸福観念で両者が一致しても、いつまでであろうか。生涯に渡って?そのような数十年後の未来を予想することが可能であろうか。あるいは、今夜だけのことであろうか。そのことを両者が確かめることはない。

4、もし、この命題をテレビドラマ風に解釈したとしても、それが成就されない場合、どのような保障があるのであろうか。この約束が履行されない場合どのような対価が用意されているのであろうか。

 ざっと考えてもこのような疑問が生じる。しかし、この言葉が発せさられる状況下においてどれほど人間がこのようなことを考えるであろうか。否、このようなことを考えもしないであろう。人間が理性を喪失し、感情に基づいて行動しないかぎり、第一歩を始めることはできないであろうから。人間理性は脆いものである。しかし、理性を喪失した場合のほうが良い結果をもたらすと言ってもよいかもかもしれない。保障のかぎりではないが・・・。

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