« 2024年7月 | トップページ | 2024年11月 »

『ドイツ路面電車ルネサンス』に関する補遺

『ドイツ路面電車ルネサンス』に関する補遺

(三一頁)

 一九六〇年~一九七〇年代において、ドイツの多くの都市から路面電車の軌道が撤去された。片側二車線であれば、軌道を撤去することによって、自動車、とりわけ動力化された個人交通の走行空間は倍増した。(九八頁)この意味をより広義の近代思想史のコンテキストにおいて再吟味してみよう。道路空間における渋滞の意義を再検討してみよう。なぜ、交通計画者は自動車の渋滞問題をその政策の第一意義的課題とみなすのであろうか。その解答は、渋滞が近代の至高の価値規範である自由の侵害であると判断されたことにある。近代思想の基礎を形成した思想家の一人、ホッブスが移動の自由を無数の自由においてその価値階梯の至高の位置に置いたことと関連している。長くなるが、本書を引用してみよう。「移動性概念は、ホッブスの自由概念においてその端緒という役割を担っている。『自由は、移動障害の非存在に他ならない。・・・各人にとっての自由は、その人が移動できる空間の大小に応じて、大きくなったり、小さくなったりする』。人間の自由は、その移動可能な空間の拡大に依存している。移動性概念は自由概念の下位的な構成要素ではなく、その端緒へと高められている。イギリス社会契約論が移動性概念を自由概念とほぼ同一視したことは、現代の移動性概念にも継承されている。移動性概念に対する肯定的評価が無制限になることによって、移動の自由が、無数に存在している自由のうちで特権的な上位概念として位置づけられる。『移動性は、一般的に肯定的なものとして設定され、価値階梯において最上位に位置づけられ、制限に晒されていない』。移動の自由は、他の種類の自由によって制限されておらず、無数に存在している自由に関するヒエラルヒーの最上位に位置づけられている」。(三一頁)

 たしかに、渋滞は移動の自由、すなわち近代の無数の自由に関するヒエラルヒーの至高の存在を侵害している。しかし、ホッブスのこの見解は、現代においてそのまま妥当するのであろうか。もちろん、現代の交通計画者は、ホッブスを読んだことはほぼないであろう。しかし、彼の思想を契機として形成されてきた近代思想の脈々した流れが近代人の思考枠組を規定しているのかもしれない。移動の自由が他の種類の自由とどのような関係にあるのか。少なくとも、渋滞を解消することによって、他の自由を侵害するという思想枠組は、現代の交通計画者の意識において存在しているようには思われない。

 

(四五―四六頁)

「大規模発電所の建設」の意味

都市近郊における大規模発電所の建設というイノベーション

安価な電力を都市全域に供給可能になった。遠くの発電所ではなく、都市近郊における電力供給が可能になったことにより、より安価かつ都市全域への電力供給が可能になった。このイノベーションなくしては、都市全域への電力供給は不可能であった。

« 2024年7月 | トップページ | 2024年11月 »

2024年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ