自著を語る:『ドイツ路面電車ルネサンス――思想史と交通政策』
田村伊知朗
田村伊知朗『ドイツ路面電車ルネサンス――思想史と交通政策』(論創社、2024年)。
論創社:https://ronso.co.jp/book/%e3%83%89%e3%82%a4%e3%83%84%e8%b7%af%e9.
はじめに
「自著を語る」という形式が、近年ではかなり一般化している。この形式は、インターネット上において稀ではなくなっている。京都大学出版会のある叢書において、この形式の論稿を公表することが、その著者の義務として制度化されている。[i] この形式は、半世紀前には、ほとんど想定されていなかったが、インターネットの普及によって可能になったようである。そこでは、「まえがき」あるいは「あとがき」以前の問題意識等、書籍では書けない事柄、すなわち書籍の統一性を破壊する事柄も、この公表形式によって執筆可能になった。また、著書公刊以後における読者からの批判に対しても、リプライ可能になった。
本書の基本的立脚点
第一に、路面電車ルネサンスに対する本書の基本的立場に言及してみよう。本書は、路面電車の都市交通政策の総体における意義を宣揚し、そのルネサンスを推進すべきであると主張しているわけではない。もちろん、本研究は、路面電車を動力化された個人交通(=自家用車)、バスそして地下鉄と比較して、動力化された交通及び旅客近距離公共交通におけるその交通政策的意義を取り扱っている。(第二章第三節~第六節、第七章第一節~第三節)しかし、本書は、路面電車ルネサンスをドイツの全ての都市において推進すべきであると主張しているのではない。自動車の社会的役割の意義も顧慮されている。とりわけ、動力化された個人交通が近代の普遍的原理の一つである自由概念によって基礎づけられているかぎり、この交通手段を廃棄することは不可能であろう。(第二章第五節~第六節)
本書では、原理主義的観点から路面電車が考察されていない。原理主義とは社会における様々な諸原理のうちから、ある特定の原理を取り出し、それに依拠して交通政策を論じることである。本書は、原理主義から自由である。思想としての整合性と、その社会的受容性は、一致することはない。したがって、都市総体における路面電車の網状化を意図しているわけではない。自動車を廃棄すれば、都市環境は格段に向上するが、自動車なき都市生活を目的にしているわけではない。自動車の機能を代替しうる大量公共交通の可能性を探求しているにすぎない。[ii]
第二に、本書の研究方法論に言及してみよう。本研究は、数学的方法論と物理学的方法論から無縁である。これまでの交通学はこの二つの方法論によって支配されてきたと言っても過言ではないであろう。もちろん、筆者はこの二つの研究方法論の意義を否定しているのではない。これらの方法論が現在の交通学の隆盛をもたらしたことは否定できない。しかし、これらの方法論を用いることによって、交通学の全体像は、ほぼ知覚不能になっている。対照的に、本書は統合科学的方法論に依拠している。「統合科学的方法論は既存の諸学問の成果を媒介にすることによって、その全体的形象の把握を目的にしている。本研究もまた、この方法論に依拠している」。(237頁)[iii] フェルトハオス等によって提唱されてきた統合科学的方法論を用いることによって、本書はドイツ路面電車ルネサンスの全体像の把握を目的にしている。同時に、このドイツの研究方法論は、本邦の歴史学的方法論、つまり近年浮上してきた歴史知的方法論と交差する。「経験知・生活知、総じて感性知と、科学知・理論知、総じて理性知・・・・・・その二種の知を時間軸において連合させる21世紀的新地平、そこに立つ。こうした〈地平〉において歴史知は成立し、歴史知はパラダイムとして確立する」。[iv] 統合科学的方法論が、歴史知的方法論と意味論的親近性を獲得する。
第三に、本書の題名、とりわけそれに冠された「ドイツ」という限定性に言及してみよう。もちろん、後期近代における路面電車ルネサンスは、ドイツだけではなく、アメリカ合衆国、フランスそして本邦でも生じており、ドイツだけに限定されているわけではない。しかし、研究書は、そもそも限定された領域に関するものである。それぞれの国におけるこの交通政策史に刻印されるべき事象は、国ごとに微妙に異なっている。「路面電車ルネサンスを基礎づけた思想、例えば自然環境の破壊に関する認識及びその意義づけも、それぞれの国において独自の歴史的起源を持っており、必ずしも同一位相にあるわけではない」。(236頁)それゆえ、本書はその研究対象を一つの国、ドイツに限定している。もちろん、研究対象はドイツ以外でも選択可能である。しかし、本書執筆の基礎になった事例研究は、ドイツ再統一以後のハレ市、ベルリン州の路面電車の延伸計画の実現過程に関する考察に基づいている。[v] それゆえ、事例研究という特殊性から出現したその普遍的考察も、ドイツという限定性を免れない。
さらに、研究対象をドイツに限定するという理由は、その根拠になった研究文献をドイツ語文献に限定していることと関連している。もちろん、日本語、英語そしてフランス語で執筆された研究文献にも、優れたものは数多いであろう。しかし、本書はその依拠すべき研究論文をドイツ語文献に限定している。「本研究の課題は、ドイツ路面電車ルネサンスを意義づけることにある。それゆえ、日本語によって本文を執筆しているにもかかわらず、本研究が依拠する研究文献は、前世紀後半から今世紀において公刊されたドイツ語文献にほぼ限定されている」。(236頁)どのような偉大な研究書であれ、依拠すべき研究論文は限定されている。有限な人間が優れた研究論文全てを入手し、それを読解することは不可能である。むしろ、依拠すべき論稿の限定性を明示していることによって、本書は他の研究書よりも誠実であろう。もちろん、本研究が前世紀後半から今世紀初頭に公刊された全てのドイツ語論文を読解していると主張しているのではない。むしろ、管見に触れた論文の方が、はるかに少ないであろう。本書は、その限定された時間のなかで読解された研究論文に依拠することによって成立している。
第四に、本書が路面電車ルネサンスの根源的理由をどのように考察しているのか、に触れてみよう。本研究は、その根源的根拠を都市構造の変容(第四章)と都市環境問題の悪化(第五章)とみなしているが、そのどちらが、より根源的であろうか。本書は、前者を路面電車ルネサンスの根源的理由と考えている。都市空間の限りなき拡大とそれによる交通、とりわけ動力化された個人交通の増大、これに対する反措定としての交通縮減の思想こそが、このルネサンスを思想史的に基礎づけている。本書は、交通縮減という思想を第四章において考察している。交通の増大の必然的根拠は、都市構造の変容にある。都市交通政策史における画期的事象は、交通思想史における画期的思想によって基礎づけられている。
したがって、環境問題だけに依拠することによって、このルネサンスが生じたわけではないし、都市構造の問題を看過すれば、環境問題の改善は個人的な倫理的要請にとどまり、実現化は砂上の楼閣とならざるをえない。「都市住民が交通態度を決定する際に、空間構造が問題になる。交通態度は、都市住民の主観的意志ではなく、客観的な都市構造によって前もって決定されている。交通手段の選択に際して、都市住民がどれほど善を意志しようとも、その裁量余地は、ほとんど無化されている。・・・・・・交通縮減を目的にする秩序政策が、要請されている。都市構造が変革されることによって、交通縮減が構造的に可能になる。この思想の端緒は、交通を最初から縮減できることにある」。(126頁)都市住民の交通態度は、都市構造によって前もって決定されている。そして、交通縮減は、空間構造の変容によって初めて実現される。「統合された交通計画という基礎的思想は、以下の考察に基づいている。すなわち、交通計画が他の計画領域、とりわけ空間計画と調和し、結合している場合だけ、交通問題は解消されうる。この概念の出発点は、交通産出的な空間構造が、(動力化された)交通拡大の本質的原因の一つであるという点にある」。[vi] 交通、とりわけ動力化された交通が都市住民の生活において必要不可欠になるのは、それを必要としている空間構造にある。都市交通政策は、この構造に依存している。
都市郊外が限りなく拡大するのではなく、市民生活にとっての不可避の機能が都市中心街へと帰還することによって、新たな都市理想像が提起される。「住宅地と職場が適度に凝集し、都市機能が多種多様に混合されており、そして公共空間が魅力的であることによって、都市住民は遠距離を移動することなしに、快適な生活を享受できる。住宅、職場そして公共空間が一体化し、コンパクトな都市が形成される。とりわけ、住宅が都市郊外ではなく、都市中心部において建設される。すなわち、都市機能が都市中心部において集積されるべきであるという表象が、都市構造の理想像として提起された。・・・・・・この秩序政策は、都市郊外から都市中心部への都市機能の還帰を促す」。(129-130頁)路面電車という交通手段は、人口が集積された都市中心街においてのみ有効に機能する。都市機能が都市中心街へと帰還することによって、路面電車ルネサンスが生じる。
最後に、本書には、400字詰め原稿用紙換算で、100枚以上のドイツ語要約が添付されている。その根拠は以下の点にある。「仮に、本書にドイツ語要約が添付されていないと仮定してみよう。その場合、本書の存在自体が、ドイツ語圏の研究史において刻印されることはないであろう。・・・・・・しかし、ドイツ語要約が添付されることによって、本書は旅客近距離公共交通及び路面電車ルネサンスに関するドイツ語圏の研究史において位置づけられる」。(235頁)ドイツ語要約によって、本書は、本邦だけではなく、ドイツの研究史に位置づけられる。また、日本語索引にはドイツ語が添付されている。ドイツ語翻訳の妥当性を検証するためである。
おわりに
本書は、ドイツ路面電車ルネサンスの理論編である。この理論研究の土台になった事例研究、すなわちハレ市とベルリン州における路面電車の延伸計画の実現過程と挫折過程に関する考察が、既に準備されている。『ドイツ路面電車ルネサンスの現実態――栄光と挫折(仮題)』が、近日中に公刊されるであろう。
[i] 京都大学東南アジア地域研究研究所編「叢書紹介プロジェクト『自著を語る』」. In: https://edit.cseas.kyoto-u.ac.jp/ja/jicho/. [Datum: 02.08.2024]、参照。
[ii] Vgl. Hrsg. v. City: Mobil: Stadtverträgliche Mobilität. Handlungsstrategien für eine nachhaltige Verkehrsentwicklung in Stadtregionen. Berlin: Analytica 1999, S. 30.
[iii] 本文中における頁数の記載は、本書のそれを表現している。
[iv] 石塚正英『歴史知と学問論』社会評論社、2007年、7-8頁。
[v] 例えば、田村伊知朗「後期近代の公共交通に関する政治思想的考察―ハレ新市における路面電車路線網の延伸過程を媒介にして」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第66 巻第1 号、2015年、213-223 頁、参照。
[vi] Hrsg. v. City: Mobil: Stadtverträgliche Mobilität, a.a. O., S. 43.
田村伊知朗「自著を語る: 『ドイツ路面電車ルネサンス――思想史と交通政策』」石塚正英監修『歴史知と現代の混迷――戦争、宗教、民族、感染症の諸相』柘植書房新社、2025年、221-226頁、所収。