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マス・メディアにおいて書評対象になることへの努力の虚しさ

マス・メディアにおいて書評対象になることへの努力の虚しさ

 

 『ドイツ路面電車ルネサンス――思想史と交通政策』(論創社、二〇二四年)を刊行した。その後、マス・メディア各社に対して本書を献本した。しかし、知り合いの新聞記者の話では、大手マス・メディア、例えば『朝日新聞』等の巨大新聞社の場合、毎週、五〇〇冊ほどの書籍が献本されるようである。そのうちの四〇〇冊を新聞記者が廃棄し、書評会議の場所において一〇〇冊ほどを展示するようである。このなかから、著名な学者等の二〇~三〇人から構成される書評担当者が、それぞれの興味に応じて一冊を書評対象として選択するようである。書評依頼のために新聞社に送付されたほぼ九六%が、廃棄されるようである。実に、四%しか実際に書評されない。かつての消費税の税率とほぼ変わらない。

 にもかかわらず、筆者は、せっせと添え状を書き、拙著を梱包して、郵便局からマス・メディア各社に送付した。この行為は、確率論から言えば、ほぼゴミにするために、郵便物を送付したことになる。一〇〇冊も送付していないので、ほぼすべての拙著が廃棄物になるかもしれない。そのように思念すると、この行為に対して虚しさがこみあげてきた。たとえ、書評として取り上げられたとしても、酷評の対象になることもある。書籍購買者が増大することもないかもしれない。

 しかし、人生における行為は、このような虚無の意識に苛まれることばかりかもしれない。ほぼ全ての行為が、歴史的世界という広大な時空間から考察すると無駄なことかもしれない。そこまで広大な視点を導入しなくても、世の中の仕事はこれから死にゆく者にとってほとんど無駄かもしれない。にもかかわらず、その行為を止めることはできない。不思議な気持ちになる。

 

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