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「珈琲時間」1 【他者の存在と闇の夜に鳴かぬ烏の声を聞くために】

「珈琲時間」1 【他者の存在と闇の夜に鳴かぬ烏の声を聞くために】

中村天風試論「3. 道具としての肉体と精神 3.1 人間の本質」補論

 

 ここで私的体験を述べておこう。201972415時半前後にJR札幌駅から地下鉄東豊線札幌駅への徒歩での移動中のことであった。久しぶりの札幌であり、讃岐うどんを食したいという肉体的欲求に従って、地下鉄東豊線札幌駅近くの讃岐うどんの店を訪れた。しかし、その行為は肉体の欲求に応じただけであった。真我の欲求に従えば、握り飯を食するべきであった。あるいは何物も食さないことが、真我の欲求だったかもしれない。事実、かけうどんの中を注文したが、ほとんど食べ残してしまった。御百姓様に申し訳なかったが、真我がこのうどんを拒否していたように思えた。

 また、現在交通論に取り組んでいるが、必ずしも既存の交通論研究の範疇に属することを考察しているのではない。近代思想史の範疇として、近代公共交通論を議論している。この議論を構想することは、私の使命を形成しているはずであるが、それを忘れていることに気が付いた。東豊線の車中であった。隣に座った二人の老婦人が、かなり上品であるが、些細なことに夢中で議論していた。彼女はこのような生活の利便性、JR東のスイカは札幌の地下鉄で使用できるか否かに関して、激論を交わしていた。このような議論をするために、彼女は生まれて来たのであろうか。生活の利便性ではなく、まさに烏の声が聞こえたのであろうか。このときに、私はなにか、烏の声を聴いたような気がした。彼女たちの議論には感謝しなければならない。

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