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大正時代におけるサンカ第二世代の定住化過程――「渡りもの」から「とけこみ」へ

大正時代におけるサンカ第二世代の定住化過程――「渡りもの」から「とけこみ」へ

 

芥川龍之介は、歴史小説だけでなく、同時代小説も執筆している。文化人類学的観点からも、彼の小説を読み解くこともできる。彼の同時代的小説から、大正時代における国民生活の在り様を推測することもできる。

まず、この小説の舞台になった時代を推定してみよう。この時代に腸チフスが大流行したことが、記述されている。「お民は腸チブスにかかり、発病後八日目に死んでしまった」。[1] この記述は、歴史的にも根拠を持っている。「明治末期、約50だった日本全国の腸チフス罹患率 (対人口10万人)は、大正期後半には100くにまで上昇。その後昭和初期にはふたたび50前後の水準にまで低下したが、第二次大戦期およびその直後には再度上昇に転じた」。[2] 大正期に腸チフスが流行したことが、医学史的にも確定できる。この舞台になった時代は、大正期である。

芥川龍之介のある小説からある一文を引用してみよう。ある小説の主人公、お民に関する記述がここにある。「お民は不毛の山国からこの界隈へ移住してきた所謂『渡りもの』の娘だった」。[3] この一文から、いわゆるサンカの同時代的記述が彼の小説にある、と推測できる。彼の文章を読んでいると、サンカの定住が、この時代において進行したと推測できる。定住社会において、彼らは「渡りもの」と呼ばれていた。「この界隈」に属している農村生活において、彼らは完全な共同体の一員としてではなく、異端として取り扱われていた。

従来からの農村社会定住者は、サンカを「不毛の山国に住む」人種とみなしていた。この山国に住み、移動性を不可欠の職業的特質とみなしていた集団が、明治から大正にかけて、農村社会に定住するようになった。もちろん、移動生活から定住社会への溶け込みには、時間がかかる。三角寛が述べているような第二世代が、官界、財界等の社会的な上層階層に属していたという推測は、おそらく虚偽であろう。明治時代、大正時代においてすら、従来から一般的な定住者にとっても、官界、財界等に進出することは、かなり困難であった。旧制中学入学者が、社会的エリートであった時代である。もちろん、お民も中学受験から無縁であった。旧制高校など、多くの農民にとって夢想すらできない社会的存在者であった。

芥川龍之介『一塊の土』における主人公、お民は、明治中期あるいは後期に定住者になった第一世代の子供であり、その第二世代であると思われる。第二世代でも、農村社会においてその出自が問題になり、農村の一般的常識からすれば、異端視されていた。

 

[1] 芥川龍之介『一塊の土』芥川龍之介『戯作三昧、一塊の土』新潮社、2019年、256頁。

[2] 永島剛「大正期東京市における腸チフスの地区別分析」『日本医史学雑誌』第50巻第4号、2004年、66頁(66-67頁)。In: file:///C:/Users/edgar/Documents/%E8%85%B8%E3%83%81%E3%83%95%E3%82%B9%E3%80%8066-67.pdf. [Datum: 07.06.2022]

[3] 芥川龍之介『一塊の土』芥川龍之介『戯作三昧、一塊の土』新潮社、2019年、244頁。

 

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