« 日本最高の気候における人口減少――函館市という中核市の衰退 | トップページ | 宇宙の根源性と人間の使命ーー闇の夜に鳴かぬ烏の声を聞いたとき »

中村天風哲学の実践例として中途失明者の潔さーー原因追及なし、反省なし、後悔なし

中村天風哲学の実践例として中途失明者の潔さーー原因追及なし、反省なし、後悔なし

 

1 永遠の正義ではなく、暫定的正義

 

 ある友人は、戦後の混乱期、1950年に生まれ、2021年現在、71歳である。彼は、所謂、団塊の世代に属しており、小学校では50人学級に属していたそうである。小学校の同学年では、400人程度の同期生がいたそうである。長じて、日本大学に進学し、ここで学生運動の洗礼を受けたようである。

 ところで、彼は、10数年前から、糖尿病の診断を受け、インシュリン注射器のお世話になっていた。この数年前から、とうとう失明してしまった。重度の糖尿病者が失明することは、ほぼ必然的である。現在、彼は光の濃淡を認識できるそうであるが、文字をほとんど読解できないそうである。新聞紙の活字も、大きな文字、例えば『朝日新聞』の文字が、かすかに見えるそうである。手元にある新聞が『読売新聞』とは違うということが、かすかに了解できるだけである。通常であれば、中途失明者は人生に絶望し、過去のあるときに、いちいち拘泥したはずである。あの時、糖尿病の進行を阻止できれば、インシュリン注射をしなくてもよかったはずであった・・・。

 事実、私も数年前、グリコヘモグロビンの値(基準値6.4)が、7.0になり、投薬治療を主治医から勧められた。薬は一般に工業的に精製された毒物の機能を持っており、身体によい影響ばかりではない。副作用が必ずある。私は投薬治療を断固拒否し、体重減少を指向した。当時、アルコールを摂取すれば、心拍数が上がり、不整脈も頻出していた。明らかに、身体の異常を自覚していた。また、ビールロング缶500ml2本飲酒しても、数時間、尿がほとんど出ないこともあった。腎臓、膵臓の異常を自覚していた。

 体重を数年かけて、75キロから15キロ(身長170センチ)ほど減少させ、2019年には60キロ弱になっている。2022年現在、起床時、55キロほどになっている。2019年以後、グリコヘモグロビンも、6.0以下であり、基準値に収まっている。糖尿病と診断を受けた2016年夏を除いて、その治療のために、それほど極端な運動をしたわけではない。私は、スポーツする人を暇な人とみなしているからである。ダイエットに苦労したわけでもない。もともと、野菜とりわけ根菜類と豆類は好物の一つであり、家族よりも多めに摂取するだけであった。[1] 玄米100%は無理であるが、玄米6割、雑穀そして黒米3割、小豆、黒豆1割入の玄米雑穀100%は、白米よりも美味である。グルメを徹底することによって、減量することも可能である。旨いものをたらふく食らい、減量する極意は、主食の内容に依存している。家族も白米よりも、玄米・雑穀を30%含む白米を摂取している。因みに、拙宅には、電気釜が2個ある。いつもは、別々の種類の米を食しているが、最後は、両方の窯から取っている。少なくとも、2022年現在、糖尿病への危惧は、ほぼ消滅している。

 この友人の事柄に戻れば、客観的に言えば、体重減少の機会は彼にもあったはずだ。しかし、彼はそれ以外の仕事、特に会社経営等に従事しており、その機会を逸したようである。しかし、彼から最近メールが届くようになった。中途失明者が通う職業訓練校に通い、PCに習熟した。彼は、小説家になろうとしている。中途失明者がその体験を小説に書けば、かなり面白いかもしれない。失明者がPCに習熟できるような環境になったのは、今世紀になってからである。数十年前から音声読み上げソフトはあったが、下層市民がそれに接近できるようになったのは、早くとも、後期近代になってかかである。彼は、少なくとも過去と比べ、より文筆業に近い位置にいる。それは二重の意味で、好機である。彼が中途失明したこと、そしてPCソフトを使用して、容易に文章を執筆できるようになった。

 

2 中途失明者の愉快、原因追及なし、反省なし、後悔なしーー中村天風哲学の実践例

 

 彼の偉大さは、中途失明者になっても、その原因を追及せず、過去の生活態度を反省せず、そして過去を後悔しないことにある。原因追及や反省や後悔などして、視力が回復するはずもない。生来の視覚障害者は、その原因をほとんど追求しない。生まれつき失明しているので、視界を有するということを認識できない。彼らにとって、環境世界は暗黒であり、光なき世界である。それ以外の様態を認識できない。対照的に、中途失明者の場合、事情は異なる。環境世界は光り輝く世界であり、それが当然であった。にもかかわらず、現在では、環境世界は暗黒である。この落差が中途失明者の憤怒の源である。

 中途失明の原因は数ある。そして、中途失明者はそれを認識できる。あの時、別の選択肢を採用すれば事態は別様に展開したはずである。失明には至らなかったはずである。酒の量を少なくとも半分にしていれば、失明時期を10数年ずらすことも可能であった。ああ、なぜ、そうしなかったか・・・。このような原因の追求は、妄想的思念のうちでいつしか追及になり、他者を攻撃することになる。なぜ、友人はあの時、病院代を工面してくれなかったか。より専門的な医師と遭遇しなかったのか。主治医は、××大学卒であった。自分の母校よりもはるかに偏差値の低い大学であり、ボンクラ医師に遭遇した自分は、不幸である・・・。原因追及、反省、後悔、それらは高じて、煩悶にいたるのが関の山である。対照的に、彼は現在できることに従事するだけである。視覚障害者としてできることを為そうしているだけである。中村天風哲学の三行のうち、「愉快」を体現している。

 過去ではなく、現在に固執する生活態度は、未来の事象にもあてはまる。現在、会社の経営は長男に任せている。長男は現在では立派に社長業を全うしている。もっとも、社員は彼一人であり、彼以外の労働者は数人しかおらず、全員、所謂アルバイトである。父親の助言を受けながら、彼が会社の差配をしているようである。会社の将来に対して、悲観することはこの視覚障害者にとって無縁である。

 また、失明の程度もこれから、悪化する一途である。失明の度合いが改善された事例は、ほぼ想定外である。現在の彼は、光の濃淡を認識できるが、将来的にはほぼ無理である。将来、漆黒の闇の中を歩かねばならない。通常であれば、光無き漆黒の世界に恐怖し、悲嘆に暮れても不思議ではない。しかし、自分の将来を悲観することはない。将来の苦労を現時点でする必要ないとのことである。そして、実際その時が訪れれば、また対処法を見つけてくるであろう。この生活態度は、中村天風の哲学にも通じる偉大な点である。彼は中村天風を毛嫌いしている。たんなる経営者の哲学を講じているとみなしている。中村天風にはそのような側面もあるが、それだけであれば、ここで論じる理由はない。1968年世代の狭隘性があるのかもしれない。しかし、彼は中村天風哲学の実践者の一人である。私は、中村天風の哲学に親しんでいるが、彼の哲学の実践に関して、この知人には敵わない。あるいは、中村天風の著書をほぼすべて保持しているが、その内容を理解し、実践しているか、疑わしい。

 中村天風と同様に、彼から学習した事柄をここでまとめてみよう。困難の原因を探求するのではなく、現在の環境世界を認識する。これが、肝要であることである。人生はつねに順風満帆にあるのではない。むしろ、強風に出会い、難破するかもしれない事態に陥ることも稀ではない。困難に陥ったときには、その原因がある。しかし、その原因を探求することが、困難を克服するのではない。そこから、逃れる、あるいはそこから脱出することである。原因は時間的過去に属しており、それを糾弾しても始まらない。この点をこの知人から学んだ。困難の原因を探求するのではなく、現在の環境世界を認識することが、活路を見出すことにつながる。

 問題は、現在の状況を引き起した過去の原因を探求することではなく、現時点での自己の環境世界を考察することである。環境世界の資源を活用することによってしか、窮地から脱出する方法はないであろう。窮地から脱出する方法は、必ず存在している。本当に難破してしまえば、困難はない。そこには、永遠の涅槃寂静の世界が存在するだけであろう。冷静沈着して、環境世界を見回せば、火中ですら、活路つまり「逃げ道」はある。窮地から脱出する方法は、必ず存在している。「宇宙の絶対的な実在の世界から、この現象世界を観ずれば、真実『困ったこと』などありえないのです。・・・『すべてはよくなる』のです」。[2] 「困ったこと」は、この世では生じない。本当に難破してしまえば、そもそも困難はない。そこには、永遠の涅槃寂静の世界が存在するだけであろう。

 その事例を彼から教示された。もちろん、彼も困難に出会う。ある時、ライターを見つけることができなかったそうである。この喫煙用具を捜すために、数時間を要したようである。探し物は、煙草盆の廻りではなく、その下にもぐっていたようである。探している間、煙草を吸いたいにもかかわらず、吸えない。イライラが高じたことは確かであろう。その時でも、彼はライターを捜すことに夢中で、そもそもなぜ、失明したかという「そもそも論」は感じなかった。そもそも、失明していなければ、ライターをすぐさま探し出したであろう。なぜ、自分は失明したのか。このような「そもそも論」=「原点回帰主義」は、現状の改善には寄与しない。悲嘆、詠嘆そして煩悶に至るだけである。より、小さな問題=眼前の問題に集中するだけである。そもそも論に依拠するかぎり、ライターを探し出すことはできない。もっとも、折角、探し出したライターは、ほとんどガス切れの状態であった。数回、試行してやっと一服できたようである。その煙草の旨かったこと、生涯で一番思い出に残ることとであった。その幸福の余韻に浸ること、数分あったようである。まさに、「愉快」を体現していた。このように旨い煙草は、彼しか味わえなかったであろう。

 さらに、彼の偉大さは、喫煙だけではなく、飲酒も止めないことにある。糖尿病にとって、飲酒も喫煙も悪いことは、自明である。飲酒と喫煙を糖尿病患者に勧める医者は、ほぼゼロに近いであろう。飲酒と喫煙も、この疾病を悪化させこそすれ、改善させる要因にはなりえない。しかし、一般的に言って、健康に悪いことは沢山ある。コカコーラを毎日、1リットル飲めば、健康になるのであろうか。焼肉、ロースやカルビ、500グラムを毎日、摂取すれば、健康になるのであろうか。食事だけではない。人間の健康にとってより重要なことは、大気である。新鮮な大気に満ち溢れた山村に居住することと、高速道路の近辺に居住すること、どちらが健康を改善するのであろうか。発話の正当性は、前提を持っている。より巨大な前提の下では、飲酒も喫煙も五十歩百歩である。悪という概念は、多様である。選択可能であれば、そこから精神の栄養になるものを摂取すればよいだけである。自然医食を提唱している森下敬一によれば、煙草や酒を摂取することは、白砂糖を摂取することよりも被害が少ないようである。「野菜に含まれているビタミンやミネラル、酵素などが、有害物質を分解する作用をもっており、タバコに関して有効ではないか・・・・穀物・菜食の『自然医食』を日頃から実行していれば、タバコの有害性は消去される」。[3] タバコの煙には有害物質が含まれている。しかし、有害物質を除去する作用を持つ穀菜も数多い。もっとも、それは全体として考察すべきである。白砂糖100グラムが、煙草1本よりも、健康を害することは当然である。常識で判断すればよいだけである。「愉快」を実践するためには、少々の悪には眼を瞑っているようである。

 さらに、中村天風哲学の三行のうちの「親切」について、述べてみよう。中途失明者は、国立障害者リハビリテーションセンター において、就労移行支援を受ける。もちろん、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律に基づく、就労支援である。しかし、60歳を過ぎた中途失明者にとって、これから就労移行を指向することはほとんど無意味であろう。彼は、老齢厚生年金も受給しているはずである。したがって、この就労移行支援のうち、現代社会では必須である情報処理が、多くの中途失明者にとって大切であろう。視覚障害者であれ、PCを駆使して、文章を執筆することも可能である。

 この学習過程において、彼は何人かの視覚障害者と交友関係を構築したようである。彼の下に、メール、電話等で相談が寄せられるようである。彼は、小さい会社を経営したことによって世間知に習熟している。対照的に、大企業労働者は、組織の中の歯車として小さな領域しか任せられていない。彼は、大企業に例えるならば、財務部長、広報部長、営業部長、総務部長、人事部長、資材管理部長、工場長等を一人で兼務していたからだ。小企業の経営者は、皆そうである。若い銀行員の前で土下座して、融資枠を拡大したこともあれば、仕事を取るために、銀座のクラブで、取引相手の希望に応じて、取引先の社長の靴に注がれたレミーマルタンを飲み干しこともあるという。このレミーマルタンを飲み干すことによって、数千万の仕事を取ってきたようである。その利益で、会社を存続させることも可能になった。個人企業の社長であれば、多かれ少なかれ、このような体験をしている。

 このような経歴において学んだ知識に基づき、中途失明者の相談にのっているようである。もちろん、無料である。このような行為は、中村天風哲学における三行の「親切」に値するであろう。少なくとも、中村天風の主張する三行のうち、「愉快」、「親切」の二行は充足しているであろう。「正直」に関しては、世間的配慮をする必要がないので、そうであろうと推定している。この要素は、内面と関係するので、第三者は推定するしかない。

 

[1] 食養生論に関しては、「中島正(1920-2017年)の人間論と食養生論への前梯――

専門知と素人知――減塩思想と大量の野菜摂取そして少量の肉の摂取」『田村伊知朗 政治学研究室』、http://izl.moe-nifty.com/tamura/2021/04/post-6c37a5.html、[Datum: 22.04.2021]参照。

[2] 沢井淳弘「天風式『自己暗示』のしかた」清水克衛他『実践 中村天風 困ったことは起こらない!』プロセスコンサルティング、2012年、38頁。

[3] 森下敬一『ガンは食事で治す』KKベストセラーズ、2017年、140頁。

 

« 日本最高の気候における人口減少――函館市という中核市の衰退 | トップページ | 宇宙の根源性と人間の使命ーー闇の夜に鳴かぬ烏の声を聞いたとき »

喫煙権」カテゴリの記事

近代という時代認識」カテゴリの記事

中村天風」カテゴリの記事

2022年8月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

リンク

無料ブログはココログ