研究会報告原稿
レジュメ 「1950~1960年代の戦後西ドイツにおける自動車の所有と使用」
この時期の西ドイツにおいて自動車が増大した。本節では、この意義を自由の実現という観点から、自動車の所有と使用の増大を考察する。自動車の所有と使用は、近代に特有のパラダイムとしての自由の実現と関連している。この自由は、個人的自由と関連している。本節は、以下の3項から構成されている。
1 西ドイツは、過去の社会主義(民族社会主義)と同時代の社会主義(東ドイツ社会主義)を集合主義とみなし、自己を自由主義国家とみなす。個人的自由の拡大が、社会の発展を促す。鉄軌道を集合主義の象徴とみなし、自動車、とりわけ動力化された個人交通を個人的自由の象徴とみなす。
2 戦前1920年代及び民族社会主義の時代に贅沢品であった自動車の所有が、平均的労働者にとって実現可能な夢の対象になった。まず、フォルクスワーゲン(国民車)が一般化した。次いで、この自動車が大衆にとって一般化したことを背景に、より高性能な自動車が大衆によって希求された。自動車のヒエラルヒーが、社会的ヒエラルヒーにつながった。
3 自動車を運転することの意味を考察する。移動が自己意思の形態化としてみなされる。大衆社会において、自分は大衆ではないという意識が増大した。より高性能の自動車を運転することによって、より強大化した自我を確認することができる。
1 過去の社会主義(民族社会主義)と同時代の社会主義(マルクス主義的社会主義)に対する競合関係――西側自由主義国家としての西ドイツの自己規定
1.1 自由=個人的自由の象徴
1.2 二つの社会主義を、同一概念とみなし、集合主義と総括=全体(民族共同体と社会主義国家)へと奉仕する。
1.3 自由を個人的自由と同一とみなし、その追求が、1950~1960年代の経済復興を進展
1.4 自動車の優秀性
1.5 鉄軌道――集合主義: 自家用車=動力化された個人交通(MIV=Motorisierter Individualverkehr)――個人的自由の象徴
2 自動車の所有――1950~1960年代の経済復興
2.1 大量生産と大量消費の象徴としての動力化された個人交通: 自由主義において労働者も1920年代において贅沢品であった自動車を所有できる
2.2 ナチズムの象徴=国民車構想の実現 階級の消滅:ナチズム
生産の領域における階級の消滅: ナチズムの理念(階級ではなく、ドイツ国民)
2.3 労働者の平均賃金の上昇: 夢の実現: 神としての動力化された個人交通
2.4 生産者としての社会的ヒエラルヒー: 消費者としての社会的ヒエラルヒー: 後者の前面化
3 自動車の運転
3.1 親密空間
3.2 労働疎外の解消
3.3 近代の機制: 自己意思の形態化
3.4 個人的自由の最大化: 自己の意思の最大化
3.5 自我の強大化
3.7 大衆社会における自我の強大化=自分は大衆ではない
3.6 共同性の水準に自由実現の断念性: 共同的水準、国家、社会全般における自由実現が困難であることによって、個人的自由の実現への方向性がより促進される。