怒り、怖れ、悲しみー自己の行為と他者の反応ーー三勿三行の意味づけ
本稿は、「闇の夜に鳴かぬ烏の声――中村天風試論」から抜粋したものである。
http://izl.moe-nifty.com/tamura/2021/07/post-05b217.html
怒り、怖れ、悲しみという感情は、通常、自己の行為を起点としている。自己の何らかの必然性に基づき、他者あるいは環境世界に働きかけた結果、生じる。例えば、他者に親切にした行為、他者に贈り物をした行為、これらは何らかの内的必然性に基づいた行為である。しかし、その反応は、想定した結果とは異なる。自己の行為は、行為を実施した時点で終了している。他者の反応に対する感情は、無意味である。むしろ、内的必然性の妥当性を問わねばならない。
「珈琲時間」
自己の行為の対象である他者が、無反応であることもある。あるいは、逆効果になることもある。相手が、私の贈り物を貶す場合もあろう。貶されても、怒り、怖れ、悲しみという感情は無意味である。そのような相手に贈り物をした自己の不明を恥じるだけである。あるいは、贈り物に対して、こんな安物と罵倒されれば、経済環境の差異を自覚すべきである。商品の価格に対する価値づけは、置かれている経済環境に異なる。毎日、エビスビールを飲んでいる男性に対して、発泡酒を贈呈してもあまり喜んでいただけるとは思えない。レミーマルタンしか飲酒しない男性に対して、コンビニで購入したワインを贈呈しても、たいして喜んでもらえるとは思えない。
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