« 田村伊知朗への連絡方法ーーコメント欄へ | トップページ | 中村天風論試論 2021年11月13日改稿 »

怒り、怖れ、悲しみー自己の行為と他者の反応ーー三勿三行の意味づけ

 本稿は、「闇の夜に鳴かぬ烏の声――中村天風試論」から抜粋したものである。

http://izl.moe-nifty.com/tamura/2021/07/post-05b217.html

 

 怒り、怖れ、悲しみという感情は、通常、自己の行為を起点としている。自己の何らかの必然性に基づき、他者あるいは環境世界に働きかけた結果、生じる。例えば、他者に親切にした行為、他者に贈り物をした行為、これらは何らかの内的必然性に基づいた行為である。しかし、その反応は、想定した結果とは異なる。自己の行為は、行為を実施した時点で終了している。他者の反応に対する感情は、無意味である。むしろ、内的必然性の妥当性を問わねばならない。

 

「珈琲時間」

 自己の行為の対象である他者が、無反応であることもある。あるいは、逆効果になることもある。相手が、私の贈り物を貶す場合もあろう。貶されても、怒り、怖れ、悲しみという感情は無意味である。そのような相手に贈り物をした自己の不明を恥じるだけである。あるいは、贈り物に対して、こんな安物と罵倒されれば、経済環境の差異を自覚すべきである。商品の価格に対する価値づけは、置かれている経済環境に異なる。毎日、エビスビールを飲んでいる男性に対して、発泡酒を贈呈してもあまり喜んでいただけるとは思えない。レミーマルタンしか飲酒しない男性に対して、コンビニで購入したワインを贈呈しても、たいして喜んでもらえるとは思えない。

 

 

« 田村伊知朗への連絡方法ーーコメント欄へ | トップページ | 中村天風論試論 2021年11月13日改稿 »

近代という時代認識」カテゴリの記事

中村天風」カテゴリの記事

2022年6月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

リンク

無料ブログはココログ