花輪和一論3 破滅への予感と、日常的営為への没頭――花輪和一『刑務所の前』と福島における放射能汚染
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20140522 破滅への予感と、日常的営為への没頭――花輪和一『刑務所の前』と福島における放射能汚染
人間は、人生の岐路においても日常的課題から免れない。食事、入浴、清掃そして仕事をしなければならない。どのような破滅的結果が予見されたとしても、このような日常的行為に振り回される。
東京電力株式会社福島第一原子力発電所が危機的状況に陥ったとき、その300キロ圏に居住した住民は、日常的営為に没頭していた。放射能汚染が通常の10倍になったとしても、安全神話が染みついていた。30キロ圏に居住していた住民の多くも、政府の「すぐには、健康被害はない」という大本営発表を信じていた。2011年4月18日、枝野官房長官(当時)が福島第一原発から半径20キロ圏内にある被災地を訪れた際、彼は完全防護服を着用していた。彼はこの事故に関する情報を充分に把握していた。それに対して、住民はマスクすらしていなかった。
被災地がもはや人間の居住には耐えられないほど、放射能によって汚染されていたからである。現地が宇宙空間と同様な放射能によって汚染されていたということを認識していたからである。その姿を見ただけで、住民は即座に避難すべきであった。100キロ圏の住民もまた、危機意識を保持すべきあった。しかし、多くの住民はそこにとどまった。少数の住民は、安全と考えられていた関西、そして九州に避難した。
花輪和一もまた、数日後に警察が自宅に乗り込んでくることを予感していた。警察がくれば、監獄行はほぼ確定していた、しかし、日常的営為、漫画の題材を考えることを優先してしまった。その葛藤がこの漫画において描かれている。
花輪和一『刑務所の前』第3巻、小学館、2007年、104-105頁。
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