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花輪和一論1 根源的寂寥感

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 花輪和一は、かなり多くの著作を残している。しかし、執筆動機あるいはその主題は限られている。その限定された主題の一つが、寂寥感あるいは寂しさである。おそらく、花輪和一本人に由来する寂しさからの脱却である。マンガをほとんど読まないひとでも、彼の名著、『刑務所の中』を知らない人はいないであろう。このマンガは映画化もされ、今でもYouTube等で視聴できる。この名著が世に出る契機になったことは、彼自身の銃刀法違反である。実弾と実銃を所持していた。この非合法の趣味の根源も、花輪和一自身の感情に由来しているように思える。

 この『風童』も寂しさという感情の根源を主題にしたマンガである。寂しさからの脱却あるいはそれを気にしないことになる過程を描いている。自然の営みにおいて、動物も植物も寂しいという感情を持たない。あるいは、他者と自分とを比較せず、日々与えられた課題を遂行するかぎり、人間もまたそのような感情を抱くこともない。この感情に囚われていた少女が、自然の営為を見て気づく名場面である。

花輪和一論2 世を忍ぶ仮の姿と、職業に貴賎あり

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世を忍ぶ仮の姿と、職業に貴賎あり

 

 人間は何らかの事情で、世を忍ぶ仮の姿を取ることがある。たとえば、大学教授を目指す若者が、塾の講師をするということは、珍しくない。私もしたことがある。塾の講師をすることは、世間的に考えても悪くはない。国立大学の学生も、塾講師を第一志望の就職先に選ぶことは、よく聞く話である。

 さらに、どのように世間から蔑まされる職業についていたとしても、本人が意思を持っているかぎり、それは尊重されるべきである。ここで、具体的に蔑まされる職業を具体的に明示することは避けよう。現実社会において職業に序列があるにもかかわらず、理念的にはその序列はないことになっているからだ。例えば、県議会議員ですら、ある視点からすれば格下、あるいは蔑まされる職業である。市議会議員からすれば、県会議員は憧れの対象である。市民も県議を蔑むことはほとんどない。しかし、政治家においてもヒエラルヒーは厳然として存在している。かつて竹下登が田中派の一陣笠議員だったころ、田中角栄元総理から以下のように言われたそうである。「県議上がりが、日本の政治史において総理大臣になったことはない」。竹下氏の前職、つまり県議会議員という職業が、蔑まされる対象であった。もし、彼が大蔵省(現財務省)の官僚であれば、このような言説は成立しない。彼らは、戦後だけに限定しても、池田勇人、大平正芳、福田赳夫、宮澤喜一と多くの総理大臣を輩出しており、総理大臣のリクルート先として日本政治史に刻印されていたからだ。もっとも、竹下登はこのような貴賎意識を跳ね返し、総理大臣になったが、貴賎意識から全く自由であったとは思えない。

 誰もが蔑む対象として、乞食が挙げられる。好き好んで乞食をする人はいない。「わしは、乞食と違う」という啖呵は、西日本では耳にタコができるほど聞かれる。侮蔑の対象として施しを受ける場合、つねに発せられる言葉である。彼らに対する蔑みは、社会的に承認されている。しかし、何らかの個人的事由から、乞食をせざるを得ない場合もある。それを嘲ってはならない。その事由そのものが、その個人にとって不可避であったからだ。この漫画で描かれている女性は、地震によって家族と財産を喪失している。もちろん、物乞いの対象になっている人には、わからない。古代社会から初期近代に至るまで、社会の最底辺に住む人を嘲ってはならないという社会規範が日本にあった。平等意識あるいは職業に貴賎なしという建前が浸透する現代社会において、この規範はむしろ弱体化している。現代社会においても、乞食とは貴賎意識の最底辺に位置している。

  現代社会においても職業に貴賎はある。このマンガでも、多くの農民は乞食に対して施しをしない。主人公の少女も乞食に対する施しに批判的である。しかし、近代化されたとはいえ、日本の農村では前近代的意識が濃厚に残存していた。この前近代的意識が、社会的ヒエラルヒーの最底辺に位置している乞食に対して優しい眼差しをかけている。

花輪和一論3 破滅への予感と、日常的営為への没頭――花輪和一『刑務所の前』と福島における放射能汚染

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(右クリックすると拡大されます)。

 

 

 

20140522 破滅への予感と、日常的営為への没頭――花輪和一『刑務所の前』と福島における放射能汚染

 

 

 

人間は、人生の岐路においても日常的課題から免れない。食事、入浴、清掃そして仕事をしなければならない。どのような破滅的結果が予見されたとしても、このような日常的行為に振り回される。

 

東京電力株式会社福島第一原子力発電所が危機的状況に陥ったとき、その300キロ圏に居住した住民は、日常的営為に没頭していた。放射能汚染が通常の10倍になったとしても、安全神話が染みついていた。30キロ圏に居住していた住民の多くも、政府の「すぐには、健康被害はない」という大本営発表を信じていた。2011418日、枝野官房長官(当時)が福島第一原発から半径20キロ圏内にある被災地を訪れた際、彼は完全防護服を着用していた。彼はこの事故に関する情報を充分に把握していた。それに対して、住民はマスクすらしていなかった。

 

 被災地がもはや人間の居住には耐えられないほど、放射能によって汚染されていたからである。現地が宇宙空間と同様な放射能によって汚染されていたということを認識していたからである。その姿を見ただけで、住民は即座に避難すべきであった。100キロ圏の住民もまた、危機意識を保持すべきあった。しかし、多くの住民はそこにとどまった。少数の住民は、安全と考えられていた関西、そして九州に避難した。

 

 花輪和一もまた、数日後に警察が自宅に乗り込んでくることを予感していた。警察がくれば、監獄行はほぼ確定していた、しかし、日常的営為、漫画の題材を考えることを優先してしまった。その葛藤がこの漫画において描かれている。

 

 

 

花輪和一『刑務所の前』第3巻、小学館、2007年、104105頁。

 

 

近代思想史という学問――近代交通思想史という学問の構築ーー近代政治思想史と近代社会思想史

近代思想史という学問――近代交通思想史という学問の構築、そして政治思想史と社会思想史

 

 大学の講義科目において近代思想史という科目がある。おそらく、慶応義塾大学他、少数の大学でしか開講されていない。通常は、社会思想史、政治思想史、経済思想史等の科目が開講され、近代思想史という科目が開講されていることは少ない。また、開講されていても、社会思想史、政治思想史、経済思想史等の研究者がその科目を担当している場合も多い。既存の科目名称と代替したとしても、問題は生じないであろう。内容も大同小異である。デカルト、スピノザ、ヘーゲル、マルクス等の近代思想史において巨人とされている思想家が、時代順に講義の中で取りあげられている。もちろん、科目名称によって、あるいは講義担当者の専門の差異によって、取り扱かわれる思想家に関する取捨選択はある。経済思想史であれば、アダム・スミスやマルサスを除外することはありえないが、政治思想史であれば、まったく言及しないことも稀ではない。

 いずれにしろ、近代思想史が、近代思想の歴史であることは、ほとんど疑われることはないであろう。しかし、この科目を近代に関する思想史と解釈すれば、かなりの困難が生じる。近代とは何かについて、科目担当者が考察することになる。近代という時代精神を大学教授が自らの有限な知識を動員して、考察しなければならない。このような作業を実行すれば、例えばヘーゲルの哲学に相似した時代精神を体系化しなければならない。筆者もまた、このような科目を設置したことがある。地方国立大学、とりわけ教育学部では、科目の新設は科目担当者の裁量に任されている。英文法担当者であれば、変形生成文法概論という専門科目を新設し、チョムスキーの理論を30回にわたって講義することも可能である。他の教員、例えば自然科学の専門家は言語学に関して無知であり、その内容を想像することはできない。このような職場環境の中で、筆者も近代思想史を新設し、近代に関する思想を体系化しようとした。しかし、結局、ヘーゲルの哲学体系を中心にした思想を講義しただけに終わった。あるいは、別の年度では、社会思想史に似た思想家の思想を順に講義しただけであった。近代思想史を近代社会思想史に代替しただけで終わった。近代という数百年の歴史を15回の講義で体系化することは、有限な人間には不可能であった。

 そこで、近代という時代精神の一側面、交通という部分領域に限定して、近代交通思想史という科目へと変更した。近代という時代精神を考察することを断念し、その部分領域を討究することになった。筆者が本邦で初めて、近代交通思想史という専攻する研究者になった。ドイツでは、このような研究家は少数ながら存在しているが、日本では皆無であろう。また、大学の講義科目においてこのような専門科目を、筆者の勤務大学以外に見出すこともないであろう。橋のない場所に橋を架ける作業に関心がある。もちろん、先行研究が山ほどあるマルクス、ヘーゲルの思想を別の視点から考察するという伝統的手法が間違っているわけではない。しかし、近代交通思想史という学問体系を新たに構築する意思も、尊重されるべきであろう。

 最後に、近代交通思想史以外の筆者の担当科目に触れてみよう。現在では、この科目以外に、西洋政治思想史と西洋社会思想史を担当している。20年前、つまり前世紀末までは、大学講義の大半の専門科目は、4単位制がほとんどであった。世紀転換後、2単位制が主流になっていた。国際標準の9月入学が国際化された大学にとって愁眉の課題になったからである。そこで多くの政治思想史担当者は、政治思想史Ⅰ、Ⅱと衣替えした。それまで、多くの政治思想史担当者は、後期だけしか試験をしない豪傑もいたが、そのような豪傑は駆逐された。その後、時間が推移にしたがって、そのような曖昧な科目名称を変更することが、教務課から要請された。筆者の勤務校でも、西洋社会思想史の科目設定が要請された。西洋史概論の代替科目が必要であったかららしい。歴史科目である西洋史概論の代替科目が西洋政治思想史では、課程認定上問題であったようである。

 そこでこの二つの科目を二分割した。ただ、単純に時間によって二分割することもできなかった。4年生、5年生等が、科目名称は異なるが、内容上重複している科目を受講するからだ。そこで、西洋社会思想史を通常の社会思想史とほぼ同様に構成した。西洋思想史における巨人とされているイギリス経験論、大陸合理論、ドイツ観念論哲学へ至る思想史の流れ通りに講義している。西洋政治思想史は近代の政治的転換、つまり革命の歴史と解釈して、ドイツ宗教改革、イギリス革命、フランス革命、ドイツ三月革命の順に16世紀から19世紀の巨大な政治変動を支える事象を考察対象にした。個別的思想家の思想ではなく、巨大な社会的かつ政治的変動そのものの思想を考察した。たとえば、ドイツ宗教改革では、ルターの思想ではなく、プロテスタントの出現の意味を内面的自由の確立という観点から抽象的に考察した。

 この三つの科目、近代社会思想史、近代政治思想史、近代交通思想史はともに西洋の思想に基づいている。限定された知識しかない筆者が、方法論の異なる三科目を担当することになった。大過なきことを祈るしかない。

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