「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば、中村天風私論」補論ーー中島正、いしいひさいち、そして烏の声
「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば、中村天風私論」補論
最近の数年間、中島正(1920-2017年)、いしいひさいち(1951年- )の思想をまとめようとしている。この作業の契機になったことは、父親の癌闘病とその死亡への途を見たことによる。彼は、数年前から胆管癌に侵されていたようである。2018年12月に黄疸症状が出て、2019年には癌であると家族に告知される。彼の闘病中に、数度帰省している。死を悟った人間と時間を共有できたことは、自らの死を身近なものにした。
自分もまた天命が尽きるときが来ることを自覚してきた。現世に後悔を残すまいと決意した。日本の学界の動向もまた余計なことにすぎない。数十年、気にかかったことを整理したうえで、極楽浄土に向かうべきだという声が聞こえてきた。
「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば、生まれぬ先の親ぞ恋しき」という有名な詩歌は、一休宗純(1394~1481年)によって作成された、とみなされている。この解釈は古来より多々あるであろう。中村天風もまた、この和歌を講演、訓話等で引用していた。[1] 私という一回かぎりの生を現生に送り出したもの、闇の奥にあるものが存在しており、その声が聞こえるはずだ。私もたまに、聞こえるような気もするが、どうであろう。少なくとも、その声を聞こうとしている。
鳴かぬ烏の声とは何か。私という人格を送り出し根源的なものとは何か。私に何を託そうとしているのか。宇宙が進化するか、否かはわからないが、何かをするためにここにいることは、間違いないであろう。その根源的なものに関して考察してみよう。人間あるいは人類の歴史に関して、どのような寄与ができるのであろうか。このような烏の声を聞いたことによって、二人の思想家の論稿をまとめるなかで、論文になった。
この過程で、多くの幻影にこれまで囚われていたことに気が付いた。学会という幻影を克服するなかで、多くの幻影が浮かんでは消えた。労働者であれば、労働組合に入るべきであるという幻影、大学教授は大学行政官であり、行政官として役割を果たすべきであるという幻影に囚われていた。これらの対象として幻影に怒り、そして悲しんでいた。怒るという行為は、幻影に対する拘りである。怒りを向ける対象は、自ら構築した幻影にすぎない。この幻影から解放され、労働組合から脱退し、講座選出に基づく持ち回り的世話人を除いて、大学経営から手を引いた。
この幻影から解放されると、肩の荷が落ちた。まさに、一休宗純の言う悟りかもしれない。やはり、アニメの「一休さん」の主題歌に挿入されている「気にしない」という名言は、ここでも顧慮されるべきである。大学、国立大学もまた、官僚機構の病理をより進展させている。この病理を以前であれば、批判的に考察していたかもしれない。しかし、現在では、この病理を嘲笑しているにすぎない。私にとって疎遠な対象でしかない。
同様な幻影に苦しんでいた人間は、私だけではない。最近、ある知人から紹介された事例もそれと同様なことに思われる。私の周囲には、視覚障害者が多い。ある女性視覚障害者が、同行支援の際、前日から水分を控えていた。水分を意図的に控えることは、肉体的苦痛であった。この女性が同行支援を受ける際、男性支援者にトイレに同行支援を求めることは、恥ずかしいという幻影に基づいていた。彼女は、男性と共に女性専用便所に行くべきではないという幻影に苦しんでいた。これが、幻影であることを別の男性視覚障害者から助言された。幻影から解放された彼女は、同行支援の前日から水を飲み始めた。幻影に囚われていた精神的苦痛から解放された。この幻影は、思い込みあるいは、クリシエ(Das Klischee)という概念かもしれない。
幻影から解放される過程で、私の人間関係一般に関する性癖にも気が付いた。機能的関係を超えた指向を職場同僚、学会構成員、親族等に対して持っていた。これは私の錯誤の始まりを意味していた。もはや、過剰な意味付けは不要であろう。
[1] 中村天風『心を磨く』PHP研究所、2018年、61-64頁、340頁参照。森本暢『実録 中村天風先生 人生を語る』南雲堂フェニックス、2004年、201頁参照。
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