都市生活者の貧困ーー実家の犬の死、そして中島正の死
六匹の飼い犬の死亡と、都市生活者の貧困
実家で犬を飼っていた。私が早稲田大学進学のために上京した年から、捨て犬を拾ってきた。ほぼ40年の歴史がある。初代の犬は、ほぼ人間と同じような生活をしていた。土間ではなく、両親の寝室の傍に布団を敷いて寝ていた。両親もまだ、50歳にもなっていなかった。私の名前、伊知朗(イチロ)と発音が同じようなチロと名付けられた。晩飯のときも、父親のそばにいて、彼の嫌いな肉等のおこぼれをいただいていた。食後のデザート、特に甘い煎餅は彼女の大好物であった。彼女は、私が上京していなくなった家族空間において位置していた。彼女は、自分を人間の一員と思っていたようである。雄犬が来ても、ほとんど無視していた。喧嘩は弱かったが、可愛いかった。優雅な毛を誇り、華奢(かしゃ)という今では聞きなれない言葉が当てはまっていた。
彼女の墓は私が作った。親戚の葬儀に帰郷したことはなかったが、この犬の葬儀のためだけに東京から帰ってきた。親族の持山に墓を作り、遠くの河原から石を拾い、墓石代わりにした。墓石を積んで、山の急斜面を数往復した。私もまだ、35歳であり、若かった。その墓も30年以上が経過した今、どのようになっているかは、定かではない。北海道に赴任して20年になろうとしている。その間、ほとんど犬の墓参りから無縁であった。それ以降、40数年間、ほぼ途切れなく、両親は捨て犬を拾ってきた。すべて雑種であり、血統書などなかった。そして、その世話をした。二匹の犬が同時にいたことも珍しいことではなかった。母親は、献身的にその最後まで看取った。
二代目のレオは、手塚治の漫画に由来していた。その名前のとおり、聡明な犬であった。しかし、事情があり、母方の祖母の家に養子に遣られた。祖母の家はかなりの過疎地にありあり、当時、野犬の集団が我が物顔で徘徊していた。この集団と闘争した挙句、死んでしまったようである。遺体はなかった。彼が最初に死んだ。
三代目のチビは、チロが散歩に行く空き地に捨てられたいた。雌犬であったが、喧嘩は強かった。ブルドックと喧嘩して血まみれになって帰ってきたことがあった。彼女は、喧嘩に勝利して意気軒昂であった。当然のことながら、報酬を受け取るのではなく、家族から叱られ、意気消沈した。
勇猛無比な三代目が華奢な初代と本気で喧嘩をすれば、三代目が勝つことは自明であった。しかし、三代目のチビは、初代のチロには遠慮していた。三代目のチビは土間に寝起きしていた。チロは自己を人間とみなしていた。犬風情が居室に上がることを嫌っていた。それでも、チビは足だけは、人間の居室にかけていた。人間の居室は初代よって占領されていた。初代が威嚇すると、足を引っ込めた。チロの注意が逸れると、また、足だけを居室にかけていた。その繰り返しであった。
三代目を拾ってきた1982年ころ、大学院に進学した。三代目とは、私が大学院時代と重なっていた。金はないが、暇があった。帰郷した折に、散歩に連れていくのは、私の役目であった。歴代の飼い犬のうち、彼女が一番、私と過ごした時間が長かった。散歩に連れていくと、走り回り、なかなか帰ろうとしなかった。四国の夏は夕方でも、30度を超えていた。私はかなり怒ったが、彼女は私を無視して走りまわっていた。その光景を今でも記憶している。それでも、数回名前を呼ばれると、悪戯を照れるように、尻尾を振りながら家路についた。散歩の後の食事が楽しみであった。食べる前には、一度だけ御手をするように躾けられていた。若かった私は、数回、御手を要求した。怒りもせず、不思議そうにお手を繰り返していた。健気な犬であった。そんなときには、デザートを奮発した。人間と同じように、四国の名物の瓦煎餅等を与えた。元気に食べていた。食べ終わった後でも、私のほうじっと見ていた。欲しい素振りを一切、見せなかった。
四代目はダイスケと名づけられた。猟犬の血が混じているらしく、父方の祖母の足を噛んでしまったようである。そのころ、両親は店舗を構えていたが、よくお客様に吠えていた。仕方なく、母方の祖母に預けられた。番犬としては、優秀であった。
五代目の犬は、コロと名付けらた。人柄ならぬ犬柄がよく、ほとんど吠えなかった。泥棒が来ても、尻尾を振っていたであろう。誰にでも愛想よかった。この雌犬は、体が大きくなり、玄関に鎮座していた。仏様のようにニコニコしていた。通りを歩く人からも愛されていたようであった。
最近、両親が最後に拾ってきた犬、六代目のナナが亡くなった。彼女は、七代目でなかったが、ナナと命名された。発端は父親が後期高齢者になったころ、彼が強引に飼うことを主張した。母親は反対したが、結局飼うことになった。父親の精神の安定には寄与したようである。彼女の命日は、父親の一回忌に遅れること2か月であった。殉死の一種だったかもしれない。父親の強引さがなければ、おそらく保健所送致になっていたであろう。まさに、彼女にとって、父親は命の恩人であった。私は、そのころ北海道に赴任していた。帰郷した折にしか、会えなかった。北海道から内地に帰郷した時の滞在日数は、数日であった。ナナに対してほとんど馴染みはない。しかし、ナナちゃんという名前は、いしいひさいちのマンガの主人公、ののちゃんと似ていることもあり、気に入っていた。ナナちゃんをののちゃんと呼んでも、彼女には違和感はなかったようである。そのころ、『朝日新聞』を講読していたこともあり、毎日、ののちゃんの漫画を見ながら、ナナちゃんのことを思い出すことも多かった。
母親はすでに後期高齢者である。彼女が、もはや犬を飼うこともないであろう。犬は、10年以上生きる。三代目は、18年も生きていた。後期高齢者が10年以上生きることを前提にして、子犬を飼うことはできない。私の家の犬に関する物語も、六代目で終了である。母親は、少なくとも6匹の子犬を保健所つまり屠殺場から救い出した。母親が世話をしなければ、これらの子犬は野犬として処理され、その寿命を全うすることはできなかった。彼らにとって、母親はまさに命の恩人であった。
私は、犬を飼えるような居住形態を採用していない。コンクリートの長屋に住んでいるからだ。落語家、林家彦六師匠の名言を借りれば、マンションに住んでいる都市住民は、長屋の皆様でしかない。マンションの原語は、豪邸を意味しているらしいが、長屋がもっともふさわしい名称である。もちろん、犬を飼うことは禁止されている。私が犬を飼うこともないであろう。生涯、犬猫だけではなく、鶏そして動物を飼うことから無縁であろう。都市に居住することは、そのような欲望を捨てることにもなる。
都市に居住することは貧しい、ということが実感される。貧困であるがゆえに、都市に住む。都市に居住しなければ、生活の糧を得ることはできない。貧乏であるがゆえに、都市において生活している。土地の香りを味わうことはほぼ生涯ないであろう。中島正によれば、大地は生きている。「大地は生きて呼吸している。自然の霊気はその呼吸とともに地中深く地表へと立ち昇る」。[1] 都市住民は、朝靄と混じる大地の生気に触れることもないであろう。コンクリートから、生気を享受することは、不可能であろう。朝取りのトウモロコシを一度だけ食したことがあるが、朝露だけの調味料で美味しくいただいた。その食後感を今でも忘れていていない。本当に美味いものは、山海の珍味ではない。生きたままの植物である。スーパーマーケットで購入する野菜は、死後数日を経過している。
農村に居住し、一度も岐阜の地を離れることのなかった中島正は、この意味で幸福であった。鶏の世話に生涯を捧げていたからだ。生き物が身近にいた。動物だけでない。植物も最高に美味いものを食べていた。それだけでも、幸福であった。鶏を抱いた時のなんとも言えない温かみは、格別のものであったであろう。その思想の原理主義的峻厳性にもかかわらず、彼の人柄の良さは、動物を飼うことに由来しているのかもしれない。そして、朝取りの食物を生涯にわたって享受できた。彼ほど、人間らしい生活を営んでいる都市生活者は、おそらく存在しえないであろう。
[1] 中島正『増補版 自然卵養鶏法』農山漁村文化協会、2001年、43頁。
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