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「いつも一人 浮浪雲から学ぶ人生論(二)」 

「いつも一人 浮浪雲から学ぶ人生論(二)」 

ジョージ秋山『浮浪雲』第19巻、小学館、1982年、168頁。

191982168

©Jyoji Akiyama

 

 浮浪雲はいつも一人である。他者の存在、他者との関係は、労働者、サラリーマンにとって、悩みの種である。労働者の途中退社理由は、ほとんど人間関係の悪化に由来しているであろう。それに対して、浮浪雲は、人間が一人であることを自覚している。すべての事柄、他者との関係、社会総体との関係、国家との関係、歴史総体との関係もまた、自分にとって疎遠である。この世に生まれてくるときも、一人、この世を去るときも、一人。この心境こそが理想である。怒ったところで、対象は変化しない。嘆き悲しんだところで、過去の状況そのものが、この世に存在しない。

 私は60年ほど生きてきた。世界の変動のなかで最大限に衝撃的であったことは、東独の崩壊であり、社会主義という概念の無効化であった。1989年以後、かなり悲しかった。しかし、人為的に国家を形成することが馬鹿げたことである。このような真理が認識された。これ以後、世界政治、世界経済に対して、感情的になることはほとんどない。もっとも、日常的に職場で、家庭で、地域社会で怒ることはある。しかし、後期近代が本格的に始まった時代精神の変容に比較すれば、ほとんど、どうでもよいことである。

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