« 研究者人生の終点と、いしいひさいち、中島正そして中村天風 | トップページ | 自然的人間の活動の目的――中村天風の思想に関する覚書              »

2020年3月13日金曜日における運命の分れ道ーーコロナヴィールス19の蔓延によるドイツの国境封鎖とレストランの閉店――わずか7日の違い――14日の違いで検疫対象者になった

3月14日土曜日以降、ドイツが近隣国家、フランス、オーストリア、スイス、ポーランド等との国境を封鎖した。また、ドイツの公共施設、大学、図書館、アルヒーフ(公文書館)等も閉鎖された。同時に、食堂、レストランも閉鎖された。

 私は、3月7日土曜日まで、ベルリンの図書館で本を閲覧したり、3月6日金曜日までアルヒーフで資料収集をしていた。電車を利用する人の中には、マスクを使用する人も数人いた。その人は、コロナ感染者か、と揶揄されていた。私も、その冗談の輪に入って楽しい思いをした。一般に、感染者はマスクをしなければならないが、非感染者はする必要がない。ドイツの健康保健省大臣もそのように言っているし、WHO世界保健機構もそのように主張している。しかし、政治家はマスクを好んでいる。感染を誘発するために、マスクをつける。

 ところで、もし、コロナ騒動が2週間はやければ、ドイツに入国しても、何もしないままホテルの部屋で過ごす羽目になっていた。ただ、食事はどのようにしたのであろうか。ほとんどのレストランも閉鎖されている。ベルリンの土地勘がない旅行者である私は、途方に暮れていたにちがいない。

 この旅行を計画した時期は、1月14日であった。約2か月前である。1月には、少なくともベルリンでは感染者は0人であった。アルヒーフとの連絡に忙殺され、コロナヴィールスのことなど念頭にはなかった。

 しかし、後から考えれば、時期が数日ずれていれば、今回の旅行目的を達することなく、帰国する羽目に陥っていた。レストランが閉鎖された状態で、どのようにホテルで過ごしていたのであろうか。想像すらできない。

 やはり、13日金曜日という厄日は存在するのであろうか。あるいは、それを避けることが、よかったのかもしれない。運命とは皮肉なものである。

2020年3月28日 追記

 さらに、日本時間3月21日午前0時(ドイツ時間32016時)以降にヨーロッパ諸国を出発した場合、検疫対象になっていた。その場合、帰りに公共交通を使用できなので、14日間、羽田のホテルにとどめ置かれることになった。14日間も、ホテルに監禁とは? どこのホテルであろうか。北海道まで、自家用車で帰れという非常識を要請されていたのかもしれない。政府も、自衛隊宿舎等を開放すべきである。宿舎等への移動も、自衛隊車両に依存すべきであろう。

 

 

 

 

 

 

|

« 研究者人生の終点と、いしいひさいち、中島正そして中村天風 | トップページ | 自然的人間の活動の目的――中村天風の思想に関する覚書              »

近代という時代認識」カテゴリの記事