センター試験の持ち込み私物と、時間の有限性
センター試験の季節が到来した。浪人生を除けば、大半の受験者はこの試験を人生で初めて受験し、二度と受けることはない。18歳の学生にとって、不可避なイニシエーションである。大半の高校生にとって、人生の分岐点としてこの試験が意識されている。少なくとも、前期日程試験、後期日程試験の受験大学は、この試験の結果、変更される。地元で進学するのか、あるいは東京で進学するのかは、高校生にとって人生の変更点になるであろう。
この試験を準備することが、重要である。もちろん、学力を高めることが、最重要であるが、前日の準備としては別の事柄も重要である。持ち込み私物、机の上に置くことができる文房具等は、種類が限定されている。鉛筆、消しゴム、時計等である。しかし、センター試験の規定をみても、その数量は規定されていない。マークシートに記入するだけに鉛筆を使用するが、2~3本で十分であることは明白である。しかし、知人の子供は、12本以上の鉛筆を準備したそうである。しかも、最高度の品質を誇る1本、200円近い鉛筆を数ダースを知人が買ったそうである。
また、ある高校生は、時計を腕時計を含めて、3個の時計を準備したそうである。曰く、時計の電池は、1~2年に一度、無くなる。二つの時計が同時に電池切れになることもあるかもしれない。もちろん、この青年の主張が現実化する可能性は、零ではない。その主張が錯誤しているとは言えない。彼は、3個の時計を準備したそうである。
むしろ、消しゴムを2個準備することのほうがは、合理的であろう。消しゴムを落とすことは、試験中、よくあることである。しかし、消しゴムを10個用意したという話を聞けば、どこか病的な印象を受ける。なぜであろうか。センター試験の時間は、せいぜい数時間でしかない。鉛筆を数十本準備し、時計を3個準備し、消しゴムを10個用意する、この準備は正しいのであろうか。受験生の精神が日常生活の緊張度を高めていることは、仕方ない。しかし、限度がある。我々は、無限の時間を生きているのではない。限定された時間しか、ある事柄にあてることができない。
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