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中村天風の思想と私的適用――2019年7月20日

中村天風の思想と私的適用――2019720

                               田村伊知朗

 

1節 一期一会と老教授との30年振りの再会:2013年七夕の東京再訪

                          

 この夏の思い出である。奇しくも、日時は七夕であった。七夕では織姫と彦星が1年振りに再会するという。物語では、二人の若者は老化しない。しかし、人間であれば、歳をとり、1年前の自分ではない。永遠に若いことはありえない。

2013年の七夕に、東京で学部時代にお世話になった老教授、大学院時代にお世話になった壮年教授、そして学部時代からの友人である少壮教授と会う機会があった。彼らはその独自の人生と学問的途を歩んでいる。当然のことである。とりわけ、30年間一度も会わなかった老教授と会うことができ、感涙の極みであった。もちろん、学会等で挨拶を交わしたり、講演会を聞いたりしたことはこの間にもあった。研究会で特定の学問的主題に関して議論したこともあった、しかし、自宅を訪れ、数時間を二人だけですごすことはなかった。

 この老教授の自宅を訪れたのは、生涯でそもそも二度きりであった。私の学部時代の血気盛んな時と、今回の訪問だけである。30数年前と街の風景も一変していた。住所はそのときと同じであったが、正確な場所を探し出すために小一時間を要した。私が初めて自宅を訪れて不躾なお願いをしたことを、老教授は今でも面白がっていた。赤面の至りであった。

 老教授は30数年前とほぼ同様な研究課題を追求していた。その主題に関して現在の私も、そして過去の私と同一の場所に立っているかのような錯覚に襲われた。しかし、現在の私は、同じ場所をほぼ正反対の視角から眺めている。一方は、近代の揚棄を自己の思想的基盤にしている。他方は、その不可能性を論じている。両者が思想的に交錯することはない。おそらく、老教授もそのことを感じていたに違いない。その後、電話で長く話す機会があり、涙が出そうになった。もはや、学問的立場が異なってしまったからだ。30数年前には、私の思想も萌芽的状況においてしかありえなかった。また、この30年の経験は私の学問的立場を決定的に変化させた。それでも老教授に対する尊敬の念を喪失することはない。そして、壮年教授と少壮教授に対しても。

人生はまさに一期一会である。過去の自分は、現在の自分と同一ではない。

 

2節 未来からではなく、現状からの活力の創生: 20196月初頭の高松再訪

 

すべての行為は現存在にありながらも、未来を志向する。しかし、未来から現代への逆照射という私の若き構想は、破綻している。未来の条件は、現代では構想できない。諸条件が異なっている。未来から見た現代の課題設定は、無意味になるのであろうか。否、現状において最善の選択肢を選ぶ。現代における最適化を目的にする。

すべての行為において、未来から考察された善悪の基準を設定できない。この命題が正しければ、行為の本質と我々は格闘している。行為は、現在から未来へと指向している。その活力は未来の環境世界ではなく、現存する環境世界にある。未来を指向する力の源泉は、現存する自分にある。

現存する環境世界こそが重要であるならば、現存する人間関係も永続しない。また、その関係がより濃厚になったり、より広大になったりすることもない。全人格的結合も夢物語である。機能的結合を支えている機能それ自体がなくなれば、機能的結合もなくなる。全人格的結合の象徴とも言える家族、とりわけ核家族内の関係すら、限定的である。ある特定の関係、金銭的関係、性的関係、教育関係、食事等の家事一般等に限定される。自分の家族構成員ですら、職場でどのような関係を締結しているかも、知る由もない。

 しかし、他者を道具的理性の対象にすべきという主張ではない。万物は現にそうあるような仕方で、現存している。そのような他者を変革しようとも思わない。現にそうある必然性において現存している。他者の関係性は、淡きこと、水の如し、という格言に凝縮されている。

 このような結論を2019年6月06日からの3泊4日の故郷滞在で学んだ。故郷では、私のことを知る人は、家族を除いて誰もいない。小中高すべての母校を訪問した。校舎はすべて鉄筋コンクリート化されていた。半世紀前の木造校舎は消去されていた。教員すら、同期生は、すべて退職年齢を超えている。在職しているはずがない。ドイツにおいて旅行しているような異郷感情を持った。

 

3節 明日そして本日にすること:20196月中旬の高松再訪

                          

 昭和一桁生まれの親族、知人が幽冥界を異にしている。昭和二桁に生まれた我々の世代が、次にその順になろう。明日あるいは近未来に黄泉の国へと旅立つことが確定している、という仮定が、私の意識において真実味を帯びてきた。もちろん、この近未来がいつであるか、確定していない。ちょうど、終末期医療の段階にある自然人、たとえば癌の第4ステージにある人間が、近未来に死ぬことが確定していたとしても、その時が数週間後なのか、数か月なのか、あるいは数年後なのか、確定しないと同様である。

 先週の金曜日に受診した定期健康診断の結果において、すべての項目がA評価であったとしても、近未来に死を迎えることは100%確実である。このような心境に至るようになった。朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり、という心境には未だ至らない。しかし、近未来において確実に死ぬという確証を認識することによって、通勤途上の風景が変わった。とりわけ、今は2019年6月下旬であり、北海道では新緑の季節である。仰ぎ見るニセアカシアの上部に群生する緑から漏れてくる陽の光ほど美しいものはない。木漏れ日の美しさに気が付いた理由は、人生観の転換にあろう。

 明日、幽冥界を異にするのであれば、私は本日何をするのであろうか、という問いが現実味を帯びてきた。その解答は、溌剌と生きたい、という希望にある。中村天風にしたがえば、積極的精神によって生きたい、という信念にある。少なくとも、本日は生きていることが、確実である。溌剌と生きて、寝る前には麒麟麦酒に酔いたい。

地球滅亡の日時が確定したとしても、私は大学において講義をするであろう。そして、論文を修正し、先行する論文を読むであろう。それだけである。但し、それ以外の時間は可能かぎり削除したい。溌剌性を浸食するような思考からは解放されたい。あるいは、それを排除するように生きねばならない。自分が意図した行為に集中する。朝に道を聞かず、夕べに死すとも、自分によって企図された行為を粛々と、そして溌剌と実行するだけである。

 

自己の行為に関する覚書

講義の意義は、草稿に基づく発話と、講義草稿の修正にある。今までは前者に偏りすぎていた。後者を排除してはならない。

講義において90分間、しゃべり続けねばならない。講義草稿に基づき、話続けるであろう。それだけの気力と体力はある。今までは講義中には、草稿の修正を殴り書きでしていた。今日からは前頁の裏の白い頁に、万年筆できれいに、ゆっくり書こうとしていた。心境を集中すると講義時間において余裕が生まれた。おそらく、聴講者にも生まれたのであろう。

5時限目の講義を終えれば、20分後のバスに乗車し、帰宅するであろう。そのためには、講義が始まる前に、部屋の片づけ、PCにおける日常業務、塵捨て等を完了していなければならない。今までは、講義終了後、これらの事柄に従事していたので、50分後のバスに乗車するしかなかった。

そして、帰宅後は夕飯に舌鼓を打つであろう。そして、本日、政治学概論の講義草稿(議会制度)を修正した。また、環境保護に関する論文を修正した。そして、次は、ドイツから持ち帰ったドイツ語論文の複写物を読み、読書ノートを作成しなければならない。

このような修正を具体例としてここでも記述しておきたい。

 

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