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自然的人間の活動の目的――中村天風の思想に関する覚書             

自然的人間の活動の目的――中村天風の思想に関する覚書             20190515,0502,0504.0509,0610

(本稿は未定稿である。標記に関して、備忘録的色彩を持ち、学界の定型に従っていない)。

 

  1. 中村天風の哲学との偶然的出会い

中村天風(1876~1968年)の哲学は、日露戦争前後から形成されていたことを考えると、ほぼ100年の歴史を有している。日本には哲学に関する大学教授は、この100年間に、数万人、あるいは数十万人いたからもしれない。彼らによって出版された哲学書あるいは哲学に関する研究書は、数万冊に至るかもしれない。しかし、現在でも読書界において確固の地位を保っている書物は、少ない。この1世紀に渡る時間のなかで、日本人だけが彼の信奉者でもなかった。著名な外国人、たとえばロックフェラー3世も彼の思想にふれる機会を持った。[1] 多くの人間が彼の人格そしてその思想にふれたことは、偶然であれ、幸福であったであろう。

 彼の哲学は、多くの人の病気、煩悶、貧乏等の悩みを解消した。その実用的価値からも、彼の哲学が現在でも影響を与え続けている。彼の哲学が人口に膾炙した根拠の一つは、日常的生活において実行可能な提言である。たんに、ハイデガーのように本来的自己を提示することは、容易である。しかし、どのようにして市井の個人がそれに到達できるのか不明である。それ以前に、ハイデガーの難解な書物を購入しなければならない。それ読むだけで数十年の年月がかかる。

 中村天風は、それに至る一つの途として、日常生活において積極的言葉を使用するという誰でも実行できそうな提言をしている。もちろん、厳密に考えれば、かなり困難であるが、肩の荷が少し軽くなった悩める人間は数多いであろう。

 積極的言葉をより使用し、そして私の実行方法ではできる限り元気で、かつ快濶に、はっきりと発音することが肝要であろう。これだけでも、肩凝りの症状が軽くなった人は数多いであろう。

 あるいは、他人の悪口を言わない、できる限り他人の良い点を褒める、ということも実行しようと思う。他人の悪口は、自分の心の清浄性を冒し、自分自身を貶めることにつながるであろう。自分の心の汚濁は、疾病の素であろう。

 

  1. 人間的自然と宇宙

1.1 闇の夜に鳴かぬ烏の声

「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば、生まれぬ先の親ぞ恋しき」という有名な詩歌は、一休宗純(1394~1481年)によって作成された、とみなされている。[2] この解釈は古来より多々あるであろう。しかし、以下のように解釈したい。私という一回かぎりの生を現生に送り出したもの、闇の奥にあるものが存在しており、その声が聞こえるはずだ。私もたまに、聞こえるような気もするが、どうであろう。少なくとも、その声を聞こうとしている。

鳴かぬ烏の声とは何か。私という人格を送り出し根源的なものとはなにか。私に何を託そうとしているのか。宇宙が進化するか、否かはわからないが、何かをするためにここにいることは、間違いないであろう。その何か、に関して、おもうことはある。人間あるいは人類の歴史に関して、どのような寄与ができるのであろうか。

 

1.2  中村天風の宇宙観とプランク定数h

この問題に解答するために、中村天風の宇宙観に言及してみよう。彼の世界観によれば、「人間は宇宙の進化と向上に順応するために生まれてきた」。[3] そして、「この宇宙の創造を司る造物主と称する宇宙霊」[4] こそが、人間を創造した。しかし、この宇宙は進化するのであろうか。この点に関して中村天風は曖昧である。宇宙が根源的で絶対的であれば、進化も向上もする必要はないからである。現象界に送り出された人間は、宇宙に寄与することは何もない。

 しかし、次のように考えることによって、中村天風はこの難問に回答を与えている。中村は、宇宙霊を生命体とみなしている。「宇宙霊は、休むことなく働いている。創造に瞬時の休みもなくいそしんでいる活動体である。だからこそ、この宇宙はつねに更新し、常に進化し、向上しつつあるのである」。[5] 中村天風によれば、生命体つまり有機体として宇宙霊こそが、宇宙エネルギー総体である。この中村天風によって把握され、命名された宇宙霊が、人間的個人の周りを包んでいる。[6] 「宇宙霊なるものこそは、万物の一切をよりよく作り更える」[7]  宇宙霊は、現象界を改善する方向へと変化させる。人間がその用意をした場合、「造物主(宇宙霊)の無限の力が自然に自己の生命の中へ、無条件に同化力を増加してくる」。[8] 現象界において人間は、この無限に受容できる。

この思想は次のように要約される。「宇宙の最初は、ただ宇宙霊のみであった」。[9] ここまでは、私にも理解できる。しかし、なぜ宇宙霊は絶対的ではなく、進化あるいは変動するのか。この点が理解困難であった。

 しかし、中村天風は宇宙霊を固定的に考察するのではなく、エネルギーと周波数の関係つまり超極微粒子のブランク定数hとみなしている。「万物能造の宇宙エネルギーは、この空間と俗に人々から呼称せられているものの中に、遍満している『絶対に人類の発明した顕微鏡は、分光器では、何としても分別感覚することの不可能な・・・見えざる光であるところの超極微粒子』だと論定している。しこうして、この『超極微粒子』を、今から半世紀以前にドイツのプランク博士が、これをプランク常数Hと名付けた。このプランク常数Hなるものこそ、ヨガ哲学者のいう宇宙霊なのである」。[10] プランク(Planck, Max 1858~1947年)

によって発見されたプランク定数hは作用量子(Wirkungsquantum)であり、つねに活動している。これは、この光子のエネルギーと周波数の関係であり、固定的なものではなく、常に流動している。共鳴子の振動は、その振幅と位相を変化交替させる。

但し、この流動性は以下のような作用量子に関する中村天風の解釈に基づいている。「宇宙現象の根源をなすところの『気』というものは、(+)の『気』と(-)の『気』の二種類に分別される。そして、プラス=+の『気』は、建設能造の働きを行い、マイナス=-の『気』は、消滅崩壊の働きを行って、生々化々の現実化のため、常に新陳代謝の妙智を具顕しているのである」。[11] この中村天風の言説がプランク定数hにおけるどのような要素と関連しているのか、不明である。

 通常の宗教学によれば、宇宙霊とは唯一絶対神であり、固定的に思惟されている。たとえば、ユダヤ教あるいはキリスト教における唯一絶対神が、流動的であるはずがない。この常識に囚われていた私は、宇宙霊を固定的に考察していた。それが、まちがいのもとであった。

 もちろん、宇宙が進歩しているかどうかに関して異論はある。宇宙には進歩という概念がないという宇宙観もまた、真理である。数千年における人間の歴史という尺度において、果たして宇宙には進歩がないかもしれない。「循環=繰り返しには『進歩』がない。・・・田舎(農業)は、この大自然の『永遠の循環』『進歩なき繰り返し』と共にあるべきものである」。[12] 中島正はこのような東洋的宇宙観に基づき、その思想を形成している。中村天風の宇宙観は、中島正の宇宙観から区別されている。しかし、どちらの宇宙観が正統であるかは、時間的尺度の差異に基づき決定される。

 

1.3 宇宙霊と自然的人間

この認識に間違いがなければ、これからは一瀉千里である。[13] 「わが生命は宇宙霊の生命と通じている。宇宙霊の生命は無限である」。[14] 宇宙霊と人間の精神が同一化される状況へと自己の精神を方向づけるだけである。「人間は、恒に宇宙原則に即応して、この世の中の進化と向上とを現実化するという、厳粛な使命をもってこの世に生まれて来た」。[15] 宇宙の進化と感応する人間的精神の目的が、明瞭に述べられている。ここからは、心を積極的にするための方法論の実践だけである。たとえば、怒り、怖れ、悲嘆ではなく、感謝と歓喜の感情に満ちた生活をおくることが重要である。「宇宙の神霊は、人間の感謝と歓喜という感情で、その通路を開かれる」。[16] 宇宙霊と個人の精神が合体することによって、積極的感情に満ちることによって、個人の運命も積極化する。以下では、そのための具体的方法を列挙してみよう。この具体的実行例は、多くの信奉者が日々配慮しているであろう事柄に属している。

 

2.理想的人間像への精進と、積極的言葉の使用

 中村天風の偉大さは、この理想的人間像の形成への道筋をしめしていることにある。本稿が彼の思想に言及する根拠も、そして世人が彼の思想に傾倒する理由もまた、この点にあろう。この実践的方法論をここで再録してみよう。私の生きる道標にとっても、価値があるからだ。

 誰でも、無意識に使用している口癖がある。それを対象化する。使用している言語、とりわけ無意識に使用している言葉を意識化することが、中村天風の思想を理解するために必要である。「言語は自己感化に直接的な力を持っている」。[17] 言語活動が自己の心を影響づけるからだ。自己によって発話された言語が、自己の心境を影響づける。口癖は意識化されていない証拠である。厳に慎むべきであろう。

それは、山岸巳代蔵の主張にもある。「いつでも快適な状態、これが真の人間の姿だ」。[18] ここでも消極的ではなく、積極的な人生が真の人生であるとされている。「大変なことが起きたようなことでも、大変なこととは思わない」。[19] 積極的なこと、やるべきことが見つかれば、大変なことも大変でなくなる。

 

2.1 助けを求めない。

まず、運命の主人公になるためには、悲鳴を上げないことが重要である。「悲鳴を上げないことを第一に自分に約束しなさい」。[20] 悲鳴を上げたとこで、誰も助けてくれない。口癖として、助けを求める言葉を発していた。たとえば、「助けて、皆」という言葉を発していた。しかし、そもそも皆とは誰であろうか。この言葉を聞いている人は、自分でしかない。自分の人生を自分で決定するしかない。

共同体たとえば、『じゃりんこチエ』において描かれているような共同体を私は理想としてした。この無意識に設定した前提は、間違っている。誰も自分の現状に関心がない。この漫画における鉄は、つねに両親、子供、地域社会の人々からし慕われている。このような人間が自分、田村伊知朗とあると錯覚していた。私は、鉄ことテッチャンには、なれない。ありえない。そこから過剰な期待を他者、たとえば地域社会の人々、あるいは会社の同僚に期待していた。彼らは、限定された時間、限定された空間そして限定された目的において私と関係しているにすぎない。家族ですら、その限定性から逃れられない。この条件下でしか、他者と私は関係を構築できない。この関係を超えた関係を突然築くことはできない。

もっとも、これ以上書くと、消極的思考に陥る。いずれにしろ、助けを求めず、自分のことを自分でする。助けを求めるような口癖をやめよう。心に隙ができよう。自分の関係のないことには、関与しない。宇宙から与えられた自分の使命を、つねに再認識してゆく。自然的人間はつねにこれを忘れがちである。中村天風から学んだことである。

 

2.2  不平、不満を言わない

 人間は、自らの現状に不満を持っているが、中村天風は自らの運命を悲嘆することを戒めている。「不平不満を言わないようにしろ」。[21] 宇宙霊がこのような現状に自然的人間を置いている。それは、自らが播いた種でもある。不平不満を言ったから、現状が変革されるわけではない。また、心が汚れる。現状においてできるかぎりの精力を使用することが重要である。さらに、この心境に至れば、現時点での状況配置をより冷静に考察することができる。

目的を定めず、現状においてできるかぎりのことをする。「心に従いながら、がむしゃらにファイトを燃やして行く」。[22] 自己の現状に不満を言うのではなく、現状においてできるかぎりのことをする。

 現前の課題を心から信じているかぎり、それに邁進するしかない。「結局、当たって砕けろです」。[23] 現存する課題だけに集中する。

 

2.3  とらわれからぬける

 とらわれ、こだわり、心配、取り越し苦労に、多くの自然的人間はとらわれている。そこに拘るかぎり、心配事を尽きない。中村天風はそこから脱却するためには、別の思考様式を考察している。そこに意識を集中するかぎり、そこからの脱却はできない。むしろ、現在の課題、現前の課題に集中することを提起している。「心を打ちこんで何事かをする習慣をつけると、今までとらわれていたはずのものが、向うから出ていってしまう」。[24] 有限な自然人が過去の状況、未来の状況を考慮しても、無意味である。時間は現在においてしか存在していない。

 

2.4  自分のことを自分でする

 中村天風は、夜具の上げ下ろしを自分でしている。私もそれを実践している。自分のことを自分でするようになってよかったことは、その習慣化した作業工程、たとえば夜具の上げ下ろしの過程において、本日の課題を再認識してゆく。この意義は大きい。「寝具は・・・自身たたむ」。[25] 寝具をたたむことは、「自己統御」の原初的行為である。

 

2.5 睡眠における活力の受容

 中村天風は、睡眠を宇宙のエネルギーを受容する過程とみなしている。「睡眠というものを科学的に結論すると、自然の力と人間の生命を交流結合する時だとえいえる」。[26] 睡眠によって人間は活力を取り戻し、宇宙からヴリルを受容する。心身の積極性の根源は、睡眠にある。

 

3.  人間の活動とその目的

3.1 人間的活動とその基礎づけ

現代人の多くは、職業に従事している。この職業を賃労働という狭義の意味ではなく、社会的活動あるいは人間的活動とみなしてみよう。

現代人が奴隷でないかぎり、この人間的活動に対してなんらかの意義づけをしている。以下の文書は、私の政治思想史講義資料からの抜粋である。「中世において世俗的職業に従事することは、神との関係において職業的聖職者の生活を支えるという点が主であった。聖職者の特権が廃止された結果、天職は聖職者だけではなく、すべての職業に適合する。世俗的職業に従事することが、神に仕えることと同義になる。たとえば、靴職人が靴を作ることが、神に奉仕することである」。[27] ヴェーバーの有名な『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を敷衍することによって、ルターのプロテスタンティズムと社会関係の近代的意味を基礎づけている。

政治思想史におけるルターの思想に関する意義づけを離れて一般的に考察してみよう。もし、世俗的活動が宗教的に基礎づけられるならば、この世俗人は幸せである。世俗人の活動、たとえば靴職人が靴を作ることの目的は、生存のための費用を獲得するだけではない。この世俗人は神に対する奉仕活動して、その活動、職業に精励することができる。生計維持のための手段、つまり金銭の獲得以外の要素を人間的活動に見出せるなら、豊かな充実感を得られるであろう。神あるいは宇宙と一体になっているという感情がこの世俗人にあるならば、彼が活動している時間と空間において、積極的な精神しか入る余地はないであろう。中村天風の積極的活動に関する意義づけも、このような解釈に基づくのかもしれない。

 

[1] 中村天風『幸福なる人生』PHP研究所、2011年、118頁:中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、253頁参照。

[2] 「一休宗純」『ウィキペディア』In: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%BC%91%E5%AE%97%E7%B4%94.

[Datum: 10.02.2019]; 東映アニメーション編「鳴かぬ烏と仏さま」『一休さん 第42話』In:

https://www.youtube.com/watch?v=KNTK2x5lRXk.

[Datum: 10.02.2019]

[3] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、87頁。

[4] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、87頁。

[5] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、83頁。

[6] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、67頁参照。

[7] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、90頁。

[8] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、137頁。

[9] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、80頁。

[10] 中村天風『叡智のひびき』講談社、1995年、71頁。

[11] 中村天風『真人生の探究』天風会、1994年、171頁。

[12] 中島正『都市を滅ぼせ 人類を救う最後の選択』舞字社、1994年、49頁。

[13] 中村天風は、『叡智のひびき』においてプランク定数hに実在するエネルギー源泉としてヴリル(Vril)という概念を用いている。この概念がプランクの作用量子論におけるどの概念に該当するのかは、不明である。別の論稿においてこの概念は宇宙ではなく、その現象界における人間的自然の活力として考察されている。中村天風『叡智のひびき』講談社、72頁参照; 中村天風『真人生の探究』天風会、1994年、195頁。

[14] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、146頁。

[15] 中村天風『真人生の探究』天風会、1994年、42頁。

[16] 中村天風『運命を拓く』講談社、1998年、172頁。

[17] 中村天風『幸福なる人生』PHP研究所、2011年、140頁。

[18] 山岸巳代蔵「無数の愛人と共に/愉快の幾千万倍の気持ち」山岸巳代蔵全集刊行委員会編『山岸巳代蔵全集』第2巻、2004年、302頁。

[19] 山岸巳代蔵「本当の人間 当然の人生」山岸巳代蔵全集刊行委員会編『山岸巳代蔵全集』第2巻、2004年、304頁。

[20] 中村天風『幸福なる人生』PHP研究所、2011年、140頁。

[21] 中村天風『幸福なる人生』PHP研究所、2011年、141頁。

[22] 中村天風『幸福なる人生』PHP研究所、2011年、156頁。

[23] 中村天風『幸福なる人生』PHP研究所、2011年、169頁。

[24] 中村天風『幸福なる人生』PHP研究所、2011年、237頁。

[25] 中村天風『真人生の探究』天風会、1994年、237頁。

[26] 中村天風『真人生の探究』天風会、1994年、129頁。

[27] 田村伊知朗『政治思想史講義』(未公刊)第二章「ルターの宗教改革の政治思想的意義」参照。

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