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細分化される知に対する反攻ーー市民的公共性の再獲得

 秋は学会の季節である。しかし、学会報告に対して議論が生じることは、ほとんどない。通常、一つの報告時間が30分であり、質疑応答の時間は、それを越えることはない(通常、5-10分程度)。学会の本大会における発表は、その多くがそれ以前の小さな研究会等で公表されているからであろう。しかし、それでは、より専門家の集まる小さな研究会での発表でことは済んでいるのであり、改めて発表するまでもない。多くの学会員は、拍手で応えるのみである。

 

 さらに、問題は学会発表だけの問題ではない。すべての会議、公共的空間において、事前に発表者が詳細な報告書を作成し、参加者はそれに拍手で応えるか、あるいは反対するしかできない。そもそも、発表者の時間がその多くを占め、質疑応答の時間はほとんどとられていない。おそらく、この問題は、官僚が報告書を作成する審議会等でも起きているのであろう。審議会の委員、とりわけ学識経験者は、官僚によって作成された資料の字句を修正することだけにとどまっており、持論を展開する時間は与えられていないのであろう。報告書類の前提そのものに関する議論は、想定されていない。また、事前準備資料を根底から覆すような議論をもしすれば、その委員は今度からそもそも任命されないであろう。煙たがられるか、奇妙な意見を保持しているというレッテルを貼られてお仕舞であろう。

 

 しかし、それでは議論、とりわけ公共的空間における議論にはならないであろう。すべての案件を拍手で以って応えた旧社会主義国家の会議と同じ水準である。この意味において、我々は金王朝支配下の市民と同じ議論形式しか持ちえていない。もちろん、社会主義的ではなく、資本主義的であるという違いを持っているが・・・・。金王朝の市民も大変であるが、我々もそれを嘲笑して済ませるわけではない。金王朝と同じように拍手で以って、報告者あるいは官僚の意見を、拍手で以って応えているだけである。反面教師にしたいものであるが、精神構造が「金さん一家」と同様であるかぎり、それも無理であろう。

 

 この問題は、学問に従事する者、学者の精神構造が公共性に対する貢献を無視していることにある。官僚は自らの仕事領域を極限までに細分化する。組織が巨大化すればするほど、この傾向は強化される。細分化の強化によって、組織自体も強化される。

 この傾向は、後期近代の人間関係すべてにおいて適合している。機能主義的原理がすべての人間関係に適応される。

学者の仕事も、細分化されている。たとえば、マルクスの共産主義論という論文すら、社会思想史学会では受理されないであろう。『資本論』○○章××節の文言の解釈に関する論文が高い評価を受ける。しかし、それでもって、共産主義という未来社会の概略すらわからない。この潮流に掉さすためには、百科事典の記事を原稿用紙50枚から100枚にまとめる論稿が欲しい。今、それを構想している。

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