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公共性の変革ーー19世紀の国家から20世紀の都市構造の変革、公共交通の変革

  1. 二つの異なる研究対象

現在、19世紀中葉のドイツ政治思想史とりわけヘーゲル左派の政治思想と、20世紀後半のドイツ都市交通思想史とりわけ路面電車ルネサンスに関する研究に従事している。この二つの研究対象は、近代の揚棄という観点から対照的である。前者が近代の揚棄の可能性を前面に出しているが、後者はその不可能性を前提にしている。後者は時代そのものの変革ではなく、限定された都市における公共交通の可能性を志向している。国家より狭く、市民意識にとって可視的な都市という空間における公共性を転換しようとしている。

 この二つの研究対象に共通していることは、公共性の存在形式を現状とは異なる形式において構想している点にある。ブルジョワジー的な個人的自由が、19世紀中葉において進展していた。ヘーゲル左派は、ブルジョワジーに統御された国家的共同性に対抗する形式において別の近代つまり近代の揚棄を構想していた。20世紀後半の交通思想も、動力化された個人交通の進展という潮流に対抗する都市内の公共交通の存在形式、つまり路面電車ルネサンスを意義づけようとしている。

 現在、私はこの二つの研究を同時に実施しようとしている。それぞれ、数年以内に単行本としてまとめるつもりである。

 

  1. 19世紀のヘーゲル左派に関する研究

現在、私が従事している研究課題、純粋批判の哲学は、ブルーノ・バウアー(Bruno Bauer 1809-1882)研究史そしてヘーゲル左派研究史において、それ以前の彼の哲学、自己意識の哲学と比較してほとんど看過されてきた。1843年以前におけるバウアーの自己意識の哲学こそは、ヘーゲル左派における近代の揚棄の典型的思想形式であった。マルクス、エンゲルスそしてヘーゲル左派総体に影響を与えた思考様式であった。バウアーはこの近代の揚棄に関する思考様式――これまでの自己の思想的基礎であった――を1844年に根底的に批判し、自己意識の哲学から純粋批判の哲学へと移行した。近代の揚棄が不可能になった根拠は、大衆社会の到来が予見されていたからである。大衆社会において個人的利益が指向され、公共性への志向は減少する。時代精神の変革という課題は、大衆にとって疎遠であった。

このような純粋批判の哲学をたんにバウアーが残した文献だけではなく、所謂バウアー派のヘーゲル左派の諸思想家の哲学というコンテキストにおいて定位しようとしている。この研究目的を成就するためには、伝記的事実すらほとんど解明されていない思想家を研究しなければならない。ヘルマン・イエリネック、テオドール・オーピッツ、そして19世紀の教育学者、カール・シュミット(1819-1864)等の同時代の思想家の伝記的事実を含めた思想が解明されねばならない。純粋批判の哲学の同時代的受容の内容がより精密になるであろう。彼らの伝記、そして純粋批判の受容に関する研究は、本邦そしてドイツにおいてもほとんど解明されていない。

 

  1. 20世紀の公共交通に関する研究

 大衆社会は19世紀中葉から20世紀後半にかけてより進展した。もはや、社会総体の改革という思想は、その基盤を喪失した。社会総体ではなく、より限定された空間、つまり都市、地域社会の問題がより現実性を獲得した。国家の変革ではなく、都市の変革が後期近代の市民意識において形態化された。

19世紀と同様に20世紀後半においても、大衆化つまり個人の利益への志向性は衰えたわけではない。都市構造を規定している主要な構成要素である都市交通も、動力化された個人交通へと一元化されようとしていた。しかし、個人交通への一元化は都市中心街の機能と都市環境の限界を超えつつあった。交通の個人化への限界を阻止するために、路面電車ルネサンスが1980~90年代のドイツにおいて発生した。もちろん限定された都市だけであったが、個人的快適性ではなく、公共的利益を志向した現象が発生した。公共性に関する市民意識が、この時期に変容した。

 都市構造の変容に関する実証的研究と同時に、路面電車ルネサンスの意義を後期近代における公共性の転換として考察する。

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