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「二十歳の魂、百まで」 ーー還暦の優秀な官僚達と還暦のしょぼい地底国教授

「二十歳の魂、百まで」

  国家公務員が地方公務員になっている。この現象は天下りかもしれない。その天下りで最高の地位は、都道府県知事である。地方公務員の至高の地位である。知事は、選挙というフィルターを経ているが、意識としては天下りである。少なくとも、地方政界と財界の推薦を受けて、知事に立候補している。
  戦前の官選知事とほぼ同じような意識を持っているはずである。ただ、戦前と異なり、出身官庁は旧自治省(現総務省)に限定されていない。旧通産省(現経済産業省)、旧大蔵省(現財務省)等と多岐にわたる。出身省庁ごとに政策に対する強度は異なっているが、出身官庁に対する同族あるいは同窓意識は強い。官僚は、大学の成績、入省年次、入省成績に関する自負を持っている。おそらく、その意識は、官僚機構内部にいた人間しかわからないであろう。東大、早大という官僚機構にいる教授陣にも、その意識は強烈であろう。もっとも難関なゼミにはいり、大学院を首席で卒業したという意識は、還暦を迎えた今でも強烈である。

  高級官僚の意識において、10歳代前半から20歳代前半の経歴が、人生を決定している。彼らは高校時代を含め、若いころ刻苦勉励した。これは一部の天才を除いて、間違いないであろう。この意識は、間違っていないような気がする。多くの人間もまた、20歳前後に考えていた人生を40年経過した今も、歩んでいるような気がする。

  ここまでは、官僚に対する一般的事象である。高級官僚ならびに東大教授たちの還暦と比較しながら、地方底辺国立大学の教授の還暦という事態を客観的にみてみよう。ある地方国立大学教授は、官僚達のサークルの外側にいた。地底国つまり地方底辺国立大学という微妙な立場に、彼は位置している。戦後改革はいくつかの職場をかなり変わり者に提供している。大宅壮一によって命名された駅弁大学の後期近代における別名である。
  この老教授は、10歳代前半から20歳代前半の経歴において、若干彼らと交錯する時間を持っていた。たまたま、法学部にいた関係で、彼らと同席する機会をもっていた。同じテーブルを囲んでいても、彼らとは異なることを考えていた。話題の設定自体が異なっていた。40年前はよく喧嘩を売っていたようである。今は、テーブルから離れ、喫煙室に直行しているようである。
  そして、還暦を過ぎた今も、彼らからすれば頓珍漢なことをこの教授は考えている。彼らからすれば、このしょぼい教授は馬鹿であろう。彼を馬鹿にする思考様式は、40年前と同じかもしれない。三つ子の魂、百までという故事にならえば、二十歳の魂、百までであろう。40年前に同席していたこの老教授も後悔することもあるが、それも必然かもしれない。彼らの年金と比べれば、雲泥の差がある。年金定期便を見て、愕然としていた。それでも、40年前にすでに、彼らとは異なったことをこの老教授は考えていた。年金の些少性を嘆くことも、40年前に想定されていた。

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