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ベルリン旅行者(七)ーー自己の状況の確認ーー職場、博士論文

  20170807、20181107

 外国に滞在すると、かなりの日常意識から解放される。拘束されていた日常意識を、対自化することも可能であり、そうなる場合もおおい。とりわけ、職場からの解放はおおきい。サラリーマン、労働者は、有能であればあるほど、会社の理不尽な命令とりわけ道徳的、法律的不法を行使しなければならない。自らの欲望を犠牲にすることもままあるであろう。家族の行事と職場の命令を天秤にかければ、後者の方が重いであろう。
  
  私も、そのような環境にいた。しかし、自分の研究を犠牲にしてまでも、所属組織に義理を感じる必要はないであろう。私は、自分の研究を市民公開講座として開放してる。もちろん、新聞社等にも連絡している。それだけでも、かなり貢献している。もっとも、その報酬はまったくない。新聞社に媚をうっていると、あからさまに批判されたこともある。とくに、読売新聞社の専務と仕事をしているとき、次のように言われた。「俺は、朝日新聞と赤旗しか読まない」と。もちろん、私が問題したことは、どの新聞社でもよい。職場の名前がでれば、少なくとも所属企業にとってはよいことである。宣伝効果を考えたことはない御仁の発言であろう。読売新聞のすべての編集方針が正しいとはおもわない。しかし、名前が出る効果は考えるべきであろう。

このような大学に忠誠心がだんだんと無くなってきた。2014年開校した新学科に対して、並々ならぬ時間と精力を使った。しかし、その報酬は無であった。深夜まで労働させられた。にもかかわらず、残業代すらなかった。昇給もなかった。だんだん、自分の研究を犠牲にしてまで、奉仕するという精神は減少した。いま、趣味として路面電車の研究に従事している。老後の趣味として、設定したが、かなりの研究時間と研究費を費やしている。それも、趣味の領域に戻そう。しかし、本にまとめねばならない。


  このような認識に至る条件として、職場あるいは日常的人間関係から断絶されていることとならんで、持ちものが少ないことが挙げられる。持ち物は、20キロに制限されたトランク一個だけである。かつての高僧が誇っていた起きて半畳、寝て一畳よりも少ない。もちろん、ホテルという空間を占有しているが、自分のものという意識は少ない。トランク一個に、数週間分の衣料品と文具が入っているだけである。自己の所有物という意識から解放されている。すべての空間は、そのとき占有しているだけである。しかも、生活は規則的である。朝食料金を支払っているので、朝飯を8時ごろ摂取する。昼食は大学か図書館の学生用食堂で済ませる。非常に安価である。しかも、すぐ食べることができる。夕方には簡単な弁当のようなものを購入して帰る。したがって、12時以降に就寝時間がずれ込むことはない。11時ころから、就寝の準備を始めるという極めて健康的な生活をおくる。食事の準備、掃除等の用務から解放されている。自省する時間が増える。
  


201708010

 自己の状況の課題を発見することは、海外旅行の目的の一つである。最近、気が付いたというよりも、忘却していたと言ったほうがよいであろう。教授資格論文を執筆していない。どうするのか。論文はまだ、執筆していない。もし、交通論で書くのであれば、ハレ新市で書くのが筋かもしれない。その場合でも、「文献目録」が必要である。文献目録を整備しなけばならない。研究史も整備しなければならない。その前に、ドイツ語で論文を書きたい。ベルリンかハレの路面電車を素材にするしかないであろう。

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