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中島正論 序説1――近代の自己意識に対する叛乱――いしいひさいち百姓論を媒介にして

中島正論 序説1――近代の自己意識に対する叛乱――いしいひさいち百姓論を媒介にして 

いしいひさいちが、日本を代表する漫画家であり、第一級の知識人であることはほぼ異論がないであろう。彼が偉大であることの根拠は、現代日本あるいは後期近代の事象を4コマ漫画という世界において抽出していることにある。現代社会の一側面が、わずか1頁の4コマにおいて切り取られている。このような栄光は、社会科学に従事しているものにとって羨望の的である。おそらく、一瞬の閃きにおいて彼は、現代社会を抽出する。多くの研究者は、1年をかけて1本の論文を執筆する。いしいと同じことを述べるために、数年を要する場合もある。日々、外国語文献と格闘し、論文の準備をしなければならない。それだけの労力を払ったとしても、いしいほどの読者を獲得することはない。同じ領域の研究者から賞賛を受けるだけであり、社会的影響力を行使することはないであろう。
  さて、この物語の主人公、甚太君は、小学校のある町の中心街から30キロほど離れた山村に住んでいる。毎日、30キロほどの道のりを4~5時間かけて通学している。往復8~10時間ほどかかる。通常ならば、街の中心街に下宿するという選択肢が採用されるが、様々な事情で通学を余儀なくされたのであろう。往復に10時間前後を要するということは、体力的観点だけではなく、時間使用的観点からも、ほとんど不可能である。その結果、彼は登校することを諦め、「ただの百姓」になった。
  「ただの百姓」という概念は、近代社会において肯定的に使用されることはなかった。多くの農民の子弟は、この数百年の近代化過程において学校という媒介を通じて都市に移住した。有意の人材であれば、なおさらである。郷土の希望の星として官界、政財界、学界等において君臨した。身を立て、名を上げるためには、農村や山村に居住することにとどまっているならば、不可能であったであろう。彼らは都市に住み、郷土を後にした。「ただの百姓」であることを拒否した。有意でない人材でなかったとしても、金の卵として都市に流入した。多くの下層労働者として都市住民になった。
  有意であろうが、なかろうが、都市住民は「ただの百姓」から食料を供給された。この点において、都市住民と「ただの百姓」は、対立関係にある。かつて「ただの百姓」あるいはその子弟であった青年は、自らの出自である「ただの百姓」であることを否定している。このような現代日本、いな後期近代という時代を通底する近代の自己意識の一側面をいしいは抽出した。その意味で、いしいは賞賛に値するであろう。
  中島正は、この近代という時代精神とは異なる位相にある。彼は「ただの百姓」であることの意義を称揚し、都市住民の存在意義を否定した。この意義をこれから、述べていこう。


20180713

いしいひさいち『いしいひさいち選集9』双葉社、1992年、91頁。


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