討論 君主制
近代は平等を原理にしている。しかし、この原理から逸脱した君主制、あるいは王政、帝政は、残存している。この意味を考察する。討論参加者は、7月1日日曜日24時までに、コメント欄にその主張を張り付ける。
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君主制とはほとんどの場合では国王に忠誠を誓う官僚団によって政治が行われることが多くなっている。一般的に国王の地位は一人の人間が終身で持ち続け、その一族によって世襲される。君主は政治的実権を持たないように制限がかけられている。君主は世襲による連続性が保証されているから、政治的実権を持てば専制政治(君主が独断のままに何事も決める政治)に陥る危険性が大きい。政治的実権は、民主的手続きをもって選ばれた国民の代表によって立法・行政・司法の3権が握る。君主がこれにどれだけ関与するのかは国によって異なる。君主制のメリットとして、政治面では継続性による安定感である。反面デメリットとしては時代の変化に応じた自己改革が遅いことである。またときおり、君主制は国粋主義勢力に利用されて専制政治のシンボルに引き戻される可能性がある。文化面に関しては、君主制は伝統文化のよりどころとなる。君主が文化勲章を授与するとありがたみがあるのは、その伝統的権威ゆえである。共和制では身分制度を廃止しているためこのようなことはない。実際のところ高尚な文化というのは学問においても、芸術においてもお金と暇がある人々の趣味として継承されてきた。高尚な学問と芸術には、お金と暇だけでなく多大な努力は必要であるが、その努力を支えるのはプライドであるだろう。王室の人権に関しては君主制では王族は基本的人権が相当制約される。思想信条の自由、表現の自由、職業選択の自由といった自由権のみならず、平等権・社会権・請求権・参政権も制限されている。英国の王室は結構好き勝手やっているようであるが、日本の皇室はなかなか息苦しそうで、格別、見初められて人生の途中から皇室に入れられてしまったお嫁さんたちは実に気の毒でならない。王室の継続性・安定性の問題はヨーロッパの諸王国の王室は親戚・姻戚関係にあるので、断絶しそうになると、人のやり取りをしてなんとか維持してきた。日本の皇室の場合、むかしは一夫一婦制ではなかったので維持されてきたが、現代では一夫一婦制が確立している以上、いずれ維持していくことが困難なときがやってくるであろう。ヨーロッパの王室のように他国の王室と姻戚関係をつくっていくということもあるだろうか。たとえばアジアではブータン、カンボジア、マレーシア、タイは王制である。オセアニアにはトンガ王国もある。 前例がないわけではない。明仁天皇が指摘しているように、『続日本紀』延暦8年12月28日条には桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると記されている。アジア・ヨーロッパ・アフリカの王室・皇室との人々のこういう往来が起これば、明治政府が捏造した国家神道の根拠のない純血主義に基づく国粋主義が打破されて、風通しがよくなるだろう。だが、もし将来そういう事態になったら、日本人は鎖国根性で、もう大統領制に移行しようというのかもしれない。これらのように、継続性の面が大きいのではないかと感じたが他にも文化の面での特別感のどが大きく影響しているのでないかと考えた。
投稿: 英平文学 | 2018年7月 2日 (月) 00時50分
「政治思想史」 是非曲直
「近代社会は平等を原理にしている。しかし、この原理に反する君主制は、西欧において残存している。この意味を論述する。」
全ての人間(万人)が、法的・政治的・経済的・社会的に公平・同等に扱われるようになることを志向する思想・信条・主張することを原理にしている近代社会。そもそも、人間誰しもが平等でなければ人権というものは成り立たないということになるのではないのだろうか。そういう点において、平等主義は近代社会思想における他の一切の思想・信条・主張に対して優越しており、近代政治社会思想の根幹を成しているといえる。しかし、この原理に反する君主制を行っている国もある。現代では、世界中で人権の尊重を行っている。とはいえ、君主制が残存しているということは、平等主義にすることが人権の尊重につながるとは一概には言えないということになる。憲法によりその権力の行使が制限されている君主制だが、国民の自由および国政参加への要求との妥協のうえに成立したものである。世界の君主制を概観したときに、アラブ諸国に実質的な王権を持つ君主制国家が複数存在することは、他地域に比べて特質になっている。アラブ諸国の中には、22ヶ国中8ヶ国の君主制国家が現存し、世界全体に存在する君主制28ヶ国の中でも大きな比重を占めている。28ヶ国の中には、ヨーロッパに広く見られるように、君主制を維持しているものの政治体制は議会制の民主主義である国もある。現在の実質的な君主制国家の中で「アラブ君主制国家群」が過半を占めることがわかる。このように、アラブ諸国において君主制は数多く残存していることがわかるが、西欧はどうだろう。
絶対君主制においては貴族、諸侯、議会などよりも君主の権威が優越する。その正当性の根拠は神意に求められることもある。また、君主を民の家長としたり、国家・臣民を君主の財産と考えることによっても正当化されることを絶対君主という。古くから西欧はこの絶対君主制をとっていた。西欧の絶対君主制とは異なる日本独自の君主制=「天皇制」である。幕藩体制下における武士たち支配階級の忠誠観や、農民たち被支配階級の共同体意識など、天皇制を最下層から規定した日本独自の要素から説き起こし、討幕の推進力となった尊皇攘夷運動がもとになり明治維新のなかで天皇制として成立してゆく過程を説明する。その後、天皇制は、明治政府が自由民権運動と対峙しながら新政府事業を貫徹するために作りあげた官尊民卑の理念とも結びつきながら、資本主義・軍国主義・帝国主義の進展に適合する形で進化していき、日本社会に深く浸透していくことになった。なぜ未だに天皇制の名残が残っているのだろうか。国家を維持しつつ、権力者が台頭しやすい方法が、天皇制である。天皇という冠の下ではいつの時代も権力闘争があった。しかし、天皇という冠は変わらないので、国家としては安泰。権力者は新たに国を構築する必要もなく、前のシステムから利益を享受できるということからであると考えられる。では、なぜ西欧にはまだ君主制が残っているのだろう。
君主制が残存していることの大きな理由は、ヨーロッパに広く見られるように、君主制を維持しているものの政治体制は議会制の民主主義であるように思われる。従来から代々受け継いできた国王の跡継ぎがその国王の子孫たちであるという伝統であるともいえると思われる。日本の天皇制と同じようにヨーロッパ諸国、特に西欧の国々は君主制の名残から今現在も続いている。国家を維持しつつ、権力者を台頭しやすいのだ。以前とは異なり、現在は人権の尊重をしつつ、君主制を持つことができる世界へと変わっていったからなのではないのだろうか。
投稿: 是非曲直 | 2018年7月 2日 (月) 00時07分
「政治思想史」 是非曲直
「近代社会は平等を原理にしている。しかし、この原理に反する君主制は、西欧において残存している。この意味を論述する。」
全ての人間(万人)が、法的・政治的・経済的・社会的に公平・同等に扱われるようになることを志向する思想・信条・主張することを原理にしている近代社会。そもそも、人間誰しもが平等でなければ人権というものは成り立たないということになるのではないのだろうか。そういう点において、平等主義は近代社会思想における他の一切の思想・信条・主張に対して優越しており、近代政治社会思想の根幹を成しているといえる。しかし、この原理に反する君主制を行っている国もある。現代では、世界中で人権の尊重を行っている。とはいえ、君主制が残存しているということは、平等主義にすることが人権の尊重につながるとは一概には言えないということになる。憲法によりその権力の行使が制限されている君主制だが、国民の自由および国政参加への要求との妥協のうえに成立したものである。世界の君主制を概観したときに、アラブ諸国に実質的な王権を持つ君主制国家が複数存在することは、他地域に比べて特質になっている。アラブ諸国の中には、22ヶ国中8ヶ国の君主制国家が現存し、世界全体に存在する君主制28ヶ国の中でも大きな比重を占めている。28ヶ国の中には、ヨーロッパに広く見られるように、君主制を維持しているものの政治体制は議会制の民主主義である国もある。現在の実質的な君主制国家の中で「アラブ君主制国家群」が過半を占めることがわかる。このように、アラブ諸国において君主制は数多く残存していることがわかるが、西欧はどうだろう。
絶対君主制においては貴族、諸侯、議会などよりも君主の権威が優越する。その正当性の根拠は神意に求められることもある。また、君主を民の家長としたり、国家・臣民を君主の財産と考えることによっても正当化されることを絶対君主という。古くから西欧はこの絶対君主制をとっていた。西欧の絶対君主制とは異なる日本独自の君主制=「天皇制」である。幕藩体制下における武士たち支配階級の忠誠観や、農民たち被支配階級の共同体意識など、天皇制を最下層から規定した日本独自の要素から説き起こし、討幕の推進力となった尊皇攘夷運動がもとになり明治維新のなかで天皇制として成立してゆく過程を説明する。その後、天皇制は、明治政府が自由民権運動と対峙しながら新政府事業を貫徹するために作りあげた官尊民卑の理念とも結びつきながら、資本主義・軍国主義・帝国主義の進展に適合する形で進化していき、日本社会に深く浸透していくことになった。なぜ未だに天皇制の名残が残っているのだろうか。国家を維持しつつ、権力者が台頭しやすい方法が、天皇制である。天皇という冠の下ではいつの時代も権力闘争があった。しかし、天皇という冠は変わらないので、国家としては安泰。権力者は新たに国を構築する必要もなく、前のシステムから利益を享受できるということからであると考えられる。では、なぜ西欧にはまだ君主制が残っているのだろう。
君主制が残存していることの大きな理由は、ヨーロッパに広く見られるように、君主制を維持しているものの政治体制は議会制の民主主義であるように思われる。従来から代々受け継いできた国王の跡継ぎがその国王の子孫たちであるという伝統であるともいえると思われる。日本の天皇制と同じようにヨーロッパ諸国、特に西欧の国々は君主制の名残から今現在も続いている。国家を維持しつつ、権力者を台頭しやすいのだ。以前とは異なり、現在は人権の尊重をしつつ、君主制を持つことができる世界へと変わっていったからなのではないのだろうか。
投稿: 是非曲直 | 2018年7月 2日 (月) 00時06分
「近代社会は平等を原理にしている。しかし、この原理に反する君主制は、西欧において残存している。この意味を論述する。」
全ての人間(万人)が、法的・政治的・経済的・社会的に公平・同等に扱われるようになることを志向する思想・信条・主張することを原理にしている近代社会。そもそも、人間誰しもが平等でなければ人権というものは成り立たないということになるのではないのだろうか。そういう点において、平等主義は近代社会思想における他の一切の思想・信条・主張に対して優越しており、近代政治社会思想の根幹を成しているといえる。しかし、この原理に反する君主制を行っている国もある。現代では、世界中で人権の尊重を行っている。とはいえ、君主制が残存しているということは、平等主義にすることが人権の尊重につながるとは一概には言えないということになる。憲法によりその権力の行使が制限されている君主制だが、国民の自由および国政参加への要求との妥協のうえに成立したものである。世界の君主制を概観したときに、アラブ諸国に実質的な王権を持つ君主制国家が複数存在することは、他地域に比べて特質になっている。アラブ諸国の中には、22ヶ国中8ヶ国の君主制国家が現存し、世界全体に存在する君主制28ヶ国の中でも大きな比重を占めている。28ヶ国の中には、ヨーロッパに広く見られるように、君主制を維持しているものの政治体制は議会制の民主主義である国もある。現在の実質的な君主制国家の中で「アラブ君主制国家群」が過半を占めることがわかる。このように、アラブ諸国において君主制は数多く残存していることがわかるが、西欧はどうだろう。
絶対君主制においては貴族、諸侯、議会などよりも君主の権威が優越する。その正当性の根拠は神意に求められることもある。また、君主を民の家長としたり、国家・臣民を君主の財産と考えることによっても正当化されることを絶対君主という。古くから西欧はこの絶対君主制をとっていた。西欧の絶対君主制とは異なる日本独自の君主制=「天皇制」である。幕藩体制下における武士たち支配階級の忠誠観や、農民たち被支配階級の共同体意識など、天皇制を最下層から規定した日本独自の要素から説き起こし、討幕の推進力となった尊皇攘夷運動がもとになり明治維新のなかで天皇制として成立してゆく過程を説明する。その後、天皇制は、明治政府が自由民権運動と対峙しながら新政府事業を貫徹するために作りあげた官尊民卑の理念とも結びつきながら、資本主義・軍国主義・帝国主義の進展に適合する形で進化していき、日本社会に深く浸透していくことになった。なぜ未だに天皇制の名残が残っているのだろうか。国家を維持しつつ、権力者が台頭しやすい方法が、天皇制である。天皇という冠の下ではいつの時代も権力闘争があった。しかし、天皇という冠は変わらないので、国家としては安泰。権力者は新たに国を構築する必要もなく、前のシステムから利益を享受できるということからであると考えられる。では、なぜ西欧にはまだ君主制が残っているのだろう。
君主制が残存していることの大きな理由は、ヨーロッパに広く見られるように、君主制を維持しているものの政治体制は議会制の民主主義であるように思われる。従来から代々受け継いできた国王の跡継ぎがその国王の子孫たちであるという伝統であるともいえると思われる。日本の天皇制と同じようにヨーロッパ諸国、特に西欧の国々は君主制の名残から今現在も続いている。国家を維持しつつ、権力者を台頭しやすいのだ。以前とは異なり、現在は人権の尊重をしつつ、君主制を持つことができる世界へと変わっていったからなのではないのだろうか。
投稿: 是非曲直 | 2018年7月 2日 (月) 00時01分
君主制 討論
はじめに、近代は平等を原理としているにもかかわらず、君主制や王政、帝政が残存していることについては、結論として政治を含めたあらゆる面には階層性(ヒエラルキー)が特性として存在しているがために、平等の原理から逸脱した君主制、王政、帝政などが残存していると考える。つまり、残存していることはもはや必然的ともいえるだろう。
近代の政治の在り方は、多くの場合で政党政治が行われている現状で、民主主義を実現させるためにも現実的には直接民主制より間接民主制を採用している。
この時点で、まずは議員と国民の間にヒエラルキーが存在する。
次に、その議員の間でも政党という性質を守るためには、総裁や代表、委員長といった役職から幹事長、国対委員長など役職のように、徐々に役職の権限は弱まり、新人議員へとつながっていくため、ここでもヒエラルキーは存在しているといえるだろう。
このように、政治組織を含め、日大のアメフト問題のように学校組織でも、会社組織でも、あらゆる側面で社会にはヒエラルキーは存在しているため、問題提起として書かれている「近代は平等を原理としている」という考え方もあくまで理想論に過ぎず、実際には近代でもこれらのヒエラルキーが存在する限り、真の平等は実現できないだろう。
このような近代でもヒエラルキーが存在していることは、その前の前近代(中世)からの影響が大きいといえる。
前近代(中世)では封建社会であり、日本で見ても士農工商のような身分制が秩序として顕在していた時代でもあり、この時代でもすでにヒエラルキーが存在している。
そもそも、前近代(中世)以前の古代にも、弥生時代には村集落ごとで権力者が存在していることを示しているかのごとく墳丘墓の大きさが異なっていることや、邪馬台国で卑弥呼が倭国王となっていることから、ヒエラルキーは存在していたと推測できるだろう。
このように、今に繋がる組織としてのヒエラルキーの考え方は近代に始まった考え方ではなく古代、前近代(中世)から存在しており、ヒエラルキーがあるからこそ、これまでに国を始めとしたあらゆる組織が成り立ってきたとも言える。
つまり、ヒエラルキーは国を組織として考えると切っても切れないものでもある。
そしてこのことが、君主制、王政、帝政が残存している要因でもあると言える。
西洋では現代より以前から君主制、王政、帝政が採用されており、この君主、国王をトップとしたヒエラルキーによる政治は一般的に行われてきたため、このヒエラルキーの政治組織を壊すことは、革新的行動がない限り変わることはないだろう。
日本の場合でも、過去には先ほど述べた卑弥呼のような国王から、将軍、天皇とある意味で君主制、王政、帝政の動きがこれまで起きたが、第二次世界大戦の敗戦を機に、そのヒエラルキーが大きく変わり、それまでの天皇制が持つ、「天皇は神の存在」、西洋のような完全な権力者的存在から、GHQによる指導によって「神ではなく国民の1人」であるという認識に変化したことで、西洋のような君主や国王が持つ権力行使の範囲よりかは天皇の権力行使の範囲が弱まってはいるが、現在でも日本国の象徴であること、内閣総理大臣や最高裁長官の任命権、国事行為に持つ権限を見ても、日本国の組織には少なからず天皇をトップとしたヒエラルキーは存在していると言えるだろう。
以上のことから、平等は現実的に実現することは難しいものであり、ましてや国を組織するにあたってヒエラルキーは必ず存在することは、君主制、王政、帝政が残存している西洋に限らず、日本でも天皇、内閣総理大臣、内閣、政党のようにヒエラルキーは存在していることから、平等を原理としている近代でも君主制、王政、帝政が残存していると考える。
投稿: 質実剛健 | 2018年7月 1日 (日) 23時59分
是非曲直
「近代社会は平等を原理にしている。しかし、この原理に反する君主制は、西欧において残存している。この意味を論述する。」
全ての人間(万人)が、法的・政治的・経済的・社会的に公平・同等に扱われるようになることを志向する思想・信条・主張することを原理にしている近代社会。そもそも、人間誰しもが平等でなければ人権というものは成り立たないということになるのではないのだろうか。そういう点において、平等主義は近代社会思想における他の一切の思想・信条・主張に対して優越しており、近代政治社会思想の根幹を成しているといえる。しかし、この原理に反する君主制を行っている国もある。現代では、世界中で人権の尊重を行っている。とはいえ、君主制が残存しているということは、平等主義にすることが人権の尊重につながるとは一概には言えないということになる。憲法によりその権力の行使が制限されている君主制だが、国民の自由および国政参加への要求との妥協のうえに成立したものである。世界の君主制を概観したときに、アラブ諸国に実質的な王権を持つ君主制国家が複数存在することは、他地域に比べて特質になっている。アラブ諸国の中には、22ヶ国中8ヶ国の君主制国家が現存し、世界全体に存在する君主制28ヶ国の中でも大きな比重を占めている。28ヶ国の中には、ヨーロッパに広く見られるように、君主制を維持しているものの政治体制は議会制の民主主義である国もある。現在の実質的な君主制国家の中で「アラブ君主制国家群」が過半を占めることがわかる。このように、アラブ諸国において君主制は数多く残存していることがわかるが、西欧はどうだろう。
絶対君主制においては貴族、諸侯、議会などよりも君主の権威が優越する。その正当性の根拠は神意に求められることもある。また、君主を民の家長としたり、国家・臣民を君主の財産と考えることによっても正当化されることを絶対君主という。古くから西欧はこの絶対君主制をとっていた。西欧の絶対君主制とは異なる日本独自の君主制=「天皇制」である。幕藩体制下における武士たち支配階級の忠誠観や、農民たち被支配階級の共同体意識など、天皇制を最下層から規定した日本独自の要素から説き起こし、討幕の推進力となった尊皇攘夷運動がもとになり明治維新のなかで天皇制として成立してゆく過程を説明する。その後、天皇制は、明治政府が自由民権運動と対峙しながら新政府事業を貫徹するために作りあげた官尊民卑の理念とも結びつきながら、資本主義・軍国主義・帝国主義の進展に適合する形で進化していき、日本社会に深く浸透していくことになった。なぜ未だに天皇制の名残が残っているのだろうか。国家を維持しつつ、権力者が台頭しやすい方法が、天皇制である。天皇という冠の下ではいつの時代も権力闘争があった。しかし、天皇という冠は変わらないので、国家としては安泰。権力者は新たに国を構築する必要もなく、前のシステムから利益を享受できるということからであると考えられる。では、なぜ西欧にはまだ君主制が残っているのだろう。
君主制が残存していることの大きな理由は、ヨーロッパに広く見られるように、君主制を維持しているものの政治体制は議会制の民主主義であるように思われる。従来から代々受け継いできた国王の跡継ぎがその国王の子孫たちであるという伝統であるともいえると思われる。日本の天皇制と同じようにヨーロッパ諸国、特に西欧の国々は君主制の名残から今現在も続いている。国家を維持しつつ、権力者を台頭しやすいのだ。以前とは異なり、現在は人権の尊重をしつつ、君主制を持つことができる世界へと変わっていったからなのではないのだろうか。
投稿: 是非曲直 | 2018年7月 1日 (日) 23時59分
「君主制」 平平平平 1585文字
まず、「君主制」とは一体何なのかを調べた。「君主制」とは、特定の1人が国の主権者である国家・政治形態。その特定の1人を君主といい,その君主の地位が血統に基づいて定まる世襲君主制と一定の選挙権者の選挙によって決まる選挙君主制の2種があるが,今日では後者はもはやみられない。しかし、平等を原理にしているこのご時世、西洋ではまだ君主制が残存している。
ではまず、君主にも様々な種類があるのでいくつか調べてみようと思う。
「絶対君主制」…君主が絶対的な権力を持つ政体が絶対君主制である。(ブルネイ、オマーン、サウジアラビアなど)
「制限君主制」…君主が権力を制限されていたり、付与されていない政体が制限君主制。(タイ)
「立憲君主制」権力の制限が憲法に基づく(立憲主義)場合は立憲君主制となる。立憲君主制はさらに、君主が名目的な地位にあるイギリス型と、君主に強力な権限を持たせたプロイセン型(外見的立憲君主制)に大別される(日本、カンボジア、オランダなど)
以上が主な現存している君主制である。つぎに、君主制から共和国制へと移行した国を挙げる。
スペイン王国…スペイン共和国(1873年)
ハワイ王国…ハワイ共和国(1893年)
メキシコ帝国…メキシコ合衆国(1867年)
イタリア王国…イタリア共和国(1946年)
などが代表的な国である。ここで本題に入る。今現在、西欧では君主制が現存している国がいくつかあるが、それには何か意味があるのか、深く考えてみる。西欧の歴史を見てみると、さまざまな国で君主制が廃止されてきた。どのような形で廃止されたかということについてはさまざまであり、単純な分類は困難な場合もあるが、おおまかに言えば革命・クーデター・戦争(と敗戦という結果)・(君主の側による君主制の維持の断念と)退位、君主の亡命、逃亡、国民による君主の処刑(と他の統治形態の樹立)、 等々がある。君主制の後は、多くが、共和主義となってきた。結果として、現在では、以前に比べると君主制を採用している国はかなり減ってきている。また、現在もまだ君主制を維持している国でも、将来的に君主制を廃止しようとする動きもあり、さまざまな議論が行われている場合もある。やはり、日本のように立憲君主制(象徴君主)が主流の中、一人の王。ましてや人間が一つの国を統括するというのは現代では難しいと思うし、人権はない。しかし、それでも残存している一番の理由は、「昔に比べて王の政治的実権が薄れてきている」ことだと私は考えている。資本主義経済がほとんどの西欧で「国王がいるおかげで経済がうまくいっている」なんて思わないし、国民に直接的・間接的な接触はほとんどないだろう。だからこそ、形だけの君主が多く存在しているのだと思う。強大な権力は、必ず腐敗するということ。短期的には優秀な絶対君主制だが、調子悪い時も含めると、トータル的にはパフォーマンスが悪い政体なのだ。それに対して、共和国のデメリットとしては、代表は選挙で選ばれるため、国民と同レベルの代表が生み出される。その結果、衆愚政治に陥ってしまう可能性があるということ。衆愚政治と言えば言葉が悪いが、例えば、明日の食料に困った人であれば、明日食料をくれる人に投票する。明日食料をくれる人は一見、良い人に見えるが、明後日よくなるとは限らない。明日は食料がもらえても、明後日食料がもらえなくなれば元も子もない。本当にいい代表であれば、明日はちょっと我慢が必要かもしれないけれど、明後日よくなる方法をとるはずである。しかし、明日よくなる方法のほうが目に見えてわかりやすいがために、目先の利害に左右されやすいという問題が起こり得る。どの政治形態にも良いところ悪いところがあるように、「君主制」が悪い風習とも判断しがたい。
よって、西欧を中心に君主制が現存しているのだと私は解釈した。
投稿: 平平平平 | 2018年7月 1日 (日) 23時46分
西欧に残存する君主制
炒飯大盛
君主制とは、国王や天皇といった、伝統的権威を持った君主を、国民統合のシンボルとする政治体制のことである。君主制には主に専制君主制、立憲君主制の二つがある。専制君主制とは、国家統治の正統性の唯一のにない手である君主が統治の全権能を自己のものとし、自由に政治権力を行使する専制政治の一形態のことである。ここでは、国家諸機関は君主の専断にゆだねられる。 17~18世紀ヨーロッパ諸国の絶対主義および東洋諸国に伝統的であったアジア的専制において、この支配の典型がみられる。なお、この支配の正統性の根拠としては,神意に基づくもの、国民の家長たる地位に基づくもの、領土および臣民が君主の世襲財産であるとするものなどがあげられる。立憲君主制とは、憲法によりその権力の行使が制限された君主制のことである。制限君主制とほぼ同一で、絶対君主制と相対する。国民の自由および国政参加への要求との妥協のうえに成立したものであるが、市民階級の成熟度の相違を反映して、君主の権力が大幅に温存され、君主が依然として統治の中心を占める場合と、君主の地位が名目化し、議会およびそれに依拠する内閣が統治の中心を占める場合とに分かれる。中世の西欧社会は、絶対君主制が敷かれ、絶対的な権利をもった君主によって専制政治が行われていた。国王の権力は神から授かったものであるとする王権神授説によって君主の権利が正当化され、政治権力を一手に握った君主によって恣意的な人の支配が行われていた。フランス国王ルイ16世は専制君主制を遂行し国民にギロチンにかけられ死刑となった。王権神授説によって国王の権力は絶対とされていたが、それに対しての国民の不満は革命を起こす起爆剤となり、その結果王たるルイ14世は国民によって処刑されたのである。それから人間性の解放を求め近代民主主義へとシフトチェンジしていったのだが、その近代民主主義の根本理念である国民主権の基礎となったものに自然法思想に基づく社会契約説がある。自然法思想とは、人間が生まれながらにしてもっている権利すなわち自然権は、実定法によって保障されなければならないと説く。また自然法とは、人間そのものの本性から生まれ出る普遍的な理性を体現した規範であり、人間は生まれながらにして、自由・平等であり、すべての人は基本的人権を有することを保障するものである。また、近代民主主義では、国民主権、基本的人権の尊重、法治主義を3つの柱としている点からも、専制君主制から、立憲君主制に切り替わる時に、国民は人間としての自然的な権力、または自由・平等を求めていたと考えられる。ではなぜ平和を求めて近代民主主義へと各世界が確立の方向に向かっている中で、西欧のいくつかの国では君主制が残存しているのだろうか。西欧には君主制をとる国が多く存在する。王国だけでも、オランダ王国、スウェーデン王国、スペイン王国、など他にも存在する。象徴とはいえ、海外からみたら皇帝の位置に存在する天皇を有する我が日本国も君主をもった君主制の国といえるのではないかと考える。これだけ多くの君主制を採用する国があるということは、君主制を採用するメリットがあると考える。1つ目は外交的代表としての意味である。例えば実際に政治を行っている大統領が国の代表だとしたら、経済競走からの対立や、貿易関係の悪化による対立など、衝突が激しくなる場合があり、国交が友好であったものが悪化してしまう可能性がある。しかし、政治に関与しない国の代表を立てることによって、その国同士の伝統的交友であったり、個人の関係であったり、いざと言う時の歯止めになるほどの友好関係を気づくことができる。2つ目は国内での一権力による暴走を止めることができる点である。君主という伝統を大切にする以上、保守的になり、急激な変革が拒否される。一権力の暴走といったら大袈裟ではあるが、基本的に保守である以上、国民が違和感を覚えるような急激な国内情勢の変革は起きないことが理解できる。以上のことから、君主制は伝統的な君主を守るという意味だけではなく、外交的、国内社会的にもたらすメリットが存在するため、残存している。
投稿: 炒飯大盛 | 2018年7月 1日 (日) 23時31分
「平等的な近代社会における君主制の残存について」 1517文字 魑魅魍魎
近代社会とは、日本大百科全書によると「中世封建社会が解体したのちに現れてくる社会で、経済的には工業化が進んで資本主義を基礎とし、政治的には個人の基本的人権を承認して民主主義の体制をとるような社会をいう」とい定義されており、また本課題の問題文に「近代社会は平等を原理にしている」と書かれている。次に君主制とは、「世襲の君主が、ある政治共同体において最高権力(主権)をもつ政治形態」であると書かれている。上記の意味は基本的な意味で、君主制には絶対的君主制と立憲君主制がある。絶対君主制は、君主が何者にも拘束されない絶対的な権力をもつ政治体制で、立憲君主制は、憲法に従って君主が政治を行う制度である。
平等な近代社会が多く存在するなかで、なぜ君主制の様な一人だけに権力が集中し、そのほかの人と格差が生まれるような社会が残存するのであろうか。ここで絶対君主制と絶対君主制とは反対な共和制と立憲君主制いついてのメリットデメリットを考えてみたいと思う。まず最初に絶対君主制は国王が強力な権力を持つ制度で、強い権力というのは、調子のいいときは絶好調で、悪いときになると絶不調、大失敗に陥ってしまう。昔であれば大失敗したとしても戦争に負けるという程度だが、現在においては核戦争になってしまうこともあるので危険を伴う政体である言える。たとえこのような事態まで陥らなくても、権力者が失政を犯したときに責任を取らされて政体が解体し政治的な空白が生まれてしまう危険性がある。実際にドイツの皇帝やフランスの皇帝が追放されたときにも政治的な空白により不安定な状況が続いていた、また、もうもう一つの問題としては強力な権力は必ず腐敗してしまうという事である。次に共和制は、君主ではなく人民が権力を握っている制度で、基本的に選挙で代理人を選択し、代わりに権力の行使を託すという制度である。絶対君主制とは異なり、任期がある為権力の集中が起こりづらく腐敗しにくいので長期的に安定した政体であるといえる。しかし、代表が選挙で選ばれるため、国民と同レベルの代表が生み出されてしまう。その結果衆愚政治に陥ってしまう可能性がある。最後に立憲君主制は君主の力が著しく制限された政体で、権力の使用者は、共和制と同様に選挙で選ばれるが、それとは別に伝統的権威者として国王が存在する。(日本でいう天皇)国王は権力自体は持っていないものの言葉を発すれば皆がかしこまってしまうような存在なので、権威を持って政治を動かしているとも言える。欠点としては君主制であることには変わりはないので、共和制の様に劇的な変化は期待できないというところである。しかし、逆に言うとそれだけ変化しないという事なので最も安定しているともいうことができる。
以上の絶対君主制、共和制、立憲君主制の制度についてを見ると、近代社会は共和制、君主制は絶対君主制と立憲君主制に分類することが可能だという事が分かった。特に私が注目したいことは、近代社会における共和制と、立憲君主制についてである。共和制と立憲君主性の共通点は権力の行使者を国民が決定することにあると思う。また双方の差異は国に伝統的権力者がいるかどうかという事であると思う。このことからある少数とその他大勢との間にだけ格差が生じ、大勢のその他、市民の間には平等な関係が作られているのではないかと思う。よって、現在の近代社会の中で、西欧を中心に君主制が残っている理由は、絶大的な権力者より下の立場の人たちの間では、絶対的権力者という後ろ盾によって平等が保たれているのではないかということである。
〈参考文献〉
・kugakusuru.net
・https://kotobank.jp/word/%E5%90%9B%E4%B8%BB%E5%88%B6-58367
投稿: 魑魅魍魎 | 2018年7月 1日 (日) 23時16分
「近代社会は平等を原理にしているにもかかわらず、この原理から逸脱した君主制、あるいは王政、帝政が西欧において残存している意味」 1519字 健康第一
まずはじめに本稿での西欧とは主にイギリス、フランス、ドイツのことをさしていることを押さえてほしい。西欧の政治の歴史的な流れを見ていくと、ヨーロッパではほとんどの国において、貴族が政権のリーダーシップを握っていたが18世紀後半の政治・経済革命によって、ヨーロッパの生活のあらゆる側面に中産階級が西洋文明における支配階級として登場してくる。そして、次第に中産階級は実質的に共有する権力を獲得し始めていた。この中産階級というのは商店経営者・貿易商・専門職 (法律家、医師、官吏)・大地主・知識人・学生・芸術家・金融実業家・産業資本家・大商人のことをさしていて、彼らがその後の西欧の政治を動かしていくことになる。これらはピラミッド型社会あるいは重層的な支配原理に基づく社会と言える。1860年代までに西欧における思想、感性・情緒、生活様式は中産階級的エートスによって決定的になった。それまでの君主制的、貴族制的な思考や態度はほとんど残っていなかった。つまり、西欧諸国では時代・社会の評価基準の変更が浸透したのである。フランス革命による政治的・産業革命による経済的に着手されたブルジョア革命は、中産階級のモーレス、思考、予測が西洋文明の特質であるという状況に到達した。19世紀中頃の西欧の政治構造は、封建制あるいはその遺制をめぐる闘争としての自由主義と保守主義との対立として一般に特徴づけられる。社会の自由主義的な近代化を求める自由主義と、それに対抗して伝統的な社会や制度を維持しようとする保守主義との対立が起こった。自由主義は個人主義・個人の自由・寛容・同意への関与に基づくイデオロギーであり、自由主義の担い手は中産階級を中心にプチ・ブルジョアジー、農民、労働者などの人々であった。保守主義は伝統・義務・身分・秩序・階統制、上下関係を重視するイデオロギーであり、保守主義の担い手は貴族、大地主、教会などの勢力であった。
さまざまな国で君主制が廃止されてきたが、その理由は国によって異なるためさまざまであり革命・クーデター・戦争の敗戦・政治の混乱などにより国王の絶対的な権力がなくなり、主権が国民に移り、国民の意志に基づく政治が行われる共和制が布かれる場合が多い。つまり自由・平等・民主主義が基本の概念になるのである。共和制のメリットとしては時代の変化に対応しやすいという点である。君主制が廃止された国としてはイタリア・ロシア・メキシコ・ブラジルなどがあげられる。
しかしいまだ君主制の国も存在する。西欧のイギリスを例にあげると現在でも全体の75%の国民がイギリスの君主制とイギリス王室の存続を支持しており、王室への強い愛着があることがわかる。また君王がいないと国民の統合が不安定になると考えてたり、イギリスらしさが無くなると考える人々もいる。また、君主制は継続的に安定した政治を行えるのに対し、共和制では安定した政治を行うことはできない。また、権力が一点に集中して独裁政治になってしまうというデメリットもある。そしてなにより君主制は伝統文化のよりどころになる。国民の共和制へのネガティブイメージも君主制が続いている要因であると考えられる。つまり、ずっと君主制続けてきたイギリスではこれらのことから君主制を廃止するにいたらないのではないか。もちろん王室への不満を持つ国民や共和制に転換した方がいいという考えも出るだろうが、王室の個人個人の活動や信頼から支持率得ているわけで、国民からすると君主制が当たり前になっているのだと考える。
投稿: 健康第一 | 2018年7月 1日 (日) 22時51分
西欧における君主制残存の意味 1508字 四捨五入
近代社会は平等を原理としているが、この原理に反する君主制が西欧において残存している。これは、君主制の持つ安定感に起因していると考えられる。君主制の対極に位置するものとして、共和制がある。共和政は、選挙等の民主的手続きにより権威を帯びた大統領が国民統合のシンボルとあるものである。共和制のメリットとして変化に応じた変革の速さがあげられる。世界情勢や国内の動向などの流れに素早く順応し、新たなシステムを築くことができる。しかし、その反面デメリットとして急進的で継続性がなく安定感に欠けるところがある。選挙等によって数年に一度国家の代表者が変わってしまう。国家のトップが変わることにより政策の修正や方向転換、問題の解決などができているのは事実であるが、長期間にわたり一つの政策に取り組むことはできなくなっている。政策の中には短期間では効果が出ず、腰を据えて長期的に取り組むことで初めて効果が得られるものがある。共和制では、こういった政策を行おうと考えても数年に一度のトップの交代により継続が難しくなる場合があるだろう。しかし、君主制ならばこういった政策の実施はしやすいだろう。君主制のメリットとして、安定感があげられる。国家の代表が決まっており、数年単位での交代がない。これによって、時代の変化に対応しにくいというデメリットもあるが、腰を据えて政策に取り組むことができるというメリットも得られている。また、共和制では民衆煽動術に長けた人物が直接選挙により国家のトップに立つことにより、大衆からの人気を背景に自らに権力を集中させ独裁政治に向かう危険がある。第二次世界大戦時のナチス・ドイツがその典型的な例であろう。アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツは、第一次世界敗北後のドイツで、ドイツ国民に強いドイツの復活を呼びかけ、ヒトラーは多くの支持を集めて首相となった。実際、ヒトラーは強力な指導力で、高速道路の建設などの様々な政策で経済の立て直しに成功した。これによりドイツ国民たちはさらにヒトラーに熱狂した。そこからヒトラーは国会の機能を停止させ、首相であるヒトラーに権力が集中する独裁政治を開始した。そこからは、植民地獲得のためにベルサイユ条約を破り、ユダヤ人に対する差別など非道な政治を自らに心酔しているドイツ国民たちを利用して行っていった。このように、共和制によって誕生した国のトップが国家を間違った方向に先導し、大きな過ちを犯してしまう事もある。しかし、君主制を敷きつつ、憲法や議会を機能させ、国家を運営していけばそういった危険は避けられるだろう。議会が暴走しようとしているときは、君主がその暴走を止め、君主が暴走しようとしても、議会の権力によって阻止できる。君主制であることでこういった権力の一極集中を避けながら国家を運営することができる。西欧における君主制残存の意味はそこにあるのだろう。また、血族による独裁はよくないが、その国を象徴する一族の存在は国家をまとめる上でよい働きをするだろう。現在のイギリスのように王室が存在し、過去の功績から国民たちに受け入れられており、そのうえで王室も国民が親しみやすいような王室を目指すなど、国民との良好な関係を築き、そのうえで、君主としてのはたらきを果たす。アンケートによるとイギリス国民たちの八割近くが君主制の維持を望んでおり、さらに過去二十年以上にわたり王室に対する支持は次第に強まってきている。このように近代社会の原理である平等には反しているものの、君主制には様々なメリットが存在しており、残存する意義も大いにあると考えられる。
投稿: 四捨五入 | 2018年7月 1日 (日) 22時28分
政治思想史課題 1531文字
「近代社会は平等を原理にしている。しかし、この原理に反する君主制は、西欧において残存している。この意味を論述する。」
宇治抹茶
近代社会では多くの国が共和制を採用している。そもそも共和制とはもともと、公益への奉仕を意味していた。そこから、複数の人が支配するという国家、君主制を取らない国家の形態のことを指すようになった。今日では、主権が国民にあり、直接や間接的に選出された国家元首や複数の代表者によって統治される政治形態で国民の意思に基づく政治が行われることを民主的共和制という。共和制をとるメリットとして、多くの人の意見を聞き、多くの賛成があった意見を採用するので、多くの人の意見が通りやすく適切な判断ができるということである。また、君主制とは違い、民衆が政治を決めていくのでもし失敗してしまったら民衆が責任を負わなくではいけない。共和制では選ばれた代表者には任期があり、権力の集中が起こりづらく、腐敗しにくいため、長期的に安定した政治の形態であるといえる。もし、失敗しても交代することが可能であるというメリットがある。しかし、この政治形態は目先の利害に左右されやすいというデメリットがある。いかに民衆が冷静な判断を出せるかが重要になってくる。
君主制とは特定のひとりが国の主権者である国家の政治形態である。特定のひとりのことを君主と言う。絶対君主制と立憲君主制がある。絶対君主制とは、君主が統治の全権能を所有し、自由に権力を行使する政治形態である。立憲君主制とは、君主の権力が憲法により制限されている君主制のことである。君主制のメリットとして、継続性による安定感である。また、立憲君主制にすることで、権威と権力を分散することで独裁者が生まれにくい状況を作ることができ、国家としての一体感を作りやすいことがあげられる。また、民族や国家としてアイデンティティが維持しやすい。一方デメリットとして、共和制のように大きな変化がおこりにくいことがあげられる。また、一人の君主によって政治が行われるので独裁政権に陥りやすかったり、誤った方向に向かっていったことを気づきにくく、修正されにくいといく欠点がある。君主制では王室は基本的人権が相当制約されている。しかし国王は権力は持っていないが、発言力はおり、権威を持って政治を動かすことができる。また、立憲君主制は絶対君主とは違い、臣下による決定を覆らないことが基本となっている。
ここまで共和制と君主制の特徴とメリット・デメリットを述べてきたが、西欧が君主制を採用する意味はどこにあるのだろうか。一つは、立憲君主制を採用することで、権力と権威を分散させることができる。そうすることによって、独裁制者が出てくるのを防ぐことができる。そして国王を中心に国全体に一体感を持たせることができるのではないかと考えられている。また、国家元首は憲法によって制限されることによって独裁状態にはならないような仕組みになっている。昔は、絶対君主制によって支配されていたが、それでは独裁政権になってしまい政権は長く続かなかったため、現代のような立憲君主制となっていった。また、共和制は大勢の人の意見を通して政治を行うので、多くの人が納得する政治を行うことができるが、時間もかかり、決定するのが遅くなってしまう。しかし、その点、立憲君主制は憲法で制限されていて、少ない人数で決めることができるので、スムーズに政治が行うことができる。大きな国ほど大勢で政治を行うということは難しくなると考える。よって、立憲君主制を取り入れることでスムーズにそしてより良い政治を行えることが君主制の最大のメリットであり、西欧諸国が君主制を行っている理由である。
投稿: 宇治抹茶 | 2018年7月 1日 (日) 21時46分
はじめに、一口に君主制にと言っても様々な種類があることを知っておく必要がある。大きく分けて3つ、立憲君主制、絶対君主制、制限君主制だ。日本国を含め君主制を掲げる国の中で最も高い割合を持つのが立憲君主制である。立憲君主制とは、三権分立を原則とした憲法に従って、その国の君主の権力が一定の制約を受ける政治体制のことで、世界36カ国がこの政治体制を敷いている。タイ王国に代表される制限君主制は、現代において立憲君主制と同じ意味を持つ。それらに比べ、君主が当地の全権能を所有し、自由に権力を行使する政治体制である。現在では、アジアのアラブ首長国連邦やアフリカのスワジランド王国、ヨーロッパのリヒテンシュタイン公国など、9つの国がこの政治体制を敷いている。これら3種類の君主制を共通点としては、国王や皇帝、天皇など伝統的権威を帯びた君主を国民統合のシンボルとする政治体制である。
次に、これら3種類の君主制と対照的な政治体制が、共和制である。共和制とは、人民または人民の大部分が当地上の最高決定権を持つ、君主ではない元首を持っている政治体制のことである。この君主制と共和制について踏まえたうえでこれから自分の主張を進めていく。
まず、近代社会における平等とは、今回挙げた政治体制のうち、国における立憲君主制と共和制のことを指すと自分は考える。今回のテーマである「君主制が西欧において残存している意味」だが、西欧において立憲君主制や共和制を掲げる国は存在するが、平等とはかけ離れた存在である絶対君主制を敷いている国は一つもない。このことから、君主制が平等を脅かす存在とは一概には言えないということがわかる。つまり、平等を脅かすような国家体制を敷いている国は存在しないということがわかる。
それでは、原理に反する君主制とはどのようなものなのか考える。平等を脅かす君主制、すなわち絶対主義は現在は存在していない。しかし、過去には存在している。16世紀後半のスペイン、イングランド、17世紀のフランス、スウェーデンがその典型とされている。ここでは、絶対君主制ではない立憲君主制を敷いていた1850年以降のプロイセン王国を例にとる。はじめにプロイセン公国について説明する。1701年、ブランデンブルク選定候であるプロイセン公フリードリヒが初代プロイセン王フリードリヒ1世となることで成立した国家である。1918年、第9代プロイセン国王兼第3代ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が退位するまでこの国家は続いた。1850年の欽定憲法の発布によって制限選挙に基づく議会が設立され、国民に人権が保障されたことから始まる。その後、議会は勢力を増し、宰相であるビスマルクは鉄血政策を唱え、それ以降は軍国主義が色濃く出た絶対王政へとシフトチェンジしていった。その結果として、第二次世界大戦の引き金となったナチス・ドイツの原型を形作るものとなった。
このように、今なお西欧において君主制が残存しているのは、過去から引き継がれているからというのが最も大きな要因だと自分は考える。多くの戦争や大戦を経て、一人の、もしくは少数の者が権力を握るということへのリスクや危険性を学んだことによって今までの絶対君主制という形からその君主制という伝統ある部分を残しつつ、より民衆に開かれた政治をしたり人民の権利を尊重するために立憲君主制へと移行していったものではないかと自分は考える。このように、君主制という名称が残りながらもしっかりと平等を意識した立憲君主制という制度は価値あるものだと思う。反対に、共和制のように君主というリーダーが存在しない制度というのは国が国としてまとまっていくという点で考えると君主制に比べて劣ると思う。様々な経験を経て、西欧の国々が立憲君主制を敷いている点からみると、多数の犠牲の上に現在の生活が成り立っているのではないかと感じた。
投稿: 庭球小僧 | 2018年7月 1日 (日) 21時29分
君主制の存在意義 1617字 中肉中背
近代社会は平等を原理とし、謳っている。しかし、ヨーロッパなどの西欧においては、この原理に反する君主制が今でも残っている。そもそも君主制とは一体なんなのだろうか。君主制とは特定の1人が国の主権者である政治形態のことをいう。君主権のありかたによって様々な君主制がある。まず、1つに専制君主制が挙げられる。これは一般に君主あるいは独裁者に権利が集中している状態のことを指す。これは、イメージ的には中世ヨーロッパで行われていた絶対王政に近いだろう。次に挙げるのは立憲君主制である。この君主制の特徴は君主が統治権を所持してはいるが、その活動は憲法によって制限されているというものである。この君主制は先に紹介した専制君主制とは対照的に思われる。最後に紹介するのは世襲君主制である。これは君主の地位に就いているものと同じ血統の者が次の君主を担当するというものである。君主制にはこういった種類のものが挙げられる。君主制とは反対の意味を持つものとして共和制が挙げられる。共和制とは主権が国民にあり、直接または間接的に選出された元首や複数の代表者たちによって統治が行われる政治形態のことである。現在では共和制の形をとる国も増えてきている。では、なぜ西欧の地域では近代社会が掲げる平等の原理に反する君主制が残存しているのだろうか。その理由について考えていきたいと思う。ヨーロッパで君主制を敷いている国の中にはイギリス、スペイン、デンマークなどが挙げられるが、これらの国ははいずれも立憲君主制であり、君主自身が政治を行う権利をもっておらず、民主的な国家が形成されている。一方で、同じ君主制でも絶対王政を敷く絶対君主制も存在している。君主制のメリットとしては君主が優秀ならば非常にいい政治を行えるという点である。仮に絶対君主制を敷いていたとしても君主が優秀で国民のことを考えて政治ができていれば、権力がいくら個人に集まっていても悪い政治体系にはならないはずだ。しかし、君主が自分勝手な政治を行ってしまうと途端に政治は崩壊する。ヨーロッパの中には王族が国のトップに立ち、ずっと政治を行っている国もあり、このような国はこうしたシステムを変えることが容易ではなく、平等に反した君主制が横行してしまっていると考えている。また、他国をまねて立憲君主制を敷こうとしたが、結果として君主に好きに政治を行わせてしまったというケースも中には存在する。絶対君主制を回避しようとし、立憲君主制や共和制の形をとろうとしたが、その結果として平等の原理に反する君主制が敷かれる結果になってしまい、そのような君主制が西欧の地域で残存する形になったしまったと私は考える。なお、西欧が君主制を敷く意図として挙げられるものには国のイメージアップにつながるという点である。例を挙げるとするならば、イギリスのウィリアム王子とキャサリン妃である。彼らはよく日本のニュースや新聞などの多くのメディアで取り上げられており、その謙虚で気さくな態度から他国からもいい印象を受け、イギリスのイメージアップにもつながっている。しかし、このウィリアム王子とキャサリン妃は実際に政治を行っているというわけではなく、実際に政治を執り行っているのはメイ首相率いる内閣である。ウィリアム王子は日本でいう天皇のような存在でいわば国の象徴なのである。日本の天皇もウィリアム王子も然り、君主の地位に就いている者がああいったように謙虚で他人に対しても節度と思いやりを持った行動をしていれば、他国のイメージアップにもつながり実際に政治を行う首相や総理大臣も他国との外交問題などもやりやすくなるはずである。君主制はデメリットももちろんあるが、メリットも複数ある。どういった政治をおこなっていたとしても不満が出るのはまず間違いないので大切なのはそうした不満や要望が出た時にどのようにそれらに応えていくかである。
投稿: 中肉中背 | 2018年7月 1日 (日) 19時47分
君主制について
竹内涼真
君主制とは、特定の1人が国の主権者である国家・政治形態。その特定の1人を君主といい,その君主の地位が血統に基づいて定まる世襲君主制と一定の選挙権者の選挙によって決る選挙君主制の2種があるが,今日では後者はもはやみられない。アリストテレス以来,国家は,一般に,君主制,貴族政,民主制の3種に分類されるが,君主制に,2人以上の者が主権者である共和制を対峙せしめる2分類の考え方もある。君主制政治の原型は世襲制に基づく専制支配を原理として,神政政治的性格をもつ東方世界の君主に求められる。君主制政治は 16世紀初めに絶大な権力をふるった絶対君主制時政治 (→生鮮君主制) を頂点とするが,その後憲法または立憲主義によって君主の統治権を制限する立憲君主制が登場し,さらに主権をもはやまったく失って象徴的な意義をもつにとどまる君主制 (象徴君主制) もみられるようになった。日本国憲法下の君主制はこの象徴君主制である。なお世界史的にみて,君主制政治をとる国は次第に減少しつつあるといえる。
西洋の君主制とは何なのだろうか。なぜ残存しているのだろうか。西洋の立憲君主制とは、絶対君主を打倒して近代国家を形成した17世紀イギリスにおいて最初に確立された。もともとイギリスでは、13世紀末以来、議会の地位と権限が順調に発展してきたため、君権は、議会の制定した法律や決定に制限されるという権力制限的思考が強かった。しかし17世紀に入って、君主がその権限の拡大強化を図り絶対君主の道を追求し始めたため、市民革命が起こった。したがって、名誉革命後のイギリスにおいては、立法権をもつ議会(国王・上院・下院)が行政権をもつ国王に優位するという政治思想が確立された。さらにイギリスでは、18世紀中葉以降、行政権は事実上内閣の掌握するところとなり、続いて19世紀に入って政党政治が確立されるなかで、多数党の形成する内閣が議会に対して責任を負うという形での議院内閣制が政治運営上の基本原則となるに及んで、イギリスは、世界における民主主義国家のモデルとなった。なるほど、イギリス国王は今日においても国の元首であり、形式的には行政権の長である。しかし、1931年のウェストミンスター憲章によって、イギリス国王は連合王国British Kingdomの象徴としての地位についたから、イギリスは立憲君主制国ではあるが、その政治の実態は、アメリカや今日のフランス、旧西ドイツなどの共和国と同じものであるといえよう。他方、第一次世界大戦前のドイツや戦前の日本でも憲法は存在したが、そこでは、君主や天皇が行政権を掌握し、数々の強大な大権を有し、議会の権限はきわめて弱かったから、立憲君主制といってもそれは名ばかりで、とうていこれらの国々は民主主義国家とはいえなかった。このような立憲君主制は外見的立憲主義とよばれ、イギリスのような立憲君主制は議会主義的君主制とよばれる。
第二次世界大戦後も君主を擁する国々その数はいまや十数か国にすぎないが存在するが、そのほとんどはイギリス型の立憲君主制をとっており、ベルギー、ルクセンブルクなどのように憲法上、国民主権主義を明記している国もある。戦後日本では、憲法上、国民主権主義を明確化し、天皇主権主義を廃止し、天皇は政治的権限をもたない象徴的地位についた。この意味で戦後の日本は、事実上、国民主権主義をとる民主国家と規定できよう。
西欧において君主制が安泰な理由とは、政治的実権がないので、積極的に廃止しなければならない」理由がない為だろう。欧州各国が国際組織の枠の中にある事で、それに加盟する君主制の国での「君主」の存在意義が薄れた可能性がある。
EUの超国家的な組織の権限が広がる前から、濃淡はあってもどの王室も、日本の天皇家のように「国民統合の象徴」のような存在になっていました。というよりも、実権を行使した君主(ドイツ皇帝、ロシア皇帝、イタリア国王)は廃されたからといえよう。
投稿: 竹内涼真 | 2018年7月 1日 (日) 19時45分
君主制 四字熟語 1582文字
北海道教育大学函館校 政治思想史 田村伊知朗
西欧における政治制度の分類として、君主制・貴族制・民主制がある。そもそも君主制とは、ブリタニカ国際大百科辞典によると、特定の1人が国の主権者である国家・政治形態のことである。その特定の1人を君主といい,その君主の地位が血統に基づいて定まる世襲君主制と一定の選挙権者の選挙によって決る選挙君主制の2種がある。
また、「近代社会は平等を原理にしている」とあるが、日本大百科全書によると、近代社会とは、中世封建社会が解体したのちに現れてくる社会で、経済的には工業化が進んで資本主義を基礎としていて、政治的には個人の基本的人権を認め、民主主義の体制をとるような社会をいう。そこで民主主義に焦点を当ててみると、民主主義とは自由、平等、多数決主義といった特徴がある。君主制において、なにが「この原理に反する」のか、というと、君主制では主権を持つのは君主である。また、絶対君主制では、君主など上に立つものの個人的な関係が政治に影響しやすい。よって国民には政治的にも決定権はない。ほかの君主制になるとまた違ってくるが、「平等」という点においては「君主」がいる時点で成り立ってないといえる。
しかし君主制といっても、君主が絶対的な権力を持つ政体である絶対君主制や君主が権力を制限されていたり、付与されていない政体である制限君主制、権力の制限が憲法に基づく立憲君主制とがある。現在ヨーロッパにおいて君主制をとっている国は、イギリス、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、ルクセンブルク、アンドラ、モナコ、オランダ、ベルギー、スペイン、リヒテンシュタイン、バチカンである。その中で、リヒテンシュタインとバチカン以外の国は立憲君主制を用いている。立憲君主制はさらに、君主が名目的な地位にあるイギリス型と、君主に強力な権限を持たせたプロイセン型に分けられる。また、日本も立憲君主国である。立憲君主制とは、絶対君主制と共和制の中間に位置するもので、中間、というだけあり、君主はいるが絶対君主制における君主のような権力は持っておらず、発言力があり、民衆に尊敬されているため、権威を持って政治を動かすことができる。また共和制のように選挙の成功・失敗による大きな影響はでない。
近代国家では、プロイセンの立憲君主政に典型例が見られるように、議会の権限が弱く、国王に大幅な権限が与えられている場合もある。 イギリス以外で立憲君主政を維持しているのは、ヨーロッパではオランダ、スペイン、デンマーク、アジアではタイ、ブルネイなど。立憲君主政の対極にあるのが国王の存在しない政治形態である共和政であり、20~21世紀に独立した多くの国は大統領制を採る共和政である。
政治分析の基礎概念としての君主制として、君主を持たない都市国家が多数存在した古代ギリシアの思想家は、ほかの民主制・貴族制といった政体と区別した。君主制の国がほとんどを占めていた地域では、君主と臣下の関係のような限定的問題を越え、君主制を国家一般と別に把握する動機が生まれなかった。近代になって、君主制が共和主義者によって脅かされるようになると、古代ギリシア・古代ローマの伝統を復活させて君主制を論じる政治思想が登場した。(https://www.weblio.jp/wkpja/content)
ここで例を挙げるとスペインはフランコによる独裁政治が行われていたが、王政復古が行われ、1975年より議会君主制を採用している。
また、逆に第二次世界大戦後、ヨーロッパでは君主制をとっていた国々が次々と共和制にする、ということも見られた。
以上のように、君主制が近代社会で残存しているのは、中世のような絶対君主制も完全に消えたわけではないが、立憲君主制としてである。平等という原理からは離れているように思われるが、文化的・政治的にバランスをとっていく上で「君主」という存在が必要であるからのように思う
投稿: 四字熟語 | 2018年7月 1日 (日) 19時25分
西欧における君主制の残存意義 1523字 青山学院
我が国では、日本国憲法第十四条で法の下の平等が規定されている。それに基づいて、国家の決め事は国会議員による議論・採決によって決定され、場合によっては国民投票が実施されることもある。他国でも議会での議論の後に物事を決定するというのが主流になっている。このように、近代社会では「平等」が基本原理となっているが、西欧の一部国家には、いまだに君主制が残っている国家も存在する。平等原則がまかり通っている近代社会の中で君主制が残存している意味とは何なのか。このテーマについて論述していく。
まず、君主制の概要について論述する。そもそも君主制とは、簡単に言えば言葉の通り、君主が存在している政体のことである。一口に君主制といっても、様々な種類がある。それは主に絶対君主制、制限君主制、立憲君主制の三つである。絶対君主制は、君主が絶対的な権力を持つ君主制である。これに対して、君主が権力の制限を受けていたり、そもそも付与されていない君主制が制限君主制である。その中で、権力の制限が憲法に基づくものである場合、立憲君主制となる。このような観点で見てみると、日本も実は君主制の国であることが分かる。君主にあたるのは天皇であり、天皇の権力は日本国憲法によって制限されている。したがって日本は立憲君主制の国なのである。他にも君主制と呼べる国は多数ある。今回の論述対象である西欧の君主制国家の中で代表的なのは、オランダ、スウェーデン、スペイン、デンマーク、ノルウェー、ベルギーの六か国である。そしてその六か国すべてが日本と同じ立憲君主制である。君主制の中でも王や首長が絶対王政を敷いているのは絶対君主制の国だけであり、立憲君主制はほとんど形だけの君主制に過ぎない。実際、日本でも天皇は政治には一切介入せず、役割としては国事行為を行ったり総理大臣の任命をするのみにとどまっている。ではなぜ、君主制は今でも残存しているのだろうか。その意味とは何なのだろうか。
私は、君主制が今でも残存しているのは、国民がその事実によっていざという時に一つになれるようにするためなのではないかと考えている。君主はもはや形だけのものになっていて、実際に君主が政治を行っている国はほとんどない。日本でも天皇は全国民の象徴であると日本国憲法第一条に規定されている。それでも君主が存在するということは、国民が無意識のうちにそのような象徴的存在を求めているのではないかと私は考える。これは平等原則のもとに生きているだけでは生まれない考えである。国民一人一人が等しく扱われなければならないという概念は確かに重要であるが、それだけでは人は生きられない。人は何かにすがらなければ生きていけない生き物なのである。それは、今までの人類の歴史が物語っている。そうでなければキリスト教などの宗教において、神が崇拝されつづけるといったことはなかっただろう。宗教の歴史は非常に長く、今もなおそれは続いている。そして、大本である神への崇拝は今のところ不変である。宗教の歴史と人類史を重ねることで象徴的存在の必要性が見えてくる。そして、象徴的存在がいるという事実は、その国の国民全員が共有していることである。君主制によって、国民の結束がより強固なものになっているのである。これが西欧で君主制が残る意味であると考えている。
ここまでで論述した事柄は西欧における君主制である立憲君主制に基づいて論述したものである。絶対君主制や制限君主制を中心に据えて論述すれば、君主制についての違った見方が出てくる可能性がある。平等という言葉の意味も、一つではないだろう。捉え方によって変わってくるはずである。違う観点からの論述もしてみたいと感じた。
投稿: 青山学院 | 2018年7月 1日 (日) 19時20分
投稿: 波浪規定 | 2018年7月 1日 (日) 17時38分
君主制が存在している意味
爽健美茶
君主制とは、君主によって統治される政治形態のことをいい、一般的には、君主がある政治共同体において最高権力をもつ政治形態のことを言う。17、18世紀の市民革命前には多数見られたが、その後は君主の政治的な権力と影響力が低下していき、徐々に共和制の国が増えていった。現在の君主制では、昔のように君主が政治や軍を動かすような大きな権力を持っている国はほとんどない。そんななかで現在も君主制であるイギリスは、「君臨すれども統治せず」という精神を守りながら、国民からの支持を保ち続けている。エリザベス女王は、イギリスの象徴であり、イギリス国民を代表する存在でもある。そして、女王は常に政治の外側にいながら、大きな威厳と確実な良識をもって役割を果たしているということが、今の時代において重要なことであると考える。現在も君主制が存在している意味を考えるうえで、イギリスのエリザベス女王、ロイヤルファミリーに焦点を当てて考えていきたい。
「今日のイギリス君主制(王室)を支えるのは、好意的なイメージ基づく国民の支持と合意であり、そのイメージは<公的>なものと<私的>なものの2つを有している。神秘性や権威性といった伝統的要素に表象される<公的>なイメージに対し、<私的>なイメージは、近代形成期以降に確率・発展されてきた『ロイヤル・ファミリー』というひとつのシステムによって表象されている。まさに今日のイギリス君主制(王室)は、公的領域と私的領域の境界線を横断しているのである。そしてそれは、ヴィクトリア女王の治世に始まる近代形成期以降、イギリス君主制(王室)のその<公的>なイメージと<私的>なイメージの境界線が次第に融解してきたことで可能とせしめられているのである。」
(イギリス君主制(王室)の<姿>に関する一考察 吉田知准)
19世紀後半から20世紀にかけて新しい伝統が組み込まれることで、イギリスの君主制の儀礼は意図的に変容されてきた。近代形成以降に確率されてきた「ロイヤル・ファミリー」は、今ではイギリスだけではなく世界中から注目を集めており、近年では、かつての君主制の絶対的な権力をもっているというイメージから、国の祭典を印象付ける華やかなイメージがもたれるようになっている。ヴィクトリア女王やその家族たちが、メディアに姿を現したことで、「憧れ」や「理想的」といった家族像がつくりあげられ、 「君主の私人化」が進んだことにより、国民が身近な憧れの対象としてとらえることができるようになったのではないかと考える。
「『ロイヤル・ファミリー』という近代的システムが、<私的なもの>の象徴として偶像化されることで、大衆の要望に的確に応えてきたといえる。しかし、この王室儀礼におけるイギリス君主制(王室)は、いくばくか「控え目」な振る舞いであった。これまでの王室儀礼に見られた特徴とは異なり、最小限の『ロイヤル
ファミリー』によってパフォーマンスが構成された。その姿は、イギリス君主制(王室)の「現在」から「未来」への転換であり、未来の君主制(王室)が担っていく<姿>であると考察されたのである。」
(イギリス君主制(王室)の<姿>に関する一考察 吉田 知准 )
イギリスの君主制における、「王室」という公的なイメージと「ロイヤル・ファミリー」という私的なイメージが融合して、これまで過剰に表象されてきた君主制のイメージを最小限にとどめることができているのではないだろうか。その融合の絶対的基盤として
「慈善や仁愛の精神の提供という実用的な機能を発揮している」(引用)
のである。今日のイギリス君主制は、「王室」としての象徴的な要素と、「ロイヤル・ファミリー」の実用的な要素のバランスが取れていることで、国民の要望に応えることに成功しているのである。
投稿: 爽健美茶 | 2018年7月 1日 (日) 17時36分
投稿: 波浪規定 | 2018年7月 1日 (日) 17時36分
平等を原理とする近代において西欧に君主制が残存する意味 欧州連合 1744字
「君主制」と聞くと、王様がすべての権力を握り絶対的な決定権を持ち国民を支配するといったような独裁的な政治体制をイメージし、平等を原理にしている近代の思想に反しているようにも思えるが、西欧においてこの君主制は残存しているという。本論ではこのように近代の西欧に君主制が残存している意味を考察していく。
君主制は主権者が一人(君主)の政治体制であり、一般的に君主の地位は一人の人間が終身で持ち続け、その一族により世襲される。君主が絶対的な権力をもつ絶対君主制や君主の権力が憲法によって制限される立憲君主制などに分かれ、現在君主制をとっている国の多くは立憲君主制であるとされており、日本やイギリスが立憲君主制を採用している。イギリスではこれまで革命により絶対王政、共和制、立憲君主制へと失敗を繰り返しながら政治体制を変化させてきた歴史がある。君主制の対義語として共和制があるが、これはフランスやアメリカが代表的である。フランスもイギリスと同様に革命により政治体制を変化させてきた歴史がある。ここでイギリスとフランスの革命の歴史をみていく。
1642年から国王派と議会派の内乱がはじまった。当時のスチュアート朝の絶対王政による国教会の強制によりピューリタンが弾圧された。これに対しピューリタンは信仰の自由を求めて立ち上がった。そして1649年にピューリタン革命が起こり、国王チャールズ1世が処刑され王政が倒れ共和制が実現した。ピューリタン革命によって一次共和制(コモンウェルス)を実現したが、1653年から権力を握り指導者となったクロムウェルの独裁政治がはじまった。これにより国民の心が離れ、1660年に王政復古が成立する。そして1688年から1689年にかけての名誉革命により再びイギリスに国王が即位し、国王は「君臨すれども統治せず」という現在の立憲君主制の基礎が確立された。イギリス国王は「君臨すれども統治せず」という言葉の通り、国の君主に君臨するものの政治的実権はほとんどなく、形の上では首相の指名権などが国王の権限として認められている。これにはマグナカルタ(大憲章)制定以来、王権を徐々に制限し、最終的に国王から「権力」を切り離していったという歴史的な経緯がある。このように国家の「権威」と「権力」を分離し、国王が「権威」を代表し、首相が「権力」を担うことで、これまでの絶対王政や共和制の独裁政治のような失敗を教訓に、国民の自由と平等が保たれる国家をめざした。
イギリス同様にフランスも革命によって政治体制を変化させてきたが、現在はイギリスとは異なり共和制をとっている。16世紀後半からブルボン朝のもとで絶対王政が発展していく基盤がつくられ、17世紀末から18世紀初めにかけてのルイ14世の時代はフランスの絶対王政の全盛期であったが、ルイ15世のころから絶対王政が衰退していき18世紀末からアンシャンレジーム(旧制度)に対する不満の強まりから1789年にフランス革命が起こった。この段階では立憲君主制を目指すものであったが、ルイ16世が受け入れず国外逃亡を図ったことから国王に対する批判が強まり、王政の廃止が決議され1792年に第一共和制が成立した。1804年にナポレオンが即位し第一帝政となった。その後ナポレオン退位後復古王政、七月王政、第二共和政、第二帝政、第三共和政へ次々と変化し、第二次世界大戦後に第四共和政、そして1958年から現在の第五共和政となった。
フランスの共和政では政治的実権は大統領に集中しているため独裁政治に陥る可能性があり、継続性がないので安定性に欠く。イギリスの立憲君主制では君主は政治的実権を持たないように制限が可能で、三権分立により権力の集中を防いでいる。しかし政治的実権を君主がもてば専制政治に陥る可能性がある。君主制の政治体制を取っているイギリスにとっては絶対王政や共和制による独裁といったこれまでの苦い教訓から、権力の集中を阻止でき安定感のある立憲君主制という体制が支持されているのだろうと考察する。また立憲君主制において君主は「象徴」としての役割がほとんどであるため平等の原理に反していても国民は受け入れることができるため近代において残存しているのだと考える。
参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/君主制
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20121229/p1
https://www.y-history.net/appendix/wh0601-090.html
https://www.y-history.net/appendix/wh1001-034.html
投稿: 欧州連合 | 2018年7月 1日 (日) 16時43分
「近代社会は平等を原理にしている。しかし、この原理に反する君主制は、西欧において残存している。この意味を論述する。」1537字 日本代表
近代社会とは,能動主義と個人主義の2つの態度によって定義できるような社会であるということができる。能動主義とは,外部の世界 (とりわけ自然的世界) に対して超越し,外部の世界を制御することを肯定する態度である。このような制御は,自覚的な選択的実践として現れるので,必然的に,高度な手段的合理主義 (未来に措定された目標に対する有効性によって現在の行為を評価しようとする態度) を伴っている。また個人主義とは,価値評価に際して,集合体よりも個人 を準拠にする態度である。経済的には資本主義,政治的には民主主義,思想的には個人主義を基調にした,自由な諸個人が形成する開放的社会とされる。だが、西洋、東洋、日本など、地域を異にするにつれて近代社会のあり方には大きな差異があり、またその開始の時期も異なっている。なお、近代社会の終期については、現代社会を広い意味で近代社会に属するとみるか、近代社会とは異質なものとみるか、見解が分かれている。また近代社会の起点として「近代」が用いられるようになったのは最近のことである。従来は、たとえば王朝による小刻みな区別や、日本史では幕府別の区分、年号による区分などが用いられた。中国史では、「易姓革命」(姓すなわち皇帝の血統をかえて天命を革(あらた)めること。万世一系とは対照的)の思想に基づく「二十四史」(正史)の区分が用いられた。ヨーロッパなどでも王朝別の区分が主流であった。その一方で、長い歴史をいくつかに区分する異なる方法も存在した。例えば仏教の過去(前世)、現在(現世)、未来(来世)の三世(さんぜ)という考え方の概念やマルクスの考えのように(奴隷制)、中世(封建制)、近代(資本制)に三分する考えもあった。近代社会では貧困の格差などをなくせるようにみんなが平等になれるような社会を目指している。それに対し君主制とは特定の1人が国の主権者である国家・政治形態。その特定の1人を君主といい,その君主の地位が血統に基づいて定まる世襲君主制と一定の選挙権者の選挙によって決る選挙君主制の2種がある。戦後の現在では、君主の存続する国は、イギリス、北欧三国、ベネルックス三国、モナコ、日本などその数はごく少なく、しかも、そのほとんどの国々において君主は象徴的地位にあるため、歴史上かつて存在したような君主制は皆無に近く、したがって、それらの国々も実際には民主共和制的性格をもつ国家となっている。なぜ君主制は衰退してきているのか。それには近代資本主義の成立と密接な関係がありハリントンは、君主がその国の土地の大部分を所有している場合、君主制は適合的な政体であったが、17世紀中ごろのイングランドでは土地の大半を中産ヨーマン層が所有するに至ったため民主制的政体を求める政治運動が起こったためだと言われている。
近代社会では宗教の自由や資本主義経済、個人の自由な生産など今までは日本の伝統であったような村落共同体などは資本主義経済に伴い自由な生産へと変わった。物流は、物々交換から貨幣経済を中心とした大規模な物流形態へ移行しさらなる生産活動や物流や交易が実現した。君主制については国王が圧倒的権力を保有しているため市民の意見は反映されないため、それを不満に思った市民が反乱を起こすなどといった危険性もある。それでも現在、世界では君主制が存在している。君主制が存在する意義としては国としての一体感が作りやすいため、国を動かすことに関しては権威や権力が分散され独裁者などが現れ難いことであると思う。
参考文献
https://kotobank.jp/word/近代社会-161802
https://www.weblio.jp/content/近代社会
https://kotobank.jp/word/君主制-58367
投稿: 日本代表 | 2018年7月 1日 (日) 16時21分
君主制と共和制、1745字、奴顔婢膝
近代社会は平等を原理とし、共和制が世界各国に広く普及している。私はこれが国家のあるべき姿であり、君主制は悪であると決定づけたスタンスで論述する。
もともと人類史における政治の基本は民衆を基本とした共和制である。しかし、共和制にはデメリットがあった。民衆の衆愚化が起こってしまうことだ。そのデメリットを時の権力者が利用し、有能な者、立場のある者を身内に囲い、自らに付き従う者にのみ特権を与えることで生まれたのが貴族であり、君主制なのである。
特権階級を子々孫々まで持ち続けたいという欲望が世襲制を生み、世襲させる者は特権階級を最初から持っていた、あるいは神から授かったものだと吹聴していき、世襲が定着していってしまった。
しかし、古典を読めば古の時代では君主制ではなく共和制が描かれている(ギリシアのポリス、共和制ローマ等)。これは日本の古事記も同じで、神話時代ではあまたの神による共和制が敷かれていたことが読み取れる。欧州ではルネッサンスとして古代思想が復権していった。
その様な古からの本来あるべき人間の姿を元に、長く君主制を信じていた人々に本来あるべき人間の姿としての天賦人権や共和制の思想が復活していった。
そして君主制・特権階級が不当な権力行使をした時、もともとは民衆のものであった政治を取り戻そうと、あらゆる場所で革命が起きた。
そして革命は本来の人間の権利たる天賦人権(自然権)であるとしてジョン・ロックらによって抵抗権などの形で広められ、民衆に革命の正当性が認識され、後に起こるアメリカ独立戦争やフランス革命の理論的根拠となり、それらが成功すると天賦人権を守るために近代的立憲主義に基づく憲法が書かれるようになった。
その近代的立憲主義の憲法が民衆の衆愚化を防ぐ手段だった。
先ほども述べたが、もともと人類史における政治の基本は共和制であり、君主制はあくまで衆愚化がもたらした黒い残滓に過ぎない。
だから人類の本来あるべき姿を追い求め続ければ自然と君主制は廃止され、共和制に移行していくはずなのだ。
ここまでの内容は近代以降次々と君主政・王政が廃止されていった理由についての考察である。ここからはどうして共和制ではなく君主制が続いている国家が多数あるのか、そしてその意味を考察したい。
およそ君主制は2種類に分けられる。君主が絶対的な権力を持っている国家と、もはや形骸化しつつある国家の2種類だ。前者はタイなどが有名で、後者だとわれらが日本が最たるものだろう。
前者の国家が君主制を続ける理由は恐らくいたってシンプルなもので、君主の権力が強すぎて、抗うことができないからだ。タイでは政治家同士の対立によって流血騒動が起こった際に、プミポン国王の鶴の一声により騒動が一気に沈静化されたことがきっかけで、国民の国王に対する信頼はとても高まっており、タイでは王政の廃止を求める声はほとんど挙がっていない。しかし理由はそれだけではなく、タイでは王政廃止を目指す共産主義政党が最近まで非合法政党とされていたことや、不敬罪規定によって王政批判が事実上不可能であることも大きな理由だ。このように君主の権力が強い国では、暴力を用いないまっとうな方法では君主制を廃止させることは不可能だ。
後者の国家が君主制を続ける理由は多岐に渡り記述しきれないため、日本にフォーカスして考察したい。
日本が君主制を続ける理由は、皇室がなにもしないからだと考える。権力を振りかざすこともなく、ただ象徴として存在しているだけでは一切の糾弾ができず、民衆に堕とすこともできない。現在の皇室の存在は日本という国家に貼り付けられた立憲君主制と書かれたレッテルのようなものだ。剥がすこともできず、剥がしてもらうこともできない。日本はむこう何百年かかっても皇室を国家に受け入れ、君主制を捨てて共和制に移行することが日本人が幸福になるための最重要要件だと思う。
君主制を続ける国家が多数あるということは、国の在り方に疑問を持たずに当然として過ごしている国民が多くいるということを意味している。これは共和制がもたらした衆愚化である。であればその責任を取るべきは共和制であり、共和制をもって国民の意識を改革する必要がある。
投稿: 民主制と共和制 奴顔婢膝 | 2018年7月 1日 (日) 16時11分
君主制の政治 1612文字 枝豆大好
君主制では君主が政府資産の増殖・貸付・売 却・贈与を自主的に行い、これらを彼の後継者に相続させるのが常である。また君主は自己の財産の管理人や使用人を雇用したり、解雇することも出来る。
これとは対照的に、民主制ではその政府機関は公的に所有されたものであり、管理人または受託者によって支配されるが、彼等は政府機関を私有することも 、政府機関の収入を私 有したり 、管理人の地位を相続させることも出来ない。ただし管理人として政 府 機 関 を 自 己 にとって有 利なように管 理 ・ 運 用することはある程度可能である。それが可能な期間は管理人の地位にある期間に限られる。
こうした事情から 、君主制ではより長い計画的視野を持ち、その時間的選択の程度は低められ、民主制の場合よりも経済的収奪の程度はより低いという傾向が見受けられることになる。
また、最も直接的な社会的時間選択の指標は利子率である。利子率は現在財の価値を将来財 の 価 値 評 価 と の 比 較 に お い て 表 現 す るも の で あ る 。 より 高 い 利 子 率 は より 現 在 志 向 的 で あ り 、より 低 い利子率はより将来志向的であることを意味する。 生活水準が上昇し実質貨幣収入が増加してゆ くという仮定の下では、利子率は低下し、終局的に はゼロにはならないものの、ゼロに近づくことが予 想される。したがって、貯蓄・投資は増大し、将来の実 質的収入はより高くなるであろう。
利子率の低下傾向は人類の進歩そのものを意 味 す る 。事 実 1 4 世 紀 に は 約 5 % で あ っ た 利 子 率 は 、 15世紀には4%に、17世紀には3%に低下した。19 世 紀 末 に は 最 低 利 子 率 は 2 . 5 % 以 下 で あ っ た 。
民主主義が開始すると、個人責任の全体主義化が到来した。軍事への支出は 総政府支出の10~20%程度で、50%以上は福祉 支出に向けられることになった。その結果、個人の 健 康 ・ 安 全 ・ 老 齢 化 へ の 私 的 な 備 えとして の 行 為 の 範 囲 は 縮 小 し 、そ の 水 準 も 低 下 し た 。
そして、民 主 制 時 代 に な ると、子 供 の 数 は 減 少 し 、 人 口 は 停 滞 、減 少 し た 。1 9 世 紀 の 終 り ま で出生率はほとんど一定であったが、20世紀の進行 とともに出生率は劇的な減少を経験することに なった。
同 時 に 離 婚 率 ・ 片 親 だ け の 子 供 ・ 堕 胎 数 は 着 実に増大した。他方、個人の貯蓄率は停滞し、む しろ所得の増大の割には低下したといえる。 さらに社会保障立法による個人の責任感の希 薄 化 や 法 律 の 軽 視 に よ っ て 、殺 人・ 暴 行 ・ 強 盗 ・ 窃盗などの深刻な凶悪犯罪の増化傾向が見ら れる。 このように高い時間選択と犯罪との間に系統的 な関連性が存在する理由は、以下の通りである。 市 場 経 済 下 で 収 入 を 得 る に は 、あ る 程 度 の 計 画 ・ 忍 耐 ・ 犠 牲 ・ 自 己 抑 制 が 要求される 。人は支払を受ける以前に働かなければならないからである。 これと対照的に最も凶悪な犯罪行為、たとえば 殺人・暴行・強姦・強盗・詐欺等は、そうした自己抑 制を必 要 とし な い 。略奪 者の 報 酬 は 瞬 間 的 で 目 に見える。その反面、凶悪な略奪者の償いないし 処 罰 は 将来 のことに属 し 、不確実である 。結 果的 には時間選択の社会的程度が上昇すれば、上記 のような凶悪な略奪的行為の発生の瀕度が高まることが予想されるし、事実そのようになった。
そして、搾取することのより少ないことを好むこと 、価 値 評 価の先見性を志向する こと 、個 人の責任を重視すること等の視 点か ら評価 すれば 、君主制より民主制の移行は 進歩を示よりもむしろ退歩と文明化の低下を意味するように思 われる 。 とくに搾取や現在志向性の最も重要な指標として、上記した殺人の中に戦争を入れて考えるならば、民主制政府の相対的成果はさらに悪化すると いわざるを得ない。 君主制より民主制への移行は、制限された戦争 を世界的・全面的戦争へと大変化をもたらしたか ら で あ る 。2 0 世 紀 、 すなわち民主制の時代 は 、 人類の全歴史を通じ、最も殺人的な時期として位置づけられねばならない。
参考文献
越後和典「君主制と民主制の政治経済学」
投稿: 枝豆大好 | 2018年7月 1日 (日) 15時57分
君主制と平等原理の共存 渋谷脱退
世界人権宣言が、国連で採択され一応は平等というのは万国で達成されたかのように見える。しかしその一方で存在するのが君主制である。近代社会は平等を原理としている。これは一般論である。この近代社会というのは多くの人々の認識、一般の認識であれば絶対王政の終わり、市民革命の成功と見ることができるようになる。ここでは市民革命の成功とは何かを論じないこととする。市民革命の成功は、王権がうつることが成功のように思えるがその後の為政者の統治についての是非は問われないことという様に感じるのだが、多くの反論が存在しそうなものである。先ほど申し上げた近代社会の平等原理に反して存在する君主制は今やかつてほどの権威はない。第一次世界大戦中にハプスブルク家が帝国を解体し現在、帝国というのは存在しない。そもそも帝国というのは多民族国家かつ皇帝がおさめる国というのが世界史的な見地である。それを踏まえると日本は帝国であるという意見もあるのだが天皇は為政者ではない。天皇が政権を握っていた時代は第二次世界大戦後にアメリカのGHQによって終わりを迎えてしまった。憲法の制定にもGHQが携わり、軍事力の放棄はアメリカの指示で行われている。この現象を踏まえると天皇をエンペラーと呼べるかどうかは賛否両論あることだろう。
では、何故題意の君主制と平等原理が共存しているのか。恐らくだが、君主制に属する国では君主が政権を握ってはいないためではないだろうか。君主制の国は自国のアイデンティティとして王家、皇室を保持しているに過ぎないのではないだろうか。もちろん、このアイデンティティはとても重要なもので軽んじてはならないものである。本邦においても日本が日本であるためには皇室というものは必要不可欠だ。アイデンティティであるが故に否定は許されず、平等原理とともになし崩しかのように存在しているのが現在なのではないかと考察する。
そもそも、一応は原理として存在する平等原理ではあるが、事実すべてが平等ということはあり得ない。職業選択の自由は保障されており人々が生きていくにあたり最重要であろう所得は、産業革命以降、工業化が進み、それに伴う都市化により分業も進んでいくことによりそれはより多く差が開くこととなった。マルクス曰く、所得は労働時間によってのみ帰依すべきと唱えているが、現状そうはなっていない。本邦でも所得の差というのが社会問題になっており、年収別で統計を取った時、平均と取れる層が格段に少ない。平等を原理としているが基本的に平等をうたっているのは機会平等、また身分の平等である。しかし機会平等についてはデータとして難関大の出身者の多くが富裕層の出身であること、また、その者たちが社会的地位のある役職に就いていくことを考えていくと機会平等からして既に達成されていない。第二次世界大戦以降、本邦では成人した日本国籍を保有するものであれば参政権が得られるようになったが、その事象のみで公平、平等であると判断することはできない。
人には個体差があり、肌の色も異なれば、信仰する宗教も異なり、備わっている能力ももちろん異なる。人だけではなく生物というものに平等というものはない。それなのに人々は平等や公平というものをありがたがり、参政権をその国の人間すべてが有する可能性を保持していること、身分制というものを一応は否定していることでその理想を達成しているかのように触れ回っているがこれが一番の問題である。人々は本質として平等というものが存在しないことを理解しているが、それでも平等というものを盲目的に信奉したが故に妥協が存在する。その妥協故に君主制と平等原理が一応は存在しているのではないかと推論を立てることとする。(1541文字)
投稿: 渋谷脱退 | 2018年7月 1日 (日) 15時33分
「君主制が残存している意味」
筋肉溺愛
君主制は大きく絶対君主制・立憲君主制の二つに分けられる。絶対君主制とは国を治める最高位の人(君主)が統治の全権能を所有し、自由に権力を行使する政体である。立憲君主制とは君主が統治権を保有しているが,憲法により権限が制限された政治体制のことである。昔は君主制の国が多かったが、現代では君主に権力を持たすのではなく、人民、国民、民衆などにも権力を分け与え、皆が平等に暮らそうと目指す政治体制を取り入れる国が多くなった。そんな中現代でもなお民主制を西欧で取り入れている国がある。イギリスやオランダがその例である。近代社会では平等を原理にしてきている中でなぜイギリスやオランダはこの原理に反して君主制を残存しているのか。その意味を考える。
まずイギリスの政治について調べてみた。先ほども述べたようにイギリスの政治体制は君主制であり、君主(国王)は現在エリザベス2世である。イギリスの憲法はマグナ・カルタや判例法、歴史的文書及び慣習法などにより構成している。憲法を構成する法律が他の法律と同様に議会で修正可能なため軟性憲法と呼ばれている。国家元首はイギリスの君主であるが、憲法を構成する慣習法の一つに「国王は君臨すれども統治せず」とあり、その存在は極めて儀礼的である。国王が政府に直接的に関与することは少なく、国王の権力を法で支配しているので国王の暴走はない。また、選挙も国民投票で決めるなど民主主義が見て取れる。このような政治体制はイギリスを始めとして多くの国でも取り入れられており、日本でも君主(天皇)として取り入れられている。イギリスでは現代もなお君主制であるが、中身をみれば国王に全機能を所有する力はなく、ほとんどが儀式的な行事に参加するだけであり、政治に直接関わることがない上、皆が平等に暮らすことを目指した民主主義であるので、今もなお残存している。また、イギリスの政治の歴史をみると、君主制が今もなお残存している重要な意味がわかる。17世紀に起こった清教徒革命(ピューリタン革命)では、オリバー・クロムウェルによって王政は廃止され、13世紀から続くイングランド貴族院議会も解散させられる。しかし共和政イングランドは、反対派や王政復古派、隣国からの侵攻に備えて、軍事独裁の形をとらざるを得ず、クロムウェルの死後、破綻して大混乱に陥り、結局、軍事独裁政権になってしまう。なぜ大混乱に陥るのだろうか。その理由として国王や皇帝が追放された後に、憲法を定めるために議会が招集されたり、憲法制定議会の代表を選ぶ選挙が行われたりするが、最終的には軍隊や共産党が暴力によって政権を奪ってしまうからである。そこでイギリスでは混乱を解消するために議会は亡命中だったチャールズ2世を呼び戻し、王政復古を行い、王政を復活させる。世界の歴史を見てみても、王政が倒れた後にできるのは、軍事政権か共産党独裁政権だ。このように君主という存在を廃止して共和制にすれば民主主義が達成できるという考えは間違えであり、廃止すれば逆に国家が大混乱に陥ってしまい、廃止する前より大変なことになってしまう。このような歴史をみれば君主制をなくすことが民主主義実現につながることではないということがわかる。オランダも同様に君主制であるが、イギリスと同じく君主に全機能を所有しているわけではない。必ずしも平等に権力を持つことが平和に繋がるわけではなく、君主という存在が国を安定させ平和にしていくこともある。
イギリスとオランダ、日本の政治体制が似ているのはイギリス王室と血縁関係があり、親密な関係が築かれているからである。これらの国は立憲君主制民主主義国家と呼ばれていて、君主制でありながからも民主主義の要素をしっかりと持っている。
以上のことから民主制が近代社会でも残存している意味である。
投稿: 筋肉溺愛 | 2018年7月 1日 (日) 12時52分
「平等思想の歩みと君主制の残存」 腕力最弱(1598字)
1.はじめに
近代社会は平等を原理としているが西欧では君主制が残存している。君主制に対して平等・自由の思想が台頭してきた歴史的背景を読みとき、現代の君主制と日本の天皇制について考察する。
2.歴史的な平等思想
まず、「平等」について前近代(中世)は、封建社会であり、身分制社会であった。という思想の源泉は宗教改革から始まっている。ルターの宗教改革は身分制の前近代社会から近代へと社会をシフトさせた。中世では一般信徒、司祭、神の順に身分が築かれていたが宗教改革により万人司祭主義が唱えられ、神の下での平等を意味している。
イギリスではイギリス革命によって絶対君主制から立憲君主制に転換し、社会観が「身分制社会は神によって形成された自然な社会」から「神ではなく人間による作為としての社会」と転換した。また、身分制的にも地理的にも分節化された社会から平等な我々というイギリス国民という意識が形成された。
フランスでは18世紀にフランス革命が勃発したのち、フランス人権宣言を決議した。このフランス人権宣言で人間の自由権・平等な権利が宣言されている。以後この2つの概念が諸国家の憲法的理念に採用された。他にもこの宣言は国家に対して人間が持つ不可侵の自然権を保障することを目的と定めた。そして国民主権を立法権においている。これらから、この人権宣言は近代国家の憲法理念の標準となった。
現代ではイギリスやスペインなどのヨーロッパ諸国では世襲制の立憲君主制を敷いている国が多くある。日本においても世襲制の天皇を君主としている。日本における天皇は神の子孫とされ、戦前は現人神として崇められていた。現在の日本と日本国憲法により天皇は日本国、日本国民の象徴である。また、立憲君主制は君主に政治的権限を認めておらず、日本では天皇が国事行為を行っている。
4.平等と君主制
君主制は人間が皆平等であるという考えを否定しているが、後期近代において自然的システムとしての身分があるという社会観になった。つまり、平等を目指しても自然に身分は発生するため、憲法による権限の制限を行うことで権利としての平等に漸進しているのではないだろうか。
5.君主制が残存する理由と日本の天皇制
ヨーロッパ諸国や日本において君主制が残っている理由として、国民が王室や皇室の制度の伝統やその歴史について尊重しているのではないかと考えた。また、君主の存在が国民にとってその国に帰属している国民であるというアイデンティティも与えているだろう。特に日本では天皇の代替わりごとに元号が変わるため、元号の名を冠したグループやまとまりが形成されている。昭和や平成など世代内での人と人のつながりや他世代との交流、また「大正ロマン」に代表されるような文化の名称に使われることもあるため、日本人の生活と天皇制が深く結びついている。こうした背景から天皇制という制度には時間・時代の変わり目を感じさせる1つの要素になっているだろう。
2つ目に国民との間に親しみがあると考えられる。英国でもロイヤルベビーの誕生が話題になったり、日本でも天皇皇后両陛下が被災地を訪問したり国内行事への参加など天皇自らが出向き国民が接することができる機会もある。そうしたことから親しみを感じる機会があるだろう。
しかし一方で、実際に君主の意向が政治に全く関与できないかと問われればそうとは限らないと考える。今上天皇が生前退位を希望したことで特例法が制定され、生前退位が決定した。自身の高齢により公務が難しくなったため生前退位するという決定は、今までの長きに亘っての公務での活動を鑑みると正当性があるだろう。しかし、こうした天皇の意志や意向をどの程度まで政治や法律に反映してよいかという線引きが曖昧である。今後、同様の事例が起きた時どのような行動をとるか、皇室典範の改正は行うのかという問題がある。他にも現在では「女性天皇」、「女系天皇」に関しての議論も起きている。日本の天皇制度には未だ議論の余地がある。
投稿: 腕力最弱 | 2018年7月 1日 (日) 12時41分
近代社会でも君主制が残存している意味について(字数 1533文字)四面楚歌
現代、平等が声高に叫ばれるにも関わらず、なぜいまだに平等の原理に反する君主制が西欧で残っているのか、このテーマについて見ていく。
まず君主制について見ていく。君主制とは皇帝や国王、日本でいえば天皇など君主と呼ばれる者が国家の象徴的として存在している制度である。一人の君主をたて、そこに権力を委ねるということは平等性に欠くことといえる。
歴史的に見て政治の制度は君主制から始まり、国民は君主に従わざるを得えないという状況の中、戦争などを
通して君主制の可否が問われた。そしてそこから共和制などが生まれた。共和制は国民に主権があって国民から選び出されて代表者になったものが統治する政治の形態である。このように君主制は権力を一人に集めるため、独裁的になる恐れがあるという点や権力の暴走を起こしやすい点などのデメリットがある。それなのになぜ西欧社会ではまだ君主制が現存しているのか。
西欧で残っている君主制は正しくは立憲君主制である。立憲君主制はイギリス発祥のもので、君主に与えられている権力が憲法によって規制、制限がかかっている制度である。西欧では以前は専制君主制をとっている国が多かった。専制君主制とは全権力を一人の君主にゆだねる政治形態である。歴史的に見て初めはこの形態をとる国が多かった。しかし歴史を経て、隣国との侵略戦争を繰り返す中、善良で権力を持たない国民たちはただ命令に従うしかなく、戦禍を被り、権力の暴走にもてあそばれ続けた。そんな苦い経験を経て国民は変革を起こそうという動きを見せて、制限君主制、発展して立憲君主制が生まれた。つまり君主制の反省から生まれたものが立憲君主制である。君主制という名を持ちながらも国民の意思を最大限引き出せるように、国民に主権がいきわたるようにしたものである。そのため君主として代表者は立てられているが、国民全体が平等的に扱われている。これこそ立憲君主制が持つ固有の特徴である。
西欧でも君主制ではなく共和制がとられている国もある。例に挙げるとフランスの共和制である。フランス元々は専制君主制であったが市民が立ち上がり専制君主制政治を行う政府を打倒し、共和制を打ち立てた。このように途中で急激に方向転換した場合西欧でも共和制が成立し得る。しかしたいていの国々は専制君主制から多少の変化や制限君主制への移行、立憲君主制への移行はあっても大きく共和制へと転換することはない。そのためそのまま君主制が残っているのだと考察した。
立憲君主制は君主制でありながらも非常に特殊で、君主も憲法や規定には決して違反、逆らうことはできない。つまり象徴的に君主のようなものは存在しているが、法の下ではもちろん平等の原理が働く。そのため内容としては共和制に近いものがある。西欧で現存している君主制はこれらである。そのため平等の原理に反すると思われがちな君主制だが、立憲君主制は平等の原理に従っている政治の形態であると言える。
西欧では今でも立憲君主制という形で君主制が残っている。しかしそれは時代によって内容は変化していったことがわかる。君主だけに権力が集中することは決してなく、全ての国民に権利が与えられる形での君主制が西欧で誕生して実現に今もなお継続されている。時代に沿った君主制これを探し出すことができたことが大きなポイントであった。そのため昔とは違って、一人一人の権利が大切にされ、権利が平等であることを最重要視されている今でも君主制というものが国民をけっして圧迫、抑圧することなく、むしろのびのび生活できるように支えてくれるものとなった。君主制という名を持ちながらも個人を個人として認めてくれる、等しく扱ってくれるだからこそ君主制が西欧に導入されている。
投稿: 四面楚歌 | 2018年7月 1日 (日) 11時51分
2018.6.30
桐原由井
1628字
「近代社会は平等を原理にしている。しかし、この原理に反する君主制は、西欧において残存している。
この意味を論述する。」
近代社会は平等を原理にしているが、これに反する君主制が西欧に残存しているのはなぜか。そもそも君主制とは何かを整理すると、「特定の1人が国の主権者である国家・政治形態」1)と出てくる。簡単に言ってしまえば王様がいる国は君主制ということだ。そう考えると日本にも天皇が存在し、イギリスにはエリザベス二世女王が存在する。しかし、日本やイギリスは天皇と国王が直接的に政治に深く関わっているわけではないため、君主制ではなく「立憲君主制」と捉えられるのだ。2)
では、君主制と立憲君主制の違いは何だろうか。君主制とは、国王が存在する国において国王が実権を握り、政治や経済、軍の活動を進めていく体制である。現在君主制と考えられる国はサウジアラビア、アラブ首長国連邦、オマーンなどである。3)
一方、国王が存在するものの、政治や経済に大きな力を働かせない国の体制を立憲君主制といい、全世界では日本、イギリスのほかにノルウェー、スウェーデン、デンマーク、タイ、カンボジアなど50ほどの国がこの体制をとっている。この体制は、先ほど紹介した国王が大きな力を握って国を支配していく絶対な君主制と、共和制の中間的な制度である。ここで初めて出てきた共和制とは、君主ではなく人民が権力を握っている制度で、アメリカのように選挙によって生まれた代表に権力の行使を委ねる体制である。立憲君主制のメリットは、私たち国民が選挙で代表者を選んで政治を委ねることができるということのほかに、いざという時に、最も力を持った国王の意見を聞けるという点だろう。しかし、ここで重要なのは、国王は政治や経済に直接的な力を持っていないため、頻繁に口出しすることは望まれていないことである。その分、国王からの指示があった時はとても重要な意見だということがわかる。4)
このように、立憲君主制は単なる君主制でもなく共和制とも分類されないため、両方の良い点を活かして政治活動ができるのだ。しかしここでの疑問は、どうして約50程度の国しか立憲君主制をとらないのか、という点である。二つの良い点が合わさった体制なら、より多くの国が立憲君主制を求めるのが自然のように思える。しかし、立憲君主制が成り立つにはポイントがある。それは政体を維持するためには伝統的な国王が必要だったり、条件が整っている必要がある点だ。過去に国王が存在した国でも、一度追放されてしまえば再び国に王をおくことは難しい5)。そのため、革命で国王がいなくなったフランスなどは、現在共和制の体制をとっている。
以上のことを踏まえると、一概に「君主制は平等に反している。」とは考えづらい。君主制にも絶対君主制と立憲君主制が存在し、西欧に多くみられる立憲君主制は、国民の意見を取り入れた政治体制をとっているのだ。歴史的な国王が今なお存在し、この体制を維持し続けられていることが、西欧に立憲君主制が残存している理由だと考える。同じ政治体制を長年続けていると、共和制、絶対君主制、立憲君主制におけるそれぞれのメリット、デメリットが見えてくるだろう。しかし、同じ体制でもどの国が実行するかによってその良い点と欠点は違ってくるはずだ。このように考えたうえで、立憲君主制が長年国民に理解され、執行され続けている西欧の国は体制が成功している言うことができるだろう。
参考文献
1) ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「君主制(くんしゅせい)とはーコトバンク」 閲覧日2018.6.30
2) 歴史年代ゴロ合わせ暗記「共和制と君主制の違い」 閲覧日2018.6.30
3) 歴史年代ゴロ合わせ暗記「共和制と君主制の違い」 閲覧日2018.6.30
4) 〇△を科学するnet.(2017.8.17)「立憲君主制とかいう最強の政治制度!~共和制・絶対君主制との違い~」 閲覧日2018.6.30
5) 〇△を科学するnet.(2017.8.17)「立憲君主制とかいう最強の政治制度!~共和制・絶対君主制との違い~」 閲覧日2018.6.30
投稿: 高野未咲 | 2018年6月30日 (土) 23時58分
君主制の意義 1501字 癒熊大好
現在の社会は平等を原理にしているが、君主制も残っている。そもそも君主制とは、一人の君主が政治の主権を持つ政治体制のことである。一口に「君主制」といっても絶対君主制、立憲君主制、象徴君主制などに分けられる。絶対君主制というのは、君主が統治の全権限を持ち、自由自在に政治権力を使う政治形態である。専制君主制とも呼ばれる。このような支配は神意に基づくもの、領土・人民が君主の世襲財産であるものという根拠で正当化される。君主の代表的な国は、サウジアラビア、クウェート、オマーンなどで、西アジアの国に多くみられる。立憲君主制というのは、君主の権限を憲法によって制限しているもので、制限君主制ともいわれる。代表的な国は、ノルウェー、デンマーク、イギリスなどである。立憲君主制は、君主に権力を持たせた立憲君主制と、君主は名誉的な地位であるものとに大別できる。象徴君主制というのは、君主が政治的権限を持たない国家も象徴であるという政治体制である。代表的な国は、日本、スペインなどである。日本は象徴天皇制で天皇は国民統合の象徴であるが、諸外国から天皇は君主と扱われている。そのため立憲君主制の国とみられる。しかし、ここでは日本は象徴君主制の国として扱う。
君主制の対立概念として共和制がある。共和制というのは、主権が国民にあり、国民によって直接または間接的に選ばれた、君主以外の国家元首や代表者によって統治されることである。これを民主的共和制という。この民主的共和制が一般的だが、特権階級だけが主権を持つ共和制もある。共和制を取る国を共和国と呼ばれる。共和国の代表的な国は、フィンランド、ドイツ、スリランカなどである。
君主制のメリットは、絶対君主制においては君主が国のことを決めるので、素早く決まる。緊急時などにはそのメリットを最大限発揮する。デメリットは、君主の好きなように暴走してしまう可能性があることである。立憲君主制におけるメリットは、君主は存在するけれど権力が無い状態だが、政府が機能しなくなったときに君主の権威で国民を動かすことができるということである。デメリットは、もし君主が頻繁に発言をしたら権威が失われるということである。共和制のメリットは、複数の代表者によって統治されるので、権力の集中が避けられ、安定した政治体制である。また、政権に不祥事があり権力の移動があっても選挙で平和的に行うことができる。デメリットは、選挙で代表者を選ぶので、国民と同レベルの代表者が選ばれてしまう可能性があるということである。
前述したように、君主制といっても複数の種類がある。また、同じ種類の君主制を採用していても国によっては政治のやり方が異なる。共和制でも、連邦制と組み合わせている国や、半大統領制と組み合わせている国などもある。このように君主制といっても国によってその機能は様々である。北欧の君主制国の君主が「ほとんどもっぱら『社交君主』として機能しています。このような機能の純化は、君主制が次第に弱まって行くさまを示すもの」(Xデー問題と現代天皇制p.102)とあるように、君主制国家は少なくなっている。君主制から共和制に移行した国はたくさんある。それでもなお君主制が残っているというのが現状である。継続して君主制をとるのは、その国の状況や歴史、文化などいろいろな要因があるだろう。そして、君主制にも共和制にも良いところ、悪いところがある。だからどちらが良い、悪いということは言えない。言えないのではあるが、君主制が残っているのは、国を治めるうえで絶対的、または、ある程度権力をもつ存在が一つや複数必要であるからなのではないか。
参考文献
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 https://kotobank.jp/dictionary/britannica/
・「Xデー問題と現代天皇制」
編者:歴史学研究会・日本史研究会・歴史教育者協議会・歴史科学協議会、青木書店発行、1988年発行
投稿: 君主制の意義 癒熊大好 1501字 | 2018年6月30日 (土) 23時31分
君主制の意義 1501字 癒熊大好
現在の社会は平等を原理にしているが、君主制も残っている。そもそも君主制とは、一人の君主が政治の主権を持つ政治体制のことである。一口に「君主制」といっても絶対君主制、立憲君主制、象徴君主制などに分けられる。絶対君主制というのは、君主が統治の全権限を持ち、自由自在に政治権力を使う政治形態である。専制君主制とも呼ばれる。このような支配は神意に基づくもの、領土・人民が君主の世襲財産であるものという根拠で正当化される。君主の代表的な国は、サウジアラビア、クウェート、オマーンなどで、西アジアの国に多くみられる。立憲君主制というのは、君主の権限を憲法によって制限しているもので、制限君主制ともいわれる。代表的な国は、ノルウェー、デンマーク、イギリスなどである。立憲君主制は、君主に権力を持たせた立憲君主制と、君主は名誉的な地位であるものとに大別できる。象徴君主制というのは、君主が政治的権限を持たない国家も象徴であるという政治体制である。代表的な国は、日本、スペインなどである。日本は象徴天皇制で天皇は国民統合の象徴であるが、諸外国から天皇は君主と扱われている。そのため立憲君主制の国とみられる。しかし、ここでは日本は象徴君主制の国として扱う。
君主制の対立概念として共和制がある。共和制というのは、主権が国民にあり、国民によって直接または間接的に選ばれた、君主以外の国家元首や代表者によって統治されることである。これを民主的共和制という。この民主的共和制が一般的だが、特権階級だけが主権を持つ共和制もある。共和制を取る国を共和国と呼ばれる。共和国の代表的な国は、フィンランド、ドイツ、スリランカなどである。
君主制のメリットは、絶対君主制においては君主が国のことを決めるので、素早く決まる。緊急時などにはそのメリットを最大限発揮する。デメリットは、君主の好きなように暴走してしまう可能性があることである。立憲君主制におけるメリットは、君主は存在するけれど権力が無い状態だが、政府が機能しなくなったときに君主の権威で国民を動かすことができるということである。デメリットは、もし君主が頻繁に発言をしたら権威が失われるということである。共和制のメリットは、複数の代表者によって統治されるので、権力の集中が避けられ、安定した政治体制である。また、政権に不祥事があり権力の移動があっても選挙で平和的に行うことができる。デメリットは、選挙で代表者を選ぶので、国民と同レベルの代表者が選ばれてしまう可能性があるということである。
前述したように、君主制といっても複数の種類がある。また、同じ種類の君主制を採用していても国によっては政治のやり方が異なる。共和制でも、連邦制と組み合わせている国や、半大統領制と組み合わせている国などもある。このように君主制といっても国によってその機能は様々である。北欧の君主制国の君主が「ほとんどもっぱら『社交君主』として機能しています。このような機能の純化は、君主制が次第に弱まって行くさまを示すもの」(Xデー問題と現代天皇制p.102)とあるように、君主制国家は少なくなっている。君主制から共和制に移行した国はたくさんある。それでもなお君主制が残っているというのが現状である。継続して君主制をとるのは、その国の状況や歴史、文化などいろいろな要因があるだろう。そして、君主制にも共和制にも良いところ、悪いところがある。だからどちらが良い、悪いということは言えない。言えないのではあるが、君主制が残っているのは、国を治めるうえで絶対的、または、ある程度権力をもつ存在が一つや複数必要であるからなのではないか。
参考文献
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 https://kotobank.jp/dictionary/britannica/
・「Xデー問題と現代天皇制」
編者:歴史学研究会・日本史研究会・歴史教育者協議会・歴史科学協議会、青木書店発行、1988年発行
投稿: 君主制の意義 癒熊大好 1501字 | 2018年6月30日 (土) 23時29分
君主制が敷かれている理由 1530字 唯我独尊
そもそも現代において多くの国で平等を基本原理としている理由はなぜであるか。もちろんそれが当然であるといった考え方や道徳的なことであるといった考えもあるだろう。しかし、平等を一番最初に謳った当時は大勢の上流階級の人々から反感を買ったことであろう。今まで多数の人々よりも身分が上であり自分よりも地位が低いものに対して有無を言わせぬ言動をとれてきたのにいきなり階級制・身分制を廃止し、全員が平等になり、農民などと同じ立場になると伝えられたプライドの高いであろう上流階級の人々が不満に思い、また反発するのは当然のことであろう。しかしそれも時間の流れとともに減少し、今ではそのようなことを嘆いている人々はほぼほぼいないであろう。人類が長い時間をかけて様々なことを考えるようになり、思考力がついたことで位階制は間違っていると判断できるようになったためであろう。これは多くの国で認知されていることである。それにもかかわらず現在の西欧においていまだに君主制が敷かれているのはなぜであるか。
一口に君主制といっても絶対君主制と立憲君主制に分けられる。絶対君主制とは国王に強力な権力が与えられている制度である。これはうまくいく時とうまくいかない時の波が激しいため、現代のように何が火種となり国際問題に発展するかわからなかったり、炎上するかもしれないとなると、危険な政治体制であろう。立憲君主制とは君主の政治的権力がないが長期的な目で見れば安定している政治体制である。西欧諸国のみ鳴らず、日本もまたこの立憲君主制である。これを理解したうえで立憲君主制のメリットや現在においても残存している理由について考察していく。
まず、立憲君主制におけるメリットを考えていく。国王を「象徴」という形で置くことで政治的権限がないにしろ選挙によってえらばれたリーダーが暴走するようなことがなくなることである。近代社会が平等を基本理念としているからこそ、リーダーによる独裁・暴走は防がなければならない。君主とはその国の象徴である、ということは言い換えればその国の国民の代表であるといっても過言ではないであろう。何が起こるかわからない現代において、このような存在がいるだけで大きな利点になるのではないか。また、権力が分散しているため独裁者が生まれにくいというメリットもある。
逆にデメリットは何であろうか。思うに、君主制といっても議会に政治的権力があるため、しばしば王族の存続している理由が分かりづらいことではないだろうか。私自身、学ぶ前はその理由を全くと言っていいほど理解できていなかった。また、立憲君主制といえども君主制であることに変わりはないので共和制と違って大きな変化が起こりにくいことである。しかし、これは起こりにくいというだけであるのでそこまで大きな問題ではないだろう。
このほかにも様々なメリット・デメリットがあるのであろうが、やはり西欧社会において今もなお君主制が敷かれている一番の理由は君主が象徴としておかれていることにあるにあるのではないか。明確なリーダーや代表がいるというだけで国民の結束力は高まるものである。また、平等を基本理念としている近代において一見すると君主制はこの理念に反しているかのように感じられるが、実際西欧諸国がとっているのは絶対君主制ではなく立憲君主制であるためこの理念には反しておらず、むしろ独裁者が生まれにくいという点や権力が分散しているという点では平等を促進しているといえるのではないだろうか。共和制や絶対君主制と比べると上記に記した通り長期的に安定している政治体制であるといえるので、これらの理由から西欧諸国を中心とした各国は君主制を敷いているのではないだろうか。
投稿: 唯我独尊 | 2018年6月30日 (土) 22時17分
君主制の欠点と現代においての存在理由 全力失踪
1633文字
中世の西欧諸国での専制君主が根付いていた期間の長さと、その影響力は現在に至るまでであり、イギリスやオランダ、スペインの場合は王の名が、リヒテンシュタイン公国、ルクセンブルクなどの国々は公・大公の名を世襲制によって、またはバチカン市国のように教皇の地位が選挙によって、現代に至るまでその名目と、その歴史を残し続けていたのは、目に見えて明らかである。今までフランスや、場所は少しずれるがロシアといった国が革命によってそれぞれ社会主義や共和制などの体制に変化していったのに対し、いまだ上記のような名前だけだとしても君主制はいまだ残り続けている。
こういった体制がいまだのこり続けているのはなぜなのかという問いにたいして即答できるわけではないが、その要因の一つとして私が考えているのは、国の象徴として残され続けているためであるということだ。日本も第二次世界大戦後、GHQにより天皇といった君主を、権力をもたない象徴として、国民が主権を握る「立憲君主制」が続いているため、こういった名目のみの体制が継続している国が先進国の中では大半であり、実権を実際に握っている絶対君主のようなケースは独裁国家と同義のためごくまれである。またそういった体制が近代の西欧諸国においてブルジョワジーの地位がプロレタリアによる革命やら抵抗運動によって脅かされ、その権力や立場を失墜させてはいったものの、その社会的地位とその財をもって社会において重要なポジションに居座り続けた。それによって形は変化しても、身分制度とその階級制度を後世に至るまで残し続ける結果にもなった。資本主義が深く根付いた西欧諸国において労働者と貴族、一旦消えたと思われた二つの関係性がまだ続いているように一度根付いたものがなかなか離れていかないように、その君主による支配体制は国の実質の指導者や、会議に権力が渡っても、その風習か、慣例というものの一つとして、君主制が存在し続けているのではないか。国王の下についていた上級貴族や、宮廷貴族が付き従う中央集権国家が現代になるまで、減少・衰退・排斥されていったが、王の下に会議が生まれ、憲法が作られても、王がそれに反発せず、民自身の治世に口や手を出さず、それらを容認していたことで、国民からの反発を買わずに、その立場を追われず、「立憲君主制」を確立し、現代にいたるまで、存在を維持しているのである。
今までに滅んできた君主国家は、国を世襲によって支配権を移していき、その権力を王家一族によって独占し、付き従う貴族ばかり優遇し、従わない、または役に立たないとみなした民からは、土地、人民、税などを徴収していくなどの悪政を敷き、国民の不満を増やし、その不満の暴発を予見できず、王家の滅亡の一途を辿ることとなったのだ。
ただ君主制が決して悪い制度であるわけではないし、上記の国々のように残っている国一族の間で与えられてきた権力を、ある一代の君主が民の圧政と自らの享楽・豪遊のために使いつぶして、民の反感、恨みを買い、後に君主制国家をつぶすほどの反乱を引き起こすことで、そういった悪評が立つわけだが、君主制の政治の根本において、「ある一人の優れた人間が、一国家とその人民を統治する」というものがあり、国民は、自分たちの意思・決定を国の指針にするよりも、ひとりの指導者の優秀なプランのもとに導かれることを望むことで、こういった君主による支配が完成する。しかし、そこで問題とされるのが、世襲制によって王の権力が子に及んだ場合、その子が親に並ぶほどの優れた指導者にはなりうるかは、分からないからだ。絶対君主において、すぐれたリーダーの跡継ぎが邪知暴虐の暴君になる場合もあるし、恐怖政治をすすめたイヴァン4世、ルイ14世のように王政を確立し、実績を持っていたとしても、国を財政難に陥らせる人物も存在する。
君主制という制度自体に問題がないため、憲法をつくり、会議を開くなどをして、君主国家は存在し続けるだろう。
投稿: 全力失踪 | 2018年6月30日 (土) 16時35分
国家統治における少数派が存在する理由 本文字数1579 投稿者:常時睡眠
最初に、ここでは君主制は大きく分けて2種類ということにする。理由としては、細かく見ていくと色々な分類のされかたがあるからである。1つは君主が絶対的な権力をもつ「絶対君主制」、もう1つは君主の権力が制限されていて、その制限が憲法に基づく「立憲君主制」である。君主制と言われる国の多くは立憲君主制に分類される。例えば、日本も立憲君主制である。天皇が君主に位置付けられているが、日本国憲法第1章第1条において「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とされている。また同第1章第4条では「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」とされている。このように天皇は国事行為を行うことはあるが、実質的な権限を持ち合わせていないのである。
では絶対君主制を用いた場合の国家について考えてみる。日本も第2次世界大戦で敗戦を喫するまでは絶対君主制を敷いていた。天皇は神そのものとされ、その天皇に従うことは絶対とされていた。これは政府が立てた国家戦略ではあったが、戦時下において圧倒的な力を発揮していた。国民それぞれ意思があり、まとめあげるためには絶対的な指導者が必要だったのである。そもそも大日本帝国憲法の内容はプロイセン憲法がもとになっていた。プロイセンとは、簡単にいうと現ドイツのことである。プロイセン憲法は欽定憲法ということで、君主が定めた憲法であった。この憲法は君主のみに執行権を認めていて、軍隊に対する最高指揮権は君主にあるとしていた。また、議会の承認が必要になるが、他国への宣戦布告、条約の締結などのあらゆる行為に及ぶことができた。そして、この憲法は国民に対して、ひととおりの自由権を保障していた。これに関して三成賢次は「しかし、それら自由権の内容は法律によって定められるとし、いわゆる法律の留保がなされていた。そもそも公民の権利は、自然権的な意味での『人権』としてとらえられておらず、それはあくまでも『プロイセン人の権利』であり、プロイセンの憲法ならびに法律によって定められるべきものであった。そして、憲法が制定された後自由権を制限するさまざまな立法が行われたのである。」 と述べている。つまり、自由権を最初はある程度保障していたが、後に君主が国家を統治しやすいように法律などを変えていったのである。また、議会は上院と下院が設けられていたが、選挙で決定されたのは下院議員だけだった。その下院の選挙については、25歳以上の男子で市民権を有していて6ヶ月以上の定住が証明された者のみに選挙権が与えられていた。選挙方法は三級選挙制に基づく間接選挙制であり、多額納税者に有利な制度になっていた。
これらを踏まえると、絶対君主制では、君主を中心とする国家におけるヒエラルキーの上位の者が優位に政治を進めることができ、下位の市民などはただ従うことしかできないという国家体制が形成されるのである。
また、宗教の観点からみると、ドイツではプロテスタント教会が世俗的権力と融和している。また、最大の保守政党はドイツキリスト教民主同盟で世俗化された宗教を基盤とする政党である。官衙への服従が要求され、官衙によって形成された秩序が教会によって擁護される。そして、そこに存在する家父長的秩序が自然的秩序として擁護される。これは、現存秩序が神から与えられた自然として認識されるからである。
平等という原理は多数が望むものであるが、一方そうでない者がいるということが絶対君主制などの独裁的な政治体制を持つ国家の残存を通して明らかである。また、宗教の例でも挙げたが、現状が当たり前になっていて自然的に擁護・容認されていることが、このような少数的な国家がまだ残っている要因になっているのではないかと思う。
参考文献
【法制史】1850年プロイセン憲法体制(三成賢次) http://ch-gender.jp/wp/?page_id=7999
投稿: 常時睡眠 | 2018年6月30日 (土) 15時47分
はじめに、君主制について確認をする。まず君主制には、大きく次の二つがある。第一に世襲君主制というもので、一定の家族や王朝の成員が継承秩序に従って代々位を引き継いでいく君主制のことをいう。君主の多くは、世襲君主制によって位を即いてきた。第二に選挙君主制というもので、一定の選挙方法によって君主を選んでいく君主制をいう。そして、第一の世襲君主制は、さらに3つに区分される。
一つ目は絶対君主制と呼ばれるもので、ルイ14世の時代のフランス王政に代表される統治形態である。絶対的な支配者、すなわち法から解放された王が、神意の命じた権利によって思うままに統治でき、神に対してのみ責任を負う。二つ目は立憲君主制と呼ばれるもので、「国王は君臨し、かつ統治する」体制である。すなわち国王が統治者であると同時に、支配権の所有者ともなる。ただし、国王の背景には軍隊・警察・行政がついているために、国王と議会が対立した場合には、権利の推定はつねに国王に有利に働く。それゆえ絶対君主制に転じることも容易である。三つ目は議会主義的君主制と呼ばれるもので、19世紀の英国で確立され、ベルギーなどのベネルクス諸国、スウェーデンなどの北欧諸国でも採用され、「国王は君臨すれども統治せず」の体制となる。立法は議会に委ねられ、行政は議会内で多数派を形成している政党の信任を得た内閣によって担われる。
以上を踏まえたうえで、フランスは君主制であったが革命により廃止されたという経緯がある。歴史を振り返ると、ルイ14世からルイ16世まで、王族によって放漫な財政、膨大な無駄遣いなどが行われていた。増税を行おうとするルイ16世に対してまず1787年に貴族らが抵抗して擾乱が起き、1789年からは農民・一般庶民も含めてフランスのすべての階層が関与するフランス革命が起こった。
フランス革命は、「(世界的な)近代化のはじまり」ともされ、世界各国での近代民主主義の原型ともなった。1792年には、フランスの国民公会が全会一致で王政の廃止を決議した。第一共和政が成立し、ブルボン王朝は消滅し、ルイ16世はこの日から一般人となった。続いて国民公会で前国王ルイ16世としての責任を追及する裁判が問題となり、有罪として国王処刑を主張する派閥と、王権神授説にもとづいて不起訴を主張する派閥による対立があった。結局、国王処刑派の主張が通り1793年にルイ16世は処刑された。なお、フランスの王政は、1814年にナポレオンの没落によってルイ18世が即位して復古王政となる。
次にイギリスの歴史を振り返ると、イギリスでは、1688年の名誉革命を経て現在の立憲君主制の基礎が確立されたといわれている。ここでその要点は、国家の権威と権力を分離することである。国王が権威を代表し、首相が時々の権力を担うことだ。イギリスは、マグナカルタ制定以来、王権を徐々に制限し、最終的に国王から権力を切り離したという歴史的経緯がある。また、これに加えて民の自由や、生命や財産を保証するような内容も取り入れられている。このような漸進的な改革の結論が現在の「君臨せずとも統治せず」という立憲君主制につながっている。
以上から、イギリスが君主制を支持し続ける理由として考えられるのは、歴史的な教訓から身につけた共和制への懐疑心ではないかと考える。イギリスでは1649年の清教徒革命で国王チャールズ1世を処刑し、クロムウェル率いる共和制へ移行したが、その政府は独裁色を強め、共和制の実験は11年で失敗している。また、フランス革命がその後ナポレオンの独裁政治につながったことを反面教師にしてきたとも説明できる。そこで考えられることは、イギリスにとって、共和制は危ういものであるかもしれないという思考と、君主制は改革を進める中で制度として機能してきたという自負がある、ということだ。これらの理由から、イギリスでは現在も君主制が残存していると考える。
投稿: 初心者印 | 2018年6月30日 (土) 14時45分
近代原理と君主制についての自分の考察
近代社会は平等を原理としている。そもそも近代とは何か。
近代、すなわちモデルネは、西欧近代においてこの数世紀にわたって形成された政治、社会的な時代概念である。今日の社会という表現もできる。
このことを世界史的に言えば、今日の社会は、18世紀後半(1789年)のフランス革命にその起源をもつ。身分制社会からの転換という観点からすれば、日本史と西欧史は厳密には対応はしないが、日本の明治維新が、西欧の近代革命に相応するだろう。
近代革命は西欧史において、前近代から近代への移行期に発生した。西欧でも近代革命、つまり明治維新が起きている。この観点からでは、近代革命と明治維新は歴史的観点から見て同一性が見いだされる。
近代の反対概念として中世が挙げられる。前近代と呼ばれるものもこの中世の意味である。
中世は歴史学的に言えば、封建社会、身分制社会である。つまり中世は、不平等、不自由をその原理にしている。しかし、初期近代、近代の基本的理念は自由、平等であり反身分制的原理である。つまりこれ以前の時代(中世、前近代)では身分的差別は正義であった。差別が社会的に容認されていた。以上のことを自分なりに理解したうえで本題に入っていく。
近代社会は平等を原理としている。しかし、君主制は現存している。この意味は何か。
まず君主制とは何か。君主が存在する国を君主国、しない国を共和国という。一般的にその地位は一族により世襲される。君主の一族を王家と呼び、王家による世襲権力が続くことを王朝と呼ぶ。君主が絶対的な権力を持つ政治体制のことを、絶対君主制。これに対し、君主の権力が制限され、与えられていない政治体制が制限君主制であり、権力の制限が法に基づく場合は、立憲君主制と呼ぶ。
日本は、立憲君主制であり制限君主制にあたるが、それと反対の絶対君主制の国もまた現存している。なぜ、近代社会の原理に反するような君主制(王政など)が現存しているのか。
私はその国にとってのメリットや、変えたくないような理由があるのではないかと考えた。
政治の視点から考えてみると、君主制は継続性、つまり安定感がある。世襲政治により政治に安定感をもたらせられるというのは、君主制の国々にとってはとても重要なことだと考える。しかしこれに関して、デメリットもある。一人または一族に権力が集中するため、時代の変化についてこられない可能性がある。自己改革が遅れることで、他の国々から遅れをとってしまう危険があると考える。
文化の面から考える。君主制は伝統的な文化のよりどころとなると考えられる。
高尚な文化というのは、お金と時間がある身分の高い人の趣味として受け継がれてきていた。このような高尚な文化には、時間もお金もかかるし、努力も必要だが、それらを支えるのは君主制ならではのプライドがあるからだと考えられる。
世界の中で西欧地域は政治でも文化でも一番に走り続けていた。その走り続ける原動力を作っていた体制こそ君主制であったと考える。身分差別が正の方向に傾いた結果が、世界で最先端の政治や文化を生み出したのではないか。そう考えると、現代で君主制をとっているのは、そのプライドを守ることや、あえて近代原理に反する体制をとり、何か新しいモノを生み出そうとしているのではないか、と考えられる。皆と同じことをするのではなく、あえて昔のまま、他と違うようにすることは、西欧地域のプライドが表れていると思う。
近代社会は平等を原理としている。しかし西欧は君主制が現存している。西欧地域は、君主制を現存させていることが、この地域の役割だと認識しているのではないかと考える。
投稿: 新幹線好 | 2018年6月30日 (土) 11時11分
君主制を歴史的に見る
1534文字
麻婆豆風
まず、そもそも君主制とは何か。コトバンク(kotobank.jp)によると、君主制とは、特定の1人が国の主権者である国家・政治形態のことである、という。その特定の1人を君主という。アリストテレス以来、国家は一般に、君主制・貴族制・民主制の3種類に分類される。君主制政治の原型は世襲制に基づく専制支配を原理として、神政政治的性格をもつ東方世界の君主に求められる。君主制政治は 16世紀初めに絶大な権力をふるった絶対君主制政治 (専制君主制) を頂点とするが、その後憲法または立憲主義によって君主の統治権を制限する立憲君主制が登場し、さらに主権をもはやまったく失って象徴的な意義をもつにとどまる君主制 (象徴君主制) もみられるようになった。日本国憲法下の君主制はこの象徴君主制である。なお世界史的にみて,君主制政治をとる国は次第に減少しつつあるといえる。
ヨルダンを例にとって考える。渡邊(2015)によると、ヨルダン王国は1923年に成立した英国委任統治領のトランスヨルダンを前身とし、1946年に独立、1950年にヨルダン・ハーシム王国に改称して現在に至る、新しい国家である。外部世界の影響のもとで成立し、国際政治とアラブ地域政治の二重構造のもとに発展してきた。
ヨルダン国内政治における体制のメカニズムについて、北澤(2001)は、ヨルダン王制が主張する正統性の根拠として、ハーシム王家が預言者ムハンマドの家系に属するイスラーム的正当性を有している点、アラブ大反乱を指導した家系であるというアラブ的正当性を有している点を挙げている。渡邊(2015)によると、このような正統性は少なからぬ数の君主制が1950-60年代に崩壊しているという経験的事実から疑義を付すことが可能であり、今日における実証的な評価が必要であるとは思われるが、少なくとも王制がそのような主張を行っているという点から、ヨルダン王政が体制のために利用する資源としていくらかの程度の意味をもっていると考えることができる、としている。
また、ヨルダン王国の王朝システムについて、渡邊(2015)は、君主制の体制維持を左右する本質的な要因として、後継者問題をあげている。君主制は世襲によって維持される体制であり後継者が存在しなければ体制を維持することができない。しかし、人数が多くなると、後継者を巡った派閥争いの危険が生まれる。
ヨルダンの場合は、君主制が地域内の影響によるものと外部世界からの影響、両方によるものである。さらに、現代では後継者の問題が起きている。これを西欧に置き換えて考えると、君主制が残存する理由として、後継者問題が関連しているのではないだろうか。西欧の場合、ほとんどの君主制を取り入れている国で王位継承について整備されており、一人では無く複数人が次期王位として位が定められている。このように次期の王位についての制度が整っていることから、後継者が途絶えること無く続き、現在にも残存しているのではないだろうか。
今回、今まであまり深く追究することの無かった君主制について触れ、自分で考えることが出来た。今回の調査・考察により、現代の政治は、現代社会に合わせたかたちになっているものの、今までの風潮や歴史的背景に深く影響を受けているものが多いと感じた。歴史を学ぶことで、現代との共通点を発見し、それをもとに現代に合った政治へと活かすことが出来るのではないだろうか。そのためにも、歴史を学び、現代の世界事情を見ることが重要になってくると感じた。昔と今、現代のさまざまな国同士で、互いに学び合いながら、よりよい体制へと変化できるようになっていけばいいと思った。
【参考文献】
・コトバンク 君主制 https://kotobank.jp/word/%E5%90%9B%E4%B8%BB%E5%88%B6-58367
・渡邊駿、『中東における君主制と政治変動¬¬ –アラブ君主制における国家群におけるヨルダン・ハーシム王家の位置づけ-』(2015)
投稿: 麻婆豆風 | 2018年6月30日 (土) 02時26分
近代における君主制導入の意義 1503字 天下布武
近代は平等を原理にしている。しかし、その平等の原理に反した君主制が導入されている国もある。例として、君主の権力が制限されている立憲君主制や君主が絶対的権力をもって支配し、専制的な政治を行う絶対君主制が挙げられる。そこで、私は平等を原理にしている近代において、平等の原理に反した君主制が導入されている意味を考察したい。ここでは君主制を立憲君主制と絶対君主制の二つに分けて、それぞれの意味を考えるとする。
最初に、立憲君主制が導入されている意味について考察する。イギリスを例にとってみると、近年、イギリスで君主制についての世論調査が行われた。そこでは君主制を維持したい国民が76%、イギリスを共和国にしたいと考えている国民が17%、7%が不明と回答があった。さらに、ロイヤルファミリーに対する国民の支持率は、過去20年以上に渡り次第に高くなっているとある(Monarchy popular as ever ahead of Queen's 90th Birthday celebrations)。君主制を維持したい国民が76%と高水準で、ロイヤルファミリーに対する国民の支持率が年を経るごとに強まっていることから、国民は王室を権威あるものと見なし、尊敬の意を持っていると考えられる。また、野口は現代の君主について「一般論として現代の君主に求められているのは国民の『統合の象徴』としての"権威"や"尊厳"であって、政治的干渉ではないはずである。」(スペインにおける王制の憲法的課題と現状)と述べている。私も君主は政治的権力を持つことなく、伝統のある象徴として存在するべきであると考える。これらのことから、立憲君主制には王室などの象徴を国民統制の最大要素として掲げることで国の一体感を強める意味があるのではないだろうか。
次に、絶対君主制が導入されている意味について考察する。絶対君主制は国家元首が行政権、立法権、司法権を持っているために元首の政治に対する考えが速やかに反映されると考えられる。絶対的権力を持っていた点から考えると、古代アテナイのペリクレスは多大な能力や実績があったために権力を持っていたが、独裁的に振る舞うことなく、評議員に俸給を支払うことで市民の積極的な政治参加を促したり、役人の抽選制を導入し、誰でも政治に参加できるようにすることでアテネの民主化に努めた。また、帝政ローマのアウグストゥスは通貨制度改革、世界初の年金制度導入など善政に努め、芸術面においてはラテン文学の全盛期の立役者になった。さらに、近代の絶対君主的存在について考えると、ソ連のスターリンや中国の毛沢東など革命によって権力を手にした人物は自身に反対する勢力を粛清した事例があったが、ベトナムのホーチミンは汚職等とは縁がなく、自分が崇拝の対象になることを嫌った。ホーチミンはベトナム戦争の際にラジオ演説で独立と自由ほど尊いものはないと呼びかけて国民を鼓舞したり、ホーおじさんと呼ばれて親しまれている。このように、一人の人に権力が集中すると善政を行う人物であれば、よい国づくりが為されると考えられる。これらのことから、絶対君主制には善政を行う人物が元首の座に就き、政治政策を速やかに行うことで、国民生活をよりよいものにする意味があるのではないだろうか。
私は平等を原理にしている近代で、それに反した君主制が導入されている意味について考察した。このレポートを通して、君主制にも意味があることを再認識し、君主制を廃止すべきとは一概に言えないことが分かった。立憲君主制には伝統的な象徴を国民統制の要素にすることで一体感を強める意味があり、絶対君主制には政治政策の速やかな反映が国民生活をよりよいものにする意味がある。平等の原理に反していても、無意味に君主制を導入しているのではなく、狙いがあり、その結果として君主制を導入していると言える。
投稿: 天下布武 | 2018年6月29日 (金) 22時23分
タイトル:「不平等の下での君主制の存在意義」
四文字熟語:消字性能
文字数:1619文字
近代社会において、平等という原理がある。しかし、君主制はその原理に反している。例えば、王家などその家庭に後継者として誕生したのであれば、必然的にその王家を継ぐことが求められる。これは、世界人権宣言第23条の職業選択の自由の侵害にあたってしまう。このほか、参政権や社会権など生まれながらに持つ様々な権利の放棄が君主制では求められてしまう。これは、近代社会の平等という原理に反しているにも関わらず、なぜ今もなお複数の国で君主制が残存しているのかについて考えたい。
今回は、ヨーロッパの君主制につて詳しく考えていく。現在の君主制は、絶対君主制国家は少なく、その大半は立憲君主制国家である。そのため、政治体制は民主的に行われ、伝統的な権威を持つ君主は国家や国民統合のシンボルとして君臨している。それにより、君主は政治的な実権が制限されているが、「司法・立法・行政」の三権にどの程度関わるかは、その国によって異なっている。
立憲君主制の下では、多くの君主は政治に大きく関与しない。しかし、反立憲君主制主義者や国枠主義者によって、専制政治のシンボルとして利用される危険性があることを注意しなければならない。しかし、そのような危険性を日常生活で感じることはほぼなく、君主を危険分子として見ることもなく、むしろ高貴な人物として見ることが多いだろう。その理由は、君主制が伝統的な文化の拠り所となっているからではないだろうか。勲章の授与を君主が行うことにありがたみを感じるのは、その勲章よりも、勲章を授与するのが君主であることに意味を感じるかではないだろうか。それは、国内のみならず世界に向けても道都であると考えられる。君主は外交に大きな影響を与える。その国の伝統や文化を受け継いできた一族であり、その国の顔となる人物である。また、その国の文化や歴史の宣伝者であると同時に、程よい距離で政府の活動の穴を埋める役割を担っている。そういった君主に価値を感じるのは、政治の顔であるが、選挙結果によって変わる大統領や首相と違い、代々引き継がれ、継続性、安定性があることが大きいだろう。
しかし、君主制の下では、王族の基本的人権が大きく制約されてしまう。社会権・平等権・参政権・請求権のみならず、思想信条の自由、表現の自由、職業選択の自由といったあらゆる権利が制限されてしまう。たが、イギリス王室を見てみると、最近でもヘンリー王子が、アメリカ人であるメーガン・マークル氏が結婚をし、メーガン・マークル氏は正式なロイヤルファミリーとなった。また、職業でも英紙デイリー・メールによると、ウィリアム王子は、民間企業での救急ヘリパイロットの仕事を辞め、王室の仕事に集中すると伝えたことから、
王室の仕事という自由に職業を選択できていないものの、それまでは、民間企業で働いていたことからある程度の職業選択の自由は認められていることがわかる。
近代社会の平等という原理から見ると、君主制はその原理に反しているのは事実である。いくら我々の職業選択の自由があるからといって、君主になることは無理である。また、王家、王族にとっても、生まれながらに持つ権利が奪われているから、平等であるといい難い。しかし、現在多くの君主が残存しているのは、君主制に価値を感じているからではないだろうか。その国の象徴であり、国民統合のシンボルであり、伝統的な世襲制があるからこそ、そこに価値を感じるのではないだろうか。さらに、政治に深く関与していないこともその理由に挙げられる。もし、政治に関与し、絶対君主制の国家を築こうとした場合、王家・王族はつぶされてしまうだろう。だからこそ、世界で君主制の国家のうち、絶対君主制の国家がわずかな少数派であるといえる。世襲制であることに価値が生まれているが、がんじがらめで自由の奪われた君主ではなく、イギリス王室のように多少自由な新しい君主制が未来の君主制といえるのかもしれない。
参考文献・資料(最終閲覧日は、2018.06.20)
・立命館大学2016 年度社会学研究科修士論文「イギリス君主制(王室)の<姿>に関する考察 王室儀礼における<公>と<私>の観点から」吉田 知准 2016年
(http://www.ritsumei.ac.jp/file.jsp?id=336199)
・ニュースウィーク日本語版「トランプ勝利で実感するイギリス君主制の良さ」コリン・ジョイス2016.11.18
(https://www.newsweekjapan.jp/joyce/2016/11/post-116_1.php)
・東洋経済オンライン「日本の立憲君主制は世界から遅れているのか」
(https://toyokeizai.net/articles//212027?utm_source=auweb&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&utm_content=article)
投稿: 消字性能 | 2018年6月29日 (金) 20時25分
近代社会と西欧の君主制
1605字 相葉雅紀
近代社会とは、能動主義と個人主義の2つの態度によって定義できるような社会である。能動主義とは、外部の世界に対して超越し、外部の世界を制御することを肯定する態度である。このような制御は自覚的な選択的実践として現れるので、必然的に未来に措定された目標に対する有効性によって現在の行為を評価しようとする態度を伴っている。また、個人主義とは、価値評価に際して、集合体よりも個人を準拠にする態度である。近代社会の条件である能動主義と個人主義は、経済の面では産業化、政治の面では民主主義、価値観の面では自由や平等の理念と、それぞれ適合的であった。つまり、近代社会を簡単にまとめると、市民革命および産業革命による封建的・共同体的社会の崩壊に伴って現れてきた社会である。経済的には資本主義、政治的には民主主義、思想的には個人主義を基調にした開放的社会とされる。典型的な近代社会が西欧に登場したのは19世紀である。この近代社会と真逆の意味をもつのが君主制である。君主制とは、国王や皇帝、天皇といった、伝統的権威を帯びた君主を国民統合のシンボルとする政治体制である。君主制の1つに、絶対王政が存在する。絶対王政の出現は、封建社会から近代社会への過渡期の西欧に見られた。封建領主層やブルジョワジーなどの上位身分に支えられ、国王が官僚組織と常備軍制度をもって「国民」を一元的に直接統治する主権国家の形成期の政治状態が絶対王政であった。典型的な絶対王政国家として、15~16世紀にかけての早い時期のポルトガル、スペイン、16~17世紀のテューダー朝のイギリス、17~18世紀のブルボン朝のフランスなどがある。また、イギリス・フランスでは絶対王政を理論づける思想である王権神授説が展開された。王権神授説とは、王権は神から国王に授けられたもので、その権力は神聖で絶対的なものであるとする政治思想である。フランスではルイ14世の時代が絶対王政の最盛期とされ、国王が絶対的な権力を手中に収め、王国のすみずみまで強力な支配を及ぼしていた。この絶対王政こそ、フランス革命が打倒した体裁である。この時代の西欧は、国王の支配は絶対的なものであり、明文化された法がなくとも、王権神授説などの思想で絶対王政を正当化していたと考える。また、上位身分になれるかなれないかで人生が大きく左右される時代であったと考える。そんな絶対王政もフランス革命やイギリス革命によって倒れた。そして、君主制から、人民または人民の大部分が統治上の最高決定権を持つ、君主ではない元首を持っている政治体制である共和制に移行した。しかし、現在の世界において、少数ではあるが君主制の国が残っている。日本もその中の1つである。だが、生き残った君主制国家もほとんどは儀礼的な立場に退き民主主義を敷いており自らが政務を行う例はごくわずかである。また、新たな君主国もほとんど誕生していない。これは、近現代以降において国家の役割が増加しており、旧来のように限られた一族や少数の貴族で国政を担うことが困難になったためである。さらに、事実上の独裁を敷いている途上国においても、新たに君主を名乗って独裁を明らかにした場合、他国や世界銀行からの援助を得づらいということも指摘されている。したがって、現代では、援助を引き出すため名目上は共和国、大統領を名乗って民主的であることを主張し独裁を否定していることが多い。かつては多くの地域で敷かれていた君主制は現代ではもはや利点を失ってしまったように見えるが、現代でも国家や民族の統合の象徴として機能している。西欧の君主制のように国王が国民を直接統治することは明らかに上位身分と一般人の差別であるため、私は反対である。しかし、リーダーがいない国家はまとまりがなく崩壊してしまう。どの時代においても、リーダーは必要不可欠な存在である。そういう意味では、君主制はこれからも残り続けると考える。
投稿: 相葉雅紀 | 2018年6月29日 (金) 15時05分
タイトル 「概念としての自由と平等」
字数 「1545字」
四字熟語 「笑門福来」
近代社会において、自由と平等は人権を考える際によく基本とされる。当然、1789年フランス人権宣言でも謳っている通り、それは基本的なものなのかもしれないが、これら二つの権利は個々人に対して絶対的なものではない。例えば、職業選択の自由というものがある。これは個人がどのような職業に就くことも基本的には許される、生まれだけでその生き方が決められることはない、というものだが、もし50歳を越えた成人がプロ野球選手を目指すとしたら、それは自由だろうか。もちろんその意気は誰も否定しないかもしれないが、現実には不可能なことである。これはよく 聞く 例だが、ここには絶対的な自由権はないといえる。他にも平等について、特に過程と成果の関係はどうだろうか。周りより労力を使った人は、多く結果が伴うとする。しかしこれは結果の平等なのだろうか。逆に労力を使ったのにもかかわらず、周りと同じ結果のこともある。これはより平等ではないのだろうか。こういった個々人の問題になると、自由も平等も成り立たない。そもそも実現不可能なもののようにも思える。
範囲を大きく考えてみても、国レベルの権利である。世界に対して、自らは自由であり平等だからどこを訪れても構わないということはなく、国ごとの法律や決まりがあり、それに従っている。その法律や決まりにより、自由や平等は制限されると同時に、守られている。つまり、自由や平等は制限されることで守られるものであり、実質的なものではなく、概念的なものだということになる。そしてその為にはその自由や平等を律する立場が必要になる。
前述した内容から考えると、現代における君主とは律する立場のことを指し、君主制とは君主により自由で平等にされている世界のこと、それを指すべきとされているのではないだろうか。よって、君主制と自由・平等は共存するのではないか。しかし、歴史の中では何度も君主の独裁によって終わりを迎えている事象が記録されている。この中に出てくる君主と現代の君主、何が違うのだろうか。
それは主に多数の意見の尊重と、少数の意見の強引な採用のバランスであると考える。よく、少数派の意見を無下にしてはいけないというが、現代の権利においては多数派の意見を採用することが多い。性別のマイノリティに関する問題や、生命の倫理観の問題については今後の世界の情勢によってどのように変化するのかわからないが、こと自由や平等については多数が有利となる。個人の自由を守るために多数の自由を侵す場合、それは個人の自由を侵して多数の自由を守るべきとされるのだ。平等も同じことが言える。過去の破滅した君主の中には、「自らやその周り」の利益のために、多数派の権利を侵すことが多かった。これは「自らやその周り」をどの範囲と捉えていたかによって少し意味合いが変わるが、基本的にはその範囲より大きな範囲の権利を侵したため、飲み込まれてしまったと考える。
現代の主要な君主制は立憲君主制、特にイギリス型・議会主義的な君主制とされる。これは、一つの立場が権力を持ちすぎないよう、議会を中心に力が分散されているものだが、これにより細かく見た平等はなくとも、概念的な自由と平等は律されている。概念としての平等は、君主制により平等ではないという考え方ではなく、概念的な平等を達成しているため、そういった平等は考えないということなのだろう。自由も同じことであるといえるが、問題はこの自由と平等は時代とともに変化していくということだ。何も考えず変えること、変えないことはどちらも受け入れられないが、現代の自由と平等のあり方、その意味を考えることは、今後の問題を解決する基本になるといえる。
投稿: 笑門福喜 | 2018年6月29日 (金) 13時31分
タイトル 「概念としての自由と平等」
字数 「1545字」
四字熟語 「笑門福来」
近代社会において、自由と平等は人権を考える際によく基本とされる。当然、1789年フランス人権宣言でも謳っている通り、それは基本的なものなのかもしれないが、これら二つの権利は個々人に対して絶対的なものではない。例えば、職業選択の自由というものがある。これは個人がどのような職業に就くことも基本的には許される、生まれだけでその生き方が決められることはない、というものだが、もし50歳を越えた成人がプロ野球選手を目指すとしたら、それは自由だろうか。もちろんその意気は誰も否定しないかもしれないが、現実には不可能なことである。これはよく 聞く 例だが、ここには絶対的な自由権はないといえる。他にも平等について、特に過程と成果の関係はどうだろうか。周りより労力を使った人は、多く結果が伴うとする。しかしこれは結果の平等なのだろうか。逆に労力を使ったのにもかかわらず、周りと同じ結果のこともある。これはより平等ではないのだろうか。こういった個々人の問題になると、自由も平等も成り立たない。そもそも実現不可能なもののようにも思える。
範囲を大きく考えてみても、国レベルの権利である。世界に対して、自らは自由であり平等だからどこを訪れても構わないということはなく、国ごとの法律や決まりがあり、それに従っている。その法律や決まりにより、自由や平等は制限されると同時に、守られている。つまり、自由や平等は制限されることで守られるものであり、実質的なものではなく、概念的なものだということになる。そしてその為にはその自由や平等を律する立場が必要になる。
前述した内容から考えると、現代における君主とは律する立場のことを指し、君主制とは君主により自由で平等にされている世界のこと、それを指すべきとされているのではないだろうか。よって、君主制と自由・平等は共存するのではないか。しかし、歴史の中では何度も君主の独裁によって終わりを迎えている事象が記録されている。この中に出てくる君主と現代の君主、何が違うのだろうか。
それは主に多数の意見の尊重と、少数の意見の強引な採用のバランスであると考える。よく、少数派の意見を無下にしてはいけないというが、現代の権利においては多数派の意見を採用することが多い。性別のマイノリティに関する問題や、生命の倫理観の問題については今後の世界の情勢によってどのように変化するのかわからないが、こと自由や平等については多数が有利となる。個人の自由を守るために多数の自由を侵す場合、それは個人の自由を侵して多数の自由を守るべきとされるのだ。平等も同じことが言える。過去の破滅した君主の中には、「自らやその周り」の利益のために、多数派の権利を侵すことが多かった。これは「自らやその周り」をどの範囲と捉えていたかによって少し意味合いが変わるが、基本的にはその範囲より大きな範囲の権利を侵したため、飲み込まれてしまったと考える。
現代の主要な君主制は立憲君主制、特にイギリス型・議会主義的な君主制とされる。これは、一つの立場が権力を持ちすぎないよう、議会を中心に力が分散されているものだが、これにより細かく見た平等はなくとも、概念的な自由と平等は律されている。概念としての平等は、君主制により平等ではないという考え方ではなく、概念的な平等を達成しているため、そういった平等は考えないということなのだろう。自由も同じことであるといえるが、問題はこの自由と平等は時代とともに変化していくということだ。何も考えず変えること、変えないことはどちらも受け入れられないが、現代の自由と平等のあり方、その意味を考えることは、今後の問題を解決する基本になるといえる。
投稿: 笑門福喜 | 2018年6月29日 (金) 13時25分
近代社会に君主制が残存する理由
~ヘーゲルの君主意思決定論を基に考察~
君主制とは君主が存在する国のことを指す。対して、君主が存在しない国を共和制として、“共和制全構成員の共通の利益のために存在するものとされる政治体制”を理念とした。すなわち共和制とは身分や立場における平等がひとつの原理となる。イギリスでのピューリタン革命、名誉革命、フランスでのフランス革命などから、近代以降の社会は共和制や平等を原理としているはずであるにも関わらず、世界各国には君主制を取る国々が残存する。革命運動が盛んであった西欧においても、24か国(英国連邦王国を含む)もの国が君主制を取っている。
現存する君主制国家の多くは立憲君主制で、「君主の権力が憲法により規制されている君主制」である。民主制との妥協点とも言われる。なぜ、妥協をしてまで君主制は残り続けるのか。
実際にその疑問を体現するように、「君主制廃止論」が近代社会で主張される場合もある。現在君主制でありながらその廃止が議論に上がる国としてイギリスやオーストラリア、ベルギー、スウェーデンが挙げられる。日本もその中の一国である。
平等や共和制の意識が浸透した近代社会にも関わらず君主が現存する違和感(世襲であり、政府によって特権的身分が保障される反面、生まれながらにして移動や職業選択の自由が付与されない)を含めて、君主制の議論として主にあるのが、立憲君主制における君主の形式化である。
ドイツの哲学者、ヘーゲルの著書『法の哲学 要綱』によると“君主に求められるのは、「然るべく」(Ja)と言って“I”の文字に《点》を打つ”ことであるとしている。そのヘーゲルによる君主の意思決定論に対してシューバルトは、君主の決定は形式的で、実質的な政治の決定権は政府にあり、君主の決定には政治的な意味が含まれないものにしていると解釈し、君主制を冒涜するものとして批判した。その解釈は君主制が形式的であるという事を裏付ける。
その解釈が一般的であるとすれば、立憲君主制は成立しない。民主制と妥協してでも君主制が現存し、それを市民が支持続ける理由があるはずである。現に1999年オーストラリア国民投票や世論調査の結果は国ごとの差があれど、過半数が立憲君主制の現状維持を支持している。
ヘーゲルの君主意思決定論において、シューバルトのように形式化を冒涜と取らず、むしろ形式的であることは実質的な性格を持たないということであり、立憲君主制に矛盾がないとしてヘーゲルを擁護する意見もある。その一例としてヘーゲルの高弟ガンスによって再編された『法の哲学 要綱〈補遺〉』から引用する。
“すなわち最高位は、すべての逸脱を防ぐようにして振る舞い、いわば、彼への密告を、お説のとおり、彼のために本来の領域へと導くということである”
つまりは君主が「“I”の文字に《点》を打つ」からこそ、実質的な決定権を持つ政府は政治に対する助言に責任を持ち、国家をより良いものにしてゆく、という主張である。また、形式的であることについても、立憲君主制としての君主の役割を果たすとし、その名前を最高位たらしめるものが、血統を重要視する世襲制であるのだ。それを市民が直感的にあるいは理性的に理解をしているという事が、君主制が残存し、支持され続ける理由、正当性であるであるのではないかと考える。
ヘーゲルの『法の哲学 要綱』はヘーゲルが学生達に行う講義のために作られた教科書であり、ヘーゲルが1831年に逝去したのち高弟のガンスによって、講義の中で補完された口頭の文言を追記した『法の哲学 要綱〈補遺〉』で
“君主は助言の具体的内容に拘束されるのであって、国制がしっかりしていれば、君主にはしばしば署名する以上になすべきことはないものなのです。しかしこの名前が重要なのであって、それは乗り越ええない最高位なのです”とつづられている事から、ガンスの見解はおおむねヘーゲルのものに近いと言える。さらに、市民が平等や共和制の意識を持ち続ける現在においても、立憲君主制が支持され続ける理由や正当性を肉付けしていると考える。
さらに、蛇足であるが、君主には国家の一体性を国内外に知らしめる役割があると考える。その役割は近代社会においても重要であり、実際に日本、イギリスにおいては世襲君主が存在する。一人の個人の存在という点におきかえれば、中国の国家主席も、アメリカの大統領も、いわゆる選挙君主と言える。それらは、近代社会の国家にとって、市民の平等や自由を保護、維持するために一人の個人の存在(いわば君主)という不平等が不可欠であることの証明でもあるのだ。(1856文字)
《参考・引用文献》
堅田 剛(2015)「ヘーゲルの《点》、あるいは立憲君主制について : 《点》とは何か」,『獨協法学』96, p. 147 - 179, 獨協大学法学会.
ヘーゲル『法の哲学――自然法と国家学の要綱――』上妻精・佐藤康邦・山田忠彰訳,全集,9b,岩波書店,(2001)
『AFP-BB NEWS豪で君主制廃止論再燃? 首相「女王退位後に共和制移行を」』http://www.afpbb.com/articles/-/3111776 (2018.6.28)
投稿: 東京大学 | 2018年6月29日 (金) 05時25分
討論 君主制
一日一膳
近代では格差は許されなかった。平等をうたって君主制、王政、そして帝政である国は減っていった。しかし、これらは残存しているようだ。それはなぜなのだろうか。
まず君主制、王政、帝政とはそれぞれ何なのか。調べてみると、君主制とは特定の1人が国の主権者である国家・政治形態のことである。君主制の中でも3つの種類に分けられ、世襲君主制、選挙君主制、立憲君主制が存在する。まず世襲君主制とは、君主の地位が血統に基づいて定まるものであり、選挙君主制は、一定の選挙権者の選挙によって君主が決まるものである。最後に立憲君主制とは、立憲主義によって君主の統治権を制限する君主制であり、「君臨すれど統治せず」のイギリスが代表的な例がある。徐々に主権をもはやまったく失って象徴的な意義をもつにとどまる、象徴君主制も見られるようになった。
次に王政とは何か。王政は、帝王や国王が行う政治であり、過去に絶対王政と呼ばれるものがあった。帝政も王政と似たような意味合いがあり、皇帝が統治する政治、またはその政治形態のことを指す。以上3つの政治形態の定義を確認してきたが、どれも特定の1人が国の主導権を握り、国民を動かしているようなニュアンスが読み取れる。これらが平等とは、どう考えても捉えることができない。
西洋における近代は市民革命、ルネサンス、宗教改革、そしてフランス革命からであり、日本における近代は、明治維新後である。上記の4つに共通することは、絶対主義や個人の特権を批判し、平等をうたったものであるということだ。市民革命では農奴制や主従関係といった封建社会を打倒したし、宗教改革では教皇の権威や教会の伝承の拘束力を認めない福音主義をうたった。そしてこの近代革命たちの中で一番代表的なのがフランス革命である。フランス革命は自由・平等・博愛をかかげ、民主主義の土台になった。さらにフランス人権宣言では、自由権と平等な権利主体が宣言されている。どれを見ても、君主制を賛成するようなものは見当たらない。
しかし、君主制は今でも残っている。フランス革命は平等をうたったといっても、最終的にはナポレオンの独裁政治に終わった。イギリス革命もクロンウェル独裁、ロシア革命もスターリン独裁に結局終わっている。そして現在でもなおイギリスなどの国で君主制が尊重されている。「誰もが平等」であるはずなのに、なぜこんなにも王様に対して尊敬を抱く形になっているのだろうか。
君主制が残存する理由。私はそれは、国を引っ張る誰か大きな権力者がいないと、私たちは不安になるからではないかと思う。あるイギリス人は、「エリザベス女王はイギリスの象徴であり、英国民すべてを代表する存在でもある。そして女王は政治の外側にいる。」と述べている。政治の外側にいるなら、国を引っ張っているとは言えないのではないかと思うかもしれないが、イギリスの象徴であるということは、エリザベス女王の人柄などがイギリスという国のイメージにつながるということだ。イギリスのイメージになる人物が、国を引っ張っていないとは一概には言えない。誰しも平等で、誰もが一般人であったら、国の消失レベルの危機に陥ったとき、誰が国を引っ張っていけばよいのだろうか。町や市といった小さな区切りの団体でも、必ず長という者がいる。誰かがリーダーとなって先陣を切らなければ、物事は進まないのである。
また、君主制であること自体が、その国の伝統や文化だということもある。つまり、君主制であること以外の考えがないのである。たとえばアラブ首長国連邦では、君主制を尊ぶ固有の文化・伝統がある。君主制であることが正当となっているのである。長年変わらない文化や伝統を崩すことは、かなり容易ではない。また長年の伝統であるならば、君主制がおかしい、嫌だということを感じづらい。そして今も君主制が続いているということは、そのシステムがその国に合っているからなのであろう。
まとめると、君主制が残っているのは、誰が国を引っ張っていくのかという不安を紛らわす、誰かを象徴することで安心感を得るため、そして長年の固有の文化だからであると私は考える。
参考文献 コトバンク hettps://kotobank.jp
ニューズウィーク日本版 「トランプ勝利で実感するイギリス君主制の良さ」 hettps://newsweekjapan.jp
池内 恵 『アラブの君主制はなぜ持続してきたのか』 www.jccome.or.jp> kias>pdf
投稿: 一日一膳 | 2018年6月29日 (金) 01時37分
「西欧における君主制」1589字 平和主義
君主制とは、特定の1人が国の主権者である国家・政治の形態のことを言う。その特定の1人を君主と呼び、憲法などの制度によって制約を受ける制限君主制と、君主の意思が何者にも制約されない絶対君主制とがある。
20世紀、2度の世界大戦とその後の冷戦、植民地の独立などによって、何度も政治的なパワーバランスの大きな変化があった。19世紀までの西欧列強による植民地争奪競争と市民革命の流れは終了し、20世紀の初頭には、列強による本国と獲得した植民地保護を維持するために、勢力均衡による安全保障が図られるようになり、また市民革命や人権問題などにおいては、後回しとされがちで、社会改革への要求が強まった。
もともと、人類史においての政治の基本は「共和制」であった。共和制とは、主権は国民で、直接または間接的に選出された国家元首や複数の代表者によって統治させる政治形態のことである。君主制とは逆の政治のやり方で、国民の意思に基づく政治が行われる。多くの国が、共和制を取っている中、西欧では君主制が行われている国も少なくない。共和制が基本となっていたが、衆愚化を伴う欠陥があった。その欠陥をその際の君主が利用し、能力のある人材を自分の周りに配置し、特権を与え、君主制が生まれた。
近代において、世界に影響を与えてきた地域は、西欧であると言われている。西欧の近代は、世界の近代化過程において普遍化されていた。この普遍化という手段は、軍事や文化など様々な分野にわたっている。これによって、地理的差異はこの地球から原則的に減少している。近代思想においても、まさに西欧が世界の標準を進んでいた。国民生活の様々な領域で西欧近代が無意識的に標準であったのである。
中世における西欧の社会から考えていこうと思う。中世において、西欧は、封建社会であり、身分制的秩序、つまり不平等、不自由をその原理にしていた。この身分的秩序は位階制、ピラミッド型秩序を特徴としている。重層的な支配原理において、身分が上昇すればするほど、形式的支配権は、向上するが、実質的支配権は希薄になる。身分上の上下関係は、命令する立場の者と命令される立場の者の関係だけではなく、命令される立場の者といっても、命令する立場の者の命令を拒絶することができる。その理由は、実効的で内容的支配権は身分的下位者にあることによって、基本的決定原理が完成するからである。それに対し、近代に時代が変化するにつれて、国王中心的な秩序が形成され、従来の上層領主が実効的支配力を喪失することによって、宮延貴族化する。中世における貴族が常備軍と官僚機構の構成員になるため、国王中心の権力維持が進んでいく。このような政治体制は、絶対主義国家における国王の中立的専制主義として特徴づけられ、中央集中的国家が出現する。君主と臣民は、一元的な支配・被支配関係に入る。これが、20世紀の近代の政治的原理と共通している。このように、西欧における君主制が近代においても残っているのは、中世の政治の動きがもとになっているのである。
君主1人が、国家を支配する君主制は、中世社会の中で形成されてきた。支配的な決定原理は、決定しないという選択肢を暗黙の前提としている。その場合、現状を維持することができる。これは、社会的、政治的な秩序は神によって創造されている、というしそう思想であった、中世社会において最良の選択肢であったからである。今では、共和制を多くの国家が取り入れているが、西欧で君主制が多く残っているのは、中世における中央集中国家の出現、絶対主義国家であったためであると考えられる。必ずしも君主制を社会からなくしたからといって、身分が平等になるという保障はない。しかし、国民の意見や考えを反映できる環境をつくらなければ、平等と言える社会はこないのではないだろうか。
投稿: 平和主義 | 2018年6月29日 (金) 00時47分
「近代の西洋における君主制の残存と平等について」 1672字 福山雅治
1、はじめに
このテーマについて取り掛かる前に、まず君主制とは何かを定義する。日本大百科全書によると「王制ともいう。一般には、世襲の君主が、ある政治共同体において最高権力(主権)をもつ政治形態。17、18世紀の市民革命前には多数みられた。」 とある。このように君主制というものは中世に主に存在していた。では、なぜ現代でもイギリス、デンマーク、スウェーデン、そしてわれらが日本など多くの国に残存しているのだろうか。君主制は近代の平等を重視する社会にとって必要なのだろうか。このことについてこのレポートでは探っていきたい。
2、君主制について
まず、最初に示さなければならないことがある。現在残っている君主制にも数種類あるということだ。16世紀初めに絶大な権力をふるった絶対君主制、憲法または立憲主義によって君主の統治権を制限する立憲君主制、主権をもはやまったく失って象徴的な意義を持つにとどまる象徴君主制などがある。日本やイギリスは立憲君主制であり、スウェーデンなどが一般的に象徴君主制といわれる。また中東を中心にバチカン市国なども絶対君主制がいまだに残存しているのが現状である。西洋に注目したとき、西洋にはイギリス、スウェーデン、バチカン市国とすべての種類の(細分すると違うが)君主制が存在していることがわかる。次に共和制と君主制(ここでは立憲君主制で考える)のメリット・デメリットを考えてみる。まず「アメリカに代表される共和制は、君主ではなく、人民が権力を持っている制度で、基本的に選挙で代理人を選択肢、権力の行使を委ねるといった政体です。
絶対君主制と異なり、任期があるので、権力の集中が起こりづらく、腐敗しにくいため、長期的に安定した政体と言えます。失政が発生したら選挙によって平和的に権力の移譲が行われるのもポイントです。失敗した場合でもダイナミックなチェンジも起こりやすいです。現在は、変化が激しくなっているので、変化に強い共和制は非常に優れた政体と言えます。ただし問題もあります。代表は選挙で選ばれるため、国民と同レベルの代表が生み出されます。その結果、衆愚政治に陥ってしまう可能性があるということです。」 。「また立憲君主制は、君主の権力が著しく制限された政体で、権力の行使者は、共和制同様選挙で選ばれますが、それとは別に、伝統的権威者として国王が存在します。国王は権力を持っていませんが、言葉を発すれば、皆がははーと、尊敬される人なので、権威を持ってして政治を動かすことができます。例えば、戦争や大災害などが起き、政府が機能不全になったとしても、そこに国王が言葉を発すれば・・・、権力はなくても皆従うことになるでしょう。もちろん、国王が頻繁に言葉を発すれば、権威がなくなってしまうので、よほどのことがない限りは発することはありません。実際、昭和天皇が、立憲君主として動いたのは、226事件と終戦の時のわずか2回だけでした。欠点としては、君主制であることには変わらないので、共和制のようなダイナミックな変化が起こりにくいということでしょうか。それぐらいで、変化しないというわけではないので、長期的には最も安定した政体と言えます。」 とある。ここで私が考えたのは、平等性というのは時代の流れがすでに保証していて、君主制という不動の存在が逆説的に安心感を与えているのではということだ。経済の進歩により身分制の解体が進んだ近代では、人々が安定感を失っている。そこに近代における君主制の残存の理由があるのではないかと私は考えた。
3、まとめ
私は、共和制、様々な君主制との比較により近代における君主制の残存とそれに伴う平等について考えた。その結果、近代における経済発展に伴う身分制の解体などにより不安にさらされることの多くなった人々の精神的支柱として君主制が近代においても有効ということが分かった。
小学館 日本大百科全書 https://kotobank.jp/dictionary/nipponica/
科学するネット http://kagakusuru.net/
科学するネット http://kagakusuru.net/
<参考>
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 https://kotobank.jp/dictionary/britannica/
投稿: 福山雅治 | 2018年6月28日 (木) 10時02分
なぜ今もなお、君主制を取り入れる国家が西欧では存在するのか 1658字 藤井四段
今日の社会では、世界人権宣言や国際人権規約といった条文などによって、人権というものを保障し、人は平等であることを説いている。このような背景から世界的にみても、共和制を取り入れた国家が多く存在しています。しかし、一部の国や地域では“君主制”を取り入れている。また、君主制には、ただ一人の人物だけが主権を所持し、統治する“絶対君主制”や一部の権力が限定されている“立憲君主制”がある。これらを踏まえて、2つの君主制の特徴(メリットやデメリットなど)と共和制について、それぞれ述べていきながら、それを採用する国家の意図について考えていこうと思う。
絶対君主制を採用している国では、国のトップに位置づけられる元首が国家を治める統治権(司法権、立法権、行政権)を所持している。大体の国では世襲制であるため、長い間同じ人物が元首として国を治める人が多い。そのため、急な政治改革等が起こりづらいので、その点では安定しやすい。また、国を治めている人の能力が優れていると自国で起きている様々な政治上の問題点を素早く発見し、それを改善することで国民の生活を安定させることが可能。しかし、元首が暴虐などであった場合、国民を苦しめる法などが次から次へと成立してしまうため、歯止めがかかりません。
立憲君主制は共和制と絶対君主制の間を取った制度で、日本やイギリスなどの国はこれを採用し、取り入れています。立憲君主制の場合、元首の権力は憲法などによって著しく制限されている。そのせいか、国への介入は少ない。国の運営などは、議会等が行っている場合が多く、日本でも“天皇”という元首が存在するが、国の“象徴”と位置付けられており、ほとんど権力は持っていません。また、国家権力は絶対君主制に比べるとそれぞれの期間が受け持つなどと分散している場合が多いので、独裁的な政治が行われることが少なく、国家としては一体化しやすい。
絶対君主制と反対の位置に置かれる“共和制”は主権が元首ではなく、国民が所持していて、基本的には選挙を通じて代表者を指名し、政治を行うというシステムを採用する。国のトップには任期というものがあるため、権力が集中することはほとんどない。そのため、政体が長期的に安定する。また、失政が起こった場合も、選挙を行うことによって、権力をスムーズに移行することができる。しかし、絶対君主制とは違い、法律を作るときには議会の賛成などを得なければならず、迅速な対応が取れない。他の2つに比べて、1番効率の悪い制度となっている。
今では、フランスやドイツは共和制を取り入れた国として表されることが多いが、昔は、国王や皇帝による絶対君主制を採用していた。フランスであればルイ14世、ドイツであればプロイセン時代の皇帝などが権力を握り、国を治めていた。しかしながら、フランスでは、国王による政治に対して反対するものが多く、18世紀にフランス革命が起こり、王政が倒れた。また、プロイセンは19世紀にドイツ帝国が成立。その後、第一次世界大戦敗戦により、ドイツ革命が勃発し、ドイツ帝国が崩壊した。そして、共和国として再出発したが、ナチス・ドイツによる独裁的な政治が行われるといった歴史を持つ。たくさんの人口を持ち、国土の広い両国では、いくら有能な指導者が現れたところで、万人受けする政策などを新たに作ることは不可能に等しい。そのため、国のトップを選挙の結果によって変えることのできる共和制が浸透しつつあると考える。
一方、今でも君主制を採用する国として、西欧ではリヒテンシュタインやルクセンブルクなどが挙げられる。これらの国は国土が狭く、人口が少ないため、国民の反乱も起きにくいのではと考えた。リヒテンシュタインは、国民の直接税が無く、人口よりも企業の数の方が多い。ルクセンブルクでは、国民の失業率が低く、伝統的に労使関係が良好なので、国民が現状に満足しつつある。このような現状から、国民は大きな不満がないため、君主制を廃止することなく、今日まで残り続けているのではないか。
投稿: 藤井四段 | 2018年6月28日 (木) 00時07分
西欧の君主制 1502字 天衣有縫
君主制が西欧に残存しているのは、君主制というものだけではなく、立憲君主制や議会君主制のように、君主に主権が偏らないように使われていることで近代でも君主制というものが残存していると考える。そもそも君主制というのは、君主すなわち、世襲によって国家を治める最高位の人によって統治される政治形態のことである。この国を治める最高位の人物は、各国ごとの王族が代々君主に任命される。だが、絶対王政による君主制によって国が統一されていた西欧では、政治に不満をもった国民が徐々に革命が起こし始め、王族が政権をふるう君主制から、主権が国民にありながら、直接また間接に選出された国家元首や複数の代表者によって統治される共和制へと移行していった。現在では、日本やアメリカでは共和制が行われている。しかし、西欧では、今現在でも歴代、王族が君主を持つという歴史文化は、まだ残存している。
その理由として2つのことが考えられる。まず1つ目に、君主があることで国が統一しやすいという理由が考えられる。イギリスを例として挙げてみる。イギリスは、複数の島から成り立っている国である。そのため、共和制の形をとってしまうと、各国で毎回選挙を決めるのは相当な労力と時間がかかってしまう。その為、君主を歴代王族にし、その中で代々君主になっていくことを決めた方が国を統一しやすくなるというメリットがあると考える。また、イギリスでは昔、軍事力が強く、軍事的な支配また、経済的支配によってイギリス的な政治や経済、文化などが世界的な基準となっていた。さらに、イギリス革命前後で全ての富がイギリスの首都ロンドンへ集合していたことから、権力が首都に集中していった。その結果、イギリスでは君主制が政治の基盤として実際に行われていたことで、西欧でも君主制が各国に浸透していったと考えることができる。
そして2つ目に、憲法によって君主制が行いやすいという理由が考えられる。フランスの憲法的規範や思想の両側面から、フランス人権宣言の関連性について考える。フランス革命後、憲法制定議会では、人権及び市民権の宣言。フランス人権宣言を決議した。その為、フランス人権宣言は、フランス革命の理念を表現している。その理念がフランスの憲法的理念として使用されている。自由と平等の理念が近代での社会的な規定要素となったとされている。このように革命によってこれまで階級制度などがあったため守られてこなかった人権や市民権、そして、抵抗権と自然権の大きく分けて4つの権利を全ての国民に与えられたということは、世界的にも影響を与えた人権宣言であり、それは、フランスの憲法を創っていくうえで重要となるものであると考える。フランス人権宣言の第3条にある「すべての主権の起源は、その本質から国民のもとにある。いかなる団体も、いかなる個人も、国民から明示的に発しない暴力を行使できない」という文章から、今まで行われていた王政による君主主義の原理を否定し、国民主権原理が確立された。すなわち、絶対王政の思想から、国民が君主という国民主権の考え方につながったということになる。現代社会では、日本をはじめとした国々が、国民主権を軸とした人権が守られている憲法によって政治が成り立っている。
以上のことから、西欧の数々の革命によって長きにわたって行われていた絶対王政の君主制から国民に主権がある君主制に変化していっている。平等を原理としていた近代社会で、革命によって創られた全ての国民の主権が皆平等にあり、それが守られているからこそ、近代でもまた現代でも君主制というのは西欧で残存しているのではないかと考えられる。
投稿: 天衣有縫 | 2018年6月26日 (火) 02時30分