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追記 2017年8月15日 追悼 真崎不二彦(2015年1月逝去) 

20170815

 彼が逝去して、はや2年半年が経過した。この間、函館市は衰退に向けて走り出している。本日のニュースでも、イカ業者のために1億円を拠出するそうである。個別業者へ運転資金を供与しても、どうにもならない。来年も、輸入イカの価格が高騰すれば、まだ補助金をだすにちがいない。
  また、路面電車の延伸もまだ夢物語の段階にある。公共交通を整備することもほとんど実施されていない。冬の歩行者の歩行を困難にする政策、アーケードを駅前から撤去しただけである。

  彼によって与えられた宿題は、まだ終わっていない。泥沼から這い出すことである。泥沼の居心地がよいのかもしれない。問題である。早く、宿題を済ませたいが、なかなかうまくいかない。個人の努力ではどうにもならない。
さらに、彼には計り知れない義理を負っている。この恩義に報いることは、もはやできない。彼は黄泉の国へと旅立ってしまったからだ。このような義理を返すことができない人が、増えている。彼らの多くが、すでに後期高齢者に属していた。日本人の平均寿命を超えていた。その順番を大きく変えることはできない。故真崎氏だけでない。多くの知人が帰らぬ人になった。人生の節目、節目で世話になった人は多い。その義理をどのように果たすべきか思案している。
  

20150518 追悼 真崎不二彦 函館護国神社宮司――函館における批判精神とイギリス製高級煙草、ロスマンズ・ロイヤルの消滅

  真崎不二彦 函館護国神社宮司が2015年1月8日他界した。函館の名家に属する宗教人が、この世を去った。故人は、昭和7年3月15日に函館市において生まれた。父、宗次も同神社宮司であり、同職を世襲した。日本の宗教界において、明治以降世襲は一般的である。
 彼は、函館に生まれて以降、21歳で北海道学芸大学(現:北海道教育大学)を卒業するまでこの地で育つ。その後、函館を離れ、昭和33年に二松學舍大学を卒業する。29歳まで、学業に専念する。当時としては、異例である。大学進学率が20%であった時代に、二つの大学を卒業している。大学そして大学院に進学することは、後期近代において稀ではない。しかし、戦後の混乱期に、大正教養主義の理想像に従った青年時代をおくった。彼は20代をほぼ無職として過ごしていた。高等遊民としての資質を育んでいた。文化的素養があった。その間、教職、神職に関する資格を取得しているが、それは彼の余技に属していたのかもしれない。遺影は、神職としての厳かな礼装ではなく、ダンディに上着をはおり、紫煙をたなびかせる姿であった。
 昭和34年に靖国神社に奉職し、37年に同職を退職し、同年に函館護国神社禰宜となる。言わば、同神社のNr. 2 の地位を取得する。しかし、昭和42年以降、東京都において教職を取得する。以後、18年間東京都において、神職としてではなく、教員として過ごす。通常、神職と教職を兼職する場合、地元の学校における教職を選択するのが通常である。なぜ、彼は5年ほど、禰宜として函館に在住しながら、その後居住地を函館ではなく、東京を選択した。その理由は何か。彼のダンディズムの源泉はそこにあろう。東京都の教員として、20年近く生活する。住居は下町であった。不破哲三元共産党委員長の住居も近く、一緒に下町の祭に参加した。共産党の元委員長の御息女も彼の教え子であった。彼の疾風怒濤の時代である。
  この間、能楽堂に日参し、能楽評論に深い造詣を示す。それは『泥舟』等に結実している。しかし、昭和59年に父に代わり、函館護国神社宮司に就任する。すでに、50歳を超えていた。彼は、50歳を超えるまで、東京において教員生活に18年従事している。その間、禰宜として神官職を継続しているが、その生活のほとんどを東京の下町で過ごしている。函館に帰郷するのは、例大祭、正月等の行事のときだけであった。
 帰郷後、函館の政治、社会を批評する記事をいくつかの新聞に寄稿している。北海道新聞の函館版夕刊「みなみ風」の常連であった。また、季刊『日刊政経情報』にほぼ毎号寄稿している。この雑誌には、函館の政界、官界、財界の著名人が寄稿している。国会議員、市長等の政界著名人を除けば、ほぼ函館の実質的な社会的指導者が寄稿している。彼は、宗教界を代表するかたちで、ほぼ毎号寄稿している。この雑誌の寄稿者以外にも、寄稿すべき人間は多かった。財界人のなかでも、エッセイを不得手するものも多かったと思われる。彼の文化的素養からすれば、原稿用紙数枚のエッセイはいとも簡単であった。
  ただ、この機関誌における多くの論稿は、函館の一面をまさに賛美するか、挨拶文の領域をでていない。日常用語をもちいれば、「ヨイショ」論稿が多い。地方都市の実質上の支配層に属する人は、その都市を批判しない。あるいは、その根源的欠陥を明白にしない。
  東京での20年以上の文化的生活に基づき、彼は半島としての函館を批判していった。そのなかでも、函館の経済人に対する批判は、函館の支配層の癇に障るものもあった。「函館の経済人はケチ」、「植民都市としての函館」、「高利貸しとしての函館支配層」という概念は、函館の本質を表現している。しかし、そのことに触れるのは、ほぼタブーであった。現に、昭和10年代、20年代に上野以北で最も繁栄した町が、函館であった。仙台も札幌も眼中に入らなった。しかし、平成に入り、その繁栄は旧市街の一角、所謂西部地区を除けば、ほとんど嘘のようである。なぜ、函館がこのように衰退したのか。彼には、すべて見えていたのであろう。
  駅前商店街は歯抜け状態であり、工藤現市長は商店街のアーケードを撤去する方針だそうである。駅前商店街の衰退はより加速される。アーケードがあることによって、雪の降る冬場でも、市民が商店街を歩くことができる。それがなくなれば、冬に商店街に足を運ぶことはないであろう。自滅する街、函館の本質を明白にしている。
また、彼の母校は北海道教育大学函館校である。この分校は、かつて新函館大学構想を推進した。札幌本校の許可などとっていない。当時の分校主事を筆頭に、函館選出の国会議員、阿部文男を仲介にして、独自に文部省と折衝した。他の札幌、旭川等の分校の迷惑など顧みないこのような態度は、唯我独尊と言われても仕方がない。今でも、札幌から函館に赴任してきた役人を、奥地から来たと揶揄する土地柄である。函館一番、函館さえ良ければそれでよいという風潮が渡島半島にはある。もちろん、このような態度が許されたのは、昭和20年代まである。阿部代議士が逮捕され、この構想は頓挫した。それ以前に、文部省も相手にしていなかった。彼は、この構想を心底馬鹿にしていた。
しかし、10数年前の記憶は、当時の村山学長以下の役員の脳裏から消えていなかった。北海道教育大学函館校は、平成18年度の全学改革において、教養新課程を集約した人間地域科学課程を創設した。5つの分校のうち、どれか一つの分校がそれを引き受けねばならなかった。その代償として小学校教員養成を放棄させられた。20数年前の独立運動を知る人間からすれば、函館の自業自得である。
  そして、平成24年、函館校が国際地域学部を創設する際にも、小学校教員養成機能にこだわり、自ら学部化を阻止した。信じられない自滅行為である。文部科学省は、学部化の進展か、小学校教員養成機能の残存か、という二者選択肢を提示した。もちろん、札幌本部は前者を選択した。しかし、主に小学校教員から構成される函館分校の0B会、夕陽会は後者を選択し、学部化阻止に動いた。当時の副学長以下執行部はこの動きを下支えした。この動きも心底、小馬鹿にしていた。東京に叛旗を翻す力は、植民都市にはないと。
 彼は、母校の教員養成機能の現状自体に批判的であった。その札幌統合を主張していた。夕陽会の役員もしていたにもかかわらず、そのような主張をしていた。さぞ、OB会でも煙たがられたと想像している。
 また、北海道教育大学の教授も小馬鹿にしていた。所詮、東京では通用しないボンクラ学者の集まりであると。その一員である私にも、面と向かってそのように放言していた。早く、東京に帰れ。ネズミでさえ、沈みゆく船から逃げ出す。頭の良い人間のいる場所ではないと、と会うごとに説教された。頭の痛い事柄である。
 煙草は、ロスマンズ・ロイヤルを愛飲していた。この煙草の国内販売が廃止されたとき、彼は100カートンほどを購入して自宅で保存していた。空調設備と空気清浄機付の小部屋で保存されていた。彼が死亡したときも、まだダンボールには数十カートンが残存していたはずである。
 その煙草の行方は知らない。その煙草を喫する人もいない。函館からこのイギリス製高級たばこを愛飲し、支配層のなかで函館を批判的に考察する人間がいなくなった。函館の自滅がより促進されるであろう。函館の批判精神は、ロスマンズ・ロイヤルと共にはるか彼方に消え去った。

 ただ、私の切なる、そして叶わなった夢は、彼が函館の自滅過程をより検証する機会を持つことであった。その小さな夢も高級煙草の紫煙とともに消え去った。

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ベルリン旅行者(十)ーー公共交通つまり鉄道、歩行そして飛行機

 20170810

  日本の鉄道、とりわけ新幹線は気候変動を別にすれば、ほとんど遅延することはない。しかし、欧州の特急列車は遅延することがままある。欧州の優等列車の多くが、国境をこえて運行されているためでもある。しばしば利用するローストック発ベルリン経由、スイスバーゼル行きの列車などは、短いほうかもしれない。
  10分、20分遅れなどアナウンスを聞いてから、駅のホームを移動すればよいであろう。とりわけ、ライプチヒ中央駅などの行き止まり式の場合、ホームがころころ変化する。大慌てに行く必要はない。乗り継ぎの列車に間に合わないことはない。待ってくれている。しかも、ドイツ鉄道に遅延の原因がある場合、たとえ乗継列車に乗れなくても、切符は有効である。問題は割引チケットの場合である。できれば、割引料金ではなく正規料金(ノルマールプライス)のほうが、自己都合で遅れても、後続列車に乗車できる。ちなみに、鉄道料金は2日前に購入するとかなり安くなる。バーゼル・ベルリン間の一等車の正規料金は、250E、二等車は150Eであるが、2日前では、150E~160Eと二等車並みの料金になる。備忘録として記しておきたい。一等車では、様々なサービスがある。食事も食堂車に行かなくとも座席でとることができる。新聞も読み放題である。トイレ等も比較的綺麗である。

  2015年9月27日にハレからライプチヒ経由で、ベルリンに行こうとした場合、いそいで乗継特急列車にのろうとして、すでに発車していた列車に乗ろうとした。もちろん、駅員に警告された。「危ない」。当然であろう。乗継列車がすぐに発車することはない。この乗継は、ドイツ鉄道の正規の情報ーーつまり切符を購入するときに、切符販売員が指示した切符に基づいている。堂々とすべきであった。

また、ドイツでは、動力化されていない個人交通、つまり徒歩、自転車走行への配慮が行き届いている。自転車道が整備されている。この自転車道は、歩道を削って設置された場合が多い。歩道と自転車道は近接している。ボーっとしていると、かなり危険である。40キロ前後で走行している場合もおおい。

  最後に、飛行機搭乗に関して述べてみよう。搭乗手続きは航空会社、ドイツでは主としてルフトハンザが代行している場合が多い。当然のことながら、エコノミーとビジネスは分離されている。しかし、ドイツ警察によって運営されいる手荷物検査の終了時間が迫ると、それも無視される。しかし、多くの日本人はエコノミーの窓口に並んでいる。しかし、東欧人等はそれを無視して手荷物検査を受ける。馬鹿正直に並んだ日本人が、手荷物検査に間に合わなかった。クレイムを言っていたが、後の祭りであろう。ドイツ警察は、乗客の不便等には関心がない。荷物検査だけを担当している。

  手荷物検査では、日本とことなり電子辞書もコンピューター扱いされる。鞄からそれを抜き出さねばならない。それを忘れて、ひどい目にあった。しかも、ドイツ語で皮肉をいったので、危うく別室に連行されそうになった。素晴らしい仕事ですね、と言った記憶がある。明らかに皮肉であり、検査官が激怒した。ドイツ語がよくわからないといって、難を逃れたが、冷や汗ものであった。つくづく、ドイツの治安維持は、日本と異なり厳格にならざるを得ないとおもった。移民政策の副産物である。


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ベルリン旅行者(九)ーー関係性と街の変化ーー原点は消滅している

  20170809

  ベルリンの街を歩く。この街を30年ほど歩いている。街自体が変化している。1989年のベルリンの壁崩壊という巨大な世界史的変換を別にしても、日々変化している。数年間贔屓にしていたレストランが、別の店に代わっていたこともあった。ヴィーナーシュニツェル(とんかつに似た食べ物)のうまい店があり、1週間に一度はは行っていたが、この春行ったときには、もはやなかった。私の贔屓の店は、安価でかつ静かな空間があった。喧噪とは無縁の店であった。もっとも、その評価が消滅することを意味している。

  また、店自体は残っていたが、取り扱い商品が無くなっていたこともあった。ECCOというブランドの靴を愛用していたが、ベルリンのその店では、もはや取り扱っていなかった。最近のことである。DDR(東独)時代の商品はもはや購入不可能であることは、自分では納得している。30年前の商品がないのは、当然である。しかし、数か月前まで陳列しており、毎年購入していた商品が販売停止になることは、想定していなかった。同様なことが文具にも生じている。エリーゼというブランドのボールペンを愛用しているが、その替え芯を購入しようとした。しかし、そもそもそのブランドを生産していた会社自体が消滅したようである。ネットでは、その替え芯を含めて、数万円の値段がついてる。喜ぶべきか、悲しむべきかわからない。ちなみに、「オンライン」というブランドも使いやすいが、やはりラミーの方が日本でも購入しやすく、文具はラミーをほぼ独占的に使用している。
  さらに、自分自身の変化、あるいは為替関係の変化による変化、つまり主体の側の変化もある。旧西ベルリンには、大都会という老舗の日本料理店がある。そこでは、最低30ユーロほどを使用しなけばならない。このごろは、ユーロ高つまりバカノミックスによる円安によって、4-5千円の日本円を使わざるをえなくなった。しかも、貸し切りの場合もあり、使いづらい。今後は贔屓にできなくなった。むしろ、寿司バーがベルリンに多く出店している。そこの方が、安価で満腹になる。

  また、人間そのものが死んでしまった場合もある。1960年代に渡独し、以後半世紀にわたってベルリンに居住した知人が、この春死亡した。3月に私が渡独した時には、元気であったが、数か月後に、死亡した。渡独するたびに、彼の住居を訪れていた。この夏にベルリンに行った時には、もはや彼の住居はないであろう。

 思想史としてマルクスの思想を討究することも、ほとんど無意味であろう。マルクスのドイデの一節を討究することは、共産主義論とは全く関係がない。マルクスは19世紀の政治状況に拘束されている。その状況がまったく変化していることを無視して、マルクスの思想を現代に適用することは無意味であろう。よく原点に帰れといわれる。しかし、原点と現時点とは関係がない。

  もっとも、私自身は変化することを想定していない。私もまた数年後には、今の職場から追放される。しかし、実感はない。永遠の職場のような気がする。
  

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ベルリン旅行者(八)ーー前泊ホテルと成田発着便

  20170808

  地方在住者は、海外旅行に行く場合、前日に宿泊をよぎなくされる。成田空港および羽田空港周辺には、多くのホテルがある。できるだけ、空港に近く、安価なホテルが望まれる。

  ホテル前泊の理由は、午前中の便であれば、地方の朝一便でも、ほぼ間に合わないからである。もちろん、最近では、25時羽田発フランクフルト・アム・マイン行き等の西欧便にのれば、午前中にフランクフルト・アム・マインにつく。地方在住者にとって朗報ではある。しかし、如何せん、高価である。
  逆に、午前に成田発の欧州便はより安価になっている。狙い目である。羽田発欧州便が認可されて以降、成田便は不便であるという認識が、広まったし、実際そうであろう。とくに、中東経由(イスタンブール、アブダビ)、アジア経由(北京、シンガポール)等の成田発着便は、かなり安価な航空券を入手可能である。

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ベルリン旅行者(七)ーー自己の状況の確認ーー職場、博士論文

  20170807

 外国に滞在すると、かなりの日常意識から解放される。拘束されていた日常意識を、対自化することも可能であり、そうなる場合もおおい。
  とりわけ、職場からの解放はおおきい。サラリーマン、労働者は、有能であればあるほど、会社の理不尽な命令とりわけ道徳的、法律的不法を行使しなければならない。自らの欲望を犠牲にすることもままあるであろう。家族の行事と職場の命令を天秤にかければ、後者の方が重いであろう。
  私も、そのような環境にいた。しかし、自分の研究を犠牲にしてまでも、所属組織に義理を感じる必要はないであろう。私は、自分の研究を市民公開講座として開放してる。もちろん、新聞社等にも連絡している。それだけでも、かなり貢献している。もっとも、その報酬はまったくない。新聞社に媚をうっていると、あからさまに批判されたこともある。とくに、読売新聞社の専務と仕事をしているとき、次のようにいわれた。「俺は、朝日新聞と赤旗しか読まない」と。もちろん、私が問題したことは、どの新聞社でもよい。職場の名前がでれば、少なくとも所属企業にとってはよいことである。宣伝効果を考えたことはない御仁の発言であろう。読売新聞のすべての編集方針が正しいとはおもわない。しかし、名前が出る効果は考えるべきであろう。

このような大学に忠誠心がだんだんと無くなってきた。2014年開校した新学科に対して、並々ならぬ時間と精力を使った。しかし、その報酬は無であった。深夜まで労働させられた。にもかかわらず、残業代すらなかった。昇給もなかった。だんだん、自分の研究を犠牲にしてまで、奉仕するという精神は減少した。

  いま、趣味として路面電車の研究に従事している。老後の趣味として、設定したが、かなりの研究時間と研究費を費やしている。それも、趣味の領域に戻そう。しかし、本にまとめねばならない。


 このような認識に至る条件として、職場あるいは日常的人間関係から断絶されていることとならんで、持ちものが少ないことが挙げられる。持ち物は、20キロに制限されたトランク一個だけである。かつての高僧が誇っていた起きて半畳、寝て一畳よりも少ない。もちろん、ホテルという空間を占有しているが、自分のものという意識は少ない。トランク一個に、数週間分の衣料品と文具が入っているだけである。自己の所有物という意識から解放されている。すべての空間は、そのとき占有しているだけである。
  しかも、生活は規則的である。朝食料金を支払っているので、朝飯を8時ごろ摂取する。したがって、12時以降に就寝時間がずれ込むことはない。11時ころから、就寝の準備を始めるという極めて健康的な生活をおくる。食事の準備、掃除等の用務から解放されている。自省する時間が増える。
  


201708010

 自己の状況の課題を発見することは、海外旅行の目的の一つである。最近、気が付いたというよりも、忘却していたと言ったほうがよいであろう。教授資格論文を執筆していない。どうするのか。論文はまだ、執筆していない。もし、交通論で書くのであれば、ハレ新市で書くのが筋かもしれない。その場合でも、「文献目録」が必要である。文献目録を整備しなけばならない。

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ベルリン旅行者(六)ーー完全性への諦念ーー食事とドイツ語

  20170806

  外国にいると、私が日本人であるという意識を持たざるえない。その国の風習、しきたり、そして言語を未収得であるからだ。レストランで食事をしていても、その意識を持たざるをえない。多くの東洋人は、パンと、肉、チーズ等を別々に食べている。しかし、西欧人、そして東欧人もパンの上に、それをのせて食べている。食事の形態からも、東洋人であることがわかる。
  もっとも、西欧人のなかでもこの風習を覆す人がいることも事実ではある。あるフランス人は、そもそもパンを食していなかった。一つのさらに、スクランブルエッグ、ハム(薄い生ハム)、チーズ、そしてバターを入れる。肉と卵と乳製品だけの食事である。しかも、たっぷりとバターを5-6切れほどを入れている。エネルギーたっぷりの食事である。精力満点であろう。このような中年フランス人の夜の生活を想像して、楽しくなった。
  人種だけではなく、年齢の問題もある。若い時代であれば、100グラム、200グラムの肉を食べることも問題なかった。しかし、還暦を迎えようとする場合には、無理である。その場合、レストランで、スープと野菜サラダだけでもよいであろう。とくに、ドイツのサラダは、非常に分量がある。それだけも十分である。付け合わせのサラダではない。別注文のサラダであれば、十分である。また、肉が少しくいたければ、屋台のハンバーガーで十分である。パンも若いときには、黒ライ麦パンを常食としていた。しかし、歯が丈夫でなくなった今では、クロワッサンのほうが食べやすい。黒パンの端をナイフできり、端をすてることもできるが、少し面倒である。クロワッサンの上に、チーズと生ハムをのせると、至福の時間を享受することができる。小さな焼ソーセイジも美味である。
 また、ドイツ語の発音もどこかおかしい。発音が完璧であろうと、イントネーションがどこかおかしい。また、構文自体も文法的には完璧であったとしても、コンテキストにおいてどこかドイツ語として変である。
  ドイツに住むドイツ人と同じドイツ語を話す必要は、ない。所詮、数週間滞在する旅行者である。その限定で、ドイツ語をしゃべればよい。極東から人間として、外国語をできる範囲で話し、そして書ければよい。そのような諦念をもつことも重要であろう。ドイツ語研究者、通常はドイツ文学研究者がドイツ語をどれだけ話せるかも疑問である。文法書に忠実である必要はない。そもそも、大学教育や学問的世界の合理性、完璧性を日常世界において実現できると考える方がどうかしている。そのような精密性を生活世界に求めるとき、人は発狂せざるをえない。無菌状態に関する議論も、そのような精神状況から生じているのであろう。ドイツ人は、図書館では靴下のまま歩きまわる。鉛筆、ノートを床に落としても、塵紙で拭く人はいない。また、駅の列車の通路に座り込んでいる人も多々いる。それでも、彼らが病気になったという話を聞かない。

  ただし、それも限度がある。ベルリンの長距離電車は、「中央駅」、「東駅」そして「南十字駅」から出発するか、それを経由している。タクシーで行き先を告げたとき、「南」と言ったつもりであったが、「西」と言ってしまった。数分後に気が付いたが、かなり時間と金銭を消費してしまった。また、「9月」と言ったつもりが、「11月」と発音していたこともあった。ハレ中央駅で、2015年9月25日に、翌日のベルリン行きの切符を買うときであった。すぐ気が付いたが、大笑いされた。こちらは、緊張していて笑うことすらできなかった。時間、方角、数字は、原初的言語に属している。それゆえ、学術文書にはほとんどでてこない。しかし、日常用語では頻出単語である。

  私自身が老いている。加齢とともに、単語がでてこない。ドイツ語だけではなく、母国語ですらそうである。況や、外国語においてをや。苦笑するしかない。苦笑で済めばよいが、金がかかっている場合には、大変なことになる。どうしようもないこともある。まさに、孤独というよりも、途方に暮れることが多い。

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ベルリン旅行者(五)ーー煙草という幸福追求権

  20170805


 ベルリン旅行つまり西欧に旅行する楽しみの一つは、日本で購入できない品物を購入することにある。とりわけ、関税がかかる商品、酒、タバコ等が、それにあたる。
  ところで、西欧では現在、煙草のパッケージにグロテスクな写真をはりつけ、その購入意欲を阻害している。ドイツだけではない。フランスでもそうである。おそらく、EC加入国家のすべてがそうであろう。しかし、自動車は人間を殺し、障害者にする可能性を持っている。自動車の車体に、ひき殺された人間の写真をはるべきでろあう。
  いずれにしろ、あのグロテスクな写真を貼った煙草を購入しようとはおもわない。今後は、馬鹿げた規則を設定したEC以外の国々を訪問あるいはその国の空港をトランジット空港にしよう。
 
 2016年10月
 この時期には、このグロテスクな形態が法制化されていた。しかし、フランクフルト・アム・マインの免税店には、まだ在庫があった。馬鹿な私は、2017年3月に、フランクフルト・アム・マインではなく、パリ経由で帰国することにした。パリでは、もっと悲惨になっていた。ドイツでは、かろうじて煙草のパッケイジの一部がのこっていたが、フランスでは統一パッケイジであった。ここでも、購入することはできなかった。馬鹿な選択肢であった。この変換は、欧州共同体の決定に基づいてる。喫煙者という少数者の幸福追求権は、多数者の完全性の追求つまり健康な身体を維持するというパラノイヤによって侵害されている。


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ベルリン旅行者(四)――言語能力によって階層化された労働者階級――その例外

20170804 p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;">20140311 ドイツのホテル労働事情(一)――言語能力によって階層化された労働者階級

 ドイツにおいて、多くの老舗ホテルがその名称の変更を迫られている。地場に根づいてきたホテルが、全国あるいは国際的に展開するホテルチェーンの傘下に入っているからだ。そのため、労働者階級も複雑に階層化され、分断化されている。もはや、労働者階級という言説が、死語となっている。未だにこの概念に固執するものは、カルト集団とみなされるであろう。以下の言説において、ホテルチェーン総体と、ホテル(たとえば、ベルリンにある一個のホテル)という概念区別を用いる。

 ところで、全国展開されているホテルの労働者は、その言語能力によって下記のように階層化されている。

(1)英語あるいはフランス語しか理解しない。多くのホテルは、フランス系資本、たとえばアコールホテル・グループに統合されている。この領域において、フランス資本は欧州において想像を絶するほど強大である。

(2)英語とドイツ語を理解する。ベルリンにおいて支配的言語は、ドイツ語である。

(3)ドイツ語しか理解しない。

(4)ドイツ語とスラブ系言語を理解する。

(5)スラブ系言語しか理解しない。ドイツのホテルにおいて、最下層の労動力、たとえば清掃労働等は、スラブ系あるいはギリシャ系労働者によって担われている。

(1)(2)(3)(4)(5)の順に階層化され、指揮命令化にある。報酬もその秩序に対応している。(1)の人間が最高の命令権を持ち、最高の報酬を獲得する。(5)の人間は、年金賦与権すら怪しい。日本でいえば、派遣労働者に近い存在であり、そもそもこのホテルに帰属しているという意識を有していない。

(1)この階層に属している人間は、ホテルチェーンの本部に属している。彼らは、当該ホテル、たとえばベルリンのホテルの最高責任者である。彼らは、英語あるいはフランス語しか解さない。欧州であれば、ドイツだけではなく他の国でも勤務する可能性がある。チェーン本部に対して責任を負う。

(2)この階層に属している人間は、英語とドイツ語を理解する。英語によって、(1)の人間の命令を(3)(4)(5)の人間に伝達する。但し、(3)の人間を介してである。また、ホテル業界という特殊性から、彼らの労働能力がとりわけ必要とされる。顧客の多くは、英語しか理解しない場合が多い。このホテルにおいて上層に属している。このホテルに対して、帰属意識を持つ。

(3) この階層に属している人間は、ドイツ語しか理解しない。ただし、彼らが、このホテルの実質的仕事を担う。食料等の物資の調達、監督官庁との折衝等は、ドイツ語を介して実行される。契約書はドイツ語で書かれている。

(4) この階層に属している人間は、ドイツ語とスラブ系言語を理解する。この階層の人間は (3)の人間の命令を受けて、(5)の人間の労働を監督する。ここまでが、このホテルに属しているという意識を持つ。

(5) この階層に属している人間は、スラブ系あるいはギリシャ系言語しか理解しない。したがって、文書を介した労働には従事しない。客室清掃等の単純労働に従事する。(4)の人間の命令を受けて、労働をする。その労働は(4)によって点検される。不備があれば、やり直しである。この労働は規格化され、交換可能である。彼らは毎日この労働に従事することは、まれである。

 

 従来の労働者階級は(5)によってイメージされていた。しかし、(1)(2)(3)(4)の人間もホテルを経営する際に、必要である。清掃労働だけでホテルが経営されていると考える学者は、もはやいない。労働者階級という言説が、その言語能力によってバラバラに階層化されている。清掃労働者にとって、英語とドイツ語を解する労働者を自分の仲間であるという認識はない。

 

 この意味はそれだけにはとどまらない多くの論点を含んでいる。本日は階層化された労働者階級という論点だけを押さえておこう。

20140311 ドイツのホテルにおける労働事情(二)――言語能力によって階層化された労働者階級――その例外

数年前、以下のようなブログ記事を執筆した。それは、本日執筆した文章と全く異なっている。概略的に言えば、本日のブログは、

(1)英語しか理解しない。(2)英語とドイツ語を理解する。(3)ドイツ語しか理解しない。(4)ドイツ語とスラブ系言語を理解する。(5)スラブ系言語しか理解しない。」という(1)~(5)の階層分化を前提にしている。しかし、チェーン店に属していない小規模の老舗ホテルの場合、

(2)英語とドイツ語を理解する。(3)ドイツ語しか理解しない。」という階層分化を前提にしている。このような例外的なホテル労働現場もある。2007年のブログ記事は、このような例外的なホテルに滞在した経験に基づいている。ここでは、清掃業務もまた、ドイツ人労働者によって担われている。それゆえ、その仕事も画一的ではなく、また臨機応変になされる。また、部屋の清掃に関して、ホテル顧客の細かな要求にも対応できる。

このようなホテルもまた、例外的には残存している。強固な顧客網に支えられた伝統的ホテルに当てはまる。少なくとも、戦後すぐ、あるいは戦前からの伝統を持つホテルに当てはまる。地方都市、とりわけ人口数万程度の都市であれば、このようなホテルに滞在することも可能である。そのようなホテルを筆者もいくつか知っている。とりわけ、1週間以上滞在する場合には、とりわけ快適である。清掃労働者と会話を交わし、冗談も言えるからだ。クリーニング等も外注されず、そのホテルで完結している。

このようなホテルは、今後生き残れるのであろうか。

 

 

20071015 ベルリンのホテルと日本のホテルの差異――労働条件の差異

 

ベルリンのホテルと日本のホテルとの差異を論じてみよう。もちろん、同程度、三つ星、あるいは二つ星程度の筆者が宿泊したホテルとの差異である。超高級ホテルとビジネスホテルのサービスの差異を論じても仕方がないからである。また、その知識も筆者の体験に依存している。普遍性はほとんどない。

この両者の差異を論じるに際して、労働条件が問題になる。ドイツにおいて、基本的に年金のない労働は存在しない。あるホテルにおいて労働する労働者は、そのホテルに対して帰属意識を持つ。それにたいして、日本の場合、ホテルの中枢的労働、つまりフロント業務、営業等を除いて、多くの場合、派遣労働、パートタイム労働等の低賃金労働に依存している程度が高い。

それに対して、ドイツの場合フロント労働者と同様な年金つきの労働者が多い。もちろん、賃金の差異は職種に応じてある。しかし、同一の企業体に属するという帰属意識は同一である。

ところで、以下は全くの体験に依存している。ドイツのホテルに宿泊した日数も、日本の場合よりも多い。しかし、日本のホテルに宿泊した場合よりも厭な体験をした回数はすくない。最近も日本のホテルに宿泊したときにいやな体験をした。朝食のトマトジュースの中に、紙パックの蓋が入っていた。単純なミスである。しかし、このような単純なミスをドイツのホテルで体験したことはない。

その理由として、労働の在り方に関する両国の差異があるのであろうか。それとも、日本人はドイツ人に比べて勤勉ではなくなったのであろうか。私の個人的見解では、両者の勤勉性について差異はないであろう。

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ベルリン旅行者(三)ーーベトナム人と日本人

20170803 まとめの記事を作成するために、日付を変更した。

20140309 数年前のブログ記事を編集上の観点から本年に移行する。 

20070923 ベルリンのホテルーーベトナム人労働者

 ベルリンのホテルで目につくのは、もちろん外国人ではなく、ドイツ人である。しかも、年金生活者である。彼らが圧倒的である。この年金生活者の問題を除外すれば、近年増大しているのが、(ラオス人等を含む)ベトナム人である。ここではインド支那半島出身者という意味で用いている。彼らは、10年前には、中級ホテルではほとんど目につかなかったが、最近では欧州国内、及び母国から団体で、あるいはビジネスとして、大挙して進出している。

 その理由として彼らの経済状況の好転を除外すれば、欧州、とりわけドイツ、オランダ等で外国人差別が少ないことが挙げられる。もちろん、民族主義的排外主義は日本も含めてどこでも見られるが、少なくとも公共的圏域において彼らが排除される機会が少ないこともその原因の一つであろう。

 さらに、事態をより複雑しているのは、1989年のベルリン革命以前において旧東独、旧東欧に住んでいたベトナム人の問題である。彼らは革命以後、本国に召喚されたかもしれないが、全ての社会主義政権下のベトナム人が本国に帰還したわけではない。そして、その子弟が現在20代、30代の若い労働者として活躍している。彼らは、幼少、小学校、中学校からドイツで学び、彼らと同一の教育を受けている。親の世代とは異なり、ドイツ語もほど不自由なく喋れる。そのようなベトナム人が増えている。そのなかで、経済的に自立した階層が出現するのも当然である。

 しかし、多くの日本人は大学、大学院から留学している。彼らとは幾つかの点で、異なっている。日本人が専門知識という観点からドイツ人とほぼ同一であるとしても、生活者という観点では多くのベトナム人に敵わないと思われる

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ベルリン旅行者(二)ーーホテル事情ーー事柄の不可視性

20170802 まとめの記事を書くために、日付を変更した。

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する。 20070918 ベルリンのホテルーー星についてーー事柄の不可視性

20140309 数年前のブログ記事を編集上の観点から本年に移行する。 

20070909ベルリンのホテルーー安い4つ星ホテル?ーー事柄の不可視性

 航空運賃価格は正規料金の場合、異常に高い。ベルリンー東京往復で60万円近くするはずである。しかし、多くの旅行者は高い時期でも20万円以下で、閑散期であれば10万円以下でエコノミークラス座席を確保できる。10万円であれば、正規料金のほぼ六分の一である。このような価格落差は、通常の商品であれば、ありえない。たとえば、日産の同一車種の新車自家用車の販売価格が、隣の店では、半額以下であるとは、誰も考えていない。せいぜい、数万円の値引きしか期待できない。

 この航空運賃と同様なことが、海外ホテルの宿泊料にも当てはまる。直接購入すれば、3万円以上の料金のホテルの部屋が、代理店経由であれば、1万円位で入手可能である。インターネット取引による数パーセントの違いなど、ここでは問題にならない。直接取引では、かえって高くついてしまう。代理店経由であれば、かなり安価に購入可能である。おそらく、一括してホテルの数室を押さえているのであろう。航空機の座席販売と同じ論理が貫徹されている。大口顧客に対しては、安く売るからである。

 本当の値段という概念がここでは、ほぼ崩壊している。適正価格という考えも同様である。すべては、市場の論理が貫徹しているだけである。問題は、この論理と日常論理がかなり乖離していることである。そして、多くの素人にとって、市場論理とは疎遠なままである。ただ、この論理によって、多くの日本人が欧州を安価な価格で旅行できる。しかし、この論理を多くの人は知ることがないというのも事実である。

 逆も真なり、もありうることは、肝に銘じていなければならない。

4つ星ホテルがかなりサービスの点で優れていることは、言うまでもない。ただ、非常に優れている点は、ベッドの大きさにある。多くの4つ星ホテルは、かなり大きめのベッドを用意している。それに対して、3つ星ホテルの場合、かなり狭いベッドを提供している場合も多い。これは、経験上の事柄であり、必ずしもすべてのホテルに当てはまることではない。

 星の数の少ないホテル、あるいはそもそも星の対象にならないホテルのベッドが狭いともいえない。かつて宿泊したフランクフルト郊外のホテルは、1泊3000円程度であり、風呂もなかった。ただし、天井は高く、ベッドも広いし、部屋も広かった。おそらく、星の対象外のホテルであったかもしれない。しかし、そのホテルは非常に気に入っていた。数週間宿泊したにもかかわらず、文句を言った記憶はない。数日後には、有料のシャワーを使用できたこともあり、かなり満足していた。

   もっとも、3つ星ホテルは、ほとんど風呂タブはない。シャワーだけである。その空間もかなり狭い。多くの日本のホテルの場合、3000円程度のビジネスホテルであっても、小さなバスタブが附属している。この点は、風呂習慣の西欧と極東の違いであろう。ドイツで困ることは、洗濯物を干す空間が小さいことである。ここで、そのコツを披露しよう。まず、洗面台で下着とワイシャツを手洗いする。干せるまでの状態にしておく。そして、髭剃り、シャワーを狭い空間で済ませる。そのあと、洗濯物を干す。とくに、ワイシャツはぼたぼた水が落ちる。シャワーの空間に水が落ちるようにする。そして、朝起きたときには、ほとんど乾いている。今度は、居住空間に干す。

 ただ、3つ星ホテルに宿泊したときのベッドの狭さには閉口した。現地通貨で直接支払えば、2万円以上したにもかかわらず、かなりの不満があった。これは運なのであろうか。それとも、ベッドの大きさを確かめる術はあるのでろうか。ベッドの大きさ以外の点では、さすがに3つ星ホテルであった。朝食は素晴らしかった。しかし、ベッドの狭さがそれを帳消しにしている。

 この点からすれば、星の多さと宿泊料金の高さは宿泊の快適性とほとんど関係のないものでしかない。もっとも5つ星ホテルには宿泊したことはないし、これからもないであろうが・・・。

 シングルのホテルを予約しても、ツインの部屋をあてがわれることもある。とりわけ、4つ星のホテルの場合が多い。4つ星以上のホテルでは、そもそもシングルの部屋が少ないからであろう。その場合、部屋は分不相応の広くなる。王侯貴族のような気分になる。5人用のソファがある。クローゼットには、100着の衣類を収納できそうだ。灰皿も、5つもある。トイレに1個、小さな机に1個、大きな机に1個、洗面所に1個、トイレに1個ある。もっとも一人しか宿泊しないので、ほとんどの灰皿が綺麗なままである。いつも、新しい灰皿を使用できるのは、快適である。

 このような幸運に出会えるのは、4つ星以上の高級ホテルか、星のないホテルである。3つ星、2つ星の中級ホテル、ビジネスホテルではありえない。そもそも、シングルの客しか想定されていない場合が多い。倹約旅行か、少し余裕のある場合にのみ、このような幸運に出会う。

 それは、多くの素人の場合、ホテルの経営状況まで把握できないからだ。おそらく、年に何回もベルリンに滞在する人は、稀である。多くの旅行者にとって、数日の滞在期間しかない。

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ベルリン旅行者(一)ーー豚肉とイスラム教徒

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20070904 ベルリンのホテルーー豚肉とイスラム教徒ーー差別?ベルリン、そしてドイツはハム、ソーセイジの本場である。世界的に有名なハム、たとえばシンケン、ザラミ等は、ほとんど日本語になっている。このような著名なハムの多くは、豚肉から作られている。この豚肉を忌避しているのが、イスラム教徒である。敬虔であるなしにかかわらず、彼らは豚肉、及び豚肉から作られたハムを見ることすら、忌避している。たとえば、日本人は豚肉に対してアレルギーはないが、ウサギの肉、蛇肉に対してあまりよい印象を持っていない。たとえば、食事のメニューに蛇肉しかないレストランには、あまり行きたがらないであろう。

 このような食事に対しては、各国の習慣、宗教的事情が絡んでいる。ベルリンの中級、高級ホテルでも事情は複雑である。多くの世界からの旅行者は、ベルリンのホテルでハムを食べる。そして、多くのホテルは宿泊客に対して朝食をかなり安価でふるまっている。しかし、その肉類、ハム類の多くは、豚肉から作らている。本当にうまい。

 しかし、多くのベルリンの中、高級ホテルの朝食の場所で、イスラム教徒をほとんどみかけることはない。もちろん、五つ星のホテルには宿泊したことがないが・・・。これは、差別であろうか。イスラム教徒は豚肉追放運動をすべてのホテルに要求することができるのであろうか。そのような要求は、滑稽である。ベルリンのホテルの朝食から、全ての豚肉製品をなくすということは、ドイツの文化を無くすることである。そのようなホテルの朝食をイスラム教徒が忌避するだけである。逆にいえば、ベルリンのホテル業者は、イスラム教徒の宿泊客を減少させている。結果として、イスラム教徒はホテルで朝食をとることはほとんどない。この結果を彼らは、別に悲しんでいるようにはみえない。

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