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巨大組織における個人――大学という組織における素人行政

 渦潮のなかで泳いでいる場合、その潮流に抗することは困難である。しかし、人間はこの潮流が何処からきて何処に流れようとしているのか、認識できない。潮流の流れに身を任せているつもりでも、それに抗している場合もある。逆の場合もある。
 大学行政という場にいると、自分の位置づけは曖昧である。どの部署に属しているかぐらいはわかるが、この部署が大学全体の構造のなかでどのように位置付けられているのかが不明である。昨年までの予算が数万円だったにもかかわらず、今春には数百万円がつく場合もある。数百万円の予算のために企画書を作成しなければならない。今まで月に数千円の事業しかしていなかった組織が、突如として月に数十万円の予算を執行しなければならない。
 国家行政であれば、金銭の単位が億単位になる。内閣府特命担当大臣(地方創生担当)が突如として2014年に出現した。大臣がいるということは、担当官僚が既存官僚組織から出向してくる。若いときからその官庁に所属している官僚はいないからだ。地方創生という名目で予算がつく。当然、予算を執行しなければならない。
 しかし、その能力があるのであろうか。国家行政であれば、出向元の官僚組織で学習した知識に基づいて予算書を作成できる。地方創生という名目をつけて予算案を作成できる。しかし、今まで研究しかしていない教授は、月に数十万円の予算を消化できるのであろうか。文系の教員であれば、見たこともない金額である。全集あるいは古書等の高額図書を購入したり、海外出張をこなしたりすれば、その程度の予算を執行することもある。しかし、大学行政においてそのようなことはできない。あくまでも、教育組織の充実という名目で予算を執行しなければならない。
 どの方向に向かっているのかは、判断停止するしかないのであろうか。大学という巨大組織の存在形式の本質など、末端教授には理解できない。そう、考えないことにしよう。多くの大学教授、そして官僚もそのようにかんがえているのであろう。その結果、地方創生という名目で高速道路を新設し、地方を破壊する。JR北海道の経営危機の本質は、高速道路の拡大にある。無料あるいは無料に近い値段で道路をりようすれば、鉄道での移動は高額にならざるをえない。国土交通省の道路局、北海道開発局の官僚は、そのようなことは考えていない。道路予算を執行するだけである。思想という巨大な意識を考察してきた教授にそれができればよいのであろうが、できるとは思われない。
 ただ、多くの官僚そして教授が判断停止しているという現実を考慮することによって、精神衛生上は良いであろう。

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