« 2016年7月 | トップページ | 2017年1月 »

Eine nähere Betrachtung des Plans, das Straßenbahnnetzwerk der Stadt Halle bis Heide-Nord auszudehnen, und dessen Scheitern

Der öffentliche Verkehr und das bürgerliche Bewusstsein von der Öffentlichkeit im Vereinigungsprozess der beiden deutschen Staaten – Eine nähere Betrachtung des Plans, das Straßenbahnnetzwerk der Stadt Halle bis Heide-Nord auszudehnen, und dessen Scheitern

                                                       Ichiro Tamura


                             Zusammenfassung

                                 

  Am äußersten nordwestlichen Rand der Stadt Halle an der Saale liegt Heide-Nord, wo in der letzten Phase der DDR im großen Maße Plattenbauhäuser für die Maschinenindustriearbeiter gebaut wurden. Dabei musste für die Einwohner im neuen peripherischen Gebiet zwangläufig ein öffentlicher personaler Nahverkehr zwischen diesem Stadtviertel und dem Stadtzentrum eingerichtet werden. Gerade nach dem großen gesellschaftlich-politischen Wandel entstand die Möglichkeit, den Plan, Straßenbahnnetzwerk bis Heide-Nord auszudehnen, zu verwirklichen. Das Gemeindeverkehrsfinanzierungsgesetz wurde auf die neuen Bundesländer ausgedehnt, um Förderungsmittel für die Erweiterung vorhandener Anlagen des öffentlichen Verkehrs zur Verfügung zu stellen. Durch die zukünftige Umsetzung dieses Plans wären die Einwohner dieses Stadtteils in der Lage, ohne umzusteigen mit der Straßenbahn direkt ins Zentrum zu fahren.
  Trotzdem wurde es in den neunziger Jahren des vorigen Jahrhunderts beschlossen, diese Richtlinie zur Verbesserung des öffentlichen Verkehrs nicht zu verwirklichen. Das Scheitern des Plans gründete sich auf der offensichtlich drastischen und massenhaften Bevölkerungsschrumpfung in dieser Stadt im Ganzen, besonders in diesem Stadtgebiet.
  Der vorliegende Bericht macht zum Gegenstand seiner Forschung die Diskussionsprozesse der Verkehrsplanungsbehörden über den Plan der Ausdehnung des Straßenbahnnetzwerkes vom Stadtzentrum bis Heide-Nord, die einen wesentlichen Bezug zur Idealvorstellung des öffentlichen Verkehrs und der Straßenbahn aufweisen. Der Grund für die sogenannte Renaissance der Straßenbahn besteht darin, dass sich das bürgerliche Bewusstsein von der Öffentlichkeit in der späten Moderne veränderte. Dabei spielte eine große und wesentliche Rolle das Bewusstsein für Umweltschutzpolitik in urbanen Ballungsgebieten und die zu verstärkende Sozialfürsorge für die zunehmend alternde Bevölkerung. So erklärt dieser Forschungsbericht, aus welchem Grund und in welcher Weise der Plan, das Straßenbahnnetzwerkbis Heide-Nord auszudehnen, in der Öffentlichkeit der Stadt gerade nach der Vereinigung der beiden deutschen Staaten diskutiert wurde und schließlich nicht verwirklicht werden konnte.

| | コメント (0)

東西ドイツの統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察(一)

東西ドイツの統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識
――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察(一)

  
                                               田村伊知朗

はじめに
 
 1989年にベルリンの壁が崩壊し、分裂した二つの国家すなわちドイツ連邦共和国(以下、西独と略)とドイツ民主共和国(以下、東独と略)が統合された。公共交通網の再構築がその直後の政治的熱狂に基礎づけられて、公共的討論圏において浮上してきた。とりわけ路面電車の延伸と新規建設が、地域内の公共的人員交通の改善という観点から真摯な議論対象になった。 
 本稿は、ハレ市(ザクセン・アンハルト州)におけるハイデ北への路面電車の延伸計画を考察対象にする。この計画は、東西ドイツの統一過程における政治的熱狂のなかで議論された。そしてその熱狂が醒めた前世紀末において、この計画は挫折した。
 しかし、この議論過程に関する考察は、公共交通そして路面電車の本質と関連している。路面電車が後期近代において復権した根拠は、地域内における市民的公共性の存在形式のうちにある。東独崩壊直後における公共性の在り方と関連づけながら、ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程を考察する。


1.東独末期におけるハイデ北への路面電車の延伸計画

ハ レ市郊外にあるハイデ北は、その中心街から約6km西北に位置している。戦前に敷設されていた路面電車の終着電停、クレールヴィッツ電停から約3km西北に位置している。ハレ市郊外のこの地域において中高層住宅団地が、地域内の機械工業労働者のために東独末期の1980年代に構想された。1981年の計画によれば、250haに渡る広大な地域において18,000戸の住宅が建設されるはずであった。1 さらに、この用地の西側にも住宅地に転用可能な農用地が広がっていた。1986年の計画によれば、5,400戸の住宅が1990年までに建設されるはずであった。 2 この先行建設地帯は、住宅複合体Ⅰ,Ⅱとして位置づけられていた。のちに、住宅複合体Ⅲ,Ⅳが建設される予定であった。
 その建設計画によれば、路面電車がハレ市中心街からハイデ北への公共交通として位置づけられていた。それは、住居複合体Ⅰ,Ⅱに対する都市建設計画の指導プランニングの構成要素である。 3 1981年の計画段階では、ハイデ北からハレ市中心街への通勤者は約10,000人であり、そのうちの約60%が公共交通を利用すると算定されていた。 4 
(74)
 この地域において1,720戸が、1985年までに先行建設された。上記の都市計画のプランニングにおいて明記されていたにもかかわらず、公共交通の具体的展開は住宅建設に遅れて議論された。社会主義的計画経済における官僚制的セクショナリズムの弊害が、この点において露呈していた。住宅建設を担当する部局と公共交通を担当する部局が、ほぼ無関係に鼎立していた。ハイデ北を住宅地と決定する際に、中心街からのアクセスが具体的に議論された形跡は、ほぼなかった。住宅が先行建設されて初めて、路面電車の整備計画が具体化された。ハイデ北とハレ市中心街を結合するために、路面電車の建設が自明の事柄であった。市街地とそこから数km離れた地点を結合するために、地下鉄を建設することはできなかった。また、バスでの輸送能力にも限界があった。
 交通計画担当者間における議論は、路面電車のルート策定から始まった。ハイデ北の住宅複合体Ⅰ,Ⅱの入口からハレ市中心街へと路面電車によって向かう場合、ノルトシュトラッセを経由することは自明であった。それ以外の道はなかったからである。問題は、ノルトシュトラッセからどの方向に路面電車の軌道を敷設するべきかという点にあった。クレールヴィッツ電停(デラウアーシュトラセ)経由あるいはハイデ電停(ブラントベルクヴェク)経由の二つが、議論対象として選択された。1985年当時ですら、この二つの可能性が両論併記のままで残されていた。 5
 ハイデ北からハレ市中心街に向かう乗客の約60%は、ハイデ電停でバスから路面電車に乗り換えている。6 ハイデ北からフーベツスプラッツで乗り換え、ハレ市中心街へ向かうルートが、通勤者にとってより便利であろう。しかし、この計画を実現するためには、膨大な資金を必要としていた。「フーベツスプラッツから、最終環状カーブのクレールヴィッツを含む居住地の入口まで、9,500,000マルクが必要である。しかし、居住地ハイデ北へと路面電車を結合するために使用できる金額は、1990年までに5,500,000マルクでしかない」。7 東独末期における国家財政が悪化したため、路面電車を延伸するための予算不足が露呈した。
 また二つの策定経路に共通して、重大な困難がさらに横たわっていた。ハイデ北の転換環状カーブにおいて、路面電車が上水道管を3回ほど跨ぐことになっていた。上下水道管理会社は、この路線計画に対して反対意見を提起した。 8 この上下水道管理会社は、都市における特殊な領域の利益を代表している。全体的利益あるいは他の部分的利益――ここでは路面電車の延伸――を考慮することなく、自らが関与している部分的利益を主張している。相反する二つの利益に関する調整は、上位機関に委ねられている。部分的利益と全体的利益が相反する場合、部分的利益が全体的利益を凌駕する。官僚制的セクショナリズムの弊害が、この問題においても露わになった。
路面電車を延伸するための資金不足に加えて、ドイツ官僚制と社会主義官僚制におけるセクショナリズムによって、この計画は暗礁に乗り上げていた。このような状況下において、東西ドイツの統一を迎える。
          (75)


1. Vgl. STaH A3.11, Nr. 283, Büro für Verkehrsplanung 1981: Büro für Verkehrsplanung des Rates der Stadt Halle (Saale): Verkehrstechnische Studie-Straßenbahn im Wohngebiet „Heide Nord“ einschließlich Wohnsammelstraße 1. TA, S. 1.
2. Vgl. STaH A3.11, Nr. 377, Büro für Verkehrsplanung 1987: Büro für Verkehrsplanung des Rates der Stadt Halle, 10.03.1986: Straßenbahnverlängerung in das Wohngebiet „Heide-Nord“, S. 1.
3. Vgl. ebenda, S. 2.
4. Vgl. STaH A3.11, Nr. 283, Büro für Verkehrsplanung 1981: Büro für Verkehrsplanung des Rates der Stadt Halle (Saale), a. a. O., S. 3.
5. Vgl. STaH A3.11, Nr. 343, Büro für Verkehrsplanung 1985: VE Verkehrsbetriebe Halle, 16.09.1985: Weitere Öffentlichkeitsarbeit im Zusammenhang mit dem Busverkehr der Linien A und E, S. 1.
6. Vgl. STaH A3.11, Nr. 377, Büro für Verkehrsplanung 1987: Büro für Verkehrsplanung des Rates der Stadt Halle, 10.03.1986, a. a. O., S. 1.
7. Ebenda.
8. Vgl. STaH A3.11, Nr. 377, Büro für Verkehrsplanung 1987: VEB Wasserversorgung und Abwasserbehandlung Halle: Standortgenehmigung zur Straßenbahnverlängerung in das Wohngebiet „Heide Nord“, S. 1.


2.東西ドイツの統一過程におけるハイデ北への路面電車の延伸計画

 1989年におけるベルリンの壁崩壊以後、ハイデ北への路面電車延伸計画もまた、東独時代よりもより具体的基盤において再検討された。東独地域における公共交通の路線網改善に対する財政措置が、地方公共団体交通財政法の改正によって実施されたからである。 1 ハイデ北への路面電車の延伸に関する財政上の問題点は克服された。また、上下水道会社のセクショナリズムも、この財政措置によって解消可能になった。上水道配管を移動することによって、交通技術的問題を解決することが可能になった。東西ドイツの統一以前と同様に、クレールヴィッツ電停(デラウアーシュトラセ)経由かハイデ電停(ブラントベルクヴェク)経由かという論点が、延伸路線の選択肢として議論の対象になった。
 まず、クレールヴィッツ電停(デラウアーシュトラセ)経由という選択肢が考察対象になった。もし、このルートが採用された場合、路面電車の軌道がデラウアーシュトラセにおいて1車線分しか敷設されえない。戦前から路面電車の電停が設置されていたこともあり、この街路周辺には多数の建造物がすでに設置されていた。道路を拡張するためには、既存の建造物を破壊しなければならない。道路を拡張しない場合、デラウアーシュトラセにおける2.2kmあるいは2.8kmが単線運転を強いられる。1方向平均、10分間隔で路面電車を運行する場合、5分間隔で両方向運転することになる。それは、交通技術上の観点から不可能であった。 2
それゆえ、ハレ市中心街からフーベツスプラッツからハイデ電停(ブラントベルクヴェク)を経由して、ハイデ北へと至るルートが、エコロジー技術的観点および企業経営的観点から最適とみなされていた。このルートを採用するかぎり、道路を拡張することはほとんどないからである。既存の路面電車4号線あるいは5号線を延伸することによって、ハイデ北をハレ市中心街と結合させようとする。
 地域内の公共的人員交通における路面電車の優位性が、この議論過程において現れている。議論における言語表出以前において、以下のことは発話者間の暗黙の前提になっていた。すなわち、路面電車の新規敷設が、都市における既存の存在構造を可能なかぎり破壊しないという論点である。この観点が、路面電車の建設と都市高速鉄道あるいは地下鉄の建設とは異なっている。3 路面電車の延伸ルート策定においても、
この意義は最大限考慮される基準になった。「第一条件は、現存する地域形象を可能なかぎり変更しないことである。その際の主要な着眼点は、現存する森林存在を保持することに置かれるべきだ」。 4 住居、商業施設、高圧排水施設、高圧ガス施設等の人間的営為の場所だけが、現存する街の構造概念に属しているのではない。そこには、自然的環境も包摂されている。可能なかぎり、路面電車の予定線は、現存する人間的環境を変化させない。これが、延伸計画の議論において前提条件の一つになっていた。この計画は、1992年までハレ市都市計画局およびハレ交通株式会社によって真摯に議論されていた。


1. Vgl. Gemeindeverkehrsfinanzierungsgesetz, §2-(1)-6. In: http://www.gesetze-im-internet.de/bundesrecht/gvfg/gesamt.pdf. [Datum: 04.04.2014]
2. Vgl. StaH: Magistrat der Stadt Halle. Dezernat Ⅴ, Stadtplanung und Bauwesen. (06.01.1992) : Beschlussvorlage für die Beratung des Dezernenten-Kollegiums am 23.01.1992, S. 2.
3. 田村伊知朗「後期近代における公共性の存在形式――公共交通における路面電車ルネサンスの政治思想的基礎づけを中心にして」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第66巻第2号、2016年、61-72頁参照。
4. STaH A4.3, Nr. 25/92, Beigeordneten Konferenz(16.07.1992), S. 1-4.
                              (76)

3.東西ドイツの統一過程における路面電車の意義

 なぜ、路面電車が地域内の公共的人員交通における不可欠の媒体として、統一直後のハレ市そしてドイツの政治過程において浮上したのであろうか。この問題は様々な観点から解答可能であるが、東独の社会的意識の本質と係わるかぎりで、本節において論述してみよう。
 東独の市民的公共性を論じる際、西独への憧憬を看過することはできない。西独に対する東独市民の憧憬の第一義的対象は、世界最強の通貨と喧伝されていたドイツマルクであった。西独への東独の併合は、東独市民にとってドイツマルクを獲得することと同義であった。 1この通貨は隣国の通貨であっただけではなく、東独の通貨すなわち東独マルクと同様に国内で流通していた。以下の指標は闇市場ではなく、西独のドイツ銀行等の正規の両替所のデータに基づいている。東独政府によって公認されていた正規の交換比率は、1:1であったが、西独の為替市場においてドイツマルクの方がより高価なものとみなされていた。ドイツマルクと東独マルクの交換比率は、1970年代初頭まで1:3 であったが、その後下落を続けた。その比率は1985年には1:5 に下落し、統一直前の1988年には1:8にまで下落した。 2
 ドイツマルクと東独マルクの両替所における交換比率が、東独国内の私人間の交換に準用された。彼らは自国通貨ではなく、隣国の通貨に対してより大きな信頼を寄せた。1974年に開始され、徐々に拡大したインターショップの存在は、自国通貨への信頼を格段に減少させた。ここで販売されている商品は、高品質の西独製であった。その高額な商品は自国通貨ではなく、外貨によってしか購入できなかった。「ドイツマルクによる東独マルクに対する部分的代用は、質的に高い商品をつねに購入可能であるというこの第二義的通貨の優越性に由来する」。 3 東独市民は自国通貨ではなく、隣国の通貨つまりドイツマルクに信頼をおいた。
その根拠は、西独の社会構造におけるイノベーション力にあった。西独における社会構造と産業構造が、つねに時代の要請にあわせて進歩していた。西独の企業は、国民の需要に対応した商品を供給した。その際、西独の産業構造が世界的な環境保護基準を満たし、自然そして人間的自然に配慮する時代的要請に対応できた。世界的にも著名な環境保護政策が、経済的最強性の背後にあった。
 東独の市民的公共性を規定していたのは、第一義的には西独の通貨への信頼であり、その背後にある西独の環境政策への憧憬であった。とりわけ、後者がその後の統一ドイツにおける市民意識を規定した。ドイツマルクへの憧憬は消滅した。それが日常的に使用される通貨になったからである。それに代わって、環境保護政策が東独市民の政治意識を規定した。
 もちろん、西ベルリン市と接していた東ベルリン市において、環境破壊を日常的に認識することはできなかった。東独の首都は、西側に対するショーウインドー的性格を持っていた。また、ベルリンという都市がもともと政治的かつ文化的都市であり、その工業生産高は微々たるものであった。東独における重化学工業地帯はベルリン市ではなく、別の地域において存在していた。
 ハレ市はザクセン・アンハルト州に属している。この地域は、東独さらには第三帝国の時代から重化学工業地帯に属していた。とりわけ、ハレ市から25km北に位置する重化学工業都市、ビターフェルト市は、イノベーションなき工業施設とそれに起因する環境破壊によって東独の象徴的存在であった。大気中における二酸化硫黄の濃度は、年間平均300(μg/m³)であった。この濃度は、西独の工業地帯の4-5倍を意味していた。 4
           (77)
 なぜ、このような環境破壊が東独の重化学工業地帯において一般化したのであろうか。戦前のナチス時代の工業施設がこの工業地帯において再利用された。その工業施設がイノベーションされずに、戦前の技術水準のまま再稼働されたからである。後期近代における環境保護の基準からすれば、この地域におけるその技術は、初期近代と同様に低水準のまま据え置かれた。環境保護政策は、東独市民とりわけハレ市およびその周辺の市民の社会意識にとって喫緊の課題であった。東独の環境保護政策と対照的に、西独の環境保護基準は世界最先端の水準を保っていた。
 東西ドイツの統一にともない、ハレ市の環境保護政策も西独と同一水準に達するであろうという期待がハレ市民に生じた。ある概念はそれが形成途上にあり、その実現可能性が期待されるときに、市民の日常意識をより規定する。東独の工業とりわけ重化学工業は壊滅していた。それに由来する環境破壊はすでになかった。むしろ、交通機関による環境破壊が市民意識を規定していた。「新連邦州(=東独)において交通が、環境問題にとって第一義的なものになった」。 5 東独崩壊以後、環境保護意識の高まりによって、中心街における公共交通網が整備された。それはハレ市だけではなく、東独の数多くの都市にあてはまっていた。たとえば、再統合されたベルリン市における東ベルリン市から西ベルリン市への路面電車の延伸が、本邦においても人口に膾炙されていた。それは、統合されたベルリン市の象徴になるはずであった。統一されたベルリン市交通局長、K・ローレンツによれば、東ベルリンの路面電車は以下のように表象された。「東独からの『落ちぶれた』交通遺産のなかで、路面電車だけが唯一の肯定的なものである」。 6 路面電車が、地域内の公共的人員交通において主導的役割を果たすと、統一直後の政治的熱狂において考えられていた。
 環境破壊の程度という観点から、自動車、バス等に比較して路面電車が、地域内の公共的人員交通における代替選択肢として優位に立った。「エコロジー的な交通計画、環境保護的な交通態度の可能化への枠組が、今まで以上に主体化されねばならない」。 7 後期近代における諸政策課題のうち、環境保護政策が第一義的課題の一つであるかぎり、地域内の公共的人員交通における路面電車の意義が、東独において浮上してきた。
 さらに、高齢者問題がこの路面電車に対する意義づけをより強固にした。高齢者問題は1970年代から西独において顕在化してきたが、西独と異なる事情が、この時期の東独における社会福祉問題をより複雑にした。東独崩壊過程において早期年金制度が制定された。この定年前退職制度によって、高齢者数が社会的に増大した。
ベルリンの壁が1989年秋に事実上崩壊し、1990年10月に正式に東西ドイツが統合された。この短期間のうちに、東独の最後の政権すなわちモロドウ政権が東独独自の政策を実施した。その一つが定年前退職制度であった。東独の多くの生産物がその市場において競争力を喪失した。世界でも有数の競争力を有していた西独の商品が統一以後、大量に東独の市場に流入したからである。東独の生産物は交換価値をほとんど喪失していた。多くの労働者が失業者となった。「東独の変革を背景にした市場経済的観点から、高齢労働者に対して以下の可能性が与えられた。すなわち、年金生活に到達する5年前から、定年前退職年金生活へと移行する可能性である。・・・定年前退職年金制度は1990年10月2日まで存続した。生計生活から定年前退職年金制度へと移行した人数は、40万9千人であった」。 8 正確には高齢者ではないが、定年前の比較的高齢な労働者が年金に依存するようになった。
 彼らは、通常の労働者と同水準の賃金と同様な年金を受領していたのではない。このような高齢者、すなわち若き高齢者を含む広義の高齢者と若年層に対する社会福祉的な政策が求められていた。高齢者だけではなく、若き失業者も福祉政策を必要とした。教育期間の長期化と若年層の職業待機によって、通常の賃金獲得から排除された階層もまた、社会福祉的政策を必要としていた。
          (78)
 中心街における路面電車が福祉政策の一環として寄与した。乗り換えの容易性、乗車の快適性という点は、高齢化社会における公共交通にとって必須条件である。このような観点から、路面電車は他の公共交通媒体に対して優位に立っている。 9


1. Vgl. J. Habermas: Die nachholende Revolution. Frankfurt a. M. 1990.
2. Vgl. [Anonym]: Ostmark zum Willkür-Kurs. In: Der Spiegel. H. 48. 1989, S. 113.
3. B. v. Rüden: Die Rede der D-Mark in der DDR. Baden-Baden 1991, S. 14.
4. Vgl. Hrsg. v. Institut für Umweltschutz: Umweltbericht der DDR: Information zur Analyse der Umweltbedingungen in der DDR und zu weiteren Maßnahmen. Berlin 1990, S. 20.
5. Hrsg. v. Stadtplanungsamt: Verkehrskonzeption Altstadt: Beschluss des Stadtrates der Stadt Halle (Saale) vom 8. Januar 1997. Halle 1998, S. 2.
6. [Anonym]: Tra(u)mstadt Berlin. In: Der Spiegel. Nr. 8. 1992, S. 59.
7. D. Schott u. S. Klein: Mit dem Tram ins 21. Jahrhundert. Geschichte, Gegenwart und Zukunft der Straßenbahn. In: Hrsg. v. D. Schott u. S. Klein: Mit dem Tram ins nächste Jahrtausend. Essen 1998, S. 14.
8. J. Ernst: Altererwerbsarbeit und Frühverrentung in den neuen Bundesländern und einige sozialpolitische Implikationen. In: Hrsg. v. S. Kühnert u. G. Naegele: Perspektiven moderner Altenpolitik und Altenarbeit. Hannover 1993, S. 29f.
9. Vgl. W. Wolf: Die autofreie Stadt. Autowahn am Beispiel der Stadt Marburg an der Lahn. Geschichte, Perspektive und Alternative. Köln 1993, S. 179.


注釈
 本稿は、「東西ドイツ統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』(第67巻第1号、2016年、73-83頁)として既に公表されている。なお、統一脚注を節ごとの注に直している。また、頁番号を手動で入力している。
 同時に、『田村伊知朗政治学研究室』においても掲載されている。

(たむらいちろう: 近代思想史専攻)

(二)に続く。

|

東西ドイツの統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察(二)

東西ドイツの統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識
――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察(二)

  
田村伊知朗
4.路面電車の延伸計画の挫折

 このような公共性に対する市民意識に基づき、ハイデ北への路面電車の延伸計画がハレ市において議論された。統一直後のハレ市において、ハイデ北だけではなく、ハレ新市への延伸計画もあった。後者に関しては、すでに別稿においてその詳細を論述している。 1 両者は1992年において、ほぼ同等な意義を持っているとみなされていた。 2 両地域とも、ハレ市中心街から数km離れた郊外に位置している。その点ではほぼ同一の条件下にあった。しかし、ハレ新市への延伸計画は前世紀末に実現されたことと対照的に、ハイデ北への延伸計画は実現していない。東ベルリン市から西ベルリン市への路面電車の延伸計画と同様に、議論だけに終始した。
 このような差異が両者において生じた理由に関して、ここでふれてみよう。まず、計画段階における両者の設計規模が異なっている。ハレ新市に関する設計計画によれば、792haの敷地において22,000戸の住宅が建設される。対照的に、ハイデ北に関する設計計画によれば、250haの敷地において18,000戸の住宅が建設されるにすぎない。統一直後、前者の人口が9万人強あったことと対照的に、後者は1万人強でしかない。前者が社会主義体制下においてすでに計画をほぼ達成していたことと対照的に、後者は計画段階の途上にあった。社会主義体制が崩壊して以後、この体制下で計画された事案は、ほぼその有効性を喪失した。
 次に政治的理由も考慮の対象に入れねばならない。ハレ新市は、統一直後の1991年においてハレ市に統合された。この新興都市は、これまでの行政的かつ政治的自立性を喪失した。ハレ市の交通政策担当者は、両市の合併によってこの二つの地域の交通政策を総合的に考察することが可能になった。 3 それは、東独が西独に吸収合併されたことと類似している。西独が東独に対して、新たな共同性を構築しなければならなかった。同様に、ハレ市がハレ新市に対してその新たな共同性を構築しなければならなかった。統合という政治的熱狂がハレ市全体の様々な領域を覆っていた。伝統的都市が統合された新興都市に対して、万人にとって可視的な統合の象徴を創出しなければならなかった。
(79)
 ハレ新市と対照的に、ハイデ北は東独時代からハレ市に属していた。ハレ市が、ハイデ北に対して新たに統一性を与える必要はなかった。ハレ市南部の高層住宅地域つまりジルバーヘーエと同様に、ハイデ北の高層住宅は、ハレ市内の機械工場労働者のために造成された。それは、地方自治団体たるハレ市による決定であり、ハレ新市が東独中央政府による直轄事業として建設されたことと対照的であった。ハイデ北における住宅建設は暗礁に乗り上げたままであった。いわんや、ハイデ北への接近方法、つまり中心街からの路面電車の延伸を実現するための方法論が深化することはなかった。
 さらに、ハレ交通企業株式会社は、ハレ市の郊外化の更なる進展を危惧していた。事実、1990年から1999年の10年間において、ハレ市の人口は急激に減少したにもかかわらず、周辺のザール郡の人口は、60,000人から80,000人へと増大していた。 4 この観点は企業経営上の問題とも関連している。郊外化がより進展することによって、路面電車の運営経費がハレ市総体において増大する恐れがあった。郊外化が進展することによって、中心街において乗客数が減少することは自明の事柄であった。「郊外における無秩序な破壊が進展することによって、さらに乗客数が減少する。それによってハレ交通企業株式会社の赤字、つまりその当時、年間7,000万DMの赤字が増大する危険があった」。 5 ハイデ北が、排除されるべき都市郊外への人口流出の範疇として選択された。
 また、ハイデ北において人口流出が前世紀末から進展していた。ハレ新市と異なり、ハレ市中心街への路面電車による接続がほぼ絶望視されていた。ハイデ北への公共交通は、バスに限定されていた。それも、路面電車の終着駅、クレールヴィッツ電停での乗り換えを必要としていた。公共交通における貧困が改善されることは、近未来的に想定不可能であった。
人口が減少することによって、住宅需要も減少する。その結果、家賃も下落する。社会主義国家において家賃が据え置かれたことによって、所有者は住宅を改良する意欲を喪失した。同様なことが、東西ドイツの統一直後のハイデ北においても生じた。改築されない低家賃住宅から中高所得者が脱出し、それに代わって低所得者が流入した。この傾向は1990年代に徐々に進行し、今世紀初頭において誰の目にも明瞭になった。ハレ新市とハレ市南部の高層住宅地域、たとえばジルバーヘーエ等においても、その傾向は続いていた。「ジルバーヘーエにおいて全住民の33%、ハレ新市において全住民の28%が、生活保護を受給している」。 6 この資料はハイデ北と直接的に関係するものではないが、ほぼ同様な指標がこの地域にも妥当するであろう。「最近の世論調査によれば、・・・ハレ市全体における住宅に対する満足性はさらに上昇している。しかし、ハレ新市においてそれは57%であり、明らかに平均以下である。・・・将来の人口減少に関係する地域は、ハレ新市西側、ジルバーヘーエそしてハイデ北である」。7 人口が減少し、かつ低所得者が増大したことによって、中高所得者は自己の住居に対して不満を増大させた。
 行政当局ならびに住宅所有者は、この現象に対して住宅構造物の廃棄によって対応しようとした。8 住宅を破壊して、更地にすることによって、その供給を制限しようとした。しかし、住宅所有者の意図、すなわち住宅の廃棄による家賃上昇だけが、土地の更地化の効用ではない。「住宅価値を高めることの目的は、縮小過程における都市を魅力化することにある。住宅密度の減少は、生活質を改善するために利用されるべきである」。 9 ここでは、更地化の目的が、家賃上昇とは別様に設定されていた。
(80)
 たとえば、住宅協同組合「幸福な未来」は、住宅を廃棄した後に、中高所得者向けの住宅を新たに建設しようした。住宅所有者の意図にも配慮しつつ、別の選択肢を模索していた。「ハイデ北において新たに住宅を建築することの利益は、『幸福な未来』にとって大きい。我々は、ここにおいて賃貸者用の集合住宅を建設するだろう」。 10 この住宅協同組合の主張は実現されなかった。2000年代後半には、ハイデ北の住宅複合体Ⅰの一部が解体された。 11 住宅解体の結果として、家賃は上昇した。しかし、この住居政策は人口減少を止めるどころか、それを促進することになった。
 さらに、ハレ市交通政策担当者は、都市の郊外化の危惧と同時に、中心街における路面電車の充実の必要性を優先した。東独末期の路面電車網が、中心街において寸断されていたからである。「1989年6月22日、テールマン広場とダーマシュケ通りの間において路面電車網が閉鎖された」。 12 テールマン広場(東西ドイツの統一以後、リーベック広場と改称)とハレ中央駅間が閉鎖されていた。全国鉄道網とハレ市中心街を媒介していた路面電車が、事実上解体された。
 この復旧が、東独の崩壊直後におけるハレ交通企業株式会社の重大な使命になった。1990年代後半において、ハレ市都市計画局は、この都市総体における地域内の公共的人員交通の存在形式を次のように認識していた。「地域内の公共的人員交通の路線網の欠陥は、とりわけハレ新市への路面電車網の結合の欠如、ハレ中央駅と中心街との直通網の不在から生じている」。 13 ハレ新市への延伸を除けば、中央駅周辺とりわけリーベック広場の再開発が焦点になった。
 リーベック広場は中央駅から、1kmほどしか離れていない。しかし、ハレ市全体の路面電車網からハレ中央駅周辺が除かれたことは、市民的公共性の形成という観点からだけではなく、営業収益という観点からも問題の多いものであった。ハレ市中心街における公共交通の充実が、ハイデ北への路面電車の延伸に対して優先された。「調和がとれ、すべてが混合し、コンパクトな住居構造は地域内の公共的人員交通を志向する。この住居構造の建設的な枠組設定が、未来の住居構造と交通構造の基礎を形成すべきである」。 14 路面電車が、この住居構造において主導的役割を担うと設定されていた。路面電車が、都市の密度を増大させる地域内の公共的人員交通手段としてみなされていた。とりわけ、人口減少と人口高齢化が不可避であったハレ市において、中心街の整備が最重要課題であった。

1. 田村伊知朗「後期近代の公共交通に関する政治思想的考察――ハレ新市における路面電車路線網の延伸過程を媒介にして」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第66巻第1号、2015年、213-223頁参照。
2. STaH: Hrsg. v. Stadt Halle (Saale), Dezernat Planen und Umwelt: Verkehrsplanung in Halle und Ihre Umsetzung bis 2001. Halle 2002, S. 65.
3. Vgl. STaH A4.3, Nr. 22/9, Beigeordneten Konferenz (16.07.1992), S. 1.
4. Vgl. H. Sahner: Großwohnsiedlungen der Stadt Halle. Heide-Nord im Vergleich. Halle 2000, S. 12.
5. StaH: Hrsg. v. Stadt Halle (Saale). Dezernat Planen und Umwelt. Stadtplanungsamt: Verkehrspolitische Leitbild der Stadt Halle (Saale). Beschluss des Stadtrates der Stadt Halle (Saale) vom 8. Januar 1997, S. 13.
6. STaH: S. Zöller: Nicht nur Jubel beim Fest. In: Mitteldeutsche Zeitung, 15.09.2007.
7. STaH: A. Lohmann: Hallenser ziehen sehr um. In: Mitteldeutsche Zeitung, 19.03.2008.
8. Vgl. Wohnumfeldverbesserung in Heide-Nord (27.7.99). Nachrichten v. Halle
(Saale). In: http://www.halle.de/de/Rathaus-Stadtrat/Aktuelles-Presse/Nachrichten/?NewsID=330
[Datum: 04.04.2015]
9. Ch. Westphal: Dichte und Schrumpfung. Kriterien zur Bestimmung angemessener Dichten in Wohnquartieren schrumpfender Städte aus Sicht der stadttechnischen Infrastruktur. Dresden 2008, S. 114.
10. STaH: A. Lohmann: Reihenhäuser lassen auf sich warten. In: Mitteldeutsche Zeitung, 24.03.2007.
11. Vgl. ebenda.
12. B. L. Schmidt: 100 Jahre elektrisch durch Halle. Halle 1991, S. 196.
13. STaH: Hrsg. v. Stadt Halle (Saale). Dezernat Planen und Umwelt. Stadtplanungsamt: Verkehrspolitische Leitbild der Stadt Halle (Saale), a. a. O., S. 12.
14. Ch. Holz-Rau: Verkehr und Siedlungsstruktur-Eine dynamische Gestaltungsaufgabe. In: Raumforschung und Raumordnung. H. 4. Jg. 59, Köln 2001, S. 265.

5.路面電車の延伸計画の挫折以後

 ハイデ北への路面電車の延伸は、前節において言及した諸根拠から現実化されなかった。それに代わって、2005年にクレールヴィッツ電停とハイデ電停の間、約1kmが結合されることになった。路面電車だけによるハイデ北から中心街への結合はほぼ断念されたが、ハイデ北からクレールヴィッツ電停までのバスと、この電停から中心街への路面電車によって、両者が結合された。 1 ハイデ電停あるいはクレールヴィッツ電停からハイデ北への路面電車による延伸計画は、二つの最終電停の結合による路面電車網の改善という形で完全に断念された。
(81)
 この路面電車網の改善に関してより詳細に触れてみよう。まず、パークアンドライドがクレールヴィッツ電停において採用された。このシステムは、公共交通の停車駅とりわけ最終停留所周辺に駐車場を整備することによって、公共交通の利用者を増大させることを目的にしている。単純化すれば、公共交通を存続させる最終手段として喧伝されている。クレールヴィッツ電停周辺にも、100台ほどの自家用車両を収容するための場所が確保されている。人口10,000人弱のハイデ北にとって、100台ほどの駐車場は理に適っているようにみえるかもしれない。しかしパークアンドライドは、都市周辺部においてかろうじて残存していた公共交通を破壊することにもつながる。「パークアンドライドは、自家用車に有利な平面を都市周辺部に拡大し、・・・そこに残存している公共交通を最終的に破壊することに他ならない」。 2 この設置は路面電車の利用を促進するが、ハイデ北からのバスの利用を妨害する。地域内の公共的人員交通をより拡充すべきであるという観点からすれば、パークアンドライドは問題の多い交通政策であろう。
 また、ハイデ北からクレールヴィッツ電停へのバスは、平日日中において毎時15分間隔で運行されている。もちろん、乗車人数、乗務員の確保等の観点から、単位時間当たりの運行が制限されることもある。しかし、1時間あたりの本数が制限されていたとしても、路面電車そして公共交通一般は定間隔運行を必要としている。たとえ、1時間に1本の運転であったしても、毎時定時に運転されることによって、その運転が市民に周知される。たとえば、ハレ市とデッサオ市間を運行しているドイツ地方鉄道は、毎時15分にハレ中央駅を出発している。 3
 逆に言えば、すべての時間帯において異なる発車時間であれば、人間はそれを記憶できない。定間隔運行であれば、人間はこの事象を記憶することができる。後期近代において人間は、高度な知識に基づく専門家としてふるまっている。後期近代において知識が細分化され、高度化される。しかし、どのような専門家であれ、専門外の事柄に関して素人としてふるまわざるをえない。自然的個人にとって、専門知の高度化は限られた領域において生じるだけである。「我々の世界において経験がより科学的になればなるほど、・・・それだけ我々は噂を信じるしかなくなる」。 4 自然的人間が世界における複雑な事象をすべて認識することは、不可能であろう。公共交通における運行時間に関する問題も、この観点から考察されるべきであろう。交通計画者の専門知は、利用者の素人知に適合しなければならない。ハレ市交通政策担当者が、定間隔運行によって公共交通としてのバスの存続に対して配慮しているのであろう。
 この配慮はさらに、クレールヴィッツ電停からハイデ北方向への路面電車からバス路線への乗り換え形式にも現れている。この乗り換えのためには、道路を跨ぐ必要はない。路面電車の軌道、停留所、バスの3車線が並列している。路面電車の終点で下車した乗客は、そのまま電停横に待機しているバスに乗り換えることができる。さらに、路面電車の停留所にバスが直接的に乗り入れている場合もある。ハレ新市の都市鉄道駅電停等の一部の停留所だけであるが、路面電車とバスを結合するための究極的様式であろう。5
(82)
おわりに

 本稿は、1980年代の東独末期から東西ドイツの統一過程におけるハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程を考察してきた。統一直後において、ハイデ北への路面電車の延伸計画への期待は、市民の公共性に対する社会意識の変化、とりわけ環境保護政策と高齢者福祉的政策に対する意識が増大することによって上昇した。しかし、住宅地としてのハイデ北において、家賃相場が下落し、住宅そのものが廃棄された。そして居住人口が減少した。この社会的現実態の急激な変化によって、この延伸計画は挫折した。公共性に対する市民の社会意識が変化したにもかかわらず、社会的需要の減少という経済原則に直面することによって、ハイデ北 への路面電車の延伸計画は現実化されなかった。
1. Vgl. Hrsg. v. HAVAG: Strecken für die Zukunft. Die neue Verbindung Heide-Kröllwitz. Halle 2005, S. 4.
2. W. Wolf: Berlin-Weltstadt ohne Auto? Eine Verkehrsgeschichte 1848-2015. Köln 1994, S. 158.
3. Verkehrsmittel Vergleich. In: http://www.verkehrsmittelvergleich.de/bahnticket/1154804?st_affiliate_id=1. [Datum: 25.11.2014]
4. O. Marquard: Zeitalter der Weltfremdheit? Beitrag zur Analyse der Gegenwart. In: ders.: Apologie des Zufälligen. Stuttgart 2008, S. 84.
5. Vgl. Hrsg. v. HAVAG: Das neue Liniennetz der HAVAG-umsteigen auf Tram und Bus. Die bessere Verbindung. Von Anfang an. Halle 1999, S. 2.

Abkürzung:
STaH: Stadtarchiv Halle (Saale)
HAVAG: Hallesche Verkehrs-AG

(83)


注釈
本稿は、「東西ドイツ統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』(第67巻第1号、2016年、73-83頁)として既に公表されている。なお、統一脚注を節ごとの注に直している。また、頁番号を手動で入力している。
 同時に、『田村伊知朗政治学研究室』においても掲載されている。

(たむらいちろう: 近代思想史専攻)

| | コメント (0)

« 2016年7月 | トップページ | 2017年1月 »