路面電車による市民的な公共空間の形成――ベルリン市とハレ市の日常的空間における事例を中心にして(二)
路面電車による市民的な公共空間の形成――ベルリン市とハレ市の日常的空間における事例を中心にして(二)
3. 公共交通の結節と公共交通路線網の維持のための技術
本邦ではほとんどないが、ドイツでは都市内交通ではなく、都市間交通として路面電車が利用されている。その著名な一例がハレ市中心部からメルゼブルク市まで敷設された路面電車網である。約1時間(車両の最高速度70km)で両都市間の約17㎞を結合している。 ちなみに地方鉄道では、約15分で到着する。
砂利を敷き鉄道と同様な機能を持つ郊外直通型路面電車が、アスファルト上を運行する中心街循環型路面電車へと直通運転されている。両者共に専用軌道を持っており、乗用車の侵入は禁止されている。
人口数30万人未満のハレ市の中心街の時刻表に言及してみよう。ハレ市の路面電車の時刻表によれば、多くの路線で日中はほぼ15分間隔が実施されている。
「画像5」
多くの路線の結節点である中心街では、数分間隔で市民は路面電車を利用できる。定間隔で運行することが重要である。後期近代において人間は専門人として振舞う。しかし、専門分野以外では、素人として振舞わざるを得ない。定間隔運行と中心街における高頻度運行によって、市民は路面電車の発車時刻を個別的に記憶する必要がない。
また、路面電車の車両は多数連結されている。4-6両編成も珍しくない。路面電車は車両を結合することによって、市民の移動性の自由をより多く保障している。同時に、運行経費が縮小される。単年度でなく20-30年単位で考察すれば、路面電車は他の公共交通手段と比較して減価償却費用が少ない。運転台を搭載していない車両の場合、50年程度の使用も可能である。
市民の移動性を確保するために、路面電車は様々な技術的措置が取られている。まず、路面電車の電停についてふれてみよう。その一つの例として、バスと路面電車が同一の停留所を利用すること場合がある。バスが路面電車の停留所へと直接的に乗り入れている。
「画像6」
自動車の車線はあるが、利便性の向上のための手段として利用されている。もちろん、ベルリン市でもこのような形式の電停は少ない。アドラースホーフ電停とパンコウ電停だけである。ハレ市でも、ハレ新市電停等の限定された数しかない。
それに近い概念で設定されているのが、ハレ市のクレールヴィッツ電停である。
「画像7」
この電停では、路面電車とバスが隣接している。つまり、電停の片方には路面電車の軌道が、他方にはバスが停車している。路面電車とバスが同一停留所において停車する。乗客は道路を跨がずに、路面電車からバスへと乗り換えられる。
異なる方向の路面電車が隣接するホームにて乗り換え可能な場合もある。クレールヴィッツ電停において多方面への二つの路線が並列しており、別方面への路面電車も利用できる。ちなみに、この電停からハイデ北へと路面電車を延伸する計画が存在した。5 その代替交通機関として、バス路線が整備された。その影響も考慮されるべきあろう。
次に、路線終点におけるループ化に関して言及してみよう。通常の電停の場合、終点は行き止まりである。ここで、運転手は後方に移動し、後部にある運転台に座る。電車の進行方向が逆転する。しかし、終点をループ化つまり環状化することによって、運転手は着席したままで、後方方向へと車両を運転することができる。ハレ市においては、クレールヴィッツ電停がそのような形式を採用している。
「画像8」
終点における運転席の移動が無くなることによって、運転台は一台しか必要ない。一車両単位での収容人員が増大する。また、車両整備が容易になる。
電停周辺の道路も技術的に加工されている。ベルリン市におけるケーペニック電停では、8車線が変則的使用されている。つまり、歩道が2車線、路面電車の軌道が2車線、電停が1車線、信号後車道が1車線、信号前車道が2車線をそれぞれ使用している。
反対方向の路面電車の電停は、信号を超えた所にある。図式化すれば、次のようになる。
歩道 信号後車道 信号後軌道 信号前軌道 電停 信号前車道 信号前車道 歩道
信号前に電停を設置することによって、公共交通の所要時間を短縮することができる。また、信号後車道を1車線減少させることによって、限定された道路空間を有効に活用できる。そこでは、車道を2車線必要とするという概念が変形されている。したがって、公共交通における乗車時間が短縮されている。
路面電車は自動車だけではなく、自転車とも共存しなければならない。自転車道が設置され、自転車、自動車、路面電車が完全に分離されている。交通空間が以下のように設定されている場合もある。
歩道 自転車道 車道 車道 電停 路面電車軌道
歩行者、自動車運転手そして自転車運転手の安全が確保される。
本節の最後において、自動車道と路面電車軌道の完全分離という思想についてふれてみよう。路面電車の軌道が、1950-60年代に西欧そしてドイツの多くの都市において撤去された。その目的は、自家用車の渋滞なき走行を確保することにあった。この思想に対する根底的批判として、1980-90年代において路面電車ルネサンスが生じた。6 但し、財政措置は巨大になるが、自動車道と路面電車軌道を完全に分離することによって、この問題は完全に解決できる。この事例をハレ市に見出すことができる。その一つが、レンバーンクロイツ電停周辺である。
「画像10」
この電停は、ドイツの幹線道路(ルート80)上にある。この道路は東独時代には、西独に向かう主要道路であり、現在でも大動脈であることに変わりはない。この電停を経由して、ハレ市中心街からハレ新市へと路面電車を延伸する計画が戦後まもなく考えられていた。しかし、その場合、この幹線道路の交通を阻害することが明らかであった。この問題を解決するために、自動車専用道路と路面電車軌道が完全に分離された。この分離によって、ハレ新市への路面電車の延伸が今世紀初頭に実現された。
また、リーベック広場電停はハレ中央駅から1㎞離れた中心街に位置している。この電停において東西および北方向つまり3方向の路面電車と、片側3車線の幹線道路が交錯している。東独時代には、欧州有数の危険な電停として著名であった。ここでも、路面電車の軌道と電停が、自動車専用道路から完全に分離された。歩行者は、自動車の脅威から完全に解放され、自由を獲得した。この電停周辺の広場は、政治活動、芸術活動等の場所として市民的公共性を展開している。
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