20160519 後期近代における大衆――市民公開講座の位置づけ
20160519 後期近代における大衆――市民公開講座の位置づけ
田村伊知朗
2016年5月14日から18日までに、二つの記事つまり、
1. 「路面電車による市民的な公共空間の形成――ベルリン市とハレ市の日常的空間における事例を中心にして」
2. 「路面電車による非日常的空間の形成――バーゼル市、ハレ市の事例を中心にして」
を『田村伊知朗政治学研究室』において執筆した。 1 これらの業績は、狭義の研究論文に属しているわけではない。この二つの論稿は、函館日独協会と大学市民公開講座における講演レジュメを文章化したにすぎない。その引用の多くが『ウィキペディア』等のインターネット情報に基づいている。講演会の対象者は、市民である。彼らは、公共交通いわんや路面電車に関する基礎知識を持っていない。しかし、私の設定した論題に着目し、講演会に参加した。
一般化して言えば、すべての種類の講演会はこのような市民大衆を対象にしている。何ら基礎知識を持っていない人間に対して、講演者が自己の主張を展開する。1時間から2時間のたった1回の講演時間において、自己の主張を理解させねばならない。大学では、15回あるいは30回の講義において自己の主張を展開する。時間が不足すれば、宿題を課すこともある。しかし、講演会は大学の講義とは異なっている。したがって、講演会において、狭義の専門論文的な専門用語を駆使することは、避けねばならない。基礎知識の乏しい人間に対して、専門用語すなわちジャーゴン(Jargon)を駆使することは「意識高い系(笑)」と馬鹿にされても仕方がないであろう。 2
このような講演会において、後期近代において写真、動画等を多用することが推奨されている。また、異業種交流会における講演も同様な配慮が必要とされている。基礎知識がない大衆に対して、写真、動画等は有効な媒体である。最近の私の記事においても、写真が添付されている。しかし、一つの記事に対する写真は、10枚が限度とされているようである。今回の記事においても、10枚の写真という限定に従っている。実際の講演会においてはより多くの写真を使用したが、インターネットのサイトに掲載する際に、その多くが割愛されている。
ここで大衆とみなされるのは、後期近代におけるすべての人間である。後期近代において、人間は専門家としてみなされている。その知識が高度化すればするほど、その領域は狭まる。ノーベル受賞者である山中伸弥・京都大学再生医科学研究所教授ですら、大衆の一員である。彼は現代日本における最高峰の知識人に属している。しかし、彼の専門領域である人工多能性幹細胞研究以外の分野、たとえばベルリン市に限定された道路行政に関する研究で専門的知識を得ることは不可能である。誰もが専門分野以外において、素人大衆として振舞わざるをえない。
しかし、後期近代における大衆は、自己の専門分野以外における見識を必要とする。選挙があれば、有権者として投票行動を実施しなければならないし、エネルギー政策とりわけ原子力発電に対しても見識を必要とする。その無限に広大な領域において最低限度の見識を得ることが必要である。市民公開講座もその一つである。
2016年5月の連休において、この2年間において実施した講演の一部を文章にした。それがこの二つの記事である。御照覧いただけば幸いである。
注
1. 1. 「路面電車による市民的な公共空間の形成――ベルリン市とハレ市の日常的空間における事例を中心にして」『田村伊知朗政治学研究室』(2016年5月14日―16日)
(その一)http://izl.moe-nifty.com/tamura/2016/05/post-286c.html
(その二)http://izl.moe-nifty.com/tamura/2016/05/post-e632.html
(その三)http://izl.moe-nifty.com/tamura/2016/05/post-5762.html
2. 「路面電車による非日常的空間の形成――バーゼル市、ハレ市の事例を中心にして」『田村伊知朗政治学研究室』(2016年5月17日―18日)
(その一)http://izl.moe-nifty.com/tamura/2016/05/post-4e0f.html
(その二)http://izl.moe-nifty.com/tamura/2016/05/post-b861.html
参照。
2. 「意識高い系」『ウィキペディア』In: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98%E9%AB%98%E3%81%84%E7%B3%BB. [Datum: 25. 9. 2015]
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