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討論:世界変革

世界を人間的理性にしたがって再構成するという思想がある。なぜこのような思想が生じるのか、批判的に再検討する。

1、締め切りは5月8日24時である。
2、1000字以上1500字以内の分量である。
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20160509

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討論:民主主義

 民主主義を批判的に再検討する。この論題に基づき、1000字以上1500字以内で討論会を実施する。

1、締め切りは5月8日日曜日24時である。
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20160509

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Das Vorhandensein der Öffentlichkeit in der späten Moderne-- Eine politisch-philosophische Begründung für die Renaissance der Straßenbahn im öffentlichen Personennahverkehr

Ichiro Tamura: Das Vorhandensein der Öffentlichkeit in der späten Moderne-- Eine politisch-philosophische Begründung für die Renaissance der Straßenbahn im öffentlichen Personennahverkehr

Zusammenfassung

Der vorliegende Bericht versteht sich als Einleitung für die philosophische Begründung des öffentlichen Personennahverkehrs in der späten Moderne. Es lässt sich unschwer erklären, dass die Straßenbahn in ihm eine bedeutungsvolle und entscheidende Rolle spielen kann. Die Straßenbahn verkehrt 30-40 Jahren nach der Stillegung der alten Trams wieder in vielen europäischen Städten. Die Verlegung von PKW-Fahrten auf den ÖPNV durch den neuen Ausbau des Straßenbahnnetzwerkes gehört zum zentralen Ansatzpunkt nicht nur für die verkehrspolitische Strategie zur Verbesserung der Stadtplanung, sondern auch für den Wiederaufbau der Öffentlichkeit einer Stadt im Allgemeinen. Die sogenannte Renaissance der Straßenbahn findet deswegen seinen Grund nicht nur im Gebiet des öffentlichen Verkehrs, sondern auch in der Öffentlichkeit im Allgemeinen.
Das Phänomen von der Renaissance der städtischen Straßenbahn tritt in der späten Moderne nur dabei auf, dass eine große Anzahl der Bürger ihr Bewusstsein nicht mit ihren PKW-Fahrten im privaten Interesse, sondern nur mit dem öffentlichen Interesse der Stadt im Ganzen in Übereinstimmung bringen kann.

Verfasser Tamura, Ichiro
Prof. Dr. phil., geb. 1958 in Japan (Bezirk: Kagawa). Professor an der Pädagogischen Hochschule zu Hokkaido. Thematische Schwerpunkte und Veröffentlichungen: zur politischen Philosophie (Junghegelianismus, insbesondere Edgar Bauer, Bruno Bauer, Karl Nauwerck, Karl Schmidt, Theodor Opitz) und zum Verkehrswesen(ÖPNV, insbesondere Straßenbahn)

In: Bericht der Pädagogischen Hochschule zu Hokkaido (Japanisch). Bd. 66. H. 2. 2016, S. 61-72.

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後期近代における公共性の存在形式――公共交通における路面電車ルネサンスの政治思想的基礎づけを中心にして(その一)

後期近代における公共性の存在形式――公共交通における路面電車ルネサンスの政治思想的基礎づけを中心にして(その一)

         

はじめに

 本稿の目的は、後期近代における公共交通の意義を政治思想的観点から基礎づけることにある。とりわけ、後期近代に復権した路面電車の意義を公共交通総体において考察する。1980年代の路面電車ルネサンスを公共性の形成というコンテキストにおいて位置づける。

1.後期近代という時代に関する一般的考察

 近代という枠組は不変ながらも、初期近代とは異なる時代区分、すなわち後期近代という時代が設定される。初期近代とは、近代革命勃発前後から後期近代が始まるまでの時代を指している。後期近代において近代の基本的理念たとえば自由、平等、連帯が公共的圏域において実現される。この原理自体に対する異議申し立てが不可能になる。後期近代という時代設定は、暴力革命が社会的承認力を喪失したことに対応している。近代の理念が少なくとも公共的圏において確立したことによって、暴力革命への承認力がなくなる。
 後期近代がいつ生じたのかに関しては諸説あるが、1960‐70年前後を境界にしている。近代革命成立以後も暴力的な社会変革に対する社会的承認は、部分的には残存していた。しかし、1968年前後における世界的な学生運動の生成と敗北を境にして、それに対する社会的承認力は失われてしまう。どのような種類の理念を掲げようと、暴力的手段による社会変革はテロリズムとして社会的に葬られてしまう。彼らがどのような目的で社会変革運動を為したのかさえ、報道されることはない。1989年のベルリン革命により、最終的に資本主義社会とは異なる社会に関する概念、たとえば社会主義社会という概念が、西欧においてその承認力を喪失する。
 世界総体の変革というプロジェクト、そしてその前提の社会の総体的性格づけが、1989年の変革以降において失効する。「1989年の転換は、・・・資本主義、自由主義、社会主義と結合した集合主義を解体し、共産主義からその生存根拠を奪った敵にその死を与える」。1 社会主義および共産主義だけがその権威を喪失しただけではない。近代社会を基礎づけてきたこれまでの諸概念も失効する。その過程で、社会を我々が構成しており、我々が変革できるという初期近代における思想は、後期近代において衰退する。中世における社会総体と同様に、後期近代におけるそれは、所与の自然と同一視される。社会総体の性格づけは還元主義と同義になり、その不可能性が宣言される。
 後期近代において、社会総体の変革ではなく、より小さな部分社会の変革が問題になる。初期近代において想定されていない事柄が、後期近代において出現したからである。より正確に言えば、社会総体の変革の無効性の代償行為として、それが出現した。部分社会の変革が初期近代に存在しなかったわけではない。たとえば、環境問題も、初期近代、否すでに前近代において存在していた。鉱山開発は前近代からあったし、それに伴う鉱毒問題、空気の汚染、伐採過多による洪水等の問題もあった。しかし、高齢者問題、高度医療問題、原子力問題等と同様に、後期近代特有の問題として環境問題が出現した。つまり、後期近代に普遍的な課題として大衆社会において認識された。近代の一般理論において対応不可能な問題が出現した。後期近代という時代区分が必要にされている。
 この問題を社会科学的により詳細に検討してみよう。後期近代に関する議論において中核を占める構成概念は、社会的個人の原子化の進展である。周知のように、近代社会は基礎的共同体、つまり家族共同体、親族共同体、村落共同体等の根源的共同性を弱体化させることによって成立した。通説によれば、近代市民社会はこの傾向を推進したとされる。しかし、初期近代における市民社会は、必ずしもこの傾向を推奨していたわけではない。「市民社会は、原子化傾向をその極端まで関知していたわけでも、善とみなしていたわけではない。
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 市民社会は、実体的紐帯への個人の拘束、その社会的前提を信じていた。家族は、社会的有機体の自然的紐帯とみなされていた」。2 市民社会は諸個人の原子化傾向を促進すると同時に、それを阻止する契機、たとえば家族、親族等の共同体的機能によって基礎づけられていた。
後期近代における個人の原子化は、この人間的な自然的被規定性を根源的に破壊する。個人が社会的原子として自立し、相互に交換可能な構成要素になり、機能的に流動化してゆく。最後の自然的紐帯である家族ですら、無条件で必然的な子供の生産に限定されてゆく。家族機能は、「大衆民主主義に対する塞き止めではなく、その訓練場所として作用する」。3 この社会的諸前提から分離された個人は、多元的空間においてその次元に応じた複数の社会的役割を担う。この分業秩序は、初期近代におけるヒエラルヒー的秩序から解放されている。「市場、競争、蓄積というブルジョワ社会の性格は社会的ではなく、むしろ反社会的である。結合よりも、脱結合に向かうがゆえに、一般にあらゆる社会的連関から抜け落ちた非構造的な大衆の問題が生じる」。4この大衆は、構造化されたヒエラルヒー的秩序から逸脱しようとする。
 初期近代において分業は、社会的ヒエラルヒーを強化していた。この秩序に組み込まれることによって、個人もまた垂直的かつ固定的に秩序づけられていた。このヒエラルヒーは社会的不平等の実践的表現であった。命令と従属関係が個人の全人格を性格づけていた。分業は固定的な自然的紐帯と同一視されていた。
対照的に、後期近代において分業が極限まで強化されたことにより、社会的労働の全体性が差異化し、小さな単位に極限までに分節化される。「分業がヒエラルヒーとしてもはや表象されず、むしろ様々な労働形式が存在し、その不可欠性によって原理的に等価であると表象される」。5 初期近代において神によって召されたという職業意識は、ヒエラルヒー的な秩序意識を意味していたが、後期近代において水平的な社会的役割という意識によって代替される。原子化された個人は、原理的な交換可能性によって平等化される。個人はその業績に応じて特定の社会的役割を担うだけである。社会的平等性が万人に開かれている、という社会的意識が一般化する。このような自然的紐帯から解放された個人の原子化によって、市民の平等化が促進される。「孤立しており、解放された個別的個人が、自由主義的かつ市民的世界において中心的、最終審級、絶対になる」。6 この個別的個人が、ヒエラルヒー的秩序から解放された個人として平等な関係を結ぶ。
労働の領域におけるヒエラルヒー的秩序が解体される。消費の領域におけるヒエラルヒー的秩序も解体される。これまですべての歴史に共通していた消費財の不足を解消した後期近代は、すべての市民にそれへの接近を平等に配分している。
 大量に生産された消費財は、大量に消費する消費者という機制を必然化する。「第二次世界大戦以後における技術と産業の比類なき発展は、大量生産と大量消費を社会生活の中心においた」。7 原子化された主体は、労働する主体としてだけではなく、消費する主体として現象する。消費活動は、技術的合理性ではなく、快楽主義的思想を全面に押し出す。消費者としての市民という表象が全面に現れる。「シトワイヤンとしてブルジョワという市民的表象に代わって、シトワイヤンとしての消費者という大衆民主主義的表象が現れる」。8
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労働主体としての市民だけではなく、消費者としての市民が、伝統的な自然的共同性の解体過程においてより前面に出現してくる。
 後期近代における原子論化の進展において、なぜ公共性という概念が出現してくるのであろうか。本稿では、この思想史上の問題に対する直接的回答に代えて、後期近代に関するこのような性格づけを前提にしつつ、公共交通とりわけ路面電車の意義を討究しよう。そして、公共性の意義を公共交通における路面電車の役割によって逆照射してみよう。私的個人交通が道路に溢れたとき、公共交通を充実することによってその利益が貫徹される。公共的利益をより高次の段階に移行させることによって、私的個人交通の利益が貫徹される。この逆説の意味を以下で検討してみよう。
この公共的利益の実現程度は、時間と空間に依存している。どのような水準で公共的利益がより実現され、あるいは私的利益がより追求されるかも、条件依存的である。この概念は様々な下位概念から構成されている。環境問題を例にとってみても、空気、水、騒音、臭い等の様々な下位概念から構成されている。どの下位概念において公共性を設定するかに応じて、公共性という概念も異なってくる。
 本稿において考察対象になっている1980年前後に生じた路面電車ルネサンスも、同様な前提のもとで考察される。「地方自治体における環境保護と公共性――この二つの同一方向へと向かう傾向は、最近みられる。環境問題における公共性の鋭敏化は、つねに上昇している」。9 このような言説は、公共的空間においてしばし見出されている。しかし、環境問題に関する詳細な分析は、個々の論者の数に応じて無数に異なっている。
 さらに、1980年前後に生じた路面電車ルネサンスも、すべての都市において生じたのではない。たしかに、ドイツにおける都市たとえばカールスルーエにおいて、前世紀末から路面電車が軌道だけではなく、直接的に鉄道に乗り入れている。路面電車と都市高速鉄道そして近郊鉄道が、有機的に結合されている。それは、カールスルーエ・モデルとして世界的に喧伝された。それだけにとどまらない。「カールスルーエ以外の諸都市においても、路面電車路線が新たに建設され、あるいは古い路線が再営業化された」。10 公共交通における路面電車が、ドイツの後期近代において再び意義づけられた。11
しかし、路面電車が後期近代において果たす役割は、初期近代におけるそれと同義ではない。ドイツの都市すべてにおいて、路面電車が主要な地域内の公共的人員交通として復活したわけではない。たとえば西ベルリンの中心街において、ベルリン中央駅周辺を除いて路面電車は1967年から現在に至るまで営業運転していない。12 むしろ、路面電車ルネサンスが実現された都市の数は、実現されなかった都市より少ないであろう。
 このように後期近代という概念は、時間、空間、水準等において差異的に現象する。厳密に言えば、初期近代から後期近代への移行は、重層的かつ跛行的である。その固有の対象における時間、空間、水準等が確定することによってのみ、その移行あるいはその非移行が考察される。



1. A. K. Landt: Mechanik der Mächte. Über die politischen Schriften von Panajotis Kondylis. In: Hrsg. v. F. Horst: Panajotis Kondylis. Aufklärer ohne Mission. Berlin 2007, S. 110.
2. P. Kondylis: Der Niedergang der bürgerlichen Denk- und Lebensform. Weinheim 1991, S. 193.
3. Ebenda.
4. H. König: Zivilisation und Leidenschaften. Die Masse im bürgerlichen Zeitalter. Reinback b. Hamburg 1992, S. 132.
5. P. Kondylis: Der Niedergang der bürgerlichen Denk- und Lebensform. a. a. O., S. 195.
6. H. M. Lohmann: Wirtschaftsbürger, Bildungsbürger, Konsumbürger- der Bürger bleibt. In: Hrsg. v. F. Horst: Panajotis Kondylis, a. a. O., S. 129.
7. Hrsg. v. F. Horst: P. Kondylis: Das Politische und der Mensch. Grundzüge der Sozialontologie. Aus dem Nachlaß. Bd. 1. Berlin 1999, S. 31.
8. S. Lahrem u. O. Weißbach: Grenzen des Politischen. Philosophische Grundlage für ein neues politisches Denken. Stuttgart u. Weimar 2000, S. 245.
9. J. Blatter: Umwelt und Öffentlichkeit. Beispiele kommunikativer Instrumente im Umweltschutz. Berlin 1991, S. 2.
10. E. Ehr u. S. Bobinger: Umweltverbund im Nahverkehr. Entlastungspotenziale durch eine integrierte Förderung umweltschönender Verkehrssysteme unter Berücksichtigung der Straßenbahn. Berlin 1994, S. 10.
11. Vgl. Saarbahn. Historie 1995-1999. http://www.saarbahn.de/de/ueber_uns/historie_1899_2012/historie_1995_1999. [Datum: 04.04.2013]
12. Vgl. Berlin Hauptbahnhof. In: http://de.wikipedia.org/wiki/Berlin_Hauptbahnhof. [Datum: 25.09.2014] 

注釈
本稿は、「後期近代における公共性の存在形式――公共交通における路面電車ルネサンスの政治思想的基礎づけを中心にして」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』(第66巻第2号、2016年、61-72頁)として既に公表されている。なお、統一脚注を節ごとの注に直している。同時に、『公共空間X』にも転載予定である。


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後期近代における公共性の存在形式――公共交通における路面電車ルネサンスの政治思想的基礎づけを中心にして(その二)

後期近代における公共性の存在形式――公共交通における路面電車ルネサンスの政治思想的基礎づけを中心にして(その二)

(その一)から続く


2.後期近代における公共交通の復権

 1920年代以降、自家用車の一般化が開始されて以後、公共交通は戦間期、戦後直後の混乱期を除いて衰退の一途をたどった。個人化された交通が1970-80年代まで進展したことにより、公共交通の経営状況は悪化して
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いった。同時に、自家用車が都市中心街の機能を破壊するようになった。
 この状況のなかで、公共交通という大量輸送手段が市民的公共性において再認識された。中心街における自家用車の氾濫は、道路におけるその渋滞を意味していただけではない。それは、戦後の西側資本主義国家における政策判断そして文化的背景が横たわっていた。この現象に対する批判が、後期近代において市民的公共性において現れた。「ここで顧慮すべき側面は、以下の二つの重要な環境研究である。すなわち、第一に、コストの外部化を許可する支配的な社会的かつ政治的な前提である。第二に、歪曲されたコスト知覚の社会心理的かつ文化的に深く根付いた現象である」。1 自動車中心主義という思想が、上昇する社会的に外部化されたコストを顧慮していないという疑惑が生じた。
 自家用車の使用によるそのコストを公共的領域へと排出するメカニズムが、解明されねばならない。このような認識が交通政策者だけではなく、市民の意識においても支配的になった。外部化されたコストが公的領域を浸食することによって、都市住民自身もそのコストを担わねばならない。そのコストが、公的領域から私的領域へと流出してきた。それは、都市住民の即自的意識において問題化し始めた。
 この市民意識の変容は、後期近代における市民意識の幸福感の変容と関連していた。1950-60年において自家用車の所有は、市民の幸福度を図る指標の一つであった。自動車を所有することは、高い社会的地位を表現していた。それは、祭壇における神を意味していた。2 しかし、1970-80年代における自家用車は、大量生産された大量消費財にすぎなくなった。もはや社会的地位を表す所有物ではなくなった。むしろ自家用車の普及による負の側面が、意識されるようになった。「幸福度と自然的資源に対する要求が上昇したことにより、西側産業社会はその発展の影の側面を敏感に知覚した」。3 もはや、自動車の所有による幸福度の上昇よりも、公共性に対するその侵害をより意識化した。
 次に、1970-80年代において自然的紐帯から原子論的に解体された諸個人が、新たな公共性を形成し始めた。諸個人が、自らによって意識化された公共性に対して帰属意識を持ち、それに対して責任性を明確にし始めた。初期近代における公共性と異なり、後期近代におけるそれは、自然的共同性に前もって埋め込まれているわけではない。「普遍性の圏域を構成することが、独立した問題になる。社会的統一体はあらかじめ前もって与えられておらず、むしろ産出されねばならない」。4 公共性は、市民意識において新たに産出されねばならない。
 諸個人の責任対象が自然的共同性から新たな公共性に移行した。「諸個人が人格として問題に対して責任ある態度を取り、諸個人自身による問題解決への寄与が有効であることを自覚していることである。このようなことが、行為準備の前提に属している」。5 諸個人が問題の大きさと諸個人の寄与の小ささを認識したうえで、自己自身によって設定された公共的空間において責任主体として振舞う。このような行為前提が、コンディリスによって明らかにされた後期近代における都市住民の意識を規定する。このような行為規範が公共性という概念をより明確に意識化させ、このコンテキストにおいて公共交通の存在意義を浮上させた。
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 公共性すなわち公共交通に関する意義が、市民意識において認識された。「公共性が1980年代初頭において、持続的に交通政策を影響づける交通規定要因になった。1950-60年代の交通政策は、もはや受容不可能である」。6 公共性を実現することが、公共交通政策の中枢になった。この公共性という概念は、それを支える主体としての市民と関連している。


1. D. Klenke: Nahrverkehr im Automobilzeitalter: Fragen aus der Sicht der Sozial- und Wirtschaftsgeschichte. In: Hrsg. v. H. L. Dienel u. B. Schmucki: Mobilität für alle: Geschichte des öffentlichen Personennahverkehrs in der Stadt zwischen technischem Fortschritt und sozialer Pflicht. Stuttgart 1997, S. 30.
2. Vgl. D. Klenke: Bundesdeutsche Verkehrspolitik und Umwelt. Von der Motorisierungseuphorie zur ökologischen Katerstimmung. In: Hrsg. v. W. Abelshauser: Umweltgeschichte. Umweltverträgliches Wirtschaften in historischer Perspektive. Göttingen 1994, S. 182.
3. Ebenda, S. 184.
4. P. Kondylis: Planetarische Politik nach dem Kalten Krieg. Berlin 1992, S. 133.
5. J. Blatter: Umwelt und Öffentlichkeit, a. a. O., S. 26.
6. B. Schmucki: Der Traum vom Verkehrsfluss. Städtische Verkehrsplanung seit 1945 im deutsch-deutscchen Vergleich. Frankfurt a. M. u. New York 2001, S. 381.


3.専門知と全体知の媒介

 交通政策が、都市総体という公共性のコンテキストにおいて考察された。この背景には、知の存在形式に関する後期近代に特有の問題が横たわっている。すなわち、専門知と全体知が乖離しているということが、万人によって意識された。専門知に対する盲目的信頼が、市民間において喪失した。もちろん、ここで問題にしている全体知は、近代という時代総体に関する知ではない。都市の構造あるいは地域内の公共的人員交通の総体に関する知である。
 都市交通の政策担当者の専門知が、自家用車の渋滞解消だけを目的にしており、都市全体の知と無関係に存在している。専門家の専門知が、素人の全体知と乖離している。合理的であればあるほど、専門知は素人の全体知と矛盾する。特定目的を追求する行為は、部分的合理性しか追求しない。交通に関する専門家は、道路と駐車場を拡張することによる反作用を顧慮しない。一般化すれば、専門知は全体知と矛盾する。専門知は精微であればあるほど、それだけ細分化される。細分化された部分知は、全体知と無関係に存在し、後者と矛盾する。専門知と全体知の乖離は、後期近代において極限まで増大した。
 伝統的には、哲学者と政治家が素人による全体知を代表してきた。「社会的な総体連関の場合、問題はより困難になる。伝統的に少なくとも、哲学者が総体的連関の理論に適合してきた。しかし哲学者は、実践の領域をずっと以前から政治家に委ねてきた」。1 哲学者が普遍的全体知を担い、政治家が実践的全体知を担ってきた。政治家が、この全体知を少なくとも実践的領域において代表してきた。
 専門知は、素人知すなわち利用者の知によって加工されねばならない。専門家によって行使される技術的合理性は、人間的な生活世界における知覚によって変形されねばならない。2 公共交通の政策を企画している専門家ではなく、その環境世界に住む利用者の視点が、政策担当者の思想パラダイムに反映されねばならない。公共交通の政策担当者とその利用者は、後期近代において同一ではない。「都市計画と交通計画の問題を決定しなければならない人間は、公共交通とりわけ路面電車の非利用者に属している」。 3 公共交通の専門家は公共交通を利用しない。もちろん、専門知と普遍知は分離されている。後期近代においてこの分離は必然である。しかし、この分離は媒介されねばならない。住民の普遍知は、それだけでは専門知に対抗できない。
 したがって、交通専門家ではなく、素人である政治家が、市民的公共性に基づいて専門知に対抗する。「政治家と、関係する市民による経済的かつ社会的連関に関する固有の判断は、学問的言説によって代替されえな
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い」。 4 市民的公共性から逸脱した専門知が、再び前者によって加工されねばならない。つまり、専門化することによって細分化された専門知が、全体知あるいは世界観的知によって加工されねばならない。近代社会は両者を分離した。「世界観的に有意義なものとして承認された知と、ますます、客観的に支配的な知識形式になる実践に関わる自然=技術的学問との間に分裂が生じる。この分裂がとりわけ深くなる」。5専門知と世界観的知の分裂は、近代に特有なものである。しかし、後期近代においてこの分裂が分裂として認識される。ある水準において、この分裂を媒介しようとする傾向が生じる。
交通問題に関する全体知によれば、第一義的交通手段は、歩行という人間の原初的能力そして公共交通である。動力化された個人交通は、交通政策的配慮によって領導的地位から排除されるべきであろう。「自動車交通の縮減という急進的概念は、自動車交通の面積をできるだけ排除しようとする。多様な機能を持った生活空間が、道路において生成すべきである」。6 個人化された交通をある水準において阻害することが、公共的な交通政策の課題になる。
 このような政策は、個人の自由を侵害することにつながるのであろうか。公共性という概念を交通政策へと導入することによって、無制限の自家用車の使用という自由を抑圧することにつながる。たしかに、ある水準において個人的自由は制限される。しかし、無制限の自由という概念はそもそも妥当しえない。「どのような生活領域においてであれ、限界なき自由は自然法則的に存在しえない。したがって、自由が無意味なほど使用される場合には、自由を制限することが自由社会における理性的行為から発生する」。7 無制限の自由ではなく、その抑制が自由社会によって要請されている。
都市の公共性総体に適合した交通政策が構想される。「自動車は、都市に適合したプログラムにおける第一義的な交通手段ではない。むしろ、都市内交通における主要な役割は、公共的な人員交通に与えられるべきだ」。 8 1950-60年代において、交通とりわけ個人交通が都市を規定していた。対照的に、1970-80年代において、都市における公共性が交通を規定していた。公共性という要因が、交通政策担当者の意識を規定する。
 公共性あるいは公共的利益という理念は、数字によって提示されえない曖昧性を含んでいる。しかし、個別的事象、ここでは道路における渋滞の解消を解決するためには、交通技術的な対処療法ではなく、その上位概念が必要とされる。「現実的に真摯に、新規の実践的課題を求めよとする場合、より上位の表象つまり洞察力を必要とする」。 9 この洞察力が、個人交通から公共交通への転換という理念である。この洞察力が獲得されて初めて、下位的な個別的基準が構築される。
 あるアポリアがここにおいて発生する。どのようにして、市民が洞察力を獲得するのかという問題である。この問題に解答を与えることは、近代思想史におけるあらゆる問題が解決されることになろう。しかし、ここでの特殊な領域、交通政策の領域において、次のような暫定的解答を与えることはできよう。この洞察力が具現化されるためには、交通政策計画者が哲学者と同様な全体知を獲得し、同時に政治家と同様な具体的実践知を獲得しなければならない。このような稀有な条件下において初めて、公共性が現実化され、公共交通が復権する。
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1. W. Goldschmidt: ‚Expertokratie‘ – Zur Theoriegeschichte und Praxis einer Herrschaftsform. In: Hrsg. v. H. W. Heister u. L. Lambrecht: „Der Mensch, das ist die Welt des Menschen...“ Eine Diskussion über menschliche Natur. Berlin 2013, S. 189.
2. Vgl. B. Schmucki: Der Traum vom Verkehrsfluss, a. a. O., S. 19.
3. K. Thiele: Die Massenverkehrsmittel in der Planung großer Städte. In: Hrsg. v. Deutscher Bauakademie: Verkehr und Stadtplanung. Berlin 1958, S. 79.
4. B. Schmucki: Der Traum vom Verkehrsfluss, a. a. O., S. 370.
5. Th. Mies u. D. Wittich: Weltanschauung. In: Hrsg. v. H. J. Sandkühler: Europäischen Enzyklopädie zu Philosophie und Wissenschaften. Bd. 4. Hamburg 1990, S. 785.
6. B. Schmucki: Der Traum vom Verkehrsfluss, a. a. O., S. 164.
7. K. Klühspies: Ökologischer Stadtumbau. Gedanken zur Fortschreibung des Stadtentwicklungsplanes München. München 1991, S. 6.
8. H. Schröder: Dringendes Gebot. Schaffung eines stadtgerechten Verkehrs. In: Verkehr und Technik. Bd. 8. 1971, S. 359.
9. W. Wolf: Die autofreie Stadt. Autowahn am Beispiel der Stadt Marburg an der Lahn. Geschichte, Perspektive und Alternative. Köln 1993, S. 167.

注釈
 本稿は、「後期近代における公共性の存在形式――公共交通における路面電車ルネサンスの政治思想的基礎づけを中心にして」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』(第66巻第2号、2016年、61-72頁)として既に公表されている。なお、統一脚注を節ごとの注に直している。同時に、『公共空間X』にも転載予定である。

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後期近代における公共性の存在形式――公共交通における路面電車ルネサンスの政治思想的基礎づけを中心にして(その三)

後期近代における公共性の存在形式――公共交通における路面電車ルネサンスの政治思想的基礎づけを中心にして(その三)

(その二)から続く

4.公共交通の復権への具体的前提

 本節では、この市民意識の変容において触媒的役割を担った要素、つまりその実体的根拠に触れてみよう。官僚機構における構成員の世代交代も、交通政策における公共交通の復権を促進した。すなわち、戦前のナチズムの時代に教育を受け、1950年代に官僚機構の実務的部署の中枢を占めてきた世代が、1960-70年代前後に退官した。ナチス・ドイツの時代に形成された美的表象つまり自動車中心主義によって、彼らの意識が規定されていた。1 この世代の退官と同時に、1960年代の青年運動を経験した世代が、1970-80年代において徐々に官僚機構の実務的中枢を占めるようになった。「新たに形成された交通計画担当者は、しばしば市民運動に近接する圏において活動的であった。彼らは新たな交通概念を要求した」。2 交通政策担当者の意識を規定してきたパラダイムが、新たに再構築された。彼らが、交通政策に対して公共性という概念を導入しようとした。
 また、1970-80年代において、アメリカ合衆国に対する文化的憧憬が徐々に解体されようとしていた。1950-60年代において、アメリカ合衆国の文化的生活様式が、映画、テレビ、書籍等のマス・メディアを通じて市民意識に埋め込まれた。パクス・アメリカーナーとして、西側先進国の市民意識を規定した。しかし、1960-70年代における青年運動は、既存の政治体制だけにとどまらず、支配的な文化的パラダイムに対しても異議申し立てをした。彼らが、交通政策の実務的官僚群において看過できない存在になっていった。パクス・アメリカーナーというパラダイムに対して、疑問符が付けられた。交通政策におけるアメリカ合衆国的パラダイム、つまり自動車中心主義もまた、無条件で肯定的なものとしてみなされなくなった。1950-60年代のアメリカ合衆国の交通政策が、後期近代において模範性を喪失した。「1970年代に初めて、交通政策におけるアメリカ合衆国の模範的機能が失われた。アメリカ合衆国的発展が、しばしば否定的事例として引き合いにだされた」。3 アメリカ合衆国的生活様式は、1970-80年代においてその規範制定力を減少させていた。交通政策においても、個人化された交通手段だけではなく、公共交通という大量輸送手段が地域内の公共的人員交通において再認識された。
 さらに、同時期のアメリカ合衆国においても1950年代の交通政策が修正された。個人交通の増大が、都市中心街の機能を阻害したからである。この問題が市民意識を規定するようになった。「アメリカ合衆国においてすら・・・・次のような表象がますます出現しようとしていた。すなわち、大量交通手段を都市領域においてより速く、より魅力的にすることから始められねばならない」。 4 この意識が増大することによって、アメリカ合衆国のいくつかの都市において公共交通つまり路面電車が復活した。


1. Vgl. E. Schütz u. E. Gruber: Mythos Reichsautobahn. Bau und Inszenierung der „Straßen des Führers“ 1933-41, Berlin 1996.
2. B. Schmucki: Automobilität ohne Grenzen. Die Entwicklung des motorisierten Straßenverkehrs. In: Hrsg. v. H. J. Koch: Rechtliche Instrumente einer dauerhaft umweltgerechten Verkehrspolitik. Baden-Baden 2000, S. 26.
3. Ebenda, S. 28.
4. H. Schröder: Dringendes Gebot, a. a. O., S. 359.
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5.公共交通としての路面電車の意義

 これまで、公共交通一般の復権の思想史的前提とその実体的前提について述べてきた。しかし、公共交通における特殊な形態、つまり路面電車の意義については、曖昧なままであった。地域内の公共的人員交通は路面電車だけではなく、バス、地下鉄、都市高速鉄道等から構成されている。地域内の公共的人員交通という概念は、その内に競合する交通主体から構成されている。それは単一の具体的主体から抽象化された概念ではない。「他の交通システムと対照的に、地域内の公共的人員交通は独自の性格を持っている。それは、唯一の交通手段によって担われているのではない。むしろ、様々な交通技術が相互に現存している」。 1 路面電車、都市高速鉄道、地下鉄、バス等は競合しながらも、相互補完的でもある。その構成要素を変化させながら、公共交通は前世紀初頭から全面的に発展してきた。
 本節では、路面電車を他の公共交通機関つまり都市高速鉄道、地下鉄、バスそして自家用車と比較しながら、非同一性と同一性の連関においてその意義を明らかにする。その多様な交通手段において、路面電車の意義を顕揚する根拠に関してここで述べてみよう。公共交通の復権は路面電車のルネサンスと同義であった。
 公共交通は、農村あるいは中世都市と区分される近代都市に特有な現象である。19世紀後半以来、近代都市はその政治的、社会的そして文化的公共性を形成した。この市民的公共性は、公共交通によって形成された。「公共的な人員交通は都市的現象である。・・・万人に開放された機能的に十全な交通網なしには、都市を考えることはできない」。 2 都市の性格づけの本質は、個別的建築物にあるのではない。万人に開放された公共交通の存在様式が、都市の公共性の存在形式を性格づける。とりわけ、前世紀初頭において公共交通がもっとも発展した。この時期に路面電車がもっとも活躍した。 3
 まず、都市高速鉄道、地下鉄等の巨大鉄道輸送手段と比較することによって、路面電車の意義を考察してみよう。1960年代に、居住地区の郊外化と中心街の高層化に対応するために、新たな地域内の公共的人員交通が再構成されねばならなかった。とりわけ、大量輸送手段としての地下鉄の建設が喫緊の課題になった。地下鉄は、路面電車が走行していた主要幹線道路の地下に建設予定であった。同時に、並行する路面電車の廃止が議論された。「1970年代初頭に、自治体が地下鉄と都市高速鉄道を建設した。大都市における路面電車は、それによって体系的に破壊あるいは撤去された」。 4 路面電車の主要停留所が地下鉄の駅になる予定であった。自明の事ながら、路面電車の乗客数が減少した。
 さらに、高速性と大量輸送性という観点だけに基づいて、地下鉄が建設されたのではない。地下鉄を建設することと、路面電車を廃止することは概念的同一性を有していない。地下鉄の建設と路面電車の残存は、概念的に両立可能である。にもかかわらず、後者は廃止された。その背景には交通様式の分離という思想があった。この思想によれば、自動車交通と、鉄道交通および軌道交通が同一平面において並行すべきではない。この分離の目的は、路面電車の廃止である。多くの都市における交通政策担当者が、この思想を受容した。西ベルリン等の大都市は、地下鉄建設を選択すると同時に、路面電車を廃止した。
 しかし、軌道交通と自動車交通の分離という思想に関して、ドイツの多くの都市は、必ずしも西ベルリンと同じ結論を下したわけではない。地下鉄の建設と路面電車の維持拡大という選択肢が、議論の対象になった地域があった。とりわけ、ミュンヘンの事例が著名である。ここでは、地下鉄の建設をめぐる議論において、公
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共交通一般の意義づけが問題になった。 5現在でも、地域内の公共的人員交通において路面電車が一定の役割を果たしている。
 地下鉄建設という巨大プロジェクトの意味を、その建設コストという観点から考察してみよう。道路上を走行する路面電車と比べ、地下鉄は道路の地下を走行する。両者における建設コストは比較しようがない。「輸送量がほとんど同一の場合に際して、建設距離に換算すれば、路面電車は地下鉄の約10分の1しか費用がかからない」。 6 建設コストの観点から考察すれば、地下鉄の建設よりも路面電車の建設が優位になる。投資金額に見合う人員輸送の実行性という観点しても、路面電車が劣っているわけではない。もちろん、この投資効率と費用効果の算出は、その前提が変化すれば別の結論を導き出すことも可能である。
 次に、地下鉄建設への巨額な財政的投資は、それ自身だけでは他の交通媒体に対して影響を与える。巨額投資が他の公共交通総体のサービスを悪化させる。「地下鉄の建設は、地上交通網そしてサービス全体の悪化をもたらす危険を内包している」。 7 限定された資源を単独のプロジェクトに投下すれば、他の交通手段への投資は減少する。地下鉄建設に関して、この危険性はほとんど顧慮されることはなかった。
 さらに、この巨大プロジェクトの目的は、公共交通だけに限定されないより重大な副産物をともなっている。地下鉄が建設されることによって、都市の中心街の性格が変更される。街の性格自体の変容までは提示されない。この巨大プロジェクトに関する議論の過程において、投資効率の問題以外の論点はほぼ看過された。「都市高速鉄道への投資は、欧州における多様かつ零細な経済、労働そして居住構造を根本的に破壊する。少数者への権力集中を加速する」。 8 地下鉄は数㎞毎に駅が建設される。地下鉄の駅周辺に繁華街が形成される。地下鉄の場合、駅前に集中して巨大なショッピングモールが形成される。小資本による家族経営の店舗等は排除される。「都市鉄道(=路面電車、引用者)は、建設時間における低いコストと都市構造の低い障害によってさらに短期間で産出される。この事実が、少なくともいくつかの都市部分を一面的に特権化する危険を減少させる」。 9 建設期間も含めて、地下鉄建設は都市の一部分だけに負担を強いる。地下鉄建設によって、駅周辺の中心街だけが栄え、他の領域はその繁栄から取り残される。街路そして都市の性格が変化する。地下鉄駅前を除いて、高密度な労働現場が消滅する。対照的に、路面電車はその危険性から免れている。また、少なくとも50万人以上の人口規模を持つ都市にしか、地下鉄という巨大プロジェクトは適用されない。その投資があまりに巨大であり、その評価は曖昧性を含んでいる。
 また、地下鉄が建設されることによって、中心街から郊外あるいは近隣の衛星都市への人口移動が生じる。「地下鉄と都市高速鉄道によってもたらされた高速性は、都市の人口流出を促進し、中心街の人口減少に帰着する」。 10 地下鉄建設は都市内の構造だけではなく、都市自体の拡大をもたらす。都市人口の郊外への移動によって、都市の際限なき拡大が生じる。
 地下鉄と対照的に、路面電車は街の商業、文化、居住構造を変化させない。初期近代において形成された都市の構造を維持しようとする。居住地から路面電車の停留所、そして路面電車の停留所から目的地までは、歩行が前提にされている。路面電車は、中世以来の伝統を持つ都市、とりわけその中心街の構造を維持する。車
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両の通行は中心街において可能かぎり制限され、歩行という人間の原初的能力が前提にされている。路面電車はそれを破壊することはない。
 次に、バスについて論述してみよう。バスが、第二次大戦以前から地域内の公共的人員交通において全面に出てくる。戦間期と戦後の混乱期を除けば、この傾向は首尾一貫していた。地域内の公共的人員交通において路面電車は、他の交通媒体と都市空間を分有してきた。言い換えれば、路面電車が、増大する自動車の遅滞なき走行を妨害してきた。「1960年ころの西独における諸都市の交通日常は、増大する渋滞と乏しい道路空間をめぐる先鋭的競争によって刻印されていた」。 11 道路空間をめぐる闘争のなかで、路面電車の軌道を廃棄するという選択肢が現実化されようとした。
 バスが路面電車を補完するのではなく、地域内の公共的人員交通において主要な役割を担おうとした。「1920年代以降のドイツの多くの都市において、バスが路面電車への代替選択肢として転用された。前者がより可変的であり、コストが低かったからだ」。12 代替選択肢としてバスが、廃棄された路面電車網を継承した。戦後の混乱期を除き、この傾向は1960年代に最高潮に達した。
路面電車が軌道に沿ってしか走れなかったことと対照的に、バスは道路を縦横無尽に走ることができた。「バスによるより高度な流動性は、通勤において優位を保っているようにみえた。バスは、住居地域と産業立地の間の最短路線を確保できた」。 13 地域内の公共的人員交通におけるバスと路面電車の優劣という観点からのみ、この議論は有効性を持ちえた。公共交通の存続という前提のもとで議論であった。この論拠に基づき、路面電車の多くの軌道が撤去され、バス路線に転換された。しかし、道路を自由に走行できるという特質は、バスよりも自家用車が優れている。バスが停留所のある地点だけしか通行できないことと対照的に、自家用車は道路上を無制限に走行できる。
 自家用車の特質は、歩行を媒介にすることなく、出発地から目的地まで移動できる点にある。バスを地域内の公共的人員交通の主要手段とするかぎり、自家用車を排除できない。自家用車の走行とバスの走行は、分離できない。バスの路面電車に対する優位性はそのまま自家用車の優位につながる。それに対して、路面電車は軌道によって自動車の走行と区別されている。
 公共交通は多数の住民によって利用される。定時性と定間隔性が要求される。路面電車は、軌道走行によってこの二つの要素を確保する。さらに、俗流解釈によれば、路面電車は高額であり、バスは安価である。しかし、この解釈において、建設コストと運営コストが区別されておらず、両者の概念的差異が考慮されていない。しかし、両者の比較を議論する際、つねに前者だけが考察対象になった。「路面電車か、あるいはバスかという問題を公共的に討議する際に、軌道施設の一回かぎりでの建設コストが全面に出てくる。通常、鉄道企業は高い投資金額を要求する。それと対照的に、使用期間内における運営企業コストが、企業経営的観点からすれば決定的である」。 14 企業運営コストから考察すれば、路面電車はバスに比べてより安価である。路面電車の車両は、中長期的には減価償却期間が長い。路線と架線が建設されると、その耐久年数は長い。 15
 とりわけ、運転台を必要としない連結車両の場合、50年を超えることもまれではない。公共交通の運行経費の約60%は人件費であるが、路面電車はバスと比較して大量輸送が可能であるだけ、それだけ運行経費はより低くなる。にもかかわらず、短期的視点、つまり路面電車の建設時期の会計年度における赤字が
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強調され、路面電車の建設に対する非難が前面に出てくる。長期的視野すなわち未来の世代の負担を軽減するという観点は、議論の対象から外れてしまった。
最後に、路面電車の快適性について触れてみよう。路面電車が軌道を走行することによって、安定した走行が可能になる。信号、停留所以外で停止することもない。「鉄路を受容することにとって、道路交通そして部分的には空路交通への別の選択肢として重要なことは、快適性である」。 16 その安定性は、バスの追随を許さない。


1. B. Schmucki: Nahverkehrssysteme im Vergleich: Der öffentliche Personenverkehr in München und Dresden 1945-1990. In: Hrsg. v. H. L. Dienel u. B. Schmucki: Mobilität für alle, a. a. O., S. 63.
2. H. L. Dienel u. B. Schmucki: Aufstieg und Fall des öffentlichen Personennahverkehrs (ÖPNV) in Deutschland bis heute. In: Hrsg. v. H. L. Dienel u. B. Schmucki: Mobilität für alle, a. a. O., S. 7.
3. たとえば、現在では200㎞弱にすぎないが、ヴァイマール共和国時代(1929年)のベルリンには、654㎞の路面電車網が敷設されていた。Vgl. H. Orb u. T. Schütz: Straßenbahn für Berlin. Geschichte, Konzeption, Städtebau. Berlin 2000, S. 15.
4. H. L. Dienel u. B. Schmucki: Aufstieg und Fall des öffentlichen Personennahverkehrs (ÖPNV) in Deutschland bis heute, a. a. O., S. 15.
5. Vgl. B. Schmucki: Der Traum vom Verkehrsfluss, a. a. O.
6. W. Wolf: Verkehr. Umwelt. Klima. Die Globalisierung des Tempowahns. Wien 2007, S. 386.
7. A. Coffey: Straßenbahn und Stadtplanung. In: Hrsg. v. A. Coffey u. H. Kuchwalek: Grünes Licht für die Straßenbahn. Renaissance eines umweltfreundlichen Verkehrsmittels. Wien 1992, S. 117.
8. H. Knaflacher: Mobilität versus Automobilität: Verkehrswissenschaftliche Sackgasse und Vorüberlegungen für eine nachhaltige Verkehrspolitik. In: Hrsg. v. D. Schott u. S. Klein: Mit dem Tram ins nächste Jahrtausend. Essen 1998, S. 141.
9. A. Coffey: Straßenbahn und Stadtplanung, a. a. O., S. 117.
10. Ebenda, S. 116.
11. D. Schott u. S. Klein: Mit dem Tram ins 21. Jahrhundert, a. a. O., S. 17.
12. Ebenda, S. 14.
13. B. Schmucki: Der Traum vom Verkehrsfluss, a. a. O., S. 145.
14. G. Fredrich: Die Legende vom billigen Busbetrieb. In: Hrsg. v. R. Köstlin u. H. Wollmann, Hellmut: Renaissance der Strassenbahn. Basel u. Boston 1987, S. 171.
15. Vgl. W. Wolf: Die autofreie Stadt, a. a. O., S. 180.
16. W. Wolf: Verkehr. Umwelt. Klima, a. a. O., S. 386.


小括

 これまで、後期近代における公共交通とりわけ路面電車の意義に関して考察してきた。後期近代において路面電車ルネサンスが生じた根拠を、思想史的根拠から考察してきた。都市住民が公共性と公共交通を意識下に挿入して初めて、このルネサンスは生じた。逆に言えば、前者が不可能である場合には、後者も生成しない。
公共交通が現実化するための前提である公共性の具体的内容とりわけ環境問題の詳細については、別稿に委ねられている。
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注釈
 本稿は、「後期近代における公共性の存在形式――公共交通における路面電車ルネサンスの政治思想的基礎づけを中心にして」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』(第66巻第2号、2016年、61-72頁)として既に公表されている。なお、統一脚注を節ごとの注に直している。同時に、『公共空間X』にも転載予定である。

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