« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »

東日本旅客鉄道株式会社という官僚組織における責任倫理――品川駅の遅延証明を青森駅で発行するという感動的快挙ーー後日談における更なる感動

20151007
東日本旅客鉄道株式会社という官僚組織における責任倫理――品川駅の遅延証明を青森駅で発行するという感動的快挙ーー後日談における更なる感動

                                            田村伊知朗(北海道教育大学・教授)

 東日本旅客鉄道株式会社が巨大な官僚的組織であることは、世界的に知られている。鉄道の定時かつ大量運行という点において、その運行業績はドイツ鉄道を凌いでいる。欧州では、ドイツ鉄道の業績は群を抜いている。それを凌駕していることによって、この営利企業の業績は、世界に冠たる唯一無比である。
 この鉄道会社を2015年10月1日に利用した。その際の感動的快挙を本ブログで記しておきたい。その感動は、東京支社管轄下の品川駅における遅延証明を数日後、盛岡支社管轄下の青森駅で発行するという神がかり的快挙に基づいている。
 事実経過を記しておこう。当日の予定では、ドイツから帰国後、成田空港から成田エクスプレス32号(成田空港発15時18分)に乗車して、品川駅に16時22分到着する予定であった。品川駅からタクシーを使用すれば、20分弱(高速使用)で羽田空港に到着するはずであった。ロスタイムを考慮しても、17時前には羽田空港に到着する予定であった。17時15分締め切りの手荷物検査場通過時間には、悠々間に合うはずであった。17時30分発の函館行き最終便に搭乗できたはずである。
 ところが、この電車が品川駅に到着したのは、29分遅れの16時51分であった。タクシー乗り場に到着した時には、すでに17時を過ぎていた。17時15分前に羽田空港に到着することは、ほぼ不可能であった。その時点で、24時間以上ほとんど睡眠していなかった。これに由来するドイツから帰国後の心身疲労が、極度に達していた。数分の違いで羽田空港に到着できるかもしれないという考えもあり、ここで混乱していた。
 品川駅で、当日函館に帰ることができるか否か照会した。担当者の返事によれば、それは可能とのことであった。はやぶさ31号(東京駅発18時20分)に乗って函館に帰ることにした。新青森駅に到着したのは、21時37分であった。そこから接続普通列車(新青森発21時46分)に乗車して、青森駅に行った。到着したのは、21時52分であった。寝台急行「はまなす」(青森駅発22時18分)に乗車した。遅延証明を終点の函館駅で要求しようと考えていた。
ここからは後日冷静になって考えたことである。品川駅で特急券と乗車券を持っていたので、有人改札駅で、その特急券に29分遅延と手書きで書いてもらい、ハンコをもらえばよかった。しかし、その手続きを忘れた。この行為に気づいたのは、新幹線車内、仙台駅周辺であった。そのとき、車掌が検札にきた。巡回車掌の提案によれば、函館駅ではなく、青森駅で遅延証明を依頼すべきである。青森駅で乗り換え時間が26分ほどあったからだ。J東日本旅客鉄道株式会社と北海道旅客鉄道株式会社は別会社である。同一会社の方が、連絡体制は充実している。このような事実を車掌は教示した。巡回車掌の言説は、まさに的確であろう。本案件が自分の処理能力を超えている。しかし、どのようにすべきかを、的確に明示していた。
 青森駅で遅延証明を要求した。しかし、深夜でもあり、担当者も多忙であった。自分の住所と電話番号、及び成田エクスプレスの号数を書いたメモを緑の窓口担当者に渡した。遅延証明の郵送を青森駅担当者に依頼した。
 本日、2015年10月7日に郵送で遅延証明を受領した。「10月1日、成田エクスプレス32号、品川駅29分遅延」と明記されていた。書類の発行主体は、「青森駅」と明記されていた。東京支社管轄下の品川駅の遅延証明を、数日後、盛岡支社管轄下の青森駅でいただいた。
 このような事実は、日ごろ各種の官僚機構の末端と交渉しているビジネスマンにとって、驚愕の事実である。ある知人は、様々な国家官僚と日々交渉している。彼にこの事実を電話で話したとき、絶句した。彼の仕事の大半は、窓口を盥回しされることである。的確な担当官を見出すことが、彼の唯一の仕事である。複雑な社会的欲求に対応して、官僚機構も細分化されている。そのような仕事をしているビジネスマンが一言、電話口でつぶやいた。「ありえない」。官僚組織と悪銭苦闘しているビジネスマンを感動させた。
 以下は、筆者の推定である。つまり、青森駅担当者は、盛岡支社に連絡した。盛岡支社担当者は、東京本社運行管理部(推定)に照会し、その事実を確認した。そして、直接あるいは間接的に青森駅担当者に連絡した。
 膨大な時間と労力がこの間に費やされている。もし、ドイツ鉄道であれば、そのような仕事は管轄外であると、一蹴されて仕舞であろう。本邦でも、東日本旅客鉄道株式会社以外の官僚組織であれば、盥回しと先送り主義は得意技の一つである。「私の管轄外である」という言説は、末端の木端役人の常套句である。市民の立場からすれば、「誰の管轄か」ということは、わからない。多くの市民は、この言説に何度泣いたことであろうか。私も、数多く体験している。それは、「馬鹿役人」シリーズに数多く書いている。
 管轄外の仕事に対する役人の行為規範は、新幹線の巡回車掌の行為において的確に示されている。市民からの問い合わせに対して、管轄外であることを明示することは、重要である。しかし、それだけにとどまらない。とどまっているいるかぎり、馬鹿役人と同様である。その依頼に対応可能な部署を明示することが、重要である。この意味において、この感動的快挙の隠された主役は、巡回車掌であるかもしれない。否、彼こそがこの快挙の主役である。彼の的確な提案がなければ、青森駅における私の行為も存在しなかった。
 私が依頼した仕事は、どのようなマニュアルに従っても青森駅担当者の管轄外である。にもかかわらず、可能な範囲で市民の依頼に対応しようとした。私は僥倖を得た。この依頼は、砂漠の中からコンタクトレンズを探して欲しいということに等しかった。小泉純一郎元総理の言説を借りれば、感動した。
 このような僥倖は、青森駅担当者の組織全体に対する責任倫理が発現されたことに由来している。この責任倫理は、明治以来から連綿と続く旧国鉄一家を支えた責任倫理でもあろう。鉄道の運行とそれに付随する業務に対して、管轄マニュアルを超えて対応している。このような倫理を担う人間が存在する。
 本ブログでは、様々な組織に宿っている官僚制的無責任をたびたび批判してきた。しかし、このような官僚組織の構成員も存在する。もちろん、多くの官僚機構の構成員は、この青森駅担当者と異なるメンタリテートを持っている。彼は例外に属しているのかもしれない。


20151029――後日談、感謝の手紙の受領 

 この感動的快挙に関する感謝の手紙を、東日本旅客鉄道東京本社広報部長及び盛岡支社管轄下・青森駅担当者に送付した。さらに、このブログ記事を印刷して添付した。もちろん、返信は期待していなかった。御笑覧いただければ、それで幸いであった。
本日2015年10月29日、東京本社・サービス品質改革部から、それに対する感謝の手紙をいただいた。数千字に渡る長文の手紙であった。家宝にすべきである。神棚に飾って感謝した。小泉純一郎元総理の言葉を再び借用しよう。感動した。
 日々の日常生活は、様々な苦難に満ちている。楽しいことはほとんどない。それでも、感動するということはある。日常におけるささやかな喜びである。ここに記しておきたい。


追記
 サービスに関する感謝あるいはその反対の苦情も含めて、広報部ではなく、サービス品質改革部に連絡すべきである。もっとも、正常に機能している組織において、組織外からの連絡は、しかるべき部署に伝達される。それは、官僚組織の管轄とそこにおける責任倫理に基づいた行為である。外部からの広報部宛の文書は、サービス品質改革部に転送された。この意味でも、東日本旅客鉄道株式会社は、世界に冠たる鉄道営利企業である。

| | コメント (0)

20151003 公共交通と地方衰退(四)――新幹線建設と在来線の廃止――急行列車「はまなす」の廃止問題に関して

20151003 公共交通と地方衰退(四)――新幹線建設と在来線の廃止――急行列車「はまなす」の廃止問題に関して

                                                             田村伊知朗
 

 『毎日新聞』によれば、JR北海道の急行列車「はまなす」が、2016年3月において廃止さる。「来年3月の北海道新幹線(新函館北斗−新青森)開業に伴う措置。JR北は、(1)青函トンネル内で客車をけん引している現在の機関車が使えなくなる。(2)経営が厳しく新型機関車を導入する余力がない。(3)新幹線の設備点検のため、夜行列車の運行時間の確保が難しい」。1 この『毎日新聞』の記事によれば、その根拠は、以下のように要約できる。(1)、「青函トンネル内」での現在の機関車の使用不能性
(2)、「青函トンネル内」での新規機関車の導入不可能性
(3)、「青函トンネル内」での運行困難

の3点である。これらの論点は、すべて急行列車「はまなす」の「青函トンネル内での運行」を前提にしている。この前提自体が、疑義に溢れている。なぜなら、整備新幹線建設にともない、多くの在来線、とりわけ在来線特急列車が廃止された。その例に従うならば、急行列車「はまなす」の廃止も当然の事柄かもしれない。もちろん、前例に従うという官僚的思考様式自体に対する批判は、当然である。官僚的組織であるJR北海道がこの前例主義に陥っていることに対する批判はここでも留保すべきであろう。この点に関する考察は従前に実施されている。ここで触れるまでもないであろう。2
 しかし、この廃止は、この前例主義にすら倣ったものではない。在来線の廃止は、並行在来線に限定されている。この例に従うならば、廃止すべきは、急行列車「はまなす」の在来線並行区間の「青森駅と、新函館北斗駅あるいは函館駅」の間である。新函館北斗駅と札幌駅の間の廃止は、前例主義的思考様式からすら逸脱している。新函館北斗駅と札幌を連結する意義は失われていない。また、営利企業の経営的観点すら逸脱している。この急行列車「はまなす」の廃止の根拠をここで批判的に考察してみよう。

(1)急行列車「はまなす」は、青函トンネル開通以後、本州と北海道を結節する鉄道として、開通した。もちろん、その主要目的は、本州と北海道の中心、札幌を連結することにある。本州と函館を結節するためではない。本州と函館駅を結節という意義が喪失したとしても、この急行列車と北海道新幹線によって、本州と札幌を在来線で結節するという本質は失われていない。この根拠からすれば、急行列車「はまなす」の意義は残存している。新函館北斗駅と札幌の間の整備新幹線は開通していない。本州と札幌を結節するという重要性は、この在来線急行によって担われている。
(2)理想は、本州と札幌を直接的に連結する点にある。新幹線網によって両者が連結される。もちろん、この点に対する意義は否定しようがない、しかし、問題はこの直節的連結は、数十年先の話である。この数十年をどのように考察するかが問題になる。新幹線網と在来線の結合様式が問題になる。理想的状態を前提した議論は、その過渡期における人間の交通様式を妨げることにつながる。
(3)経営的観点からのこの急行列車の残存が疑義にさられているわけではないであろう。もし、そうであるなら、数十年まえからこの急行列車の廃止が議論されていたであろう。2015年10月現在において廃止が決定されている留萌線と、この急行列車とは、経営的資質が異なっている。黒字化されている列車を廃止する根拠が、理解不能である。管見にふれるかぎり、このような議論はなかった。JR北海道は、その赤字体質によって批判の対象になっている。もし、この急行列車「はまなす」がその赤字体質の一翼を担うならば、この廃止も一定の根拠を持っているかもしれない。しかし、この列車が経営的観点から有用であるとすれば、この列車の廃止も疑義にふされるであろう。
(4)東京駅を起点にすれば、下り新幹線の終着駅は約24時前になる。現行の急行列車「はまなす」の函館駅始発、1時23分を前提にすれば、新函館北斗駅発でもそのような時間設定が可能である。その時間設定は技術的に問題ないであろう。東京駅と新函館北斗駅を4時間前後で結節するとすれば、東京駅最終は、20時前後である。このように夜遅くまで東京で過ごした後、翌早朝に札幌に到着することができる。20時前後まで東京駅周辺で労働が可能であるならば、それは十分航空機と競争できる。
また、現在、上り電車は札幌22時発、函館駅到着2時52分である。この時間を3時間程度遅らせ、札幌25時発、新函館北斗駅6時に改定すれば、新函館北斗駅の始発新幹線と接続可能である。仙台、宇都宮、大宮までであれば、飛行機よりも早くなる。労働開始時間に十分間に合う。寝台列車として、『サンライズ・瀬戸、出雲』と並んで、その役割を果たすことができよう。
(5)このように考えるならば、『毎日新聞』による急行列車「はまなす」の論拠、
「(1)、「青函トンネル内」での現在の機関車の使用不能性、(2)、「青函トンネル内」での新規機関車の導入不可能性、(3)、「青函トンネル内」での運行困難」は、ほとんど問題ない。もっとも、『毎日新聞』の記事と異なる見解を、JR北海道とJR東日本が持っていれば、この考察も無意味となろう。営利企業によるマス・メディアに対するプレスリリースは、額面通りでないもある。また、マス・メディアがそれを検証なくして、報道することもまれではない。JR北海道とJR東日本は、なぜ急行列車「はまなす」を廃止するのであろうか。急行列車「はまなす」を、青函トンネルを経由するではなく、新幹線網と接続することによって、地域社会の発展に寄与する可能性をなぜ考察しないであろうか。この列車の始発駅、青森という前提に捕らわれているとしか、考えられない。この列車の意義は、あくまでも本州と札幌の結合にある。その多様な展開を放棄するのであれば、JR北海道の存続意義が疑われる。

1. 「夜行急行:『はまなす』廃止へ 北海道新幹線や老朽化で」(『毎日新聞』2015年09月06日)http://mainichi.jp/select/news/20150906k0000e040120000c.html [Datum: 06.09.2015]

2. 田村伊知朗「書類至上主義という病理――下部組織による書類改竄に関する政治学的考察」『田村伊知朗政治学研究室』
http://izl.moe-nifty.com/tamura/2014/01/post-457b.htmll[Datum: 18.01.2014]

3 本記事は、「公共空間Ⅹ」へ転載されている。
http://pubspace-x.net/pubspace/archives/2680

(たむらいちろう 近代思想史専攻)

                               

|

公共交通と地方衰退(三)――北海道新幹線の表玄関、「新函館北斗駅」という奇妙な名称――函館市役所と北海道庁における公務員の無責任体質――先送りという無作為

20151023 公共交通と地方衰退(三)――北海道新幹線の表玄関、「新函館北斗駅」という奇妙な名称――函館市役所と北海道庁における公務員の無責任体質――先送りという無作為

                                      田村伊知朗

 「新函館北斗駅」という新駅は、函館市内にはない。函館駅から20キロほど離れた地域に建設されている。なぜ、北海道新幹線は、在来線小樽駅、在来線函館駅に隣接せずに建設されるのか。在来線の駅に接続する新幹線の駅は、すべて町村か平成の大合併によって市に昇格した町(旧大野町、現北斗市)に建設される。唯一の例外、札幌駅を除いて。
 この事実から、北海道新幹線は「札幌」新幹線であると演繹される。北海道新幹線に関する本質的問題が、この新駅名称問題という小さな問題にも現象する。ここで、その過程を検証してみよう。そこから見えるのは、地方自治体の官僚機構に特有な現象、無責任体質である。
2013年から2014年にかけて北海新幹線新駅の名称、「(仮称)新函館駅」が問題になった。新駅所在地の北斗市が、「北斗」の名前を新駅に挿入することを要求してきたからである。2014年6月10日現在、「新函館北斗」が最有力の名前だそうだ。各種の新聞、テレビがそのように報道している。この名称は、必然である部分もある。 それに関してある地方新聞に私の見解を掲載した。1
 函館市は北海道新幹線新駅に関して、「(仮称)新函館駅」という名称を信じてきた。北海道新幹線の誘致運動の期間を含めれば、数十年間この(仮称)という言葉に注意を払わなかった。「(仮称)新函館駅」と同時に建設される新幹線木古内駅という名称には、(仮称)が付いておらず、確定していた。この誘致運動において「(仮称)新函館駅」から(仮称)を取ることは、少なくとも今よりも容易であった。2006年以前であれば、新駅所在地は渡島管内大野町であった。大野町長が、新駅に「大野」の名称を入れろ、と主張することはほとんどありえなかった。少なくとも、20世紀であれば、この仮称という言葉を削除することは、問題なかった。
しかし、歴代の市長、井上市長、西尾市長、工藤市長も、この問題を看過してきた。この3人ともいきなり市長になったわけではない。企画部長、総務部長、助役等の行政の要職を歴任することによって、市長になった。とくに、企画部長は新幹線問題の統括責任者であった。彼らもこの問題に気がついていたはずである。しかし、函館市はこの問題を楽観視してきた。  
 2006年に、「(仮称)新函館駅」の所在地、渡島管内大野町が上磯町と合併した。新たに、北斗市が誕生した。旧上磯町長、海老沢氏が初代北斗市長になった。旧上磯町は2005年当時、人口4万弱を抱え、市制実施の時期を模索していた。大手セメント会社等を町内に擁し、人口が増大していた。それに対して、旧大野町は1万人強であり、農業以外にはほとんど産業がなかった。人口規模は、ほぼ3倍強の開きがあった。通常であれば、この合併によって上磯市が誕生しても問題なかった。しかし、この合併を主導した海老沢順三・旧上磯町長は、上磯という名前に拘らなかった。上磯、大野という伝統ある町名を廃棄し、北斗という名称を冠した新しい地方自治体を創造=イノベーションした。両旧名にこだわるかぎり、融和は困難であった。新しい市庁舎も、旧上磯町役場が転用された。行政の中心が旧上磯町に移行することは、事実上誰もがいたし方ないと考えていたはずである。旧大野町の行政担当者、そして旧大野町民も、対等合併であったと心から認識していたわけではなかった。
彼は、新駅の名称を「北斗駅」とすべきであると主張した。吸収合併された旧大野町に配慮した結果である。このとき、多くの函館在のマス・メディアは、海老沢市長の主張を黙殺した。
 2006年に、私は以下のような草稿を準備していていた。しかし、『毎日新聞』だけではなく、あらゆるマス・メディアから看過された。海老沢市長の主張を馬鹿げたことと嘲笑した。マス・メディアも函館市も同様であった。しかし、新駅は北斗市に建設されるという単純な事実から考察すれば、北斗市長の主張は、理に適っている。ここでその没原稿を再掲してみよう。
 「北斗市誕生に際して、北斗新市長が市域に建設予定の新函館駅(仮称)の名称を北斗駅に改名すべきであると主張した(2006年3月6日市長就任会見)。北海道新幹線新駅の名称問題が浮上している。この新駅の名称を、新函館駅とすべきか、北斗駅にすべきか、という問題である。この新幹線新駅の名称は、鉄道建設・運輸施設整備支援機構によって暫定的に使用されているだけである。この新幹線建設を推進するために、新駅の名称を渡島管内大野町(合併前の北斗市)した場合、全国的水準における社会的承認を得ることは不可能であり、暫定的に函館という名称を採用しているにすぎない。新駅の正式名称は、最終的に新幹線を経営するJR北海道によって決定される。
 この問題が発生した原因は、函館市が新駅の建設場所を自らの市域においてではなく、その域外に設置したことにある。もちろん、形式的には、その決定主体は旧鉄道建設公団(現鉄道建設・運輸施設整備支援機構)である。しかし、公団という国家機関の一部が函館という歴史的かつ行政的名称を使用する際、函館市の了解を必要とするはずである。この意味で、函館市も実質的な決定主体の一部である。
函館市が、その中心市街地ではなく、そこから遠く離れた場所に建設することを推進してきた。新駅に関して名称だけは函館の名を冠して、実質的には北斗市に建設しようとしてきた。函館市が市街地中心、たとえば在来線函館駅、あるいは五稜郭駅周辺に新駅を誘致していれば、この種の問題は起こりえなかった。名称と実質はほぼ一致していたからである。この名称と実質の分離という捩れ現象を、北斗市長が解消しようとしている。
 この名称問題を一般化すれば、次のようになるであろう。通常、同種の問題は、知名度の低い都市(たとえば、千葉)が知名度のより高い都市(たとえば東京)の名称を用いることによって発生する。この事例として、実体的には千葉県に位置している施設が東京という名称を冠する事はありうる。その著名な例として、東京ディズニーランド(千葉県浦安市)を挙げることができよう。しかし、東京にある施設が千葉という名称を冠することは、通常ありえない。全国的な、あるいは国際的な知名度を上げるためには、より知名度の高い都市名(ここでは東京)を冠する場合が多い。
 函館市と北斗市の論争に戻れば、北斗市が新駅建設に際して、市内に建設されようとする施設、すなわち新駅をより知名度の高い函館という名前を冠することはありうる。北斗市は平成の大合併によって誕生した新しい都市であり、全国、あるいは道内に限定しても、その都市名が社会的に認知されているわけではない。しかし、函館市が自らそれを強制することは、困難である。東京都が、千葉県に建設される施設に東京という名前を冠することを強制できないことと同様であろう。このような論理に従うかぎり、北斗市の主張は正当なものになろう。
 もちろん、函館市が最近の数十年間新幹線誘致運動を中心的に展開したことは、顧慮されるべきであろう。そのために、膨大な税金が投入されている。しかし、この誘致運動は、新駅が函館市外に建設されるとういうことを明瞭にして展開されたわけではない。新幹線新駅建設による経済効果が強調されることによって、新駅が市外に建設されることを明瞭にしないまま、誘致運動が展開された。道外に居住する多くの日本国民は、函館市内に新幹線が建設されるという認識しか持ち得ないはずである。しかし、厳密に言えば、函館市に隣接する北斗市に新幹線新駅が建設されるにすぎない。函館市は全国的な新幹線網から除外された町にしかすぎない。さらに、重大な問題が看過されてきた。在来線函館駅には、札幌からスーパー北斗号、本州からスーパー白鳥号がそれぞれ10本近く入線しているが、新幹線が札幌まで延伸された暁には、これらの特急列車は廃止され、かつ新幹線も入線しない。函館駅には特急電車が入線せず、1両編成の各駅停車しか停車しない地方駅にすぎなくなる。しかも、この地方路線は、JR北海道が経営を放棄した第三セクターによって運営された鉄道網でしかない。函館市は、このような未来図を税金投入によって推進してきた。
 しかし、現在なお、函館市はこの新駅建設によるばら色の函館将来図を市民に対して提示している。この北斗市長によって提起された名称問題は、この隠蔽された問題を白日の下に晒したという点から評価できるであろう。現在、函館市の行政は、新幹線建設によって、観光客、商人が函館に来ることを前提にして、函館奉行所の復元、国際海洋研究会館等を建設しようとしている。しかし、この前提の存立基盤が破壊されようとしている。どのようにして新函館駅(あるいは北斗市駅)から、鉄道によって観光客等を運ぶべきか、という点に行政の中心を移さないかぎり、その衰退に拍車をかけるであろう。江差線、函館本線等の複線化工事、高架工事、及び新函館駅の在来線結合形式の改変等を推進しないかぎり、本州からの新幹線乗客は函館まで足を運ぶことなく、札幌方面へと向かうであろう。第三セクターによって運営される鉄道網しか持ち得ない都市が、繁栄を極める可能性は限りなく少ない」。(2006年脱稿、未公表)この草稿は今でも有効性を持ち得ていよう。

 その時から換算しても、8年の年月が経過している。この間、函館市は問題を「先送り」してきた。仮称とはいえ、新函館駅が数十年間定着したし、函館というブランドに安心してしまっていた。 開業を控えた本年になって、北斗市の政治的主張が認知されてきた。駅舎が存在する北斗市の名前を新駅名称に挿入すべきであるという主張である。経済界にはこの主張を支持する意見は多い。この主張には理がある。JR北海道も、駅建設及びレール敷設にあたって、北斗市の了解を取る案件は多々あるからだ。 新幹線線路そして駅舎を建設する企業は、その利益を貫徹するために函館市ではなく、北斗市と交渉しなければならない。
 この問題は日本の官僚制の問題一般と関連している。多くの官僚は、特にキャリア官僚という上級公務員は、多くの部署を渡り歩く。2-4年のサイクルで移動する。しかも、最近では中級公務員も多くが移動する。上級、中級、下級という区別が、官僚機構を機能不全の原因にされている。多くの自治体の場合、ほとんど形式上意味のないものになっている。また、中央官庁の場合も、できるだけこの区別を柔軟にしようといる。  
しかし、課長補佐、係長が実務の細部を把握しなければならない。また、時間的一貫性も必要である。公文書の保存期間は5年だそうである。もちろん、重要な文書はそれよりも長いであろう。しかし、同一の部署に詳しい人が、10年、20年居ないと、歴史的経緯が分からなくなる。中級公務員がかつてはその役割を担っていたはずである。このような人間が現在では、減少している。少なくとも、広範囲でかつ重要な案件であればあるほど、この問題に精通した人間が必要である。
 また、5年間を経由すれば、市役所によって作成された文書はほとんどすべて破棄される。ある問題がどのような過程で設定され、その過程でなされた馬鹿げた決定がどのように準備されたか。このような事象を再検討される可能性はない。ここでも、無責任体制が維持される。否、このような無責任体制を維持するために、5年という時間が経過した後、廃棄される。地方官僚、地方公務員の利益を実現するために、様々な規則が整備される。規則の本質は、「公務員の、公務員による、公務員のための利益」を実現することにある。
 西欧の都市には、都市文書館が存在している。したがって、今でも旧東独時代の文書が実名入りで閲覧可能である。たとえば、ハレ市の文書館には、東独時代の路面電車延伸に関する膨大な資料が保存されている。2今でも、第三帝国時代のある都市における政治過程が問題になるのは、このような資料が保存されているからである。但し、過去20年の文書は、公文書館ではなく、市役所に保存されており、市民には閲覧されない。もちろん、この市民にはその都市の住民だけではなく、外国人も包摂している。
「(仮称)新函館駅」の問題に戻せば、多くの函館市の公務員がこの問題に気が付いていたはずである。しかし、重要な問題になればなるほど、これを歴代企画部長が「棚上げ」つまり「先送り」してきた。前任者は後任者に引き継いだだけである。問題が大きくなればなるほど、その問題は棚上げされてきた。官僚だけではない。多くの人間も一般にその傾向から免れない。この問題については、2014年5月23日のブログ「花輪和一『刑務所の前』」において論じた。2
「先送り」が繰り返された。最後になって、元企画部長であり、現函館市長がこの問題を取り上げたとき、外堀は埋まっていた。2013-2014年にかけて、北斗市が「函館北斗駅」を、函館市が「新函館駅」を主張した。後者の主張が通るはずもない。
 通常、対立する二つの集団は、その両者の利益が貫徹される。かつて金丸信副総理は、「政治とは、足して2で割ることである」と、主張した。この政治学的名言は、多くの政治学者によって嘲笑の的になった。しかし、金丸氏の主張を単純な図式として考察すれば、(A+B)÷C=D という図式になる。この図式そのものは真理をついている側面がある。対立する二つの相異なる主張を取り入れ、両者が満足する結論を引き出すという点は、政治学の基本である。あるいは、ヘーゲルの弁証法における正・反・合もその図式と似ている。もちろん、2という単純な数字ではなく、複雑な係数等が必要であろうが・・・。しかし、今回の新駅名称問題において、「政治とは2つを足して、2で割ることだ」という政治の基本的図式そのものを破壊している。もはや、政治ではない。北斗市の主張する函館北斗駅と函館市の主張する新函館駅を足しただけである。2で割ることは、新たな水準において事柄の本質を揚棄するはずであった。しかし、今回の新駅名称問題は、足しただけである。足して「新函館函館北斗駅」から重複する函館を引いただけである割り算まで至らない。足し算と割算だけで、新駅名称が決定された。
 もはや、「北斗」という名称を入れざるをえなくなっていた。 歴代の函館市役所の先送り体質が、このような奇妙な事態を招いた。

注1 田村伊知朗「新函館北斗駅名称問題」『北海道新聞』(2014年6月12日)、28面。


注2 田村伊知朗 「後期近代の公共交通に関する政治思想的考察――ハレ新市における路面電車路線網の拡大過程を媒介にして」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第66巻第1号、2015年参照。

注3田村伊知朗「破滅への予感と、日常的営為への没頭――花輪和一『刑務所の前』と福島における放射能汚染」『田村伊知朗 政治学研究室』
http://izl.moe-nifty.com/tamura/2014/05/post-aabb.htm][Datum: 23.05.2014]

本記事は「公共空間Ⅹ」へ転載されている。http://pubspace-x.net/pubspace/archives/2671

(たむらいちろう 近代思想史専攻)

|

公共交通と地方衰退(二)――国策と並行在来線

20150831 公共交通と地方衰退(二)――国策と並行在来線

(承前)
                                   田村伊知朗
3.第三セクター方式の問題点

 整備新幹線が建設されることによって、在来並行線はJRから経営分離される。鉄道事業者によって経営放棄された路線の経営は、第三セクターによって経営される。第三セクターの経営者は、地方自治体の首長あるいは幹部公務員、幹部退職者である。東北本線の盛岡―青森間のうち、青森県内の部分が青い森鉄道線として運営されている。青い森鉄道株式会社社長は、小林巧一・元青森県上北地域県民局長である。また、北海道新幹線が開業したことにより、第三セクター、「道南いさりび鉄道」が設立された。並行在来線としてJR北海道から経営分離される江差線の運営を担う。この会社の社長は、小上一郎(前 函館市農林水産部長)である。両者ともに、第三セクターつまり天下り先として設定された。
 公務員は経営者ではない。多くの行政職は2-3年の任期で交代する。その評価は減点主義である。リスクを取らない。加点主義ではないので、新規事業を妨げる傾向にある。このような公務員は、民間企業の経営をする能力に欠けている。国鉄を民営化する際に、この論点が焦点になった。にもかかわらず、公務員がJR各社に分割民営化された鉄道事業の経営を担う。国鉄民営化の意義を否定する。
 『毎日新聞』(2005年3月18日)において「江差線複線化」が提議された。もちろん、JR北海道・江差線は廃止され、第三セクター化された。複線化という提案は無視された。しかし、複線化しておれば、第三セクターの経営の裁量余地も増えたにちがいない。もっとも、前例主義をモットーにする公務員にとって、裁量余地のないことはよいことであろう。万事、前例踏襲という彼らの哲学が実現されるからだ。
 公務員労働の特質は、前例主義、減点主義、そして新しいことをしない(=リスクを負わない)ことにある。公務員組織、大企業、大組合等の大組織はこの病理から自由ではない。この点に関する詳細は、すでに論じている。
このような第三セクター方式しか、JR北海道から経営分離された在来線鉄道の経営を担えないであろうか。「『道南地域(五稜郭・木古内間)第三セクター鉄道開業準備協議会』について」を概観するかぎり、その方式を前提にしている。この前提自体は問題にされていない。天下り先の確保が前提になっている。それは疑問の対象にすらならない。
 しかし、税金の投入を前提にしながらも、実際の運営を民間会社に委託することも可能である。欧州で一般的な上下分離方式を活用することもできる。つまり、鉄道の設置と保線業務を地方自治体が担うが、経営は民間会社に委譲される。この方式を採用することによって、経営のより効率化が可能になる。本邦でも、役人の行為規範の一つである前例があった。たとえば、岡山電気軌道によって全額出資された和歌山電鐵が、和歌山県貴志川線を経営する。このような経営形態は、第三セクターの非効率経営を排除できる。

4.国策に対する思想史的意味づけ

 国策という概念は、戦前において国家の総体的意思を表象していた。明治初期における国策は、幕末において欧米各国と締結していた不平等条約を改正することにあった。この国策は不平等条約の改正という外交政策だけではなく、国民生活のあらゆる側面を変化させようとしていた。日本古来の習俗にいたるあらゆる生活体系を西欧化しようとした。
 また、昭和初期における対外戦争をめぐる論争、つまり南進論(英米仏との戦争)と北進論(ソ連との戦争)の選択に関する論争があった。歴史事実的には、英国のシンガポール植民地、米国のフィリピン植民地、フランスのインドシナ半島植民地を日本が解放し、その植民地にしようとした。南進論が選択され、それが国家全体の意思つまり国策になった。この国策にしたがって、外交政策、軍事政策だけはなく、国民の生活一般が変革された。国策とは、国家の部分的領域における意思ではなく、国家総体の意思を表象していた。
 この国家総体の意思としての国策は、最近の数十年において国策捜査として使用されている。佐藤優が国策捜査という概念を人口に膾炙させた。その意味をつぎのように定義している。「国策捜査はそれまでの時代に対するけじめとして新自由主義への転換を意味していた」。 鈴木宗男そして佐藤優をめぐる国策捜査は、国家の総体的意思の変化つまり公平配分型の政治から新自由主義への転換を周知するために実施された。
 また、徳洲会徳田毅衆議院議員に対する選挙違反問題も一種の国策捜査として位置づけられる。なぜなら、彼の選挙違反は21世紀において初めて生じたのではない。1980年代から彼の選挙区、徳之島を中心とした買収等は、週刊誌等で問題されていた。これまで30数年間、起訴されることがなかったにもかかわらず、突然に2013年11月から問題化された。それは、徳洲会に何らかの国策的意味づけの変化に基づいているように思われる。しかし、ここではその根拠を明白にはできない。
 このような国家意思つまり国策という観点から考察すれば、北海道新幹線は札幌新幹線である。その意味を明確にしたのが、『神奈川新聞』のインタビュー記事である。北海道新幹線の本質は、札幌と東京間の速達性を確立することでしかない。函館市は、この新幹線網から外れた都市である。
 国策自体の変革は、無意味である。日本の国策の変化、つまり公平配分型の政治から新自由主義への転換を対自化することは必要であるが、それ自体を変更することは不可能である。国策それ自体に対して、個人あるいは下位機関は無力である。もはや、支配層内における矛盾がないかぎり、その改編は不可能であろう。問題は、国策の不可避性を承認しつつ、その下位規範への対策を考察することでしかない。
 もちろん、この国策としての札幌新幹線に対して、別の原理たとえば北海道の各都市を均等に結合するような北海道新幹線を対置することも、思想上は可能である。しかし、それは資本主義に対して社会主義を対置することに相似している。それは現実的において、蟷螂の斧となろう。国策を対自化することによって、その副次作用たとえば人口の中心部への集中と、小都市の破壊等を対自化することでしかない。国策としての札幌新幹線を前提にしつつ、その対策を考えるしかない。たとえば、七飯車両基地をJR五稜郭駅周辺に設定することを提案すべきであった。

本記事は「公共空間Ⅹ」へ転載されている。
http://pubspace-x.net/pubspace/archives/2666

| | コメント (0)

公共交通と地方衰退(一)――国策と「札幌」新幹線

20150830 公共交通と地方衰退(一)――国策と「札幌」新幹線
                                                             田村伊知朗


1.原理主義的哲学との関連性

 時間が経過すれば、ある政治的行為(B1) は、その結果(C1)をもたらす。しかし、それだけにとどまらない。別の観点からすれば、(C2), (C3), (C4)・・・・(Cn)をもたらす。人間の認識は、(C2), (C3), (C4)・・・・(Cn)に至ることはない。すべての結果を考慮して、ある行為(B1)が決断されるわけではない。
問題は、この点を認識するか否かにある。この点を看過すると、(B1)=(C1)だけに満足することになる。この考えによれば、(B1)が(C1)という結果しかもたらさない。マルクヴァルトによれば、それは原理主義的哲学になる。このような思想が形成されるのは、実験科学においてだけであり、精神科学には及ばない。精神科学あるいは歴史において偶然性あるいは条件依存性が看過されると、原理主義的哲学が生じる。
 また、ある行為(B1)が決断される前には、前提が存在する。その行為は真空状態で構想されたのではない。問題は、なぜこのような行為が形成されたのかにある。通常は、その前提は(A1)であると認識される。しかし、本来的に言えば、その前提は、(A2), (A3), (A4)・・・・(An)である。(A2), (A3), (A4)・・・・(An)も、人間的理性の範疇を超えている。人間的理性はこの前提すべてを認識できない。しかし、人間的理性がそれを認識できないからと言って、その前提がなくなるわけではない。あるいは意図的にそれが隠蔽されることもある。この諸前提のうち、ある特定の前提(A2)が隠蔽されたとき、その行為は原理主義的哲学に基づいている。
 ある行為(B1)が、ある前提(A1)のもとで構想され、(C1)という結果しかもたらさないとすれば、ある前提(A1)のもとで構想された行為は、(A1)から(C1)への必然的連鎖における環にすぎない。世界と歴史的世界は、必然的法則性のうちにある。人間的理性はそれを認識するだけである。あるいは、その連関が理解できないことは、人間的理性の程度が低いことを意味しているにすぎない。
 もし、そうであれば、世界と歴史的世界は単純なものになる。政治家あるいは高級官僚は、このような原理主義哲学に依拠する。明晰な頭脳によって構想された世界像が形成される。その世界像は国策と呼ばれる。
 国策を企画した機関は、国策に関する明晰性を国民に与えることはない。もちろん、その隠された意図を明示することもある。しかし、それは稀である。その国策は行為における国民あるいは地域住民の犠牲をもたらすからだ。ここで、国民という概念と地域住民という概念を分離したことは、前者の利益と後者の利益が矛盾する場合が多いからである。
 国策が地方都市に何をもたらしたのであろうか。たとえば、著名な地方都市の合併、平成の大合併を事例にしてみよう。平成18年の平成の大合併によって、多くの町村が消滅した。この市町村合併によって、多くの町村が周辺の都市へと合併された。明治以来の伝統を持つ村、たとえば群馬県赤城村も地理上から消滅した。この村が存在していた地域も過疎化が今後より進展することは、不可避であろう。小さき地域は、大きな都市へと吸収される。この地域は過疎化するが、ほとんど社会問題化することはない。大都市内の人口移動にすぎない。周辺を中心に統合することによって、効率的な行政が可能になる。このような結果は、合併当時から懸念されていたことである。それに対する批判は、数多くあった。
 しかし、この国策の意味づけは、行政効率の向上だけであったのであろうか。地方都市を衰退させることによって、別の目的を企図しているのかもしれない。しかし、国民はその意図を認識することはできないであろう。国民がそれを認識するためには、数十年の時間を要する。

2.北海道新幹線の存立理由としての「札幌」新幹線

 北海道新幹線が、2016年3月に北海道において営業運転を開始する。その表玄関つまり新函館北斗駅は、函館市には建設されない。この駅は、函館市ではなく、函館市の北方約20kmに位置している北斗市(旧 渡島管内大野町)に建設される。函館市に新幹線新駅が建設されないばかりではない。この伝統的都市には線路すら建設されない。にもかかわらず、函館市は北海道新幹線の誘致運動の先頭に立っていた。
 その新駅の名称も、誘致運動の段階から「新函館駅(仮称)」であった。その仮称も取り除かれる開業1年前になって、新函館北斗駅となった。この建設に伏在している思想を問題にしよう。本稿において第一に言及されるべき課題は、速達性という効率重視と関連している。整備新幹線としての北海道新幹線の新駅建設問題には、日本の政治の問題点が隠されている。本稿はその意味を思想史的観点から考察する。
 ここで、整備新幹線という概念についてふれてみよう。東北新幹線を例にすれば、盛岡以北は、整備新幹線として建設される。つまり、鉄道建設公団(現 鉄道建設・運輸施設整備支援機構)によって建設される。税金によって新幹線が建設されることによって、並行在来線は廃止される。しかし、鉄路それ自体は残り、第三セクター化され、地方自治体によって運営される。民営化された鉄道経営が、再び公営化される。
 それに対して、盛岡以南の新幹線は旧国鉄によって建設された。むろん、並行在来線は廃止されない。その建設目的は、在来線の輸送量を増大させることにある。在来線特急が新幹線に格上げされる。特急待ち時間が解消され、在来線の速度が増大し、運行本数も拡大する。旧国鉄そしてJR東日本の利益が増大した。また、運行間隔が短縮され、運行速度が増大することによって、在来線の利用者にとっても不利益はない。
 盛岡以北は、もともと在来線の利用者数が少ない。その収益の大半を在来線特急に依存している。在来線特急が新幹線に格上げされれば、在来線は廃止せざるをえない。経営的観点からすれば、当然である。しかし、地域社会からすれば、それは別の意味を持っている。在来線廃止という地域社会における犠牲を払って、整備新幹線が札幌まで建設される。もちろん、第一義的には、JR東日本、JR北海道の経営を改善されることが容易に想像できる。赤字の在来線が廃止され、税金で建設される新幹線網の経営は、確実に利益を生む。
 しかし、営利企業の利益を向上させるだけに、整備新幹線つまり北海道新幹線が建設されるのではない。国策的観点からその整備が必要とされているからだ。その一つのとして、道州制の建設が叫ばれていることにある。北海道は道州制になっても現在と同様に、州都は札幌にある。東北州の州都は仙台市にあり、関東州の州都は大宮市(現 さいたま市)にある。東京は日本の首都である。もちろん、この州区分と州都は未だ仮称段階であるが、誰もがその実体について異論を唱えることはない。現に、政府の出先機関、たとえば財務省の地方組織(財務局)、国土交通省の地方組織(運輸局)等は、その地にあるからだ。その二重構造を解消することが道州制導入の目的の一つである。
 北海道新幹線もこの道州制による国土軸形成という国策によって建設される。それは、札幌市とこの二つの州都そして東京を結合しようとする。そのためには、札幌市と仙台市、旧大宮市そして東京を直線的に結合しなければならない。もし、在来線の現函館駅に北海道新幹線の新駅を建設すれば、スイッチバック(逆方向運転)しなければならない。
 北海道新幹線においてスイッチバックしなければならない駅を建設すれば、どのようになるのであろうか。第一に、この駅にすべての列車が停止しなければならない。第二に、停車するために、その前後は最高時速で走行することが不可能になる。札幌市と東京との速達性を確保するという国策と矛盾している。第三に、この方式は、欧州ではフランクフルト中央駅、ライプチヒ中央駅等珍しいものではない。本邦では、高松駅等にみられるだけであり、必ずしも一般化していない。第四に、スイッチバック方式の駅は、ドイツにおいて州の主要駅だけであり、函館駅はこの主要駅の概念から外れている。
 北海道新幹線の建設予定駅のうち、在来線と結節するのは、札幌駅を除けば、長万部駅と木古内駅だけである。その二つとも市制すら施行されていない町村に設置されている。札幌駅を出発した列車の何本かは、ほぼノンストップで新青森駅あるいは仙台駅へと直通する。新函館北斗駅に停車することを避けるために、この駅は函館市には建設されなかった。そのために、在来線函館駅への新幹線乗り入れは、断念された。
 ここで鉄道事業者によって想定されている速達性と、市民的常識における速達性は区別される。前者にとって、速達性は分単位そして秒単位で考察されている。かつてJR東海は、本社所在地の名古屋駅すら停車しない「のぞみ号」を設定した。東京駅と新大阪間において停車駅は、新横浜駅のみである。東京と大阪間の速達性を向上させるために、名古屋駅を通過させる運行形式を設定した。鉄道事業者は、人口220万人の名古屋市、その周辺を合わせれば、3-400万人の都市の駅すら通過させるという合理性を持っている。その合理性指向に基づくかぎり、30万人都市にすぎない函館市を通過駅に設定することは、当然のことであろう。ちなみに、新横浜駅には停車している。理由は単純である。横浜市の人口は約370万人であり、名古屋市のそれは220万人でしかない。前者は後者の約二倍の人口規模を持っている。その人口規模に応じた経済規模を持っている。
 また、道州制が導入されると、州都だけが繁栄し、他の都市とりわけ現在の県庁所在地の衰退が進展すると言われている。単純化すれば、道州制は複数の県庁所在地の公務員を州都に集合させることにつながる。しかし、北海道の場合、それはまさに現在進行形である。
札幌市だけではなく、札幌通勤圏を設定してみよう。それは、鉄道による札幌への日帰り通勤が可能な地域である。私見によれば、北方の旭川市、南方の苫小牧市、西方の小樽市の三つの都市を結ぶ三角形の内側がそれに相当する。この内側の面積はすべての北海道のそれの約10%を占めているにすぎない。しかし、その人口は約60%を超えている。ほぼ、北海道の全人口の約3分の2が、広義の札幌圏に集中している。すでに北海道は、このような一極集中を現実化している。
 北海道新幹線は、このような人口の札幌圏への移動をより促進するのであろう。逆に言えば、この人口動態を予見したがゆえに、このような形態を採用したのであろう。

本記事は「公共空間Ⅹ」へ転載されている。
http://pubspace-x.net/pubspace/archives/2662

(たむらいちろう 近代思想史専攻)

| | コメント (0)

« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »