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後期近代における公共交通(その一)

20150802 後期近代における公共交通(その一)

1.後期近代という時代に関する一般的考察

 近代という枠組は不変ながらも、初期近代とは異なる時代区分、すなわち後期近代という時代が設定される。初期近代とは、近代革命勃発前後から後期近代が始まるまでの時代をさしている。後期近代において近代の基本的理念、たとえば自由、平等、連帯が公共的圏域において実現される。この原理自体に対する異議申し立てが不可能になる。
 初期近代において、近代革命以後も暴力的革命への記憶は残存していた。後期近代という時代設定は、暴力的革命が社会的承認力を喪失したことに対応している。近代の理念が少なくとも公共的圏において確立したことによって、暴力的革命への承認力がなくなる。
 後期近代がいつ生じたのかに関しては諸説あるが、1960‐70年前後を境界にしている。近代革命成立以後も暴力的社会変革への社会的承認は残存していた。しかし、1968年における世界的な青年運動の生成と敗北を境にして、その社会的承認力は失われてしまう。社会変革は、どのような種類の理念を掲げようと、テロリズムとして葬られてしまう。彼らがどのような目的で社会変革運動を為したのかさえ、報道されることはない。最終的に資本主義とは異なる社会主義革命という概念が、世界的に失効する。初期近代における社会を我々が構成しており、我々が変革できるという思想は、後期近代において衰退する。後期近代において社会総体は、中世におけるように所与の自然と同一視される。
 後期近代において、社会総体の変革ではなく、部分社会の変革が問題になる。初期近代において想定されていない事柄が出現する。より正確に言えば、それが社会総体の変革に代わって、出現した。部分社会の変革が初期近代に存在しなかったわけではない。たとえば、環境問題も、初期近代、否すでに前近代においても存在していた。鉱山開発は前近代からあったし、それに伴う鉱毒問題、空気の汚染、伐採過多による洪水等の問題もあった。しかし、高齢者問題、高度医療問題、原子力問題等と同様に、後期近代特有の問題として出現した。つまり、後期近代に普遍的な課題として大衆社会において認識された。近代の一般理論において対応不可能な問題が出現した。後期近代という時代区分が必要にされている。

2.後期近代という時代に関する社会科学的考察

 この問題を社会科学的により詳細に検討してみよう。後期近代に関する議論において中核を占める構成概念は、社会的個人の原子化の進展である。周知のように、近代社会は基礎的共同体、つまり家族共同体、親族共同体、村落共同体等の根源的共同性を弱体化させることによって成立した。通説によれば、近代市民社会はこの傾向を推進したとされる。しかし、初期近代における市民社会は、必ずしもこの傾向を推奨していたわけではない。市民社会は諸個人の原子化傾向を促進すると同時に、それを阻止する契機、たとえば共同体的機能によって基礎づけられていた。
 初期近代における市民社会は、家族共同体等の社会的有機体に基づいていた。しかし、後期近代において個人の原子化はこの人間的な自然的被規定性を根源的に破壊する。個人が社会的原子として自立し、相互に交換可能な構成要素になり、機能的に流動化してゆく。最後の自然的紐帯である家族ですら、無条件で必然的な子供の生産に限定されてゆく。この社会的諸前提から分離された個人は、多元的空間においてその次元に応じた複数の社会的役割を担う。この分業秩序は、初期近代におけるヒエラルヒー的秩序から解放されている。初期近代において分業は、社会的ヒエラルヒーを強化していた。この秩序に組み込まれることによって、個人もまた垂直的かつ固定的に秩序づけられていた。このヒエラルヒーは社会的不平等の実践的表現であった。命令と従属関係が個人の全人格を性格づけていた。分業は固定的な自然的紐帯と同一視されていた。
 それに対して、後期近代において分業が極限まで強化されたことにより、社会的労働の全体性が差異化し、極限までの小さな単位に分節化される。初期近代において神によって召されたという職業意識は、ヒエラルヒー的な秩序意識を意味していたが、後期近代において水平的な社会的役割という意識によって代替される。原子化された個人は、原理的な交換可能性によって平等化される。個人はその業績に応じて特定の社会的役割を担うだけである。ここでは、社会的平等性が万人に開かれている、という社会的意識が一般化する。
 このような自然的紐帯から解放された個人の原子化によって、市民の平等化が促進される。労働の領域におけるヒエラルヒー的秩序の解体は、消費の領域におけるヒエラルヒー的秩序の解体につながる。これまですべての歴史に共通していた消費財の不足を解消した後期近代は、すべての市民にそれへの接近を平等に配分している。
 大量に生産された消費財は、大量に消費する消費者という機制を必然化する。原子化された主体は、労働する主体としてだけではなく、消費する主体として現象する。消費活動は、技術的合理性ではなく、快楽主義的思想を全面に押し出す。消費主体として原子化された個人は、労働主体と同様に社会生活全般における経済的な利益指向を高める。
(本節での議論は、パナヨティス・コンディリスの議論を敷衍している)。

3.後期近代における公共性

 この後期近代における原子論化の進展において、なぜ公共性という概念が出現してくるのか。初期近代における公共性は、人間的自然に基づく秩序意識から生成した。つまり、現に存在していた自然的共同性に基づいていた。この共同性が解体されることによって、人間の原子論化が極限まで増進した。しかし、原子それ自体の存続は、公共性それ自体を解体することはできない。公共的利益の存在を前提にしなければ、私的利益の追求は存続不可能である。
 もちろん、この公共的利益の実現程度は、時間と空間に依存している。どのような水準で公共的利益がより実現され、あるいは私的利益がより追求されるかも、差異的である。この概念は様々な下位概念から構成されている。環境問題を例にとってみても、空気、水、騒音、臭い等の様々な下位概念から構成されている。どの下位概念において公共性を設定するかに応じて、公共性という概念も異なってくる。
 ここで考察対象になっている1980年前後に生じた路面電車ルネサンスも同様な前提のもとで考察される。環境保護と公共性の同一性に関する言説は、無数に公共的空間において見いだされる。しかし、環境問題に関する詳細な分析は、個々の論者の数に応じて無数に異なっている。さらに、1980年前後に生まれた路面電車ルネサンスも、すべての都市において生じたのではない。たしかに、ドイツにおける都市たとえばカールスルーエにおいて、前世紀末から路面電車が軌道だけではなく、直接的に鉄道に乗り入れている。路面電車と都市鉄道そして近郊鉄道が、有機的に結合されている。それは、カールスルーエ・モデルとして世界的に喧伝された。それだけにとどまらない。カールスルーエ以外の諸都市においても、路面電車路線が新たに建設された。公共交通における路面電車が、ドイツの後期近代において再び意義づけられた。もちろん、路面電車が後期近代において果たす役割は、初期近代におけるそれと同義ではない。ドイツのすべての都市において、路面電車が主要な地域内の公共的人員交通として復活したわけではない。たとえば西ベルリンの中心街において、路面電車は1967年から現在に至るまで営業運転していない。むしろ、路面電車ルネサンスが実現された都市の数から考察すれば、実現されなかった都市のほうが多いであろう。
 このように後期近代という概念は、時間、空間、水準等において差異的に現象する。厳密に言えば、初期近代から後期近代への移行は重層的である。その固有の対象における時間、空間、水準等が確定することによってのみ、その移行あるいはその非移行が考察される。

注1

 本記事は、「公共空間Ⅹ」に転載されている。

http://pubspace-x.net/pubspace/archives/2180

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公共交通原論あるいは路面電車原論

20150715 公共交通原論あるいは路面電車原論

1. はじめに

ここで地域内の公共的人員交通 (Öffentlicher Personennahverkehr=ÖPNV) の問題を原理的に考察し、その過程において路面電車の意義を明らかにする。すなわち、環境保護、街の性格づけ、人間の原初的能力等の観点から、後期近代における路面電車の意義を再検証する。
日本だけではなく、欧州の小都市においても、公共交通はほぼ瀕死の状態にある。東京圏等に居住していれば、公共交通が消滅することは夢想すらできない。しかし、公共交通に対して、地域社会そして州政府等が財政援助をしているドイツ等を別にすれば、バス中心の公共交通はほぼ使用に耐えなくなっている。本邦においても、20万人以下の都市では、公共交通はほぼ社会的役割を終えている。個人交通がそれに代わったからである。ただし、路面電車を維持している中小都市は、公共交通が一定の役割を果たしている。それゆえ、この再検証も無駄というわけではないであろう。

2. 地域内の公共的人員交通の概念――周辺概念との関係

 公共交通は、農村あるいは中世都市と区分される近代都市に特有な現象である。19世紀後半以来、近代都市はその政治的、社会的そして文化的公共性を形成した。この市民的公共性は、公共交通によって形成された。都市の性格づけの本質は、個別的建築物にあるのではない。万人に開放された公共交通の存在様式が、都市の公共性の存在形式を性格づける。
 地域内の公共的人員交通という概念は、その内に競合する交通主体から構成されている。それは単一の具体的主体から抽象化された概念ではない。地域内の公共的人員交通は、路面電車、都市鉄道、地下鉄、バス等の複数の交通手段から構成されている。それらは競合しながらも、相互補完的でもある。その構成要素を変化させながら、公共交通は前世紀初頭から全面的に発展してきた。
 ここでは、路面電車を他の公共交通機関つまり都市鉄道、地下鉄、バスそして自動車と比較しながら、非同一性と同一性の連関においてその意義を明らかにする。

3.地域内の公共的人員交通の概念における都市鉄道、地下鉄との比較における路面電車

まず、都市鉄道、地下鉄等の巨大鉄道輸送手段と比較することによって、路面電車の意義を考察してみよう。第二次世界大戦後、大都市における人口が急増した。旧植民地から大都市へと人口が移動した。しかも、大都市の中心街の多くは、連合国の空爆によって廃墟になっていた。中心街が居住地として不適切になった結果、大都市における新規流入者の多くは、その中心街ではなく、周辺の旧農地において新たな住居を確保した。1950年代初頭まで、中心街と居住地を結ぶ交通は、バスと路面電車に限定されていた。
次に、中心街の建築様式にふれておこう。中心街は初期近代以来、3-5階の中層建物によって構成されていた。しかし、戦後数10年間で高層化の一途をたどった。1950-60年代において発展してきた高層建築技術に対して、根源的な異議が提起されることはなかった。この技術は、人間的理性によって都市を計画することに対する信頼に基づいていた。初期近代において存在した美的意識は、画一的なコンクリートによって破壊された。
1950-60年代に、居住地区の郊外化と中心街の高層化に対応するために、新たな地域内の公共的人員交通が再構成される必要になった。とりわけ、大量輸送手段としての地下鉄の建設が喫緊の課題になった。地下鉄は、路面電車が走行していた主要幹線道路の地下に建設予定であった。同時に、並行路面電車の廃止が議論された。路面電車の主要停留所が地下鉄の駅になる予定であった。路面電車の乗客数が減少することは、明白であった。
さらに、高速性と大量輸送性という観点だけに基づいて、地下鉄が建設されたのではない。地下鉄を建設することと、路面電車を廃止することは概念的同一性を有していない。地下鉄の建設と路面電車の残存は概念的に両立可能である。にもかかわらず、後者は廃止された。その背景には交通様式の分離という思想があった。この思想によれば、自動車交通と、鉄道交通および軌道交通が同一平面において並行すべきではない。この分離の目的は、路面電車の廃止である。多くの都市における交通政策担当者が、この思想を受容した。西ベルリン等の大都市は、地下鉄建設を選択し、路面電車を廃止した。
しかし、軌道交通と自動車交通の分離という思想に関して、ドイツの多くの都市は、必ずしも西ベルリンと同じ結論を下したわけではない。地下鉄建設と路面電車の維持拡大という選択肢が、議論の対象になった地域があった。とりわけ、ミュンヘンの事例が著名である。ここでは、地下鉄の建設をめぐる議論において、公共交通一般の意義づけが問題になった。現在でも、地域内の公共的人員交通において路面電車が一定の役割を果たしている。
 地下鉄建設という巨大プロジェクトの意味を、より一般的に考察してみよう。道路上を走行する路面電車と比べ、地下鉄は道路の地下を走行する。両者における建設費用は比較しようがない。この巨大プロジェクトの目的は、都市住民の大量かつ高速輸送にある。しかも、地下鉄は路面電車に比べて、快適かつ近代的に人員を輸送可能である。しかし、それは重大な副産物をともなっている。地下鉄が建設されることによって、都市の中心街の性格が変更される。
にもかかわらず、地下鉄建設をめぐる議論における公共交通に対する投資の基準は、投資金額に見合う人員輸送の実行性の多寡でしかなかった。街の性格自体の変容までは提示されない。この巨大プロジェクトに関する是非は、投資効率の問題からだけ議論されるべきではない。にもかかわらず、それ以外の論点は看過された。地下鉄は数キロメートル毎に駅が建設される。地下鉄の駅周辺に繁華街が形成される。地下鉄の場合、駅前に集中して巨大なショッピングモールが形成される。小資本による家族経営の店舗等は排除される。中心街だけが栄え、他の領域はその繁栄から取り残される。地下鉄建設によって、街路そして都市の性格が変化する。地下鉄駅前を除いて、高密度な労働現場が消滅する。また、少なくとも50万人以上の人口規模を持つ都市にしか、地下鉄という巨大プロジェクトは適用されない。その投資があまりに巨大であり、その評価は曖昧性を含んでいる。
 対照的に、路面電車は街の商業、文化、居住構造を変化させない。初期近代において形成された都市の構造を維持しようとする。居住地から路面電車の停留所、そして路面電車の停留所から目的地までは、歩行が前提にされている。路面電車は、中世以来の伝統を持つ都市、とりわけその中心街の構造を維持する。中心街という概念は、人間の原初的能力を前提にしており、それを破壊することはない。
もちろん、路面電車と地下鉄との比較は地域内の公共的人員交通という概念内部の問題であり、地下鉄がこの概念自体を破壊することにはつながらない。しかし、次節で考察するバスは、地域内の公共的人員交通概念自体を否定することにつながる。

4.地域内の公共的人員交通の概念におけるバスとの比較における路面電車

ここではバスについて論述してみよう。バスが、第二次大戦以前から地域内の公共的人員交通において全面に出てくる。バスが路面電車を補完するのではなく、地域内の公共的人員交通において主要な役割を担おうとした。代替選択肢としてバスが、廃棄された路面電車網を継承した。戦後の混乱期を除き、この傾向は1960年代に最高潮に達した。
路面電車が軌道に沿ってしか走れなかったことと対照的に、バスは道路を縦横無尽に走ることができた。地域内の公共的人員交通におけるバスと路面電車の優劣という観点からのみ、この議論は有効性を持ちえた。公共交通の存続という前提のもとで議論であった。この論拠に基づき、路面電車の多くの軌道が撤去され、バス路線に転換された。しかし、道路を自由に走行できるという特質は、バスよりも自動車が優れている。バスが停留所のある地点だけしか通行できないことと対照的に、自動車は道路上を無制限に走行できる。
自動車の特質は、歩行を媒介にすることなく、出発地から目的地まで移動できる点にある。バスを地域内の公共的人員交通の主要手段とするかぎり、自動車を排除できない。自動車の走行とバスの走行は、分離できない。バスの路面電車に対する優位性は、そのまま自動車の優位につながる。それに対して、路面電車は軌道によって自動車の走行と区別されている。
公共交通は多数の住民によって利用される。定時性と同間隔性が要求される。軌道走行によって、路面電車はこの二つの要素を確保する。さらに、俗流解釈によれば、路面電車は高額であり、バスは安価である。しかし、路面電車の車両は、中長期的には減価償却期間が長い。路線と架線が建設されると、その耐久年数は長い。公共交通の運行経費の約60%は人件費であるが、路面電車はバスと比較して大量輸送が可能であるだけ、それだけ運行経費はより低くなる。にもかかわらず、このような論点はほとんど考慮されなかった。地域内の公共的人員交通における路面電車に対するバスの優位という事柄だけが、公共交通における議論において焦点化されてきた。
 しかし、バスだけに依存した公共交通は、増大する自家用自動車の氾濫によって衰退の一途をたどる。渋滞にまきこまれたからである。この自動車主義に関する思想は、近代における大衆民主主義と関連している。この問題は別稿での課題になる。

注 1

この記事は「公共空間Ⅹ」に転載されている。

http://pubspace-x.net/pubspace/archives/2148

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北海道教育大学函館校の学園祭中止――『北海道新聞』の記事(2015年7月29日)に対する所感

20150729 北海道教育大学函館校の学園祭中止――『北海道新聞』の記事(2015年7月29日)に対する所感

 現状に対する批判は、その漸進的改革でしか実現されえない。それに対する根源的対案を提出するこことは、より悪い結果をもたらす。たしかに、「現状の資本主義は悪い」という命題は、妥当している場合もある。しかし、それに対して社会主義を対置することは、より悪い結果をもたらす。
  ここで、北海道教育大学函館校の学園祭中止について議論を限定してみよう。この大学の1キャンパスが学園祭の中止を決定した。この学園祭はたしかに問題がある。「函教大の大学祭中止」『北海道新聞』(2015年7月29日27面、道南版)の記事によれば、この学園祭において、「学問的発表の場を設けるべき」、「地域との交流企画がないのは問題だ」等の批判がなされている。この批判自体は妥当している。
しかし、それに基づき、学園祭を中止することは、論理的整合性がない。学園祭は、「学術講演」と「地域交流」だけでは形成されえない。「模擬店」も必要である。神社の例大祭も屋台があって初めて盛況になる。焼きそば屋、お好み焼き屋等も必要だ。お化け屋敷があれば、なおよい。数年前には、この大学の学園祭にはお化け屋敷があった。近所の子供たちには好評であった。ちなみに、1977年、秩父夜祭は、露天商を排除した。おそらく、健全化を意図したものであろう。しかし、この年の祭は、貧相なものであった。翌年、この排除を意図した観光協会会長は辞任した。露天商が復活した。
http://www.shunjinkai.or.jp/yataibayashi2/kisochishiki/honbun-2/honbun-2.htm


 学園祭を継続するなかで、そのような批判を徐々に現実化するしかない。一挙に廃止したとこで、来年以降より悪い結果をもたらす。資本主義批判は社会主義の宣揚につながるわけではない。
 また、学園祭を中止したという報道は、このキャンパスの入試に対して良い影響を与えるであろうか。高校生は、学園祭の無い大学への進学をどのように考えているのであろうか。高校生そしてその父兄に対して、良い影響を与えるであろうか。このような決定は、偏差値を下落させ、応募学生数を減少させるであろう。この責任は誰がどのように取るのであろうか。
本記事によれば、この中止を主導したのは、若手教員だそうである。この決定をした学生委員会の教員、この決定を主導したとされる若手教員は、『北海道新聞』の批判にどのように回答するのであろうか。北海道教育大学は常々、「学生第一」と標榜している。このお題目を唱えているだけである。彼らの行為は、教員会議とそれを主導した学生委員会に対する学生総体の不信を産出しただけである。学生第一という標語は、学生不信をもたらす。『北海道新聞』によれば、このような決定は、「短絡的」である。
 なお、この記事には北海道教育大学の全般にわたる責任者、学長の意見が掲載されていない。函館という地方都市の問題は、北海道全体の重層的決定審級のなかでしか考察されえない。もちろん、函館は独自の意見を持っているのかもしれない。しかし、その実現は北海道という全体のなかで考察される。札幌から赴任してきた役人を「奥地から来た」と揶揄する風土が、函館にはある。このような素人的夜郎自大は、もはや妥当しない。

注1

 本記事は、「函教大の大学祭中止」『北海道新聞』(2015年7月29日27面、道南版)の事実認識に基づいている。

注2
「20150620 自己の有限性の確認の場所としての学園祭ーー『北海道新聞』の記事(2015年6月20日)に対する所感」もこの記事に連動している。

http://izl.moe-nifty.com/tamura/2015/06/post-2b19.html


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路面電車に関する北海道教育大学における講演会の実施

20150706 路面電車に関する北海道教育大学における講演会の実施

「路面電車による祝祭的空間の形成――バーゼル市、ハレ市の事例を中心にして」と題する函館横丁倶楽部での講演をもとにして、大学でも講演会を実施した。大学の講演は90分版で、内容は充実していた。ちなみに函館横丁倶楽部での講演は30分でしかなかった。その報告書が下記のサイトに掲載されている。ネットでの掲載期間が10日しかなく、その点は準備不足であった。


http://www.hokkyodai.ac.jp/info_topics/hak/detail/1189.html


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後期近代における形式的平等性と実質的位階制――ギリシャによるドイツ金融資本への叛乱――旧東独マルクを媒介にした考察

20150706後期近代における形式的平等性と実質的位階制――ギリシャによるドイツ金融資本への叛乱――旧東独マルクを媒介にした考察

 後期近代において世界システムへの叛乱は、無意味になっている。欧州中央銀行(EZB=ECB)は、実質上ドイツ・フランス金融資本によって制御されている。また、国際通貨基金(IWF=IMF)は、国際金融資本によって制御されている。まさに、両者は現代社会におけるシステム的合理性を担っている。
 両者に対して、ギリシャ政府は公然と反旗を翻した。「借金は返済しない」、「借金は借金で返済する。もっと、もっと資金を援助しろ」という言説を振りかざした。年金はこの5年間で50%削減された。これ以上の削減はできないと。あまつさえ、これは国民の意思である。2015年7月5日に実施された国民投票で確認されたと。
 欧州金融システムにとって、このような言説は無意味である。もし、ギリシャがユーロを離脱すれば、年金半減どころではない。10分の1以上に削減される。10%削減ではない。90%削減である。政府がどのようにユーロとの公式交換比率を設定しようとも、市場ではその5分の1程度に買い叩かれる。それは旧東独マルクが実証している。東独崩壊前の1988年には80-90%削減された。公式レートでは、1対1でドイツマルクと旧東独マルクを交換できた。しかし、実質的には、1対8あるいは9であった。この交換比率は闇市場のものではない。旧西ドイツ、そして旧西ベルリンの銀行の窓口で表示されたものである。ギリシャの新たな紙幣は、公然と買い叩かれるであろう。5つ星ホテルにおいて、ユーロでしか決済されないであろう。ギリシャ国民が、ユーロを希求する。ギリシャ政府がどのような通貨を発行しようとも、国際決済ではユーロしか通用しない。
 欧州共同体において、ドイツとギリシャは、形式上平等である。しかし、実質的にはギリシャはドイツから借金しなければ生活できない。世界金融システムの上位に位置するドイツと、そのほぼ制御下にあるギリシャは、対等ではありえない。もし、欧州中央銀行から資金の提供を受けなければ、銀行すら開店できない。しかも、この1週間、ギリシャは巨額の債務がありながら、公共交通の費用、あまつさえ携帯電話の費用を税金で負担した。いうなれば、借金は返済しないが、我々ギリシャ国民の生活水準は落とさないと宣言している。金融システム担当者の癇に障る行為である。
 もっとも、このような暴挙の結末はいまだ定かでない。上記の言説も推論でしかない。ギリシャ国民の選択がどのような結末を迎えるのか、近代思想史研究家にとって興味深い。

追記

 このギリシャの言説、「借金は新たな借金で返済する」という言説は、住専問題のときの桃源社社長の態度を思い出させた。大丈夫であろうか。

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