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官僚世界における学歴重視――環境世界への順応性と批判的精神の欠如

20150216 官僚世界における学歴重視――環境世界への順応性と批判的精神の欠如
官僚機構は、形式的合理性を問題にする。それは、対象だけではなく、主体つまり自らを正当化する際、その学歴と成績を問題にする。どの大学に入学し、どのゼミナールに所属し、どのような成績を取得したかが問題になる。もちろん、それなりの大学、最低でも早慶卒業が前提になる。そして、法学部でも著名なゼミナールに所属しなければならない。著名なゼミナールに所属するためには、成績が問題になるからだ。専門課程における優の数も20個以上、ほぼ全優である(ちなみに、10数年前までは、4単位制であった)。卒業後、30年以上経過した本省勤務の50歳前後の課長、及び課長級と話をしていると、最後に問題になるのは、大学時代の成績と上級職試験の順位である。それだけではないにしろ、彼らの現在の地位、つまり本省の課長であることの正当性は、大学時代の成績である。
 それを哀しいとみる向きもある。人間の価値は学齢に還元されない。もちろん、正しい。しかし、彼らが少なくとも青春時代、学校という対象世界において順応してきたことも事実である。その順応性は、役所の仕事においても大いなる役割を果たしてきたことも事実である。
 しかし、このことは彼らがその環境世界に対して批判精神をもっていなかったことも証明している。環境世界における致命的欠陥を洞察する力をもっていなかったか、あるいはそのような力を有していた人間は、大学時代においてその片鱗を見せていたはずである。少なくと、優の数を競う世界から逸脱する傾向を持っていた。

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