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人間的理性による世界把握と世界変革(その一)ーー他者理解における完全性の希求

20150316 人間的理性による世界の把握とその改造ーー他者理解における完全性の希求
現実生活において学問的正確性を追求すべきではない。最近のことである。知人から一般のスーパーマーケットで北海道の特産品を購入することを依頼された。彼の言葉を真に受け、空港で買ってはいけないと勘違いしてしまった。彼の真意は、ただ安いからであり、空港で買ってはいけないということではなかった。名物であれば、なんでもよかったそうである。それを馬鹿正直にスーパーマーケットで買い、トランク詰めに苦労した。空港で購入するという選択肢があった。空港で購入したものは、運搬にも便利であり、賞味期限にも配慮されている。
彼の真意は、土産を持ってきてほしいということだけであった。なんでもよかったそうである。単に、私の懐具合を勘案しただけであった。スーパーマーケットの方が安価であるだけである。空港で購入すれば、かなり高い。
それほど、言葉の真意を把握することは簡単ではない。言葉を真に受けてならない。また、現実生活において、人の言葉を学問的方法によって把握してはならない。かなりの曖昧性を含んでいる。
もし、現実社会を学問系方法論によって整序しようとすれば、どのような問題が生じるであろうか。世界と歴史的世界を人間的理性によって創造しようとすれば、どのような結果が生じるであろうか。これこそが問われている課題である。

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