20150112 近代における様々な水準の分離――複数の仕事を同時に遂行する。その連立方程式の解は?
20150112 近代における様々な水準の分離
――複数の仕事を同時に遂行する。その連立方程式の解は?
複数の業務のいくつかは関連しており、頭が痛い。こちらを立てれば、あちらが立たず。連立方程式ならば、解を求める公式がある。極端に異なる事柄、たとえば海外出張という非日常業務と会社の日常業務は、日程的に折り合わない場合が多い。どちらも、準備に数か月かかることもあるからだ。しかも、どちらもかなりの裁量の余地がある場合、その日程調整は困難を極める。
海外出張には、先方の都合がある。先方がそもそも長期休暇に入っていれば、お手上げである。会社の日常業務であれば、関連業者との細部の調整が不可避である。関連業者もその会社だけではなく、複数の会社の仕事を掛け持ちしている。
どちらも、未決済のまま、時間が過ぎてゆく。細部が詰められずに時間ばかりがすぎてゆく。優先順位をつけようにも、どれもが同等に重要な場合も多い。非日常業務と日常業務は、労働者にとってどれもが重要である。とほほ。
この社会思想史的考察
以上のような考察は、労働者であればつねに抱えている問題であろう。しかし、この問題は、近代の本質と関連している。近代人は様々な社会的役割を抱えている。古典的な社会理論であれば、公と私の分離だけでよかった。しかし、後期近代においてこの両極の間には、無数の水準がある。私の水準だけでも無数の領域に分化している。この水準に応じて、人間は無数の役割を演じなければならない。
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