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人間にとって重要なこと、吐血をしても出社、入院先から受験?ーーそれは無視される、あるいは自分で忘れようとする

20141120 人間にとって重要なことーーーそれは無視される、あるいは自分で忘れようとする

 ある労働者から聞いた話である。彼は通勤途上で血を吐いたそうである。しかも、かなりの量の吐血であった。しかし、その日の午後、重要なプレゼンテーションがあるとのことで無理をして、出社したそうである。
また、ある学生は1月上旬に入院した。1,2ヶ月入院という診断が下された。かなり重い病気であった。ただ、大学生にとって、1月は特殊な月である。学期末試験があるからだ。彼女は、入院先を抜け出し、私の研究室に母親をともなって相談に来た。試験だけでも受けることは可能であるか、否かがその相談の趣旨であった。私のゼミの学生であり、彼女が優秀で勤勉であることは知っていた。私の回答は自明であった。
 このような労働者そして学生は、根源的なことを忘れている。人間にとって、重要なことは、プレゼンテーションでもなければ大学の定期試験でもない。プレゼンテーションに失敗しても解雇されることはない。定期試験をすべてボイコットしても、退学になることはない。労働者にとって、ボーナス査定が最低になり、学生が留年するだけである。
 にもかかわらず、人間は目先の課題にとらわれ、自分の健康を犠牲にしようとする。もちろん、この労働者そして学生は優秀であり、与えられた課題を誠心誠意遂行しようとしていることは、自明であろう。しかし、労働者あるいは学生である前に、人間であることを忘れている。生物としての人間を否定する必要はない。
 むしろ、以下のように言うべきかもしれない。人間はより重要なことを忘れ、目先の課題に没頭する。重要なことから目を逸らすために、日々の課題に没頭する。もちろん、どのような状況になろうとも、なすべき課題はある。しかし、何が本当に重要であるのかは、忘れている。あるいは、忘れたふりをする。自分にとって何が重要であるか、本人は理解していない。

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