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北海道庁渡島振興局の不可解な回答

20141029 北海道庁渡島振興局の不可解な回答


 回答がないので、電話した。今度は、書類自身を知らないという。担当者が不在で、別の人は書類自身を見ていないという。書留郵便で送付していなかったから、いつ到着しているかこちらも明確に回答できない。とほほ。

しかし、見ていないといいつつも、内容に言及する場面もあり、不可解である。担当者が代わると、対応もよくわからない。

 あとで、中央官庁の某公務員に聞くと、担当者以外の者は回答する権限がないとのこと。それならば、理解できる。担当者は出張でいないということは、よくある。とりわけ、県庁所在地以外の官庁は、県庁の本庁にお伺いを立てねばならない。北海道の札幌以外の地方では、札幌詣では日常的行為である。そして、札幌にある官庁も独断では決定できない。東京詣で出張しなければならない。
 地方分権と言いつつも、マニュアルにない事象に関しては、常に上司にお伺いを立てねばならない。役人の習性である。逆に、上司から命令されれば、部下はすぐさま対応する。そんなものかもしれない。

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 「函館市経済建設常任委員会」の傍聴――議事進行は「シャンシャン」

20141027 「函館市経済建設常任委員会」の傍聴――議事進行は「シャンシャン」

2014年10月27日に「函館市経済建設常任委員会」が開催された。その傍聴記を記しておこう。
 開催予定時間は10時であったが、10時8分にやっと開催された。それまでは議員同士の雑談時間であった。議題は、「街の顔としての函館駅前通りのにぎわいづくり」というかなり重いものであった。
議事進行は、委員長が事務局と共同して作成した議案書を読み上げることから始まった。5分ほど議長が書類を読み上げた。その後、各委員が意見を述べるのかと思っていたが、「異議なし」の唱和で無事、委員会は終了した。
 この委員会傍聴で、了解したことは以下の点である。

1. 基本的に委員長が事務局と相談のうえ、会議資料を作成する。その他の委員はその会議資料に基づいて議論する。彼らは、会議資料に掲載されていないことに関して知る由もない。ある事柄を会議資料に掲載するか否かは、委員長と事務局の専権事項である。
この傾向は、日本の官僚機構における会議の特色である。「異議なし」と唱和するか、語句の間違いを指摘するだけである。東京電力福島第一原子力発電所爆発事故直後の原子力に関する委員会の議事録を論評した際に述べた。1

2. この会議は傍聴可能である。しかし、傍聴人は私一人である。あとは、『北海道新聞』と『函館新聞』の記者2名である。彼らは仕事として傍聴に参加しているにすぎない。市民の関心は少ない。市民的公共性を形成するためには、議会と常任委員会への関心が不可欠である。事態は絶望的であろう。

3.議題は駅前の活性化である。この活性化のために、根本的な問題たとえば駅前への路面電車延伸あるいは新たな交通網の整備が議題になっているのかと想像していた。しかし、その内容は枝葉末節なことばかりである。これでは、市民の傍聴を促しても、多忙な市民は参加しないであろう。根本的なことは議会では議論されないのであろう。どこで議論されるのであろうか。



1. 20110414 馬鹿役人と馬鹿学者の政治学――国家の危機における原子力安全委員会の議論形式と、国家の危機を理解しない学術専門家

 かつて本ブログにおいて「日本官僚制の問題点――いしいひさいち役人論(会議の無駄)」(2010年2月27日)と題して、日本の官僚機構における会議の特徴を述べた。 1 この論説の中心点は、会議における議論が誤植の訂正と文章の若干の改変に終始して、本質的議論をしない日本の官僚制も対する批判である。落城の危機に際して、繁文縟礼を議論している重臣を揶揄した、いしいひさいち氏の4コマ漫画を援用しながら、この官僚制の問題を議論した。
 この日本の会議形式に対する批判が、平成23年3月25日に開催された第19回原子力安全委員会にまさに当てはまる。2 3月25日と言えば、3月14日における東京電力福島第一原子力発電所の第3号機の水素爆発を受けて、国家が危機的状況にあったときである。第2号機、第4号機も同様な危機的状況にあった。この東京電力福島第一原子力発電所の非常事態を受けて開催された原子力安全委員会は、たった42分程度で閉会している。しかも、PDFファイル12頁にわたる議事録の半分以上は、事務局によって作成された資料の読み上げに終わっている。その後の委員による議論の中心は、「『葉』になってございますけれども、これは平仮名の『は』でございます」、あるいは「平仮名の『に』を入れてください」(10頁)という文書の校正にある。
 委員としての専門知識は要求されていない。誤植の訂正であれば、村役場の庶務課長のほうが、より適切な指示を出せるであろう。このような議論しかできない専門委員は、役場の庶務課長に転職したほうがよいであろう。もちろん、庶務課長ほどの文書校正能力を有しているとは思えないが。
このような繁文縟礼に通じた専門家しか、専門委員になれない現状がある。専門知識よりも管理職的能力に通じた専門家のみが、大学教授になり、そして政府の審議会委員に抜擢される。そこで求められる能力は事務局と協調する能力と文書作成能力でしかない。
 専門委員には、事務局によって作成された資料を根源的に批判し、積極的な提言を求められているはずである。ここでの議論は、専門知識を要求されない事務局職員以下の水準にある。逆に言えば、このような専門家は、官僚機構にとって統御し易い人間である。自分たちを批判しない人間のみが、「専門家」として認知される。学術的専門家と官僚機構の癒着が生じる。
 彼らはこれまでいつもこのような議論形式に慣れてきたはずである。このような議論しかできない。それゆえ、彼らは「専門家」として認知された。国家の危機に際しても、このようにしか議論できない。


1. http://izl.moe-nifty.com/tamura/2010/02/index.html

2. http://www.nsc.go.jp/anzen/soki/soki2011/genan_so19.pdf

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提言書の書き方(その五) 北海道渡島総合振興局函館建設管理部長の対応――市民の提案に対応しない官僚機構

20141024 北海道渡島総合振興局函館建設管理部長の対応――市民の提案に対応しない官僚機構

 2014年10月22日に、北海道渡島総合振興局函館建設管理部長に電話した。14日に発送した路面電車延伸に関する文書がその後、どのようになっているのかを確認するためである。発送の日時から、約1週間が経過している。部長は不在であった。数時間後、部長ではなく、担当者から携帯に電話があった。
 その要旨は以下の事柄である。私の要約であるので、若干ニュアンスの差異があるかもしれない。すなわち、管理部長としては、架空の問題、路面電車の延伸問題には関与できない。権限のある部署からの正式の提案に対してのみ対応するということであった。
 この回答には以下の問題が横たわっている。

1. 回答を電話に限定しようとする態度があった。それに対して、文書を要求した。1週間以内に回答するとのことであった。1週間後に詳細に検討するが、また、文書もインターネット公開すると伝えた。官庁は往々にして、文書に残すことに躊躇する。話し言葉であれば、曖昧性が残るからだ。それに対して文書主義を対置するのは、官僚機構の規範に合致している。

2. 権限のある部署以外の提案に関して、その提案を無視することは、市民的公共性を破壊する行為である。市民は、金をもらって提案しているのではない。路面電車の延伸工事に参加するわけではない。対照的に、公務員は仕事として対応している。公務員も労働力商品を売買する労働者にすぎない。
 科学は仮説である。路面電車の延伸に対して、どのような障害があるのか、どのような工事費用がかかるのか、等が検討されねばならない。市民の提案の妥当性を議論の対象にしなければならない。しかし、権限のある部署からの文書にしか対応しないのであれば、市民は議論不可能である。情報はほぼ官僚機構によって独占されている。
 しかし、すべての部署がそのような対応をするわけではない。かつて、北海道渡島総合振興局地域政策部に上水道の検査日時に関する提案をしたことがあった。東京電力株式会社福島第一原子力発電所の爆発事故の直後であり、飲料水の水質に対して疑問があったからだ。もちろん、この市民の提案は然るべき部署からの提案ではなかった。それでも、北海道渡島総合振興局地域政策部長が私のもとに説明きた。私もそれで納得した。
 かつての北海道渡島総合振興局地域政策部長の対応と、北海道渡島総合振興局函館建設管理部長の対応では雲泥の差異がある。もちろん、前者の対応が適切であった。

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議会、常任委員会の見学

議会等を傍聴して、その討論会を開催する。500字以上700字未満である。締切は12月15日である。

函館市議会の一般質問は、12月10,11,12,15日である。この期間に傍聴することが望ましい。また、それ以外の都市の議会でもかまわない。県庁等に直接確認することが望ましい。

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裁判所見学会

裁判所、つまり地裁、高裁、最高裁の裁判を傍聴して、討論会を設置する。字数は、500字以上700字未満である。締切は12月15日である。

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官庁等への提言書の意義づけ及びその書き方(その四)――官庁への提言書あるいは依頼文書の宛先――総務課あるいは秘書課職員によるその開封と担当部署への送付

20141016 官庁への提言書あるいは依頼文書の宛先――総務課あるいは秘書課職員によるその開封と担当部署への送付

 かつて、提言書の書き方をブログに記した。その際、宛先をよく考えるべきだと書いた。もちろん、熟慮することに越したことはない。しかし、間違ったとしても、書類が担当者に届く確率は低くないであろう。むしろ、あまり考えないほうがよい場合もある。
 とりわけ、複数の部署にまたがる場合、その文書がどこに回されるか提言書執筆者にはわかない。たとえば、路面電車の延伸を例にとれば、路面電車の運転を担当している部署たとえば交通局に送付しても無駄であろう。この部局は路面電車の運行を担当しており、その軌道は前提条件である。むしろ、都市計画部あるいは道路管理部に書類を提出すべきである。
 その場合、上位の部署たとえば首長宛にしておくと便利である。市町村長あるいは都道府県知事にしておくと、間違いはない。毎日、首長宛には数100通の郵便物が届くはずである。それを、たとえば東京都知事が自分で開封して、それをすべて読むということは、まずない。総務課あるいは秘書課職員がその郵便物を開封し、担当部署へと送付する。彼らは、内部組織の権限に熟達している。知事が直接読む文書は、ほとんどない。仲介者たとえば都議会議員あるいは地方有力者によって直接手渡された文書は別である。それ以外の郵便物は、知事が読むことはほとんどないであろう。もし、読んでいると想像する市民は、あまりに素朴である。もちろん、提言書あるいは依頼文書を執筆しているときは、知事が読むことを想定している。しかし、現実的に考えれば、総務課あるいは秘書課職員が開封することを前提すべきだ。
 問題は、より下位の部署たとえば交通局長宛の文書である。本来であれば、都市計画部長宛にすべきであるにもかかわらず、交通局長宛にした場合、この文書が都市計画部長に回ることはない。役人が、提言者の文書を勝手に書き換えることはない。したがって、提言書を書く場合、より上位の位階にある役職にすべきであろう。


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路面電車に関する行政担当者――街づくりという範疇から除外された軌道と鉄道

20141016 路面電車に関する行政担当者――街づくりという範疇から除外された軌道と鉄道

 北海道庁渡島総合振興局地域政策部に、路面電車に関する依頼文書を送付した。しかし、部長には届かず、1週間経った現在、その書類はどこにあるのか、電話では判然としない。電話での対応で、公共交通担当者には届いていないことが明白になった。
 本案件は、路面電車の延伸に関する事柄である。しかし、交通担当者は、路面電車のことはほとんど知らないそうである。当然かもしれない。北海道は現在、新函館北斗駅開業でにぎわっている。その対応で手一杯かもしれない。路面電車専業の担当官は、いないそうである。ここにも、現在の日本の公共交通の問題点がある。
 鉄路、軌道の延伸は、政令指定都市を除けば、新幹線くらいである。首都圏では、成田空港、羽田空港を中心にした鉄道網の整備が様々な観点から議論されている。しかし、地方では、鉄路、軌道の廃止だけである。延伸などは、議論の対象外である。行政もこの一般的空気にさらされている。鉄路の延伸は、整備新幹線だけである。
 路面電車の軌道を延伸するとなれば、それは都道府県道そして国道の問題と関連する。したがって、路面電車に関する事柄は、北海道庁渡島総合振興局地域政策部ではなく、北海道庁渡島総合振興局函館建設管理部の担当になるそうである。後者の部署は道路行政一般を管轄している。路面電車、地方鉄道という公共交通は、街づくりの主役ではない。むしろ、道路管理の一部でしかない。

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公共交通の衰退を促進する行政――そして行政が街を破壊する。

20141011 公共交通の衰退を促進する行政――そして行政が街を破壊する。

 中心街において様々な行事=イベントが、年間を通じて開催される。春には花見、夏には盆踊りと花火大会、秋には音楽コンサート、冬にはクリスマス関連イベントが開催される。日頃まばらな中心街にも、人が溢れる。
 日頃、閑散としたバス、路面電車等の地域内の公共的人員交通も、このときにはほぼ満員になる。しかし、増車するまでにはいたらない。郊外からこのイベントに来る人の多くが、自家用車でやってくるからである。
 どのように寂れた中心街でも、数千人の市民のために、駐車場を用意することはできない。違法駐車が溢れる。さすがに、幹線道路の違法駐車は規制されている。自動車自体の走行が不可能になるからだ。それゆえ、違法駐車は路地裏に集中する。一車線しかない路地にも、違法駐車が列をなす。違法駐車の場所をめぐって、喧嘩する人もいる。
 この違法状態を交通警察は取り締まらない。かつてこのようなイベント時には、飲酒運転も見逃されていた。戦前の話であるが・・・。それと同じ事態が生じる。このようなハレのときに、違法駐車を取り締まるのは野暮であると。
  しかし、駐車違反を見逃す違法状態によって、中心街に住む市民は、危険と隣り合わせになる。自分の家の前が、駐車場になるわけである。とりわけ、幼児を抱える母親は不安でならない。いつ、子供が飛び出すかわからないからだ。
 さらに、このような違法状態は、地域内の公共的人員交通の経営に打撃を与える。本来ならば、違法駐車をする市民、観光客は公共交通を利用するはずであったからだ。行政はこのようにして公共交通の経営を破壊する。その挙句、公共交通は赤字である。減便、そして公共交通の廃止もやむなきだと結論づける。公共交通なき町は、過疎地である。農村には、公共交通がそもそも存在しない。
 少なくとも、違法駐車の摘発によって、公共交通の経営は向上する。この機会を奪って、地方行政は、マッチポンプをやる。このような行政機関に、公共交通の存続を議論する資格はない。

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禁煙思想の強制:倫理の崩壊

多くの公共機関において禁煙という思想が強制されている。この事態を倫理あるいは倫理学から考えてみたい。禁煙という思想を持つことは、個人の思想信条の自由として承認されている。それは、禁酒あるいは禁性交を特定の個人が生活信条とすることは、社会的に承認されているのと同様である。その思想自体をここで批判しようとするのではない。

 しかし、問題はその個人的思想を他者に強制して恥じない倫理性の欠如である。自らの生活信条を他者に強制して恥じない他者性の欠如である。どのように優れた生活信条であれ、それを他者に強制することは、内面の自由を侵害することになる。近代国家はどのような思想であれ、それを他者に強制することを禁じている。もちろん、日本国家も近代国家の範疇に入ることは当然であり、憲法等でこのことは明記されている。このような事態に対して、多くの倫理学者がなぜ沈黙を守っているのか。不思議である。

また、煙草そのものが、財務大臣を大株主とする日本たばこ産業株式会社によって販売されている商品である。その商品を買うことを規制することは、どのような法律に基づいて禁止されているのであろうか。言わば、政府によって販売されている商品に対する不買運動は、どのような名分で実施されるのであろうか。石油排気ガスを他者に吸引させながら、喫煙による悪を弾劾する思想的根拠はどこにあるのであろうか。

今日の健康問題、ひいては環境問題にとって重要なことは、二酸化炭素の排出量に対する抑制である。喫煙によってオゾン層が破壊されるのであろうか。もちろん、喫煙によって二酸化炭素も排出される。しかし、自家用車の使用による二酸化炭素排出量と比べれば、微々たるものであろう。禁煙という思想は、近代の近視眼的一元的思考の最たるものである。

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共生ーー喫煙者と非喫煙者

少数者の権利は多数者によって侵害されてはならない。社会を多数派の思考様式によって一元化してはならない。「清潔」な社会は、人間抑圧的である。しかし、近代社会はある原理によって社会を一元化しようとする。学問もまたそうである。市場原理によって社会を一元化しようする。共生という概念は知的障害者と健常者との共生として195060年代北欧で広まり、米国を経由して日本に輸入された。しかし、現実において共生はほとんど不可能になりつつある。嫌煙権運動は喫煙者と非喫煙者との共生をなぜ指向しないのであろうか。

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大学における敷地内全面禁煙という馬鹿――小さな悪を攻撃し、大きな悪を導き入れる

20140811 大学における敷地内全面禁煙という馬鹿――小さな悪を攻撃し、大きな悪を導き入れる

 

 近年、学校及び大学において敷地内全面禁煙という愚行が流行している。馬鹿な小市民が喜んでいる様が容易に想像される。タバコは健康に悪いというお題目が唱えられている。このようなお題目を唱えているうちは、可愛かった。UFOは存在するというお題目をゼミナールで真剣な顔をして主張している学生と同じだからだ。その主張を完全に否定することはできない。地球外生命の存在と同様に、宇宙全体を思惟することは、不可能であるからだ。

 彼らがどのような信仰を保持しようとかまわない。大学内のゼミナールでは別の事柄を議論の対象にすべきであると主張すればよい。彼らが、UFOや地球外生命の存在を信仰しようと、大学教員には無関係であるからだ。

 しかし、煙草は健康に悪いという信仰を小市民が信仰することは、大学教員にとって問題ない。煙草は健康に悪いという命題と、地球外生命は存在するという命題は、同じだからだ。悪いと言えば、悪い。ただし、セシウムよりも健康被害は少ないであろう。基準値内のセシウム――食品における99ベクレル/キロのセシウムは、食べて安全であろう。むしろ、食べて応援というスローガンによって政府によって推奨されている。地球外生命の存在を主張する若い学生は、その信仰を他のすべての学生に強制することはない。その点で、禁煙論者よりも優れている。

 しかし、禁煙論者は喫煙者にも同じ思想を保持するよう強制する。ナチスでさえ、躊躇した禁煙の強制を平気で実施する。馬鹿教員が一部の大学・学校に存在する証明である。私は馬鹿を排除しようとしない。最高学部である大学でさえ、馬鹿は存在する。大学はそれぞれの小さな専門領域に秀でた者の集団である。大学教員は馬鹿でもなれる。専門的知識と教養は、何の関係もない。むしろ、発達障害を疑われるような大学教授が存在する。発達障害者の一部は、小さいことにこだわる。その小さいことが、剰余価値説の効用という問題であれば、この発達障害者は偉大な学者として尊敬されることもありうる。この命題を生涯の主題にすれば、少なくとも論文を多数執筆することもできる。

 ところが、馬鹿禁煙論者は自分で研究することもなく、敷地内全面禁煙という愚行を大学内で実施する。大学行政の責任者、とりわけ保健関係教員がその中心的絵図を描く。本人の信仰を平気で他者に強制する。

もちろん、煙草の健康における善を主張しているのではない。しかし、煙草は健康という一元的価値尺度において図られるべきではない。健康に良いことを実施することが、他の害悪を伸張することもある。健康であることと、悪一般とはいかなる係わりもない。健康な精神を維持するために、煙草を必要とする人間も存在する。尺度の一元化こそが、生き難い生活を強制する。

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地方都市の破壊ーー高速道路無料化と禁煙思想

 都市内交通としての路面電車の役割が増大しています。しかし、現在の日本は、都市間交通としての高規格道路、高速道路の建設が加速しています。さらに、高速道路無料化という馬鹿げた政策が、景気浮揚対策として上っています。都市内の過疎化を進展させ、農地を破壊し、郊外の商業施設を活性化させようとしています。

 旧市街を破壊し、郊外において全国資本の商業施設を建設して、その利益を東京、大阪等の大都市へと還流させています。地方都市労働者は、所謂「下流階層」としてのみ生きることを許されているように思われます。年収、300万円程度の労働者が増大しています。

 高速道路無料化は、地方都市を中心にして進展します。地方の公共交通機関を衰退させるためです。この国の政策は、この点において自民党政権、民主党政権を問わず、一貫しています。

 また、タスポの導入によって、地方における個人経営の煙草販売店の多くが廃業に追い込まれました。これも、青少年の喫煙を阻止するという美名のもとで、地方都市における個人経営の商店を破壊する試みの一環と考えてよいでしょう。

 地方破壊は、健康増進、青少年の健全育成、景気浮揚という美名のもとで遂行されます。「小さきものの衰退」をこれらの美名が推進します。

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