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純粋無垢な子供?――七夕における賤しい子供たち

20140707 純粋無垢な子供?――七夕における賤しい子供たち  

 北海道南部における七夕には、珍しい風習がある。子供たちが、「竹に短冊・・・蝋燭一本頂戴な」と近所を触れ回る。それに対して、商店主等が何らかのお土産を配る。かつては、一本の蝋燭を子供に配ったようである。蝋燭を使用する風習は、現代社会において廃れている。子供たちが、用意された菓子、飲み物等を振舞われる。  

 この子供の行為が、近所の顔見知りの商店街に限定されている場合は、ほほえましい。近所の商店主と、子供とその親は何らかの関係がある。毎日ではないにしろ、親はその商店から商品を購入している。それは、商店主にとって日頃のご愛顧に応える機会でもある。商品を媒介にした共同性が存在している。この風習は、共同性を強固にする機会である。  

 しかし、現在では一部の子供たちは、電車、バスを利用して近所の商店街だけではなく、かなり遠方の商店街にまで遠征している。なかには、紙袋を数個持ち、抱えきれないほどの駄菓子を収集している子供たちも散見される。この場合には、商店主と子供と間には全く関係がない。存在することは、その地方に確立された風習を子供がまさに利用し尽くす姿しかない。この光景を目にしたとき、その行為はまさに賤しいと感じざるをえない。一人では食べきれないほどの菓子を集めてどうするのであろうか。友達に配布するわけではないであろう。その友達もまた同様な行為をなしているからだ。最後には、菓子が賞味期限を超えることが想像される。  

 かつて、サイゼリヤは2008年10月1日前後、中国から輸入したメラミン入りのピザを販売した。それに対して、この商店はレシートなしでも、返金に応じることにした。嘘をついて、返金を要求する顧客を想定すれば、1億円を超える損害になるかもしれなかった。しかし、それは杞憂であり、その10分の1程度で済んだ(田中幾多郎「語り部の経営者たち」『日刊ゲンダイ』2014年7月4日、14面、参照)。経営者も良心的であるが、顧客も良心的であった。2014年の賤しい子供が成長して、このような事態に遭遇した時、どのようにふるまうのであろうか。賤しい子供が多数を占めたとき、この良心もまた風前の灯になる。

 賤しい子供を倫理的に断罪しようとしているのではない。人間的共同性は、利益志向的な行為に対して無力である。利益志向的行為が共同性を利用するとき、後者は滅亡へと向かう。現代日本社会が、このような賤しい子供を産出した。 どのような装置が賤しい子供を産んだのであろうか。検証すべき点は、その一点であろう。

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