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高齢ニート(=ヒッキー)の優雅な生活(その零)――――労働は恥であるという思想との出会い

編集の都合上、日付を変更する。

 20080122 高齢ニート(=ヒッキー)の優雅な生活(その零)――――労働は恥であるという思想との出会い

 労働しない若者、中年、壮年、そして老人が増えている。そのうち労働しない若者が「ニート」と呼ばれている。この意味は単なる若者の怠惰性を表現しているわけではない。後期近代において、労働が社会的尊敬を受けなくなったことと関連している。労働するよりも、公営賭博、株式市場等における投機的行為や親族の遺産で暮らすほうが、社会的により承認をうけることと関連している。汗水垂らして労働するよりも、財テク等によって稼ぐほうがより社会的に尊敬されることになった。

 一方で、後期近代において労働におけるサービス産業の役割が拡大したことによって、サービス産業に従事する労働者の割合が増大した。かつての産業従事者に比較して現在の労働者の賃金は相対的にかなり下落している。とりわけ、巨大サービス産業、たとえば巨大スーバーマーケット、巨大ファーストフード店において、一部の管理職を除き現場でサービスに従事する労働者の賃金の下落は著しい。

 このような現代社会において、労働をすることは恥という意識が生じることもやむをえない。ある壮年男性が数十年まえに体験したことをここで披露してみよう。それは、彼があるガソリンスタンド労働者として働いている時の体験である。ガソリンスタンド労働者はガソリンを車に入れるだけではない。煙草の灰皿を代え、フロントガラスを拭かねばならない。客に対して愛想をふるまわねばならない。そこで働いている時、トヨタクラウンの最高級車に乗車した彼の同級生がガソリンを入れるためにそのスタンドに入ってきた。当然、彼はその同級生に対して、対等な口を聞く。「よ、元気!」それに対して対等な口をこの労働者がきけるはずもない。「いらしゃいませ」としか言えない。職場の規則で、客に対する挨拶は、決められているからだ。

 この同級生はいまどきの言葉を使用すれば、ニートであった。父親の車を乗り回していた。しかも、その車は日本の最高級車であり、助手席には今風の彼女が同乗していた。若い労働者は、このニートに対して、卑屈な感情をもったのも事実であった。客観的に言えば、淡々と労働をするだけでよかった。

 しかし、この青年はそのボンクラに対して劣等感をもったのも事実であった。逆に言えば、今日のニート君もまた、労働者にその種の優越感をもっているのも事実であろう。「俺は客だ、お前は、ニートである俺にサービスする、わっはは」。さぞ、良い気持ちであったであろう。そして、以下のように言ったように、風の便りで聞いた。「中学校のころ、あいつは一番の成績、俺は最下位。でも、あいつは、俺の最高級セダンの窓ガラスをふいていたぜ、ワッハハ」。

 

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