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無責任体制としての官僚制――大学における懲戒解雇に関する裁判闘争における官僚の無責任

20140620 無責任体制としての官僚制――大学における懲戒解雇に関する裁判闘争における官僚の無責任

 

 通常の国家公務員ではあまり聞かないが、大学において教授に対する懲戒解雇は、かなり聞く。鹿児島国際大学3教授不当解雇事件は著名である。ある事案によって、懲戒解雇がなされたとしよう。対象教授、より日常用語を用いれば、まと(的)になった教授は、それに対して裁判に訴える。

解雇権の濫用、あるいは不当解雇が訴状の中心である。しかし、第一審で労働者が勝利したとしても、大学は高裁に控訴する。当然、一審判決が支持される。それでも、大学側が懲りない場合もある。上告する。最高裁は、高度な憲法判断が要求される事例、事実認定に重大な瑕疵がある場合にのみ、審理する。労働問題における解雇権の濫用等の判例が積み重なった事例の場合、上告棄却がされる。単純化すれば、門前払いである。

しかし、この間、労働者である教授は、6-10年裁判にかかわらねばならない。40代の少壮准教授であれば、もっとも油が乗る時期である。課程博士だけではなく、論文博士を目指す場合もある。老教授であれば、定年を迎える。その時間を裁判闘争にだけに集中しないといけない。第二審判決が確定したとしても、その時間が返ってくるわけではない。

他方、学長をはじめとする大学役員、そして懲戒事案を審理した懲戒委員会委員等の教授は、裁判に敗訴したからといって、何ら不利益はない。裁判費用は、運営交付金及び私学助成金等の税金、学費等から補填される。裁判その自体も勤務時間内に行われる。出張費用、日当まで支給される。誰も、個人的責任は問われない。冤罪として有名になった袴田事件においても当該捜査担当者、裁判官も退職金を受領し、年金生活を謳歌する。それに対して、労働者である教授はすべて自弁である。

袴田事件において、ある裁判官が自責の念に堪えかねず、裁判過程を反省している。しかし、それは稀である。多くは、知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる。大学における不当解雇に際して、関与した学長、役員、懲戒審査委員もほぼ同様である。彼らには、すでに退職している場合も多い。退職金を満額受給し、年金も十分な額を受領しているはずである。

解雇権の濫用あるいは不当解雇による労働法に関する裁判の場合、一審判決が出た時点で、大学は控訴を断念すべきである。もちろん、労働者は最高裁まで上告したければ、上告すればよい。自弁であるからだ。法人の資金をこのような事例に浪費すべきではない。また、上告することによって、損害賠償額も増大する。誰が、この費用を負担するのか。誰も負担しない。親方日の丸である。

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