「(仮称)新函館駅」から「新函館北斗駅」へいう北海道新幹線新駅の名称問題――公務員機構における「先送り」あるいは後任者への「引き継ぎ」
20140610 「(仮称)新函館駅」から「新函館北斗駅」へいう北海道新幹線新駅の名称問題――公務員機構における「先送り」あるいは後任者への「引き継ぎ」
2013年から2014年にかけて北海新幹線新駅の名称、(仮称)新函館駅が問題になった。新駅所在地の北斗市が、「北斗」の名前を新駅に挿入することを要求してきたからである。2014年6月10日現在、「新函館北斗」が最有力の名前だそうだ。各種の新聞、テレビがそのように報道している。この名称は、必然である部分もある。
函館市は北海道新幹線新駅に関して、(仮称)新函館駅という名称を信じてきた。北海道新幹線の誘致運動の期間を含めれば、数十年間この(仮称)という言葉に注意を払わなかった。(仮称)新函館駅と同時に建設される新幹線木古内駅という名称には、(仮称)が付いておらず、確定していた。この誘致運動において(仮称)新函館駅から(仮称)を取ることは、少なくとも今よりも容易であった。2006年以前であれば、新駅所在地は大野町であった。大野町長が、新駅に「大野」の名称を入れろ、と主張することはほとんどありえなかった。少なくとも、20世紀であれば、この仮称という言葉を削除することは、問題なかった。
しかし、歴代の市長、井上市長、西尾市長、工藤市長も、この問題を看過してきた。この3人ともいきなり市長になったわけではない。企画部長、総務部長、助役等の行政の要職を歴任することによって、市長になった。とくに、企画部長は新幹線問題の統括責任者であった。彼らもこの問題に気がついていたはずである。しかし、函館市はこの問題を楽観視してきた。
2006年に北斗市が誕生し、海老沢氏が初代北斗市長になった。彼は、新駅の名称を「北斗駅」とすべきであると主張した。その時から換算しても、8年の年月が経過している。この間、函館市は問題を「先送り」してきた。仮称とはいえ、新函館駅が数十年間定着したし、函館というブランドに安心してしまっていた。
開業を控えた本年になって、北斗市の政治的主張が認知されてきた。駅舎が存在する北斗市の名前を新駅名称に挿入すべきであるという主張である。経済界にはこの主張を支持する意見は多い。この主張には理がある。JR北海道も、駅建設及びレール敷設にあたって、北斗市の了解を取る案件は多々あるからだ。
この問題は日本の官僚制の問題一般と関連している。多くの官僚は、特にキャリア官僚という上級公務員は、多くの部署を渡り歩く。2-4年のサイクルで移動する。しかも、最近では中級公務員も多くが移動する。上級、中級、下級という区別が、官僚機構を機能不全の原因にされている。多くの自治体の場合、ほとんど形式上意味のないものになっている。また、中央官庁の場合も、できるだけこの区別を柔軟にしようといる。
しかし、課長補佐、係長が実務の細部を把握しなければならない。また、時間的一貫性も必要である。公文書の保存期間は5年だそうである。もちろん、重要な文書はそれよりも長いであろう。しかし、同一の部署に詳しい人が、10年、20年居ないと、歴史的経緯が分からなくなる。中級公務員がかつてはその役割を担っていたはずである。このような人間が現在では、減少している。少なくとも、広範囲でかつ重要な案件であればあるほど、この問題に精通した人間が必要である。
(仮称)新函館駅の問題に戻せば、多くの函館市の公務員がこの問題に気が付いていたはずである。しかし、重要な問題になればなるほど、これを歴代企画部長が「棚上げ」つまり「先送り」してきた。前任者は後任者に引き継いだだけである。問題が大きくなればなるほど、その問題は棚上げされてきた。官僚だけではない。多くの人間も一般にその傾向から免れない。この問題については、2014年5月23日のブログ「花輪和一『刑務所の前』」において論じた。
「先送り」が繰り返された。最後になって、函館市長がこの問題を取り上げたとき、外堀は埋まっていた。もはや、「北斗」という名称を入れざるをえなくなっていた。
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