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個人的自由の誤解ーー風間やんわり『やんわり社会派宣言』

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本記事は、2010年5月2日に公開された。しかし、編集の都合上、2013年10月27日に変更された。

風間やんわり『やんわり社会派宣言』講談社、2008年、139頁

この漫画は、失業中の中年の父親に関する物語である。彼は、失業したので、プロ野球の投手になりたいそうである。一試合完投すれば、ほぼ一週間休みである投手になりたいそうである。この試みは成功するのであろうか。

現代社会学の基礎知識によれば、すべての社会的役割は等価であり、かつ交換可能である。しかし、すべての人間がすべての社会的役割を演じられることを主張しているのではない。

また、近代社会は共同的自由あるいは個人的自由を解放した。個人的自由の水準によれば、すべての人間は可能性を持っている。近代社会は自由の原理をその時代精神にし、自然的被規定性つまり限定性に対して、自由という自然的非規定性つまり無限性という理念を対置している。近代の理念的圏において自由の原理が承認されている以上、自然規定的な存在形式は無化されている。自由の原理が社会的圏においても、公共的圏においても採用されている以上、身分制社会の原理は公共的圏から排除されている。現実的圏において人間は自然的存在であるかぎり、様々な自然的な被規定性を否定できない。

この意味を誤解すれば、このような漫画が成立する。職業選択における潜在的自由と現実的自由の間にはかなりの断絶がある。風間やんわりは、この意味を漫画という形式において明瞭に描いている。

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